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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳外伝

花筏千人同心  7月号 6-3


表には井戸があるようで、真新しいい竹が掛けられている。



荷綱を火打ち石の上の束柱に掛け、用意が整った時点で馬を寄せ付け、
縄を鞍に結わえ平蔵の合図を待った。



馬の鳴き声に中から男が出てきた、その驚きの声は平蔵によって
一撃で切り伏せられ、叫びにはならない。



平蔵素早く後方へ回りこみ合図を送る、
と同時に四名の馬が駈け出したからたまらない、
四方柱は大きな音を上げて引き倒され、
破れかかった壁が土埃をあげてのめるように倒れ始めた。



「それ!それ!それ!」四名が馬に鞭を入れて更に引く。



ドォと大きな音とともに簡素な屋根が重なりながら降り注いだ。



「ぎゃぁ・・・・・」



悲鳴があちこちで上がり、崩れた家屋の下からはい出てくるものもある。



それを平蔵刀の峯で打ち据え動きを封じる。



バラバラと四名が駆け寄り、四方を固める。土埃が止み、
暑い残照が五名の背中を囲む。



四名が中から這い出してきたが、すでに戦意喪失の体である。



「何名の者がおる?」



平蔵の問に



「だだだっ 誰でぃお前ぇは」



「火付盗賊改方長谷川平蔵だよ」



「なななっ 何だってぇこんなところに盗賊改めが・・・畜生!」



「一体ぇ何名で押し込みを働いた?お前を入れて五人、他には何人いるのだえ?」



「お頭を入れて八人、だけどお頭は見えねぇ、
下敷きになっちまったか、畜生め!」



それから半刻(一時間)経ったものの他には人の気配がない。



西の空は真っ赤に焼け、あっという間に帳が垂れ始めた。



「とりあえず此奴共を大楽寺町宝泉寺に仮置き致せ!



儂はこのまま此処に残り様子を見る、お前達はまず疲れを取り明日に備えてくれ」



平蔵は少し開けた場所に戸板を運ばせ、そこにもたれかかり見張ることにした。



それを見かねた佐嶋忠介が



「お頭、ここは私が詰めますゆえ、お頭はどうぞ寺で休息をお取りください」



と申し出たが



「儂は十分体を休めておる、それよりもお前達はゆっくり休め、
明日の探索に養生いたせ」



と聞き入れない。



こうして一夜は何事も起こらないままに白々と明けた。



早朝に四名の者が駆けつけ、熱い握り飯と香の物、
それに竹筒に水を入れて持参した。



平蔵これをゆるりと口に運びながら



「旨いなぁ・・・握り飯がこれほど旨いとは想わなんだ、
それでは残りのものを探索致すか」



平蔵立ち上がって倒れていない裏側に廻った。



どこかでうめき声がする様子に



「おい 誰かまだ生きておる様子だぜ、そこの柱の辺だ!」



小林金弥が梁を乗り越え中を覗いた。



 



「お頭三名の姿が見えます」



 



「何!三名だ?とにかくそいつらを助けださねばなるまい」



こうして二刻(四時間)ほどで三名の盗賊が救出された。



何れも骨折などで身動きがとれない状態であった。



 



「なんてひでぇことをしゃぁがるんで!」



中のひとりが叫んだ。



 



それを聞いた平蔵、その男の胸ぐらをひっつかみ



「皆殺しとどっちがひでぇって言うんだい、えっ!!
貴様達のやったことは閻魔様もお許しにゃぁなるめぇよ、
ところで頭ァどいつだい!」



じろりと睨んだ平蔵の形相に皆下を向いたままじっと床を睨んでいる。


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荷綱を火打ち石の上の束柱に掛け、用意が整った時点で馬を寄せ付け、
縄を鞍に結わえ平蔵の合図を待った。



馬の鳴き声に中から男が出てきた、その驚きの声は平蔵によって
一撃で切り伏せられ、叫びにはならない。



平蔵素早く後方へ回りこみ合図を送る、
と同時に四名の馬が駈け出したからたまらない、
四方柱は大きな音を上げて引き倒され、
破れかかった壁が土埃をあげてのめるように倒れ始めた。



「それ!それ!それ!」四名が馬に鞭を入れて更に引く。



ドォと大きな音とともに簡素な屋根が重なりながら降り注いだ。



「ぎゃぁ・・・・・」



悲鳴があちこちで上がり、崩れた家屋の下からはい出てくるものもある。



それを平蔵刀の峯で打ち据え動きを封じる。



バラバラと四名が駆け寄り、四方を固める。土埃が止み、
暑い残照が五名の背中を囲む。



四名が中から這い出してきたが、すでに戦意喪失の体である。



「何名の者がおる?」



平蔵の問に



「だだだっ 誰でぃお前ぇは」



「火付盗賊改方長谷川平蔵だよ」



「なななっ 何だってぇこんなところに盗賊改めが・・・畜生!」



「一体ぇ何名で押し込みを働いた?お前を入れて五人、他には何人いるのだえ?」



「お頭を入れて八人、だけどお頭は見えねぇ、
下敷きになっちまったか、畜生め!」



それから半刻(一時間)経ったものの他には人の気配がない。



西の空は真っ赤に焼け、あっという間に帳が垂れ始めた。



「とりあえず此奴共を大楽寺町宝泉寺に仮置き致せ!



儂はこのまま此処に残り様子を見る、お前達はまず疲れを取り明日に備えてくれ」



平蔵は少し開けた場所に戸板を運ばせ、そこにもたれかかり見張ることにした。



それを見かねた佐嶋忠介が



「お頭、ここは私が詰めますゆえ、お頭はどうぞ寺で休息をお取りください」



と申し出たが



「儂は十分体を休めておる、それよりもお前達はゆっくり休め、
明日の探索に養生いたせ」



と聞き入れない。



こうして一夜は何事も起こらないままに白々と明けた。



早朝に四名の者が駆けつけ、熱い握り飯と香の物、
それに竹筒に水を入れて持参した。



平蔵これをゆるりと口に運びながら



「旨いなぁ・・・握り飯がこれほど旨いとは想わなんだ、
それでは残りのものを探索致すか」



平蔵立ち上がって倒れていない裏側に廻った。



どこかでうめき声がする様子に



「おい 誰かまだ生きておる様子だぜ、そこの柱の辺だ!」



小林金弥が梁を乗り越え中を覗いた。



 



「お頭三名の姿が見えます」



 



「何!三名だ?とにかくそいつらを助けださねばなるまい」



こうして二刻(四時間)ほどで三名の盗賊が救出された。



何れも骨折などで身動きがとれない状態であった。



 



「なんてひでぇことをしゃぁがるんで!」



中のひとりが叫んだ。



 



それを聞いた平蔵、その男の胸ぐらをひっつかみ



「皆殺しとどっちがひでぇって言うんだい、えっ!!
貴様達のやったことは閻魔様もお許しにゃぁなるめぇよ、
ところで頭ァどいつだい!」



じろりと睨んだ平蔵の形相に皆下を向いたままじっと床を睨んでいる。


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6月号  花筏千人同心 6-2


助左衛門は慇懃(いんぎん)に平蔵を出迎え奥座敷に通した。



暫くしてこの事件を預かっている同心頭秋庭周太郎がやってきた。



「早速でござるが、此度の押し込み3件に関するお調書を拝見いたしたい」



と申し出た。



同心頭秋庭周太郎より提出されたお調書ではほとんど参考になるような内容の
記述が無い。



「何かこう 手がかりとなるようなものはござらなんだか?」



平蔵の問に



「なにぶん盗賊の探索はあまり行ったこともござりませぬゆえ、
この程度のことしか判明いたしておりません」



と、押し込み先3件の商家の名前や人員構成、それに凡その被害額、
殺害は殺傷傷であること、押し込みの人数はその足あとから
おおよそ10名前後とみられる、この程度であった。



「ふ~む・・・・・」



平蔵調べ書きを前に腕組みして深い溜息をついた。



「押しこみ経路、それに逃走経路はどのようであったか記されては居らぬようだが、
誰一人これらを見たものは居りもうさなんだか?」



「はい それに関しては皆目・・・・・」



「うむ やむを得ぬ、では町の絵図を拝借願えませぬかな?」



と言葉をつなぎ、しばらく黙想した後



「では当方勝手で事件に当たろうと存ずるが、それで宜しゅうござるか?」



と、了解を取り付けた。



何しろ上は槍奉行から、代官所に千人同心と3つのお役が絡んでの
厄介この上ない仕事である。



平蔵借り受けた絵図面を繋ぎ場所の散田町真覚寺に持ち帰った。



夕刻おまさや伊三次それに少し遅れて小林金弥が帰り着いた。



「おお ご苦労ご苦労!で、首尾はどうであったなおまさ」



平蔵この暑さにすっかり土埃と汗で日焼けしたおまさの顔を見やる。



「それが長谷川様、それぞれ3軒とも路地で隔たれておりまして、
あまり隣近所の物音は聞こえないようでございました。



押し込みのあった後も役人のお調べも型どおりで、
いえそれ以下の簡単なもののようでございました。



おそらくそのようなことにあまり慣れて居られないようだと私には想われます。



隣近所にも探りを入れてみましたが、同業が多く口が重たいようで」



「さもあらん、内心喜ぶ奴もおろうからなぁ、ましてや皆殺しとあっちゃぁ
関わりたくはねぇというのも本音だろうぜ」



平蔵その辺りは予測していたようである。



「で、ほかに気づいたことはなかったか?」



「商いは、市が立つ時手伝いのものをその都度雇うようで、
それはどの店もいつも決まっているようでございました」



「小林、遅くまでご苦労であった、で 内向きは如何であった?」



「はい 何れもが市の終わった所を狙われたようで、
売上や支度金が盗まれておりました。



この辺り、これまで大掛かりな押し込みは皆無のようでございました。



したがって、用心の方もあまり気配りが行き届いておりません、
宿場役人も日光勤番以外は手薄、そのあたりを狙ったように想えます」



「うむ やはりこの街道を熟知しておるとみなさねばなるまいのぉ、
川越あたりが賑おうて参ったゆえ、御府内に近い八王子も、
様々な仲買人が市を目当てに立ち並んできた。



だが取締は手薄と来た、外道盗(げどうばたらき)にゃぁ
良い所へ目をつけたものさ。



で、侵入経路は如何であった?」



「それがなんとも強引で、白壁造りなぞもあまりなく、
表はそれなりにしっかりと造られてはおりますものの、
2階部分は戸板1枚の簡素なもの、これならばたやすく外せます、
奴らは何れもそこから侵入した模様で、戸板の一部に真新しい刺し傷が、
おそらく錏(しころ)でこじ開けたと想われます」



「然様であったか・・・浅川は夏場の故に水かさは少なく、
小舟での逃走はあるまい、とするならば十名近くのものが移動となると、
どこかに潜み場が必要(い)ろう・・・・・」



「盗人宿でございますか・・・・・」



おまさが口を挟んだ。



「そういうところだ、明日からその辺りを心がけて探索にあたってくれ、
本日はご苦労であった、飯は支度も整っておろう、しっかり喰ってゆっくり休め」



平蔵は一同を労い奥へと戻っていった。



翌朝早く一同揃ったところで



「本日はそれぞれ手分けして潜み場になりそうな処をあたってくれ、
10名近くとなればそれなりの広さや喰うものの心配もあろう、
そのあたりが目処(めどころ)。



使われておらぬ寺とか、屋敷跡、冬場用の小屋なども見逃すでないぞ、
ああそれと、食い物となる果菜類が盗まれてはいなかったか、
この辺たりも忘れずにな」



そうして3日目の夜がやってきた。



これまで何もかからなかった網の中、伊三次が聞きこんできた話に
平蔵は燈明をみた。



「今日は川向うへ行ってみようじゃないかっておまささんが、
で、あっしは淺川の枯れたところから向こうに渡り、長房町を歩きやした。



まぁ手当たり次第、人と見たら(この辺りに古い寺などが無ぇかっ)て・・・



ところがたまさか出っくわした百姓が、この南浅川を越え更に奥に入ぇった
大楽寺町宝泉寺裏手の山の方に狐火を見たってんでへぇ、
で早速そこへ行って見やしたが、ここいらはずいぶん古い寺がありやして、す
っかり野蔓(つる)に囲まれたものもいくつかありやした、
まぁ昼間でも薄っ気味の悪い所でございやす」



「ふむ、だがなぁそのような処なればこそ里人にも目につかねぇと
言えるではないか、のぉ小林」



「然様でございますな、襲われた店が何れもこの八王子周辺、
となれば盗人宿はやはり利便(つごう)を想えばこの周辺(あたり)でも
可笑しゅうはございませぬ」



「で、伊三次その辺りは如何致した?」



「へぃ その中に人の気配のするものがございやした、
ですが長谷川様その中まで見届けるにゃぁあっしはこんな格好でございやす
誰が見たってひと目で怪しまれやす、どうかと思いやして
遠巻きに張っておりやした。



ですが誰も出てこねぇし、そんな折根深(ねぶか)を担いだ百姓が
通りかかったもんでございやすから、そいつに1朱(6250円)握らせやして
中に人がいねぇか探ってくるように頼みやした。
もし誰かいたら一休みしようと思ったと言えば怪しまれねぇからと・・・



ところがそいつがしばらくしてごきげんな顔で出てきやした、
根深を置いてゆけってんで百文(2500円)貰ったてぇんです。



そン時中に入ぇったもんで、あたりを見るとはなく見たら、
七人ほどが酒のんで転がっていたそうで、やっこさん
(今日はかかぁが喜びやすって)喜んで帰ぇりやした」



「やはりおったか!伊三次でかしたぜ!かような荒れ寺に多人数ともならば
おそらく間違いではあるまい。



小林!疲れておろうとは思うが、明日一番で宿場に参り、早
馬を仕立て急ぎ役宅に向こうてくれ!佐嶋・秋本・猪子を急ぎ駆けつけさせよ、
お前も辛いだろうが、ここは一番こらえてくれ!頼むぞ」



こうして翌朝早く小林金弥は八王子宿常置の早馬を仕立て九里六町(36キロ)を
駆けていった。



速歩(はやあし)と並足(なみあし)を交えながらその日の昼過ぎには
八王子散田町真覚寺に一同が揃った。



「小林!ご苦労であった!湯を沸かせてもろうておいた、
まずは体をゆっくり休め、話はそれからだ」



その間に筆頭与力佐嶋忠介、秋本源蔵、猪子進太郎を交えて打ち込みの作戦が
立てられた。



内部の事情がはっきりと掴めてはいない、しかし此方は五名、
手対(てむかい)あってもなんとか討ち伏せられよう、
伊三次の話ではどうやらそこは宿坊(僧侶や参詣人の泊まる宿舎)のようである、
されば古びた奥屋だ、引き倒すにも造作もあるまい、どうだ伊三次?」



「あっ!こいつぁ・・・・・へへへへへっ 
かなり時も経ち、かろうじて雨露しのげるってぇほどのものでございやした。
なぁるほどねぇ柱引き倒して大騒ぎってぇ寸法で!こいつぁ面白ぇや、
そこんとこを見れねぇのが悔しいけどねぇおまささん」



「やれやれ伊三さん、あたしたちゃぁ物見遊山に来てるんじゃァ無いんだよ・・・・・でもねぇちょっとばっかし惜しいねぇうふふふふ」



「やえれやれお前ぇたちに掛かっちゃぁ盗人を捕まえるのも
物見遊山も一緒たぁ呆れたぜ、あはははは」



平蔵久しぶりの笑いのような気がした。



一休みした小林金弥が入ってきた。



「お頭、すっかり疲れも取れました、お指示(さしず)を」



「よし、今から打ち込みに参る、各自丈夫な荷綱を持ち、
密かに宿坊に近づき四方柱二本をそれぞれ佐嶋・秋本、猪子・小林二組で
同時に引き倒す、儂は反対側にて逃げ延びるやつを待ち受ける、
それから皆で打ち掛かれ、手が足りぬので、出来得るだけ峰打ちで動きを止め、
抗うものはやむを得ん足なぞ切って動きを止めよ、刀
で刃向かう奴は切り捨てて構わぬ」



こうして夕刻の捕物はここ八王子大楽寺町宝泉寺裏手方の廃寺宿坊で始まった。



崩れかけた小さな寺の一角に目指す宿坊は在った。



 


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5月号  花筏千人同心   6-1


相模(さがみ)・武蔵(むさし)・安房(あわ)・上総(かずさ)・
下総(しもうさ)・常陸(ひたち)・上野(こうずけ)・下野(しもつけ)、
これら関東八州と呼ばれる一円に無宿者や浪人が激増し、
凶悪な犯罪が後を絶たない為に文化2年(1805)これらを取り締まるために
組織された組合を発展させたものが関東取締出役(かんとうとりしまりしゅつやく)俗称八州廻り・関八州取締役であるが、身分は足軽格であった。



この組織が構成されるのは長谷川平蔵没後十年を待たなければならない。



八王子は延喜16年(916年)華厳菩薩妙行という僧侶が深沢山麓に庵を結んだ。



そこへ牛頭天王(ごずてんのう)が顕れ、8人の王子を祀れと託した。



大歳神(木曜星・総光天王)・大将軍(金曜星・魔王天王)・
太陰神(土曜星・倶魔羅天王)・



歳刑神(水曜星・得達神天王)・歳破神(土曜星・良侍天王)・
歳殺神(火曜星・侍神相天王)



廣幡神(羅光星・宅神相天王)・豹尾神(計斗星・蛇毒気神天王)



これが八王子の由来である。



八王子は徳川家康の命により、武田信玄時代、佐渡金山開発に功をなした
武田家残党大久保長安が惣奉行として適任し、新たに町の整備を行い、
甲州街道の八王子に八王子横山十五宿が置かれ、甲州街道最大の宿場となり、
飯盛旅籠なども隆盛を極めた。



ここには戦国時代最強の甲斐武田軍団の家来たちで構成された国境警備兵
八王子千人同心という下部組織が置かれた。



だが、大久保長安はとかく派手好みでキリシタンとの関わりを持っていたとも
言われ、慶長十九年(1614)長安が六十九歳で没するを機に徳川家康は
「生前に不正あり」という理由で財産没収、子供七名は切腹という沙汰で、
ここに武田軍団の勢力を途絶えさせた。



八王子千人同心は町奉行差配とは違い、あくまで槍奉行配下。



九名の頭と二五〇名ほどの同心が八王子地域の治安維持に当たったのが
始まりである。



北条氏の本城、八王子城が豊臣秀吉の小田原攻めで落城し、
後、徳川家康の手中に落ちる。



天正19年(1591年)新たに同心がお抱えになり、
小人頭十名に同心は五百名と拡大され、文禄二年(1593年)
八王子千人町周辺に定住した。



関ヶ原の戦いが終わった後、千人頭は二~五百石取りの武田家ゆかりの
旗本であったが、千人同心はあくまで郷士身分であり、
その多くは多摩川流域で半士半農の屯田兵であった。



時代は下り、同心職の株売買が盛んになり、
関東近郷農家の富裕層がこれを買い取り、更に半士半農に加速し、
身分は平時において人別帳には百姓と記載され、
ために、千人同心は苗字は公称が許されず、公務中は帯刀が許されたが、
それ以外は帯刀できず、あくまでも百姓であるということに変わりはなかった。



御家人の組頭であっても十俵一人扶持から多くても三十俵一人扶持という
厳しい営みである。



また八王子千人同心は日光東照宮の警備にもあたっており、
その期間は五十日、片道四日の道のりである。



幕末にこの日光(東照宮)を衞(まも)っていた石坂弥次右衛門は
官軍の攻撃に対しこの地を守るために降伏した。



だがこれを非難され切腹に追い込まれる。



このような歴史を持つ八王子周辺の村は養蚕や茶の生産が盛んとなり、
呉服商の越後屋(三越)や松坂屋(大丸)がこの地の織物を大量に買い付け、
後に鑓水(やりみず)商人達によって庶民の台所も増々豊かになり、
従って治安は悪化の一途をたどることになる。



寛政3年(1791年)老中松平定信の寛政の改革により千人同心の体勢は
900名に減じられ、日光勤番も50名に減員、このまま幕末までこの状態であった。



八王子千人同心の間に起こった武術熱の中で熟成されたものに、
近藤内蔵助開祖の天然理心流がある。



彼が八王子に出稽古をした弟子の中に天明6年(1786年)に生まれた
増田蔵六が居る、ちょうど長谷川平蔵が盗賊改長官になる前年のことである。



増田蔵六は八王子千人町に道場を設け千人同心たちに天然理心流を指導した。



この近藤家三代目近藤周助が天保十年(1839)江戸に
天然理心流道場「試衛館」を開く。



ここに後の壬生の狼、新選組浪士隊近藤勇・土方歳三・沖田総司・山南敬助・
永倉新八・井上源三郎・原田左之助・藤堂平助らが通った。



近藤勇はこの3代目近藤周助の養子となり天然理心流4代目を襲名した。



八王子はこのように幕末までの歴史を千人同心たちが面々と繋がっているのであっ
た。



江戸御府内は町奉行や盗賊改の支配が強く、それ以外の地域には
藩の奉行に郡代が置かれるものの、何れも年貢取り立てが職務で
犯罪も兼務していたものの、御用繁多で部下も又犯罪取締には
ほとんど用をなさなかった。



幕府直轄領の支配処(しはいしょ)に至っては、
広大過ぎて即対応は出来ない状態である。



したがい博打や盗賊がはびこった理由は此処にもあった。



この頃甲府花咲宿から八王子にかけて凶悪な街道荒らしが頻発しており、
地元代官所では手をこまねくばかりであった。



だが八王子に在駐していた18名の関東代官職は宝永元年(1704年)に廃止され、
この地を護る組織は代官支配地となったため、
これらから町村を護るために八王子寄場組合村と小佛駒木野組合が結成され、
これら広域の治安に連携を図る事となる。



とは言う物の、その主幹は村役などで、犯罪には手出しも出来ない烏合組織でしか
無かった。



八王子は槍奉行の支配下ではあったものの、これはいわば閑職(かんしょく・
名誉職)で30俵2人扶持の同心が付いたが実動隊にはならない。



代官は在地が原則のために、代官所(陣屋)に10名程度の手付(武士格)に
数名の奉公人を駐屯させ、
三十五代当主江川太郎左衛門英毅は、
夏は本所南割下水に冬は韮山に棲んでいた。



八王子管内は宿場・本陣・脇本陣・問屋場が置かれ、近郷は桑都(そうと)呼ばれ、
養蚕業が盛んで、そのために仲買人や生活用品の商人などで賑わい、多
くの両替商や問屋がひしめくほどあった。



ここに六斎市(月に六日)が設けられ、東から横山4日・八日市8日に市場が立つ。



商家は、間口4間(7米)奥行き35間(63米)という細長い屋敷であった、
これは京都にも似た構えであるが、間口の広さで税の決定がなされた、
その税を減らすための苦肉の策である。
 



八王子の北側に在方縞買(近郷農家を廻り農民から反物を買い取る商人)
が油箪台(ゆたんだい)を置く販売法を講じた為、宿方(町屋縞買商人)
との間で衝突が頻繁に起きるようになった。



八王子の市は米・麦・大豆などが主で、中でも飼馬飼料の麦・大豆は多かった。



新米が出る秋は価格も安く、端境期(はざかいき=春)になると米の価格は高騰す
る、そこで安い秋に仕入れ、蔵に寝かせておき、
春に売りさばく事で利ざやを稼いだ商人が後を絶たない。



特に8月初旬には八王子祭りがあり、多賀神社と大鳥神社から
千貫大神輿と山車が出た賑わいである。



これを目指して多くの人出で八王子は賑わい、治安の悪化は勢いを増すばかり。



甲州街道一帯を根城とする”甲州路の悪太郎“陣屋の藤兵衛が
これを見逃すはずもなく、八王子横山十五宿は彼らにとって絶好の狩り場になった。



この時期の八王子千人同心屋敷は追分交差点から並木町まで16町(1.5キロ)
にわたって千人頭と同心組屋敷があり、傍には馬場もあり、
馬術の稽古も盛んであったが、これらに属しない平同心は、
日光勤番以外は近隣町村に定住し、農業に従事、自給自足の暮らしをしていた。



当時八王子千人同心の構成は2~5百石取り旗本の千人頭10名 
30~10表一人扶持の御家人組頭100名が
名の同心を監督していた。



旧武田家家臣山県助左衛門は日光勤番までの半年間を八王子で
留守居番に当たっていた千人頭の一人で、
頃は8月に入ったばかりのうだるような暑さも西に沈み、
一息入れる穏やかな刻が過ぎていった。



東の空が爽やかに明けた朝五ツ半(午前七時四十六分ころ)
千人町の千人頭の一人、山縣助左衛門屋敷の門を激しくたたく音に
門番が驚いて飛び起き、息を切らせて駆け込んできた者が



「大変でございやす、本町の穀物仲買”相模屋”に押し込が入ぇって
大旦那を始め店の方々が皆殺しにされているのが見つかりやした」



「何だと!押し込みだ!?」



門番に付き添われて控えた百姓から聞かされた言葉に
、山縣助左衛門我が耳を疑った。



「どうしてそれが判った!」



「へぇ、ゆんべ(今年の米は出来が良さそうだから少し多めに貰おうかって
お話がありやしたもので、その約定をいただきに上がりやした。



戸を叩いても誰も出て見えねぇ、妙だと想って向かいの太物屋の手代のお人に
伺いやしたが、いつもならとっくに戸が開いているはずだけど、
妙だなとは想ったそうで」



「そいつは何刻(いつ)のことだ」



あっしが家を出たのが明五ツ(午前六時半ころ)ごろ、
店についたのが四半刻(三十分)をまわっておりやしたでしょうか・・・・・」



「よし判った、とりあえず誰かを遣ろう」



これが甲州の悪太郎“陣屋の藤兵衛”事件の発端となった。



戦争や暴動などにはその力を発揮する千人同心であったが、
相手が盗賊となるとまるで勝手が違ったのはやむを得ない。



そこで、助左衛門 配下の同心頭秋庭周太郎を呼び寄せ、
すぐさま陣屋にこの事を知らせ手配を頼むよう、



貴様にこの一件すべて任せるゆえ構えて万事抜かりなきよう、心して懸かれ」



と一任した。



この秋庭周太郎10俵1人扶持・御家人の中でも最も貧しい俸禄であった。



配下の者九名はいずれも近郷農家の出身で、
そのほとんどが物資の運搬などに従事する軽輩でしかなかった。



秋庭周太郎自身も甲府武田家を先祖に持ち、この地に召されて三代目、
戦事(いくさごと)は経験もなく、日光勤番以外は生活のために農業を営む、
ごく普通の同心頭でしか無かった。



一体何から、何処から手を付けてよいやら、まずはそのあたりからでさえ、
手探りの状態、時間のみが流れるそんな中で、またもや盗賊が押し入った。



本所南割下水の代官所から代官江川太郎左衛門英毅が駆けつけたが、
こちらも例外なく盗賊は専門外・・・聞き込み作業はすれど、
何一つ手掛かりらしきものも掴めないまま、今度は
八日市の翌日未明、
八日市縞買仲買商”奈良屋”に賊が入り、家人が皆殺しになった。



盗賊の探索にあたっていた秋庭周太郎は、この事件も加えて担当する羽目となる。



だが、何一つ進展しないまま、八王子同心を嘲り笑うがごとく、
取って返して追分町穀物仲買商”日野屋”に再び押し込みが発生、
これで三件の強盗事件が立て続けに起こったことになる。



さしもの八王子千人同心千人頭山縣助左衛門も自腹(じふく)
に納めきれるものでもないと、他の留守居番七組にこの事件を持ちだした。



日光勤番以外八組の千人頭が合議の結果、江戸に助成を嘆願することに決定。



江戸町奉行はあくまでも江戸御府内の商人、町人のみの受け持ちであり、
それ以外の寺などは寺社奉行が預かるなど管轄が決まっていた。



上司槍奉行に嘆願書が出され、そのまま老中に回され、
若年寄京極備前守より助成が下知された。



これら組織に関係なく取り締まれる、火付盗賊改方に話しが回ってきたのは
当然であろう。



「ふむ 八王子千人同心となぁ・・・・・
東照権現様が長槍持ち中間を新規お抱えになられ、甲州武田(武田信玄)の
残党を小佛方面から入府するものへの備えに置かれたと聞き及ぶ。



支配処(しはいしょ)代官は陣屋だが、ここでは盗人にゃぁ手も足も出まい。



さて如何したものか、佐嶋お前はどう見る」



平蔵 筆頭与力佐嶋忠介に意見を尋ねる。



「然様でございますな、江戸より八王子まで9里6町程
(36キロ・徒歩で9時間弱)



そこへ出張るとなると、此方(こちら)が手薄にもなりましょう、
したがい出役致し、探索の結果を待ち、改めて出張るなり、
先方の出役もしくは同心なぞ活用するのも一考ありと存じます」



さすがに剃刀と異名を持つ堀組選り抜きの与力である、
その洞察力は平蔵が火付盗賊改方を拝命したおり、
わざわざ先の火付盗賊改方長官堀帯刀秀隆に借り受け願ったほどの逸材である。



「そうさなぁ、あちらには代官所もあり、千人同心隊もおる、
頭数なら余裕であろう、後はどう盗人共を追い詰めるか、こう続けざまに
押し込まれてはあちらも面目なんぞ言うておる暇もなかろう・・・・・

まずは儂が出向こう、ここはお前に任せるゆえ頼む、万一の時に備え
小林を連れてゆこう、あとおまさだなぁ、商家の探りはあいつにゃぁ勝てぬ、
何しろ・・・嘗役(なめ役=押し込み先の内情を調べる役)、
引き込み(押し込み先に数年奉公しながら、いざという時は内部から手引する役)
何でもござれの強ぇ味方・・それに伊三次も連れてまいろう、
何かの時の繋ぎにゃぁ足が物を言う」



平蔵、まずはそのあたりから攻めようというつもりのようである。



翌日には平蔵一行の姿が八王子本町に見られた。



二人には落ち合う場所を心字池(しんじいけ)蛙合戦の散田町真覚寺
(しんがくじ)と決め、それぞれ探索に散った。



平蔵はまず陣屋に関東代官江川太郎左衛門英毅を尋ねる。



「長谷川殿、此度はわざわざの出役ご苦労様に存じます、
お聞き及びとは存じますが此度の3件にまたがる盗賊どもに、
我ら為す術もないと申しますか、正に畑違いの事ゆえ当惑いたしております」



「いやいや 無理もござりませぬ、戦場(いくさば)ならばまだしも、
相手が見えぬ盗賊となりますと・・・
胸中お察し申し上げます、ところでこれまでに判明致しし物あらば
お聞かせ願えればと、推参つかまつりましたるしだい」



「然様、それでござる、身共も御府内より駆けつけましたるばかり、
事件発生当初より当たっております八王子同心頭
秋庭周太郎がおりますゆえ、
詳しくはその者よりお尋ね頂ければと存じまする」



と、まぁこういった事情で平蔵その同心頭秋庭周太郎に会うために
甲州街道と陣馬街道分岐点の千人頭屋敷に山県助左衛門を尋ねた。






其の2へ続く



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4月号 金玉医者 その1

この日平蔵は登城から戻り、昼過ぎから深川方面に出向き、
夕刻本所菊川町の役宅に戻ってきた。

「お頭只今おかえりでござりますか?」

そう声をかけたのは火付盗賊改方同心木村忠吾
、両国橋を渡って突き当たりの元町にある"もゝんじや"に立ち寄り
「おやじ薬喰はいつ頃が美味いのだ?」
と情報を聞き出す。

当然のことながらお頭にそっと耳打ちすれば
「おお!それは又!」
と乗ってくださるに違いないという目論見があるわけであった。

年格好からして番頭とみられる格持ちの男が相手に出てき、忠吾の身形(なり)を確かめる。

着流しに落し差し、いつもの市中見廻り浪人姿の拵えであるが、
月代もこざっぱりとしており品格に欠けるほどのことでもない、
それを見て言葉を選びながら

「お武家様もご存知で御座いましょうが、
何と申しましても冬から春先の猪子は味も深うございます、
山里に雪が深まる前に木の実をしっかりと食べた三年から四年目の雌は
身もよく締まり脂も乗り、薬喰ともうしますように滋養もございます」
となかなか聞くだけでも食いしん坊の忠吾には涎の出そうな口上である。

(よしよし、これでお頭にご報告すれば
「忠吾従いてまいれ!」
とのお言葉もかかってこようというもの・・・・・)正にとらぬ狸のなんとやらである。

竪川に架かる一ツ目橋たもとを真っ直ぐ竪川沿い進めば、二ツ目橋たもとに
平蔵行きつけの軍鶏鍋や五鉄がある。

だがこの度は一ツ目橋を素直に越え、天明の大飢饉のあと天明六年(1786)
藩校「養老館」を設置し、寛政十二年(1800)藩士だけであったものを庶民にまで
その門戸を開き、医学を志すものには学資を貸与する制作を設けた
石見津和野藩八代藩主亀井矩賢(のりたか)屋敷の白い塀が竪川に揺らぐのを横に、
竪川を真っ直ぐ東に取り、徳右衛門町二丁目を右に南下して
陸奥黒石藩上屋敷津軽式部少輔(しょうゆう)の津軽藩木戸番所前を通りかかると、
中から木戸番の六助が
「あっ これはご苦労様でございます木村様、ただいまお帰りでございますか?」
と出てきた。

「おお 六助!孫娘のおせんは顔が見えぬがいかがした?」
と声を返した。

六助と呼ばれた六十すぎの老爺が
「先程観月(みずき)の女将さんからちょいと言付かりものをお届けに
向こうの浅草東仲町まで・・・・へい!」

「ほぉ 東仲町か、どこぞの大店の主にでも色好い返事を・・・であろう?」

「へへっ これは又お見透しのようで、
いえね東仲町の米問屋陸奥屋さんから馴染みの出居衆に当てた文のお返事でございましょう、
返事とても橋を渡るに行き来で十文かかりまさぁ、
両国ならば取られますまいにと女将さんがぼやいておりました、あははははは」
と歯の抜けた皺も目立つ顔で忠吾を見ながら大きく笑った。

出居衆とは深川の娼妓で通いの者を"呼び出し"と呼んだ。
その中でも娼楼に抱えられている通いの者と、自前で商う独立した娼妓に分かれる。
子供(深川では抱え娼妓を子どもと呼んだ)を抱えている自家営業見世は伏玉屋で、
多くの岡場所がこちらである。

外見は茶屋の構えであるが中はそれだけではなく春を鬻(ひさ)ぐ女を置いた。
彼女らは深川七場所、仲町・新地(大・小)・石場(古・新)・櫓下(表・裏)・裾継・土橋・
佃であるが、これ以外にも新開中洲・芝明神・麻布氷川・回向院前土手側・
三田同朋町などが存在した。

呼び出しは床芸者と言って芸者でありながら娼妓を兼ねた。
これらは客の呼び出しに応じて出向き、そこを揚屋にした。
それらの多くが船宿や小料理茶屋である。

そんなこんなの話を懐に木村忠吾菊川町の長谷川平蔵が役宅を目指し、
おりしも長谷川平蔵が南本所より戻ったところに鉢合わせしたと言うわけである。

「おお忠吾そちも戻ったばかりかえ?」
平蔵笠を取りながら色白でのんびりした顔の忠吾を見やった。

「はい市中見廻りも中々こうして楽ではございませんが、
まぁそれなりによいところもございます」

「そうか、近頃お前ぇは水練にも精を出しておるとか、
お前にしては珍しいことだと沢田が関心いたしておったぜ」

「えっ 沢田様がそのようなことをお頭に!
ははっ 侍はいつ何時上様の御前にて先陣を取るとも限りませぬ、
そのためにも日頃よりの武技の鍛錬が必要かと」

「おお そいつぁ尤もだ、ところでなぁ忠吾!お前ぇ市中見廻りは下谷・浅草の方であったな」

「はい この度組み替えでただ今はそちらの方に・・・・・」

「ふむ 何か変わったことはないかえ?」

「と 申されますと・・・・・」

今朝ほども城中にて湯屋のお定めが話題になっておった、
下谷は湯屋も多かろう、それなりに問題は起きてはおらぬかと聞いておるのだ」

「あぁ湯屋の混浴がご法度というおふれでござりますか」

「おお そいつだ、此度大目付より然様な触れが出たそうなのう」

「出たそうなのうではござりませぬお頭、私に取りましても、これは忌忌(ゆゆ)しき一大事」

「又大げさを申すでない、さほどの大事かえ?」

「無論でござります、これまでは町方のよもやま話など、
中々拾い出すのに骨を折ってまいりました。
されど、此度のお触書にてそれがいとも容易くなりましたもので」

「ほぁ そいつぁ又どのような理由(わけ)があるのだえ?」

「お頭!それはもう!そもそもおなごと申します者はおしゃべりが好きでございますから、
昼間湯屋に赴き、いやはや身の回りから人の動き、
商人の立ち話など小耳に挟みしものをしゃべる場となっております。
おなごは昼間が入浴時、男と申さば仕事終わりの駆けつけが普通でございますので」

「ふむ 確かになぁ、で?それがどうか致したか?」

「そこでございますお頭!これまでは昼間湯屋に参りますと、まず八丁堀と思われ、
顔も覚えられてしまい、なかなか伏せ事を聞くことも容易ではござりませなんだ、が」

「が?」

「はい、が、でございます、これからはそれが容易(たやす)うなりました」
ここまで木村忠吾一気に話しを続け、鼻の頭に汗を掻き掻きの入れ込みようである。

「で、それは一体どのようになったためなのだえ?」
平蔵、忠吾のあまりの入れ込みように少々乗ってきたフシも見え始めた。

「はぁそれが又湯屋と申しますか、商人の商魂たくましきと申しましょうか、何と!」

「おお!何と致した!」

「はい、何と湯船の真ん中に衝立を張りましてございます」

「へ~衝立となぁ、そいつぁ又・・・・・・」

「で御座いましょう?そのためにこれからは誰に遠慮もなく入り込み、
耳を傍立てることも出来まする」

「フム そいつぁ良いことではないか」
平蔵、傍らに控えていた同心松永弥四郎が意味ありげな顔で平蔵を見ていることに気がついた。
そう言えば忠吾の様子が少々可怪しい・・・・

