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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

鍋に入ぇったか・・・・死ぬも地獄生きるはなお地獄




舟形の宗平・大滝の五郎蔵
 
時は12月半ば、朝晩の冷え込みは地から背筋を這い上がって
首根っこを押さえつけられたようなゾクゾクする寒気である。


襲われたのは八町堀東に流れる亀島川、この亀島橋の架っている
富島町一体を占める豪商田嶋屋忠左衛門宅に押し込みが入った。


被害は膨大なもので千両箱二つが消えていた。


しかも盗賊が入ったことさえ家人の誰一人気付かず、
数日後に主の忠左衛門と大番当が合鍵を下げて
商品を出しに行って判明した。


この田嶋屋は水路を巧みに使っての北前船を多く所蔵し、
商いも手広く千石船での交易は海産物から各地の様々な物産にも
手を伸ばし、その財力を武器に大名家への貸付から
日銭貸しにいたるまでの両替商いと表の評判もあまりよろしくないものの、
裏での厳しい取り立てはかなりのものであった。


だが財力で幕閣への付け届けによりことが公になることもなく、
その懐はますます太るばかりであったろう


そのような折のこの盗賊騒ぎは、町衆からはやんやの喝采を
送るものも後を絶たず、火付盗賊改方としては面目丸つぶれの
非難を浴びたのは又当然であろう。


特に幕閣からは厳しく、日頃は温厚な京極備前守もその勢いに
押しつぶされるほどで、
「一刻も早くその盗賊を捉え断罪致せ」
との下知が平蔵に下った。


だがいくら調べてみても、盗んだ糸口も手口も一切が不明のまま
時だけが無情に流れていった。


「何としてもこの事件は解決せねば・・・・・・」


平蔵は目を覚ます度にこの事件のことがムクムク頭をもたげて、
気分がどうにも湿っぽくなってしまう。


「どうにもならぬのか!」
声を荒らげてみても返ってくるのは虚しい返事ばかり。


すでにふた月を無意味に流してしまっている。


「何故だ?何故何も証拠らしきものも見つからぬ?」
平蔵はこの謎解きに没頭するものの一向に拉致のあかないことが
更に迷いに拍車をかけることになっていた。


ところが驚いたことにその田嶋屋に再び賊が入り込み
千両箱がまたも二つ消えてしまったと番所から届けてきた。


「何だと!」
あまりの出来事に平蔵は言葉が続けられなかった。


「これほどの大胆な仕事をやってのけられるのはそう何人もおるまい、
思い当たる盗人盗賊を洗いざらい書き出して見よ」
平蔵は木村忠吾らに命じて、大仕掛けな仕事がやってのけられ、
おまけに未だ捕縛を逃れているものの名を書き出させた。


書き上がったものを筆頭与力の佐嶋忠介をはじめ主だった面々が
手分けして手口や内容を検めるも、又これも何の手がかりも出て来ず、
悶々とする日々を否応なく過ごしていた。


だが吉報は想いもかけないところからもたらされた。


表向き船宿鶴やを任されている小房の粂八が持ってきた。


「おい粂や、その妙な野郎ってぇのは一体ぇ何者なんだえ?」


「それがでございますよ長谷川様・・・
直接あっしの耳に届いたネタじゃぁござんせんが、
家の出入りの船頭が小耳に挟んだところによりやすと、
ついこの前の田嶋屋の押し込みがあったと想われる夜明けに
船が消えていたってぇ野郎がおりやしたそうで」


「何?船が消えただと?」


「ふむ 解せぬな、まさかつなぎが悪く流されたと考えられぬか?」


「長谷川様、少くともこいつらはそれで飯を食っているんでございますよ、
そこまでとぼけちゃぁこいつぁおまんまの食い上げでございますよ」


「ふむ 確かにお前ぇの言うとおりだとするとだなぁ・・・・・・」


「確か田嶋屋は亀島川に在ると申したな」


「ははっ 確かにその通りにございます」
と筆頭同心の酒井祐助が応えた。


「よし密偵共に至急江戸の川筋で不審な船を見かけなんだか探索させよ、
粂 お前ぇにゃぁその話を持ってきた船頭に更に詳しい話がないか
問いただしてくれぬか」


「判りました、早速奴らの仲間にも声を掛けて畝を盗まれた野郎や
船が見つかった奴がいねぇかあたってみやす」


こうして新たな展開が砂にしみるように静かにしかし確実に動き始めた。


「長谷川様出やした!」数日後粂八が息せき切って役宅の駆け込んできた。


「何! でたかっ!」


「で 何処であった」


「へい それが何と下谷の山王社近くの葦の茂みに巧みに隠されていたそうで、
たまたま川釣りのご隠居が鐘ヶ淵の方から上ってきて人のいない川船が
茂みから面出しているのを見つけたそうで、その船頭が茂みを探しやしたら
後2杯隠してあったそうで」


「すると奴らはその辺りで上陸したということも考えられるな」


「へぇ 千住の大橋を渡りゃぁ千住掃部宿から水戸街道、日光街道、
奥州街道と足が伸ばせやす」


「はぁ~ 上手いところに逃げ込んだものだなぁ」
と木村忠吾が思わず漏らした。


「忠吾!!」


佐嶋忠介の鋭い語気に慌てて口を抑え「誠に不謹慎な発言何卒
お許しくださいませ」とペコペコ平蔵に頭を下げた。


「全くお前という奴は、おかしらのお気持ちを少しは察するという事は
出来ぬのか!


