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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

8月第5号  一寸の虫 2-1




四ツ谷南寺町戒行寺門前の茶店で、
商家の娘とその下女と思しき二人連れが休んでいた。



隣の置縁に腰を下ろした浪人が
「親父酒をくれ」
と冷酒を注文して、
「おっ これは又美しきお女中、どうだな1杯酌をしてはくれぬか?」
と絡んできた。



「どうぞお構いなく」
付き女中が慇懃(いんぎん)に断ると

「まぁ良いではないか、何も取って食おうなぞと言っておるのではない、
一杯だけでも美しきお女中に酌をして頂ければ、
酒も又いっそう美味というだけのこと」
と盃を差し出した。



「お許しくださいませ」
女中はそう断りを入れて
「お代はここに置きますから」
と茶代を置き立ち上がってその場を離れようとした。



「待て待て!ただの1杯だけ、それならばよかろう!」
と娘の袖を掴んだ。



「お許しを!」
と袖を引いたその袖先に徳利が触れて酒がこぼれた。



「おのれ何を致す!」
とこれを機に言いがかりをつける。



「ご無礼を致しました、これでお許しを」
といくばくかの小銭を差し出した。



「無礼な!落ちぶれ果てても武士の身、施しとはいかなる所存!」
と語気も鋭く立ち上がった。



険悪な空気が廻りを包み、遠巻きに人々が怖いもの見たさで成り行きを見守った。



「もっ 申し訳ござりません」
蚊の鳴くようなか細い声で娘が詫びる。



「俺はなぁ、ゆすりタカリをしようと思っているのではないぞ、
こぼされた酒の始末をどうしてくれるかと、それを申しておる」
言葉は穏やかだが、そこに更なる含みを意図していることは明らかである。



「ではいかようにすればよろしいのでございましょう?」
と女中が言葉を継いだ。



「だから先程から申しておるではないか、1杯だけ酌をしてくれと」



「そのお申し出だけはお断り申し上げます」
きっぱりと言い切った女中に

「無礼者!」
男は刀を抜き脅しに掛かった。



「ご無体な!」
女中は娘を後ろにかばいながらわなわなと震えている。



「そこまでになされてはいかがでござろう」
と、奥から声が聞こえてきた。



「何ぃ 誰だ、出てこい!」
男は奥に向かって大声を上げた。



「下手な芝居に旨い酒がまずくなった」
その声の持ち主は刀を落し差しに手挟みながら店先に現れた。



「余計な真似を!」

「おう して悪かったかのう」
静かに微笑を浮かべながら娘のほうをチラと見やり、
「早く行かれよ!」
と表の道を顎で指した。



「相済みません!」
女と女中は軽く会釈をしてその場を立ち去った。



「余計な事をしおって!」
浪人は刀の柄に手をかけながら威嚇した。



「抜かれればその腕の一本も頂けねばならぬが、それでもよろしいか?」
ゆっくりと腰を落としながら仲裁に入った浪人が鯉口を引き出してぐっと押さえた。



「ぬぅ 覚えておれ!」
と立ち去ろうとするのへ「

待った!酒代ははらっておけ」



バラバラと小銭を放り出して浪人は足早に立ち去った。



「やれやれ、騒がしいやつだ、ゆっくり酒も飲めぬ、
亭主、すまぬが飲み直しにもう一本つけてくれぬか」
今度は表の置縁に腰を下ろし、立ち去ってゆく人の流れに目を向けていた。



「これはあっしのほんの気持ちで」
と亭主が酒を持ってきた。



「あっ そのようなお気遣い無用だ」



「へぇ ですが、先ほどのお武家様のやりとりに、
こう 胸ん中がスッキリいたしやしたものでございやすから、どうぞお口直しに」
首に巻いた手ぬぐいで首を拭き拭き頭を下げた。



「さようか、ならば遠慮無く頂戴する」



その数日後、又同じ場所で浪人が酒を飲んでいた。



このたびは店前である。



「まぁ お武家様は先日の・・・・・・」
と親子らしき商家の者が声をかけてきた。



「うっ? おお あの時の、無事で何より何より、で?本日は又」



「はい お父様と戒行寺にお参りに行った帰りでございます。



お父様 この方が先日私どもを難儀からお助けくださったおぶけさまですわ」
とそばの主に告げた。



「これはこれは、その節は娘が危ういところをお助けいただいたそうで、
誠にありがとう存じます」



「何の何の、たまたま居合わせていたまでのこと礼には及びません」
と手を振った。



「何を申されますやら、手前は四谷御門前、四谷伝馬町の小間物問屋
鈴屋重兵衛と申します、この娘は菊と申します」。



「菊どのか、この辺りは武家屋敷も多くしたがって浪人も又多い、
過日のようなこともしばし起こりかねぬ、出来るなら父御殿と
同道されたほうがよろしいかと」
と忠告した。



「最もな事でございますなぁ、丁度あの日は手前が多用にて、
女中に任せてたもので、今後は気をつけると致します。
ところでお武家様はいずれかのご家中でお勤めであったとか?」