「おい 松永!こいつぁ何か理由(わけ)ありと見たがどうじゃな?」

「お頭先程より木村さんの申されますこと、誠に都合の良い所ばかり」

「で? お前はまたどのように思ぅた?」

「はい さすがに商人の知恵は笑いが止まりませぬ、
何しろその衝立と申すものは湯の上側にのみにございます」

「おいおい 今何と申した?湯の上側のみだと?」

「はい正に!入込湯(いれこみゆ)と申しまして上部だけ衝立で仕切り、
それぞれ男湯女湯に分かれておりますが、下の湯の部分は行き来が出来ます、
従いまして・・・・・」

「つまり湯の中は男湯からでも観ることが出来る!」

「ははっ 全くさようで」

「ほほぉ お上も粋なことをなさるものじゃなぁ」

「お頭!それは・・・・・」

「いやいや 商人というものは中々に強(したた)か、
それでは男湯も昼間から大繁盛と言うものであろう、
八丁堀は蛻(もぬけ)の殻とか、わははははは、いやはや・・・・」

平蔵頭を掻きながら商人のご定法の裏をかいくぐる逆転の発想を呆れながらも感心していた。

「つまりうさぎ、お前ぇが昼間からちょいちょいと市中見廻りの間に消えるのは
左様な理由があったと言うわけだなぁ・・・・・」
じろりと平蔵に睨まれて木村忠吾

「あっ ははっ!まことお頭は恐ろしゅうございますなぁ松永さん」
忠吾平蔵の眼を松永に振ろうともがくものの

「私は木村さんと違うて小石川方面・・・中々にそのような場所も少ぅございますし・・・」

「あっ松永さん、それはないでしょう、
私はいつも湯屋ばかりで聞き込みを致してはおりません、全く不愉快でございます」

「おいおい 忠吾話に力が入るから増々そう思えてくるではないか」

「お頭ぁ・・・・・」

「まぁ良いわな、で何か拾ぅてきたのではないかえ?」

「いやこれが又面白い話でございまして、
どうやら声の調子からして老婆のようにございましたが、
話のやりとりから相手のおなごはその娘と想われます、これが又中々の・・・・」

「美形で・・・そこで日頃の水練の技を用いて・・・」
と松永が茶々を入れる

「あっ そのようなことは・・・
松永さんそれはないでございますよ、
私は声の調子と話のやりとりから左様に想ぅただけのこと・・・・・」
忠吾何故か汗をふきふきの体に平蔵

「忠吾!これ忠吾図星のようでほれ!汗を拭かぬか汗を、わははははは
で、その話の続きだが・・・」

「あっ さようでございます、その話の話でございました。
その婆様が若き頃大店の娘が気の病になったそうで、
八丁堀に住まい致しおりましたる元御典医の高橋玄秀先生にお頼みなされた所、
ろくにクスリも出さず只世間話に花を咲かせて帰られるだけでございましたが、
これまで如何様なる医者にても薬石効果の甲斐もなく治らなかったこの気の病が
日毎に良くなり、娘は玄秀先生の声がするだけで声を立てて笑うようにまで
回復いたしたそうにございます」

「なんと!気の病がのぉ」

「はい、それでお店の主がどのような薬を用いられたのかと尋ねたそうでございますが、
玄秀先生はただ笑うばかりで教えてくださらぬそうにございます」

「ふむ まぁ医者の妙薬と申すからのぉ」

「はい そこでございます、で私もその先が聞きとうて衝立に耳を押し当て
そばだてておりました」

「ふむふむ それでどうした?」

あまりしつこくお店の主が尋ねるものでございますので、
玄秀先生笑ってヨイショと立膝なされ、
「こうして脈を取るだけのことと」申され、チラと前身を割って見せられたそうにございます」

「ふむ 前身とな?」

「はいさようで」

「うむ 前身を割るとならば・・・おっ そうかそうかなる程なる程・・・」
平蔵ニヤニヤ笑うばかり。

「お頭何かお判りになられたようでございますが、私には一向に」
と松永弥四郎

「松永、お前には解らぬか?それ立膝を致してみろ!前をはだけばいかが相成る?」

「あっ!・・・・・」

「そうであろう?のう忠吾!その玄秀先生ナニを観せたのであろう?」

「やはりお頭お判りのようで、正にそのナニをちらりと覗かせたそうにございます、
ただそれだけで脈を取ることを毎日繰り返したために
娘は毎日そのナニがぶらりと揺れるのを観さされ、可笑しさに笑うようになり
鬱も消えて行ったそうにございます」

「さもあらん!事の本質を見ぬかねば打つ手もまた無駄なことに相成るということだな」

「ところがお頭、この続きがございまして」
忠吾これが言いたくてうずうずしている。

「よいよい申してみよ!」
平蔵腕組みしながら真剣な眼差しで忠吾の話しだすのを身構えている松永弥四郎を眺めた。

「その続きでございますが、それならば自分にも出来ようと主がもっと早く治したいものと
下帯(ふんどし)を外して玄秀先生の申された通り片膝立てましたるところ、
娘がそれを観て気を失ぅてしまったそうにございます、
慌てて玄秀先生にお伺いを立てましたる所、玄秀先生笑いながら
「何事もほどの良さというものが在る、むやみに多く与えるは、かえって毒になることも在る」
と言われたそうにございます」

「つまりなぁ松永!子を思う親の思いは四分六の小言が良いと言うことだ、
四分諌(いさ)めて六分は褒める、こいつが程の良さだと儂は思うておるがな」
平蔵この高橋玄秀という名医の名医たるところを感じたようであった。

「で木村さん、その娘はやはり美形でございましたか?」
松永の突っこみに思わず忠吾

「そりゃぁもう・・・」
慌てて口を抑えたが遅かった、目の前に平蔵の厳しい目が・・・・・

「もももっ!申し訳ござりませぬ」
忠吾頭を畳に押し付けて尻込みしかこの場を逃れる方法を思いつかない。

「忠吾!!」

「ははぁっ!!」
「やれやれ お前ぇは何処へ回してもそいつだけは変わらぬものだなぁ」

「全く面目次第も・・・」

「おい松永!明日より忠吾と持ち場を替わってやれ、さすれば此奴の病も治るかも知れぬ」

「おおおっ お頭!
それだけはご勘弁を願います、やっと慣れてまいっておりますゆえもう暫くもう暫くこの下谷・
浅草を回らさせてくださりませ、今後決してこのような・・・・・」

「ほぉこのようなとは、つまりお前ぇは水練の実践を致したと言うことだな!」

「あっ!  いえいえ決してそのことではござりませぬ」
忠吾の顔は引きつって油汗が吹き出すばかり。
それを眺めて平蔵腹を抱え大笑いである。

「まぁそれがお前ぇというものだ、だが御役目を蔑(ないがし)ろにだけはするでないぞ、
叔父上の中山茂兵衛殿に申し訳も立たぬでな」
平蔵釘を差したがさてさて・・・・・

「しかしお頭!同じ大川に架かっております橋でも渡り銭を取るとは誠に解せませぬなぁ」
忠吾先ほどの陸奥黒石藩上屋敷津軽式部少輔(しょうゆう)の津軽藩木戸番の六助の話を
持ちだした。

「おおあれか、(深川の 馴染みの遊女へ出す手紙 使いの者に駄賃出し)と申すであろう?

儂達は通行料を出す事ァねぇ だが町衆は大川橋(東橋・吾妻橋)を渡る際には2文(50円)の
橋銭を納めねばならぬ」

「それはまた・・・・・」

「フム、両国橋、千住大橋は渡り銭を取らぬが、新大橋、永代橋、東橋は
何れも渡り賃を納めねばならぬお定めである。

元々大川橋は町衆が願い出により、ご公儀がこれを許可した経緯(いきさつ)がある。
そのために万が一橋が倒壊いたした際に下流の橋に被害が出ることも予想されるにより、
その修繕費用を賄うようお定めになった。

ために橋銭は橋の袂に橋番屋を設け、ここで渡り賃を取っておるのだ。

何しろ長さは84間(150米)、幅はと言えば3間半(6.5米)こいつが流れた日にやぁ
両国橋とてたまらぬであろうからのう。

この番屋、中々多忙だそうな、人が通れば竹竿の先にザルを下げたものを差し出し、
渡り金を徴収、喧嘩や身投げと見れば仲裁から引き止めまで、
日々の手入れから落ち葉の季節にゃぁこいつを履き寄せるなぞ、
いやぁ中々の働き者と聞いたがな」
平蔵、忠吾の反応を見るべく顔を見たが

「お頭、それはまことに殊勝な心がけでござりますなぁ」
と全くもって嗚呼やんぬるかなである。

この大川橋、浅草花川戸から大川をまたぎ本所細川若狭守下屋敷の前に架かる橋。
大川橋は幕府の命名ではあるが、江戸の人々は、伊勢物語の主人公三十六歌仙の一人在原業平
(ありわらのなりひら)の東(あずま)下りの段にこの場所が登場するために
吾嬬橋・吾妻橋・東橋(あずまばし)と呼ばれるようになった。

『なほ行き行きて、武蔵の国と下総の国との仲に、いと大きなる河あり。
それをすみだ河といふ。その河のほとりにむれゐて、思ひやればかぎりなく
遠くも来にけるかなと、わびあへるに、渡守、
「はや舟に乗れ。日も暮れぬ。」
といふに、乗りて渡らむとするに、皆人ものわびしくて、京に、思ふ人なきにしもあらず。

さるをりしも、白き鳥の、嘴と脚と赤き、鴫(しぎ)の大きさなる、
水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、皆人見知らず。渡守に問ひければ、
「これなむ都鳥」 といふを聞きて、
名にし負はばいざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと、とよめりければ、
舟こぞりて泣きにけり』

在原業平が都を追われ東国(江戸~陸奥方面)に逃れる途中この隅田川の竹町の渡しを
船で渡ろうとした。
その葦原に集まって(想えば遠くまで来たもの)と慰めあっていた所、
船頭が「早く船に乗らなければ日もくれてしまう」と急(せ)かした。

みんなが京を恋しく思い出していた時、白い鳥で嘴と足が赤い鴫(しぎ)
ほどの大きさの鳥が水上で戯れながら魚を食べていた、京では見たこともない鳥に
「あれはなんという鳥だ」
と尋ねたら

「あれは都鳥だ」
と船頭が言った。
公家たちは
「都という名を持っているのならさぁ渡ろう、
我らの思っている人達は無事に暮らしているだろうか」・・・・・
と詠んだ為に、船に乗っていた人は皆泣いてしまったと言う内容に心をうたれ、
この橋を誰ともなく東(あずま)橋と呼ぶようになった。

南本所横川に架かる業平橋も彼ら一行が通った足跡を忍ばせる、
中々に風流な話ではあるまいか。

忠吾の水練実践の話が出たその後暫くは平穏な日々が続き、町廻りにも緩みが見え始めた頃、
またもや忠吾が(妙な話と)持ち込んできた話に平蔵の感がピクリとうごめいた。

「灰買いやの吉松が聞きこんで参ったものでございますが、
霊岸島大川端町の髪結床"びんびや"の女将の話では、
3日おきに顔を当たりに来る客があるそうで・・・・・」

「びんびやかえ?又変わった名前ぇではないか、
確かびんびと申すのは阿波は徳島その中でも鳴門では魚のことをさよう呼ぶと聞いた覚えがある
がのぉ、だが魚と髪結ではちと合点がゆかぬ」

「流石お頭!!いやぁご明察、この髪結床やの亭主が鳴門の出でございまして、
元々は魚屋が本業。
何しろ霊岸島は上方からの船も入り江戸前の魚も上がりますゆえ棒手振りなぞせずとも
商売になるそうで、その女房がこれまた働き者で、元々は浅草芳町で髪結床をしておりました折
り、今の亭主と知り合い亭主の棲みおります大川端町に住むようになったそうにございます」

「ほほぉまんざらでもねぇなぁ」

平蔵小耳に挟んだ物事もこのように役立つこともあるものだと、
いささか忠吾の褒め言葉が心地よく響いたものだ。

「で、そのびんびやが如何致した?」

「ああ 然様でございました、その髪結床の女将が申しますには、
どうも江戸(ここ)のものではないようで見かけない顔だそうにございます、
その男が新堀川を出入りする船について知りたがるそうで妙な客だなぁと・・・・・」

「ふむ 新堀川をなぁ・・・・・
確かあの当たりは新川・南新堀・塩町、新川大神宮一帯に下り酒屋・灰問屋が軒を連ねており、
弁財船・菱垣廻船・樽廻船・葛西船が出入り致し、上方から江戸へ酒を運ぶ樽廻船の番船競争な
ぞで速さを競っておるとか、以前粂八がそのようなことを申しておった」

「はい 正にその通りでございまして、ここで高瀬舟に積み替え、
この新川付近で分別され江戸に運び込まれます。
そのために上方から江戸へ入る上等品を下りもの、
逆のものをくだらないと申すそうにございます」

「はっ はははは 下らねぇかえ? 
こいつぁよく出来てるじゃぁねぇか、成る程のぉ、あはははは」
平蔵この洒落に腹を抱えて大笑いである。

「で?」

「はぁ?・・・・・」

「で、それからどうしたと聞いておるのだ」

「あっ はぁ・・・そうでございました、ここから船の出入りはよく見えますし、
商売がら大店の奉公人なぞも出入りいたしますので、
船に関しては中々の物知りと見受けました」

「うむ 髪結床はそのような情報(はなし)の集まる所・・・・・
おおっ 湯屋も然様であったのぉ忠吾!」

「お頭ぁ その話はすでに済んでおります・・・・・
此度は湯屋ではのぅて髪結床にございます」

「おお こいつぁうかつ!許せ許せ わはははは」
平蔵、忠吾の困った顔が面白いらしく程の良い酒のつまみになるようである。

「その話しぶりから川越方面への出入りにどうやら関心があるらしく、
いつ頃船が帰ってくるかを知りたがっておりましたようで」

「うむ 川越かえ?川越と申さば小江戸と呼ばれるほどの町、お江戸の母々様(かかさま)と
呼ばれるほどに、知恵伊豆と名高い松平伊豆守信綱様を筆頭に柳沢吉保様や越前松平家なぞ
大老や老中が配され納めてまいった由緒ある町、柳沢様のご家来衆荻生徂徠(おぎゅうそらい)
殿の建議にて三富新田開拓が功を奏し、農産物から絹織物なぞの特産品が目白押しで、
お陰でこの江戸は様々なものが手に入る。

いつぞやお前ぇがひょんな事からお縄に致した墓火の秀五郎・・・あ奴は川越の旦那とお前ぇの
相方お松が左様に呼んでおったのぉ・・・・・」

「あっ その儀ばかりは!!ずいぶんと前の話にござりますお頭!」
忠吾いろは茶屋の顛末に冷や汗がドォと吹き出した。

「まぁ左様に川越は豊かな土地、武蔵野国では最も大きく
関東でも水戸藩に次ぐ町と申してよかろう」

「そう言えばお松が申しておりました、川越のご隠居が(川越は柿と芋が美味いところだ)と」

「うむ そうだなぁ、先に川越に参ったおり出された茶が美味かった!
何でも河越茶と言うそうでな日本五大銘茶の一つだそうな」

「ははぁ!それは存じませなんだ・・・他にも何か?」

「そうだのぉ、醤油は笛木醤油とか申したかな、まだ新しい蔵であったが、
中々に上品な味が儂は気に入った。醤油と申さば濃口は下総の野田醤油、
こいつぁ行徳の塩と関東平野の穀物、これがあっての物、播磨の国の薄口醤油、
過日目白の茶屋(茶巾)で知りおうた名も知らぬ老人に持たされた周防柳井津の甘露醤・・・・まぁその辺りかな」

平蔵ふと懐かしくあの時の老沖仲仕を思い出していた。

「いや あの持たされた甘露醤油はこれまで味わったことのない
魚の旨味を引き出す工夫の跡の見えた逸品であった」
「おうおう済まぬ!話がどこぞへ迷子になってしもうたようだのぉ」
平蔵、忠吾の顔を見返して話の続きをと促す。

「川越通いの船と申しますと平田船、高瀬舟、それに飛切船と申します。
川越五岸から江戸までの36里(141キロ)の川筋を、並船は7~8日で往するそうで
、これとは別に川越を昼の七ツ(午後3時)に発って翌朝五ツ(午前8時)に千住
、昼前には花川戸に着けるという川越夜船まであり、
更に川越から花川戸までその日の内に下り、
翌日には川越まで上がるという早舟もあるそうにございます」

「ふむ さすがに川越と江戸は結びつきが強いようだのぉ、
そ奴は特に下りの船を気にしておるというわけだな?」

「はい そのようにございます」

「ふむ さてさていかが致したものか・・・・・
事件ではないゆえに盗賊改が出張ることも出来まい・・が、いささか気にはなるのぉ・・・・
ふむ・・・」
平蔵じっと腕組みして首を少し落とし考えこんでいる。

「八丁堀あたりは確か松永の持ち回りであったなぁ」

「はい 今は松永さんが日々見廻っております、松永さんをお呼びいたしましょうか?」

「おお そうしてくれ・・・」
平蔵何か思案が浮かんだのか忠吾に松永弥四郎を呼ぶように促す。

「お頭、及びとか」
松永弥四郎が廊下に控えた。

「うむ 松永!先程より忠吾がちょいと気になる話を聞き込みおってなぁ、
そこは霊岸島ということで、お前にちと頼みたいのだが、
こいつぁ御役目からは外れることゆえ無理にとは申さぬ、まぁ心がけておく‥・
その程度のものだがなぁ、どうだい?」

「ははっ お頭が然様に申されますのは何か気する処があるように存じます、
早速でございますがそのお話の内容を更に詳しくお聞かせ願えませんでしょうか?」

「おお! 引き受けてくれるか?こいつぁありがてぇ、
実は霊岸島の大川端町にある髪結床の"びんびや"に出入り致しておる男の様子を、
それと話に用心してはくれぬか」

「"びんびや"でござますか、又髪結には似つかわしくない妙な名前でございますなぁ」

「おお それが事よ、そいつはな、亭主が阿波は鳴門の産で肴屋を営んでおる、
鳴門言葉で魚のことをびんびと呼ぶそうな」

「あっ それはまた!然様でございますか、で、その男の何を用心致せばよろしいので?」

「うむ その男三日と開けずに顔を当たりに来る、その度に出入りの川船のことを聞くそうな」

「船の出入り・・・
でございますか?あそこは新堀川がございまして様々な船が行き来いたしております」

「うむ 下りの船を気に致しておったそうなで、そのあたりが目星にでもなろうか・・・
まぁ事件ではないゆえ探る程度でよかろう、よろしく頼む」

「では早速に」
そう言って松永弥四郎は出て行った。

それから三日四日と過ぎ七日目が終わろうとしていた。

「お頭!松永弥四郎只今戻りました」
松永が平蔵の部屋に声をかけ帰宅の報告にあがった。

「うむ ご苦労であった!別に変わった様子はなかったかえ?」
平蔵襖越しに声をかけた。

「それが・・・失礼をつかまつります」
と伸べて襖を少し開け

「確かにこの数日それとなく気を張っておりましたらば、
おっしゃられた通り男がやって来たのにぶつかりまして、後を微行(ゆけ)て見ました。

其奴は豊海橋の上から船番所や荷船の荷降ろし場を眺め、夕刻まで佇んでおりました」

「ということは船が戻ってくるところを確かめたと言うことだな」
平蔵、やはり感ばたらきがしたとおりに事が運んでいると感じたようである。

「はい 私も然様に感じましたので更に見張っておりましたが、
其奴猪牙に乗り新川をさかのぼってゆきました、申し訳ございません」
とうなだれた。

「よいよい ただ、其奴はやはり何かあるな、うむ一体何を探っておるのであろう・・・・・」
平蔵はその先が詰まっていることに少々考え込んでいる。

それから三日ほど過ぎた二月一六日

「霊岸島四日市塩町の江戸一番と言われる灰問屋"狭山藤二郎"方に賊が押し込み七百二十両
(しっぴゃくにじゅうりょう)あまりを強奪されたと南町奉行所に届けが
ありましたそうにございます」
と松永弥四郎が翌日夕刻平蔵の元に報告に来た。

「しまった!やられたか!!で、家の者に被害はなかったのか?」

「はい 何れも柿渋の布で顔を隠しておりまして、おまけに龕灯(がんどう)で照らされ、
面識をうかがい知ることは出来なかったそうにございます」

「ふむ 家人に災いのなかったことがまぁ救いと申さば救いよのぉ、
だがこいつぁ喰えぬ、我らに関わりあいは無いとは言えぬからなぁ・・・・・う~ん」
平蔵腕組みで片膝立てたままじっと壁を睨みつけている。

(たかが灰に、このような大規模な物があろうとはさすがの平蔵も認識の範疇にはなかった。

(言われてみれば確かに江戸3千万の民が毎日使うものから生まれる余剰品、
確かにわずかづつであれ、集まればちりも積もればの例えよな、
なるほどこいつぁちょいと儂もうか
つよ、髪結男との結びつきが不確かなままで、
その男を捕縛することもかなわず、さりとてこのまま捨て置くのはなんとしても気持ちが収まらない・・・・・う~ん!)

「松永!すまぬがもう暫くそ奴を見張ってみてはくれぬか?
もし其奴がまだ現れるようであらば、そいつはこの度の事件には関係はないと読まねばならぬ、
だが奴が髪結床に現れねば其奴は無関係とはいえぬと儂は思う」
平蔵、座りなおして
「まずはその灰問屋"狭山藤二郎"方の様子を見てきてくれ」
と命じた。

それから三日が明けた。
「お頭!松永にございます」
と外から声がかかった

「おお松永ご苦労であった」
そう言って襖が開いて中から平蔵が煙草盆を抱えて出てきた。
「で、どうであったな?」
キセルに草を詰めながら平蔵松永の反応を伺った。

「はい やはり盗賊が入って以来、あ奴は床屋に現れておりません」

「ふむ やはりそうであったか・・・・・」
平蔵煙管の雁首を煙草盆にポンと打ち付け、軽くふっ と吹いて煙管を置き

「もう少しその灰問屋を調べては見てくれぬか・・・
奴が新川を登っていったと申したな、その折船頭はおったのかえ?」
と言葉が出た。

「はい 私の見ました限りではあ奴と他に一人、これが船頭でございました」

「やはりなぁ・・・・・」

「何か?」

「うむ やはり粗奴らは少なくとも上から来たと想わねばなるまい」

「上・・・・・川越でございましょうか?」

「おそらくはなぁ・・・・・・」

「しかし」
「フム・・・然様、川越となると我らが係ることではない、
まずはあちらからの出方を待つ他ない、
それも奴らが間違いなく江戸外へ出たという確たる証拠(あかし)がなくば、
嫌ぁどうにもならぬ」

平蔵苦虫を噛み潰したような渋い顔であった。
結局この事件はこれ以上何事も起こらず、灰問屋"狭山藤二郎"は商いを再開した。

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4月号 金玉医者 その2

平蔵その後もこの事件が脳裏からはなれない・・・・で

「忠吾!忠吾は居るか!」

「お頭お呼びでござりましょうか!」
見回り支度の木村忠吾が平蔵の前に居住まいを正し控えた

「おお 忠吾!以前そちが灰買いやの何とか申したのぉ・・・・ええ・・・」

「ああ 吉松でございますか?」

「おお それそれ其奴じゃ、其奴に遭うことはあるか?」
「はい 毎日浅草から両国あたりの商家や門を付けて回っておりますので、
時折出くわしますが何か?」

「うむ ちと灰について詳しく知りたいのだがな・・・」

「承知つかまつりました、奴に会いましたらその辺りのことを詳しく訪ねてまいります、
おまかせくださいませ」
と意気揚々に出かけていった。

翌日夕刻木村忠吾が戻ってきて報告に上がった。

「忠吾 如何であったな?」
平蔵調書を見ながら忠吾に言葉をかけた。

「はい ちょうど花川戸の辺りで吉松に出くわしましたものでございますから、
呼び止めそれとなく聞きましてございます」
としたり顔で報告してきた。

「ほほぉ 何か良き話にでもなったのかのぉ・・・・・」
平蔵ニヤリと忠吾の顔を眺めやる

「ははっ それでございますお頭!灰買い・・・・・・
(もっこを天秤棒で担ぎ、各家庭や風呂屋、武家屋敷から商家まで幅広く灰を集めて廻る)
商売。

普通の家庭で出た灰は木箱や叺(かます)に保管し、商家などは灰小屋に貯めており、
これを仲買人や問屋に持込、問屋はこれを灰市に出すそうにございます」・・・・・

叺(かます)は藁筵(わらむしろ)を2つに折って両脇を閉じた袋で、
コールサック(石炭袋)として、戦後もドンゴロス(インド産の麻袋)
が入ってくるまで普通に使われていた。

千葉県の印旛郡では家どうしの交際仲間を(叺つきあい)と呼んでいる。
灰はアルカリ性のために土の改良剤としては必需品、
江戸は関東ロームと呼ばれる火山の噴火屑堆積物の長年沈着したものが春風による埃(ほこり)
状の形で堆積した鉄分の多い赤土質のために酸性が強く作物は出来にくい、
そこにアルカリ性の炭酸カリュームである灰を入れれば作物に適した良い土になる。

灰は他に茶道にも必需品、染色には繊維の脱色から脱脂、媒染、清酒の酸味の中和、防カビ、
焼き物の釉薬、食器の洗剤、消臭剤とその需要は幅広く必需品であった。

肥料の三大要素は窒素・リン酸・カリであるが、窒素とリン酸は下肥(しもごえ)で
賄えるものの、残るカリは下肥では取れない、そこに灰が必要というわけである。

窒素は葉に効果がある肥料、リン酸は花や実の肥やしとなるが、
問題は根に効果のある成分これが木灰(きばい)ということである。

当時江戸近郊は木材も豊富で、間引材(間伐材)や枝打ちした小枝、
雑木を山で燃やす灰山(はいやま)と呼ばれる作業があった程だ。

・ ・・・・「この灰買いは日々集めたものを霊厳
島にございます灰問屋に持ち込み、
灰問屋は集めた灰を俵に詰めて灰蔵に保管致し、毎月川越の南町にございます
灰市場の六濟日(ろくさいにち)で催されます灰市に集まってこれを売買いたします」

「六濟日となぁ・・・・・」

「はい 確かめましたる所、月の8・14・15・23・29・30の
六日にこの市が立つそぅにございました」

「おお よくやってくれた、でかしたぜ忠吾、
なるほどそれで奴らの押し込みが解って来たのぉ」
平蔵少し安堵の色を見せる。
だが、事件はここまで。

その後松永の報告にもそれらしき見込みの話も出ず、忠吾からもたらされる話となると、
やれどこぞの何が美味いのなぞという他愛のないものであった。

その中で平蔵の気持ちをそそるような話が"ももんじや"の山鯨の話である。

「ふむ 気晴らしに覗いてみるか・・・・・」
翌日平蔵はこの話を持ち込んだ同心木村忠吾を伴って本所元町に歩を進めた。
菊川町の役宅を出て北に上がり、陸奥黒石藩上屋敷津軽式部少輔(しょうゆう)の
津軽藩木戸番所前を通りかかると木戸番の六助が走り出て
「これは長谷川様!お見廻りご苦労様にございます」
とあいさつをしてきた。

横から木村忠吾が
「おい六助!お頭は本日はご多忙なんだ、用がなくば下がっておれ!」
と居丈高に横槍を入れる。

「へへっ へい!」
忠吾の言葉に六助驚いて
「ご勘弁を!!」
と引き下がった。

「まぁ良いではないかなぁ六助!本日は孫娘の姿が見えぬが如何いたした?」
笑顔を見せながら、退いた六助の方に声をかけた。

「あっ へい!先ほどまでおりやしたが さて、
川の方へでも行ったのでございましょうか・・・」と竪川の方を見やった。

「そうか 見かけたら戻るよう言っておこう」
平蔵、六助にそう言い残し竪川の方に足先を向け直した。

竪川を左に、大川の方に曲がった先が松井橋、これを超えれば軍鶏鍋やの五鉄・・・
(まぁ本日は行き先も定まっている事ゆえこちらの方は渡らずに・・・)
と前を見ると少女が二ツ目橋の袂で竪川を行き来する川船を眺めている。

「おお 忠吾!あれではないか?」
と、平蔵はその童に視線を促す

「ああ おせんにございます」
と忠吾が幼女に駆け寄り

「おせん!おとっつあんが心配しておるぞ、早く帰ってやれ!」と促すと

「は~い!」
と可愛い返事をして平蔵にむかってペコリと頭を下げ徳右衛門町の方へかけ出した。

「素直で良い子だ、なぁ忠吾!誰しもいつまでもあのようでありたいものよのぉ」
と忠吾の方に振り返る。

「あっ それはもしかしてお頭!まさか私のことではございますまいなぁ」

「さぁてどうであろうかのぉ  あはははははは」

平蔵らは二つ目橋を過ぎ一ツ目橋を北に上がり回向院門前を東に取り、
目指す元町"ももんじや"前に着いた。

辻の前は両国橋広小路につづいており、人の出入りは誠に多い。
両国橋は大川(江戸の人々は隅田川をこう呼んでいた)
に架かる橋で武蔵の国と下総の国にまたがったところから両国橋と呼ばれた、
長さ94間(200米)幅4間(8米)江戸では千住大橋についで2番目に架けられた
橋であり、本所・深川の発展に大いに寄与している。

明治30年両国の花火大会で群衆の重みに耐え切れず10米にわたり橋が崩落し、
死傷者が出たことから後の橋が鉄橋へ変更となるきっかけとなった。

「お頭此処でございます」
忠吾が得意気に平蔵に指さした。
店は中々小洒落た構えで平蔵好みであった。

「許せ!」
と忠吾が先に立って中に入る

「いらっしゃいませぇ」
明るい声で出迎えがあった。

「亭主二人だ!」
忠吾は小部屋を暗に用意させる気配りを見せた。
「はいはい只今ご用意いたします、まずはこちらに・・・」
と奥に案内(あない)をする。

落着いた拵えの部屋はさすがに両国の橋たもとの地場を生かしていると見た。
「亭主、まずは酒だ」
忠吾の言葉を引き受けて

「早速!」
と引っ込んだ。
間もなく酒肴が運ばれてきた。

「おっ こいつぁもしかしてサヨリじゃぁねぇのかい?」
さすがに平蔵この辺りはよく知っている。

「やっ これは驚きました、はい正にそのサヨリでございます、
生きの良いサヨリの頭を落とし、胴から包丁を入れ腑を取り出しまして中を綺麗に洗います。
頭の方から包丁を入れて3枚におろし、腸(わた)のあった処を切り取ります、
面白いことにこのように透き通る体なのに腹だけは黒い為に見た目も悪いので
この所は削ぎ取ります、ここからサヨリのようなと言う言葉が生まれたとか・・・」

「へへぇ要するにほかは綺麗に見えるが腹の中だけは黒いと言うことだな」
平蔵この亭主の物知りに感心しながらちらりと忠吾を見た。

その視線を感じ忠吾
「おおおっお頭ぁまさかこの私を・・・・・」

「うむ 気に病むことはあるまいそうでないのならばなぁ わぁははははは」

「それはあんまりなぁ・・・」
べそをかく忠吾である。

亭主は笑いながら
「皮を上にして皮の上から軽く抑え皮を剥ぎ、たて塩で締めますと甘みが更に増します、
それにゆず胡椒と細ネギに醤油をお好みで・・・・・」

「へぇ・・・たて塩かえ?」

「はい サヨリのような小さなものは振り塩だと万べんなく塩を振るのが難しゅうございますの
で、塩水と同じ程の荒塩水にほんの少々漬け込みます、これをたて塩と呼んでおります」

「なるほど、何事も奥を極めれば深いものもあるものよ・・・どれどれ・・・・・
うむ!旨い!確かにこう 甘みが口の中で広がり、
かすかな塩味がいやぁこいつぁ甘露甘露・・・

ところでなぁご亭主、先程店(ここ)に入ぇる前に両国のそばに駒留橋という橋があったが、
あれは藤堂和泉守様の駒(馬)でも繋いだところから付けられたものかえ?」

この会話に忠吾(お頭はどこまで見通されておられるのやら、
このような何気ないものにまで気づかれるとは)と半ばあきれながら感心している。

「ああ あの橋でございますか、あそこは藤堂様のお屋敷に出入りが良いようにと
架けられたとか、只その頃は名前なんぞはなかったようで、聞き伝えではございますが、
昔本所横網町に住んでおりました留蔵と申します者が三笠町のお駒という娘に惚れましたが、
お駒は留蔵になびかず、留蔵はお駒を殺し、片手片脚を切り落としてあの入り堀に投げ込んだそ
うにございます、それ以来あの入り堀に生える蘆は全て片葉になったとか、

それでこの堀は片葉堀と呼ばれるようになり、夜ともなればこの賑やかさは消え、
寂しゅうなりますので、夜鷹達が気味悪がって両国の橋番屋近くに集まるようになりました」

「ふ~む皆それぞれ何かを抱えておるという話だのぉ」
平蔵物事には些細なものであれそれなりの理由があるものと改めて感じた話ではあった。
そこへ猪鍋が運び込まれてきた。

「おお!来たぜ来たぜ・・・・」
平蔵待ちかねたように仕立てられる鍋を覗きこむ。

「お待たせいたしました、山鯨鍋でございます、山鯨は先ず鰹と昆布で出汁を取ります、
猪肉に粉山椒をまぶしこのように皿に並べてそれから野菜の下ごしらえ。
白菜・人参・大根やごぼうもよろしい、蓮根・菊菜やキノコ・
下茹でを済ませたこんにゃくを程よく千切り置き、小芋・生麩なぞも中々宜しゅうございます。

野菜を皿に盛り上げて土鍋に出汁を張り込み、江戸味噌と八丁味噌を塩梅いたしまして、
それに酒、味醂、砂糖を慣らし溶き込み、先ず猪肉を入れ野菜は煮えにくいものから
次第にひと煮えするのを待ち、最後に菊菜が宜しゅうございます」

「ほほぉ 味噌を混ぜるのかえ?」

「はい 味噌は大量の大豆や麹を強く蒸し長らく高温で熟成すると色濃く辛めとなります。
また茹でて甘みなどが流れ出した大豆を精白しました米や色目の少ない麹を多く合わせ
短い間に熟成させたものが甘い白味噌になります。

江戸の甘味噌は留釜(大豆を3日間無圧で加熱蒸し)致しますと、艶のある赤味噌が出来ます、
熟成も9~10日と短いのでございますが、塩分も少ないので夏場などは10日ほどしか
日持ちいたしません。
八丁味噌は駿府の岡崎城下から八帖ほど入った八丁村で作られる豆味噌、
蔵樽に川石を山形に積み上げ、ふた夏二冬熟成させたもので、
塩気も控えめでありながら沸騰させてもその風味が損なわれず、
濃い味のままなところがこの味噌の良さ、
そこで江戸前の甘味噌に八丁味噌を程よく塩梅いたしまして、
味醂、砂糖、酒を合わせて煮込み味噌を工夫いたしております」

「なる程そこまで拘(こだわ)ると、この先が増々楽しみになって来おったわい」
平蔵食べごろの合図をそわそわと待たされるのみ。

「う~~~~んっ まだダメかのう忠吾!もはや我慢の極みと思うがどうじゃ?」

目の前の鍋はグツグツと小気味よい音を立てながら味噌の香りに
山椒の微かな薫りが匂い立って平蔵を襲ってくる。

「おい もう良い頃合いではないか?!」

「お頭、まだ大根に火が通りきってはおりませぬ、
ほれかように色目がまだ白く残って見えます」

「いや構わぬ、儂は固めの大根が好物じゃ」
平蔵すでに箸を取り上げ鍋に顔を埋めるが如き様相。

「あれっ お頭は大根はとろけるほど火の通ったものが最上等と仰言りませなんだでございま
しょうや?あれは私めの聞き間違いと?」
忠吾日頃の敵をこの際と平蔵に待ったをかける。

「うんっ!いいや間違いではない、間違いではないがな、
本日はそのところは忘れて良いぞ忠吾、
ほれ猪が儂に喰われたいとそう申しておるようではないか、ななっ!」
そこへ亭主が追加の酒を運び寄り

「おお!程よく菊菜が色付きました、今が食べころ、
お熱ぅございますので小鉢で冷ましながらお召し上がりになられますよう」

その言葉も終わらぬ内に平蔵・・・・・・
ふうふう息を吹きかけたっぷり合わせ味噌をまとった猪肉を頬張った。

「んっ・・・・・・・・・ううっ!美味い!誠に美味い、肉の柔らかさに歯ごたえ、
野菜の甘味もしっかりと滲み出し、いやはやこいつぁいかぬ!
こいつを喰ってはもうほかのものを食えぬようになってしまうではないか、えっ!
のうご亭主!」

忠吾はと見ると、この平蔵の想っていたよりも大げさとも思える喜びように
箸を持ったまま鍋に手を伸ばすのも忘れ見とれている。

「おい忠吾!でかした!でかしたぜ、
このような近場にかような美味い猪鍋を喰わせるところがあったとはなぁ、儂もうかつよ」
平蔵カラカラと笑い声を上げた。

「お頭 その何でございますなぁ、灰屋事件もあのまま正に火が消えたように静かになりました
なぁ、灰問屋の狭山藤二郎・・・
再び灰の中から蘇りましたようで火種はまだまだ残っておったようにございますが」
とあっけらかんとしている。

「ふむ このままおとなしくしてくれておればよいが・・・・・」
平蔵はこの忠吾の一言に不安なものがむくむくと膨らんでくるように想えた。
だがこの感触は現実のものとなって再び平蔵の耳に届いてきた。

時は弥生の月を迎え、町も華やいでいた。

「お頭!川越の本町にございます灰商いの大店"白子屋"に賊が入り
一千両近くが強奪されたそうにございます」
駆け込んできたのは松永弥四郎。

「なにィ!!」平蔵は剛力で頭を叩き潰されたほどの衝撃を覚えた。

(まさかまさか・・・・・)あの霊岸島の事件以来、ふと頭の隅に湧き上がってくる、
言い知れぬ黒雲のような感触が現実のものとなったのである。
(ぬぅ・・・・・)

「松永、それの出処は何処からのものだ!」

「ははっ いつぞやの灰問屋"狭山藤二郎"の前を通りかかりましたる所、
どうも人の出入りが尋常でなく、気になりまして尋ねましたる所、
先ほど下ってきた平田船の船頭が知らせたそうにございます」

「で、詳しいことは聞かなんだか?」
平蔵はこの事件はやはり狭山事件と関係があると感がピリピリ走った。

「はい 船頭も川越を出る寸前に知ったようで、
あまり詳しくは話さなかった様にございますものの・・・・・」

「ものの・・・・?」

「はい盗賊は十名ほどで、皆顔を隠し刀は差さず無言で、従い言葉訛りも知れず、
内の一人、頭と想われるものが
「金蔵へ案内しろ」
ただそれだけだったようで、主は恐ろしさのあまりただ震えるのみで、
代わりに女房が参ったそうにございます」