どれ程この事件にお頭の立場が危ういのかお前はまだ判っては
おらぬようじゃな」


「誠に恐れ入るます!!!」忠吾はまるで機織りバッタのように
腰をかがめては両手をこすり合わせる。


「ったく お前ぇと言うやつは・・・・・
それよりも粂八の話からも判るであろうが、早速に千住大橋辺りを
くまなく探索いたせ。


船が3杯ともなれば20名は下るまい、そのような数のものが動けば
いかになんでも目立つは必定、廃寺から百姓屋など手当たり次第に探索いたせ」


平蔵はこの動きを逃すまいと即座に与力、同心、密偵全員に下知した。


だが事はそこまでで盗賊の足取りはぷつりと途絶えた。


それからほぼ1年目の12月初旬


江戸の町で妙な噂が聞かれるようになった。


あの豪勢を誇った田嶋屋に陰りが見え始めたというのである。


「そいつは一体ぇどういうこった?」


平蔵は噂を拾ってきた伊三次に言葉を向けた


「へい そこんところがどうもあっしにも合点がいきやせんが・・・・・


どうも大口の掛取りができなくなったようで」


「何だと 掛取りが出来なきゃぁお前ぇ・・・・・・


なるほど貸した金が取り立て出来ねば金は回せず、
ふむふむ資金繰りが苦しくなるわけだのう」


「へぇ そのようで、元々あのように大商いで手を広げておりやしたもので、
蓄えは十分あったようでございやすが、丁稚小僧をちょいとこのぉ
使いの途中を呼び止めやして聞いたところじゃぁ
売掛帳面がすべて消えていたようで、大番頭が蔵の中から家の隅々まで
探したけど見つからなかったようでございやす」


「うーむ こいつぁちょいと面白ぇ事になってきたぜ伊三次!」


平蔵は心のなかで少しばかり楽しくなっていた。


不謹慎ではあろう、だが悪どい金利で日銭を借りていた町家の者達が
救われたと思うと、ついつい相好が崩れかけてしまうのである。


「へへへへっ!悪銭身につかずたぁよく言ったもんだぜあははははは」


それからひと月あまり時が去り、ようやく正月気分も抜けようとした矢先の
江戸の町に瓦版が大声で叫びまわった。


「さぁさぁお立ち会い ええっどうだい、あの八丁堀富島町の大店田嶋屋が
夜逃げをしたってぇ話だ、詳しい話はこの中に書いてあらぁ、
さぁ買った買った!」


その瓦版を忠吾が掴んで清水御門前の火付盗賊改方役宅に飛び込んできた。


「おおお おかしら これこれこれっ!」


「おいおい忠吾そのように慌てずとも、わしは逃げたりはせぬ、
なっ 落ち着け 落ち着いて話せ!」


「おかしら それどころではござりませぬ、あの田嶋屋が
一家揃って夜逃げしたそうにございます」


「何だと!んんんっ で、死人は出ておらぬのだな?」


「はい 番頭が主の忠左衛門に朝の挨拶に伺ったら、
家人が誰一人おらず、もぬけの殻であったそうにございます。


蔵を開けましたら主だった品物はほとんど消えており、
と言ってもすでに金策のためにめぼしいものは売り払っておりましたので、
残されたものといえば金にはならないものばかりであったとか・・・・・」


気の毒なのは奉公人たちでございますよ、まぁ何処かに家屋敷を身売りでもすれば
なんとか奉公人の行く末程度はなんとかなりましょうが、
何しろあの広さ・・・・・・」


「うむ それも又難儀なことだのう、それにしても夜逃げとは又・・・・・・


左程に売掛帳が堪えたのであるか、気の毒とばかりも言ってはおれぬなぁ、
何としても盗人を捉えねばこのわしも備前守様に面目が立たぬ」
老中の平蔵叱責の大合唱を一人で押しとどめてくれている事を1日たりとて
忘れた日はない平蔵であった。


そんな折、事件はおかしな方向に流れ始めた。


本所は相生町の煙草屋の主人元を正せば箕火の喜之助の配下で初鹿野の音松の
盗人宿の番人をつとめ、大滝の五郎蔵の父親代わりでもあり、
今は五郎蔵とおまさ夫婦の父親代わりで3人一緒に暮らしている男、
舟形の宗平が時折足を運ぶ相生町一ノ橋を渡ったところにある弁天様の茶店で
のんびり茶をすすっていた所に
「舟形の盗っつアンじゃぁねえですか?」
っと、小男が寄ってきて


「誰だいお前ぃさんは?」
と聞き返したら、尻を見せてね
「ほれ お忘れでござんすか?」


と腰につけた瓢(ひょうたん)を見せた。


「あっ!千成の・・・・・・」


「へぇ九助でござんすよ、
それにしてもこんな所で舟形のとっつあんに出会うとは」


「それでお前さん、今もおつとめを?」


「へぇ 盗っつあんも、もしかしたらご存知かもしれやせんが
八鹿の治助親分の下でちょいちょい声をかけてもらいやして・・・・・」


「はじかみの治助・・・・・あのお方は上方辺りまでと聞いていたがねぇ」


「へぇそいつがね、」ひょんなことからこのお江戸でおつとめをすることに
なっちまって、とっつあんはお聞きじゃぁございやせんか?
八丁堀富島町の廻船問屋田嶋屋・・・・・・」


「ああ 聞いてるよ、とかくの噂があったがいまは夜逃げしたとかで、
その後のお店は何軒かの店が買い取って、奉公人もそれぞれの店で引き取られて、
まぁなんとか酷い目にはあわなくてすんだようだけどね」


「それそれ その田嶋屋を破ったのが八鹿のお頭だぜ」


「何だって!・・・・・・」


宗平は肝をつぶさんばかりに驚いた。


あれほど長谷川平蔵が血眼になって探索したにもか関わらず、
チリひとつ掴めないまま迷宮入りになった事件である。


「あれはねぇ 元々は田嶋屋が自分の評判を盛り返そうと打った芝居が
始まりなのさ」


「芝居だって!」
宗平は又もやびっくりの話しである。


「そうそう そう言うこった! 
田嶋屋はあくどく稼いでいるために世間様が気になる、
そこで蔵を破られて千両箱が二ツ消えたと奉行所に届け出たってぇ寸法でさぁ、
そうすりゃぁ2千両黙って懐に入ぇるじゃぁござんせんか」


「なんてぇ野郎でぃ」
宗平は呆れ返った表情でせんなりの九助を見た。


「でもよ どうしてそんなことをお前ぇが知っているんだい?」
その先が知りたくて舟形の宗平思わず立ち上がった。


「まぁまぁ落ち着きなよ舟形のとっつあん、ここからが面白ェところだからよ」


九助はニヤニヤ笑いながら話を続けた。


「実はねぇ三番番頭があっしの、こっち!」
と言って壺を振る真似をしてみせた。


「そのだち公の名は松助、当然本名じゃぁござんセんよ、
あんなお店は勝手に名前をつけちまうからよ、
で野郎その日はついてねぇようで、有り金すっからかんに巻き上げられちまってね、
やけ酒をおいらが振る舞ったってぇところから二幕目が開くってぇことよ、
へへへへへ」


