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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

鬼平犯科帳外伝 3月1号 女賊別伝




この日同心木村忠吾は市中見廻りの途中雨に降られて少々腐っていたが、
少し前を歩く女の後ろ姿に目を奪われた。

傘をさし、片方の手で裾を少しばかりからげた姿が何とも色っぽい。

スッキリと切れ上がった小股が、赤い襦袢にからみつくように踊る
(むふふふふふ・・・・こんな色っぽい後ろ姿はきっといい女に違いない)
自分勝手に妄想を重ねながら木村忠吾は女の後をつけてゆく。

(こんな時はしっぽりとさしつさされつ「忠さま おひとつ・・・」
なんて、悪くないなぁ、お前もどうだい、

あら 今度は口移しにいただこうかしら・・・・・)むふふふふふっ

ここは小石川伝通院前を背に南にまっすぐ下る安藤坂、
白壁町辺りを過ぎ、右に安藤飛騨守屋敷の高く長い塀があるあたりで
まっすぐ下りて小石川龍門寺門角を曲がれば別當龍門寺牛天神があり、
少し手前が桑名屋橋となる。

折しも梅雨の入間、偲ぶようにあじさい色の雨が降りしきっている。

雨宿りのつもりか女は角の菓子屋に入ろうとした。

忠吾は素早く女の前に回り「御役目がらちと尋ねたいことがある・・・」
と懐の十手をチラリと見せた。

無論これは忠吾のハッタリで、なんとか女を口説こうとする
思いつきにほかならなかった。

だが、事は一転 事件はここから始まったのである。

「おお怖い!」と言いつつもしなだれるように胸乳を忠吾の腕に
すり寄せ押し付けながら、上目遣いにしっとりと見上げた。

(ぶるぶるぶる・・・)忠吾の眼は下がるだけ下がり、
もはやこの女の色香に飲み込まれてしまっているようすである。

「ねぇ旦那、雨も止みそうにもござんせんし、
こんなところじゃぁなんですから、奥に入ってそれからって言うことに
なさいましよ」と流し目に店の奥を示す。

「よし、あい判った!」忠吾は女のさそいに安々と乗り、
(まずは手始めに・・・うふふふ)と気分はもうあらぬ方向へ勝手に飛ばし、
自ら進んで奥に入った。

こうなると女郎蜘蛛の糸に絡められるのは時間の問題であろう。

後ろからついてきた女が心張り棒で一撃したから堪らない、
ガツッ! 鈍い音とともに忠吾の体が前のめりに土間に倒れこんだ。

「早くこいつを穴蔵に押し込めておしまい」鋭い語気で女が奥に向かって叫ぶ。

「何んでぃこいつは」と言いながら40がらみのでっぷり太った男が
のっそりと現れ忠吾をずるずる奥に引き込んでいった。

この京菓子屋井筒屋の主は井筒屋徳右衛門と言う。

元は近江国、高宮の出身という触れ込みで15年ほど前、
(近江落雁)と名づけた京菓子を売りだした。

その主人徳右衛門が死んだのは10年ほど前だが、
60を越えた徳右衛門が死ぬ半年前に女房を迎えていて、
今もそのままこの京菓子井筒屋はその女房が引き継いでいる。

だが、店を切り盛りしているのは番頭の勝四郎、
年は40を回った頃で小太りでありながら、身のこなしは軽やかである。

「よござんすか!」とふすまの向こうから声をかけた。

「勝さんかえ、こっちにお入りなよ」と女はキセルを煙草盆に預けながら
声をかけた。

お頭!先ほどの奴郎は一体ぇ何でござんす」と奥の土間を指さした。

「あたしにも合点がいかないんだけどね、伝通院を出た頃から
ずっと後をつけてきて、いきなり十手をちらつかせて
「お役目柄ちと尋ねたいことがある」と言われて、
まさかとは思うけど身なりからもお上の御用を承っている者としか思えない。