「ふむ それで怪我なぞはなかったのか?」

「はい その方は全く皆無事だったようでございますが、
全員一つの縄で縛られ大黒柱に数珠つなぎだったようで、翌朝通いの大番当がこれを発見、
ことが発覚した模様にございました」

「ううううっ おのれがぁ!!」
平蔵のこめかみに青筋が走る。

喉元まで刃を突きつけているのに、その先が全く展開しないもどかしさばかりがつのる。

「で、郡代は!奉行所はいかが致したのか!」

「その辺りを南町に立ち寄りおたずねいたしましたが、こちらの方へは漏れていないとの事」

「ふぅ~~~」
平蔵深い溜息をついて

「手口も割れ、目的も判明いたしておるに打つ手が無い!何とももどかしい!」
平蔵意を決して南町奉行池田筑後守長恵に目通り願った。

そこから判明したことは先の霊岸島大川端町"狭山藤二郎"事件の調書の結果であった。
これは平蔵が松永弥四郎より聞き込んだ話とさほどの開きもなく、空振りに終わってしまった。

それから数日、平蔵にとって悶々とした時が流れた。

此処は下谷二丁目提灯店"みよしや"折しも馴染みの女郎およねに
「ねぇ いっささぁん お客が来たのよぉ」
と無理やり送り出されて伊三次は表に出た。

「しゃぁねぇやな、こっちは半分居候、客とあっちゃぁ四の五の言えやぁしねぇやな」
一人ブツブツ言いながらぶらぶらと下谷廣徳寺前を浅草に向かって歩きながら
(ちぇっ!)と廣徳寺の溝(どぶ)に石を蹴り込んだ時、廣徳寺から出てすれ違った男が
「伊三次じゃぁねぇかい?」
と追いかけて伊三次の前に回り、こう声をかけてきた。

「だれだいあんたぁ」
伊三次は少し警戒しながら相手の顔を見る。

「無理もねぇやな、まだお前ぇがガキの頃でよ、
小遣い稼ぎにお頭の下で使いっ走りをやってた頃だからなぁ」
伊三次に耳打ちするように小声で話しかけた。

「お頭?一体どこのどういうお頭でぇ」
伊三次は身に覚えがあるだけに無視することも出来ず、その男の言葉に付いていった。
上野三丁目泰宗寺向かいの下谷稲荷境内で石段に腰を下ろし、男は背中の荷物を横に下しながら

「伊賀の音五郎・・・・・」
と小さな声で言った。

「なななっ何だとぉ伊賀の音五郎・・・・・」
伊三次は二昔近くのことをまざまざと思い出していた。

二歳の時伊勢・関の宿で捨て子にされ、そこの宿場女郎達に育てられた。
この中に下谷二丁目提灯店"みよしや"女郎およねの母親(お市)がいた。
伊三次はこのお市にたいそう可愛がられた経緯(いきさつ)がある。

本人同士は知らないが、この伊三次とおよねは一緒に育った時期があったということである。

十歳で岡崎の油屋に奉公に出されるが、やがて江戸に流れてくるまで、
小遣い稼ぎでほうぼうの無頼者や盗人とも馴染みとなり、後 
盗賊四ツ屋島五郎の走り使いをしていたところを御用となり、後長谷川平蔵の密偵になった。

「あんたは誰でぃ」

「俺かい 俺ぁ番馬の利助、今は伊賀の音五郎親分を離れて久しく、
ちょいとしたお頭の下でこうして動いてるってぇことだがよ、お前ぇは今何しているんでぇ?」

「俺かぁ 俺ぁ大滝の五郎蔵お頭の手伝いよ」と思わずそう応えてしまった。

「大滝の・・・・・そうかい、やっぱりこの道から足は抜けていねぇんだなぁ」
ジロジロと伊三次の頭から足のつま先まで舐めるがごとく見定めて

「で、ヤサはどこでぇ?」

「どこって決まったところなんかありゃァしねぇさ、金があるときゃぁこうやって女郎を買い、
無ぇ時ゃぁ橋の下でもおまんまとお天道さまは付いて回るってよっ」

「そうかい、じゃぁどうでぇ昔のよしみでちょいと小遣い稼ぐってなぁ・・・・」

「小遣い稼ぎかぁ?何でぇその仕事ってぇのは?」
伊三次は盗みの手伝いというからには大きな仕事ではないと感じ、水を向けてみた。

「なぁにテェしたことじゃぁねぇ、ちょいとした下調べってぇほどのことだけどよ、
まぁお前ぇ小遣いぐらいにゃぁならぁな」
深く話さないところを見るとまだまだ気心を許しているわけではないようである。

「俺ぁどうすりゃぁいいんでぇ?」
伊三次は小石を蹴飛ばしながら不服な気持ちを覗かせる。

「まぁそう慌てることでもねぇからよ、この辺りで又会おう」
そう言い捨てて荷物を担ぎ不忍の弁財天の方へと立ち去っていった。

「後を微行るのも何でございやしたもんで・・・・」
伊三次は菊川町の役宅を訪れてそう報告した。

「おお よいよいそれで良い、何れ向こうから繋ぎをつけてくるだろうよ、
まぁそれからってぇことで、で?お前ぇのカンはどう答えを出したな伊三次」
平蔵はこの若者の性格をよく把握している。

「へい!元は伊賀の音五郎お頭の下に居たってっぇ事でございやすから稼業は同じ盗人と、
ですが長谷川様、お頭の名前を聞いてもはぐらかす辺り、まだまだ用心しているものと」

「ふむ 儂もそう視る、となるともしかして名うての盗賊(ぬすっと)かも知れねぇなぁ、
まぁ其奴が繋ぎをつけてくるのを待つしかあるまい、ご苦労であった伊三次」
平蔵は濡れ縁に腰を下ろし、
煙草盆を提げて伊三次の報告を聞きながらゆっくりと紫煙をくゆらせる。
それから3日の時が流れた夕刻、伊三次が役宅に駆け込んできた。

「おお 伊三次!何か繋ぎでも取れたと見ゆるな!」
敷居に腰を落とし、後ろ手に煙草盆をまさぐりながら平蔵、
裾前をぽんと割って伊三次の顔を見た。

「長谷川様 繋ぎが来やした、お頭の名は相変わらず明かしやせんが
どうやら大物のようで・・・只 妙な話で、
浅草駒形町呉服問屋"多賀屋"の飛脚の出入りを知らせて欲しいってんでござんすがね」
伊三次は少々気に食わない様子で平蔵に報告した。

「何ぃ 飛脚の出入りとな?」

「へぇ 一体それが何になるのかさっぱり・・・・・」

「ふむ・・・ で、引き受けたのだな?」

「へぇ ですがね長谷川様、野郎は盗人の一味に違ぇありやせん
、何で飛脚に興味があるんでござんしょうねぇ」

「そうさなぁ、飛脚といえばまぁ大概が連絡とか商いのやり取り・・・
ふむ まぁ何だ、とりあえずそいつを続けてみるしか仕方あるまい、
何か変わったことがあらば彦を近場に遊ばせておくから、そいつで繋ぎをつけてくれ」
そう言って平蔵木村忠吾を呼び寄せ彦十に繋ぎを付けるよう命じた。

しばらくこの件は平穏に過ぎていった。

伊三次が立ち寄って十日ほどの時が流れた。 

その日もそろそろお天道さまも西に傾きかけ、足早に秋の気配が訪れようとしていた。
空を見上げれば、秋茜が夕日を背に真っ赤に染めて群れをなし泳いでいた。
表から酒井祐介が
「お頭彦十が参っております」
と報告してきた。

それと同時にコトンと小さな音をさせ裏の枝折り戸が開いたようで人の気配がした。

「長谷川様」
白髪頭を掻きながら密偵相模の彦十が入ってきた。

「おお 彦!参ったか、まぁこっちへ入ぇんな、で伊三次からの繋ぎでもあったと見ゆるな」

「真平御免なすって!」
彦十 平蔵の傍に控える坂井や筆頭与力佐嶋忠介の視線をかいくぐるように
平蔵の座している方に向かい腰を落とした。

「なにか変わったことでもあったのかえ?」
平蔵飲みかけの茶を持ったまま縁側に出てきた。

「へい!伊三次が長谷川様にこう伝えてくれと言いやしてね」

「おお どのようなことだな?」

「へぇ 飛脚はほぼ3日置きに出入りしやす、そいつをつなぎの野郎に伝えやしたら、
野郎(やはりくさいいちのようだなぁ)とこぼしやしたのを耳に留めたそうで、
そう長谷川様にと・・・」

「くさいいち?そいつぁ何だ?誰かこのことを存じておるか?」
と居合わせたものに投げかけた。

「お頭!もしやそれは市の開催日では?」
話を引き継いだのが筆頭与力佐嶋忠介。

「何!市だと申すのか?」

「はい 市場は三日市・五日市・十日市なぞと呼ばれますように、
その市の立つ日にちが決まっております、例えば1と六の日に立つ市を
三斎市と呼ぶそうに聞き及びましたが」

「あっ!なるほどそうであったか!と言うことは九斎市とはいつであろうかのぉ・・・ふむ」
平蔵少々腕組みを拵えてじっと空を見上げ深く息を吸い込んた。

「彦十そいつをちょいと探ってぇくれぬか」

「合点承知の助まかしておくんなはい」
彦十その場からすぐさま枝折り戸の方へと出て行った。
その日の内に彦十役宅に舞い戻って来

「長谷川様!判りやしたよ判りやしたよ!たいていは三斎市だそうでござんすがね、
小江戸(川越)じゃぁ取引が多くて2・6・9に市が立つそうでございやす」

「何だと!てぇことは奴らの狙いは川越と決まったようなもの、おまさを呼べ!
それと五郎蔵もな」
平蔵そう彦十に下知した。

「がってん!そう来なくっちゃぁねぇ!
へへへへこれで伊三次も張り込んだ甲斐があったってもんでござんすねぇ」
と鼻の頭を刷り上げてみせた。

しばらくしておまさと五郎蔵の夫婦が平蔵の前に控えた。

「おおよく来た五郎蔵、それにおまさ!ちょいと込み入った話になるのだがな、
今からすまぬが川越まで足をのばしてもらいてぇんだ」

「川越でございますか?それは又どのようなご用向きで?」

「それそれそこんところよ、実はな伊三次が昔の仲間に誘われてチョイとした探りを頼まれた、
そいつがどうも九斎市と言うものと関わりがあるようでな」

「はぁ 長谷川様そいつぁ間違いございやせん、
小江戸は他所(よそ)と違い御府内に次ぐ賑わいの所、
九斎市(くさいいち)は2・6・9・12・16・19・22・26・29日に市が立ちやす」

「やはりなぁ、さすがは大滝の五郎蔵存じておったか」
平蔵こっくり頷き関心の様子に

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4月号 金玉医者 その3

「ですが長谷川様小江戸は中市と外市もございやして、
両方となると少々広くて時が掛かるかも知れやせん」

「それを見越してお前ぇたちに助(すけ)てもらおうと言うことさ」
平蔵顔を見合す二人の様子を交互に眺めながら口元をゆるめた。

「まず川越の絹問屋を調べてくれ、繋ぎに粂を付けてやろう、
それでわかったことをこっちに知らせてはくれぬか?これは当座の費用だ」
平蔵、懐紙を出して金子を包み五郎蔵に渡すよう控えている酒井祐介に手渡した。

「へい お預かりいたしやす」
五郎蔵おまさの二人が腰をかがめ平蔵に挨拶して出て行った。

「お頭!川越まで10里は優にございます、それに粂八に・・・・・」

「うむ あいつならまだ若ぇ、川船よりも早ぇんじゃぁねえかい?」
この平蔵の読みは当たった、翌々日には粂八から第一報が盗賊改の役宅にもたらされた。
それによると、機織りされた物は取りまとめされるところで商品に名札をつけ、
尺、目方、品質などを書き込んで置く。

川越は相当数の絹宿と呼ばれる絹仲買が存在し、
彼らは地方をまわって養蚕家や機織場を取りまとめている庄屋などで買い付け、
それを毎月の九斎市に出す。
ここに問屋が集まり買い付けをする。
このような定宿や店を構えているものもある。

「その一つに浅草駒形町呉服問屋"多賀屋"の出店で、
はぁこいつがなんとも買次人の宿がございやした」


「何だと!てぇ事は川越で集めたものを己の店に転売するということではないか」
「へぇ 商人はどこまでも抜け目のない者のようで・・・
おまけに御政道のあおりで絹物はご法度、そこで目をつけたのが裏衣・・・
表は粗末な太物でも裏は細糸の平絹・・・こいつぁ飛ぶように売れやす」
粂八、手渡された湯呑みで喉を湿らせながら平蔵の顔を見上げた。

すると飛脚が届けるのは買い求めた物の引受証・・・・・」

「のような格好でございやすね」
粂八は平蔵の読みに合点がいったらしく頷いてみせる。

粂八の報告では、仲買商の絹宿から絹市へ持ち込まれた物を買次人(卸問屋)から
絹問屋が買い付ける、それを川越以外の所は街道を使って江戸に持ち込む。
ところが、浅草駒形町呉服問屋"多賀屋"はそれらを川船に乗せて一夜の内に
浅草花川戸まで持ち込んでしまう。

おまけに、取引額は前もって判明している、ゆえに販売価格もどこよりも早く設定でき、
売りさばくにも好都合というわけである。

当時の飛脚という物は、定飛脚出所(問屋・どいや)では
毎月2の日に3回(2・12・22日)程度集荷があった。

公儀の継飛脚は宿場間を二人一組で取り次ぐので、大抵が2~3里(8~12キロ)
が普通であり、これを時速8キロ程度で走り繋いだ。

大名専用のお抱え飛脚は大名飛脚と呼ばれ、定飛脚(町飛脚)は
東海道に28ヶ所取次所が設けられた、だがそれ以外の場合は取次なく、
通飛脚(とおしびきゃく)と言って一人で走り抜けた者や、
仕立て飛脚と呼ばれる専用の飛脚便もあった。

江戸・川越間は伊能忠敬の計測によると10里34町33間半(約43キロ)
40キロといえば現代のフルマラソン(42,195キロ)でも五時間はかかる事になる。

時は道路整備も無いのであるから、これ以上かかったと考えねばなるまい。
絹は蚕2600頭(匹ではない)で生糸600グラムがまとめられ、
おうよそ着物1着分取れる。

こうした背景の中、武州川越では年間の平絹生産は15000疋 
(3000反)に及んだ。
如何に広範囲に養蚕農家や機織り場があるかがうかがい知れる。
そこへ伊三次が息せき切って飛び込んできた。


「長谷川様!おおっ粂八さんまで」

「おお 伊三次変わったことがあったようだなぁ」

「へぇ 大ありのコンコンチキ!繋ぎを取ってきた野郎が
(ご苦労さんだったなぁ)って一両あっしの袖口に放り込みやぁがり、
さっさと引き上げやした。
慌ててそいつの後を微行やしたが、野郎!川船に乗り込み大川をのぼりやした、
申し訳ございやせん」
伊三次は両手をつき無念そうに平蔵を見上げた。

その頬に一筋の涙を平蔵は認めた。

「伊三次案ずるな、仕方のねぇことだってあらぁな、たとえ俺でも同じことだったと想うぜ」
と伊三次をなだめる。

「だけど伊三さんの気持ちもよっく解りやす、
結局奴らのことは何一つ判らずじまいでござんすからねぇ」と粂八。

翌々日五郎蔵とおまさの夫婦が慌ただしく菊川町の平蔵が屋敷、
火付盗賊改方の前に現れたと山田市太郎が知らせてきた。

「何!五郎蔵が帰ぇってきたとな!すぐにこれへ通せ!」
平蔵は控えている木村忠吾に
「忠吾茶を持ってきてやれ!」と命じた。

「あのぉお頭にでございましょうや?」

「馬鹿者!儂ではない、五郎蔵夫婦だ!」

「あっ 私がでございますか?」

「おい忠吾お前には出来ぬと申すか!」

「あっ はい いえそのようなことではなく」

「どのようなことと申すのだ、早く持ってきてやれ!」

「はっ はい!只今!」
と木村忠吾不服そうに下がっていった。

「すぐに茶も来よう、まずは喉を湿らせ!
でその慌てようから何か引き起こったのであろうな?」

平蔵の引き締まった態度に周りの空気がピンと張り詰めた。
そこへ木村忠吾が湯呑みを持ってやってきた。

「??????!なにかございましたので?」
と、至ってのんびりとした顔を見た筆頭与力の佐嶋忠介

「忠吾!お前にはこの空気が読めぬのか!」と一喝

「はぁ?・・・・・ははっ!面目次第も」

「とにかくまずは喉を湿らせてからだなぁおまさ」

平蔵は疲労の色も濃いおまさにいたわりの声をかけた。

「長谷川様!やられました!!」
大滝の五郎蔵は湯呑みを受け取ったままその場にうなだれた。

「何だ!何が如何致した!?」

「小江戸にございやす買次人の大店"田賀屋"が破られました!」

「何だと!!」

さすがの平蔵もこの五郎蔵の報告は予期していなかった。
「そいつぁどういう事だ五郎蔵!」

「昨日川越南町の"田賀屋"に賊が押し込み、箱(千両)がひとつやられたそうで、
金子の両目は定かではございませんが町奉行所が大騒ぎしておりました。
おそらく粂八さんに繋いだ通り、為替飛脚の引受証を換金した直後を狙ったようでございます。

店の者に怪我人はなく、あっという間の出来事だったようで、
店の者も全員が一箇所に集められ皆数珠繋ぎに縛られて、
賊は金を麻袋に詰め替えて小分けし、立ち去ったそうでございやす」

「くくくくくっ くそぉ!!またしても・・・・・・」
平蔵歯をギリギリと食いしばり、手にしていた調書を床にたたきつけた。

居合わせた面々は一様に沈黙し、無念の顔相で下を向いたまま
誰一人顔を上げることも出来なかった。
後ひと手・・・・・手の内に入りかけたものが、ものの見事にすり抜けて行った無念さを、
平蔵はどうすることも出来ず(ンむ!!!!!)と両腕を組み濡れ縁を行ったり来たり

「あのぉお頭?お茶でもお持ちいたしましょうか?」
木村忠吾気を利かせたつもりではあったのだが・・・・・・

「クソぉ忌々しい!!」
平蔵の語気に圧倒されてその後が続かない忠吾であった。

「お頭!」
後ろに控えていた筆頭与力佐嶋忠介が平蔵を見上げながら恐る恐る声をかけた

「・・・・・・・・」
平蔵無言で佐嶋を見返すその瞼はピクピクと震えているのが手に取るように見えた。

「お頭 これまでに起こった押し込みの調書を元に、
符牒のあうところを書き比べてみましたが・・・・・」

「で? なにか判ったのか!」

「はい まずは霊岸島四日市塩町の灰問屋"狭山藤二郎"この折の調書と
川越本町灰商いの大店"白子屋"それに、先程五郎蔵が申しました川越南町の
"田賀屋"の手口が似通うておりますように・・・・・」
平蔵佐嶋の差し出す手控えを眺めながら

「ふむ 確かになぁ金子を詰め替えるところや、店の者に手出しもなく傷つけることもない。
片や川越、残る一つが霊岸島、なれど何れも川越での九斎市、
しかも、直に店に仕掛けを持つ気配すらなく、何の関わりもねぇように見ゆるが、
そこんところが一番気になるのぉ」
平蔵やっと気を持ち直したのか佐嶋の意見に耳を貸す。

「誠に・・・・・・・」
控えめではあるがこの佐嶋忠介、平蔵が火盗改を拝命した際、
先役の盗賊改堀組、堀帯刀秀隆の筆頭与力であったこの男を借り受けたのである。

ほったて小屋とまで揶揄されたこの組の屋台骨を、
一人で支えていたのがこの佐嶋忠介であった。

平蔵には少しばかり年上の、この剃刀のように切れる無口な男は、
何より頼りとなる懐刀である。

「のう佐嶋、お前ならこの後どうする?大店3軒で盗んだ金は半端なものではない、
押し込みの頭数もさほど多くはないということは・・・・・」

「納金?・・・・・・・では」
(おさめがね=盗賊が引退する時仲間に分け与える手切れ金)

「うむ 儂もそう見たのだが・・・・・やはりなぁ・・・・・・」
平蔵両腕を袖口に引き込めて片手を懐から出し、
顎をはさみながらじっと濡れ縁の板目を観ていた。

それを聞いて、大滝の五郎蔵
(そうならば、出来ることならこのままそっとしておいてやりたいもの・・・・・)と
一瞬そんな思いが脳裏をかすめた。

「おい 五郎蔵!つまらねぇことを考えるんじゃァねぇぜ・・・」

「ええっ!  ああっ はい!承知しております」
慌てた様子の五郎蔵を横目に見ながら

「あのぉ お頭?一体何のお話で?」
と、その場の空気が読めず木村忠吾

「何でもねぇよ なぁ五郎蔵・・おまさ」

「は!長谷川様!」
五郎蔵とおまさが深々と頭を下げた。

「よいよい だれでもこのような時は思うことも又同じよ!だがな!
お前ぇ達ぁ俺の手足・・・
そこんところを忘れるんじゃァねぇぜ」

「はっ長谷川様ぁ・・・・・・」
五郎蔵とおまさの眼が潤んでいた。

「伊三次、お前ぇだけが繋ぎ役の顔を見知っておる訳だな、
もう一度奴らがやるかどうかも今のところ5分と5分・・・
それに、もしこいつが粗奴らの納金ならば、後を誰かが引き継ぐことも考えられよう、
そのあたりも気になるところだ、そうだのぉ佐嶋」

「然様にございます、お頭の申されますように、これで終わったわけではございません、
何一つ変わってはおりませぬゆえ、次の一手を打つべきと」

「よし決まった!猪牙で後を消すところからも、川筋と儂はにらんだ、
となると奴らのねぐらは江戸と川越の間の何処かであろう、
だがこいつを見はるにゃぁ広すぎる。
そこで儂はもう一度伊三次に賭けてみようと思う」

「あっしにでございやすか?」
伊三次が瞼(め)をまん丸にして平蔵を見た。

「うむ もし儂が粗奴らの仲間で、こいつぁ例えだがなぁ、
そ奴らの誰かが後を継いだとすると、てぇげぇは跡目相続の争い事になる、
何しろ気馴れた者がそのまま手に入ぇる、
するってぇと割れるなりなんなりで仲間が減っちまう、そこで・・・」

「誰かを誘う・・・こうおっしゃるんで?」
と伊三次

「さすがだな伊三次、その通りよ。お前ぇなら証明済みだ、で ・・・・・」

「あの当たりに張っていりゃいいんでござんすね長谷川様!」

「正に!俺ならお前ぇを探すにゃぁ一番当たりのいいところだと思うからな」

「では早速・・・」

と立ち上がったところで平蔵
「伊三次ちょっと待て!」

「へっ?」
立ち上がって踵をかえそうとするそこへ平蔵

「そのためにゃぁ戦金(いくさがね)も必要(いる)だろう、こいつぁ少ねぇが持って行きな」
そう言い懐紙に小粒をいくつか挟み、伊三次に渡すよう忠吾に手渡した。

「・・・・・・お預かりいたしやす、そいじゃぁあっしは今から」
と伊三次が裏木戸へとかけだしてゆく。

それを見送りながら木村忠吾
「お頭・・・一体どういうことになるのでございます?」
と聞いてきた。

「忠吾!よく聞けよ、此度の事件は直接我ら盗賊改には関わりのない事、
だがお頭としては伊三次との拘わりがある、故に伊三次を手配りしておけば、
再びあ奴らからの繋ぎが来るかも知れぬ、然様お考えなのだ」
と傍から佐嶋忠介が口を入れる。

「ああ・・・然様で・・・なるほど然様でございますなぁ、さすがはお頭!
なさることに祖つがござりませぬなぁ、あははははは・・・・・」

平蔵頭を掻きながら
「おいうさぎ!人参でも喰って、もっと血の巡りをよく致せ!ったくお前ぇと言う奴は」

「えっ?私が何か?」

「忠吾!見ろ!」
佐嶋忠介が控えている五郎蔵とおまさの方へ顎をしゃくってみせた。

二人とも顔を下に向け横を向いているが目のあたりにシワが寄っている。

「きっさまぁ!おい五郎蔵・おまさ!何がおかしい!」と激情する忠吾に

「めめっ滅相もございません、笑うなどと・・・」
五郎蔵の顔はそれでも目尻の方は緩んでいる

「忠吾!もう良いではないか!下がっておれ!五郎蔵・おまさご苦労であった、
下がってゆっくり体を休めてくれ」
平蔵はそう言い残して襖を閉めた。

外では、まだ何やら忠吾の荒がった声が聞こえていたが、やがて静けさを取り戻した。

「やれやれ やっと気が収まったと見ゆる」
と平蔵苦笑いをしながら冷めた茶をすする。

それから一月ほどの時が流れ、その間何事も無く過ぎたかに想えた。
今日も今日とて、下谷二丁目提灯店"みよしや"言わずと知れた"およね"の部屋

「ねぇねぇ いっさっさ~ん!ゆんべさぁおかしな客がいてさぁァ・・・・・」
およねは伊三次の盃を取り上げ、新しく酒を注ぎ口に運んで上目遣いに伊三次を見た。

「何でぇその妙な事ってぇのは、どうせろくな事じゃァねぇんだろう!」
と、およねの飲み干した盃を取り返す。

「あははははぁ それがさぁ、ちょいといい男でさぁ ふふふふふ」

「なんでぇ気色の悪い、お前なぁこんな時に他の男の話をするかぁ?!糞面白くもねぇ」
伊三次盃を放り投げてひっくり返り、滲みだらけの天井板の模様を睨みつけた。

「あっ!ほらあそこに鍾馗さまみたいな滲みが見えるじゃァない!
変なのってあたいいつも見上げる度に思っちゃって、
ついつい笑ってしまってお客さんに怒られちゃうんだぁ」
とケラケラ笑う。

「馬鹿かぁお前ぇ、客の腹の下で上見て笑われりゃぁそりゃぁどんな客だって怒らぁなぁ」
伊三次呆れておよねの顔を見た。

「ほんとよねぇ、嫌だぁアタシ、あははははは」
大口開けて笑うこの横顔が何故か伊三次は気の安らぐ思いがするのである。

「で そいつがどうみょうなんでぇ」

「ああ それよぉ 一服点けながら
(この辺りで遊び人の伊三次ってぇのを知らないか?ってさぁ、
ネェそれってもしかしたら伊三さんのことじゃぁなぁい?
やぁだぁ、あたしったら伊三さんのことだと思ってその人に話しちゃったぁ、
ねぇ話しちゃぁいけなかったぁ?でももう話しちゃったんだからさぁ仕方ないよねぇ、
ネェもう1本持ってきていい?」

それを聞いた伊三次の顔が変わった。
「おい!およね!そいつぁ何時頃のことだ!」
と寝そべっているおよねの胸ぐらをつかんだ。

「わぁびっくりしたァ、何よ驚かせてさぁ、確か五ツの鐘(午後八時)が鳴った後だからさぁ、
それがどうかしたの?ねぇねぇ!」
およねは伊三次を押し倒し肌襦袢を押し開いて馬乗りになり

「今度はお馬さんごっこしようよねぇねぇ!あたし好きなんだものぉいやぁねぇふふふふっ」

それを振りほどいて伊三次飛び起きた。
「どうしたのさぁ伊三さん???」
驚くおよねに

「そいつぁ他に何か言わなかったか!」と詰問した。

「さぁねぇ・・・・・そうそう そう言えば(もし野郎が来たら、
浅草萱町一丁目の第六天神に来てくれと、昔の馴染みが言っていたと伝えてくれ)ってさ、
剛気に一朱もくれちゃってさぁ、うふふふふ・・・だからさぁもっと遊ぼうよぉ、
ネェネェいいでしょう」

その言葉を聞き終わらない内に伊三次跳ね起きて着替えを始めた。

「どうしたのさぁ、そんなに慌ててどこへ行くのさぁ、ねぇ伊三さん!」

伊三次のただならぬ気配に、さすがに呑気なおよねもその異常さに気づいたようで

「あたしなんかまずいことでも言っちゃったぁ?ネェ」
と真顔で案じているその顔を振り返り

「ほんとにお前ぇは可笑しなやつだぜ」
と言い残して飛び出していった。

それから小半刻(三十分)伊三次の姿は浅草萱町一丁目の第六天神社にあった。
正面南鳥居の奥辺りをブラブラと流すこと二刻(四時間)

「やっぱり来ておくれだねぇ伊三さん」

伊三次がその声に振り向くと、そこに過日の男が立っていた。
「やっぱりお前ぇさんか・・・・・」

「言付けが届いてよかったよ、ここでも何だから、どうだいそこいらでちょいと!」
と盃を空ける仕草をしてみせた。

「いいともよ!」
伊三次は気軽に受けてその男の後に従って歩き始めた。

「ところでお前ぇさん名前ぐらいは教えてくれたって
罰ぁ当たらねえんじゃァねえんですかい?」

「おっと!それもそうだ、これからのこともある、
俺の名は水雉(くいな)の平治と呼んでくんな、で 物は相談だがね伊三さん、
お前さん確かお頭は大滝の五郎蔵お頭とか言いなさったねぇ」

「ああ 大滝の五郎蔵お頭だが、そいつがどうかしたけぇ?」

「そのお頭に俺を引き合わせちゃぁくれまいか!」

「何でぇ?一体どうしてあんたを大滝のお頭に引き合わす必要があるんで?」

「そこだよ伊三さん、実はこれまでのお頭がこの前の盗(おつとめ)を納金に、
足を洗っちまった。
まぁそれなりに歳も歳だし、この辺りでゆっくりと甲府あたりに隠居してぇってんでよ、
お引きなさった」

「隠居だぁ 一体そのお頭は何処のどなたで?」
伊三次この時とばかりに突っ込んだ。

「あはははは、もういいだろうさ、お頭の名は鵯(ひよどり)角右衛門、
噂くらいは聞いているかも知れねぇが、甲州街道から川越あたりを根城に、
盗みの三箇条をきっちりとお守りなさった今じゃぁ少ねぇお頭よ」

「鵯の角右衛門だぁ?で、そのお頭は今何処にいなさる?」

「さぁねぇ 皆に納金渡した晩にさっさと消えちまった、
残った子分どもが跡目を継ぐってんで色々あってよ、
今どき盗人の三箇条を守るなんざぁ古いってぇ奴らばかり・・・・・
俺ぁそんな奴らが嫌になってよ、でお前のことを思い出したってぇことよ、
悪いが大滝のお頭はこっちで調べさせてもらった、
いやぁてぇしたお頭じゃァねぇかい、いいお頭に付いてよかったねぇ」
平治は茶店の南を流れる神田川の方を見やりながら少しさみしそうに盃を干した。

「あんたは今何処に棲んでいなさるんで?」
伊三次はこの際とばかりに聞き出した。

「俺かい?俺はすぐこの先の人形屋"吉徳大光"の裏長屋さ、
表向き平右衛門町の船宿"五色"てぇところで船頭をつとめている。
まぁこいつも悪くはねぇなぁって思って入るがね、
やっぱり餓鬼の頃から染み付いた稼業が背中におぶさっちまって、
あはははは、笑ってくんねぇ、どうも落ち着かねぇ・・・・・で・・・」

「判った!で大滝のお頭にと言う訳だな」

「話が早ぇや、どうだろうね伊三さんかまっちゃぁくれねぇかい」

「いいともよ!そうとなりゃぁ早速大滝のお頭に引きあわそうじゃねえぇか、
ちょいと刻をくんねぇお頭に相談してからでないと、俺としても・・・・」

「ああ 立場はわかるよ伊三さん、よろしく頼むよ」
そう言って二人は別れた。

その足で伊三次は神田川にかかる浅草御門を渡り、用心しながら吉川町広小路を抜け、
両国橋を渡り、幾度科後ろを確かめながら微行のないことを見届けて、本所二ツ目橋、
相生町五丁目の軍鶏鍋や"五鉄"に入った。

伊三次の目配せにすかさずおときは気付き「いらっしゃぁい!」と明るい声で出迎えた。
一番奥に席を取ると、おときが注文をとりにやって来た。

伊三次は小声で「長谷川様に急ぎと言伝ねがいやす」
と言ってから「熱いところを一本」
と注文を出した。

奥でこの五鉄の亭主三次郎が「彦十さん長谷川様に急ぎの繋ぎだ!」
と、小声で耳打ちした。

「合点承知!と来たねぇ」彦十いそいそと前掛けを外し

「ちょいと買い足しに・・・」
と足取りも軽く出て行った。

それから半時ほどして彦十は長谷川平蔵と連れ立って戻ってきた。
平蔵はそのままいつものように二階へと上がってゆく。

しばらく酒を飲んで、伊三次は支払いを済ませ表に出た。
それからゆっくりと一ツ目通りを北に上がって"喜久屋足袋店"へと入っていった。
その後を長谷川平蔵がゆらゆらと追って入る。

お互い背中を合わせるように足袋を手に取りながら
「急ぎだな!」
と平蔵

「へい!野郎から繋ぎが取れやした、ですがここん処は用心してと
長谷川様にご足労をお願いいたしやした」

「なぁに構わねぇよ、ちょうど抜けたいところであったからなぁ、で これからどうする?」

「へい!相方が大滝の五郎蔵さんに引きあわせてほしいといいやすもので・・・」

「あい判った!そいつを儂が肩代わりすればよいのだな?」

「仰るとおりで!では後日どなたかに繋ぎを・・・」

「ああ しからば彦十が良かろう、アヤツなら何処に居っても染まっちまうからなぁ」
こうして万全の対策が取られた。

さいわい、伊三次の心配を他所に、誰も微行や見張りもないようで、
すんなりと話の受け渡しは済んだ。

翌日彦十が上野池之端提灯店"みよしや"に姿を現した。

早速伊三次が平蔵都の待ち合わせ場所を伝え、慌ただしく彦十は店を後にした。

その明くる日の昼八ツ(午後二時)平蔵と伊三次の二人の姿が
本所回向院裏の門前町茶店に見られた。

「遅くなりやして・・・・・」
入ってきたのは水鶏の平治。

「ああ 奥へ入っておくんなさい!」
伊三次が認めて奥へと招き入れた。

その部屋には平蔵が着古した格好で錆鰯(古刀)を横に盃を上げている。
少々大滝の五郎蔵という名と、この平蔵の形(なり)に違和感を感じたのか
戸惑いを見せる平治に、「大滝のお頭でござんす」
と伊三次が紹介する。

「・・・・・大滝の五郎蔵お頭で?」

「おお 儂かえ?儂は長谷川平蔵・・・・・」

「長谷川・・・・?」

平治の戸惑っている隙に伊三次が平治の後ろへ廻った、
と同時にばらばらと浪人姿の者が周りを囲んだ。

「なななっ何んでぇ伊三さんこの出迎えは」
と、驚きと恐怖を顔いっぱいに表し丑をを抑えている伊三次を振り向いた。

「火付盗賊改方長谷川平蔵だ、水鶏の平治とやら、おとなしく観念しろ」
と低く平蔵が発した。

「負けた!負けやした長谷川様!
なるほどお頭が(お江戸にゃぁ恐ろしい鬼が棲んでいるからお盗めだけは用心に用心を重ねても
重ね過ぎはねぇ)とおっしゃった意味がよっく解りやした。
それにしても伊三さんがねぇ・・・・・」

「すまねぇ平治さん、勘弁してくれねえか?俺ぁ今頃の急ぎの盗みをする奴らを許せねぇんだ、
そうは想わねぇかい?」

「ああ、判った伊三さん、これで俺も綺麗さっぱりこの盗賊稼業(かぎょう)から
足が抜けるってもんで、さぁどうなと勝手にしておくんなさいやし」
とその場に居住まいを正した。

その翌日水鶏の平治は本所菊川町、火付盗賊改方役宅のお白洲に引き据えられていた。
取り調べにあたったのは筆頭与力佐嶋忠介。

「水鶏の平治だな、お前のお頭の名は何という?」
「へい 鵯(ひよどり)の角右衛門でございやす」

「其奴は今何処に居る」

「さぁ誰も仲間内で知るものは居ねぇと想いやす、お勤めを終えてそれぞれに納金を私い、
その夜の内に川越から消えやしたもんで。
おそらくは甲府あたりの奥深いところにでも隠居なさっているのではと、へぇ」

こうして平治の口から残党一味の居所が割れ、
すぐさま川越奉行所からの打ち込みでその大半が捕縛された。

(残りの者はすでに行く方知れず)
であったと平蔵の元へ知らせが届いたのはその数日後のことである。
それから半年後・・・・・・

大川をゆったりと流す小舟に平蔵と伊三次の姿があった。

「長谷川様!今日は抜けるように雲ひとつ無くお天道さまが眩しゅうございますねぇ」
船頭の日焼けした顔が明るく晴れ晴れとしている。

「平治!今日あたり釣れるかのぉ・・・・・」

「あはははは 長谷川様ぁそいつぁ難しゅうございますよ、
何しろこの広い大川にたった一本の釣り糸でござんしょう?釣る方も暇なら、
それを見ている者ンのほうがもっと暇、そこいらあたりじゃぁござんせんかねぇ、
おまけに竿の先にゃぁ針も無ぇ、あははははは」

「そうさのぉ・・・・・これでは釣れぬかわははははは」
さわやかな風が三人の頬を心地よく撫ぜて抜けた。

(ああ~ 九十九曲がりゃぁ あだでは越せぬ アイヨノヨ 通い船路の三十里 
アイヨノヨト来て夜下りかい(櫂=かい))川越夜船の粋な船頭歌が登ってゆく

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3月号 生きるも地獄 その1



徳川家幕臣の最下位は、知行1万石以下直参家臣の中で将軍お目見のあった者を旗本と言い、
お目見以下の家格のものを御家人と呼んだ。

戦時には徒歩(歩兵)身分,平時には与力・同心の職務・警備に当たった。
御家人の家格は譜代・二半場・抱席に分かれており、
譜代とは徳川家康以来4代徳川家綱の時代に留守居・与力・同心として仕えた経験者の子孫。