九助は愉快そうに鼻でせせら笑いながら話を続けた。


「そいつが田嶋屋忠左衛門から言い渡されて嘘の盗賊話を奉行所に届けた
張本人何でさぁ」


まぁそん時ぁ野郎もまさかつくり話だなんて想っても見なかったそうでやんすがね、
ところがどっこい、壁に耳ありってぇ話しでさぁ、
野郎が聞いちまったってことですよ、
で主を稲荷橋たもとのお稲荷さんまで呼び出して、事の次第を聞いちまったことを
話し、ゆすりにかかったぇ訳でさぁ、それで俺に


「もうじき九助さんにもお礼が出来る儲け話が出来たって」
耳打ちしてくれたもんで・・・・・・
ところがそのすぐ後で野郎の死体が豊海橋に流れていたのを船番所の小役人が
見つけて奉行所に届け出たことから判っちまったんでさぁ」


何しろあれ以後ぷっつりと野郎のつなぎもねぇし居所も探りを入れても
みんな知らねぇ風で・・・・・
こいつは少々危なくなってきたと思いやしてね、
上方も少々おつとめが厳しくなりかけていたもんで、
一度は花のお江戸で一仕事、そのあと奥州路へ・・・・
とまぁこんな調子で


千住の宿近くに百姓屋を買い取ってしばらくはお江戸見物と洒落こんで
おりなさった八鹿の親分に・・・・・、
ところが親分はそんな汚ねぇ話がでぇ嫌ぇという性分。


判るだろうとっつあん、盗みなんざぁ盗られたほうが二~三日は気づかないくらい
綺麗につとめて、ある日気がついてびっくりってぇのが本道のおつとめさ」


「それでお前ェ達が破ったてぇわけだな」
宗平は興奮して再び立ち上がった。


「まぁまぁ落ち着きなって!
そん時お頭がついでに売掛帳をかっさらってきなすった。


こいつぁひょっとすると面白ぇ事になるぜってお頭が話してくれたんだよ、
そしたらほれ田嶋屋が夜逃げに追い込まれちまったじゃぁねぇか、なっ?」


「それで八鹿の治助お頭は今どこに居なさるんで?」


「そいつを聞いてどうなさるつもりで?舟形のとっつあん!」


「俺だって箕火のお頭の下に居た宗平だぜ、何かの時ぁお前ぇさん・・・・・・」


「判ったわかったよとっつあん、今お頭は奥州への旅支度だと想うぜ、
この数日の間にゃぁお出かけなさると読んだがねぇ」


「で? お前ぇさんは一緒に行かねぇのかい九助どん?」


「おいらかい 俺ぁこのお江戸でお頭のお帰りを待つ役目さ、
なぁに二~三年もすりゃぁ奥州から引き上げ来きなさるだろうからよ、
そん時まで盗人宿をあずかっておくってえ役目よ。


まぁそれまでの食い扶持はしっかりお頭から頂いているからなぁへへへへへへ」
と笑った。


まぁこれが舟形の宗平から平蔵が聞いた一部始終である。


「急ぎ手空きの者を集め千住まで出張る用意をしろ!
忠吾そちは南町奉行所に急ぎ走りこのことを告げて我らに助成する様に申し伝えよ、
急げ!」


明け方早く九助の言葉を頼りに千住旅籠の一角にある百姓屋の前に
火付盗賊改方および捕り方なぞ総勢30名が取り囲んだ。


おっとり刀で南町奉行所の同心や捕り方が応援に駆けつけ、
廻りはもう蟻の這い出る隙間もないほどに固められた。


ゆっくりと陽がさしかかって来、風もなく穏やかな1日が始まろうとしていた。


「はじかみの治助!出ませい!火付盗賊改方長谷川平蔵である!」
と呼ばわった。


ガタガタと激しい音とともにバラバラと旅支度途中の男どもが転がるように
出てきた。


その一軍のなかから
「火付盗賊改方だと!」
そう言って、ずいと前に出てきた少し白髪交じりではあるが精悍な顔つきの男が
「お前さんかいお江戸の鬼と呼ばれるお方は・・・・」
と平蔵の足先から頭の天辺まで舐めるように見あげて


「さすが鬼と呼ばれるだけの事はある、恐れいりやした、
皆!おとなしくお縄を頂戴しろ」
と控える子分どもに言い聞かせた。


「うむ 聞きしに勝る面構えに、又子分どももよく従い闇将軍と呼ばれるだけの
ことはある」


平蔵はこの八鹿の治助の肝の座った態度が大いに気に入った。


翌日の取り調べにも包み隠さず語り、
「最後に一つだけお願いがございやす」
と両手をついて頭を下げた。


「なんだ  申してみよ!」


「あっしはいかようになろうとも悔いはございやせん、
しかしせめてこいつらの方はなんとか獄門だけは逃れさせてやりてぇので
ございやす」
と平蔵の眼をじっと見据えて嘆願した。


平蔵は、はじかの治助が白状したこれまでの行状したためを眺めながら、


「なぁ治助、確かにお前ぇ達ぁ人に手をかけてもおらぬようだし、
盗人の3箇条かえ?そいつをきっちり守っていたと思える、
だがなぁ盗っ人は大きかろうが小さかろうが関係はねぇ!
それが罪ってぇ重さなんだよ、死ぬも地獄生きるはなお地獄、
まさにこの世は生き地獄、
そいつを今からじっくりとそれぞれの身体で味わいながら生きてゆく亊になろうよ、
だがな生きてりゃぁいつかは極楽が見えてくると俺は思いてぇ、
なぁに2~3年もすりゃぁ又江戸の土を踏めるだろうぜ」


「長谷川様 ありがとうございます、ありがとうございますこいつらにも
待っている者もおりますれば、この後命がけでこれまでの罪の償いを済ませ
帰ぇしてやりてぇのでございます、ありがとうございます」



「ところで治助!どうやって金蔵から金を運びだしたんだえ?」


「そいつでございますよ長谷川様、最初のやつは田嶋屋の嘘から出たもんで
ございますがね、次のやつは確かにあっし共が手を下しやした。


店の見取り図は九助が番頭をたらしこみやして凡そ判っておりやした、
そこで船宿が閉まるのを見越して3組に分かれ、それぞれが小舟を盗んで川を下り、
霊岸橋のちょいと先に隠し、そこから陸に上がってすぐに田嶋屋の蔵が
3ツ並んでいる最初のやつ、こいつが本命でございましてね、
店に近ぇ方から常に出し入れする商品を置くと考えやした。