もしやあたしの素性を探索中であったらと、ここまで誘いこんだということさ」
ふっ とキセルを空ふかしして、ごろりと向き直った。

「まさかお頭がここで男をくわえ込むとは想えねえし・・・・・・」

「若い男なら大坂屋のあいつでいいよ」

「しかしお頭も今度ばかりは ひどくあの若いのにご執心のようでへへへへへ」

「ああ 若い男の体はこたえられないもの、おまけにあの男は
私が初めての女だそうな。
そりゃぁ可愛いものさね、初(うぶ)っていうのはああいうのを言うんだろうね、
お陰であたしも後をひいちまってるところだよ、だがね・・・・・・」

「始末をつけるんで?」

「そうだねえぇ・・・・・・もう1日だけ、最後の楽しみをさせてからにしようと
思っているのだがね」 

「やれやれ お頭の男狂いにも参っちまいやすね」勝四郎は舌打ちしながら、

所で穴蔵のやつはどうしやす?いっその事バラして土左衛門にでも・・・・・」

「その前に、どこまで探索の手が伸びているか探りださなきゃぁ
こっちもいつ火の粉が飛んで来るかわかったものじゃないよ、
土蔵の2階へ引き上げて傷めつけておやり」

それからの数日忠吾は拷問に耐えていた。

「お前がお上の御用をつとめていることは承知さ、
どこまでこっちの手の内を知っているんだえ?素直に吐いたほうが
お前の為になろうというものじゃないか」

猿ぐつわをかまされ、両手を後ろ手に縛られたまま忠吾は土蔵の床に転がっていた。

女が忠吾の前に廻り、片膝突いて忠吾の顔を手で抱え上げた。

裾前がバラリとはだけ、真っ白な素足が蹴出しの薄影の中に消えるのを
忠吾はゴクリと生唾を飲み込んで見とれた。

「どこ眺めてんだよう!」女の平手打ちが飛んできた。

「着流しということは手前ぇ町奉行所のものじゃぁねぇな」
勝四郎が忠吾の前襟を掴んで首根っこを締めあげた。

忠吾はただ睨み上げるだけで、それ以外の反応を見せない。

「お頭、と言うことは、こいつ火盗・・・・・・・・」

「冗談じゃぁ無いよ、こんなひょろひょろして、女とみりゃぁ
鼻の下を伸ばす奴が盗賊改め?はんっ!だとしたら、
盗賊改めも落ちたもんだねぇ、話さなくていいよ!
その代わり悲鳴も上げるんじゃぁないよ、

そのくらいの根性はあるんだろうねぇ えっ! 
お願いですからと言うまで痛めておやり」女はそう言って下に降りていった。

それからひととき勝四郎の殴る蹴るの責め上げ方は、息つく暇もないほどで、
猿轡(さるぐつわ)の上からも漏れる声は、生半可な攻め方ではない事が伺える。

気を失い、ぐったりした忠吾をそのままま放置して勝四郎も階下に降りていった。
しばらくして気がついた忠吾、何という事はない
例のものがもようしてきたのである。

バタバタと床をかかとで打ち続けた。

ハシゴの引っかかる音がして「うるせぇな、静かにしやぁがれ」と
勝四郎が上がってきた。

顔を真赤にしている忠吾を見て、それと察し
「なんでぇそこんところの小窓にでもひっかけな!
飛べばのもんだがなぁ へへへへっ」

股間を蹴り上げられて腫れ上がっているのを承知の嫌味であった。

手をほどいてもらい、やっとの思いで用を済ませた忠吾に
「どうでぃ ちったぁ話す気になったけぇ」と胸ぐらをつかまれた。

眼をむいて睨み返す忠吾の喉へ鋭い蹴りの一撃が食らわされた
「げふっ!!」忠吾は激痛にもんどり打ってつっ伏した。

「口を割らねせんなら、しゃべることもいるめぇよ、
そこいらにいい子でねんねしてな」

明けて3日目の朝である。

夜半になっても帰宅の報告がなされない
「まぁ、あいつの行状から言えば一晩や二晩の無届外泊は
取り上げるまでもなかろう」と
同心筆頭の酒井祐助は筆頭与力の佐嶋に報告をあげなかった。