二半場はその中間的な身分で、四代の間に西之丸留守居同心等に抱えられたもの。

抱席・抱入は、それ以降に新たに御家人身分に登用されたもの。

抱席は四代の間に五番方=小姓組・書院番=(小姓組)・新番・大番・小十人組)
与力などに召し抱えられたものと、五代以後に召し抱えられたお目見以下の幕臣の中で
最も古い役が大番。
現代の町名にも〇〇番町とあるのはこの名残である。

譜代と二半場は無役であっても俸祿の支給があったが、
抱席は一代限りの奉公であったものの、新規お抱えと言う形をとって世襲制が普通であった。
また時代とともに名目上の養子として、これを御家人株と称し商家の間で売買された。


二半場(にはんば)の御家人で三十俵二人扶持は御家人でありながら武士の最低身分であり、
一年に主従合わせて支給される扶持米は本人分三十俵、家来一名五俵?2の十俵。
総計四十俵 
一両が4千文 1文=25円 で10万円程度
米1升百文=2千5百円 1俵35升と決められていたために、1俵8万7千5百円 
だと年間350万円

これで(妻・両親・子供その他何人いても)この1家と家来2名が暮らすわけだから、
かなり苦しいと言わねばならない。

おまけに将軍様お目見えの叶わない御家人(与力・同心格)や
無役などは蔵取米という決まりなので年間四十俵 2月と5月に四分の一を支給された。

2月が春借米(はるかしまい)5月が夏借米冬は冬切米と呼ばれた。

これを受け取るには蔵前に出向き米を受け取り、
これを更の米屋に売却しなければ実質の暮らしはできない。
だがこの米を金子に交換する際に米屋から手数料を取られる。

が、これが1俵につき1分の手数料を取られる、この仕事を請け負ったのが札差。
これを運搬、売却する際には更に手数料を2分割増した。
1分は小判の4分の1で、4朱・2、5万円つまり5万円である。
今も昔も銀行(かねかし)業は大した作業ではないのに、手数料は大きかったといえる。


二半場(にはんば)の御家人で蔵前取り三十俵二人扶持の小田祐継(すけつぐ)の娘
さとは下働きの五助を伴って肴町行願寺前の紙問屋相馬屋へ傘に張る紙を求めるため
出向いていた。
この先を更に東に進めば神楽坂、その先は牛込御門に出る。

相馬屋とはすでに馴染みとなっており、
番頭の愛想もよく手代が求めた紙を手際よくまとめてくれたものを風呂敷に包み店を出た。
この行願寺、天明三年(1783年)百姓の身である冨吉が神道無念流の戸賀崎熊太郎の手ほどきで
居合を学び、この寺の境内にて無事親の敵甚内を遺恨の末討ったところでもある。

寺の門前は兵庫町であったが、三代将軍家光が鷹狩に訪れ、
その度にこの街の肴屋が肴を献上した所から肴町と呼ばれるようになった。

肴町の辻を左に折れて御?笥町に差し掛かって後を付いてくる五助に

「先程の肴町も面白いけれど御簞笥町も変わっている名前だわね」
と話しかけた。

五助は急いでさとの横に並び
「そりゃぁもうお嬢様この辺りは昔からお侍様の武具甲冑などを総じて
簞笥と呼んだものでございますからその具足奉行、弓矢鎧奉行の組屋敷がある所から
左様に呼ばれているのでございますよ」」
と応えた。

「まぁ五助は何でもよく知っているわね」
と感心している。

その歩む先は山伏町である、この程度であればさとにもなんとなく判断が行く
「ねぇ五助、この辺りは山伏町と呼ぶけれどそれは修験者の山伏が住んでいたからでしょう?」と確かめた。

「よくご存知で!昔もこの辺りは険しい場所だったようで
この通りの両側の道も山伏町と呼ばれております」
と返事が返ってきた。

「でもこの焼餅坂はわからないわ!」
と辻番所を左に見ながら過ぎ越しつつ、くったくのない笑顔で尋ねた。

「あれま お嬢様この坂は元々染め物に使う茜を作っていたとかで
茜坂と言うものが赤根坂となったのでございますよ、
しかし周りに焼餅を売る店があった所から今もこうして呼ばれているのでございましょうね」
と解りやすい答えが返ってきた。

「まぁ 私は又どこぞの殿御にどこぞの女子衆が焼餅でも焼いたのかと・・・・・・
うふふふふ」と恥ずかしげに笑った。

焼餅坂を下って西に取り御籏組の広大な屋敷前を牛込原町に入り突き当たると
建物修繕奉行のある牛込破損町、その奥に戸山尾張藩の広大な下屋敷が控えている。

元々この尾張藩邸は尾張藩徳川家下屋敷であり、二代藩主徳川光友によって回遊式庭園
「戸山山荘」として造られた。
敷地内には箱根山を模した築山の玉圓峰や東海道小田原宿を模した建物など
二十五景が設けられ、水戸徳川家の小石川上屋敷と並ぶ広大な名園である。

この屋敷の少し手前を北に上がり二丁ほど入って左に曲がると、
正面には亀井隠岐守下屋敷の背後に正覚寺の大屋根が見える辺である。
近くには穴八幡社や宝泉院もあり、子供のころは父母と連れ立って
6月ともなれば宝泉院の高さ十丈(33メートル)の高田富士に登るのが
楽しみの一つでもあった。
二人は門とてない質素な長屋の一つに入った。

「母上只今戻りました」
と、さとは奥に声をかけた。

襖が開いて初老の女が顔をのぞかせ

「ご苦労様でした」
とねぎらいの言葉が返ってきた。

「父上は?」
さとの問に

「お前が出かけてすぐに何処かへお出かけなさいましたが、
いまはまだ何処におられるのやら・・・」

「まぁ 行く先も遂げずにお出かけとは・・うふふふふふ」

「何時もの事だもの、それより何か変わったことでもなかったのですか?」
と、日当たりの良い縁側に出て座りながら娘の様子を伺った。

二半場の御家人である為に定職もなく、かと言って商いをすることはならず、
父小田祐継は傘張りを内職としており、母のりきは仕立てなどの受け仕事をし、
娘のさとは父の傘張りを手伝い糊口(ここう=粥の食事)をしのいでいた。

りきが達者な頃はよく正覚寺の境内で鬱蒼(うっそう)と茂った榧(かや)の樹の下で
親子3人楽しくも穏やかなひと時を過ごしたものだった。

榧の木は六十尺(十八メートル)にもなる常盤樹(ときわぎ=いつも緑が絶えない樹木)
の巨木で、これらは将棋盤や碁盤に加工されるが、4月頃になると金茶色の花が咲き、
翌年には結実し紫褐色に熟する、これを採取し、水にさらしてアクを抜いたり、
銀杏のように土に埋めて表皮を腐らせその後洗って煎ったりもするが、

さとはこの実を灰を入れた湯でアク抜きして乾燥させたものを炒って中身を取り出し、
臼で挽いたものを餅にしたほのかに甘い香りを持つカヤ餅が好物であった。

夏場ともなればこの枝を採取していぶし、蚊遣りに使われたし、
相撲にも土俵の真ん中に穴を掘り米・塩・スルメ・昆布・栗と一緒に埋め込んである
縁起物として知られている。

少し前に起こった全国規模の天明の大飢饉(1782年~)はこの一家も例外ではなく、
棄損令(御家人が札差から借り受けている借金の債務免除し、利息も大幅に引き下げた)
で少しは救われたものの、その後の暮らし向きは松平定信の敷いた倹約令で、
仕立て物の新調なども激減し、日々の生活は何処も目を覆うものであった。

しかし賄い夫婦を養わなければならず、
さとは毎日朝早くから古傘の骨を集めに傘屋を廻っていた。

だがこれとて小田家だけのものではなく、いずれも苦しい浪人などが同じように
古傘の再生作業が生業となっている、仕事は最早飽和状態にあって、
だんだんと父親の小田祐継も酒に手を出す日が増えていった。

そんな四月のある日、さとは母を連れて久しぶりに内藤新宿柏木成子町にある常圓寺の
桜を見ようと出かけることにした。
この成子町の少し先には十二社権現横手の溜池から流れ出る川をまたぐ淀橋があり、
その先は青梅街道へと繋がっている。

陽光は輝きを伴って春の日差しを辺り一面に惜しげも無く降り注いでた。

場所は丁度内藤新宿と大久保通りの交差する場所に天満宮が有り、
そのとなりが常圓寺、常圓寺の門をくぐると左側に枝垂桜の古木があり、
小石川伝通院・広尾光林寺の桜とともに「江戸の三木」と呼ばれ、今に伝えられている。

季節ともなれば優美な姿を観ることが出来、徳川光圀寄贈の三宝諸尊も安置されている。

母を伴うのは久々である。

桜は昼八ツ(午後二時頃)が丁度見頃となる、
これは太陽が真上から西に少しだけ傾き半分逆光になるために花びらが日に照らされて
輝くところと花陰になるところが出来るために艶やかな花姿が楽しめるのである。

花見も終え、しばしの満ち足りた時を過ごした二人が本堂を出て門前の出店に差し掛かった時
母のりくがよろけて、床几に腰掛け酒を飲んでいた浪人の腕にぶつかり浪人の持つ盃が石畳に
弾き飛ばされ小さな音を立てて割れた。
浪人の袴や前身の当りにも酒が掛り、りくは驚いて
「誠にとんでもない粗相を致してしまいました。
何卒お許しの程をこれこの通りお詫び申し上げます」
と手提げ袋から手ぬぐいを取り出しこぼれた酒を拭おうと浪人に近づいた。

「何をする無礼であろう!」
と、浪人は立ち上がり母を突き飛ばした、なにぶんこの時間である、
かなり飲んでいたようで手加減が出来なかった。
りくは石畳に大きな音を立てて尻餅をつき右の袖が裂け、
あらわになった肘から血が滴り落ちている。

「お許しを!」
さとは急ぎ浪人の前に両手をつき何度も許しを懇願した。

「ならん!楽しき酒がお前達のお陰で台無しになってしもうたではないか!」
と、さとの顔を手で支え上げながらじっと濁った目を凝らした。

「うむ なかなかに美形と見える、ここは一つどうだな儂の傍に座り、酌など致さぬか?」
と腕を引き上げる

「お許しを、どうかお許しくださいませ」さとは必死に哀願する

「出来ぬか!出来ぬとあらばやむを得ん無理にでも酌をさせようぞ」
強引にさとの腕を引き上げ横に座らせようとした。

「いい加減に座興はやめぬか!」

網代笠を被った浪人が、さとと浪人の間に割って入ろうとした
見れば着流しに落し差しの痩せ浪人とみたのか、

「此奴!要らぬおせっかいを買うではない!」
とその男を突き飛ばそうと手を伸ばした

だが、その腕は宙を泳ぎ無様に石畳に転がったのは今度は酩酊した浪人であった。

「何しゃぁがる!」

急に言葉が伝法に変わり塵を払いつつ立ち上がったかと思うと、
床几に置いてある我が刀をひっつかみ抜刀しようと鯉口に手がかかった

「ほぉ まだ抜くだけの余力は残っておったか、ならば見事抜いてみせよ」
男は素早く浪人の元へ沿うように寄り、扇子で浪人の柄口を押えた。

(ぬっ!)浪人は手首の関節を捕らえられ抜くことも出来ない

(つっっ!)声にならない声を発し膝が徐々に開き、腰が沈み始めた

「おっ 己れ!」

それを見守っていた他の床几に腰掛けていた仲間らしき者共がバラバラと
素浪人の傍に駆け寄った。

「ほほぉ ご同輩という理由だな」
重々しい声で止めに入った浪人が腰を少し引き、体制を整えた。

「殺っちまえ!」中の誰かが叫んだ
無言で一斉に大刀を抜き放ち思い思いに構える

「やめておけ!怪我ぁするだけだぜぇ・・・・・・・」

「問答無用!殺れ!」
中でも筆頭らしきものが声を上げる

「ふん お前ぇが頭か!言っておくが儂が抜けばお前ぇ達の首は台から離れるぜぇ、
それでもよければ掛かってきな!」
言いざま扇子を離し、帯に手挟んだと観えた時には目の前で何やらキラリと陽光に光が走った
あとは鞘に刀の納まる軽い鍔鳴りが残っただけである。

(ばさり)

浪人の帯が断ち切られて足元に捌け、懐に入っていたと思わしき胴巻きが軽い音を残して
重なった。

(わわわわっ!)
一瞬の出来事は、まるで狐にでも化かされたかのようで皆抜刀したまま放心状態になっていた。

「まままっ 待ってくれ、儂が悪かった、これこの通り、御内儀誠に済まぬ許されよ、
少々酒が過ぎたようだ」

すっかり酔いも冷め蒼白の面持ちでりくの前に手をついて詫びを入れた。
浪人は刀で目の前に転がっている胴巻きを掬(すく)い上げ

「おいご亭主、ここから酒代を頂戴しろ」
と茶店の奥に声をかけた。

慌てて茶店の亭主が出て来、
「それでは・・・・・」
と酒代を胴巻きの中から取り出した。

「まだ残っておるか?」
「へぇ2朱と少々・・・・・・」

「さようか、では此方へ膏薬代として渡してもらおう、依存はあるまいな」

「まままっ 全く依存はござらぬ・・・・・・」

「行けぃ!」

その一言に脱兎のごとく男たちは刃を収めながら逃げ去っていった。

「やれやれ、無粋な奴ら共だ、せっかくの花が見ろぃ悲しげに散って行くではないか」
浪人は支えられながら床几に座っているりくの様子を伺った。

「なんとも危ういところをお助け頂きお礼の申し上げようもございません」
と母子が頭を下げた。

「なんのなんの、目に余ったゆえつい要らぬおせっかい、許して下されよ、
ところで御内儀どちらから見えられたのかの?」

「はい 牛込破損町でございます」
娘が母に変わって答えた

「何と!この足では無理であろう、おい誰か町籠を拾うてはくれぬか!」
声をかけながら懐から手ぬぐいを出し、
口に加えてピッ と裂き、りくの袖を捲(めく)り上げて軽く止血を施した。

「ここで医者を呼んでも仕方があるまい、まずは横になり、
傷口の手当と打ち身を冷やすことが肝要じゃ、おお籠が参ったぞ、
ささっ早ぅ乗るが良い、拙もその方向へ戻るゆえ道中送ってまいろう」

「あのぉ お武家様はどちらまでお戻りでございますか?」
娘のさとが不安げに尋ねた

「俺かえ?目白台じゃ、どうせ寄り道ついでに近くまで同道致そう、構うまいな?」

「それはもう 願ったり叶ったりではございますが・・・・・・」

「が?・・・・・おお案ずるな!送り狼なぞにはならぬゆえ心配いたすな、
こう見えても女房子供もおる身ゆえなぁあははははは」
とさとの不安を豪快に笑い飛ばした。

「決してそのような・・・・・・」

「よいよい そのくらいでのうてはいかん、遠慮はこの際無用だぜ」
網代笠を押し上げてさとの顔を見返った浪人の白い歯が爽やかな春風のように想えた。
道中ポツポツと身の上話を聞くともなしに聴きながら

「この儂とて縁がなかったならば先ほどの浪人の如き生き方であったやも知れぬ、
ただただそのようなめぐり合わせにならなんだと言うだけのこと、
人が生きてゆく上にどれほどの違いがあろうか、
何れをとっても所詮は阿弥陀の掌の上で踊るがごとしじゃ、違うかな?

陽の当たるときもあらば陰に埋もれることもある、
だが、真っ直ぐに向こうておらば雲も風に流され、やがて陽は又巡ってこよう、
正しく生きることは難儀であろうが正直に生きることは心のなかに重石を置くこともない、
拙は左様に想うておるがな・・・・・」

「旦那 ここでよろしゅうございやすか?」
と駕籠かきが歩みを止めた。

「おお 着きもうしたか、ささっ 早う母御を家の中に・・・・・・」

さとはりくを抱きかかえるように長屋の中へ運び込んで再び表に出ると、
駕籠屋も浪人の姿も無いので急ぎ道に走り出たがその姿は掻き消すように見当たらなかった。

その夕刻、主の小田祐継が酒の匂いをまき散らせながら家宅にたどり着いた
今日の出来事を報告するさとに

「世の中暇な奴も居るものよ、よほどお節介が好きとみえる、それよりも水!
さと水を持って参れ」
そう言いながら、ぐらりと横ざまに倒れこみ、そのまま高いびきで寝込んでしまった。

長谷川平蔵はこの日内藤新宿を周り、
「人に情けをかけるより、情けをかけられる者のほうが人として深うございます」
と平蔵を唸らせた大宗寺門前町の「だつえば」と言う一杯飲み屋のおしまの顔を見がてら
天竜寺に立ち寄った。
五代将軍徳川綱吉の側用人牧野成貞が寄進した時の鐘がある。

この鐘は上野寛永寺・市谷亀岡八幡宮の鐘とともに江戸三名鐘とよばれるものだが、
上野の寛永寺は江戸の鬼門と呼ばれ、この天竜寺は裏鬼門の役目を担っていた。

面白いのはこの天竜寺の鐘は普通の鐘よりも早めに時刻を告げる。
それは内藤新宿が江戸の外れにあり、侍たちが遅刻をしないようにという思い入れで突かれる、
これを人々は追い出しの鐘と呼んで親しんだ。
言わずと知れた宿場女郎の上がり客が急いで帰り支度をしたことであろう。

おしまの
「今どきは常圓寺の枝垂れ桜が見事でございますよ、
せっかく此方までお見えになられたんだから寄って行かれても無駄じゃぁございませんよ」
と勧められるままに立ち寄って時の出来事であった。


それから1年の時が流れ 二半場の御家人小田祐継の妻が長患いの末他界した。
小田祐継のやけ酒は日毎その量を増して行くばかりであった。

傘張りの商いもさと一人ではどうにもはかどらず、
日々の暮らしに従者の払いも滞ることになり、とうとう従者に暇を出さねばならなくなった。
それを聞いた小田祐継

「俺の知った事か!かような貧乏暮らしも元はといえばお上のご政道が間違ぅた為のこと、
文句があるならお上に訴えればよかろう、酒だ!酒を持ってこい」

「お父上何処にお酒を求める金子がございましょう、
あすの、いえ今夜の食を求める金子さえ事欠いておりますのに」

「それをどうにかするのがお前の仕事ではないのか!
どうでも良いから酒だ、おりくの着物でも何でもよろず屋に持ち込めばよかろう」

「左様なものはもうとっくに父上のお口に入ってしもうております」

「ほぉ 儂が皆飲んでしもうたとお前は申すのだな!」

「父上!いつそのようなことを申しました」

「何ときつい女だ、まるでおりくそっくりだ、ではお前が水茶屋へでも奉公に出るなり、
岡場所へ身を沈めてでもこの父に孝行致さぬか」
言いつつ、畳の上に大の字となり寝込んでしまった。

翌日さとの姿が牛込宗参寺門前町の水茶屋駒やにあった。
武家の出の奉公人など当時珍しくもなく、
生活に窮した武家の内儀が苦海に身を沈める話なぞ日常の出来事であったからだ。

慣れない仕事ではあっても赤い前掛けを締めてキビキビとよく働いた。
茶屋の女将おせんはそんなさとを気に入って一見の客に当たらせた。
何しろ愛想もよくほころぶような笑顔が又来ようと思わせる気立ての良さ

「流石お武家の娘だけのことはある、お陰で客が此方に流れてきだしたねぇ」
と、笑みを浮かべるほどであった。

この日長谷川平蔵久しぶりに目白台から嫡男辰蔵を供に駒込の穴八幡に向かった。

寛延十八年に幕府の弓持組頭がこの場所北の高田馬場に弓の的場を作り
射芸の守護神八幡を祭り、築地の北側には松が植え込まれ風よけも工夫されていた。


この騎射は、始まった当初は矢馳せ馬(やばせうま)であったが後に流鏑馬(やぶさめ)
となった。
この流鏑馬、鏃(矢尻=やじり)の傍に鏑を取り付けた特殊な矢を鏑矢(かぶらや)と呼び、
音が出るので戦場などで合図のために用いた。

大きさも5センチ程度から20センチほどのものもあり、その他に、神頭矢(じんとうや)
蟇目鏑矢(ひきめかぶらや)蟇目矢(ひきめや)なども存在する。

八代将軍徳川吉宗が小笠原流20代に命じ奥勤めの武士たちに流鏑馬・
笠懸(疾走する馬上から鏑矢を射掛ける技法)の稽古をさせるために制定させたものだ。

笠懸は流鏑馬よりも実践的なれど標的なども多彩を極め、
技術的な難易度は高いものの格式としては流鏑馬のほうが上であった。
この頃は流鏑馬・犬追い物・笠懸を騎射三物と呼ばれていた。

笠懸は群馬県新田郡笠懸町で、源頼朝が笠懸をおこなった由来がある。
笠懸の馬場は一町(109米)51杖(弦をかけない状態の弓の長さ)で、
進行方向から左手にスタート地点から33杖(71米)に的を設置。

射手は直垂(ひたたれ=鎌倉武士の装束でよく見かける正装)に行縢(むかばき)
鹿の皮を腰から足先まで覆った装束。

袖はそのままで射籠手(むねあて)も着けず烏帽子のままで、笠を標的に見立てた。
流鏑馬は射籠手を着け、笠をかぶる。

亨保13年(1728年)徳川家重世継ぎのために、疱瘡(天然痘)治療祈願として
穴八幡北側の高田馬場で流鏑馬神事が行われ現在に至っている。

流鏑馬は馬場2町(218米)進行方向に3つの的を設置、射位置から的までは5米、
魔都の高さ2米、射手化狩装束で、連続的に矢を射る。

他には犬追物(竹垣で囲んだ馬場の中犬を150匹放し、射手36騎が3手に分かれて
犬を射る。
この時犬を傷つけないように蟇目(ひきめ=桐や朴で作成した鏑に穴を開けて
音がよく鳴るようにした矢で、中身をくりぬいた中空で、割れないように数カ所糸で巻締め
漆が塗られているもの)
両側に木製で高さ2尺3寸(70センチ強)の埒(らち=柵)があり、
左を男埒、右は女埒と呼んだ。

1ノ的まで48杖(両手を広げた幅)そこから38杖が2の的、さらに37杖で3の的となる。
的の大きさは1尺8寸(36センチ弱)射手の服装は水干(すいかん)、
または鎧直垂(よろいひたたれ)を着て、裾および袖をくくり、腰には行縢(むかばき)
をつけ、あしに物射沓(ものいぐつ)をはき、左に射小手(いごて)をつけ、手袋をはめ、
右手に鞭をとり、頭には綾藺笠(あやいがさ)を戴く。太刀を負い、刀を差し、
鏑矢を五筋さした箙(えびら)を負い、弓並びに鏑矢一筋を左手に持つ。
流鏑馬では声を掛ける。

式には一の的手前で「インヨーイ」と短く太く掛け、二の的手前で「インヨーイインヨーイ」と
甲声でやや長く掛け、三の的手前では「インヨーイインヨーイインヨーーイ」と
甲を破って高く長く掛ける。略では「ヤアオ」「アララインヨーイ」「ヤーアアオ」
「アラアラアラアラーーッ」などと掛ける。
明らかに日本語ではない、古代ヘヴライの掛け声である。

少し諄(くど)くなったが、これを知って眺める時、時代背景が身近になると思う。


さて話を元に戻そう。
牛込高田馬場にさしかかったとき辰蔵が
「父上、少々歩きくたびれました、どこかで一休みはなされませんか?」
と口を切った。

「フム それもそうだのぉ、流鏑馬はまだ刻もある、まずは喉でも潤すと致すか」

「まさか父上お茶ではござりませんよねぇ」

「おいおい 辰蔵、お前いつからそのような口がきけるようになったんだえ」

平蔵はせがれの背伸びした姿が昔の自分を思い出させるようで苦笑しながら辰蔵を見上げた。
「あっ そのぉ安倍、市川両名とそれから・・・・・」

「それから?それからどうした」

「はぁいやぁまぁさほどお気になさることはないのでございますが・・・・・」

「何だこう歯の奥に物の挟まったような歯切れの悪い言いようは えっ!?」

「はぁ そのぉ 木村さんと・・・・・」

「木村?・・・・・・まさか・・・・・忠吾かえ?」

「はぁそのぉまさかの木村さんでございます」

「やれやれ かような話となるといつもあやつの名前が絡みおる、
で、忠ごと如何いたした?」
「はい 木村さんのお薦めで岡場所の提灯店に出陣いたし・・・・・」

「ほぉ そこで何と酒を学んだと言うわけか?」

「はぁ まさに・・・・・」

「嗚呼やんぬるかな・・・が、まぁこのオレも親父殿にそっちの手ほどきを受けたのが
丁度お前の年頃、小言も言えぬ立場ではあるがなぁ、
母上には決して漏らしてはならぬぞよいな!」
と、とどめを刺す程度と相成ってしまった。

「よし、それでは昼間からではあるがまぁ晩秋の色付きでも愛でると洒落こんで」

「それが誠に宜しゅうございますなぁ」
辰蔵そそくさと7~8軒ある茶屋の中の一つに腰を下ろす。

ここは馬場の北側に松並木が開け、徳川家康の六男で越後高田藩主だった松平忠輝の生母、
高田殿(茶阿局)の為に景色のよい遠望を楽しむ庭園を開いた風光明媚な場所である。

背後には10万石の清水徳川重好下屋敷が控えており、またの名を山吹の里とも呼ばれ
親しまれている。
文明年間(1469~86)、千代田城(江戸城)を作造した太田道灌がこの付近に鷹狩りに来た時、
急雨に降られ、近くの農家で蓑を借りようとした。

家の中から出てきた娘は、庭に咲く山吹の花を手折って道灌に捧げた。

道灌はその意味が理解できずに帰り、近臣に事の次第を話したところ、そのうちの一人が、
中務卿兼明親王の「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞ悲しき」
の歌を借りて、家に蓑がないから貸すことができないとの意を表したのだろうと話した。

これを知った道灌は歌の教養に励み、紅皿を城に招いて歌の友とした。

道灌の死後、紅皿は尼となって大久保に庵を建て、死後その西向天神(法善寺隣・大聖院)、
この天神社は棗(なつめ)の天神とも呼ばれ、三代将軍家光も鷹狩りで訪れ、
社殿の修理にと棗(なつめ)の茶器を下されたのが、その由来)に葬られたという。
その北には神田川が流れており、川には面影橋が架かっている。

この橋の由来は、戦国時代にこの地に来たという和田靱負という武士の娘
於戸姫が結婚を断った武士にさらわれ、気を失ったところを杉山三郎左衛門夫婦に助けられ、
やがて近所の小川左衛門に嫁いだが、夫の友人に夫を殺され、この仇は伐ったものの、
我が身に次々と起こる不幸から、神田川の川辺でわが身を水に写し、
亡き夫を想いながら川に身を投げて夫の許に赴いた。
これを里人が於戸姫の心情を想い、面影橋・姿見橋と名付けたという。

両岸は頃ともなると桜が咲き競い、その艶やかさを川面に映し、人々を楽しませる所でもある。

「いらっしゃいませ!」
若い茶女が明るい声で出迎えた。

「これは又私好みの・・・」辰蔵相好を崩して女を見た。

平蔵もその若々しく弾んだ声の方を笠を取りながら見返し
(んっ?はてどこかで・・・・・)
女の方も何かを感じたのか
「あのぉ どこかで確かにお目にかかったお方のように存じますが?」

「おっ!」

「あっ!」
「あの時の」
同時であった。

「えっ 父上、このおなごをご存知でございましたので?」
今度は辰蔵が驚いた。

「ふむ 存じておると申せば存じておるが、まぁそれだけのことで」

「はぁ ただそれだけのことでございますか?母上には内緒にいたしますのでご安心を」

「馬鹿者 只存じておるそれだけの事、妙な気を回さずとも良い」
平蔵、辰蔵の心のなかを読んで苦笑した。

「それではこちらのお方がお武家様の・・・・・
1年ほど前に内藤新宿で私と母がお助けいただきました、まぁっ 
あの折のお駕籠の代金を・・・」

「何を申されるか、拙が勝手に送り届けたるもの、お気遣いご無用、おお 母御は達者かな?」
平蔵は浪人に突き飛ばされて転倒した母りくの身を案じて問うた。

「あっ はい・・・・・」
女の返事がすぐさま返ってこないことに

「ふむ 何があったと見ゆるな」
さとの反応が今ひとつに平蔵何かを感じ言葉を継いだ

「如何致した?母御の身の上にでも何かが起きたのかえ?」

「・・・・・母はついひと月ほど前に長の患いの末他界いたしました」
と平蔵の思いとは裏腹な気落ちしたさとの返事が返ってきた。

「ふむ、しかし何故・・・・・」

「このようなことを・・・でございましょう?」
奥から酒の支度を持って出ておかしそうに笑った。

「ふむ まぁな・・・・・」
隣から興味津々の眼で辰蔵が
「何が起きたのでございましょうや父上」と合いの手を入れる。

「あれから母上は床につく日が多くなり、その分お仕立て物も中々はかどらず、
父上の傘張りにも力が入らなくなりました。
間もなく母上が起きられなくなり間もなくみ罷りました」

「さようであったか・・・で、父御は如何なさっておられる?」
二半場の御家人身分とはいえ、武家の娘が茶屋などに働き内を求めるにはそれなりの
曰くがあって良いはずと平蔵は思ったのである。

「父上はひどくお力落としなさいまして、以来お酒に逃れるかのように・・・」

「ふむ 無理もあるまい心の隙間はそなた一人では背負いきれるものでもなかったという事だ
なぁ・・・・・・しかし」

「はい しかしなのでございます、お上より頂戴致します俸祿のみでは、
今の御時世暮らしが中々に立ち参りません、それで・・・」

「うむ 潔い心がけだが・・・のう 辰蔵」
と、さとの顔をじっと見つめている嫡男辰蔵の眸(ひとみ)を言葉で遮った。

「ま、まっ全くでございます、いかなる事情があろうとも痩せても枯れても
一家の主とならば何らかの手立てを講ずるのが責務かと」
辰蔵ここぞとばかりに売り込みに奔走する。

平蔵苦笑しながら
「で、そなたがこうして父御を見ておるというわけだな・・・・・」

「はい お恥ずかしいところをお目にかけまして申し訳もございません」

「うむ この辺りは戸塚村の在所だと思うが、なんせ人の賑わいも多かろう、
何かあらば儂のところへでも訪ねてくるがよかろう、多少の知恵も湧こうというものだ、
のぅ辰蔵」

「はい 誠にかたじけのう存じます、
ところでお武家様はどちらにお住まいなされて居られますので?」
無碍に断るのもという気遣いがその返事にこもっている。

「あっ 私は目白台に住んでおりますが、父上は清水門前に役宅も有り、
そちらにならば比較的捕まえやすうございますよ、何しろ日々出まわるのも御役目の事故に、
左様で御座いますな父上」
今度は辰蔵が平蔵にチクリと先ほどの仕返しに。

「あのぉ 清水御門前と申されますと・・・・」

「おお すまなんだ、まだ名前を申して居らなんだな、拙は長谷川平蔵、此奴は嫡男の辰蔵、
以後お見知りおきを、役宅は火付盗賊改方となっておる、遠慮のう参られよ」

それを聞いたさとは驚いた。
「あっ あのぉ盗賊方のお屋敷でございますか?」

「驚く事ではない、たまたま左様な御役目を務めることになったまでの事、
こうして御府内をブラつくのも儂の御役目、そうしてそなたに出遇ぅたのもこれまた縁じゃ、
そうであろう?袖すり合うも他生の縁と申すではないか、
それも儂の役目と想うて遠慮なぞ致すな、よいな」
平蔵は、どうもどこかが気がかりに思えそう念を押した。


居酒屋で酒に飲まれている浪人に
「旦那ぁ深酒はいけやせんぜぇ 
まぁ酔いたくなるご事情でもおありなさるんやぁござんしょうがね」
見るからに通り者(博打打ち)風体の小柄な男が隣の席に座り込んできた

「ううんっ 誰だ、お節介な奴は、俺は好き好んで酔っているのではないぞ」

「へぇ たいそうお飲みなすっているとお見受けいたしやしたがねぇ、
好きでなきゃぁそこまで飲めやせんよ」

「うるさい!お前にゃぁどうでも良いことであろう」

「へぇ さいでやすがね、まぁ世の中面白くねぇ時ぁ飲みたくもなる、
あっしにゃぁそんなところしか判りやせんが、ご浪人さんとなりゃぁ
もっと深ぇこともお有りなさるんでござんしょうね」
男は身を捩りながら酒卓に向き直って顔を近づけた

「どうでございやしょうねちょいとこのぉ小遣いでも稼いでみようなんてお気持ちは
ございやせんか?」

「小遣いだとぉ!」

「おっと こいつぁご無礼を、いえね!好きな酒をお飲みになるにゃぁ先立つ物が要る、
ですが膳の上は空の銚子だけ、こいつぁどうみたってあんまり懐も・・・・・
違ぇやすか?んでまぁちょいと気楽に小遣いでもとお声をおかけいたしやした次第で へぇ」

「貴様に何が判る、こうみえても譜代御家人のわしが貴様のような者の口車に乗って
小遣いをもらうなぞということが出来ると思ぅてか」

「おっと ごめんなすって!旦那ぁ・・・・・
そいつぁご無礼をいたしやした、ですがね只小遣いをと言うんじやぁございやせんぜ、
まぁそれなりの仕事はしていただきやす、
ですからそこまで思われることでも無ぇんじゃぁござんせんかねぇ、
そうすりゃぁ何の心配もなく好きな酒も飲め、
嫌なことも忘れられるってぇことで、へへへへっ」
両手をすりあわせながら下から小田祐継の酔眼を舐めるように見上げた

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3月号 生きるも地獄 その2

「で 俺にどうしろと言うんだ」
「へぇ 旦那もご存知のように日暮れからあっしらは出歩くことが出来やせん、
ところがそのぉちょいと悪戯をして見てぇって言われる旦那衆もおありでござんしてね、
そのお供を手伝っちゃぁ頂けねぇかと・・・・・・」

「何ぃ 町人の用心棒になれと申すか、
酔ってはおれど俺はそこまで我が身を落とす気はさらさらにない、無礼であろう」

「へへっ こいつぁご無礼を」

ゆっくりと立ち上がり、蔑(さげすん)だ目つきで小田祐継を見下ろしながら
「まぁこいつぁ先程からのあっしのお詫びの印、飲っておくんなせぇ」
と徳利を置いて
「旦那ぁまたお目にかかりやしょう」

と店を出てゆく後ろから徳利の床に落ちて割れる音が後を追いかけてきた。

「落ちたかぁねぇなぁ・・・・・」
男は袖を振り両手を懐に引き込んで柳の裸枝の揺れる町に消えた。

「くっそぉ!酒が・・・酒が・・・」
小田祐継は湯呑みに先程男がおいて行った徳利から波々と注ぎ一気に煽った。
足元には割れた空の徳利が飛び散っていた。
それから5日の時が流れた。

のそり・・・と遊び人風体の男が暖簾を掻きあげて入ってきた。
いつぞやの男である。
数本の徳利を前に小田祐継が睨めるように盃を口に運んでいるのを見届け
「旦那ぁおいででござんしたねぇ」
と遠慮もなく同じ席に座り込んできた。

「・・・・・・・・」

「まぁこの前の事ぁご無礼いたしやした」
慇懃無礼に口元を歪めながら持ってきた徳利を小田祐継の前につきだした。

小田祐継は黙ったまま盃をこれもまた突き出し無言である
ゆっくりと湯呑みに注がれる酒を受けながら
「で 俺にどうしろと言うんだ」
ぼそりと低い声で遊び人につぶやくように

「ガッテン!承知と踏んで良ぅございやすね、てぇしたことじゃぁござんせん、
旦那ぁたしか御家人とおっしゃいやしたね」

「確かにそうだが、それがどうかしたか?」

「そこで御座いやすよ、御家人ともなりゃぁご家紋入の提灯なぞはお持ちと?」

「当たり前だ、いざという折は上様のおそばに駆けつけねばならぬ身、
提灯なぞ持たいでどうする、それとどのような拘(かかわ)りがある」

へぃ 夜ともなれば出張っておいでの町方のお調べも時にぁ出くわしやす、
そんな時ぁご家紋提灯は黙って通して頂けやす」

「それだけが狙いか?」

「左様で、全く左様でございやすよ旦那ぁ、他になにがあるってんで?」
と、逆に問いかけてそれ以上の詮索を切り捨てた、
小田祐継此処に気づけばこの先に待ち受ける事件にも巻き込まれることもなかったであろう、
だがことは思惑通りには運ばないのが世の常、
酒という物に逃げることで気持ちを紛らわせる事に魅入られてしまった者の行き着く所は
このようなものであろうか・・・
「解った!で いつでかければよいのだ?」

「おっと そいつぁまだ決まっちゃぁいねぇんで、
まぁ今日の所は前金というわけでもござんせんが、
取り敢えず仕事の前金ということで納めておいておくんなせぇ」
懐から胴巻きを出し、
チチッ と、かすかな音をさせて小判を2枚小田祐継の手に握らせた。

驚いて小田祐継「おおっ おいこれは・・・・・」

「ですからね、今日の所はそいつで心ゆくまでお飲みなすって、
あっしの繋ぎを待っていておくんなさいやし、なぁにさほど先のことじゃぁござんせん、
ここに顔を出しておいて下さりゃぁいつでもお目にかかれやすよ旦那!」

それから二刻、懐も久々に温かく小田祐継は心ゆくまで酒を飲んだ、久々の泥酔状態であった。
時は夕刻ともなり、わずかばかり裏寂しい晩秋の風も今の小田祐継には心地よく想えた。
ふらふらと身体を揺らしながら棲家へと足を運ぶ後ろから、
蛭のようにピタリと憑く陽炎に気づくはずもなかった。
それから三日が過ぎた。

小田祐継は棲家から近い牛込馬場下の正覚寺門前に姿を見た。
この正覚寺、地元では榧寺(かや)として慕われている。
もとは天正年間(1575年~)から草庵として始まった。

慶長4年(1599)に増上寺中興開山の観智国師法名貞蓮社源誉上人が
池中山盈満院正覚寺として開山したと言われており、榧寺以外にも、東小松川源法寺、
行徳源心寺などを開山した。
境内に鬱蒼と茂っていた榧の木が、寺宝を火災から護っていたことから、
江戸時代から榧寺と称されている。