だとすればお宝は最後のところということになりやしょうか、
その辺りも番頭の口からそれとなく探っておきやしたものでございますからね。


船ハシゴを塀にかけて20人ほど乗り込みやした。


何しろ頑丈な錠前が掛けてあるんで安心していたのでございましょう、
誰一人見張るものもなく、この錠前外しの十助が上方でもならした腕前でさぁ、
あっという間にご開帳と・・・・


でね、どうしてもあくどいやり口が気に食わなっかったものですからそのぉ
ちょいと売掛帳を失敬したのでございますよ」


「おうおう そいつのことだ、そいつは今どこにあるんだえ?」


「はははははっ 
今頃は大川の鯉の腹ん中にでも入ぇっちまってますかねぇ長谷川様、はははははっ」


「な~るほどなぁ いやぁ聞きしに勝る盗っ人だのうお前ぇは」
平蔵は呆れてものも言えない風である。


「ところでなぁ治助、お前ぇ俺をすけてはくれぬか?」


「あっしにお上の狗(いぬ)になれと・・・・・・」


「ああそうだ、殺すにゃぁおしい、お前ぇの知恵がほしい、それにな、
お前ぇたぁ旧知の仲であろう舟形の宗平や五郎蔵がお前ぇの命乞いを願い出てなぁ」


「ご冗談を!」


「いや冗談ではない、宗平も五郎蔵も今や俺の仕事をすけてくれておる、
俺にゃぁなくてはならねぇ眼や鼻よ」


げぇっ!治助はまさか舟形の宗平や五郎蔵がお上の狗担っているとは、
この話はにわかには信じられない様子であったが、


「舟形のおやじさんや五郎蔵さんにはそれなりのわけもあったのでございましょう、
ですがあっしがお上の狗に?そいつばかりは御免を被らさせていただきやす、
喩え外道であれ、盗っ人には盗っ人の・・・・・」


「義理があると申すのだな」


「その通りでさぁ、あっしも八鹿の治助と仲間内では呼ばれる二つ名の盗っ人、
その義理を裏切る事ぁ出来やせん、思い切り良くこの素っ首すっぱりと
落としていただきとうございやす」


「成る程肝も据わっておる、いや実に惜しい、しばらく牢内にてあたまをひやせ!」


こうして八鹿の治助は半月を火付盗賊改方の牢内で取り調べのために勾留された。


その間何度も牢内を見舞い、気心もしれてきたが、こと密偵の話になると
「あっしにはこの世に何も未練なんぞはございやせん、どうぞすっぱり洗い流して
あの世にまいらせておくんなさい」
と、どうしても落ちない。


そこで平蔵はやむをえないと、八鹿の治助を解き放つ作戦に出た。


お取り調べの最中
「おい治助、お前を放免致す、好きなところへ行くが良い、いかような生き方も
出来よう、ただひとつ二度と再び俺の手に落ちるなよ、
その時はその素っ首その場でなきものと想え、
貴様の身は牢内にてご獄死と奉行所に届けておいた、酒井!其奴を解き放て」


あまりの急な展開に目のくらむ思いで治助は聞いていた。


「真っ事あっしはお解き放ちに・・・・・」


「その通り お解き放ちだ、さっさと出てゆけ」
と酒井祐助に裏の枝折り戸まで連れてゆかれ放免された。


治助はしばらくその戸口に佇んでいたが、戸は閉じられたまま何の変化もない。


何度も何度も後を振り向きながら治助は朝靄煙る大川の方へ走り去った。


「おかしら、あれでよろしいので?」
筆頭与力の佐嶋忠介が、いぶっかて平蔵の顔を見た。


「うむ まぁ見てろ、俺とあいつの我慢比べだ、どっちが先にケツを割るか、
あはははははは」


平蔵は愉快げにその先を眺めている様子であった。


「のう佐嶋、八鹿(はじかみ)とはどのようなものか存じておるか・・・・・」


「はぁ 山椒のことだとは聞いておりますが・・・・・」


「その通りよ、こいつぁ刺があって中々人も獣もよりつかねぇ、
だがな香りは優しくこころを慰めてくれる、治助はそんなところから
そう呼ばれるようになったんだろうぜ」


「はあ~ 成る程そのような魅力のあるやつでございましたなぁ」


それから何度か江戸市中で八鹿の治助の顔を見かけたという報告は平
蔵の元に寄せられていたが、平蔵の動きは全くなかった。


治助が放免されて一月が流れた・・・・・・・


「おかしら、治助が裏に参っておりますがいかが致しましょうや?」
と与力の小林金弥が取り次いできた。


「おうおう 鍋に入ぇったか!よし通せ」
平蔵は相好を崩していそいそと中庭へ出向いた。


しばらくして枝折り戸を潜って八鹿の治助がよろめくように入ってきた。


「おい治助なんてぇざまだ、えっ 干物みてぇになっちまって、
何でまだこのお江戸にいるんだえ、なんぞ未練でも出て参ったか?」
と、平蔵ヘラヘラ笑いながら治助の顔を覗き込むように眺めた。


「長谷川様あなたと言うお方はほんに恐ろしいお方でございますなぁ、
この一月、あっしぁどこにいてもどんなに潜り込んでも何処かに長谷川様の眼が
在るんじゃぁ無かろうかとそりゃぁ毎日が地獄のように恐ろしくて、
生きた心地がございやせんでした。
何度此処を離れようといたしやしたか、けどね、そのたんびに何かが背中に
へばりついたような心地で、動くこともままならねぇ、
恐ろしい恐ろしい・・・・・・
そんな毎日から、あっしはもう逃れたいのでございやす。


長谷川様というお方は、仏の裏に鬼が棲んでおられる
恐ろしいお方でございますねぇ」


こうして、八鹿の治助は平蔵の密偵に加わった。


その後平蔵の在る所この治助の姿も又影のように付き添っていた。


盗みの手口、仕掛けの工夫、盗みの狙い目など盗みに関する様々な助言が
この治助からあったことは言うまでもあるまい、
まさに闇将軍と呼ばれる八鹿の治助の面目躍如というところであった。


 



