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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

9月第1号  なんでも屋  2-2


江戸の物価高騰の原因は株仲間の市場独占ばかりではなく
需要が追いつかないところであった。



これは吉宗が行った享保の改革で株仲間の解散により
流通が混乱してしまったためである。



あらゆる物資は一旦大坂に集まりそれを百石の菱垣廻船で江戸まで送っていたが、
それぞれの生産地にある廻船屋が自分の船で直接売りさばく
内海船の南海航路を築いた。



これまでは蝦夷や松前からの荷も日本海廻りで赤間関(下関)で一旦潮待ちする。



ここに内海船が待ち受けて、大坂の商人が江戸の商人とかわした通常の銀高より
高値で買い取り
江戸に運んだ。



しかしこれもある程度の荷がまとまらなければ動かなかった。



その隙間をうまく立ちまわったのが足の早い酒などを主に扱う樽廻船による輸送であった。



瀬戸内は潮待ち、風待ちで止まるところも多く、
そこでもこの商売は成り立っているという。



この時の平蔵の体験が、後に石川島加役方人足寄場を造るさいの
授産施設の考え方の基本になった。



つまり、一箇所に集められた人々に対して社会復帰のための施設として
それぞれ能力に応じて適材適所の仕事を習わせ、出
所後の生活自立の道をつけたわけである。



清水御門前火付盗賊改方役宅に忠吾を残し、本所菊川町の役宅への帰り道を、
平蔵は永代橋を渡り久方ぶりに深川へと足を向けた。



同心村松忠之進より「深川法禅寺傍に(科野庵)という
美味い白傍を出す店があると聞いていたからである。



本所深川法禅寺近くの蕎麦屋はすぐに判った。



小粋な数寄屋造りに店構えもあまり欲張らず、
3間ほどの入り口には小庭をしつらえてあり、三石に小草、黒竹、冠り松を配し、
景気をよく心得て配られた景色は入る前から客の心をつかむに十分な気配りが伺え、
店主の心意気が感じられた。



中は表からは見えないが広々とした中に部屋をゆったりと塩梅しており、
質の高さを覚える。



丸窓を開けると路地庭が隣の土壁を隠すように竹壁が配され
小石や草花のあしらいも見事という他ないほどに気配りも行き届いている。



なるほど材木商が出入りするこの深川ならではの洒脱なのびやかさを
平蔵は感じていた。



見上げれば、西の空が紅葉を敷き詰めたように真っ赤に染まり
その中をすじ雲が刷毛で引いたように流れていた。



あないされるままに通された部屋は、小さいながらも床が仕切られて
北山の杉絞り丸太に床框には高価な紫檀を使っている。



掛け物も、おおぶりな月に雁の二つ3つ、さり気なく振り込まれた床の花も
糸芒に不如帰があしらわれ、静けさの中にも風を想わす気持ちが読めてとれる。



「おまたせを致しました」
亭主らしき五十過ぎと見える男が静かに膳を持って入ってきた。



「初めてと思い受け致しますが、今後共よろしくお願いいたします」
と手をついた。



「俺は昔この界隈に住みおったものでなぁ、いや懐かしくあの頃を思い出される」



「左様でございますか、まだこの店は日も浅く少しでもおくつろぎいただければと、
余計なものを排しました」。



「ところで名前ぇから察するに信濃の出であろうかの?」



「はい 主の先祖が保科様のおそばに仕えていたそうでございます」



「おいおい お前ぇが主ではないの変え?」
平蔵はこの落ち着いた所作の男が主と思っていただけに、
この言葉は少々意外であった。



「するとご亭主は・・・・・・」



「はい めったに顔を出されません。



旅がお好きのようで、店は私どもに任せ全国あちこちと食べる気とか」



「へへっ そいつはまた豪気な、だがそんなものが生かされておるのであろうな。



ところでこの白湯はなんだえ?」



「はい 手前共の故郷では蕎麦はいたみやすい物と言われ、
食当たりしやすいので、毒消しに茹でたそば湯を仕上げに頂く風習がございまして、
元々は豆腐の味噌煮を頂居たようでございますが、
土地柄も貧しくいつからかそば湯を頂くようになったようにございます」。



「ふむ さっぱりとした中に何とも言えぬ甘さ、
それに薫りが名残の気持ちを誘うものよのう、
ウム細打ちの白蕎麦に満足させられるしかけだのう」



この一時が平蔵はいたく気に入った様子である。



役宅に戻った平蔵は早速村松松忠之進を呼び出し
「いやぁ猫どの、あの深川の蕎麦屋は実に美味かった!構えも見事という他無く、
さすが猫どのご推薦のことだけはある」
と報告した。