小田祐継の妻女りきが達者な頃は娘のさととともによくこの榧の木の下で花を愛で、
実りに季節の喜びを楽しんだところでもある。

塀の外からでも見ることの出来る巨大な榧の木も二年目の秋を迎え
紫褐色の実をたわわに付けて秋風に時折揺らいでいる。

出された酒に口を近づけた時
「旦那・・・・・」
と背中で聞き覚えのある声が寄ってきた。

「お前か・・・」振り向くこともなく小田祐継は盃を離した。
「よく居場所(ここ)が判ったな・・・・・」

「へへへっ まぁそれは置いといて、今夜辺り一つ出張っちゃぁ頂けやせんでしょうかねぇ」

「仕事か?」

「へぇまぁそんなところで・・・」

「判った、で何処へ出向けば良い」

「へぃ 内藤新宿仲町太宗寺閻魔堂の前で夜の五つ・・・・・
ようござんすね!提灯をお忘れなく」
そう言って駆け出していった。

「・・・・・・・・」
小田祐継は黙ったまま酒を口に運んだ、どうにもこの度のことが
心のどこかに引っかかっているようで、なかなか酔うこともままならないようであった。

小田祐継は指図通り夜の八つを少し前にして内藤新宿仲町太宗寺閻魔堂の陰で待った。
八つの鐘がすぐ傍で刻を打った。

この太宗寺は寛永六年(1629)内藤家四代内藤正勝が五代の重頼によって菩提を弔われ、
その時寺領7396坪を寄進された。
門を入るとすぐ右手には江戸六地蔵の一つ露座金銅大地地蔵尊が鎮座している。

これは深川念仏行者地蔵坊正元が江戸市中より浄財を募りこの六体を建立したもので
江戸で口六箇所に建てられたもので、正徳二年(1712)9月に神田鍋町の
鋳物師太田駿河守正儀。
胎内には小型の銅像六地蔵六体や寄進者名簿なども納められている。

また境内には不動尊があり、これは武州高尾山に安置しようと江戸から運ばれる途中、
この太宗寺で休憩を取り、さて出立となったところで、
この不動尊がにわかに盤石の如く重くなり、
太宗寺が不動尊の鎮座するべき有縁の地と定められ不動堂が建立されたものである。

「お待たせいたしやした」
背後に聞き慣れた男の声に振り向くと町籠が1丁、
垂れは降ろされ中を確認することは出来ないが、
まぁそれはこの際どうでもよいことだったので、すぐに提灯に灯を入れかざした。

「おっと そのままそのまま・・・・・
早速でござんすが、まずは、こう 付いておいでなさいやし」
と先に歩き始めた。

ひとまず表に出て東に折れ、すぐ横の太宗寺門前横丁を北に上がった。
やがてすぐ隣にある井澤美作守下屋敷の裏手に三途の川の老婆奪衣婆像のある
正受院と投げ込み寺で知られる成覚寺の並ぶ裏手に回る。
すぐ横が井澤美作守下屋敷の裏口に当たる。

「旦那はこの辺りをあまり離れねえょよう流していておくんなさい、
なぁにさほどの刻はとりやせん」
と男は小田祐継を追い払うように促し、祐継が離れるのを見届けて
籠の垂れを上げどこかに消えた。

駕籠屋も成覚寺門前に腰を据えて待っている様子である。
それから一刻(二時間)が過ぎようとしていた。
太宗時の鐘が夜の4ツ(十時)を打った。

遠くで夜回りの拍子木が凛と鳴り響き、おぼろづきは中天に滲んでいた。

ばらばらっと多数の足音が駆け寄り
「急げ!」と激が飛んだ。

薄闇の中に一人が篭に乗り、駕籠屋を囲むように男たちが四名付き、
小田祐継の提灯を先頭に追分を過ぎ西方寺門前から柏木成子町を過ぎると
行く手は俤の橋(おもかげのはし・淀橋)、これを越えれば成木街道である。

俤の橋はかつて中野長者と呼ばれた紀州出の商人で、
元は神官の末裔であった鈴木九郎が馬の売買で得た銭一貫文が全て
「大観通宝=中国の貨幣」であった為に、観音様に関わりがあると考えて、
帰り道浅草寺で観音様に奉納してしまった。

そのご利益からか、やがて中野長者と呼ばれるほどの分限者になり、
故郷の熊野三山をこの地に祀った。

だが、増え続ける財の保管に困り、人夫を雇ってこれを埋めることにした。
しかし秘密を知った人夫はことごとく殺され、再びこの淀橋を戻ってくることはなかった。

そのためにこの橋は「俤の橋」「姿見ずの橋」と呼ばれるようになった。

この鈴木九郎が35歳の折娘が生まれたが、ある時突然頭に角が生え、
口は裂け大蛇になってしまった。
大蛇は寝床から這い出すと急に大雨が降り続き、やがて地面に溢れ十二社(じゅうにそう)
の森に流れ込み大きな池となる、こうして大蛇はその池の主になったという言い伝えがある。

後寛文7年(1667)に玉川上水から神田上水に向けて助水堀が設けられ、
ここからこの池に向かって幾筋もの滝が流れ落ち夏ともなれば蛍も飛び交い景勝地として、
大きなものは十二社の大滝として知られた。

それが元で「四谷新宿馬の糞の中であやめ(遊女)さくとはしほらしい」
という狂歌も詠まれたほど賑わった。

この神田川周辺は水車小屋も多く建てられ、
江戸に入る蕎麦はここ淀橋一帯で粉引きされ江戸へと散っていった。

一行は俤の橋手前で左に折れ熊野権現社前にある岡場所の中程で止まった。

「旦那ご苦労さんでございやした、本日ははここまでということで、
また近いうちにお願いいたしやす」

そう言って小田祐継が立ち去るのを見届け暗闇に消えていった。

さとは昨夜遅く父親が帰ってきたのをいぶかり
「父上昨夜は何処へお出かけなされましたので?」

「・・・・・・お前の知ったことではない、儂は眠い、構うな!」

「でも・・・・・」

「くどい!詮索無用じゃ」
と、取りつく島とてないありさま。

仕方なくそばに置かれている提灯を取り上げてみると、すっかり燈明は燃え尽きている。

「まぁ・・・・・・」
さとは父が出かけてかなりの長い刻が過ぎていることを知った。

この朝には南町奉行所に内藤新宿成覚寺横手に博徒身なりの遺体が2つ
転がっていると届け出があった。
何れも鈍器で後頭部を一撃喰らわされての撲殺であった。

早速奉行所配下の者が聴きこみに廻ったものの得る物もなく、5日が過ぎた。

その翌日、さとが放生寺門前町の水茶屋駒やに出かけようと長屋を出ると、
入口付近にこの辺りでは見かけたことのない遊び人風体の男の顔がチラと見えた。

「?・・・・・・」

気にはなったものの、勤めは待ってはくれない、
愛想も人あしらいもよくその上花もあると来て駒やは繁盛し、
女将も大事に扱ってはくれるものの、甘える訳にはいかない、
そこが又武家の娘の気真面目なところでもある。

父の祐継は相変わらず朝からの酒三昧

「何処にそのようなお酒を求める金子が・・・・・」
と尋ねるさとに

「お前が口を挟むことでもない、儂が工面いたしたもので酒を飲むのがいかぬというのか!
まるでりくが儂を責めておるような目つきを致すな!」

もう幾度繰り返したかわからない、これが母りくが逝って以来の親子の会話であった。

表の戸がゆっくりと引かれ「旦那・・・・・」
聞き慣れた男の声である。

「仕事か?」
祐継は湯呑みを膳の上に無造作においては入口の方に眼を配る
陽を背に受けて黒い影が立っている

「へい 明日神楽坂西照寺までご足労願いやす刻はこの前と同じと言うことで」

「承知した・・・・・」祐継はそっけなく返事を返し湯呑みに酒を注ぐ。

翌日夜八つ・・・小田祐継の姿が神楽坂西照寺門前に在った。

「旦那・・・ちょいと脇のほうでお待ちになっておくんなさいやし」
と、寺の横手を目配せした。

祐継は塀に沿って入り傍の庭石に腰を下ろし、しばしの時を過ごした。

一刻ほどして、向かいの武家屋敷裏手辺りから三々五々人が出てきた。

それぞれに明かりを携えているところを見るとそれなりの身分や物持ちの商家の主とみえる。
やがて数名の足早な音が聞こえ祐継の方に鋭いが小さな声で
「旦那!」
と駆け寄るものがいた。

「早速お願いいたしやす」

男は祐継が提灯に灯りを入れるのももどかしそうに
「ささっ 早く!」と
後に従う三つの影を促し西南に下がって本多修理下屋敷を東南に取り軽子坂へと向かった。
この坂は神楽坂河岸から軽籠(縄で編んだ籠=もっこ)担ぎの人足が多く住んでいるために
そう呼ばれている。

大久保屋敷の前には辻番小屋があるが、すでに夜中・・・
木戸は閉められており寝静まっている。
五名は祐継の提灯を先頭に軽子坂を下がって行った。

揚場町掘割沿いに左に北上すると、どんどん橋(船河原橋)の前にたどり着く、
どんどんの降(おち)る傍に小舟が一双繋がれて朧月にうっすらと影を見せて
川面に揺れている。

「旦那 ここまでで宜しゅうございやす、こいつぁ今夜の助賃で」
と懐から裸銭を取り出し祐継に握らせた。

手触りから小判2枚・・・・・のようであった。

「お気をつけなすって!」と低い声を残し、男たちは薄闇の中を河原に向かって降りて行った。
またもや翌日、神楽坂大久保家前の辻番所に西照寺に近いところに死人が居ると
届け出があった。
町廻りの者が小者を連れて見聞した所、
昨夜この辺りで賭博が開帳されたらしいという聞き込みがあった。

被害者の身元は不明で、匕首のようなもので一突きされ、絶命していた。
それから数日置いて同じような事件が2件起こっている。

何れも手口が鈍器か刃物と似通っており、同一犯の犯行と奉行所では断定され、
細やかな探索と聞き込みが開始されたが、一向に手がかりは闇に消えたまま
その影すら掴ませなかった。
そんな話を仙臺堀の政七が立ち話で火付盗賊改方同心小林金弥に漏らした。

平蔵はその話を聞きながら
「おい小林!神楽坂はそちの持ち場ではなかったか?」

「はい 私の見回り区域でございますが、私も初耳で驚いております、
あの辺りは大名屋敷から武家屋敷も多くまた矢来町への大老登城道(神楽坂)の
三ツ割長屋(牡丹屋敷)から上がる坂は大層険しゅうございます。

しかし坂上からの眺めはこれ又なかなかの物で御座いまして、
肴町の行元寺前ございます紙梳き屋相馬屋源四郎で時折一休みいたします、
そのおりこの界隈の話なども聞き込みますが、此度の事件は・・・・・」

「耳に致しては居らぬとそう申すのだな?」

「はぃ 大抵のことは近場のことなれば私の耳に入っても不思議ではございませんが
そのような噂は聞いてはおりません」

「んっ となればこの事件表沙汰にしたくねぇといういわくも考えられるやも知れぬな!」
平蔵腕組みしながら黙想し、僅かな手がかりを組み立てようと思案している様子であった。

翌日早く同心小林金也は神楽坂の西照寺に出向いてみた。

仙臺堀政七の話では西照寺付近はほとんどが武家屋敷で囲まれており、
番屋・番所もいくつかあるものの何れも夜4ツ刻(午後十時)
ともなれば木戸を閉めてしまい夜回り以外見張る者は皆無である。

とは言うものの、地道な聞きこみが功を奏する時もあり、
小林は神楽坂の上り詰めた辺りの本多修理守向かいにある高木家の辻番小屋を覗いた。

「おい親爺近頃この先の西照寺辺りで死人が出たという話を聞いては居らぬか?」
と懐から十手をのぞかせ七十前とみられる番太を見た。

「へ へっ こりゃぁどうも、お上の御用で?その話でございやしたら
軽子坂の大久保様のお屋敷にある辻番をお尋ねになられるとようございましょう」
と教えてくれた。

その足で小林欣也は軽子坂に回り、大久保家の辻番所を覗いてみた。

「こいつぁ旦那 ご苦労様でございやす、先日の事件(こと)なら
あの辺りの武家屋敷から下人がここへ知らせに来やして、
あっしが早速奉行所へお知らせに上がり、お役人様が駆けつけられやしたが、
どうも辺りの武家屋敷でご開帳があった様子で、
そいつが表に出るとまずいんじゃぁねぇんでしょうか、きつく口止めされやした。
ですがね、西照寺辺りの武家屋敷で時折壺振りなんかがあるってぇ話は
耳にしたこともございやすがねぇ」

茶を勧めながら焼き芋の壷を覗き
「旦那お一つ如何で?こいつぁ下総の馬加村からやって来たもので、
中々ほっくりと美味しゅうございやすよ」
と小林に軽く焦げ目のついた焼き芋を木皿に載せて差し出した。

「うむ、戴こう!」
小林は親爺の手から皿を受け取り

「あっあっ熱ぅ!」
と言いつつ二つに折り、皮を剥いて黄金色に輝く実りの旨さを頬ばった。
「うううんっ 美味い!この甘さはいや格別だなぁ・・・・・」

小林金弥は目を白黒させながらもふうふう言いつつ口に入れる。

それを番太の親爺はながめながら、
「こんな時ぁお武家様もあっしらも変わりやせんねぇあはははは」
と愉快そうに歯の抜けた皺ばかりが目立つ髭面で笑った。

この番太とは町の年寄り二名で構成され、独り者というお定めではあったが、
ほとんど意味をなさず、部屋を拡げ、女房がいると、夏は金魚、
冬は焼き芋を入口に置いて売り、また駄菓子・蝋燭・糊・箒・浅草紙に瓦火鉢・
草鞋・団炭・渋団扇などの荒物を売り結構生活ができた。

(辻番で見かけないということは少なくとも亥の4ツ(午後10時半)以後ということになる、
とするなら一体どうやって辻を抜け出たのであろうか?と言う疑念が湧いてきた。

その帰り揚場町の番小屋も覗いてみた、するとその番小屋の親爺が
亥の4ツの鐘を聞いて寝込み、だいぶ過ぎてから厠に立った時刻に表の方に
提灯の明かりが見えたと教えてくれた。

「で、そいつは何刻頃であった?」

「へぇ 寝入ったのが亥の4ツでござんしょう・・・
厠から戻り布団に潜った後しばらく寝付けなくて・・・
それから暁ノ九ツ(午前0時)が聞こえやしたから、
おそらく亥ノ三ツ刻(午後10時~10時半)か・・・・・」

「あい判った!少しは目処(めど)もついて来た、
世話になったなぁ焼き芋が又めっぽう美味かった、御銭(おあし)はいくらだ?」
と懐から紙入れを出すが、親爺は笑顔で

「へっ とんでもねぇこってお役人様から頂戴しちゃ明日からお勤めがやりにくうございやす
よ、先ほどの美味ェってぇお顔がお足で、へへへへへ」と笑って受け取らない。

「そうか、馳走になった、又時折覗かせてもらうからな」
小林は茶と芋の礼を述べて辻番を後にした。

お足とは読んで字のごとく銭は足が生えたように飛んで失なるところからこう呼ばれた。
小林金弥は御濠沿いに東に取りどんど橋(船河原橋)に着き、
橋の上から釣り糸を垂れる好々爺に
「獲物はとれたか?」と訪ねてみた。

「こりゃぁお武家様、ご覧のようにこのどんど橋から上はお止川(江戸川)
上(かみ)は大洗の堰でございます、ここにぁ将軍様の御膳魚紫鯉が放されております、
こいつが小さい時にこぼれてドンドンに落ちてきます、どんどんはお構いなしと言うことで、
はい!こうして暇な者が釣り糸を垂れ、運がよきゃぁ紫鯉の2尺上(しゃくがみ)
でもってぇ算用で・・ははははは」

「成る程なぁ、おとめ川からこぼれた鯉はお構いなしとは粋なお定め、ははは・・」
橋の下を頻繁に川船が通るのを眺め小林、

「何と船の往来も多くこの辺りは荷揚げの船で賑わっておるな」

「そりゃぁお武家様、揚場町からこの一体水道橋辺りまでは小石川にお住まいの
岩瀬市兵衛さまの名の付いた市兵衛河岸と呼びまして、
船溜りも多くのべつ荷船が出入りいたします」

「ほぅ 夜半でも船は通うて来るものか?」

「そりゃぁもう、棒手振りなどの仕込みのためには
夜半に荷揚げを致しませんと間に合いかねます」

「はぁ それはそうだなあぁ・・・・・おおっ おい上がったではないか!」

「へへへっ これで今夜は鯉の洗いと行きますか、如何でございますお武家様、
私は1匹あれば十分、よろしければお持ちになられませんか?」

「と言うわけで、そのご隠居が手ぬぐいをたらい桶の中に浸
し鯉の目を塞ぎますと鯉はおとなしく動きません、
そのまま手ぬぐいで身体を巻き、それを近場の菰に巻いて荒縄でかように縛り、
持たせてくれました。

何しろ将軍様のお召し上がりになるという紫鯉でございますからと申すもので、
ここはひとつお頭にと頂戴いたしてまいりました」
十町(約1,1キロ)程を提(さ)げて清水門前の役宅に戻った。

「何と!上様のお召し上がりになる紫鯉とな!!そいつぁ又珍しきもの!!
いやぁ重畳重畳!!」平蔵手放しの歓びようである。
「早速猫どのに・・・・・おい村松は居らぬか?」

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3月号 生きるも地獄 その3

おお 猫どの!小林が上様のお召し上がりになられる紫鯉をもろうて参った、
早速此奴を調理してはくれぬか!」

「えっ あのお止め鯉でございますか?」

「それそれ!それじゃよ!小林がな、市中見廻りの折どんど橋で釣り上げた物を提げて参った。
そこで、こいつぁ是非にも・・・・・」

「お任せ下さいませ、・・・・・
やっ!これは雌でございますなぁ、まだ湿り気も十分、鯉は他の魚と違い、
少々の刻を過ぎても生きております、早速早速とりかかりましょう、
まずは水に泳がせ泥抜きを致さねばなりませんのでひとまずこれにて」
と下がって行き、再び戻ってきた。

「おいおい猫どのお前見ただけでメスかオスか見分けることも出来るのかえ?」
平蔵呆れた顔で村松の顔を見る。

「それはお頭!人とて見るだけで判別できますように、鯉も変わりません、
特に野鯉はオスのほうが頭が大きゅうございます。

鯉は元々小位(こい)鯛は大位(たい)とこれ両者とも川と海の長とあり、
相対のものにございます。
鯉は悪食で水草から貝類はおろか蛙なぞも喰い、喉にある咽頭歯で噛み砕きます。
まぁ鯉ともなればまずは鯉こく、うま煮、洗い、鱗の揚げ物・・・むふふふふ」
すでに猫どのも相好が崩れたままである。

「鯉の苦玉(肝)は危のうございますので、これだけは避けねばなりませんが、
他の物はほとんど口に入ります。
まずは鯉こく・・・
血抜きをする前のものを輪切りに致し、鍋に並べてたっぷりの水で素煮、
煮立ちましたらとろ火に落とし、少なくとも三刻(六時間)以上は煮込みますと、
骨も戴けるほど柔らかくなりますが、まぁお急ぎの時なれば一刻はご辛抱のほど。

「おいおい それまでお預けということかえ?そいつぁ酷じゃぁねぇか!なぁ小林」

「ですから鯉酷と言うのでございましょうなぁ」

「おいおい 小林まで忠吾に似て来おったぜ、いかぬぜ駄洒落はへへへへへっ!」

「鯉こくは明日のお楽しみと言うわけでございますが、
まぁ仕立て方を申しますとこの後味噌をすり鉢でよくすりつぶし、
これは忠吾にさせましょう」

「ふう 胡麻をするのは忠吾が得意だからなぁ腕は確かだ、あははははは」と平蔵

「味噌に煮汁を少々加え溶きしものを鍋の周りに静かに流し込み、
隠し味に砂糖少々を入れます。
このまま半刻・・・・・」

「こりゃぁ猫どのお預けなぞというたぐいのものではないではないか、
話だけでもうすでに涎も溢れ、叶わぬ!何とかならぬか、のう小林」

「はぁまさかここまで刻が必要とは想いませんでした」

「何の御馳走とは読んで字の如しでございます。
手始めに鯉のあらい・・・」

「おお それならばすぐにでも行けそうではないか、なぁ猫どの」
平蔵手揉み状態で顔がほころびきっている。

「鯉の洗いでございますが、紙や付近で両目を覆います、
すると鯉はじっと動かず往生いたします、擦ればこれを持って・・・・」

「まな板の鯉と申す訳だな」

「まさに、まずは包丁の背で頭を叩き気絶させます。
苦玉を潰さぬよう取り除きませんと全てが無駄になってしまいますので・・・・・
三枚に下し、皮を引き剥がし身を薄めに削ぎ切り致し、
これを冷水に落として身を締めます。
後は辛子酢味噌で戴きます。

最後が鯉のうま煮でございますが、砂糖・味醂・酒を煮立て、
鯉の輪切りを並べ、被る程度の水を入れ落し蓋、
生姜の千切りなぞ加えますと臭みも消えます。

煮詰まりましたならば水少々を加え、醤油・蜂蜜を加えて再び照りが出るまで煮込みます」

「猫どの何か一つお忘れじゃぁござんせんか?」平蔵しっかりと聞き取っている。

「はっ?・・・・・おお左様でございました、鱗、鱗の唐揚げ、
これはまぁついでの櫃塗し(ふつまぶし)とは申せ、酒々には打ってつけの逸品、
甘塩がこれまた宜しゅうございますな」

「ところで小林、何か掴めたのか?」

「と申されますと?」

「なぁに生真面目なお前がいくら上様ご賞味の紫鯉を儂にと思うても、
そのまま帰って来るとは思われぬ、何やら定まったものでも浮かんできたのではないかな?」
平蔵真顔になり小林を振り返る。

「お頭!真実お頭は何処にでも眼をお付けなさって居られますようで
背筋が凍える面持ちの致すときもございます」

確かに、大久保家の辻番所を覗いたときの老番太の話や、
ドンドン濠の老人の話からこれまで一連の盗賊の足取りも不明であったものに
何か光指すものを感じた面持ちがしたのであった。

「盗賊どものこれまでの押し込み先を、各持ち場のものの持ち寄りにて確かめたる物で、
同じような物が御座いました」

「ふむ そいつは何だ?」

「はい 何れもが小寺や武家屋敷又は下屋敷なぞでございます」

「うむ、確かになあ・・・」

「それも時刻から見て番屋が木戸を閉めた後、と言うことは町人の外出(そとで)
はなりませんので、それなりの・・・・・」

「ふむ 提灯だな?」

「まさに!他からの聞き込みにもそれらしき者の姿を見たという話もございました。
それもどうやら武家の提灯(あかし)のようで、四~五名揃ってのもののようで・・・・・」

「うむ 確かにそいつぁ臭ぇなぁ・・・・・」

「大滝の五郎蔵のききこみでは何れも当時この辺りで大金の絡んだ賭博が開かれていた模様。
ところが何の争いもなく騒ぎにはならなかった様子、と致しますならば・・・」

「胴元の帰りを待ち伏せしての強奪・・・と見たか!」

「はい まさしくそのように」

「ふむ 客は帰った後、騒ぎも外にはもれねぇと言うお誂えの話になるのぉ・・・
よし、盗賊改には話は回ってきては居らぬが、今に町方もお手上げとなろうよ、
何しろ相手が寺社や武家屋敷だ、手も足も出ねぇ・・・」

平蔵が見切ったように、翌日南町奉行池田筑前守長恵より助成の願いが平蔵の元へ届いた。

「よしこれで自由に動ける、一同手隙のものを集め密偵たちも呼び寄せ、
明日から見周りを増やせ、木札に長谷川家の家紋を刷らせ、
密偵たちはこれを所持致すよう、まさかの折はこれを見せれば構いなしと
筑後守様のお許しも得ておこう」

こうしてやっとこの事件が表に出ることとなった。

その日平蔵目白台より役宅に戻る途中を牛込高田馬場下戸塚村の水茶屋駒やに立ち寄ってみた。

「まぁ長谷川様!」
さとが明るい笑顔で平蔵を迎えた。

「おお 堅固でなによりじゃ、何か変わったことはあるまいな?」

「はい 私はおかげさまで盗賊改の長谷川様とお知り合いと、
この屋の女将さんが都合よく思われて、誠に良くして頂いておりますが、
ただ父上のことが少々・・・・・」

「ほぉ 父御どのが又なんぞ?」

「はい 時折夜半になりますとそっと抜けだしてゆきます、
それが何処へ征くのかは判りませんが、そんな折は決まって朝方戻り、
気づかないように床に入っております、それが何故か不安で・・・・・」

「ふむ で、当然夜半に出向くということだから足元を・・・・・」

「はい提灯は必ず持ってまいります」

「ふ~ん・・・・・何事も無くばよいがのぉ、
実はなこの所江戸市中で盗賊が徘徊いたしておるそれゆえ夜は出歩かぬほうが良い、
万一ということもあるからなぁ、用心するに越したことはない、そなたも用心いたせよ」

平蔵はさとに言葉を残して茶をすすり、暫く遠くに見える富士のお山に目をやり
「白雪は全てを包んで隠してしまうもの、その下には生きるものの証が在るとしてもなぁ」
とぼそりとつぶやいた。

それから数日過ぎた夕刻大滝の五郎蔵から平蔵に繋ぎが来た。
持ってきたのは五郎蔵の女房おまさである。

「おまさ どうしたそんなに慌てて!急ぎのことでもあったのだな!」

「長谷川様!五郎蔵さんが聞き込んだところによりますと、
明後日大きな賭場が開かれるようで」

「で そいつぁ何処だ?!」

「ハイ!なんでも小石川の昌講寺とか・・・
どうやらあの辺りの大店に密かに声がかかったようで、
五郎蔵さんが湯嶋本々三丁目「かねやす」の番頭さんから聞いた話で、
今夜大店のご主人が集まった手慰みの会が催されると声がかかったそうでございます」

「ご苦労だった!五郎蔵にも左様伝えてくれ、
おおそれから引き続き見張りを頼むとこの俺が申しておったとなぁ・・・
そうだ、ついでに帰り道五鉄によって弁当なぞこさえて持って行ってやってはくれねぇか、
三次郎にそう伝えてくれ、さぞや腹も空こうし夜は冷える、お前も用心いたせよ」

「勿体のぅございます長谷川様、私達はお役に立てばそれが何よりでございますもの」

その翌々日、五郎蔵が聴きこんできた賭場の開帳に日がやって来た。
「お頭!手隙の者私を含め酒井・小林・木村・松永が控えております」
と筆頭与力の佐嶋忠介が後ろに控えた。

「よし、これまでの様子ではさほどの人出でもあるまい、
絵図から見ても出てくるところは表しかない貞安寺門内に潜んでおらば様子も読めよう、
戌ノ五ツ(午後10時)辺りが佳境と見た、

皆目立たぬよう身なりを工夫致し貞安寺に潜め、儂はその辺りを廻ってみる、
よいな!くれぐれも目立たぬ様にいたせよ!」
平蔵はそう指図を終えてゆっくりと紫煙をくゆらせた。

(久しぶりだ・・・・・何かが始まり、そして何かが終わる、
丁と出るか半と出るか・・・・・ふぅ~・・・
間違いであってくれればよいものだが)深い溜息を含んでいた。

戌ノ五ツ、ここは小石川貞安寺、道をひとつ挟んで向かいは御中間長屋、
俗に五役と呼ばれるもので、御駕籠之者・御中間・御小人・黒鍬者・御掃除之者である。

これは御家人が就任する役職で、千代田城の駕籠運搬・番方・お使い・土木・
清掃などを受け持った、何れも目付けの配下であり、全てが譜代席の世襲制を持っていた。

御駕籠の者などは背が高く教養も必要とあって、
中々自家ではまかないきれない場合も多々あり、養子縁組などでこれを引き継いだ。

背の低い者は、背の高い者に代役を頼むこともあり、
その場合は(濡手当)という別途支給を払う羽目になった。
これが濡れ手に粟の語源にもなっている。

こちらも二十俵二人扶持と変わらない薄給である。

刻は満点に月を蒼々と戴き、間もなく霜月も終わろうとしていた。
夜半ともなれば空気が肌着を覆い尽くし、
芯まで冷え込んでじっとしているのも中々苦痛になるほどであった。
そこで吐く息が夜目にも白々と観える。

「ううっ 寒ゥございますなぁ・・・」
木村忠吾の声が薄闇の中に流れる

「忠吾、五郎蔵達はもっと寒いだろうよ、
もうこの二日ほとんど寝ずで見張っているんだからなぁ」
と大門の陰に座り込んで薄闇の向こうに目を凝らしている。

長谷川平蔵は柿渋色の袷の着流しに羽織、一振りの大刀を腰に手挟み、
水道橋を越えた辺りをゆらゆらと流していた。
無論のこと提灯は鶴やから借り受けたものである。

広大な水戸藩屋敷の横を北に上がりかけた時
青山大膳亮下屋敷前で家紋入りの提灯を携えた武家風の者とすれ違った。

「ふむ・・・・・」

平蔵、そのまま真っ直ぐ水戸家の白壁ずたいに歩を進め中程で振り返ってみると
網その灯りは見えなかった。

(間違いであってくれればよいのだが・・・・)
平蔵の心の中に妙な胸騒ぎが沸き上がってくる。

ゆっくりと突き当たった松平丹後守下屋敷前を東に
折れ道なりに松平伊賀守下屋敷の横手にぶつかった。
その少し手前から提灯の灯りを消し、月明かりのみが頼りの暗視である。
遠くに小さく灯りが留まっている・・・・

(南無三!)平蔵は貞安寺まで一丁(120米)ほどの距離を置いて闇を伺った。
月は雲間に隠れしっとりと闇が辺りを包み隠している。

その時貞安寺から人が出てきたのか幾つもの提灯が思い思いの方向に散ってゆくのが見えた。
(賭場が終わったか・・・・いよいよ奴らが出てくる頃合いだな)
と、その先から一丁の提灯が神田川の方から戻ってくる気配がした。

(んっ これは・・・・)

そこへ貞安寺門内から一丁の町駕籠が出てきた。

平蔵は急いでその場に駆けつけた、
そこに平蔵が見たものは町駕籠を守るように四人の男が囲み、二人が提灯を捧げている。

平蔵はその駕籠に近づき、
「まこと夜分におたずね致す、身共は火付盗賊改方長谷川平蔵でござるが、
駕籠の中のお方はどなたでござろう?」

その言葉が終わらない内に「あっ!!」と息を呑んだ声が漏れた。

「火付盗賊改方のお役人様で、夜分ご苦労様でございます、
手前どもは神田仲町に住まいおります蝋燭問屋(石見屋)の旦那様でございます」
と丁寧な挨拶が返ってきた。

「さようか、しかしこのような夜分にして又いかような御用で貞安寺に
お出かけなされたかの?」
平蔵は落着いた重い声で再び尋ねた。

「それは・・・・」

「んっ! それは?」

その言葉が終わらない内に、籠を囲んでいた男たちが一斉に抜刀して平蔵に立ち向かって来た。
それを合図のように貞安寺に潜んでいた盗賊改の佐嶋忠介・木村忠吾・酒井祐助・小林金弥・
松永弥四郎それに大滝の五郎蔵と女房のおまさが飛び出してきて周りを取り囲んだ。
次々と提灯に灯が点(とも)されていく・・・・・

その時想いもよらない出来事が起こった。

先頭に並んでいた二つの提灯の一つが突然大きく揺れ
「ぐはっ!!」
と低く呻いてドォと倒れこむ音と同時にもう一つの灯りが宙に飛び地に落ちて
メラメラと赤い炎を上げて萌えたその向こうに二つの体が折り重なるように崩れ落ちた。

「しまった!!!」平蔵の慌てた声が燃え盛る灯りの中に飛んだ。

木村忠吾の携えた提灯をもぎ取るように奪い、その折り重なったものを照らし出した。
そこには浪人姿の男の上に覆いかぶさるように若い女の血にまみれた姿が倒れている。

「さと・・・さとどのではないか!何故このような!!」

抱え起こした平蔵の胸の中にうっすらと微笑みを見せ、静かに眼を閉じた。

周りを囲んでいた者が只呆然とこの一瞬の出来事を放心状態で見つめるばかりであった。

「きっさまぁ!!」
平蔵の激しい語気に取り巻いていた無頼の者達は一斉に平蔵に襲いかかった。

(ぬんっ!!)提灯を投げ捨てて抜刀一閃
「ぎゃっ」と声が流れて地面に突っ伏した。

「次はどいつだ!今夜の儂は機嫌が悪い、胸の中の鬼が怒っておる、
死にたい奴は掛かってまいれ!」と呼ばわった。
駕籠の垂れが引き上げられ、中の男が引きずり出された。
だがこの男もすでに胸を突いて絶命していた。

籠の袖からおびただしい血が地面を染めて架かった月に照らしだされるばかりであった。
これを見た残りの者はすでに戦意喪失した模様で、それぞれに刀を投げ出し捕縛された。

「誰ぞ!向かいの中間長屋に出向き戸板を借りてまいれ」
平蔵はそう命じて小夜の躯を抱いたまま身動きすらしなかった。

翌日佐嶋忠介が平蔵の元により
「昨夜のおなごはお頭のお見知りのものでは?」
と恐る恐る言葉を出した。

「うむ 以前話したこともあろう、高田馬場で流鏑馬を見物した話じゃ」

「はい 辰蔵様とお出かけになられた折のことでございますな」

「うむ そのおり茶店で再会いたしたのがあのさとと言う御家人の娘よ。
その父親が酒に溺れ夜な夜な出かけるという話しを聞いたのでな、
近頃は盗賊も横行いたしておるゆえ用心いたせと言うたのだがなぁ、
儂ももしやと思う節もあった、夜度に提灯を持って出かけるということであったからな、
そこへ小林が・・・・・」

「ああ あの話しでございますか、神楽坂の・・・・・」

「それよ!で、ちょいと不安になっておった、
おそらくあの娘もそれとなく感づいたのではあるまいか?
今夜現場を確かめてどうにか父親を諌めようとでも思うたに違いない、
だがあそこで儂が出て行ったために、もはや逃れる筋のものでもないと覚悟を決め、
父親を手に掛け、又自らも死を持って償おうとしたのだろう、
想えばこの世は生きるも死ぬも地獄よのぉ。

嗚呼又ひとつ花の灯(あかり)を消させてしもぅた・・・」
平蔵は儚く散ったさとのさわやかな微笑みを、
ふと庭に咲き始めた山茶花の薄紅色に見たような気がした。


 


 

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2月号   狂犬 その1

ここは八丁堀にほど近い亀島町、南町奉行所組屋敷、
日本橋川から霊岸橋の下を分流して流れる亀島川を前に、対岸には富島町が見え、
風向き如何(いかん)では微かに潮の香りもする広大な組屋敷一帯の一角に
北町奉行所同心前橋茂左衛門の家もある。

同心とは譜代徳川家直参の足軽をもって同心とした。

彼らは役職が失くなっても譜代であるために俸禄(給料)がもらえたが、
あくまでも旗本ではなく御家人身分であった。

家族は妻の千代女と嫡男の真二郎それに下男夫婦の五人ぐらし。
譜代の御家人である茂左衛門は勤勉実直、忠義一筋の一徹者。

30俵2二人扶持は、一家5名が日々の暮らしを保つには当然のことながら到底無理があった。
それを補うために、100坪ほどの地行に30坪程度の家を建て、
ほかは市井の者に貸してその収入を生活費に当てるのがこの時代、
同心たちのせめてもの保身の知恵でもあった。

母の千代女は仕立て物を日本橋の呉服屋から貰い受けて、日々の暮らしを助け、
下男夫婦は骨惜しみもなく実によく尽くしてくれ、
こうして一家は日々の暮らしの中にも笑顔が満ちていた。

時は田沼意次が老中に就任するわずか3年前の頃でもあり、
世に「与力の付け届け3000両」と言われたご時世の始まりであった。

だがこの前橋茂左衛門、親代々の堅物・・・袖の下などもってのほか
「もう少しは融通をお利かせなされば奥方様も皆様もそこまでご苦労なさらなくとも
済みましょうに」

と言われれば言われるほど頑なになる、誠に厄介な男である。

服装は黒紋付に羽織で着流し御免というから、今日の映像でよく見かける格好で、
勤務は午前8時出所し、帰宅は午後7時であった。

供は紺看板(襟や背中に家紋を染め抜いた半被(はっぴ))梵天帯(絵羽柄の袋帯=兵児帯)に
股引(ももひき)木刀を差した小者一人が一般的である。

面目を保つために下男を置き、出所はこれを供にした者も多かった。

基本的には非番の日も出所(町廻り)していたために実質の休みはなく、
365日がお勤めである。

町奉行の支配が及ぶ範囲は江戸の町のみで、範囲から言えば江戸全体の20%ほど、
おまけに支配できるのは町人・浪人・盲人のみで百姓にはその権限が及ばなかった。

こうした背景を持っていたがために、町周りの同心は心身ともに疲弊したのは
当然の成り行きでもある。

この日も夕刻、程なくして前橋茂左衛門は帰宅した。

嫡男真二郎はまだ10歳を迎えたばかりの遊び盛り、とはいえ父の茂左衛門は
「いつなん時上様のお役に立つ日が参るか知れぬ、その為にも武家の子は文武両道に
丈ておらねばならない」と厳しくこれを教えた。

子も又父のその望みによく応え、特に剣の道場通いは熱が入った。

「後4年もすればお前も同心見習いに出さねばなりません、
それまでにはお父上様のお役に立てるよう精進なれませ」
と母に常時聞かされ、そろそろ反抗期に入る子供の心は思う以上に重圧がかかっていた。

道場でも仲間と僅かなことでも諍(いさか)いを起こし、度に道場主から注意があり、
それを知った茂左衛門は殊の外厳しくこれを戒めたのである。

「歯を食いしばれ!股を開け!」それから強烈なビンタが飛んでくる。
真二郎は吹き飛ばされ、幾度も土間にひっくり返った。

見る見る頬は風船のように腫れ上がり、唇は歯で切れ、鮮血が唇の端から糸を引いて流れ落ち
た。
その痛みに耐えながら歯を食いしばり、眼に涙を浮かべ憎悪の眼で父親を睨み返す真二郎に、

「その眼は何だ!悔しくばもっとましな男になれ!さような軟弱でお上の御用が務まることなぞ
到底無理、もっと己を鍛え文武に励め!」

これが15歳を前にした真二郎にとっての父親像である。

「父上もお前のような時期を乗り越えて、今日の御役目を受け継がれて見えたのですよ、
そなたも今をこらえ、乗り越えて父上のようにお上のお役に立てる武士におなりなさい」
母も真二郎を叱咤激励する、これが当時は普通であったろう。