絵図つき 「時代劇を10倍楽しむ講座」  http://jidaigeki3960.sblo.jp/



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舟形の宗平・大滝の五郎蔵
 
時は12月半ば、朝晩の冷え込みは地から背筋を這い上がって
首根っこを押さえつけられたようなゾクゾクする寒気である。


襲われたのは八町堀東に流れる亀島川、この亀島橋の架っている
富島町一体を占める豪商田嶋屋忠左衛門宅に押し込みが入った。


被害は膨大なもので千両箱二つが消えていた。


しかも盗賊が入ったことさえ家人の誰一人気付かず、
数日後に主の忠左衛門と大番当が合鍵を下げて
商品を出しに行って判明した。


この田嶋屋は水路を巧みに使っての北前船を多く所蔵し、
商いも手広く千石船での交易は海産物から各地の様々な物産にも
手を伸ばし、その財力を武器に大名家への貸付から
日銭貸しにいたるまでの両替商いと表の評判もあまりよろしくないものの、
裏での厳しい取り立てはかなりのものであった。


だが財力で幕閣への付け届けによりことが公になることもなく、
その懐はますます太るばかりであったろう


そのような折のこの盗賊騒ぎは、町衆からはやんやの喝采を
送るものも後を絶たず、火付盗賊改方としては面目丸つぶれの
非難を浴びたのは又当然であろう。


特に幕閣からは厳しく、日頃は温厚な京極備前守もその勢いに
押しつぶされるほどで、
「一刻も早くその盗賊を捉え断罪致せ」
との下知が平蔵に下った。


だがいくら調べてみても、盗んだ糸口も手口も一切が不明のまま
時だけが無情に流れていった。


「何としてもこの事件は解決せねば・・・・・・」


平蔵は目を覚ます度にこの事件のことがムクムク頭をもたげて、
気分がどうにも湿っぽくなってしまう。


「どうにもならぬのか!」
声を荒らげてみても返ってくるのは虚しい返事ばかり。


すでにふた月を無意味に流してしまっている。


「何故だ?何故何も証拠らしきものも見つからぬ?」
平蔵はこの謎解きに没頭するものの一向に拉致のあかないことが
更に迷いに拍車をかけることになっていた。


ところが驚いたことにその田嶋屋に再び賊が入り込み
千両箱がまたも二つ消えてしまったと番所から届けてきた。


「何だと!」
あまりの出来事に平蔵は言葉が続けられなかった。


「これほどの大胆な仕事をやってのけられるのはそう何人もおるまい、
思い当たる盗人盗賊を洗いざらい書き出して見よ」
平蔵は木村忠吾らに命じて、大仕掛けな仕事がやってのけられ、
おまけに未だ捕縛を逃れているものの名を書き出させた。


書き上がったものを筆頭与力の佐嶋忠介をはじめ主だった面々が
手分けして手口や内容を検めるも、又これも何の手がかりも出て来ず、
悶々とする日々を否応なく過ごしていた。


だが吉報は想いもかけないところからもたらされた。


表向き船宿鶴やを任されている小房の粂八が持ってきた。


「おい粂や、その妙な野郎ってぇのは一体ぇ何者なんだえ?」


「それがでございますよ長谷川様・・・
直接あっしの耳に届いたネタじゃぁござんせんが、
家の出入りの船頭が小耳に挟んだところによりやすと、
ついこの前の田嶋屋の押し込みがあったと想われる夜明けに
船が消えていたってぇ野郎がおりやしたそうで」


「何?船が消えただと?」


「ふむ 解せぬな、まさかつなぎが悪く流されたと考えられぬか?」


「長谷川様、少くともこいつらはそれで飯を食っているんでございますよ、
そこまでとぼけちゃぁこいつぁおまんまの食い上げでございますよ」


「ふむ 確かにお前ぇの言うとおりだとするとだなぁ・・・・・・」


「確か田嶋屋は亀島川に在ると申したな」


「ははっ 確かにその通りにございます」
と筆頭同心の酒井祐助が応えた。


「よし密偵共に至急江戸の川筋で不審な船を見かけなんだか探索させよ、
粂 お前ぇにゃぁその話を持ってきた船頭に更に詳しい話がないか
問いただしてくれぬか」


「判りました、早速奴らの仲間にも声を掛けて畝を盗まれた野郎や
船が見つかった奴がいねぇかあたってみやす」


こうして新たな展開が砂にしみるように静かにしかし確実に動き始めた。


「長谷川様出やした!」数日後粂八が息せき切って役宅の駆け込んできた。


「何! でたかっ!」


「で 何処であった」


「へい それが何と下谷の山王社近くの葦の茂みに巧みに隠されていたそうで、
たまたま川釣りのご隠居が鐘ヶ淵の方から上ってきて人のいない川船が
茂みから面出しているのを見つけたそうで、その船頭が茂みを探しやしたら
後2杯隠してあったそうで」


「すると奴らはその辺りで上陸したということも考えられるな」


「へぇ 千住の大橋を渡りゃぁ千住掃部宿から水戸街道、日光街道、
奥州街道と足が伸ばせやす」


「はぁ~ 上手いところに逃げ込んだものだなぁ」
と木村忠吾が思わず漏らした。


「忠吾!!」


佐嶋忠介の鋭い語気に慌てて口を抑え「誠に不謹慎な発言何卒
お許しくださいませ」とペコペコ平蔵に頭を下げた。


「全くお前という奴は、おかしらのお気持ちを少しは察するという事は
出来ぬのか!