それが三晩となり、(もしや・・・・・・)と
佐嶋から平蔵に報告が上がった。

「何ぃ 三日もつなぎがないというのは、いかに忠吾といえども
御役目を忘れるものではあるまい。
急ぎ密偵共を呼び出し、火急のつなぎを取れ」
珍しく平蔵は心の乱れを感じた。

「忠吾も火付盗賊の端くれ、いつなんどきであれ、
そのための覚悟は出来ておろうと存じます」と筆頭与力の佐嶋忠介が口を切る。

(やつだけは死なせとうない・・・・・・)
平蔵の心のなかに大きな不安が秋の叢雲のごとく吹き上がってくるのを
抑えようもなかった。

浅草観世音境内では、梅雨の晴れ間とあって久しぶりの人々が
大勢集まって賑わっていた。

密偵のおまさが参詣を済ませて元来た参道へ道を取ろうとした時
「や おまさちゃんじゃァねえか」と声をかけてきたのが瀬音の小兵衛であった。

「瀬音のお頭・・・・・まぁお久しぶりでございますねぇ」

「やっぱりおまさちゃんだね、見違えちまったよ」

この瀬音の小兵衛、おまさの父親 鶴(たずがね)の忠助とは昔なじみで、
平蔵がまだ本所の銕と二つ名で暴れまわっていた頃からの付き合いである。

「おまさちゃんお前さん 幸太郎のことはしっていなさるねぇ」

「ええ」

幸太郎は瀬音の小兵衛のただ一人の子供であった。

小兵衛が40を過ぎた頃、浅草今戸の料亭(金波桜)の女中をしていた
気立てもよく、よく気の利く女にすっかり夢中になり
その(おしま)と世帯を持ってしまった経緯はおまさも忠助から聞いていた。

しかし、産後の日立ちが悪く女房おしまはあっけなくこの世を去ってしまった。
取り残された小兵衛は忠助の口利きで下谷広徳寺門前の数珠や
名倉屋太吉が幸太郎をもらってくれることになってひとまず安心となったが、
その2年後に名倉屋に男の子が生まれた。

そんなわけで幸太郎は立花町のある乾物問屋大阪屋伊之助方へ奉公に出された。

足を洗って岡部の宿へ引きこもる前に、よしみの盗賊福住の千蔵に
「陰ながら、幸太郎の事を見ていてくれ」と頼んだ経緯があった。

「さようでございましたか、私もお父っつあんがなくなってからは、
本所から出てしまい、幸太郎さんの事はちっとも知りませんでしたけれどねぇ」

この前岡部の宿で福住の千蔵さんが「お前さんの息子が
とんでもねぇことになっている、「幸太郎さんの奉公している大阪屋さんへ
狙いをつけた猿塚のお千代が、色仕掛けで・・・・・

そうと知らない幸太郎さんがまんまとお千代の手練手管に
取り込まれちまって・・・・・」って聞かされて、
わしはたまりかねてお江戸に出てきたってわけなんだよ、

こんな薄汚い年寄りだ、お店の前をうろついたんじゃぁ眼にも
つこうってもんで、お頼みってぇのはこの事で、
どうかおまさちゃん一つ幸太郎の事を引き受けてくれちゃもらえないかい」

これが平蔵にもたらされた別の一件であった。

平蔵もおまさもこの小兵衛の件は昔なじみとあって盗賊改めとは
無縁の件であり、二人だけの探索ということで行動が為された。

この時、忠吾は納屋の屋根裏で嬲(なぶ)られ拷問に耐えながら
瀕死の状態であった。

忠吾は飲まず食わずでもうすでに4日は過ぎ、脱糞と小水で
狭い屋根裏は悪臭がただよい、すでに意識も朦朧としてきている。

(このままでは・・・・・・)萎えそうになる意識を奮い立たせて
忠吾は下帯を抜きあげた。

(この下帯を誰かが見つけて異様に想えば・・・・・・・)