だが、何時の世にも同じ人間は存在しない。

心優しき者もあらば、闘争心の強い者もある、が 何れも普通の人間なのだ。
まして真二郎が生きたこの時代、弱者に残されてものは人生の敗北を意味する。
己の人生は己で切り開かねばならない弱肉強食の背景がそこに横たわっていた。

父に対して憎悪に燃えた真二郎は、ますます気性が荒ぶって行ったのは
しかたのないことだったのかもしれない。

かばって欲しい年頃、支えて欲しい母のぬくもりを躾(しつけ)という、
子供にとっては無意味に近い押しつけの愛情にすり替えられたと思い込み、
その厳しさの反動はますます道場通いに注がれた。

14歳になり、同心見習いに預けられたが、屈折した心は引受人の古参同心からも
疎んじられるようになり、それが又父母の叱責を買うこととなる、
いわば悪循環がこの子をして無頼仲間に染まる隙間を作ったとも言えよう。

引受人の古参同心もついには匙を投げる始末で、真二郎は家を開けることもしばしば・・・・・
かと言うて帰る所は此処しかなく、帰れば帰ったで小言が礫(つぶて)のごとく飛び通い、
時には拳固が三ツ四ツも飛んできた。

この子にとっては、ただひたすら拳を握りしめ、自分にとっては罵詈雑言とさえ想われる
親の思いを頭の上に素通りさせることが唯一その日の糧を腹に入れる手段であった。
こうして真二郎は間もなく20歳になろうとしていた。

家を開け、敷居をまたぐことを嫌い、ほとんど家には寄り付かず、霊岸島当たりで
無頼の日々を過ごし、金のためなら殺し以外はなんでもした。
彼にとって生きるとはそういう意味でしか捉えられなくなっていた。

それを知った母が探しだして意見をするも、もはや耳を貸す真二郎ではもはやなかった。

「私をこの様にしたのは母上と父上・・私は望みもせず頼みもしなかったのに、
自分勝手に私を産み落とし、想うようにしようと身勝手に私を創ろうとなされた。
私は人形でも傀儡(くぐつ・かいらい)でもない!私は私だ!」

何処でどうしてすれ違ってしまったのか母にもその理由(わけ)に覚えもなく、
ただひたすら立派な跡取りとして育ってほしいと願い、
そのためには時に心を鬼にせねばならなかっただけのこと、只それだけのことである。

頃は春、大川土手は花見の人出で賑わっていた。

花見は弘仁3年(812年)嵯峨天皇が神泉苑で花宴の節(はなうたげのせち)を催した。
これが後におせちになる。

御節供(おせちく・おせつく)は朝廷内での節会(せちえ)から生まれている。
当時の地主神社の桜がお気に召し、それ以後神社より献花させた、これが花見の始まりとも
言われている。

亨保5年(1720年)徳川吉宗がお鷹狩を復活させた、その為に農家の田畑をこれで荒らすことに
なり、鷹狩の場所や大川土手・飛鳥山に桜を植樹させ、花見見物の者達が土地の者に余録が落ち
るような政策をとった。

大川土手は花見客や酔狂人でひしめき、娯楽の少ないこの時代、庶民の最も楽しめる一つにも
なった。

今日は供に木村忠吾を控え、平蔵のんびりと川面を流す猪牙や屋形船なぞ様々に工夫して、
絢爛豪華に咲き競う土手の桜を眺める町の人々の、生き生きとした様子を懐手に、
川風がかすかな華の薫りをすくい取るように渋扇をくゆらせていた。

「お頭 嫌ぁ中々花見と申します物は良きものにございますなぁ・・・」
と平蔵の後に続きながらあちこちと目を走らせては止めている。

「おい うさぎ!美形でも見つけたかえ?」

「はぁ なな何でございましょう?」
忠吾突然の平蔵が声掛けに戸惑いつつ返事をはぐらかす。

「おいおい 忠吾お前ぇの言葉使いだけで儂は今お前が何を想うておるか判るんだぜえぇ」

「うっ ウソでございましょう、私を又々担がれておられるのでは?
私はそのようなことを想ってはおりませぬ」
と、慌てて否定した。

「ほれほれ そこよ、そこが怪しいと申すのだ、そのようなとは一体何だ?
何をそう慌てておるのだぇ?」
と平蔵が振り返って忠吾の反応を眺める。

「あっ またもやお頭は・・・・・かように私めをおからかいなされて・・・
私はちっともおかしくはございませぬ」
と、少々お冠である。

「いや 許せ許せ、どうでぃこの見事な桜・・・・・
なんともこう想わず口元も綻(ほころ)んで来ようと申すものではないか」
涼やかな一陣の風に、はらはらと花びらが舞い、
薄墨をかけたように遠近の空気感をはっきりと映し出す。

突然土手下で怒声が上がった。

振り返ってみると一団の浪人共が地回りの博徒ふうのものと対峙し、
一触即発の構えに入っている。

「おいおい 野暮はやめときな・・・」
平蔵懐から手を出し、ゆっくりと土手を下がって行く。

木村忠吾はと見ると、おずおずと平蔵の腰に隠れて従っている、まるで腰巾着ではある。
その時五十がらみで同心姿の男が素早くその中に割って入り、何か二言三言交わしている。
が、ふた手に分かれていた浪人と博徒風の者達が、一斉にその同心に殴りかかった。

「こいつぁいかぬ!おい忠吾従(つ」いてまいれ!」
平蔵急ぎ土手下に辿り着き、そのもめている中へ割って入った。

博徒風の屈強な男が浪人身形(みなり)の平蔵を一瞥して、ペっ!と唾を吐きかけた。
「そこをどきな三一!」

三一(さんぴん)とは年間の扶持(手当)が3両と1分という最も身分の低い武士をさして
言う見下した言葉である。

「おのれ無礼な!」
忠吾が思わず刀の柄に手をかけた。

「よしておけ!」
平蔵これを押さえてズイとその輪の中に入った。

同心風の男は、浪人風体の男に胸ぐらをつかまれ、抜き出した十手が、
ぶらぶらと風になびく柳のごと揺らいでいる。
すでに戦意喪失とも見て取れる具合である。

「おい!その手を離せ!」
平蔵は十手を持った腕を締めあげている男の手を、渋扇を畳んで打ち据えた。

痛くなぞはない、だがその行為は浪人の心底にこびりついていた自尊心を大いに傷つかせた。

「余計な世話だ、我らに構うな!」
浪人は平蔵を睨みつけて、更にその腕を高々と差し上げた。

「ううっ!!」
侍は顔を歪めて痛みをこらえている。

「解らぬのか?その手を離せと申しておる」
平蔵渋扇を帯に手挟み、ぐっとにらみを据えて刀の柄に手をかけた。

「きっ 貴様ぁやる気なのか!」
酔も手伝ってではあろうが、相手の気迫が読めていない。

手を離したや否や(シュッ)と鋭い鞘払いの音を残し、一気に抜刀し平蔵に斬りかかった。

「無粋な!」
平蔵 つっ!と半歩引いて太刀先を躱し、身体をひねって男の腕の脇に沿うように入り、
柄で刀をたたき落とした。

「おおっ!! おのれがぁ!!」残る浪人者が罵り声を上げて平蔵に襲いかかった。

平蔵体を躱してこれを避け、手首を握ったままの男を投げ飛ばした。
その勢いに散った花びらがフワと舞い上がった。

「喧嘩だぁ喧嘩だぁ!!」
周りは野次馬たちであっという間に黒山の人だかり。

さよう、火事と喧嘩は江戸の華・・・・・人の不幸は一番笑える・・・
対岸の火事とはよく言ったものである。

「やれやれ どうしようもねぇ野郎たちだなぁ」
平蔵、伝法な口調で周りを取り囲んだ男どもを眺めた。

「おうおう 勇ましいのが御登上だぜ!さぁ殺ってやれ、
町の屑を綺麗さっぱり大掃除と願いやすぜ」
野次馬の中から声が飛んだ。

「そうだそうだこんち花見の余興にゃぁ中々もってこいの場面!いよっ喜の字屋!!」

「ちっ!」
平蔵、事の成り行きを芝居でも観るような衆人に舌打ちをして

「おい うさぎ奴らを追っ払え!」
と野次馬を散会させるよう忠吾に命じる。

忠吾は懐の十手を抜き出して(チラリチラリ)と人だかりの周りを廻る。
それを確認(みた)野次馬たちはしぶしぶと散り始めた。

「おいおいおい 何処へ行くんでぇ・・・」
博徒風の男が後を追うように追いすがる。

「くっそぉ!やっとのところまで漕ぎ着けたのによぉ・・・・・」
思わずぼやいたのが平蔵の耳に達した。

「けっ やはりこいつぁ仕掛けだったんだな!とっとと消えろ、
さもなくばこの手で嫌でも追っ払うぜぇ」
刀を少し抜身に構えて平蔵一同を睨んだ。

しぶしぶと抜身を鞘に収めて四方八方に逃げる者共をじっと見やりながら、
後ろを振り返り
「お怪我はござらなんだか?」
平蔵はただ一人で無謀にも無頼の中に飛び込んだ武士に言葉を掛けた。

「誠にお恥ずかしい処をお目にお掛け申し、又危うき所をお助けいただき
誠に持ってかたじけのうござる、身共北町奉行所同心前橋茂左衛門と申す、
ところでお差し支えなければお手前の姓名なぞ伺ごうは失礼でござろうか?」
平蔵、相手が同心であると名乗ったものだから

「拙者長谷川忠之進と申す」
と何故か偽名を使い役職を名乗らなかった、
これは相手が同心であり、目上と見たことも含まれ、
盗賊改とは何ら関係の無き事柄でもあったからだろう。

「先程もご覧のように、私は剣術の方はからっきし、どちらかと申さば内勤(うちつとめ)が
性におうてござる、だが親代々の同心ゆえ、そうも行かず、
せがれには殊の外厳しゅう当たってしまい申した。

お笑いくだされ、その末が無頼の仲間に身をうずめ世を憚(はばか)って生きる先ほどの
無頼の者と同じにて、思わず己が腕も忘れ飛び込んでしもぅた、真 情けない始末にござる」

「ほほぅ で、そのせがれ殿は幾つになられた?」
平蔵我が身を翻(ひるがえ)っているようで、少々胸が痛む思いである。

「はい 間もなく二十歳、家を出たまま、元服もかなわず今は何処で何を致し、
いかが相成っておるやら・・・のう長谷川殿」
茂左衛門の言葉は平蔵にとって在りし日の父信雄の痛みを思い出していた。

「前橋どの、身共も若き頃似たような境涯を背負うたことがござる、
親の背の温もりが解った時にはすでにその父御(ててご)は此の世に無く、
いかにしようとも伝えることも叶わず無念の心地にござりますよ」

「儂もあやつが左様に想うてくれれば良いがと祈(ね)ごうておりますがなぁ・・
あは あはははは」
茂左衛門、肩に舞い落ちる桜の花を見上げ佇んでいる、
その両瞼(りょうめ)から熱いものがこぼれ落ちるのを、
花びらの舞う向こうに平蔵は観て取った。

「では又何処でかおめもじ叶ぅ事もござりましょう」
と別れ、再び土手上に戻った。

「お頭 何故盗賊改と申されませなんだので?」
と木村忠吾

「なぁうさぎ、儂はな、あの御仁の実直そうな態度に身元を伏せたのよ、想うても見るが良い、
ゴロつきとはいえ相手も二本差し、こっちはれっきとした八丁堀、
それだに赤子のごとくひねられて面目も消え失せておる、
そこに持って追い打ちの盗賊改はなんぼ何でも辛かぁねぇかい?」

「はぁ然様でございますか・・・・・武士の情けでございますなぁ」

「なぁに、儂はあのような御仁に心惹かれるのであろうよ」
平蔵 土手下で宴の最中の人々を眺め、自分の記憶にはこのような想い出の一つもないことが
無性に寂しく感じられた。

「あのせがれもこうであったのであろうか・・・・・」
胸に熱いものがこみ上げてきた。

「お頭!少し休みませぬか?先ほどの仲裁で喉もお乾きになられたのではと????」

「ふむ そうさなぁ それも又良かろう、よし!そこな茶屋で少し喉を潤わせると致すか」
平蔵はにこやかな笑みを浮かべて簡素な造りの茶店に入った。

縁台に腰を落とし、爛漫に咲きほこる花の下、遠くには都鳥が貝やカニなどを食べているのか
捕食の様子が見え、後ろには廣楽寺や妙高寺が控えている浅草は今戸町

「精が出るのぉ親爺!かような人出では、笑いも止まらぬであろうな?」
見るからに百姓という形(なり)の亭主は、歯の抜けた口元を緩めて

「へぇ 八代様のお鷹狩のお陰で、この辺りの俺等(わしら)百姓もこうして田畑を耕しながら
米の飯にもありつけやす。
まぁ時にゃぁ喧嘩やいざこざもございやすが、普段は静かなところでございやすからねぇえ
へへへへへ」
言いつつ、通い盆に茶と餅を載せて出てきた。

「おおっ これは見事な!」
平蔵 茶とともに出されたそれを観て驚いた。

質素ながら生地に素掛けの墨塗り盆、そこへ若竹を切りそろえた物に入れた煮だし茶の色目が
又美しい、それに添えての桜餅、その横に今を盛りの桜の花が一房添えられてあった。

「う~~~ん!・・・・・・」
平蔵このさりげない亭主の心遣いに感服した様子である。

「のぉご亭主、この気配り・・・
中々に出来るものではない、おまけに茶のたしなみなぞ縁もないと見ゆるが・・・」

「あはははは さようでございやす、浅草のお頭が時折お見えに御成なすって、
その折このような工夫を教わりやした」

「何とな!左衛門も参ったのか」

「へぇお屋敷がついこの奥でございやすから、時折寄ってくださいやす」

「うむ 然様か・・・いかにもあ奴の好み・・・・・・」
平蔵、茶を一口喉を湿らせ、葉に巻かれた桜餅を取り上げ、
添えられた黒文字で二つに分け口に運んだ。

「この葉の塩梅ぇが、いや中々餅に葉の薫りの移りが・・・又美味を増す」

「恐れ入りやす、こいつあ去年摘んだもので、ちょいと古ぅなっておりやすが、
聞くところでは、八代様のお奉行大岡様が町奉行になられたおり、大川土手の桜の葉を摘み、
樽にて塩漬けし、中に漉し餡を仕込んだ餅をこれで包んで長命寺門前で、
山本新六というお人がお出ししたのが始まりとか」

「おいおい 亭主!お前中々隅にはおけぬなぁ、儂は初めてその講釈を聞かされたぜ、
のぉ忠吾」

「いやはや全く仰せの通り、驚きましたなぁ、かえって村松様に伺ぅてみるのも、ふふふふ」

「やれやれお前ぇも悪だのぉ」
平蔵呆れながらも

「そのような講釈をお前ぇは一体何処から仕込んだのだぇ?」
と好奇心を満たそうと誘い水を向けてみた。

「へぇ 北町奉行所のお役人様でこの辺りの町廻りをなさって居られやす、
前橋茂左衛門様から伺いやした」

「何と!先ほどの御仁ではないか忠吾・・・・・
へぇ なるほどヤットウは得手ではないはずだ」

「まっこと!」

「いやぁ旨い!この餡の甘さを葉の塩味が引き立てて、焼いた皮を塩漬けの葉が
しっとりとなじませ、香ばしさの奥に潜めた餅の歯ごたえ・・・うむ!実に旨いぜ亭主!」
平蔵大満足の体で菊川町の役宅に戻った。

「誰ぞ!村松は居らぬか?」

「お頭、村松様で?」
御用部屋に控えていた同心沢田小平次がやって来た。

「おお 居らぬか?」
「間もなく戻ってまいると存じますが、お呼びいたしましょうか?」

「うむ、戻り次第ちと野暮な話につきおうてほしいと然様伝えてはくれぬか?」

「承知つかまつりました」
沢田が去った後、平蔵が妻女、久栄が茶を持って入ってきた。

「殿様今日は又ご機嫌が宜しゅうございますな、何かよろしきことでも後ざりましたか?」
と探りを入れてくる。

「おお こいつぁそなたに土産だ」

「はて何でござりましょう?・・・・・・
まぁこれは・・・」

「おう 長命寺の・・・」
「桜餅!!」

「ほう 流石よく存じておるのぉ、いやはやおなごは甘いものには目がないと申すゆえなぁ」

そこへ慌ただしい足音がして
「お頭 村松忠之進只今戻りました、何か火急のご用とか沢田殿が・・・・

「あっ!!!それはもしや長命寺・・・」

「わははは やはり猫どのには存じておったか」

「無論でござります、そもそもこれは八代様が先の南町奉行職に紀州よりお連れなされました
大岡忠相様をお据えになられたる亨保二年、大川沿いに桜を植栽なされたる落ち葉を
醤油樽にて塩漬けを工夫いたしたる山本新六なる者が、
長命寺門前にて一個4文で売り始めたもの。

元々は長命寺に墓参りを致す者共へ供したのが始まりにござります」

「あはははは いや 流石猫どのようご存知じゃぁ」

「いえぇ さほどのことではござりませぬ、元々は下総國銚子の在にて、元禄四年(1691年)
ころ長命寺の門番を致しておりましたる山本新六が、果てるとも知れぬ落ち葉の始末に困り、
その落ち葉を醤油樽に詰めておきましたる処これが中々に良き香りが致したそうにございまし
て、

これを小麦粉や微塵粉(みじんこ)、すなわちもち米を蒸しあげて後平たく伸ばし、
乾かさせたる後これを再び細かく砕きしもの、また、これを更に薄く伸ばし、軽く焼き込み、
砕きしものを焼微塵粉と申し、焼き色が着かない程度に焼いたものは寒梅粉と呼びます。

こちらは寒梅が咲く頃に前の年の秋取り入れましたる新米から作るゆえ、
かように申すそうにございます。

「ほほぉ寒梅粉とは、又雅味のある名じゃなぁ」

「はい!桜餅は、葉を水につけて塩抜きしておき、生地の粉を餅粉や白玉粉と少しづつ
取り混ぜ、それを薄く伸ばして焼きます。
餅がしっとりするほどに水気を残すところが塩梅と申せましょうか。

漉し餡を丸めて置いたものをこれにて包み、真水にて塩気を洗い落としましたる葉の
水気を取り巻き合わせます。

この焼いた香の匂い立つそれへ、葉のわずかに残れし磯の味が、
こう 口の中にて絡みおうて歯応えを持ちつつもしっとりと、
このあたりの塩梅が秘伝と・・・・・」

「やぁ 参った!そこまでとはこの儂も想わなんだ、感服じゃぁわぁははははははぁ」

「嫌ぁそこまで頭にお褒めいただきますと、この村松忠之進少々こそばゆうござります」

「と申されつつも、満更でもなさそうなお顔にございますなぁ殿様」

「うむ まこと久栄の申す通り、そうでもなさそうな顔だぜ猫どの、わはははは」


"この山本新六が務めた向島長命寺の山本屋2階を3月ほど借り受け、
自らその場所を月光楼と名付けた俳人正岡子規が逗留し、
「花の香を 若葉にこめて かぐわしき 桜の餅 家つとにせよ」
と詠んだのはよく知られている。


前橋茂左衛門の嫡男真二郎が亀島町の屋敷に戻らなくなってすでに久しい時が流れた。
心労の所為(せい)か、母千代女は床につく日々が多くなり、
下男夫婦も案じて真二郎の探索に駆けまわるが消息は不明のままに終わっている。

その日は朝から冷え込みの厳しい始まりであった。
五代将軍綱吉の慰安所として建てられた(麻布御殿・冨士見御殿)とも呼ばれた白金御殿に
引水した三田用水分水の白金分水、近くの山下橋には水車があり、
ここでそば粉を挽いたと言われている狸蕎麦、ここは四の橋を堺に渋谷川と古川に分かれている
起点にもなっている。

狸橋南側には、かつてこの辺りを慶應義塾の創設者、福沢諭吉が買い取り別荘(梅屋敷)に
使っていた。
後に慶應義塾幼稚舎と、コッホ、パスツール、に並ぶ世界3大細菌研究所である北里研究所が
建てられた。

その水車営業権の米搗(こめつき)水車で米を搗き、塾生の経費に当てたとか言われている。
この三丁ほど西に修験屋敷がある。

はじめは世をすねた小さな集まりであったものが、徐々にその勢力を拡大、
やがて100名を擁する集団にまで発展。
彼らは時の御政道に反旗を翻した。

松平定信による寛政の改革では蘭学の否定、身分制度の見直しに極端なまでの倹約令など、
庶民にも極めて厳しい締め付けが行われた。

加えて政治批判を禁じ、これにより洒落本作者山東京伝、黄表紙作家恋川春町、喜多川歌麿や、
東洲斎写楽版元の蔦屋重三郎なども処罰された。

蔦屋重三郎は曲亭馬琴や十返舎一九なども世に出した人物であったが、
過料によりその財産は半分を没収され、山東京伝は手鎖五十日という処分を受けた。

このような背景を元に膨らんだ組織だが、集団が共に暮らすには当然のことながら、
それなりの広さや物資、金品が必要になる。
そこで目をつけたのがこの白金の修験屋敷である。

この地を根城とする群狼"正義隊"(しょうぎたい)が結成されたのは、
このような経緯(いきさつ)であった。

こうして彼らは、市中を徘徊し、軍資金を調達し始めたが、それは徐々に過激さを増し、
ついには集団化してしまった。
だが、彼らを取り締まろうにも打つ手が見つからない。

何しろそれぞれが別々に数名で組み、いざこざや難癖を吹きかけ、
それを止めに入るという格好を作って手打ち金を要求搾取する。

これはいつなんどき何処で起こるか皆目見当すらつかない厄介な事件である。
過日平蔵と木村忠吾がぶつかった浅草大川土手の花見事件もその一つではなかったろうか?

南北町奉行でも昼夜を問わずこれらの警戒や探索も行われてはいたものの、
後の仕返しや店前に屯(たむろ)して、客の出入りを暗黙の武力で阻止し、
時にはいやがらせ等も行い、かと言ってその頃のお定めではこれを取り締まる法もなく、
泣き寝入りが普通であった。

むしろ地廻りのゴロツキよりもしつこさはなく少金(こがね)で片付いたし、
何よりその口上が共鳴する部分もあった。

「我らはお上がなされる御政道に苦しめられておる百姓・商人共を救済すべく
立ち上がりし志士、だが軍資金枯渇のゆえに我らが志に支援金を賜りたし・・・・」
と声高に口上を述べ、決して店中には入らない。

店中に入れば恐喝になる事も考えられるからであろう。
これは来客も気色悪がり、次第に店には寄り付かなくなる。

町役人に訴えても
「我らが些かの法も犯したと申されるならば、その証をお見せいただきたい」
と相成る。

このように被害届もでず、捉えても裁くところまで辿りつけない、全く厄介なものであった。

こうした中で江戸市中に入り込んでいた浪人たちが、更に群れをなすようになり、
一部ではこれらが日中強奪、略奪という形に暴徒化し、
江戸市中を恐怖のどん底に落とし込んだ。

このために昼夜を明かさず駆り出されたのが南北奉行所統括の与力・同心・・・・・
南北合わせて与力25騎、同心200名、これで100万の大江戸の治安に当たるのである。

当然、この中には秘書・人事・管理など捕物や探索に無関係の役人も含まれる、
しかも南北の月番があり、この半分以下が動けるに過ぎず、正に焼け石に水、
ほとんど効果はないと思える。

あとは同心たちが自腹を切って使っている目明しや、
その下っ引などからの情報に頼るしかないのが実情であった。

芝増上寺大門前、片岡門前町1丁目蝋燭問屋"丹波屋"娘"ゆき"が下女を伴い、
木挽町五丁目にある森田座の芝居見物に来ていた。

当時蝋燭はまだまだ一般的ではなく、菜種油やえごま油、更に安価な鰯(いわし)などを
絞った魚油が一般的であった。

"鰯油”といえば今の御時世DHA(青魚血液サラサラサプリメント)で
知らない人は少ないだろう。

蝋燭は漆(うるし)や櫨(はぜ)の実を砕き、それを蒸して圧縮し、木蝋を精製する。
もろこしや葦の葉を芯にしたが、上方(京都大阪)では木蝋に魚油や獣脂を混ぜ込み、
廉価なものを作った。
両者の明るさに差はないものの煤や匂いは強かった。

井原西鶴の(好色二代男)に贅沢のたとえで「毎日濃茶一服、伽羅三焼、蝋燭一挺宛を燈して」
とあるように、貴重なものであった。

庶民は魚油や菜種油を用いた行灯や、農村部では松脂蝋燭(松脂を笹の葉で包んだもの)
囲炉裏の明かり、また石鉢で松根(しょうこん)を焚いたり細割の竹に燈す等色々であった。

3匁5分掛(5本入り)で、1丁9文(225円)1本で1時間10分燃える。
菜種油1合40文(1000円)魚油1合20文(500円)を考えれば、かなり高額になる。

棒手振り1日200文(5000円)浅草紙100枚(再生紙のちり紙)100文(2500円)
の時代である。

蝋燭の灯は光源の光度を表す単位のカンデラ(燭灯・蝋燭1本の光度)から来ている。

家庭用電球の豆球が2カンデラだから、まぁほの明るいといったものか・・・
行灯となると更に暗く、60ワット電球の50分の1となるわけだから、
暗闇ではないという程度と想ったほうが良い。

この明かりを白紙に近づけると明るさは格段に向上する?

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2月号  狂犬 その2

撮影現場でレフ板という物を使用するが、これはその効果を利用して光を反射させ、
影を消す効果に用いられる。

このように高価であった丹波蝋燭を一手に扱っていた"丹波屋与兵衛"
それ以外にも丹波で取れる桐油(とうゆ)は灯火用には不向きで
あったが、雨傘や提灯などの防水材として重宝された物を取り扱うゆえに、
その懐は小判が唸っていたはずである。

当時芝居小屋は、山下御門から東南にまっすぐ西本願寺に向かうと三十間堀に架かる
木挽橋を渡ることになる。

当時の木戸銭は平土間で三十四~四十文(850~1000円)元々芝の上に座ってみたところから
芝居と呼ばれたように、半畳と呼ばれる敷物を借りて座ってみた。
下手な役者にはこの半畳を舞台へ投げ込んだところから、半畳を入れると言う言葉が生まれ、
現在相撲などで観られる座布団が飛ぶ光景に繋がっている。

平土間以外の高級席が桟敷で、舞台正面と左右両側に上下二段に設置され、
六名がひと枡に入れた(一人2833~5000円)。
"家賃より 高い桟敷へ のっちゃがる"(載って居やがる)と言われた。

この木挽町五丁目にある森田座の芝居見物を終え、表へと出た"丹波屋"の娘ゆき"、
下女を供に三十間堀を左方南に下がり、木挽町七丁目に架かる汐留橋を越え新町に入った。

この一つ先を入れば、そこからは播磨龍野藩脇坂淡路守・松平陸奥守・松平肥後守・森越中守・
關但馬守・大久保加賀守の大名上屋敷や中屋敷、下屋敷が並び、何れも門には手持辻番所
(大名辻番)が置かれ治安にも不安がない。

この道、一つ西は柴口一丁目から源助町、露月町、柴井町、宇田川町、神明町、
浜松町と増上寺大門前まで町家が並んでいる。

浜松町を右に折れると増上寺大門の通りになり、少し手前に飯倉神明宮があり、
この大門通りを挟んだ辻向いが片岡門前町である。
芝居見物は、行きも帰りも大概この道筋を選ぶ。

いつものように二人は木挽町七丁目に架かるお堀と呼ばれる汐留川(新橋川)
をまたぐ汐留橋を越え柴口新町に入った。
角を曲がりかけたその時、反対側から曲がって来た町衆と鉢合わせ
「おっとっとっと!」と、お互いに避けようとするものの、
どうも同じ方へ避けるものだから鉢合わせになったまま・・・・・

「どどど・・どうも申し訳ございません」
とあわてて下女が前に出て頭を下げた。

「危ねぇじゃぁねぇか!こんな角で駆けだしてよ・・・・」

「えっ?駆けてはおりません!」
きっぱりとした態度で下女が言い切った。

「おんやぁ何かい?俺が文(あや)でもつけたと言うんじゃぁねぇだろうなぁ えっ おい!」
そこへバラバラと3~4名の男が近寄ってきた。

「ななっ 何をなさいますご無体な!」
少し怯えながらも、再び強い語気で下女が娘をかばうように立ちはだかって叫んだ。

「無体?誰がぁ 何が無体なんだぁ? とっくりと聞かせもらおうではないか」
怯える二人をぐるっと取り囲んで威嚇してきた。

すっかり怯えたこの二人、背中合わせに身体を寄せて、救いの眼を向けるものの、
街行く人々は眼差しを避けるように足早に立ち去る。

「なんとか言えよ こっらっぁ!!」
もう蛇に睨まれた蛙も同然、寒空に脂汗がふつふつと噴き出している。


この時沢田小平次、同じ町内の播磨龍野藩脇坂淡路守の手持辻番所で、
近頃のこの界隈の話を聞いて汐留橋に向かい、歩き出したところであった。

「待て待て・・・」
小平次群れの中に割って入り、
「経緯はよくは判らぬが、まずお前たちが退け、おなご二人を取り囲んで何とする!」
と、両者を制した。予定外の登場人物に

「だだだっ誰でぇお前ぇは」
そこへ、遅ればせながら浪人姿の男が楊枝を咥えたまま懐手に寄ってきた。
一行はチラとその浪人に目線を送り、素早く元の目線に戻ったが、
それを見逃すはずもない沢田小平次
「ははぁお前が媒(なかだち)か!」
と、じろっとその浪人を見据えた。

居合わせた一同が一瞬動揺した所へ沢田小平次(くっ)と懐から十手を覗かせたものだから

「ちっ ここはまずい!」
誰かがそう吐き捨てるように言ったのを機に、パラパラと散開した。

「危ういところをお助けいただきまして誠にありがとうございました」
下女と娘が頭(こうべ)を低く垂れて礼を述べた。

「あっ いやいやこれしき、何でもございません、が 何処へお行きになられますので?」

つっ と娘が前に出て
「はいこの先の片岡門前町まで戻ります」
と小腰をかがめた。

「さようで・・・」
沢田小平次少しためらったが
「そこまでお供いたしましょう、先ほどの奴らがまだそこいらに居るやも知れませぬから」
と警護を申し出た。

「本当でございますか?」
娘の眸に安堵の色が浮かんだ。

「お嬢様本当に宜しゅうございましたねぇ」下女も胸をなでおろしたふうであった。

小平次は再び今きた道を戻り始めた。
先ほど別れたばかりの辻番所前で若党が

「あれまぁ沢田様又どうしてお戻りに?」
と前をゆく二人に好奇の目を向けながら寄ってきた。

「先程妙な奴らに絡まれてな・・・・・」
と前へ目線を移した。

「はぁさようで、先程も申しました通り、この辺りも媒(なかだち)やが
出没するようになりましたねぇ、ご用心なさいまし」
と気の毒そうに二人を眺めた。

十五丁弱(1.6キロ)の道のりを沢田小平次付かず離れず同行した。
關但馬守上屋敷の番小屋前で掃き掃除をしていた番太が

「あれっ 沢田様ぁ本日はこの界隈を?」
と、鉢巻を外しながら声をかけてきた。

「おう文助!毎日ご苦労だなぁ・・・女房のおしげはいかがした?」

「はい それが先日この先の七軒町飯倉神明宮前に蕎麦屋が出来まして、で 
そっちの方へ奉公にでております」

「何だぁ 蕎麦屋が出来たと?」

「はい 更科布屋の白蕎麦でございますよ、時には覗いてやってくださいまし」
と腰を折った。

それを聞いた下女が
「あのぉ お武家様のお名前は沢田様とおっしゃいますので?」

「ああ 然様 火付盗賊改方同心沢田小平次と申します」

「ああっ ああ、、、あの盗賊改めのお方で・・・・・」
今度は娘が驚きの声を上げた。

「これは誠に・・・・・何卒我が家にお立ち寄り願えませんでしょうか?
まだお礼も申し上げておりませんので、どうか父に会っては頂けませんでしょうか?ねぇお芳」

「然様でございますよお嬢様、あのように危ういところをお助けいただき、
おまけにこのようにお送りまでいただきましたのでございますから・・・
お武家様、どうかそのようにお願い申し上げます」

これにはさすがに朴訥(ぼくとつ)な沢田小平次、困った面持ちで引き下がろうとするところを
娘に袖をつかまれ

「どうぞ!どうぞお願い致します、このままお返しいたしましたら、
私がお父様に叱られてしまいますもの」
とすがる目つきで小平次を見やる。

「むむむむ・・・ふぅ・・・・・仕方ありませんなぁ」
沢田小平次しぶしぶ店の中に入る。

「お嬢様おかえりなさいまし、旦那様!お嬢様がお帰りでございますよ、
それにお客様もご一緒で・・・・・」

大番頭らしき五十がらみの男が帳場の中から奥に向かって声をかけた。

「おお おかえりおかえり、で芝居はどうだったかね?」
と言いつつさすがに丹波の木蝋を扱うだけあって、当時はまだ珍しい臈纈染(ろうけつぞめ)
の暖簾を分けて奥から出て来
「あっつ これはお客様で・・・」

沢田の拵えを見て取り
「娘がどうかいたしましたので?」
と、怪訝な顔で代わる代わる見返す。

「そうじゃァないの、お父様!汐留橋を渡って芝口新町に差し掛かったところで
嫌な人たちに囲まれたところをこの盗賊改めの沢田様にお助けいただき、
ここまで送っていただきましたのよ」
と、事の顛末をかいつまんで話した。

「何とまたあの者達が・・・然様でございましたか、これはこれは大変ご無礼を致しました、
私この蝋燭問屋丹波屋が主庄左衛門と申します、誠にこの度はかたじけのうございました、
ひとまず奥へお上がり頂けませんでしょうか?」
と慇懃(いんぎん)な態度で沢田を誘(いざな)った。

小平次無事に店まで届けたので、すぐにも戻るつもりでいたが、(またあの者達)
という丹波屋主の言葉が気にかかった。
「少々うかがいたこともあるゆえ、店先は商いにご迷惑、ご無礼して上がらせていただこう」
と、あないされるままに奥座敷に通った。

さすがに豪商と見えて、奥座敷の中庭に設(しつら)えられた庭は見事なもので、
これまであまり縁のなかったものだが、その沢田にさえ(これは・・・)
と驚く極められたものであった。

大きな梅の古木が軒を支えるようにしなり、対の部屋には枝垂れ桜の戯れが振り分けられ、
その中に細やかな造りの箱庭が位置を変える度に新しい景色を眺めさせる工夫がなされている。
それを眼で楽しむゆとりもないままに沢田小平次

「早速だがご主人、先ほど耳に挟んだ(あの者達)という話し・・・」

「はい この頃はこの辺りにも入れ替え立ちかえ店の前に座り込んで念仏なぞ唱えたり、
何やら口上を申されたり致しまして、その挙句幾ばくかの金品を受け取る新手のたかり。
先日も十人ほどがこの店を囲んでのお念仏、それも聞き取れぬほどの小声なのでお客様が
気味悪がりより付けません、そこで大番当が出て行きまして
「どうぞお通りください」
と申し上げました、ところがそれでも立ち去ろうと致しませんので、
やむなく私が出てまいりまして
「いずこの宗門のお方もお通り下さいと申しましたらば、すみやかにお立ち退き下さいます」
と申しましたらば、墨染めの片袖を挙げられましたので、私はそれも観ぬふりを致しまして
頭を下げておりました。
諦めたのかやがて姿を消しましてございます」

「で、金品は渡さなんだのだな?」

「はい、あのようなやり口はこの丹波屋庄左衛門受けるわけにはまいりません」
ときっぱりとした口調で言い切った。

その夜本所菊川町の長谷川平蔵役宅に戻ってきた沢田小平次、
早速本日の出来事を平蔵に事細かく報告した。

「うむ 事件にはならなんだのだな?」

「はい どうも近頃あちこちで似通ぅた話を聞きますので」

「うむ 先日儂もそのような奴らに遭ぅた、いやなんとも情けねぇ、
芝居掛かって反吐(へど)が出る。
平蔵思い出したくもないものを思い出さされた不愉快さを珍しくも顔に出した。

「誠に申し訳もござりません」

「おお!何のお前が謝る事っちゃぁねぇ・・・
なぁ沢田、世の中こうも廃れた世になったのは、やはり越中様の改革が首尾よぅ行かなんだと
いうことであろうか・・・・・」
平蔵腕組みをしながら鉛色に沈んでゆく江戸の空を見上げた。

この数日後、芝増上寺門前の蝋燭問屋"丹波屋"に押しこみが入り七百余両が強奪されたと
南町奉行配下の仙臺堀の政七が、平蔵が役宅に駆け込んできた。

「なにぃ!」

飛び出たのは沢田小平次
「で、家人のものに怪我などはなかったのか!?」

「へぃ それが大勢で押しかけ、皆刀をつきつけられて縛られ、猿轡(さるぐつわ)を
噛まされて身動きできないようになっていたそうで、主の丹波屋庄左衛門が蔵の鍵を渡し、
為替に換金する余金を強奪されたそうで、盗賊はその後庄左衛門の水月を刀で打ち据え
その場に打ち倒し逃走したようでございやす。

皆頬被りなどで顔を隠し手燭の明かりだけでは人相は読めなかったとか、
まぁ刃傷沙汰がなかっただけ救いもあろうかとお奉行様も・・・」

「筑後守様が然様申されたのか?」

平蔵が父宣雄と京都町奉行以来親交のあるこの池田筑後守長恵の胸の内を痛いほどに
よく判っていた。

「あの剛気豪快な筑後守様がなぁ・・・・・」

沢田小平次はすぐさま芝増上寺片岡門前町の"丹波屋"を尋ねた。

「嗚呼・・・・・これは沢田様・・・」
丹波屋の主庄左衛門と娘の"おゆき"が連れ立って沢田を出迎えた。

「まずは怪我がなく・・・宜しゅうござった」
沢田は言葉に困りながらそれだけ伝えた。

「沢田様 さようでございます、あのように大勢の押し込みではもはや命はないものと
その時は思いました、ですが、向こうは金子だけが目的だとはっきり申されまして、
まぁそれでひとまずは気を落ち着け、先方の言うことを聞き、
金蔵に残しておりました為替の代金を差し出しました。
あとは私もここを刀で一撃されまして気を失い、朝まで気付きませんでした」

