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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

鬼平犯科帳外伝 2月第3号 富山のべっ甲


うさ忠 こと木村忠吾

芝・神明の菓子舗〔まつむら〕で売り出している
〔うさぎ饅頭(まんじゅう)〕そっくりだというのである。
芝明神前の名物うさぎ饅頭に顔つきだけでなく、
甘みもほどほど、塩味もほどほど。

いくつ食べても腹にたまらず、何よりも一個一文は安い、
毒にも薬にもならん娑婆塞げ(しゃばふさげ=生きていても
何の役にも 立たず,ただ場所をふさいでいるにすぎないこと。
また,そのような人、ごく つぶし)ということだ。
と酒井に言われ、同輩たちに(うさちゅう・うさちゅう)と言われている。

ここは清水御門外の火付盗賊改方長谷川平蔵の役宅

夏場の暑気を少しでも和らげようと妻女久栄が同心部屋の軒に下げた
釣り忍が翠の葉を精一杯伸ばし、時折の風にゆらゆらと揺れ、
風鈴の音が軽やかに流れている。

そこには珍しく非番をこの同心部屋で潰している木村忠吾がいた。

庭から流れ込む微風は涼しいと言うには程遠く、
バタバタと扇を揺らしながら忠吾は暇にあかして鼻毛を抜いている。

「ねぇ村松様 このように暑い日はお役宅のほうが涼しいかと
思い役宅に参りましたが、何処も同じ あ~ぁ 暑うござりますなぁ、
私は汗かきゆえ その こう 股ぐらも汗をかきましてたまりませぬ
」と前をはだけた股ぐらに風をバタバタ送りながら憮然としている。

「忠吾 その暑いさなかを、わしはこうして皆のためにゆうげの支度をと
朝からかまどの番をしながら立ち働いておる、文句を言うではない。

おかしらはこの暑いさなかにも市中見廻りにお出かけなさっておられる、
それに引き換えお前はどうじゃ!役宅でただゴロゴロ寝転がって
グタグタ文句を言うておるだけではないか」

「お言葉がですが村松様、本日はこの木村忠吾非番にていかように
過ごそうとも勝手気ままでございます」と少々村松の言葉が気に食わない様子。

「だがな 忠吾!おかしらはいつが非番じゃ?お頭が(本日は非番じゃ)と 
仰せられたことがあろうか?」

「・・・・・・・・・それは・・・・・」

「であろう、おかしらは我らには何も申されず、日々お役に励まれ
下々の者の暮らし向きにまでお心を痛めておられる、
そこでわしはせめてもの気持ちで、暑気払いにとべっ甲を作っておるのよ」

「べっ甲でござりますか!それは又いかようなるもので・・・・・」
食い物とおなごには目のない木村忠吾、聞き逃すはずもない。

「まぁこいつをちょっとつまんでみるがよい」
村松忠之進は何やら妙なものを忠吾に手渡した。

「何でござります?このわけもわからぬ物は」と言いつつ、
村松の勧めるままにひとつまみ・・・

(ぶっ!)「これは又何でござります、味も素っ気もない
ぼそぼそしただけの妙なものでございますなぁ」と、いかにも不味そうに

「忠吾 それはカンテンともうしてな、海に漂うておるテングサで
工夫したるものよ、味も素っ気もないからこそ、
こちらの想うように味付けが叶う、良いカンテンほど味も素っ気もない物よ、

そもそもカンテンは京都府伏見の旅館『美濃屋』の主・美濃太郎左衛門が、
戸外に捨て置いたトコロテンが日中は融け、夜間には凍結したる物が
日を経て乾物になっていた物を発見した。

これにてトコロテンをつくったところ、前よりも美しく
海藻臭さも無いものができた。

そこで黄檗山萬福寺を開創した隠元禅師に試食してもらったところ、
精進料理に良いと言われ、隠元は「寒空」や「冬の空」
を意味する漢語の寒天に寒晒心太(かんざらしところてん)の意味を込めて、
寒天と命名したそうな」

「はぁ~さようでございますか、なれど私は講釈よりも
出来上がったものの方に興味をそそられます」

「さもあろう お前は食い物とおなごには特に興味があるからの」

「むむむっ 村松様、まるでおかしらのようなお言葉、
それではこの木村忠吾がまるで御役目をないがしろにしているふうに
聞こえまする」

「はぁ~違うておるか?」

「そこまで言われますと少々 とは申せ、おかしらもお目こぼし
くださっておられます事ゆえ」

「そこよ お前がその辺りから盗人のねたを拾うてくることもある故、
おかしらも我らもあまり小言は申さぬであろう」

「確かに・・・・・・」

「このカンテンはな、伊豆のものが上等と言われておる。
採取したるテングサを砂浜にひろげ、ときおり淡水を注ぎて
十数日ほど干しいたさば、薄黄色のさらしテングサとなる。