儚い望みではあった、だが何もしないのは更にはかないと想ったのである。

這いずりながらようやく小窓に寄り、下帯を格子に括りつけた。

その向こうに川をはさんで牛込の小屋敷の家並みが雨の中ぼんやりと
霞んで観えた(叫んだとて届くはずもない・・・・・)
再び忠吾は意識を失った。

一方おまさは幸太郎が奉公している乾物問屋大阪屋伊之助宅を見張っていた。

夕刻籠が1丁呼ばれ、幸太郎らしき男が乗り店を出て行った、
その後をつけて行った先は上野池之端の出会い茶屋(ひしや)であった。

そこへもうひと籠が着いて、少し年増には観えたものの、
中々艶っぽい女が出てきた。

これが福住の千蔵から聞いていた猿塚のお千代と睨んだおまさは、
ひととき半ほど後に出て来た2丁の籠の後をつけた。

途中から籠が別々に別れために、お千代の方をつけ、
行く先が小石川別當龍門寺牛天神まえの金杉水道町で降りるのを見届けた。

空には月が輝き、梅雨の雨に洗われた空は碧々と雲ひとつなかった。

やれやれと踵を返そうとしたおまさの眼に納屋の2階から妙なものが
ぶら下がっているのが観えた
(何かしら?)いぶかしく思いながら平蔵の待つ上野池之端の出会い茶屋
(ひしや)に向かった。 

「おう おまさ ご苦労であった、で何か変わった様子はなかったかえ?」

「はい 長谷川様のお見込み通り2丁の籠が出ましたので、
幸太郎の方は帰るところは大阪屋と踏みまして、もうひとつの籠をつけました」

「ふむ で、行く先はつかめたのであろうな」

「はい 小石川の牛天神前の京菓子や井筒屋に入るのを見届けました、
しばらく張っておりましたが、その後店の戸を閉めた模様なので
急ぎ帰ってまいりました」

「そいつはご苦労であった、で 他に変わった様子はなかったかえ?

「そういえば妙なことが一つ・・・・・・」

「何妙なことだぁ?」

「はい 隣の納屋の2階の小窓からなにやら白い晒のような物が
下がっておりました」

「何!晒しだぁ・・・・・・・くくくくくくっ 
おい!でかしたおまさ!そいつはうさ忠だぜ、
奴めまたもや下帯に救われたか うわははははは」

 
木村様・・・・・でございますか?」

「ほれ 深川、蛤町の海福寺門前の茶店(豊島屋)の一本うどん事件よ」

「あっ そういえばあの時も・・・・・うふふふふ」
思わずおまさも笑ってしまった。

「こうなると相手は猿塚のお千代と判明いたした、
どうにも俺たちだけでは手が足りぬ、急ぎ籠に乗って役宅へ行き、
手すきのものを差し向けてくれそれまで俺はここにおる。

急げ、彦十と粂も駆り出してここへ連れてきてくれ」

やがて東の空が白白と明け始めた7ツ頃、雨支度を整えた定六が
井筒屋から小石川金杉の通りへ現れた。

「長谷川様、あの男でございます」陰で張っていたおまさが声をかける。

「よし、お前たちは奴の後を追え、他の者は井筒屋から出てくるものあらば
離れてから捕縛せよ、俺が戻るまで決して打ち込んではならぬ」
平蔵はそう指示しながら彦十おまさや粂八の後を追った。

こうして根岸の里の大捕り物は無事に終え、馬で取って返した平蔵指揮のもと
井筒屋に打ち込んだ。

猿塚のお千代は平蔵の顔を見るや道中差で自らの喉を一突きに自害して果てた。

隣の納屋の2階から木村忠吾が救出されたのは言うまでもあるまい。

「やれやれ 忠吾!お前はまこと下帯に縁があるとみえるなぁ、
今度からは下帯に名前ぇでも書いておくと良かろうぜ、
すぐにお前ぇと判るからのう、いや下帯を解くのは程々にいたせよ、
まぁせめて出会い茶屋あたりで止めておくこったなぁ あはははははは」

「おかしら それはあんまりなぁ・・・・・・」

忠吾は殴られ蹴られて顔を風船のように腫れ上がらせたまま、
更にふくれっ面でぼやくのであった。



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