「して その折の傷の方はいかがでしょうかな?」
「はい 何しろいきなりでございましたし、夜着だけでございますから今もって痛みは
残っております」
と、水月の辺りをさすってみせた。

「何か変わったこと、気づいたことはありませんでしたか?」

「はぁ・・・・・ああ、そういえば首領らしきものが左利きということぐらいしか」

「何左利き?」

「はい 刀は左に手挟んで居られましたものの、私の胸を掴まれましたおり左手で・・・・・」

「何故左様に想われた?」

「はい たいていは利き腕が先に出ます、私が襟を掴まれましたおり、
左側から腕が伸びましたのでとても不思議な面持ちが致しましたもので」

「なるほど・・・これまでさほど気にも掛けておりませなんだが、
確かにとっさの場合は利き腕が出ますからなぁ」

沢田小平次ひとまず家人の無事も確かめられたし、一つだけではあったものの
首謀者の中に左利きがいたということは、僅かの進展があったと言えよう。
このことを平蔵に報告すると

「うむ 間違いはなかろう、其奴確かに左利きであろうよ、儂が高杉銀平先生の道場で
稽古に励んでおったおり、左利きの門弟がおった、先生はそれを見て取られ

「左利きを嘆くではない、むしろそれを誇りに思え!通常剣は平常時右脇に控えるのが習わし、
これはとっさのおり右手では抜刀しづらいというところに意義がある、
だが左利きならばたとえ座して居っても、いとも簡単に抜刀できる、
しかも剣は常に右手が鍔元にあり、左手は柄頭におき、身体の正中で動きを制する、
従い遠刀での振り切りにはむしろ左利きの方に分がある。

それを会得するために右利きは片手でのみの素振りを余計に稽古せねばならぬ、
と仰せであったことを思い出したぜ。
たしかかような抜刀術を修めた流儀があったなぁ・・・・・水鷗流・・・であったか」

「然様な剣法がございますので・・・・・
一度手合わせ出来れば、見切る事も出来るやも知れませぬなぁ」
平蔵をして(まともにやりおうたら、この儂とて果たして勝てるかどうか)
と言わしめる小野派一刀流名手の沢田小平次である。

その数日後、麻布十番飯倉新町の江戸口油問屋"大津屋江戸前店"に賊が押し入り
油五樽が強奪された。
五樽といえば二百升(一樽72リットル、中身だけでも一樽三十六キロ)
さすがにこれは抱えるわけにもいかず荷車を仕立てて運ばれ、
飯倉町の堀留船着場から小舟は闇夜を継いで何処へかに消えていった。

油は上方から運ばれて来たために"大津屋"は川船がそのまま着けられる
麻布飯倉新町に構えていた。
翌日になって店の開かないのを、不審に思った隣の薬種問屋の小僧が主に報告してこれが発覚。

こちらも店の者には一切怪我もなく、一箇所に集められていいた所を北町奉行の調べで
開放され犯罪が判明した。
荷車はすぐ傍の堀留にある船着場に放置されており、荷車もこの"大津屋"のものと判明、
盗賊一味は用意周到にことを運んだと想われる。

物が油と言うだけに奉行所でも神経をとがらせては見たものの、霧のごとく容易にその行く先は
つかめない、まさに五里霧中、打つ手はなしであった。

以前は麻布広尾田島町古川四之橋(よのはし)たもとに汁粉屋があった、
あまりの旨さに狐が買いに来たという風評で評判となった、その主は尾張屋藤兵衛、
この藤兵衛これが元で大儲けをし、京橋三十間堀に移った。

そのあとをそのまま鰻屋が開店したが、何故かそのまま狐鰻と呼ばれ、繁盛していた。
江戸はすでに師走を迎え、町行く者もどこか慌ただしさを増していた。

その数日後、過日沢田小平次が折よく無頼の者達から窮地を助けた芝増上寺片岡門前町の
"丹波屋"主人庄左衛門から、たってのお願いと、沢田小平次に誘いがあった。

その日は沢田もちょうど非番であったために平蔵
「おお沢田調度よいではないか、お前に助けられたことが余程有り難かったのであろうよ、
無下にするのも何だ、良いではないかたまには羽を伸ばすもよかろう、遠慮致さずとも良い」
と奨められたこともありこの日朝から芝増上寺片岡門前町の"丹波屋"に出かけた。

海賊奉行(御船手奉行)向井将監忠勝屋敷のある、新堀河岸の将監橋(海賊橋)から
屋形船を仕立て"丹波屋庄左衛門と娘ゆきの三名を乗せた船は、ゆらゆらと古川をさかのぼる、
この1ノ橋までが汽水域で、風次第では微かに潮の薫りがした。

麻布飯倉町1ノ橋を南へと曲がり、橋西側の間部若狭守下屋敷があるために間部橋と
呼ばれていた2ノ橋を潜り新堀川へと続く。

1675年河口の金杉橋から1ノ橋までを掘り下げて、荷船が通れるように改修した、
このためにこの域を新堀川と呼び、1ノ橋西側に地下から水が吹き出す井戸があり、
この井戸の名水を使って傍処"永坂更科布屋太兵衛"が繁盛したものである。

2ノ橋を過ぎた辺りから新堀端の荷揚げ場の華やかな声が屋形船の中にも届いてきた。

障子を開けると師走の荷揚げで活気のある声があちこちで飛び交っている。
「この辺りお武家様のお屋敷も多く、さすがに賑やかは又格別でございますねぇ」
と丹波屋。

傍から娘の"ゆき"が
「お父様今度は沢田様を夏にお誘いいたしましょうよ、ねぇねぇ宜しゅうございましょう
沢田様!」
ゆきは眸を輝かせて沢田の顔を覗き見る。

「これ"ゆき"!沢田様はお武家様、しかも盗賊改めの大切な御用をお勤めのお方、
そのようなお方に無理のお誘いはご無礼というものですよ」
と娘の気持ちを感じながら穏やかに諭した。

「でもぉ あっ 夏になると夕涼みがてら蛍を眺めにねぇねぇ沢田様!
夕方から鮎を頂いてゆっくりと・・・・・いけませんか?・・・・・」
娘の天真爛漫な態度に武骨者の沢田小平次汗が出来た。

「あら 沢田様!何かお困りでございますか?」

「これ ゆき!ご無礼があってはなりませんよ、沢田様がお困りのご様子ではありませんか」
と、再び窘める」

「ねぇ だめでございますか・・・・・・?」

「弱りましたなぁ・・・」
沢田小平次、鬢(びん・横髪)を掻きながら丹波屋の方へ救いの目を向ける。

「申し訳もございません沢田様、何しろたった一人の娘なもので甘やかしてしまいました。
これまでかようなことを言い出したこともございませんので、私自身が戸惑うております、
もしご迷惑でなければ娘のわがままをお聞き届け願えませんでしょうか?」

救いを求めた相手にまでこう迫られは、武骨者の沢田小平次タジタジで
「はっ はぁそのぉ・・・・・」

「だめでございますか?」

「だだだっ 駄目とは・・・・・」

「宜しいのでございますね!まぁ嬉しい! ねぇお父様それまでにどこぞへ沢田様をお誘い
いたしましょうよ、ねっ!あっ そうだわ!森田座のお芝居はどうかしらねぇねぇ・・・
あ・・沢田様奥方様はお迎えなされて居られますの?」

無頼の者相手ならば臆することも無く切って捨てる沢田であったが、あいてがこの無邪気な娘、
はてさてどうしたものかと、まぶたに浮かぶのは長谷川平蔵の顔であった。

「これ!ゆき 沢田様がお困りのご様子ではありませんか、
誠に申し理由(わけ)もございません沢田様、年頃の娘の申します事ゆえ、
あまりお気になされませんようお願い致します」
丹波屋、いささか恥じ入った風に笑いながらも目を細める。

どれほどこの娘を愛しく思っているか、沢田小平次にもそれはよく伝わっていた。

「まぁお父様、私は沢田様にお伺いいたしているのでございますよ、
だっていつも想ったことは素直に口に出す、それが一番大切な生き方だと
おっしゃって居られますのに、ねぇ、で 奥方様は?」
と困り果てた小平次の様子に上気した笑顔を向ける。

「はぁ 母ひとり子一人の侘び住まい、まだまだ嫁取りなぞは・・・・・」
沢田小平次冷や汗を拭いながら小声で応えた。

「まぁ・・・・・・よかった!」

「何を言っているのですお前は・・・・・」

この時船が急に向きを変えたために船がぐらりと揺らいだ。

「きゃっ!」
と小さな悲鳴を上げてゆきが横に倒れかけた。

向かいに座していた沢田小平次思わず片膝立ててこれを支えた。
あとで思えば芝居がかった倒れ方ではあったが、その時はとっさの出来事、
そこまで思い量る余裕はなかった。

「あっ これは失礼をいたしました!」
小平次慌ててゆきを支えていた腕を抜いた。
若い娘の柔らかな感触が微かに残っていた。

肥後殿橋(3ノ橋・会津藩松平肥後守下屋敷脇にあったため)を急角度に西へ折れたあと、
青々と茂った被り松がゆらゆらと川面に影を落とす堀石見守下屋敷脇を
(土浦藩主土屋相模守下屋敷)4ノ橋(よのはし)に向かった。

「この廣尾原辺り(うぐひすを尋ね々々て阿在婦まで)と詠まれたように、
なかなかのどかで、時折喧騒を嫌ぅて船を仕立ててまいります。
春ともなれば花見の宴で賑わいますが、季節も下がれば侘しい処、
それが又宜しいのでございましょうかねぇ沢田様」

丹波屋庄左衛門手炙りに手をかざしながら、硬くなっている沢田小平次に笑顔を向ける。

お退屈様にございました」
船頭が障子を開けて声をかけてきた。

「おお 沢田様着きましたようで、道中さぞや窮屈なされたと存じます、
何卒この丹波屋に免じてお許しくださいませ、では早速ご案内を」
と小平次を先にあないした。

橋の袂に構えられた2階屋の小料理屋「狐鰻や」は、人の出入りも多く、賑わっている。

それからひとときの満ちた時を過ごし、戻りの船のなか、
「友助さん、ご苦労さんだったねぇ、これをおかみさんに・・・」
そう言って丹波屋が小さな包を船頭に手渡した。

「あっ これはどうも旦那様いつもお気遣いをいただきましてありがとうございます、
女房も喜びます、ありがとうございます」

「何の何の、いつもお前さんは無理をお願いしているのですから、
この程度気になさることはありませんよ、ところで面白い話は聞かなかったかね、
お前さんが仕入れて来る話は中々面白い」
丹波屋慣れた風に船頭と言葉をかわした。

「あっ そう言えば、さっきここの板場で、まぁ旦那様には面白いかどうかは判りませんが、
だいぶ前からこの先渋谷川の山下橋にある水車小屋に結構な米が運び込まれて、
米を搗(つく)のにも番取りが要るようになって大変なのだそうで、
しかもこの前なんぞは屋敷の前に置かれてあった油樽5つが昨日は綺麗になくなっていたよう
で、一体あんな量の油をどうするのかって不思議がっておりました」

その話を聞くとも無く聞き流していた沢田小平次(んっ!!??)油樽??
先日聞きこんだ麻布十番飯倉新町の江戸口油問屋"大津屋江戸前店の一件を
まざまざと思い出した。

「申し訳ないが、少々待ってもらえぬか丹波屋どの、
その話、もそっと詳しく聞かせてもらいたいので」

「えっ 沢田様何か御役目に関するお話でも?」

「はい 誠にすまぬのだが船頭、たしか友助と申したな、その話何時のことだ?」

「はい、丹波屋の旦那様を待っている間のことでございます、それがどうかしましたので?」

「いや詳しく話すことは出来ぬが、その話間違いはないな!」

「はい 間違いはございません、何しろ聞いたばかりなので・・・・・」

この日遅くなって菊川町の火付盗賊改方役宅に戻ってきた沢田小平次、
早速平蔵に目通り願い、事の顛末を話した。

「何ぃ 大津屋だと!!」

「はい まさかと、耳を疑いましたが真のことで、急ぎ立ち戻りました」

「おおっ でかしたぜ沢田!こいつぁもしかしたら切れた糸がつながるやも知れぬ、
夜分ですまぬが麻布は確か松永の持ち場であったな、すぐさま松永をこれへ、
ああ・・それから竹内と伊三次も呼んできてくれぬか」

暫くして松永、竹内両名と密偵の伊三次が平蔵の前に控えた。

「おお 誠に済まぬ、が 火急の用向きにつき呼び出した、お前達二人、
急ぎ麻布広尾原まで行ってくれ、目的は渋谷川の修験屋敷を見張って欲しいのだ、
繋ぎに伊三次を付ける。
伊三次お前は何か事あらば二人の繋ぎを頼む。

「お頭一体何ごとでございます?急と申されましたので通うな格好で参りましたが」

「うむ 実はな、先程沢田が聞きこんで参った話なのだがな・・・・・」
平蔵、沢田の聞き込んだ話を手短に伝え、
「外は冷える用心いたせよ」
と、3名を送り出した。

こうしてその日のうちにも麻布広尾原の修験屋敷は盗賊改めの監視下に置かれて、
翌日よりこの一帯に関する聞き込みが始まり、凡そのことが掴めた。

伊三次の報告ではこの数カ月の間に浪人たちが屯(たむろ)するようになり、
その数もますます増えつつあること。
加えて、何か大仕事をするらしいと言うことを、水車小屋に米搗きに来たこの修験屋敷に
まかないで駆りだされている女が話してくれた。

「何しろ百人近くのお侍さんたちの飯の支度だ、大根汁に根深の汁を作っております、
これだけでもおおごとで」

「油樽が置いてあるか?」
と問いただすと、

「何でもどこかに火を付けて、その間にひと騒ぎ起こそうとか、
そんな話し声が障子越しに聞こえました」

「よし、このことは誰にも話すではないぞと固く口止めしておきましたそうで」
と答えた。

「何ぃ!火を放つだと・・・・・この師走に・・・何処に火付けをするか、
風向き如何では江戸は火に包まれてしまう、このような多勢のおり、
我ら盗賊改めだけではとてもではないが手が足りぬ、馬引けぃ!」
妻女久栄に命じ、急遽衣服を整え南北両奉行所へ向かった。

向かうは南町奉行池田筑後守長恵を訪れ、事の顛末を手短に話し助成を嘆願、
踵(きびす)を返し北町奉行小田切直年に至急のおめ通りを願った。

長谷川平蔵とは老中が刑法の御定書を厳格化することに共に異を唱えた経緯もあり、
知古の間柄でもあった。

一行は白金村光禅寺に集結、南北両奉行の談合にて狸橋は北町が山下橋は南町の各与力2名に
捕り方十名づつで固め、万一の逃走経路を遮断、残り半数の者は吉田神道屋敷に
逃げ込まないようにこれらを固め、本来武力抗争を取り締まることのない実戦経験の少ない町方
は後方支援という形で火付盗賊改方に打ち込みの一切を託すことになった。

平蔵の指揮のもと、まずは古田神道屋敷に酒井祐介を密かに送り込み、
手早く戸締まりをするよう指示を出し、直ちに掃討作戦が執り行われた。

それと同時に南北奉行所の町廻り同心や与力が各々の持ち場にと散開する。

着流しの格好で松永弥四郎が修験屋敷裏手からまかない手伝いの百姓女を呼び出した。
打ち込み隊は表を長谷川平蔵が指揮(とり)、裏側は筆頭与力佐嶋忠介、
右翼を筆頭同心酒井祐介、左翼は沢田小平次がこれを務め、水も漏らさぬ布陣で取り囲んだ。

真昼の捕物とあって身を潜めるのも中々容易ではない、しかも二百名に近い大集団である僅かの動きも漏れれば全ては水泡に帰す・・・・・
物音一つにも注意がなされ、捕物道具の刺又(さすまた)や袖絡(そでがらめ)
突棒(つくぼう)これに金輪、六尺棒、四方梯子、投卵子(めつぶし)投網など
用意周到に柄物(えもの)を持った捕り方が打ち込み方の外を固める。

松永弥四郎は浪人風体のために、怪しまれることもなくたやすく手伝い女達と接触も叶い、
速やかに数名を外部に収容出来た。

慌ただしい空気に気づいたのか修験屋敷から二~三名のものが外に出てきた。
橋の袂に伏せている捕り方や、屋敷の周りも異様な空気に包まれていることが感じられた。

「お~い!何か妙だぞ、どうも嫌な予感がする!!」
その言葉にバラバラと数名の浪人共が飛び出してきた。

よく見れば橋の袂に捕り物道具がチラチラと覗いているのが散見された。

「しまった!役人どもがここを嗅ぎつけたようだ皆出てこい!!」
大声に叫んだものだから、どやどやと浪人たちが外に出てきた。

それを見て取った長谷川平蔵
「それ!!懸かれ!」
それと同時に左右に伏せていた、両奉行所の捕り方が一斉に投卵子を浪人共にめがけて投じる。
次々と命中し、辺りは石灰や唐辛子の粉で煙幕を張ったようになる。

顔や肩、背中ありとあらゆる場所に命中したものだから、
あまりの激しい痛みに戦闘意欲は失せ、急いでそこを離脱しようと試みる。

これを待ち伏せていた捕り方が袖搦で袖を巻き取り刀を奪い、六尺棒や八尺棒を投げつけ、
目潰しで視力を奪われた浪人たちはこれに足を取られその場に転倒、これを速やかに捕縛する。

目つぶしの舞う中にも、次々と内部から脇のとを蹴破って外へ出てくるおびただしい集団に
刺又や突棒が浴びせられ、足や腕、腹などいたるところをこれらで刺され、
戦意喪失した者共へ金輪が二つも三つも掛けられてその場に引き倒された。

あちこちで阿鼻驚嘆の声、罵声に怒声が入り混じり、ここは正に戦場と化していた。
だが、群狼共は怯まず抜身で散会し立ち向かってきた。

長谷川平蔵「すでにここは囲まれておる、逃げ延びることは出来ぬと覚悟致し、
すみやかに縛につけ!抗う者あらばこの場にて打ち取る!」
と呼ばわった。

こうなったからにはやむなしと投降するものもあらば、刃をなりふり構わず振り回し、
盗賊改めによって切り伏せられる者ありとまさに修羅場の様相である。

あちこちで剣戟の音が交叉され、鋼の焦げた匂いが時折漂ってくる、激しい戦闘は続いている。
平蔵一人を切り伏せ、ズイと奥に入った。

待ち構えていたと想われる浪人を認め平蔵右八双に構えたその刹那を狙って、
左に手挟んだ刀の鍔に手を掛け右手で柄口を握ったのを瞬時に見て取った平蔵、
その間合いの凄まじさに気を合わせる間もなく、無意識に大きく後ろに飛び退くも、
相手の放った一撃は左手そのままに逆手で一気に逆袈裟斬りに抜刀してきた。

左手は刀を逆手のまま振り抜き、右手で刀の峯を支えながら下から押し上げる実戦技である。

平蔵の装束丸胴に胸当てが、右下から左上にかけてざっくりと切り裂かれ、
かろうじて左の二の腕をかすめて引きぬかれた、はらりと平蔵の左袖が垂れ下がった。

その隙に相手は刀を返そうと右手に持ち変える刹那平蔵は八双から正眼に切っ先をさげ、
真っ直ぐ突き進んで敵の胸を貫いた。
平蔵の刃は深々と胸を貫き刀の真ん中辺りで止まった。

(ぐえっ!!)平蔵にもたれかかるように敵の体が被さってきた。

それを見越したもう一人が間髪をいれず平蔵に襲いかかってきた。
平蔵これをかろうじて避けながら脇差しを一気に抜き放った。

(ぎゃっ!!)と低い悲鳴を上げてそのまま平蔵の後方に崩れ落ちた。
平蔵先程貫いた己の刀を左手に握り相手の胸に足を掛け一気に引き抜く。

「お頭!」
近くで応戦していた沢田小平治が駆け寄って来る。

「ご無事で!」
平蔵右手の脇差しに血振りをくれてやり鞘に戻し、沢田を振り返った。

「おう いやなんとも凄まじい太刀筋と想いもよらぬ早業に儂としたことが
不覚を取ってしもうた、此奴が過日お前が申しておった左利きの奴に間違いあるまいよ、
いやそれにしても今想うても背筋が凍る、まるで狂犬のようであった、
げに恐ろしき者が居るものよ、世間は広いとつくづく思うぜ」

こうして一刻あまりの交戦の末、火付盗賊改方によって切り捨てられたもの十余名、
怪我を負いし者二十五名捕り物道具で絡め取られし者、投降捕縛されたもの六十余名を数えた
大捕り物であった。

打ち込みに加わった火付盗賊改方の中や南北奉行所の与力・同心・捕り方の中にも
怪我や傷を追ったものも多数出た模様である。

動けるものや歩けるものは屋敷前に集められ、南北両奉行所の係にて改めて正規の捕縛がなされ
ていた。

平蔵その中に過日大川土手で出会った北町奉行所同心前橋茂左衛門の姿を見

「やっ!これは・・・」
とねぎらいの声をかけた。

「??? あっ その節の・・・長谷川殿・・・何故ご貴殿がここに・・・・・」
「申し遅れ申立、身共火付盗賊改方 長谷川平蔵にござる」
と改めて名を明かした。

「何と・・・・・」
茂左衛門驚くばかりであった。

そこへ引き出された正義隊(しょうぎたい)最後の捕縛せし者の中に
息子真二郎を発見した前橋茂左衛門、信じられない光景に双瞼を見開き言葉を失った。 

「真二郎!!」驚愕しながらも思わず声が出た。
その声に振り向いた若者が

「父上!!」
と叫んで身を乗り出した、が 小役人に制され押しとどめられた。

茂左衛門、手にしていた捕綱を離し真二郎に向かって走り寄り、その縄目を掴み、
目にも留まらぬ速さで脇差しを抜きこれを臆する事無く一突き

「真二郎すまぬ、許せ!」
と叫び、さらにそれを持って自らの首を掻き切った。

(おおっ!!!!)あまり一瞬の出来事に、平蔵も沢田もあっけにとられて突っ立ったまま
為す術もなかった。

「長谷川殿・・・見苦しき所を晒し申し訳もござらぬ、これが身共のけじめにござる」
苦しい息の下で、抱え上げた長谷川平蔵にそう言い残し茂左衛門は絶命して果てた。

「何と!!・・・・・何と言うことを・・・これがそこ元の始末であったのか・・・
肝胆相照らす友になれると思うたに、無念!無念!!」

長谷川平蔵はその場に片膝従いてがっくりとうなだれた。

平蔵、火付盗賊改方の捕り方に命じ、真二郎の縄目を解かせ、
この二人の骸を外れた戸板に乗せ、渋谷川三ノ橋を渡った先にある光林寺に一時保管をさせ、
茂左衛門は戦闘での殉死、捕縛された嫡男真二郎は同心見習い中の殉死とした。

後に当月番である南町奉行所でのお調書には、軍資金を稼ぐために鎌倉河岸に火を放ち、
その隙に本革屋町の金座を襲という計画であったことが判明。

「これが実行されていたらと想うだけでも空恐ろしくなる、
風向き次第では江戸の町がすべて灰に帰するやも知れぬからのう」
これは平蔵の偽らざる思いであった。

振り返ってみれば、忠吾との大川花見事件が、沢田小平次の丹波屋事件がなくば、
もしかしてこれは現実になっていたかもしれないのである。

正義隊頭領は駿河国浪人五林典膳、以下浪人、無頼の者など剣で生きられない世の中に翻弄され
続けてきた者達の集まりであったという。

翌日北町奉行所よりの知らせで、夫茂左衛門と嫡男真二郎親子の最期を聞いた千代女は、
その夜半、仏前に正座し、両足と膝前を細紐で縛ったまま短刀でおのが喉を刺し貫き果ててい
た。

翌日鉄砲町の文治郎より伝えられた長谷川平蔵
「あわれな・・・・・誰が、どちらが悪いのでもない・・・
だが水は高きから低きへと流れるが道理、人の力でどうになるものでもない。

人を生かすが政(まつりごと)、なれど、それも用い方次第では此度のような企ても
起こりうる、不条理と申すほか儂には解らぬ、それにしても無念でならぬ。

儂とてあの親父(信雄)がいなくば、このようになっておったやも知れぬ、
真、親子の絆を何処で保つか・・・・・想えば想うほど此度の事、虚しゅうてならぬ」
庭に佇む平蔵、見上げれば哀しみの化身とも想える白いものが舞い落ちて来た。

「雪か・・・・・寒い!身も心も冷え冷えと・・・・・寒い!」

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2017年新年号 万華鏡 その1


佐嶋忠介

笹や おくま

この日平蔵は久しぶりに忠吾を伴って市中見廻りに出かけた。
菊川町役宅を出て右に曲がれば、伊豫橋・北ノ橋へ続き大川へと出る。

伊豫橋手前を右に上がると五軒堀沿いの突き当りに萬徳院弥勒寺番小屋があり、
それを左に折れて弥勒寺の塀にそって弥勒寺橋手前を右に折れれば弥勒寺門前に出る。

この弥勒寺、元々は小石川鷹匠町に創建されるも元禄二年に本所に移転したもの。
この寺の薬師如来像は徳川光圀から寄進されたもので、江戸十二薬師の一つとして
知られている。

平蔵は門前町の笹やの床几に腰を下ろし、前を流れる五間堀の方を眺めるとはなしに
眺めていた。

「あれぇっ 銕っつあんじゃぁないけぇ」素っ頓狂な声が後ろから飛び出してきた。
平蔵は苦笑いをしながら「おう おくま達者かえ?」と応えた。

「あれまぁ わしの事を気にかけてくれるたぁ嬉しいねぇねぇ銕っつあん!」
首っ玉にでもしがみつかんばかりの喜びようである。

「やれやれ・・・・」忠吾の漏らしたこの言葉がまずかった
「何でぇ何か文句があっかぁ!」おくまの地獄耳は忠吾の独り言を聞き逃すことはなかった。

「あっ いやぁそのぉ何だ相変わらずお前の声が大きいので」
と取り繕ったが、これが益々おくまの耳を騒がせた。

「てやんでぇうさ公!耳が遠くて悪かったなぁ、こう見えてもこのおくま、
耳ぁ昔っから達者だぁ、お前ぇの悪口ぁ聞き逃すもんでねぇ」と来たもんだ。

「何だと!俺のことをうさ公とは無礼な!」
とうとう忠吾も喧嘩を買ってしまった。

「おう言ったがどうしたぃ、おら銕っつあん以外ぇ将軍様から在所のゴロツキまで
怖ぇもんはねぇんだよぉ、へっ おととい来やがれ!」
とケツをまくらん勢いである。

忠吾の眉間がピリピリ引きつるのを平蔵眺めながらにやにやしている。

「おっ お頭ぁ・・・・・・」
忠吾はおくまの勢いに押し倒されそうな己の無勢を平蔵に振ろうとする、

「おいうさぎ!まだまだお前ぇにゃぁおくまの相手は務まらぬ、
あの口八丁の彦十さえ歯が立たねぇ、諦めて矛を収めな、わははははは」

「おおおっ お頭 それは何でも・・・・・」
「出来ぬと申すか?」
「はぁ・・・・・・」
「ならばおくまに食われるまでだなぁ、のうおくま」
平蔵は愉快そうに忠吾の顔を見た。

「ひひひひひ さすが銕っつあん!やっぱしオラの味方だにゃぁ、
ヤイうさ公解ったけぇ」と手放しである。

「おい それよりおくま茶でも出さぬか!軍鶏の喧嘩は後回しにしてよ」と振り返った。

「おっと合点!」そう言って引込みしばらくして酒の支度をして出てきた。

「おっ 気が利くじゃぁねぇか!」平蔵相好を崩して盃をだす。

「当たり前ぇだぁねぇ 銕っつあんの顔を一目見りゃぁ今何がほしいか何てぇ
とっくにお見通しだぁね、何しろオラと銕っつあんは・・・・」
言いかけたところへ平蔵
「おいおい おくまそれくれぇにしておけ」と口に手を当ててみせた。

「おっと こりゃぁオラとしたことが」
おくまはニヤニヤ笑いながら忠吾の方に向き直り

「どうだいお前ぇさん、今夜あたり・・・・・ひひひひ」と覗きこんだ。

ぶっ!飲みかけた茶を吹き出す忠吾である。

「ところでおくまこの所変わった話は無ぇかえ?」と切り出した。

「そういやぁこのまえ いぼとり地蔵にお参りした行商の六助とっつあんが
中川の船番所で行徳から来た船に乗っていたおなごの二人連れを防人の番人が
恐ろしい顔で追い返していたとか言っとったけんじょ、何があったんかねぇ銕っつあん」
と平蔵の顔を見上げた。

事実この時俳人小林一茶は故郷の柏原へ帰ろうと行徳から船に乗った。
この時この船頭が藪をまたぐ抜け道を教えてくれ、そのとおりにして無事この関を越えている、

その時の句「茨(ばら)の花 爰(ここ)をまたげと咲きにけり」が残されている。

「お頭 そのいぼとり地蔵とは何でござります?」忠吾が口を挟む

「ありゃぁ お前ぇ何んにも知らねぇだか へっ 呆れたもんだにゃぁ」とおくま

「何だとぉ!」いきり立つ忠吾を平蔵

「まぁまぁこらえてやれ忠吾、年寄りの言うことだ」これがまずかった

「何処に年寄りがいるってんでぃ、いくら銕っつあんでもそいつぁ聞き逃せやしねぇ」
と持った盆を振りかざした。

「やっ! こいつぁおれが悪かった、つい口が滑ってなぁへへへへへ、
怒るなおくま、怒るとシワが増えるというぜぇ、それ以上増やしてどうなる」

「言ってくれるじゃぁねぇか銕っつあん、そりゃぁ言い過ぎってぇもんだよ、
おらずいぶんと傷ついちまったよぉ」と少々しょげかえってしまった。

「先ほどの話だがな、・・・中川の船番所を小名木川にそって西へ取ると稲荷山宝塔寺がある、
この辺りは小名木川や行徳街道を通う商人たちがこの塩なめ地蔵堂の前で休みを取り、
その折商売繁盛を願って塩一握りを供えて
「おんかかか びさんま えい そわか」と三回唱えてお参りする、
この仏前の塩を戴き、イボに塗るとこれが治ると言われて、
イボ取り地蔵とも呼ばれておるそうな、左様であったなぁおくま」
平蔵はおくまに話題を振った。

「さすが銕っつあん!そん通りだよぉ」とおくまご機嫌を直した。

「出女に入り鉄砲かぁ・・・・・・おそらくどこぞのご家中の奥の者であったやも知れぬなぁ」
平蔵は最早形骸化している江戸詰の藩の内情に思いを馳せた。

平蔵酒代を懐紙に包んで
「取っておけ、又寄るぜ」と刀を腰に手挟み立ち上がった。

「又きっと寄っとくれよぉ・・・・・」
おくまのすがりつきそうな目を避けながら
「美味かったぜ」と笹やを出た。

北ノ橋を渡り、北六間堀町を南下し、中ノ橋過ぎ猿子橋を西に取り深川元町を左に
お籾倉の白壁ぞいに進むと箱館産物会所の傍の大川をまたぐ新大橋に出る。

広小路を西南に下がり堀田備中守上屋敷の門前を越え川口橋をまたぎ
松平三河守下屋敷前を過ぎ諸大名の下屋敷や上屋敷の立ち並ぶ中を行徳河岸に向かった。

「お頭、本日は何処を目指されますので」
といささか気になって木村忠吾平蔵の背中に声をかける。

「うむ 麻布あたりはと想うておるのだがなぁ」と、ゆらゆら歩みを続ける。

「はぁ麻布・・・・・でございますか」

「ううん? 何か申したいことでもあるのか?」

「いえ 別に 何もござりません」
忠吾の生返事はおおよその察しがついている、この麻布は武家屋敷も多く閑静な佇まいで、
忠吾の好む茶屋などあまり見かけないからである。

箱崎橋を渡り、湊橋を越えて真っ直ぐに霊巌島町・川口町へ取り、
更に南下して御船手屋敷へと向かう途中に高橋がある、これをまたぐと本八丁堀に出る。
本八丁堀四丁目に架かる中ノ橋を越えて南八丁堀に入る。

南八丁堀一丁目の突き当りに架かる橋が三十間堀をまたぐ真福寺橋で、
これを越えて紀伊国橋・新シ橋・木挽橋と過ぎ、南大坂町今春屋敷前の柴口橋で
再び六十間堀を越えて柴口一丁目から源助町・露月町・柴井町・宇田川町・神明町・
浜松町と抜けて遠流罪人島送りの船が出る金杉橋を越えると金杉町一丁目に出る、

ここから西にと取って右手に増上寺の絢爛豪華な大屋根を見越しながら増上寺裏門にまたぐ
赤羽橋を北に戻って京極佐渡守中屋敷のある麻布十番を北に道筋を取った。

角の辻番小屋を右に入った辺りに目的の蕎麦屋がある。

「なんでございますか、又本日はかように辺鄙な所までわざわざお出向きなされて」と忠吾

平蔵は少々お冠の忠吾を振り返り
「忠吾そのようにふてくされるでない、ここら辺りはな、狸穴坂と言うて、
昔この辺りに狸穴(マミアナ=アナグマ)が棲んで居たという大きな穴がある所から
そう呼ばれておる」

「はぁさようでございますか」
忠吾全く感心もなく坂を上がるのが疲れた様子、さほどに急斜面の坂である。

「そうむくれるでない、それこの先に見えておるであろう蕎麦屋、
あそこが本日の目指すところよ」と指さした。

「えっ 蕎麦屋・・・・・でございますか」

「うむ、ここの蕎麦はな、作兵衛蕎麦と申して、色は黒いが生蕎麦で、
こいつがめっぽう旨い!」

「めっぽう旨い」と聞いて忠吾、食いしん坊の虫がムズムズ・・・・・。

「お頭、早く早く丁度腹も空き頃!いやぁ中々によろしゅうございますなぁ」
と先ほどのふくれッ面は何処へしまいこんだものやら、そそくさと暖簾をかき分け中に入る。

「おい 親父蕎麦二人前だ急げよ!」勝手に注文を出して
「それにしてもお頭よくこのような場所をご存知で、さすがの私メもここまでは・・・・・・」と
「この蕎麦屋またの名を狸蕎麦と言うそうな」と平蔵

「はぁ たぬきでございますか」

「うむ 昔大奥を荒らしまわった狸穴の古狸を内田庄九郎と申す侍が打ちとった。
その古狸の霊を蕎麦屋の作兵衛がねんごろに葬り奉祀(ほうし)した所から
左様に呼ばれておるそうな、左様だよなぁ」
と平蔵奥で蕎麦を支度している親父に問いかけた。

「お武家様よくご存知で・・・・・
ご覧のとおり表にゃぁ作兵衛蕎麦と架けてありやすが
皆様狸蕎麦と呼んで馴染みになって頂いておりやす」と応えた。

江戸では狸蕎麦は天ぷらの種を抜いたものからタ抜きと呼ばれたようで、
上方では同じ狸蕎麦でも油揚げを載せた蕎麦を狸蕎麦と呼んでいる。

一口蕎麦をすすり込んだ忠吾
「ううっ 旨い!」

それを横目に見ながら平蔵
「どうだ忠吾 旨ぇだろう!ふわはははは!
この味がわしは応えられぬでワザワザここまで出向いてまいる」
と一心不乱に掻き込む忠吾を眺めた。

「親父!この蕎麦はさぞかしこだわっておるのであろうなぁ」と誘い水

「へへへっ!そりゃぁもうそれがあっしの自慢でございやす、
煮貫と言いやして出汁は生垂れに宗田鰹と鯖節これを多めに使いやす、
宗田鰹からは深いコクが出やす、それと鯖節はなんといっても香りと味の深み、
それにこの長年かけた返しの一番出汁が掛け値なしの旨味でございやしょう」
と褒められて嬉しかったのかじょう舌になった。

「うむそいつぁ間違ぇねぇなぁ、この器から立ち上がる鳴門のわかめに魚の磯の香り、
口に含めば息とともに鼻に抜ける際の残り香、蕎麦をすする際の口に広がる香り、
飲み下した残り香、余韻と申すかそいつを生垂れが邪魔をしておらぬいやぁなんともたまらぬ、
揚げ油にも何ぞ工夫があると見たがどうじゃな?」

「いやぁこりゃぁたまげたそこまでお分かりとは、揚げ油にはごま油と菜種油を
塩梅いたしやして、揚げ玉の舌触りにも工夫致しておりやす、ねぎは千住の難波ネギで、
こいつぁとびきり甘くて煮崩れせず、口に入れるととろけるようで」
亭主恵比須顔で講釈をのたまう。

「いやぁまさにそのとおりよ、白葱と申せば下仁田葱、
こいつぁ生だと辛いが火を通すと甘く柔らかく、するすると喉越しも良いが
蕎麦にやぁやはり千住だのぉ」と平蔵相槌を打つ。

「そこまでごぞんじたぁ恐れ入り谷の・・・・・」

「鬼子母神かぁ」それまで黙々とすすり込んでいた忠吾がやっと口を繋いだ。

「へっ おみそれしやした」
亭主はそう言って己の額を手で打つ仕草に
「まるで彦十でございますなぁ」と忠吾

「彦め今頃くしゃみしてるぜ忠吾 わぁはははは」平蔵腹を抱えて笑ったものである。

この狸穴坂(鼠坂)を上がり詰めたところが稲葉伊予守下屋敷と上杉駿河守中屋敷のある
榎坂、それを左に行けば六本木へと続く。

「さて本日はどの道をつこうて帰ろうかのぉ・・・・・」平蔵店を出ると坂の下を眺めた。

「腹も満たされこの当たりから古河を眺めながら下るのも又おつと申すもので・・・」
と忠吾のつぶやきが聞こえたものだから

「よし本日は此方にいたそう」とすたすた歩き始めた。

「おお お頭!又何処へ?」と慌てて忠吾が追いかけてくるのを気にもとめず、
さっさと坂を登り始めた。

「これは又どちらへ?」慌てて後を追いながら忠吾

「ううんっ そうさなぁ長坂町から下がって氷川神社当たりへでも回ってみようかと想うてな」
と塗笠を小脇に抱えて進んで行く

「まままっ 待ってくださりませ!お頭ぁ」
忠吾刀をいそぎ腰に手挟みながら平蔵の後を追いかけた。

まだ平蔵が三十二歳で西の丸仮御進物番勤め(田沼意次への賄賂の受け渡し番方)
をしていた頃で、老中田沼意次が権勢を持ち始める前、
この時の筆頭老中を務めていたのが松平右近将監である、この広大な松平下屋敷を
右手に飯倉町から下がってくる長坂に出た。