貝殻、砂その他を取り除いたあとこれを水に浸し、
柔らかくしたものを水車でつき、流水にさらして塩分、色素を除く。

テングサのみではあまりに硬すぎるのと、
テングサが高価なため同じような海藻を配合するのだがな、
これが肝となる、普通には2:8とか4分6と申すそうな。

熱湯にテングサを入れ、酢酸少量を加え、2刻半煮出す。
これを濾して上澄みの1番を取り、絞り汁にこれを混ぜ
器に移して固まらせし物がトコロテンとなる。

角カンテンはこれを1寸5分の太さに切り分け、
高さ1間ほどの防風壁を設けて棚を作り、
そこへむしろを敷いて2晩かけて凍結させる。

これが一晩だと変質いたし、数日過ぎるとこれまた
腐敗いたして使い物にならぬ。

ここまで出来たものを陽に当て、氷結いたした氷を溶かし
水分を取り除き、更に数日晒して出来上がる、
誠に手間暇のかかる奴じゃ」と忠吾をちらりと見るが・・・・・・

「村松様の講釈を聞いておるだけでもうこの木村忠吾意欲を削がれます」

「お前は何をやっても続かぬからのう」

「あっ それは何かの間違いでござります、
私めはそのように申されますことにトンとおぼえがござりません」

「まぁよいよい おかしらはそれも解った上でお前を使ぅてくださるのだからな」

「さようでございますか?私はいつもおかしらが市中見廻りのおりには
(忠吾忠吾)とお引き回し下さるものですから、
お気に入られておるものと想うておりました。

先日も(忠吾ついて参れ)と仰せられて、谷中に・・・・・・うふふふふふっ」

「やれやれ お前には叶わぬ、親の心子知らずとはよくぞ申したものよ」
村松忠之進半ばあきれ返っている。

夕刻平蔵は役宅に戻ってきた。

「おかしら お疲れ様でござりました。

本日も日差しが高うございまして、さぞやお疲れの事と存じます、
そこで暑気払いにと」

「おお さすが猫どの、そこまで気を使ってくれておるか いやすまぬ」
平蔵は村松の気遣いを労いながらも
「所で猫どの その暑気払いをこう なんだ 早いとこ食いてぇものだなぁ
ええっ!本日の献立は何だえ?」

「はい トコロテンの摺り胡麻和えに、べっ甲、
食後にカンテンのわらび餅を用意いたしております」
甘いものにも目のない平蔵の痒いところに手の届く村松の気遣いを
平蔵はよく心得ている。 

「へへへぇ カンテンにトコロテンかえ、こいつぁひと風呂浴びて
さっぱりした後の1杯ぇが、又楽しみだわい、
早速ひと風呂浴びてまいろう」と、そそくさと湯殿に消えた。

しばらくして平蔵が部屋に御内儀の久栄ともどもくつろいでいるところへ、
村松忠之進、いそいそと酒肴を運ぶ。

「おお 久栄 来たぞ来たぞ、猫どのの心尽くしの暑気払いじゃ。
うむ どれどれ・・・・・・
う~ん 深水にて冷えたトコロテンにさっぱりとした酸味、
これに柚子胡椒のピリリと辛い旨味がからみ、
ごま油と摺りゴマの香りが な~るほどのう、
きゅうりの歯ざわりと程よく口の中で・・・・・う~ん さすが猫どのじゃ」

「もう一品 こちらはべっ甲と申しまして、富山の名物でございます。
寒天は四半時ほど水に浸し、卵は割りほぐしておきます。

鍋に手でちぎって硬く絞った寒天と水をいれて火にかけ、
煮溶かしましたる物に出し汁・砂糖・醤油・塩少々を加え、
火を止めてから卵を糸が引くように流し込み、
ぬらした型に流して冷やし固めまする」。

「それがこいつだな!」

平蔵はまるで子供のように頬をほころばせて次のひと椀に箸を伸ばす。

「へへへへぇ こりゃぁまた色目も良いが、味も格別  
うむうむ 久栄そなたも早ぅ食してみるが良い、
カンテンの適度な歯ざわりがこう 何と申さばよいか、
口の中でとろりと溶ける、その時の出汁のこう 何と申すか 
うむうむ 打ち水をしたる後の草木の色艶、爽やかさとでも申すかのう、
適度の硬さにしょうが汁の風味が涼しさを招いてくれる、誠に甘露じゃなぁ」

「殿様、わたくしはこちらのわらび餅が好物にて、気になりまする」
と久栄は深水で冷やされた皿に盛られたわらび餅に食指を伸ばす。

「はい 奥方様のお好みではないかと存じまして、
カンテンにて工夫いたしてみました物、お気に召さばこの村松忠之進
整えた甲斐がござります」

「ほうほう どれどれ いや うむ・・・・・
おお!この黒蜜が曲者じゃなぁ、程よくきな粉とあい混じりおうて、
葛とは又違ぅた感触が成る程成る程・・・・・・・

いやぁさすが猫どのにかかると何の変哲もないカンテンが
かように変化いたすとは、いやいや全くこの平蔵兜を脱ぐぜ。

これを至福と申すのであろうなぁ、良き部下を持ち、良き妻女殿に恵まれ、
こうして美味きものにも恵まれる、のう久栄! 
そう想わぬかえ」平蔵はしみじみと今のこのひとときが愛おしく想えてならなかった。

月は満々とみちて空を彩り、隅々まで晴れわたって碧々と清らかに拡がっていた。
(チリン)と釣忍が鳴った・・・・・・

「夜風か・・・・・・・この静けさと穏やかさがいつまでも続けばよいが」、
ポツリと平蔵は箸を置いて漏らした。
  

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