どれ程この事件にお頭の立場が危ういのかお前はまだ判っては
おらぬようじゃな」


「誠に恐れ入るます!!!」忠吾はまるで機織りバッタのように
腰をかがめては両手をこすり合わせる。


「ったく お前ぇと言うやつは・・・・・
それよりも粂八の話からも判るであろうが、早速に千住大橋辺りを
くまなく探索いたせ。


船が3杯ともなれば20名は下るまい、そのような数のものが動けば
いかになんでも目立つは必定、廃寺から百姓屋など手当たり次第に探索いたせ」


平蔵はこの動きを逃すまいと即座に与力、同心、密偵全員に下知した。


だが事はそこまでで盗賊の足取りはぷつりと途絶えた。


それからほぼ1年目の12月初旬


江戸の町で妙な噂が聞かれるようになった。


あの豪勢を誇った田嶋屋に陰りが見え始めたというのである。


「そいつは一体ぇどういうこった?」


平蔵は噂を拾ってきた伊三次に言葉を向けた


「へい そこんところがどうもあっしにも合点がいきやせんが・・・・・


どうも大口の掛取りができなくなったようで」


「何だと 掛取りが出来なきゃぁお前ぇ・・・・・・


なるほど貸した金が取り立て出来ねば金は回せず、
ふむふむ資金繰りが苦しくなるわけだのう」


「へぇ そのようで、元々あのように大商いで手を広げておりやしたもので、
蓄えは十分あったようでございやすが、丁稚小僧をちょいとこのぉ
使いの途中を呼び止めやして聞いたところじゃぁ
売掛帳面がすべて消えていたようで、大番頭が蔵の中から家の隅々まで
探したけど見つからなかったようでございやす」


「うーむ こいつぁちょいと面白ぇ事になってきたぜ伊三次!」


平蔵は心のなかで少しばかり楽しくなっていた。


不謹慎ではあろう、だが悪どい金利で日銭を借りていた町家の者達が
救われたと思うと、ついつい相好が崩れかけてしまうのである。


「へへへへっ!悪銭身につかずたぁよく言ったもんだぜあははははは」


それからひと月あまり時が去り、ようやく正月気分も抜けようとした矢先の
江戸の町に瓦版が大声で叫びまわった。


「さぁさぁお立ち会い ええっどうだい、あの八丁堀富島町の大店田嶋屋が
夜逃げをしたってぇ話だ、詳しい話はこの中に書いてあらぁ、
さぁ買った買った!」


その瓦版を忠吾が掴んで清水御門前の火付盗賊改方役宅に飛び込んできた。


「おおお おかしら これこれこれっ!」


「おいおい忠吾そのように慌てずとも、わしは逃げたりはせぬ、
なっ 落ち着け 落ち着いて話せ!」


「おかしら それどころではござりませぬ、あの田嶋屋が
一家揃って夜逃げしたそうにございます」


「何だと!んんんっ で、死人は出ておらぬのだな?」


「はい 番頭が主の忠左衛門に朝の挨拶に伺ったら、
家人が誰一人おらず、もぬけの殻であったそうにございます。


蔵を開けましたら主だった品物はほとんど消えており、
と言ってもすでに金策のためにめぼしいものは売り払っておりましたので、
残されたものといえば金にはならないものばかりであったとか・・・・・」


気の毒なのは奉公人たちでございますよ、まぁ何処かに家屋敷を身売りでもすれば
なんとか奉公人の行く末程度はなんとかなりましょうが、
何しろあの広さ・・・・・・」


「うむ それも又難儀なことだのう、それにしても夜逃げとは又・・・・・・


左程に売掛帳が堪えたのであるか、気の毒とばかりも言ってはおれぬなぁ、
何としても盗人を捉えねばこのわしも備前守様に面目が立たぬ」
老中の平蔵叱責の大合唱を一人で押しとどめてくれている事を1日たりとて
忘れた日はない平蔵であった。


そんな折、事件はおかしな方向に流れ始めた。


本所は相生町の煙草屋の主人元を正せば箕火の喜之助の配下で初鹿野の音松の
盗人宿の番人をつとめ、大滝の五郎蔵の父親代わりでもあり、
今は五郎蔵とおまさ夫婦の父親代わりで3人一緒に暮らしている男、
舟形の宗平が時折足を運ぶ相生町一ノ橋を渡ったところにある弁天様の茶店で
のんびり茶をすすっていた所に
「舟形の盗っつアンじゃぁねえですか?」
っと、小男が寄ってきて


「誰だいお前ぃさんは?」
と聞き返したら、尻を見せてね
「ほれ お忘れでござんすか?」


と腰につけた瓢(ひょうたん)を見せた。


「あっ!千成の・・・・・・」


「へぇ九助でござんすよ、
それにしてもこんな所で舟形のとっつあんに出会うとは」


「それでお前さん、今もおつとめを?」


「へぇ 盗っつあんも、もしかしたらご存知かもしれやせんが
八鹿の治助親分の下でちょいちょい声をかけてもらいやして・・・・・」


「はじかみの治助・・・・・あのお方は上方辺りまでと聞いていたがねぇ」


「へぇそいつがね、」ひょんなことからこのお江戸でおつとめをすることに
なっちまって、とっつあんはお聞きじゃぁございやせんか?
八丁堀富島町の廻船問屋田嶋屋・・・・・・」


「ああ 聞いてるよ、とかくの噂があったがいまは夜逃げしたとかで、
その後のお店は何軒かの店が買い取って、奉公人もそれぞれの店で引き取られて、
まぁなんとか酷い目にはあわなくてすんだようだけどね」


「それそれ その田嶋屋を破ったのが八鹿のお頭だぜ」


「何だって!・・・・・・」


宗平は肝をつぶさんばかりに驚いた。


あれほど長谷川平蔵が血眼になって探索したにもか関わらず、
チリひとつ掴めないまま迷宮入りになった事件である。


「あれはねぇ 元々は田嶋屋が自分の評判を盛り返そうと打った芝居が
始まりなのさ」


「芝居だって!」
宗平は又もやびっくりの話しである。


「そうそう そう言うこった! 
田嶋屋はあくどく稼いでいるために世間様が気になる、
そこで蔵を破られて千両箱が二ツ消えたと奉行所に届け出たってぇ寸法でさぁ、
そうすりゃぁ2千両黙って懐に入ぇるじゃぁござんせんか」


「なんてぇ野郎でぃ」
宗平は呆れ返った表情でせんなりの九助を見た。


「でもよ どうしてそんなことをお前ぇが知っているんだい?」
その先が知りたくて舟形の宗平思わず立ち上がった。


「まぁまぁ落ち着きなよ舟形のとっつあん、ここからが面白ェところだからよ」


九助はニヤニヤ笑いながら話を続けた。


「実はねぇ三番番頭があっしの、こっち!」
と言って壺を振る真似をしてみせた。


「そのだち公の名は松助、当然本名じゃぁござんセんよ、
あんなお店は勝手に名前をつけちまうからよ、
で野郎その日はついてねぇようで、有り金すっからかんに巻き上げられちまってね、
やけ酒をおいらが振る舞ったってぇところから二幕目が開くってぇことよ、
へへへへへ」


