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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

6月第2号 周防の風 ゆうれい寿司






この日も平蔵は単衣の擦り切れた長着の上に
洗いざらしの馬上袴を着けて市中見廻りの用意を始めた。

内儀の久栄は、この所平蔵がいそいそとこの支度を好むので、
どこか腑に落ちない風で「本日も目白でございますか?」
と問いただす。

「うむ ちと諸用があってな・・・・・」

平蔵はと見るとどこかウキウキとした紅潮が感じられる。

このような平蔵の態度は、平蔵が姑の長谷川宣雄に付いて
京へ上った時によく似ている。

「銕さま、都は江戸とちごうて華やぎの多いところゆえ・・・・・」
と、あちらの方を心配するのを

「拙の事は案ずるな」
と意気揚々と出かけ、浮き名を流したことも判っている。

袖に包んで、愛刀粟田口国綱ではなく、
鞘も剥げかけた赤鰯を差し出せば
「行ってまいる」
とそそくさと裏木戸を抜け出す。

実はこのところ面白い店を見つけたのだ、
名は(茶巾)ただそれだけのものだが、此処の茶がまたうまい。

「何ともこの味わいが旨い」
平蔵は久方ぶりの旨い茶に出会った。

「おやじ この茶は何処のものだえ?」
好奇心旺盛の平蔵納得がいかぬ様子である。

「へぇ、釜炒り茶と言いやして、茶は裏の畑で作っておりやす、
カカアが若くて柔らかい茶葉を摘み取りやす、
こいつは一芯二葉と言いやして、一本の芯に葉が二枚のものを
すぐに熱くさせた鉄鍋に入れてよく混ぜながら、
しんなりするまでかき混ぜやす。

しばらくすると青臭さが消えて良い香りに変わりやす。
そこで茶葉を出して風を入れながら冷ましやす。

そのあと葉を茣蓙(ござ)に振り拡げて水気を飛ばし、
茶葉を転がすようにしっかりともみますと水気が更に飛びます。

水気がなくなるまでこれを繰り返して、その後茶葉を揉みながら形をつけ、
摺り合わせて細く針のように仕上げ、光るようになるまでくりかえしやす。

「なるほどなぁ それでこの香りがまた格別なのじゃな?」

「へぇ鉄釜で煎られた茶葉は特に薫りがよろしゅうございやす、
それに又色目が綺麗で黄金色に輝くのが上質と・・・・・」

「う~む まさにその通りよ、この色といい香りと言い中々に至福の時じゃ」

「ありがとうございやす」

「ウムそれにな、この菓子、こいつが又旨い」

「ははぁ お気に召しましたでございやすか」

「うむ こいつは一体ぇ元は何だえ?
口当たりからは芋のようであるが・・・・・」

「あははは お武家様 よくお判りで、
そいつは芋を薄切りにしてカラカラに乾かし、
それを蒸かしてお天道さまに乾かしていただくんで」

「やはり芋であったか、それにしてもこの甘さは又・・・・・」

「幾日もお天道様に乾かしていただきやすと、
飴のような甘みが出てまいりやすこれをすりつぶして茶巾で包み、
形を整えやす」

「ふ~む それで絞った形が残るというわけだな、
それで茶巾か、わははははいや恐れいった、
それにしても茶と言い茶巾包と言い、中々に手間ひまかけた物よのう」

「お武家様 なんであれ、手間暇惜しめばろくなものにはなりませんや。
手間がかかる・・・・・・こいつぁいけません、
ですがね、手間ひまかける・・・こいつぁ先が楽しみで
それだけの値打ちが出ようってもんでございやすよ、

