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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

鬼平覚悟







春もようようにして、曙もゆるやかに江戸の町を包む弥生の頃となった。
本所深川から永代橋を渡り南町奉行所へと歩を進める平蔵の後ろを
つかず離れず微行する気配を感ずるものの、
その気迫の薄さが平蔵には気になっていた。

稲荷橋から中の橋を通り八丁堀をまっすぐ西に向かい真福寺橋を
渡ったところの稲荷社にさしかかった所で、いきなりその気配が後ろから
追いかけるように平蔵に飛びかかってきた。

「鬼平覚悟!」

「なに!」
少々のことでは驚くこともない平蔵だったが、この度だけは一瞬戸惑った。

腰を捻り一の太刀をかわして愛刀粟田口国綱の柄に手をかけて驚いた。
(何と子供ではないか!)
あまり突然の展開に平蔵は面食らった様子が見て取れる。

二の太刀がまっすぐ平蔵の胸を目指して突き進んでくるのを
慌てて鍔口でかわしながら
「待て待て!確かにわしは長谷川平蔵だが、子供に命を狙われる筋合いは持たぬ、
何か間違ぅてはおらぬか?」
穏やかな言葉で相対に話しかけた。

「間違うはずもない、先に小塚原でさらし首にかかった元会津松平家藩士
崎森勇四郎が嫡男崎森小四郎、父の仇、長谷川平蔵覚悟!」
これにはさすがの平蔵もたじたじとなった。

「まままっ 待て待て!」
鍔先で押し戻しながら平蔵、相手の柄中を掴んだ
「問答無用!」
と再び激しい気迫が平蔵を押し返そうと迫った。

「やむを得ん」
平蔵はその手をひねり倒して刀を取り上げた。
見ればまだ10を出たばかりのような幼い顔である。

「離せ!離せ!さもなくばこの場にて殺せ!」
と喚くばかりのこの身柄を、さていかにしようと平蔵思案顔である。

騒ぎを聞きつけて野次馬が集まってきた、何しろ稲荷社と言う場所からも
人が集まりやすい所、まずい所で又このような・・・・・・・
平蔵はひとまずこの子供の帯を掴んで稲荷社の後ろに連れて行った。

「まず訳を話せ、わけもなく仇呼ばわりされるのはちと合点がゆかぬ故な」
すでに覚悟をしたのか、その小さな刺客が少しおとなしくなった所で
平蔵は言葉を引き出そうと石垣に腰を据えた。

「お前もそこに掛けたらどうだ?」
押し黙ったまま立ちすくんでいる幼子に声をかけた。
やがて少年は黙ったまま石垣にもたれるようにしながら平蔵を睨み据えた。

「のう わしはいかなるわけがあってそなたの仇となるのか聞かせてはくれぬか?」
穏やかに話しかける平蔵に、危険を感じないと判断したのか
口ごもりながらぽつぽつと口を開いた。

話を聴き終わった平蔵は、予想だにしなかった展開に深い戸惑いを見せた。
「のう小四郎とか申したな、お前は父御の仕事を存じて居ったのか?
どうして小塚原の獄門にかかったかその訳を存じておるのか?」
と言葉を選びながら気分の高揚が収まるのを待つように話しかけた。

「私は何も存じません、ただ父上をさらし首にした相手が鬼平と呼ばれる侍だと
聞かされたまでのこと」

「で 母御はいかが致しておる」

「母は三年前に病に倒れそのまま亡くなりました」

「そうか・・・・・・それは又大変であったろうな」
平蔵はこの幼子の置かれた立場や境涯を追うような目つきで眺めている。

「父上は何故獄門台に上がらねばならなかったのでございます、
何故殺されねばならなかったのでございます?」

「そうか、何も聞かされてはおらなんだか、いや そうであろう、
言えるはずもなくつらかったであろうな、
だがな小四郎、お前の父上は盗賊の仲間であったのよ」

「嘘だ!あの優しい父上が盗賊などあろうはずもございません、
騒ぎに巻き込まれたか何かで、きっと間違いに相違ないのです」

「うむ 俺とてそう思いたい、だがのう、あの日は長きに渡った探索の末
掴んだ押し込みの現場であった。
そこに居合わせた者達にどのようないわくがあったにせよ、
わずかに残された者の自白にて、これまでに押し込んだ商家の者は
常に皆殺しとなり、凄惨をきわめたそうな。

こやつ以外に捕縛された者は殆ど無く、刃を向けて歯向かいおる者共は
皆切り伏せられ打ち倒された。
おそらくその中にそなたの父御もおったのであろう」

「嘘だ!そんな話は嘘だ!うそだぁ・・・・・・・」

泣き崩れてゆく小さな身体が震えているのを平蔵は抱きかかえながら
かける言葉がないことをどれほど無念に想ったか知れない。

会津松平といえば明和4年(1767年)財政再建を担っていた藩主
井深主水が俸禄や借財問題から藩放棄事件を起こしたことで知られていた。
この時俸禄を離された浪人の中にこの小四郎の父も含まれていたのあろう。

禄を離れた武士が生きてゆくにはこの時代あまりに平穏すぎる。

剣術で食べて行ける時代はもう終わり、才覚一つを元手にのし上がってくる時代である。
江戸に流れ着いた食い詰め浪人のたどる道はさほど多くはない、
女と違って身体を張ることも出来ず、さりとて力仕事や町方に混じっての
下働きなど武士のこけんに関わるから、余程のものでない限りは無理な時代である。