九助は愉快そうに鼻でせせら笑いながら話を続けた。


「そいつが田嶋屋忠左衛門から言い渡されて嘘の盗賊話を奉行所に届けた
張本人何でさぁ」


まぁそん時ぁ野郎もまさかつくり話だなんて想っても見なかったそうでやんすがね、
ところがどっこい、壁に耳ありってぇ話しでさぁ、
野郎が聞いちまったってことですよ、
で主を稲荷橋たもとのお稲荷さんまで呼び出して、事の次第を聞いちまったことを
話し、ゆすりにかかったぇ訳でさぁ、それで俺に


「もうじき九助さんにもお礼が出来る儲け話が出来たって」
耳打ちしてくれたもんで・・・・・・
ところがそのすぐ後で野郎の死体が豊海橋に流れていたのを船番所の小役人が
見つけて奉行所に届け出たことから判っちまったんでさぁ」


何しろあれ以後ぷっつりと野郎のつなぎもねぇし居所も探りを入れても
みんな知らねぇ風で・・・・・
こいつは少々危なくなってきたと思いやしてね、
上方も少々おつとめが厳しくなりかけていたもんで、
一度は花のお江戸で一仕事、そのあと奥州路へ・・・・
とまぁこんな調子で


千住の宿近くに百姓屋を買い取ってしばらくはお江戸見物と洒落こんで
おりなさった八鹿の親分に・・・・・、
ところが親分はそんな汚ねぇ話がでぇ嫌ぇという性分。


判るだろうとっつあん、盗みなんざぁ盗られたほうが二~三日は気づかないくらい
綺麗につとめて、ある日気がついてびっくりってぇのが本道のおつとめさ」


「それでお前ェ達が破ったてぇわけだな」
宗平は興奮して再び立ち上がった。


「まぁまぁ落ち着きなって!
そん時お頭がついでに売掛帳をかっさらってきなすった。


こいつぁひょっとすると面白ぇ事になるぜってお頭が話してくれたんだよ、
そしたらほれ田嶋屋が夜逃げに追い込まれちまったじゃぁねぇか、なっ?」


「それで八鹿の治助お頭は今どこに居なさるんで?」


「そいつを聞いてどうなさるつもりで?舟形のとっつあん!」


「俺だって箕火のお頭の下に居た宗平だぜ、何かの時ぁお前ぇさん・・・・・・」


「判ったわかったよとっつあん、今お頭は奥州への旅支度だと想うぜ、
この数日の間にゃぁお出かけなさると読んだがねぇ」


「で? お前ぇさんは一緒に行かねぇのかい九助どん?」


「おいらかい 俺ぁこのお江戸でお頭のお帰りを待つ役目さ、
なぁに二~三年もすりゃぁ奥州から引き上げ来きなさるだろうからよ、
そん時まで盗人宿をあずかっておくってえ役目よ。


まぁそれまでの食い扶持はしっかりお頭から頂いているからなぁへへへへへへ」
と笑った。


まぁこれが舟形の宗平から平蔵が聞いた一部始終である。


「急ぎ手空きの者を集め千住まで出張る用意をしろ!
忠吾そちは南町奉行所に急ぎ走りこのことを告げて我らに助成する様に申し伝えよ、
急げ!」


明け方早く九助の言葉を頼りに千住旅籠の一角にある百姓屋の前に
火付盗賊改方および捕り方なぞ総勢30名が取り囲んだ。


おっとり刀で南町奉行所の同心や捕り方が応援に駆けつけ、
廻りはもう蟻の這い出る隙間もないほどに固められた。


ゆっくりと陽がさしかかって来、風もなく穏やかな1日が始まろうとしていた。


「はじかみの治助!出ませい!火付盗賊改方長谷川平蔵である!」
と呼ばわった。


ガタガタと激しい音とともにバラバラと旅支度途中の男どもが転がるように
出てきた。


その一軍のなかから
「火付盗賊改方だと!」
そう言って、ずいと前に出てきた少し白髪交じりではあるが精悍な顔つきの男が
「お前さんかいお江戸の鬼と呼ばれるお方は・・・・」
と平蔵の足先から頭の天辺まで舐めるように見あげて


「さすが鬼と呼ばれるだけの事はある、恐れいりやした、
皆!おとなしくお縄を頂戴しろ」
と控える子分どもに言い聞かせた。


「うむ 聞きしに勝る面構えに、又子分どももよく従い闇将軍と呼ばれるだけの
ことはある」


平蔵はこの八鹿の治助の肝の座った態度が大いに気に入った。


翌日の取り調べにも包み隠さず語り、
「最後に一つだけお願いがございやす」
と両手をついて頭を下げた。


「なんだ  申してみよ!」


「あっしはいかようになろうとも悔いはございやせん、
しかしせめてこいつらの方はなんとか獄門だけは逃れさせてやりてぇので
ございやす」
と平蔵の眼をじっと見据えて嘆願した。


平蔵は、はじかの治助が白状したこれまでの行状したためを眺めながら、


「なぁ治助、確かにお前ぇ達ぁ人に手をかけてもおらぬようだし、
盗人の3箇条かえ?そいつをきっちり守っていたと思える、
だがなぁ盗っ人は大きかろうが小さかろうが関係はねぇ!
それが罪ってぇ重さなんだよ、死ぬも地獄生きるはなお地獄、
まさにこの世は生き地獄、
そいつを今からじっくりとそれぞれの身体で味わいながら生きてゆく亊になろうよ、
だがな生きてりゃぁいつかは極楽が見えてくると俺は思いてぇ、
なぁに2~3年もすりゃぁ又江戸の土を踏めるだろうぜ」


「長谷川様 ありがとうございます、ありがとうございますこいつらにも
待っている者もおりますれば、この後命がけでこれまでの罪の償いを済ませ
帰ぇしてやりてぇのでございます、ありがとうございます」



「ところで治助!どうやって金蔵から金を運びだしたんだえ?」


「そいつでございますよ長谷川様、最初のやつは田嶋屋の嘘から出たもんで
ございますがね、次のやつは確かにあっし共が手を下しやした。


店の見取り図は九助が番頭をたらしこみやして凡そ判っておりやした、
そこで船宿が閉まるのを見越して3組に分かれ、それぞれが小舟を盗んで川を下り、
霊岸橋のちょいと先に隠し、そこから陸に上がってすぐに田嶋屋の蔵が
3ツ並んでいる最初のやつ、こいつが本命でございましてね、
店に近ぇ方から常に出し入れする商品を置くと考えやした。