あっしはその手間ひまかけた末のものをお客様が楽しみ、喜んで下さる、
それを頂くのが一番の贅沢かと・・・・・・」

「おお こいつは良いことを聞いた、なるほどなるほど まさにその通りじゃ」

平蔵はこのどこにでもいるおやじの言葉が大いに気に入った様子であった。
こうして平蔵がこの茶店に寄るようになったのが今の経緯である。

「気をつけろい!」

罵声に振り返った平蔵の目の前を初老の男がよけながらべたりと
地べたに倒れこんできた。

「おい 大丈夫かえ」
平蔵はその男をかかえるように抱き起こした。

「これはどうも とんでもないところをありがとうございました」

「近頃の駕籠かき共はまるで神風みてぇで危なくてしょうがねぇな」

「全くでございますよ」
これがふたりの出会いの始まりであった。

見れば右の肩口が裂け、肌着が朱に染まってきた。

「おうこれはいかん 肩を怪我なさっておる、
これ亭主!水と、それから焼酎があればそれを、無くば酒だ!」

平蔵は亭主の持ってきた酒を、懐から手拭いを出し二つに裂き、
それに酒を振りかけ軽く絞って
「ちとしみるが我慢いたせよ」
男の襟元を押し開き傷口に押し当てた。

「おおっ」
思わず平蔵が驚きの声を小さく発した。

ううっっと声を殺し、歯を食いしばった後、ほっと息を抜いて
「お見苦しい物をお見せいたしてしまったようで」
男は苦笑いをしながら襟元を正した。

「いや 見事な物でわしも目の保養をさせてもろうた」

「お恥ずかしい、若い時分に粋がって彫ったもので、
いまじゃぁしわがれた姿に成り果てました、
この私のように・・・・・ははははは」
男は茶をすすりながら街をゆく人々の動きに目をやる。

「のう ご老人、わしはこの茶と茶巾が気に入って、
時折寄るのだが、いかがであろう?」
平蔵の問に
「ああ左様で御座いますな、私もこの茶が好きでこうして
時折出かけてまいります」

「いやぁ そうであったか、うむ 誠にこの茶は旨い」
平蔵も目を細めて茶を口にすすり入れる。

それから数日後、再びこの老人と出くわす。

「おおご老人 その後怪我の具合はいかがかな?」
軽く会釈する老人を見ながら平蔵が店に入っていった。

「お武家様その節は大変お世話になりまして、
おかげさまで傷もすっかり元通り、
ちと梵天様のシワが増えたようにございますが」

「わははははは さようか、梵天様とはいやなかなか」

「しかしなぁ 何で又梵天様なんぞを・・・・・」

老人は恥ずかしげに笑いながら
「私は周防長門の国厚狭郡中村の在でございます。
子供の頃から遊び下手で、ほとんど毎日近所の浄圓寺の境内で一人遊び、
そこには大きな公孫樹の木がございまして、秋ともなると葉が色ずき、
毎日ハラハラと舞い散ります。

公孫樹には男樹と女樹がございまして、
男樹は葉が真ん中から分かれておりますが、
女樹はこれが裂けておりません。

秋になるとたくさんの実が落ちこぼれてまいります。
落ち葉に折り重なったまましばらく致しますと異臭がいたしますので、
たいていは毎日清掃とともに取り入れます。

竹籠に入れてしばらく放置いたしますといやはやこれだけは言いようのない
異臭が漂うようになりますが、これを近所の小川の棒杭に引っ掛けておきますと、
水の力で綺麗に取れます。

それをお寺の境内に持ち寄って掃き清めた落ち葉に火を着けて
焚き火を致すのがほとんど毎日の事、そ
の焚き火にこの銀杏を放り込みますと、
しばらくしてパチンと実がはじけて淡い翠色の実が赤い衣を脱ぎかけて
飛び出してまいります、
これを拾ってふうふう言いながら食べるのが私ら子供の遊びでございました。

何しろ貧しい土地柄でございましたから、
稲刈りなどもハゼ掛けした後残された落ち穂を拾うて集めるのも
私らの仕事、一日掛けて拾えば結構な量になります、
それは皆で食べる芋粥の種になるのでございますよ」

「ほうほう!!」
平蔵は自分の幼少時代の遊びとはかけ離れたこの老人の子どもの遊びや
暮らし方にひどく興味をそそられたようであった。

「だがご老人 稲穂を拾うのは罪ではないのかえ?」
ついつい日頃のお努めが顔をのぞかせる。

「はい それは皆様お天道さまの取り分と申しまして、
貧しい者たちへの恵美(めぐみ)と思うておりましたようで」

「恵美とはまた美しい響きであるなぁ」この言葉に平蔵感無量の面持ちであった。

「そいつをどうやって遊びにしたんだえ?」
もう平蔵もその時のその場所のガキ大将になった気分の様に興奮して
膝を乗り出して老人の話を催促する。

「はい ひと掴みの稲穂を焚き火の上にかざして動かしますと、
パチパチと稲穂がはじけて、中から真っ白な実が覗きます、
これを手でしごいて集め、口に頬張るのでございますよ」

まだ青臭い米の薫りが何とも・・・・・・懐かしい思い出でございますよ、
はははははは」

「何と羨ましい話だのう、でその背中の梵天様はどうして
背負うようになったんだえ?