多くの者が商家の用心棒や博打場の用心棒と殺伐とした時代を背景とした
生業が生まれたのも否めまい。
小四郎の父親が悪の道に手を染めてしまったのも、
家族を養わねばならない男の意地であったのかもしれない。

今の世の中、侍らしく生きるとは何と虚しい生き方なのか・・・・・・・
平蔵の脳裏にこの時の記憶が薄らぐことはなかった。

平蔵は思案の末嫡男辰蔵のいる目白台に預けることとした。
これには二つのねらいがあった。

一つ目は辰蔵に責任を持たす役目、もうひとつは言わずと知れた
この小四郎の行く末である。
目白台には若党の井上武助、用人松浦与助、下女のおさわなどがおり、
おおらかに育つ環境があると見たのであろう。
だが、この目論見は見事に外れるのである。

平蔵と違って剣の腕よりも色道にはその能力を発揮する辰蔵、
いつのまにやら良き仲間に小四郎も染まってゆくのであるが、これは又後々の話。

ひとまずこの事件は目白台で事は収まったかに見えた。

だが、平蔵の心中は波立ったまま静まることがなかった。
(おれはこれまで幾人、人を切り倒したであろうか?外道極悪と呼ばれるも、
相手は人の子・・・・・鬼でも畜生でもない)。
それを想った事は一度たりとも考えたことはなかったからである。

この崎森小四郎の出現はこの後の平蔵の行動によって形となってゆく。
寛政元年(1789年)時の老中松平定信に建言して、
加役方人足寄場が誕生するのである。

別名石川島人足寄場の名で知られている、軽犯罪者や浪人などの
自立支援厚生を目的とした画期的な施設である。

平蔵はこの加役方人足寄場をも拝命、寄場お役を御免になるまでの
2年間を盗賊改めとの2足のわらじで務めた。

長谷川平蔵44歳のことである。

悪を犯さねば生きてゆけない事実と一旦人の道からはみ出した者が
正業に戻る難しさを平蔵は身を引き裂かれるほど痛く感じていた。

「人の中には鬼が巣食うておるもの、その鬼を退治するのも
これ又鬼でなければあい務まらぬ、内なる鬼を呼び覚まし、
我も又鬼となろう」
これが長谷川平蔵の死ぬまで変わらない覚悟であった。

この事件以後、平蔵は更に読書に熱が入るようになった。
その分「忠吾ついてまいれ」
という場面が大幅になくなったことは木村忠吾の寂しいところではあった。

だがこの木村忠吾ただの飾り猫では収まらない。
目白台の若様長谷川辰蔵の師匠ぶりを発揮・・・・・・
辰蔵からは「私の良き理解者」と言われる・・・・・・・

左様色道にかけての話しであることはいうまでもあるまい、
その横にいつのまにやら崎森小四郎が控えて来るのはもはや時間の問題であった。

市中見廻りの途中を「木村さん!」と声が聞こえてきた。

振り返る木村忠吾の顔はすでに目尻が下がり始めている。
言わずと知れた長谷川平蔵の嫡男目白台の辰蔵のいつも変わらぬ声であったからだ。

「これは若様!」

「嫌だなぁその若様はやめてくださいよ、辰蔵、辰蔵殿で結構ですよ。」

「左様でございますか、では早速辰蔵殿拙者に何か御用でも」

「いいなぁいいなぁその響きが何とも、こう私も木村さんと同等の
大人に扱われたようで、いやぁいいなぁ」
単純に辰蔵は忠吾の言葉の響きに喜んでいる。

「辰蔵殿、ところで拙者に何か?」

「あっそうだ、木村氏 チトお願いごとがござるのですが・・・・・」

「はぁ何でございましょうや?」

仲間内や平蔵からも、うさ忠うさ忠と呼ばれ慣れている忠吾だけに、
木村氏と呼ばれて忠吾も少し舞い上がったようであった。

「実はそのぉ、この近くで安く遊べるところはないものかと
こいつと話していた所で・・・・」
と振り返るその先には安倍、市川の悪友が揃って控えていた。

「アッ!これはまたまた皆様おそろいにて、
うふふふふ これから出陣という訳でござりますな」

「そそそっ そのようなところでございますよ、
所で木村氏、先ほどの話でござりますが・・・・」

「はいはい!しかと承っておりまする・・・・・が・・・・・」

「が?」

「左様! 軍資金はお持ちで?」

「無論のことでござります、巣鴨の叔父上からしっかりと
(遊びも修行の内じゃぁ)と・・・・・」

「それならばご心配ご無用、むふふふふ。
この木村忠吾メにおまかせあれ!」
と太鼓判を押すのだから平蔵の心配もうなずける。

「この近くにある(やぶさめ)はチト面白うございますよ」

「やぶさめ?あのご神事の・・・・・・」

「左様 あれはいかなるいでたちでおりまするか?」

「うーん 馬にまたがり矢をいかける騎射・・・・・・
アッそうかぁ さすが盗賊改方の中でも、この道は他に出るものなしと
聞こえた木村氏、いやぁなかなかでござるなぁあははははは」

ここまでくればもう手の施しようもない。

「ささっ 善は急げともうしまするによって・・・・・
ああ そこのお二方もどうぞどうぞ、むふふふふふっ」
木村忠吾すでに鼻の下は錠前も掛けられぬほど伸びきっている。

親の心子知らずとはよく言うが、お頭の心も知らぬ者もいたのである。



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