「あっ お頭はお一人で?」



「うむ、ゆっくりと味おうてみたくてのう」



「お一人とは・・・・・・」
と恨めしそうな顔之猫どのの顔を察して。



「おお こいつはすまぬ、いずれ又猫どのと同道いたそう」
と繕った。



「まぁお頭が然様に申されますなら・・・・・」
と先ほどのおかんむり顔は何処へやら消えて、目尻が緩んでいる。



その数日後、日本橋の「なんでも屋」が火を出し丸焼けになる家事騒ぎがあった。



火事の知らせを受けて清水御門前の役宅から急ぎ駆けつけた平蔵の
目に写ったものは、見る影もないほどに焼けた無残な火事場であった。



火元が主の寝室からで、奉行所の所見では寝煙草の不始末ということであった。



証拠に枕元にはうつ伏せの主の死体と煙管や煙草盆が焼け焦げた状態で
残っていたからである。



平蔵はその焼け具合がどうにも気に入らなかった。



あまりに焼けすぎていたことや燃え方に不自然な所見が見られたこと。



与力筆頭の佐嶋忠介が
「おかしら 何やら菜種油のような匂いが感じられますが」
と。



「佐嶋 おまえもそう想うか、俺はどうにも気に食わねぇ。



つい先日立ち寄った際にはこのような事が起こる前触れは感じなかった」。



残された柱にも不自然な焼け方が見られる。



途中から燃え広がったような燃え方は普通しないはずである。



「こいつは油をかけて日をつけたように思えるがどうじゃ?」
と佐嶋の意見を正してみた。



「全くそのようにしか想えませぬなぁ」



「ふむ すると火付け見るか」



「はぁ そのほうが自然かと存じます」



「とすれば物盗りということになろうが、その方はいかがであった?」



「奉行所の調書を読みます限りでは、物盗りのようではございません、
何しろ金子箱にはおよそ三百両ほどの金が残されておりましたよし」



「ただ・・・・」



「ただ?何とした」



「はぁ ただ箱は鍵がかけられておらず、錠前は開いたままで
傍に落ちていたそうにございます。



「と言うことなると物盗りと見せかけたことも考えられるわけだな」



「ははっ 仰せのとおりかと」



「死体はいくつあった?」



「検視の調書では五体とあります」



「うむ 俺が知っている人数もそうであった、で、
それぞれの遺体はどのような場所度と格好であった」



「少しお待ちを・・・・・主は寝間でうつ伏せのまま、番頭は自分の部屋で・・・・・



全員それぞれの寝間ではございますが一様に乱れた様子もなき状態でございます」



「なぁ佐嶋、人は寝る時うつ伏せで休むかえ?うつ伏せは赤子の時のみ、
こいつぁ背中で汗をかくからだとよ、大人はそうはするまえ?
おまけに火の中で乱れもないとはこいつはどう見ても妙ではないか」



「確かに・・・・・・・妙でございますなぁ」



「誰か!小林はおらぬか!」



「お頭 これに、何か御用でございましょうか?」



「おう 小林、すまぬが麹町平川町の山田浅右衛門殿に、
長谷川平蔵がここにお越し願えまいかと申しておる故伝えてきてはくれぬか」



「あの 御様御用(おためしごよう)の山田浅右衛門様でございますか?」



「うむ 過日知りおうてのう、是非にお力をお貸し願えまいかとさよう・・・」



「早速出向いてまいります」
と小林金也は出かけていった



その日の昼過ぎ小林とともに山田浅右衛門がやってきた。



「山田殿ご足労をかたじけのう存じまする」



「道中こちらの御仁よりあらかたは伺い申したが、
長谷川殿又いかようなことでござろう?」
と浅右衛門が焼け跡に入ってきた。



すでに遺体は道に出され、火事場の片付けも始まっていた。



何しろ焼け方が激しく類焼の家が今にも倒れそうで、
その引き倒しが安全を確保する上でも必要との判断からであった。



「山田殿、この遺体にどうも不自然なところを感じまして、
ご貴殿のお考えをお聞かせ願えればとご足労をお願い申しました」



「判り申した・・・・・」
浅右衛門は亡骸に軽く両手を合わせて検視にかかった。



すでに腐敗が始まりかけた異様な異臭の中での検視は生半可なことではない。



次々と検めた後

「長谷川殿、いずれも鋭い刃物のようなもので殺害されていますな」



「何と!やはり殺害でござったか」



「見事という他ござらぬが、これは相当の手練ものと想われます、
まず口を塞がれ、その状態で心の臓を一突き、
絶命するまでその状態を維持できるところなぞ並みの器量ではでき申さぬ」



「山田殿 何故そのようなことがお判りなされるので?」
平蔵は山田浅右衛門の知識と実践に裏打ちされた経験からだとは理解が出来たが、
それが一体何なのか合点がいかなかった。



「長谷川殿 普通であれば心の臓を一刺ししても、
ましてや火で囲まれればじっとしてはおりませぬ。
人はまだ息を吸おうと口を開け申す、だがこの遺体いずれも口は閉じたまま、
さすれば口をふさぎて絶命するのを待った残忍なやり口と
見るのがまっとうでござろう」



「なるほど 左様なことが‥‥‥‥‥それにしても酷いやり方でござりまするなぁ」
平蔵は犯人の手口の凄まじさにますます怒りが燃え上がった。



だが、この事件はその後の調べでも全く証拠が残されておらず、
迷宮入りのままである。



平蔵にとって痛恨の事件の一つでもある。



あの日なんでも屋を出る前に主が言った言葉が平蔵の耳に残っている。


「千代田のお城の東西南北に出店を構え、その店から東西に二十町先に
又出店を構え、江戸の町をこれらで網をかぶせるように覆い尽くせば、
皆様に安くて新鮮なものをいつでも召し上がっていただける事が出来る、
これが私の夢でございます」

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