こいつは伺ぅてはまずいかのう、いやどうもこう好奇心が先走ってしもうて
相済まぬ」
と頭を掻き掻き笑いかける。

「いやいやそのようなことではございませんが、
その頃よく遊びに参っておりましたのが沖仲仕の親分の所でございました。
ある暑い日に
「坊!水浴びせんか」
と木陰にたらいを置いて子分衆に水を運ばせ、
たらいの中に私を入れて遊んでくれました、
その時に片肌脱いだ背中から胸にかけて梵天様が彫ってあったのでございますよ。

それを見た私に
「坊 大きゅうなってもこんな彫り物するんじゃ無いぞ、
おやごさんがかなしむでなぁ」
って言われましたがね。

周防長門の国は先が瀬戸内で魚介類はそれはもう手ですくうほどの
場所でございましたが、その親分さんにはお子がなく、
私が遊びに行くととても喜んで、私はその親分さんの膝の上が
親の膝のようなものでございますよ。

その御方は中国を股にかけた勢力をお持ちのお方でしたので、
そこいらの親分衆がよく集まっておりました。

そんな中で育ちましたので、いつのまにやら私も渡世の世界へ
足を踏み入れてしまい、まぁよろず揉め事承りみたいな事を
始めたのでございます」。

「てぇと何かい取り立てとか・・・」

「あっ いえ そのようなものではなく、貸し倒れとかその後のことを
うまくまとめる仕事でございますよ。
何しろたいていはそんなところには土地の親分衆がからんでおります。

そこでまとめ屋が必要になるのでございます。
双方をうまくまとめる仕事、これは親分衆には出来ません、
かと言って上辺だけで片付くほど甘いものでもございません。

そんな時子供自分から慣れ親しんでいた親分衆の出入りが
役に立ったのでございますよ」

「なるほど、子供の自分から顔が知られていれば、
いずれも仲間内みたいなものだわなぁ、
さすれば話もまとまりやすい・・・・・・
うん確かに確かに」平蔵納得の様子に

「まぁ私もお上のご法度以外は何でもやって来ました、
すれすれの世界で世渡りしてきたのでございますから、
その頃勢いに乗ってやっちまったのが背中のモンモンで、あははははは」

「それが又何故このお江戸に来ることになったんだえ?」

「あはははは まるでお取り調べのようでございますねぇお武家様」
男は笑って愉快そうに腹を揺する。

「いやいやとんでも無い、だがしかし、ご老人の話はいや中々に楽しい、
こう胸がざわめくほどでござるよ」
平蔵は老人の指摘が当たっていただけに慌てて話を反らせた。

「真締川の付け替え工事の利権に絡んで親分が闇討ちにあいまして、
まぁ親分の仇はどうにか討ち果たしましたが、
とうとう戒めを犯しての凶状持ち・・・・・・
で誰も知らないお江戸でこうひっそりと・・・・・・ははははは」
さみしげに男は笑った。

それから半年が瞬く間に過ぎた。

二人にとっては相変わらずこの茶店は憩いの場となっていた。

「一つ我が家においで願えませんかな、ここほどの旨い茶は出ぬとは
存じますが一つ碁のお相手でも一手ご指南頂ければありがたいことで」

「さようか、それも又目先が変わればなんとやらと申しますな」
平蔵乗ってきた。

「おさよ 今帰ったよ」
老人は声をかけて戸口を開けた。

「お帰りなさいませ」
中から華やいだ声が飛び出してきた。
まだ二十歳を回ったばかりと見える若女であった。

「おう これは!」
驚く平蔵に

「私もこの年で、身体も思うに任せません、
それで身の回りを世話してくれるおなごを雇ったというわけでございますよ。

近所では色好みのご隠居で通っておりますがな、
このおさよには好いた男が居りますのじゃ、のうおさよ!」

「あれ そんなぁ・・・・・」

おさよと呼ばれた小女ははにかみながら平蔵に座布団を薦めた。

「今日は何を作っておくれだい?」

「はい先日ご隠居様がお話しされていましたゆうれい寿司を作ってみようと」

「おうおう それは懐かしい、ありがたいねぇ」

「ゆうれい寿司?それは又奇っ怪な名前で何と申すか」
平蔵の好奇心もすでに上り詰めた面持ちである。

「はい 古くは酢飯に冬は柚子の絞り汁、夏場は青柚子の
絞り汁を入れただけの酢飯、これに仙崎あたりから運ばれてまいります
塩さばや干物、しおくじらなどを酢じめにして乗せたり致すようになりました。