「何故だな?」
いぶかる浪人に
「聞きましたるところでは剣の方も中々のようでございますね」



「どうしてそのようなことを?」



「私どもの店に出入りしておりますものが、丁度あの場に居あわせておりまして、
その後のことを聞きました。



それで、もしやと、こうして日々お寺に参っておりました」



「何と!呆れた御仁じゃなぁあははははは、身共は鈴木大志郎と申す、元
はさる小藩の納戸役を勤めておりましたが、何処も同じで身共もお役御免になり、
それ以来浪々の身、時折腕に覚えのそろばんで商家などの帳簿の手助けで
何とか糊口をしのいでおるという有り様、お笑いくだされ、あははははは」



「さようでございましたか、で 今は何処かのお店に?」



「この所口入れ屋からの話もなく日暮しゼミでござるよ」



「おお それは丁度よかった、どうか手前どもの相談に乗っては頂けませんか?」



「うむ どのような商いをされておられる」



「はい 手前どもの商いは小間物でございまして、場所が伝馬町ということもあり、
町家の方々から武家屋敷の奥向きからお女中までおかげを持ちまして
賑わっております。」



「それはそれは 繁盛が何より、まぁ一度店を覗かせていただこう」



「はい ぜひにそのように・・・・・・お待ち申しております」



そう言って別れた。



数日後大志郎の姿が伝馬町の鈴屋の前にあった。



「ごめん!主どのはおられるか?拙者鈴木大志郎と申す者」
と取次を願った。



番頭の知らせに大急ぎで主の重兵衛が急ぎ出てきた。



「これはこれは鈴木様!どうぞどうぞ奥の方へ」
と奥座敷に案内し
「菊はおらぬか!鈴木様がお見えになられたぞ」
と奥に声をかけた。



出かける支度を終えた菊がいそいそと出てきた。



「おや、本日も何処へかお出かけですか?」
と、姿を見て聞いた。



「はい、本日は麹町の成瀬様のお屋敷までお父様とご挨拶に」



「いつも成瀬様の奥向きに色々と小間物を収めさせて頂いておりますもので」



「それは又ご苦労でございますな」



「おお ちょうどよいところで、いかがでございましょう鈴木様、
道中の警護をお願いできればこれほど心強いことはございません」



「そうですわお父様!お願いいいたしましょうよ、
ねっお引き受け下さいましな鈴木様」



「んっ まぁ立ち寄ったついでと想えば・・・・・判りました、
お供を引き受けましょう」



「まぁ良かった、嬉しい!では早速参りましょう!」
と菊ははしゃいでいる。



こうして大志郎と鈴屋の関わりが始まった。



「重兵衛どの、店の物を少し並び替えなぞなされば、
更に買い求める客にも見やすくなると思うが・・・・・」



「あっ さようなことがございましょうか?」



「うむ 店構えというものは、先ず入りやすいということから始めるが第一歩、そ
こから品数や色違え、更に奥には高価なものと、
まぁ魚で申せば定置網の様に想えば良いかなぁ」



「これは又面白いたとえでございますねぇ」



「うむ 人というものはそれと知らずに流れを持つもの、
無駄な動きを整理して導く、これも商いの気配りと思うが」



「はぁ全く鈴木様の才覚にはこの商い専門の重兵衛も舌を巻きますわい」
と手離しの様子である。



事実商売には呼び込み用のものや見世物、
それから本命と水の流れのような動線を考慮するのが無駄を省き、
客層を見定めるにも適した配置といえる。



それぞれに得意な者を手配りすれば、買う方も安心して相談もできる。



おかげか、鈴屋の商売も繁盛している。



こういう時の月日は流れるのも早い、
あっという間に半年が流れてゆこうとしていた。



「お父様京は浅草の掛け小屋へ行きたいのですが、
大志郎様に連れて行ってもらってもいいでしょう?」



「これ お菊!鈴木様をそのようなところへ・・・・・」



「ねぇいいでしょう大志郎さまぁ」
菊の訴えるような眼に大志郎



「さても困った菊どので・・・・・」
と笑いながら
「いかがかなぁ鈴屋どの、拙者っも退屈しのぎになりますから」



「おお お引き受け下さるか、かたじけのうございます、それなれば大安心、
ぜひともよろしくお願いいたします、では早速籠の用意を致しましょう」
と、籠を手配した。



「うれしい!大志郎様と出かけられるのは菊の何よりのたのしみでございます」
とウキウキしている。



「鈴木様今月の収支でございますが・・・・・」
と重兵衛が売掛帳を出してきた。



帳簿を調べ、売掛や取り立ての様子を調べ、
この後の方針を見定めるのも大志郎の仕事であった。



「重兵衛どの、この掛け売りは何時頃から支払いがとどこおっておるので?」



「はい この一年、催促は致しておりのでございますが、
なかなかお家の事情とかで・・・・・」



「ちと様子を探ってみましょう、焦げ付かせてもいきませんのでなぁ」



「そう願えれば私も助かります、なにとぞよろしく」



取り付け騒ぎはこの頃常套手段であったために、大志郎は少し気になった。



商家からの多額の借り入れが露見して、
その監視役であった大志郎が責任を取らされて苦い思い出があったからであろう。

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