だとすればお宝は最後のところということになりやしょうか、
その辺りも番頭の口からそれとなく探っておきやしたものでございますからね。


船ハシゴを塀にかけて20人ほど乗り込みやした。


何しろ頑丈な錠前が掛けてあるんで安心していたのでございましょう、
誰一人見張るものもなく、この錠前外しの十助が上方でもならした腕前でさぁ、
あっという間にご開帳と・・・・


でね、どうしてもあくどいやり口が気に食わなっかったものですからそのぉ
ちょいと売掛帳を失敬したのでございますよ」


「おうおう そいつのことだ、そいつは今どこにあるんだえ?」


「はははははっ 
今頃は大川の鯉の腹ん中にでも入ぇっちまってますかねぇ長谷川様、はははははっ」


「な~るほどなぁ いやぁ聞きしに勝る盗っ人だのうお前ぇは」
平蔵は呆れてものも言えない風である。


「ところでなぁ治助、お前ぇ俺をすけてはくれぬか?」


「あっしにお上の狗(いぬ)になれと・・・・・・」


「ああそうだ、殺すにゃぁおしい、お前ぇの知恵がほしい、それにな、
お前ぇたぁ旧知の仲であろう舟形の宗平や五郎蔵がお前ぇの命乞いを願い出てなぁ」


「ご冗談を!」


「いや冗談ではない、宗平も五郎蔵も今や俺の仕事をすけてくれておる、
俺にゃぁなくてはならねぇ眼や鼻よ」


げぇっ!治助はまさか舟形の宗平や五郎蔵がお上の狗担っているとは、
この話はにわかには信じられない様子であったが、


「舟形のおやじさんや五郎蔵さんにはそれなりのわけもあったのでございましょう、
ですがあっしがお上の狗に?そいつばかりは御免を被らさせていただきやす、
喩え外道であれ、盗っ人には盗っ人の・・・・・」


「義理があると申すのだな」


「その通りでさぁ、あっしも八鹿の治助と仲間内では呼ばれる二つ名の盗っ人、
その義理を裏切る事ぁ出来やせん、思い切り良くこの素っ首すっぱりと
落としていただきとうございやす」


「成る程肝も据わっておる、いや実に惜しい、しばらく牢内にてあたまをひやせ!」


こうして八鹿の治助は半月を火付盗賊改方の牢内で取り調べのために勾留された。


その間何度も牢内を見舞い、気心もしれてきたが、こと密偵の話になると
「あっしにはこの世に何も未練なんぞはございやせん、どうぞすっぱり洗い流して
あの世にまいらせておくんなさい」
と、どうしても落ちない。


そこで平蔵はやむをえないと、八鹿の治助を解き放つ作戦に出た。


お取り調べの最中
「おい治助、お前を放免致す、好きなところへ行くが良い、いかような生き方も
出来よう、ただひとつ二度と再び俺の手に落ちるなよ、
その時はその素っ首その場でなきものと想え、
貴様の身は牢内にてご獄死と奉行所に届けておいた、酒井!其奴を解き放て」


あまりの急な展開に目のくらむ思いで治助は聞いていた。


「真っ事あっしはお解き放ちに・・・・・」


「その通り お解き放ちだ、さっさと出てゆけ」
と酒井祐助に裏の枝折り戸まで連れてゆかれ放免された。


治助はしばらくその戸口に佇んでいたが、戸は閉じられたまま何の変化もない。


何度も何度も後を振り向きながら治助は朝靄煙る大川の方へ走り去った。


「おかしら、あれでよろしいので?」
筆頭与力の佐嶋忠介が、いぶっかて平蔵の顔を見た。


「うむ まぁ見てろ、俺とあいつの我慢比べだ、どっちが先にケツを割るか、
あはははははは」


平蔵は愉快げにその先を眺めている様子であった。


「のう佐嶋、八鹿(はじかみ)とはどのようなものか存じておるか・・・・・」


「はぁ 山椒のことだとは聞いておりますが・・・・・」


「その通りよ、こいつぁ刺があって中々人も獣もよりつかねぇ、
だがな香りは優しくこころを慰めてくれる、治助はそんなところから
そう呼ばれるようになったんだろうぜ」


「はあ~ 成る程そのような魅力のあるやつでございましたなぁ」


それから何度か江戸市中で八鹿の治助の顔を見かけたという報告は平
蔵の元に寄せられていたが、平蔵の動きは全くなかった。


治助が放免されて一月が流れた・・・・・・・


「おかしら、治助が裏に参っておりますがいかが致しましょうや?」
と与力の小林金弥が取り次いできた。


「おうおう 鍋に入ぇったか!よし通せ」
平蔵は相好を崩していそいそと中庭へ出向いた。


しばらくして枝折り戸を潜って八鹿の治助がよろめくように入ってきた。


「おい治助なんてぇざまだ、えっ 干物みてぇになっちまって、
何でまだこのお江戸にいるんだえ、なんぞ未練でも出て参ったか?」
と、平蔵ヘラヘラ笑いながら治助の顔を覗き込むように眺めた。


「長谷川様あなたと言うお方はほんに恐ろしいお方でございますなぁ、
この一月、あっしぁどこにいてもどんなに潜り込んでも何処かに長谷川様の眼が
在るんじゃぁ無かろうかとそりゃぁ毎日が地獄のように恐ろしくて、
生きた心地がございやせんでした。
何度此処を離れようといたしやしたか、けどね、そのたんびに何かが背中に
へばりついたような心地で、動くこともままならねぇ、
恐ろしい恐ろしい・・・・・・
そんな毎日から、あっしはもう逃れたいのでございやす。


長谷川様というお方は、仏の裏に鬼が棲んでおられる
恐ろしいお方でございますねぇ」


こうして、八鹿の治助は平蔵の密偵に加わった。


その後平蔵の在る所この治助の姿も又影のように付き添っていた。


盗みの手口、仕掛けの工夫、盗みの狙い目など盗みに関する様々な助言が
この治助からあったことは言うまでもあるまい、
まさに闇将軍と呼ばれる八鹿の治助の面目躍如というところであった。


 



絵図つき 「時代劇を10倍楽しむ講座」  http://jidaigeki3960.sblo.jp/



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