今日はどのような物が出来ますやら、ははははあ 
楽しみでございますなぁお武家様」

ゆうれい寿司の出来るまで碁を打ちながら茶をすすり、
静かな時間がゆるやかに流れていった。

「おまちどうさまでした」
そう言って膳が運ばれてきた。

「ほう これは又何とも・・・・・」
四角に切り分けられた表はただの白酢飯に平蔵は
少しばかり意表を突かれた面持ちではあった。

「春ならばこの表に青柳の葉を二枚ならべて・・・・・・」

「わはははは 幽霊も出そうな・・・・成る程こいつは愉快でござる」

「はい この酢飯は白魚のエソをすり身にしまして、酒、醤油、
塩を合わせたすし酢にこのすり身を加え出来上がりで、
中に入れますゴボウや人参、油揚げに戻した山菜を混ぜて砂糖や、醤油、
酒、味醂で煮付けます。

昆布で炊きあげた白飯に先ほどのエソのすり身を混ぜ込んで酢飯を造ります。

この酢飯を三ッ割に取り分けて二ツにかやくを混ぜ込み、
下に芭蕉の葉や,葉蘭を敷いて、その上にこの酢飯を敷き詰め、
錦糸卵やおぼろを敷いて、その上に白酢飯を敷き、又詰めながら繰り返し、
数段重ねた上に白酢飯を重ねて、表に芭蕉葉や葉蘭を敷き詰めて蓋をし、
重石をかけて木枠を外し、目付板を置いてそれに合わせて包丁を入れます」。

「何と手のかかる仕事よのう」
平蔵はこの素朴な物にそこまで手を掛ける料理へのこだわりを感心していた。

「先の茶巾のご亭主がよく申しております、良いものは手間暇掛けねば造れないと」

「おうおう わしもそれをあの亭主からご教示頂いたぜははははは」

「さようで・・・・・まぁ早速お口汚しに」
と箸を取り上げた。

「うむ では馳走に相成るか!」
平蔵も箸を取り上げ口に運んだ。

「うむ この薫りは青柚子だのう、それにこの酢飯の具合がいや 
これはこれはまろやかで口の中で拡がる心地の良いこと、
これは一朝一夕で出来るものではござるまいわはははは」

平蔵ほとほと感服の体である。



帰り際老人が「こいつぁお口汚しのついでにお手間じゃぁござんしょうが
奥方様へのおみやげと洒落こんで・・・・」





「ほぉそいつぁまた・・・・」





「なぁに、ただの醤油でございますが、周防柳井津の甘露醤油でございますよ、
こいつぁ刺し身がよう合います」





そう言って持たされたのがさしみ醤油であった。





それから数日、又もや妻女久栄の白眼を横目に平蔵赤鰯をたばさんで出かけた。
すでに袷を着る頃となっていた。

「何!あのご老人が見えぬと?」

「へぇ この所一度もお目にかかっておりやせん」
おやじの返事に平蔵胸騒ぎを覚えた。

くだんの家に出かけてみると、すでに空き家の貸札がゆらゆらと
無表情に揺れていた。

近くのものに尋ねると、二日程前に押しこみがあってその老人が殺害された
という話しであった。

「で 若いおなごが居ったはずだが・・・・・・」

「へぇ それが不思議なことにその翌朝からぷっつり姿が見えねぇんで」

「くそ!!! やられた!」
平蔵は僅かではあったが腑に落ちない事があった。
それはゆうれい寿司を作った時の手際の良さであった。

「あれほど手際よく聞いただけで出来るものではない、
おそらくは昔作った覚えがあったからであろうよ・・・・・
のう佐嶋!そうは想わぬか?

俺はあの隠居が親爺と慕ぅておった沖仲仕の親分の仇を討ったと言っておったが、
もしかしたらそのやられた相手の遺恨返しであったのかも知れねぇなぁ・・・・」

お互い名を告げることもなくあえて名を知ることもないまま
心の隙間に流れた秋の風をいつまでも平蔵は忘れることはない。

平蔵には唯一の隠れ家であったあの茶巾をその後再び訪れることはなかった。

柳の裸枝がゆらりとひとつ揺れた。
「秋の風は心寂しいものだのぉ・・・・・・・」



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