突き当りの番小屋を左に折れれば遥か下に古河が見え一の橋二の橋も遠くに望める。
少し下って宮下町に交わるところを右に折れて鳥居坂に出た。

鳥居坂は慶長年間に鳥居彦右衛門の屋敷があったためその名が残されており、
ここには多度津藩京極壱岐守上屋敷があり、明治時代には井上馨公爵の邸宅となり
関東大震災の後三井財閥岩崎小弥太の私邸となった場所である。

この先は暗闇坂(宮村坂)に続き一本松坂と交差する、
当たりはうっそうとした木々が枝垂れ下がり、
昼間でも好んで歩きたいとは想わないと忠吾が言ったほど陰湿な暗さであった。

左手は高い崖で包まれるように静まり、その角に大島甲斐守下屋敷があった。

だらだらと長い坂を下ってゆくと左手に善福寺と寺中の子院十二ケ寺を囲むように
松林が延びているその善福寺門前西町の中程に氷川神社への入り道がある。

この先を更に進むと一本松坂と仙臺坂が交わる、角には辻番所があり後ろには稲荷が有り
その南側は伊達藩松平陸奥守の広大な中屋敷が控えている。

下がり切ったところで平蔵は左に歩を進め善福寺前の茶店に腰を下ろした。
運ばれて来た茶をゆっくりとすすりながら眺めるとはなく通りを眺めていた。

目の前を中々垢抜けした色白の女が通りかかった時、反対側に座っていた男に目配せを送り、
帯の前でさり気ないふうに指を四本立ててそのまま髪に持って行き立ち去った。

平蔵思わず「忠吾見ておったであろうな!」
と横で団子を頬張っている木村忠吾に声をかけた。

「はい まこと足のきれいなおなごでござりますなぁ」
とパクパク団子を食いながら茶をすすっている。

「馬鹿者どこを見ておる!」呆れながらも平蔵念を押した。

「ハイ足首にアザのようなものが、それは誠に美しゅうございました」

「何ぃ!お前というやつはどこまでゆけばその・・・・・」と言いかけた後を引き受けて

「はぁ病気でございますかぁ」と来たものだから腰を折られて平蔵うなだれざるを得ない。

「く~っ」両手で拳を握って口を真一文字に歯ぎしり

「あれっ お頭如何がなされましたので?」とケロッとしておる。

「この大馬鹿者!先ほどの女がすれ違いざまにそこにおった男に繋ぎを渡したのが
お前には見えなんだのか!」と思わず立ち上がった。

「はぁ?繋ぎ・・・・・・で、ございますか?さて私は足元を見ておりましたもので」

「嗚呼・・・・・」平蔵はため息しか出てこない。
それからひと月の時が流れた。

猫どのこと村松忠之進からもたらされた話しといえばもう
「どこかの何かが旨い」と言う話しである。

「お頭!まだ出来て間もない店ではございますが、これが又中々の評判でござりまして
永坂更科布屋太兵衛と言う蕎麦屋がございます。

「なんと更科布屋太兵衛とな!」平蔵の目がキラリと輝いた。

「はい それはもう!元々は太物商布屋清助と申すものが飯野藩三代藩主保科兵部少輔正賢
(まさたか)様により江戸麻布上屋敷に逗留させましたるおり、
布屋太兵衛と申す者に晒し布の行商をさせましたそうで、
八代目の清右衛門が飯野藩第七代保科越前守守正率(まさのり)様の奨めにより
布屋太兵衛を襲名、永坂更科として、故郷(くに)の更級(さらしな)の更と保科家の科を
一字賜り永坂更科と名づけて麻布三田稲荷傍に
「信州更科蕎麦処永坂更科布や太兵衛」の看板を上げましたるよし。

更科の特徴は、蕎麦殻を外し、精製度を高め、胚乳内層中心の蕎麦粉(更科粉、一番粉)
を使った物を申すそうにございます」

「へへっ それぁ又猫どの試してみる価値はありそうだのぅ」

「まこと然様に存じます、何しろ馬喰町甲州屋と浅草並木町斧屋の二軒、
これに永坂更科を加えた三軒が江戸の名物蕎麦と申しますから。
他には信濃そば・木曾蕎麦・戸隠蕎麦もございますれど信州信濃はやはり更科・・・・・」

「ホォさようか、成る程こいつぁどうも足がムズムズ致して来おったぜぇ」
平蔵最早我慢の虫が蠢き始めたようである。

この村松の話がなければ、先に忠吾と麻布の狸穴坂の狸蕎麦の帰り道善福寺門前で
すれ違った女と関わりを持つこともなく、したがって中山道を荒らしまわっていた
(おだれ)の幾松一味と出くわすこともなく、
またこの事件によりあの堅物の佐嶋忠介が仄かな思いを抱くこともなかった。

この話の出た翌々日いつものように一人平蔵は見回りの拵え素浪人姿で裏の枝折り戸を開け
抜け出して行った。

無論表門から出ればそこいらあたりで待ち構えておるうさ忠こと木村忠吾に
「あっ お頭本日はどちらまで?この木村忠吾お供つかまつります」
と言うに決まっているからだ。

裏は林肥後守忠英下屋敷の西の長屋塀にぶつかる、
これをまずは北に上がり門前付近で待ち伏せしているであろう木村忠吾の目をかすめ、
菊川町一丁目まで出て大横川に架かる南辻橋(撞木橋・しゅもく)を左に迂回し
西に歩を進めた。

三ツ目橋・二ツ目橋と過ぎ越して松井橋を渡り一ツ目橋前の弁財天に向かった。
境内に入るとすぐさま人影が近寄ってきて
「お頭!」と声がした。

平蔵振り返るとそこには村松忠之進がほくほく顔で立っていた。

「おお 猫どの、まんまと抜け出て参られたのぉ」とこちらも相好を崩している。

「いやぁ何しろ食い物とおなごにかけては人一倍鼻の利く忠吾でござります、
中々に用心致さねばと先程からお待ち申しておりました」

「わはははは、まるで我らはお尋ね者のようじゃのぉ」平蔵カラカラと笑う。

平蔵の後を村松忠之進が追いかけながら大川沿いに長々と背を見せている
御船蔵から箱館産物會所へとゆらゆら歩を進め、紀伊家下屋敷の前を通って万年橋をまたぎ、
上之橋から永代橋へと渡りきった。
湊橋を越えていつものように増上寺の大屋根目指し歩みを進める。

赤羽橋をまたいで中ノ橋をすぎれば目指すは一ノ橋。

目的地は最早目の前、逸る気持ちをひた隠し平蔵
「のぉ猫どの、近頃はわしも忠吾めに似て参ったか!いやぁどうも食い物に目が行ってしまう、
市中を見回るおりもちょいと名前ぇが気になるものだとつい覗いてみたくなる」
鬢(びん)に手をやりバツの悪そうな平蔵に

「お頭 それは当然でござります、人は三つの欲を持っておるともうしまする」

「何と三つの欲とな?」平蔵眼が輝く、新しいものには俄然興味が湧くのである。

「はい まずひとつ、これは性欲 はははっ!忠吾の専売でもないようでございますなぁ」

「ふむ まぁだれでも納得の参るものよな、で その次は?」
早く話せとばかりに松村忠之進の顔を見る。

「はいはい 二つ目は人に目立ちたいともうしますか、名誉欲と申しますか
人と違うと想われたいものだそうにござります」

「ふ~む いやぁこいつも納得させられるのぉ で?最後のやつは何じゃぁ早く申せ」
と急かすものだから、猫どのイタズラっぽい眼で平蔵をじらす。

「おいおいいくらお前が猫どのでも俺をじらすたぁ良くねぇとおもわねぇか?」
ともう手揉み状態である。

「ははははっ じらすわけではござりませぬが、それがお頭の申されたものでござります」
と悦に入っている猫殿である。

「おいおい っっぅてぇと最後の奴ぁ食い物かえ?」

「はい まさにその食欲が肝にござります」

「ふ~ん 成る程、聞いてみれば全てに合点がゆくものよのぉ・・・・・・・成程成る程」
平蔵うなずきながら渋扇で首のあたりをポンポン叩き「うむうむ・・・・」

「わしはな、店に入ってそこに集まる者達からも色々なことを教えてもらう、
人それぞれの人情やお国自慢から拾い集めねばならぬ話などもそこには造作なく転がっておる。

一時腰を下ろし周りを眺むるゆとりと申すか、時の流れに身を置くもいやどうして中々に妙理と
存じてのぉ」
そのような話をしているうちにもどっしりと構えた永坂更科の暖簾が見えてきた。
座敷に上がりゆっくりとくつろぎながら出されるのをしばし待った。

ちびちびと杯を重ねているうちにやがて鴨せいろがはこばれてきた。
「おっ 来たぜ来たぜ!」平蔵はそそくさと箸を取り上げる。

温かいつゆは甘辛く、程よい仕込みでその中に鴨肉の切り身と長葱、
中にはつくねが沈んでいる。
口に入れるとほんのりと鴨の味が残り、しっかりとつゆの味も滲みて
「さすがさすが」と平蔵

喉越しの後も穏やかな蕎麦の香りが胃の腑に降りてゆくのが楽しめる。
「ふむ まさに猫どののお薦め!いやぁ降参致す」と褒めちぎりの体であった。

「同じ信州でもさなだ蕎麦とこの保科更科蕎麦は全く違います」と猫どの・・・・・
「さなだ蕎麦はあくまでも質素、その中に旨味へのこだわりと申しましょうか
いずれもが精一杯と言うところに味がござります、昼と夜の差の厳しく、
朝に霧が立ち込め昼の陽が差し夜は冷え込むこれが最上の蕎麦の採れるところにて
信州は戸隠山、これが先ずは一番かと。

わずかに六寸(二十センチ弱)ほどにやっと伸びたもので、繋ぎは山芋のみ。
添えるものと申せば信州若槻の痩せ葱、それに引き換え更科粉は蕎麦殻の表面に近い皮を
取り除けた丸抜きを軽く挽いたものをふるいにかけた物が一番粉、
一番粉の取り除いた残り挽いたものをふるいにかけたものが二番粉、
更に挽いて甘皮などの混じったものが三番粉、四番粉は最後に出る粉で色や薫りが強く、
乾麺などに用います。

更科粉は丸抜きを軽く割って最初に出てきた粉をふるいにかけたもので、
真っ白なものになります。
更科粉は湯で捏ねと申しまして、熱湯を入れるために塗物の木鉢だと漆が剥がれますので
木地を用います。

粉の真ん中をくぼませ、そこに熱湯を流し込み、太箸で全体を混ぜ合わせ水回し致します、
熱湯が行き渡ったところで中力粉を加えながら混ぜあわせます。
粉っぽさがなくなるのを見届けて団扇であおぎながら粉を冷まします。

粉を塗り木鉢の底に押し付けるように充分練り込み、粉同士がねっとりするまで行い、
菊練りに移ります。
地延ばしは端が割れないよう打ち粉も更科粉を使い、用心して4ツ出し致します」

「ふむ なるほどさようか、同じ蕎麦でもそこまでこだわればまた違ぅた持ち味に
なるものよのぉ、わしは蕎麦の割ったものを焙煎した蕎麦茶が好みでなぁ、
こいつがまた美味い、特有の薫りに甘みがあり香ばしさがさらりとしてそこが
わしの好みに合ぅておる、猫殿はいかがかな?」

「はい 私はこのそば湯に残りのわさびや葱、
時には生姜やゴマなどを入れるとこれ又中々に旨ぅございます、
こちらもぜひお試しなされましては」とこちらも譲らぬ様子に平蔵笑いを見せる。

出された蕎麦を先ずは一口・・・・・・
「やっ これは!フムこの上品な奥ゆかしさとでも申すかのぉ、
味・色それに腰の強さに歯ざわり、仄かな蕎麦の香りがなんとも・・・・ふむ。

出汁はやはり宗田節であろうな」
と平蔵は心地よい更科蕎麦に舌鼓を打ちながら村松忠之進を見た。

こちらも無心にすすぎこんでいるが、この問には応えないわけにはゆかない。
「はいそれはもう・・・・・何と申しましても、先ず味醂これが大事のもとで、
味醂を熱して煮切り、砂糖を入れて溶かします、この時も決して踊らせてはなりません

飴色に色がつきましたらそこに濃口醤油を入れて返しを造る、
この時も同じく暴れさせると風味が飛んでしまいます。

全体に茶色の幕が乱れ始めたところで火を落とし、鍋の周りに飛び散っている醤油の焦げを
濡れ布巾で拭い取ります、これを怠りますと返しに焦げ臭さが移り不味ぅございます。
その後布巾で覆って急に冷めないように養生致しまする。

これを7日ほど寝かせれば出汁の出来上がり、これを本返しと申します。

蕎麦は冷水で粗熱を取り、さらに別の冷水で洗いぬめりを取り去り、
最後に冷水で締めをして蕎麦蒸籠に盛り付け、このように山葵、刻み葱を添え、
出汁3に返し1を混ぜて一晩寝かせたものを蕎麦徳利に入れ出しまする。
鰹を使いながらも鰹を出さず鯖を使ぅて鯖を想わさず」

「ふむ まこと手間暇と申すやつよのぉ」

「はい 蕎麦には面白い話がございまして、昔神様が病にかかられ、
蕎麦と麦が病気見舞いに参ったそうにござります、その時は寒い時期であったそうで
蕎麦は足の裏を真っ赤にしながら駆けつけたのでございます、
ところが麦は寒いからと春になってやって来たそうで、神様の勘気を被り、
秋から寒い冬の間を畑の中で過ごし、刈り入れまで半年もかかりますが、
蕎麦はご褒美により夏種をまき、秋には刈り入れできる事になりましたそうで、
今でもその駆けつけた折の霜焼けの痕がもとで茎が赤いのだそうにございます」

「わぁはっはっは・・・・・神様の勘気かえ?そいつぁ面白ぇ、
なぁるほどそのようなところにも蕎麦の味わいが潜んでおるものよのう」
平蔵ご満悦の様子に猫どの恵比須顔である。

仕上げに運ばれたそば湯に溶け込んだ蕎麦の味わいを確かめつつ平蔵
「一つの道を極めるとはまこと奥が深い、我らも罪人を捉まえる前に、
罪人を作らぬ世にしたいものよのぉ」蒼く澄んだ江戸の空を見上げながら店を出た。

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2017年新年号  万華鏡



麻布古河一ノ橋を渡りかけたところで、向こうからやってくる女に平蔵は見覚えがあった
(確かあの女、忠吾と狸穴坂でみかけた女に間違いない)
そう思いつつ振り返った女の足首・・・・・・
(確かに忠吾の申す通り小股に赤い花びらのようなアザが・・・・・)

「猫どの、ちと所用じゃ、儂はあの女の後を尾行けるがそちは如何致す?」

「はい 私もお供をさせていただきます」と二人揃っての尾行とあいなった。
やがて女は一ノ橋を渡り古河の入り組んだ飯倉新町の船宿一久に入った。

平蔵と村松は再び一ノ橋に戻り橋の手前の辻番小屋に入り込んだ。
ここは松平山城守の番小屋で足軽が詰めていた。

村松忠之進が中に入り
「こちらは火付盗賊改方長谷川平蔵様である、用向きによりしばしここをお借りしたい」
と申し出た。

「ああっ!はいどうぞ御用向きの済みますまでお使いくださいませ」
と六十過ぎと想われる番小屋の男は迎え入れ、茶の支度にとりかかった。

平蔵は
「のうおやじ、向こうの飯倉新町の船宿一久だが、主は男かえ?」と声をかけた。

男は「番茶でございますが」と軽く茶を差し出しながら
「いえ、私の知るかぎりでは女将さんでございます。
三年ほど前に売りに出されておりました宿を買い取ったとか、
その買い主は男の方のようでありましたが、それきり姿を見ませんので
、あの女将さんが主だと存じます」と話した。

出された茶をすすりながら一刻待っても女は出てこない。

(うむ ここがあの女の居場所であろうなぁ)平蔵は村松にそう言い
「猫どの、まずは帰り、おまさにこのあたりのことを探るよう繋いではくれぬか?」
と懐手で役宅に向かった。

この先を語るには時を三年前に戻さねばなるまい。

ここは木曽街道の妻籠宿(つまご)宿場女郎のりきは女の子を宿した、
やがて生まれてきた子供は女であったために、宿でそのままりきが育てることになった。
名はひさと名付けられた。

ひさが十歳になった時母親のりきは時の流行病であっけなくこの世を去ってしまい、
ひさは遊女屋夫婦によって育てられ、十五になった時水揚げをさされ、
年季の開ける十年を辛抱した。

それから足を洗うこともままならないまま板橋宿に落着いたものの男に騙され
内藤新宿成子宿の宿場女郎に売り飛ばされてしまった。
それから数年の時が流れた。

ある日一人の客がこの女名を指名した。

その日は生憎の雨模様で客も少なく、女郎ではすでに大釜のひさには
客の指名も中々のものである、そんな時の客の指名で、ひさも嬉しかった。

客の濡れた着物をいそいそと脱がせて洗いたての着替えを持ち出し
「旦那 乾くまででもこちらのものに袖でも通しておくんなさいまし」と男に着せかけた。

男は黙ってひさの言うとおりに着物に袖を通し、
細帯を巻きつけ長火鉢の前に座って持ち込まれた盃を取り上げた。

「まぁ此方に座って一杯どうだい?」男はひさに盃を向けた。

「それでは遠慮無く」とひさは軽く受けて飲み干し、盃を返した。

「お前さん幾つになりなさるね?」盃を受けながら男はひさの顔を見た。

「はいお恥ずかしいんですけどもう三十路になりました」とうつむき加減に答える。

「そうですかい、御苦労なさったんでござんしょうね」
客は盃を重ねながらひさの指を見つめている。

「苦労だけがあたしの財産みたいなもんで、生まれ落ちた時からのこの商売、
逃れようたってどうにもなりゃぁしません」と目を伏せながら小さく笑った。

こうして三年の月日が流れ、
その間にもこの男は内藤新宿に立ち寄るたびにひさを訪ねてくれた。

ひさは男が何者でどのような仕事を持っているかなぞということには一切触れず、
ただこのひとときを精一杯穏やかに流れるように心を配った。
その翌年、又冬がやってきた。

男はひさを呼び、
「お前さん江戸に出る気はないかい?」と尋ねた。

突然の話にひさは驚き
「あたしは何処と言って行くあてもなく、ここで骨を埋めるしかござんせん」
と下を向いた。

男はじっとひさの顔を眺め
「よし、そうと判れば儂がこの宿の女将に話を付けようじゃぁないか、
なぁにわしももうこの歳だ、江戸に出た時だけでも身の回りの世話を焼いちゃぁくれまいか。
その為の住まいもわしが見るから、お前さんは安心して付いて来てくれればそれでいいのさ」
と早速女将に話をつけに下に降りていった。

しばらくして
「おひささん、話はついたよ、明日にでもここを立って儂と一緒に江戸に
行っておくれでないかね?」とひさの顔を見た。

驚くひさに
「わしはこの通り旅ばかりしている身、江戸にいる時だけは心を和ませる場所がほしいと
想ぅてね、お前さんのこれまで見せてくれた器量や気遣いがわしは気に入った、それだけの事、
まぁ小さな店の一つもと思うて麻布の飯倉新町に船宿を買っておいた、
そこに落着いてわしの帰りを待っていてはくれまいか?」とひさの眼をじっと見つめた。

ひさはうずくまったまま、男の言葉が未だに得心が行かない風で呆然としている。

「おやおや お前さんを困らせちまったよううだねぇ、堪忍しておくんなさいよ、
決してそんなつもりで言ったんじゃァ無いんでね」
男は静かな微笑みを浮かべながらひさの手を取り

「この年寄りの願いを叶えちゃぁくれまいか?」と穏やかな目で語りかけた。

こうして翌日男とひさは住みなれた内藤新宿を後にした。

男の名は男埵(おだれ)の幾松という、京から板橋まで木曽街道を荒らしまわっている
盗賊の首領であった。

だがこの事についてひさには何一つ知らされておらず、妻籠の旦那としか知らされておらず、
旅の商人だと思っていたのである。

船宿の仕事も、ほとんどは表に出ることでもなく丁場で船の手配をする程度であった。
船も一杯だけで、船頭も男が見繕ってきたし、全てが揃っていた。

こうして二年の月日は足早に駆け去り、三年目の春を迎えた。

まだ家の中は肌寒い物の、外はわりと穏やかな日差しに暖められていた昼過ぎ、
幾松といつも一緒にやってくる若い手代風の豊造が旅姿で

「女将さん旦那様がお倒れなすった!」と駆け込んできた。

ひさは驚くあまり持っていた盆を取り落としてしまった。

徳利が弾き飛んで割れ、酒が床を濡らしてゆく、
その場にへなへなと座り込んで口を半ばに開けたままわなわな震えるばかりであった。

「女将さんしっかりしておくんなさいやし!」
豊造はひさの手をつかみうつろな瞼(め)で宙を見つめているひさを揺さぶった。

「豊さん!旦那様はどうして!今何処にいるの?」と怯えた目で豊造を見返した。

「兎にも角にも支度なさって今から内藤新宿の大木戸手前にあります四谷永昌寺まで
お供いたしやす」と躊躇しているひさを急がせる。

二人が四谷の永昌寺に駆けつけた時はすでに日が落ちていた。

仄かな蝋燭の灯の中に待っていたのはおひさを待ちわびた男埵の幾松の息絶えた姿であった。
おひさはその場に泣き崩れ、幾松の遺体にすがりついて嗚咽を漏らしながら
耐えているのが豊松の目にもつらすぎた。

翌朝二人は幾松の亡骸を永昌寺に供養願いをすませ、麻布の船宿一久まで戻った。

そこで初めてひさは男埵の幾松が盗賊であったことを知らされた。

だが、ひさは
「あたしの旦那様は商人の幾松、盗人なんかじゃぁありませんよ」と認めることはなかった。

「女将さん!去年の暮れにお頭が此処に帰ってこられたおり、
何か聞かされちゃぁいやせんか?」と尋ねた。

「何かって?何??何の話し?」
ひさは豊松の問にただただ驚くだけであった。

豊松は
「そうですかい、やはりねぇ・・・・・」意味深な生返事にひさの方が逆に問いかけた。

「豊さん!旦那様は一体あたしに何をいうことがあるんだい?」
怪訝そうなひさの問は豊松を確信に導いたようである。

「女将さん、お頭はこれまでに盗んだ金をどこかに隠しているはずなんで、
そいつを狙って手下の奴らがやってくるかも知れねぇ、
あいつらは分け前だけじゃぁ足りねぇと女将さんの足取りを探しておりやす、
十分お気をつけなすって」と含みのある言葉を残して出て行った。

こうして時がつながり半月後に麻布飯倉新町の船宿一久に三人の男がやってきた。

いぶかしげな格好の男たちに
「あのぉ 船の支度でございますか?」と、ひさがたずねた。

それには応えず、一人の格上とみられる男が、ずっ!と身を乗り出し
「女将さん?でございやすね」
と低いが確かな押しのある声でひさの両眼を覗きこんだ。 

ひさはこの凄みのある声に押されながら
「確かに私はこの宿の女将でございますがなにか?」と問い返した。

「じゃぁ男埵の幾松お頭をご存知でござんしょうね」と畳み掛けてきた。

「妻籠の旦那様のこと?」と問い返した。

「へぇ 此処じゃぁ妻籠の旦那と呼ばれていたんで?」

「あたしはそれ以上の事は何も知りやぁしませんよ、
旦那様が亡くなる前に豊松さんがお頭って言って、理由を聞かされ初めて男の幾松という
名前を知ったばかりだもの」と返答した。

「豊松?ああ野郎は今頃お頭の後を追ってあの世に出向いているだろうぜ、
お前さんもそんな思いをしたくなきゃぁ正直に金の隠し場所をおとなしく吐いちまったほうが
身のお為ってもんで」と脅しにかかった。

「それじゃぁ豊さんは・・・・・・・」

「おう 察しの通り野郎は知ねぇととぼけやがった、いくら痛めつけてもそれ以上は吐かねぇ、
ま 責めているうちに野郎おっ死にやぁがった、どこまでも面倒かける野郎だったぜ、
そこで改めて聞くが、お前さんお頭から何か聞いちゃァいねぇかい」
男はひさの顎を下から抱えるように持ち上げて蛇のような冷ややかな目でひさの瞼の奥を
覗きこんだ。

「さっきも言った通り、あたしゃぁ旦那様から聞かされる話は道中出会った面白い話とか、
どこそこの名物はこれこれでと言うようなものばかり、
仕事の事は一切話されたことぁありませんよ」ときっぱりとした口調で言い切った。

そこへ買い物に出ていた女中のみねが戻ってきたのを見て、ひさは大声を上げて
「お逃げ!」と危険を知らせた。

みねが異変に気づいて戸を開けようとしたがもう遅かった
「殺っちまえ!」
という声に背中から匕首を突き通されて絶叫しながら土間に倒れこんだ。

その声に重なるように裏のほうでも悲鳴が聞こえた。

「野郎が一人こそこそと隠れていやぁがった」と男が裏から入ってきた。

血にまみれた匕首をだらりと下げて又一人の男が入ってきた、おそらく板場の佐吉であろう。

さすがのひさも足元からガタガタ震えが始まり歯をくいしばってもガチガチ鳴るだけで、
もう腰が砕けたようである。

「仕方がねぇなぁ、ねぇ女将さん!まぁこんなわけだ、すんなりと喋っちゃぁくれまいか、
俺だって無駄な殺生は好まねぇ、判るだろう?」
匕首を抜き放ちひさの頬をぺたぺたと撫でながら喉首から口元へと刃先を這わせた。

うっすらと血筋が浮かび上がり、やがて鮮血が喉元から胸へと流れ始めた。

「しっ!しっ!知らないものをいくら問われても応えられやぁしないじゃぁないか!」
ひさは必死で平常心に戻ろうと試みる。

「しぶといあまだ、こいつを下に押し込めてなぶってやれ」と手下に命じた。

屈強な男がひさを床下の部屋に押し込んで細紐で縛り上げ、
柱に括りつけて近場にあった捏(こね)棒でめった打ちに打ち据えた。

ひさは答えるものを持ちあわせては居ない、ただ痛みに歯を食いしばりながら耐えるのみが
唯一の抵抗手段であったが、ついに気を失ってしまったひさをみて
「おい水を汲んで来い!正気に戻らせろ!」
と言いつけ、
「身体に聞いてやれ」と言って上がって行った。

ひさは口に喰み(はみ)をかまされ舌を噛み切るのを防がれ
抵抗は不可能な状態のままなすがままにならざるを得なかった。

平蔵と村松忠之進が出会ったひさの身の回りの探索は、
平蔵の指図で密偵のおまさが受け持っていた。

数日後、役宅の裏庭におまさの姿があった。

「おお おまさ!ご苦労であった、その顔じゃぁ良い話のようだのうぉ」
平蔵口元をほころばせながら濡れ縁に座り込み煙草盆を取り寄せ煙管に詰めた。

「はい 長谷川様のお言いつけ通りあの船宿を探ってまいりました、
主の名はひさ、通い女中と板前、それに船頭の四人で切り盛りしております。
あまり繁盛して忙しいと言うほどでもなく、近くには大名や武家屋敷も多く、
そのあたりの客が主な筋のようでございます。

ただ・・・・・・
「ただ?どうした?」と平蔵

「はい ただあの店が出されたのは三年ほど前で、それまでやっていた主が病でなくなり
一家は店を畳んだそうで、そのあとしばらくして新しく主が決まって
商いを始めたそうでございますが、表立っては女主のひさ・・・
ですが、店を仲介した口入れ屋の申しますにはその三月ほど前に京訛りの男が
買い求めたそうでございます」

「何だと!京訛りだと?」
「はい 確かにそのように」
「ふむ 京訛りの男が買い求めて、主はその者ではなく女・・・・・・
んっ こいつぁちょいと引っかかるなぁ、どうも忠吾と出かけたおり出会ぅた女、
何やら繋ぎのような合図を儂は見た」「まぁ繋ぎのようなでございますか?」

「おお だがなぁ忠吾に問いただしたる所、奴め何と申したと想うえ!えっおまさ、
こいつぁ笑うしかねぇぜ、
やつめ(ハイ足首にアザのようなものが、それは誠に美しゅうございました)とほざきおった」

「んっ まぁ木村様らしゅうございますね」とおまさも半ば呆れながらもさもあらんという
顔つきである

「さすがのわしもあいた口が塞げなんだわ」わはははははは

「ところでおまさそれでお終ぇと言うのではあるまいのぉ」
平蔵、このようなときのおまさの癖を十分承知である。

おまさもそれを見抜いているのか、頬を軽くゆるめて
「はい 女は板橋宿から内藤新宿成子町に流れていたようで、
そこで旅の商人に見初められて麻布飯倉新町に落着いたようでございます」

「あい判った、ご苦労であったなぁおまさ、冷えたであろう身体をゆっくり休めてくれ」
平蔵はポンと煙草盆に煙管をあてがい軽くふっ と空吹きして部屋に戻った。

翌日から平蔵の指図の元、手すきの者が交代でこの船宿一久を張ることになった。

事件は起きておらず、ただ平蔵の気がかりな女の挙動とおまさの聞き込みによる
いぶかり程度であるため、表立っての張り込みは出来なかったからである。

佐嶋達が見張り所に使っているのは一ノ橋前の松平山城守の番小屋、
そこからは船宿一久が手に取るように見える。
夕刻になって店から浪人と渡世人風の男二名が出てきて、
浪人が何やら表に立て掛けて何処かへ消えていった。

「妙だ?女が出てこない、居ないはずはない・・・・・
佐嶋は竹内孫四郎に男たちの後を微行するように命じ、自らは一久を調べることにした。

男が立て掛けたものには
「本日休業いたします」と言う看板であった。

佐嶋はいぶかりながら表戸を引いてみた。

戸は中から落としをかけた様子もなく、あっさりと開いた。
「誰かおるか?」声をかけたが返事もなく静まり返っているだけである。

不審に思って佐嶋はすべての部屋を見まわってみたが人の気配はなく
別段変わった様子もない(空か・・・・・・)

(俺が知るかぎりでは確かに女は居た、だが今は見当たらぬ・・・妙だ)
納得の行かない佐嶋はなおも念入りにと改めて部屋を確かめて回った。

板場の奥からかすかなうめき声のようなものが佐嶋忠介の耳にとどまった。
だがそれはただ1度であった。

(んっ!)・・・・・・
(空耳であったか)そう思い戻ろうと薄闇に目を凝らした佐嶋は不自然にめくれている
床のゴザに目が止まった。

(妙だな、薄暗い中でゴザがめくれておれば足を取られる事もあろうに、
板場の者がそのようなことにも気づかぬはずはない、確かに妙だ)

佐嶋忠介は念の為にそのゴザをめくり、薄暗い中でよく注視してみると
ゴザの下に手を掛ける小溝が切り抜かれている。

小料理屋などには調味料などの保存出来るものは地下蔵に収めることも承知していたので、
ゴザをめくり上げてその溝に手をかけ引き上げてみると、下に降りる階段が見えた。

(これは!)板場で明かりを探って手燭を見つけこれに灯りを入れ再び階段を用心しながら
降りていった。

ゆっくりとほのめきが広がる中を気を張って下がってゆく、
いつ何時どこから襲われるやも知れない、そのような緊迫感の中でのことである。

半分ほど降りかけた佐嶋の眸(め)におぼろに浮かび上がったものは、
衣服を剥がれうずくまっている白い背中であった。

(何と!)急いで下まで駆け降りよく照らしてみると、
それは喰み(はみ)を噛まされた裸の女性であった。

佐嶋は辺りを素早く見渡し、隅の方に投げ捨てられていた女のものであろうと想われる衣服を
掴み、前から背にかけてから後ろ手に縛られている縄を小刀で切り落とし、食みを解き

「先ずは身仕舞いをいたせ」と背を向けた。

が、女は崩れるようにその場に倒れこみ微動だにしない、
おそらく衰弱でほとんど身動きも出来ない状態で気を失ってしまったと想われる。

(いかん!さほどの力も残ってはおらぬか・・・・・)
佐嶋忠介は急いで上に駆け上がり水瓶から柄杓に水を取り戻って来、
口に添えるが女は飲む気力もないのかぐったりと佐嶋の腕の中に崩れたままである。

「許せよ!」そう言って女を抱え起こし水を含んで女の口に流し込んだ。

「・・・・・あっ・・・・」
小さく声が漏れ気がついたようである。

急ぎ女を長襦袢で包み取り敢えず肌を隠し、
小袖を両腕に差し通し前を合わせて細紐で取り敢えず塩梅し、帯は束ねて己の懐に入れ
両脇を支えながら立たせるように壁にもたせ掛け、そのまま背を向けて女をおぶった。

狭い階段をどうにか上がり、表に出て町籠を探し、女を伴って盗賊改めの役宅に同伴した。

佐嶋によって抱えられ、ひとまず役宅の控えの間に久栄の手により設えられた夜具の上に
寝かせられた。

久栄は賄い場に
「すぐに湯を沸かすように、それからおもゆをいそぎ作ってはくれませぬか」
と指図して戻ってきた。

平蔵は
「おまさを呼べ!ああ それと何か着替えるものも一緒にだ」
と同心のいる部屋に声をかけ佐嶋忠介を呼んだ。

「これは一体どうしたことだ?あの女は一久の女将であろうな?」と切り出した。

「はい、お頭のご指示で皆と交代しつつ一久を見張っておりました所夕刻中より
男どもが出てまいりました、その折表に休業の看板を出しましたゆえ妙に気になりました」

「ふむ 女が居ねぇってことだな」

「まさしく、で 男どもを竹内に尾行させまして、私は中に入って見ましたる所、
地下の隠し部屋にこの女が裸で縛られ横たわっておるのが見つかり、
なんとか身を包んで町籠にて・・・・・」

「おお よくやってくれた おそらく奴らは又戻ってくるつもりであろう、
だがその前に道筋が見えぬではなぁ・・・・・」と衰弱しきっている女を案じた。

やがておもゆが運ばれ、久栄が小匙で少しづつ口に運べば、どうにか飲み込むことが出来た。

しばらくして密偵のおまさが自分の着替えを持って繋ぎに出向いた小柳と走りこんできた。

「長谷川様!奥方様!遅くなりました」
おまさは控えながら久栄に支えられておもゆを飲んでいる女のほうを凝視した。

「これは・・・・・・」

「やはり見知っておったか、一久の女将に間違いないな?」と聞いた。

「はい 先日長谷川様にご報告いたしました一久の女将で名はおひさ、
言葉も交わしておりますのでかなりのやつれようではございますが間違いございません」
と、きっぱりと認めた。

「そうであったか、おまさ、すまねぇが久栄と二人してこのおひさを清めてやっちゃぁ
くれまいか、可哀ぇそうに血に染まっていい
女が台無しだ、なぁ佐嶋」
と後ろに控えている佐嶋忠介を振り返った。

「では佐嶋様が?」おまさは驚いたふうに佐嶋忠介を見た。

「いやぁ どうにも  俺が見つけた時はほとんど気を失いかけており、
兎にも角にもと町籠に乗せやっとここまでたどり着いた、
奥方様のおかげで何とかおもゆも喉をこせたようで、あははははは」と頭を掻いた。

「ふっ おほっ!」とおまさが思わず頬を緩めるほど佐嶋忠介は照れていた。

半時程して身繕いが終わり、少し頬に血の色が見え始めてきた。

「おお やっと戻って参ったなぁ」
平蔵はひさの顔を見やりながら心配顔で控えている佐嶋忠介を見やった。

佐嶋はおひさをみやり
「誠にすまぬが、少し話を聞かせてはもらえぬか?」と尋ねた。

訥々(とつとつ)ではあるものの話は聞き取れた。

おひさは木曽街道の妻籠宿(つまご)で宿場女郎をしていた母親が病死し、
一人取り残され、そのまま育ち、十五の時見世に出された。

十年の年季が明け、それから流れ流れて板橋宿から内藤新宿成子町まで流れてきたのを
(おだれ)の幾松に器量と人柄を買われて麻布飯倉新町1ノ橋傍に
つつましやかな船宿を構えたと言う。

「何と!!」
平蔵は驚いた、まさかこの女から男(おだれ)の幾松の名前が出てこようとは
思いもしなかったからである。

そこへ飯倉新町の船宿一久から出てきた男たちを尾行ていった松永弥四郎が戻ってき。

「お頭遅くなりました!松永只今戻りました」と報告に上がった。

「おお松永ご苦労であったのぉ、で首尾はどうであった?」

「はい 佐嶋様の指図で男どもの後を尾行てまいりました。

内藤新宿大木戸手前四谷の浄雲寺横丁を入り暗闇坂を上り詰めた先の自證院に入り、
更に進んで奥の梅林にある作小屋に消えました。

中の人数を確かめようにも身を潜めるものもなく、やむを得ずそれから小半刻(三十分)ほど
梅林に潜みて見張りますも何の動きも見られず、おそらくこの屋が彼奴らの潜み先かと想われ、
ひとまずご報告にと戻りました」

「いや遅くまでご苦労であったなぁ、どうやらそこが男?の幾松一味の潜み先と
決まったようだなぁ」
にこやかな笑顔で平蔵腕組みをしながらうなずいた、この松永の報告に満足した模様であった。

「男の幾松でございますか?あの木曽街道を荒らしまわっておりました?」驚く松永に

「ふむ その男の幾松・・・・・と申してもその幾松はすでにこの世には居らぬそうな、
残りの残党どもが巣食っているという理由さ」
平蔵は頭の中でもつれていた糸が解けてゆくのを快い面持ちに感じていた。

「皆の報告を纏めるに、彼奴らはまだ此方の動きに感づいてはおらぬようだ、
今夜の所は何も起こるまい、問題は明日、おそらく奴らは麻布の一久に様子を見に戻るはず、
そこからが奴らの動きが出ると想われる、皆は今夜ゆっくりと体を休め明朝明け方には
四谷の隠れ家を囲み、一網打尽に召し捕る!そのつもりで支度致すよう!」
と筆頭与力の佐嶋介助と筆頭同心酒井祐助を残し引き上げさせた。

翌日まだ東の空が明けぬうちに清水御門外火付盗賊改方から長谷川平蔵を先頭に
筆頭与力佐嶋忠介、筆頭同心酒井祐助を始め与力・同心総勢三十名が四谷自證院の梅林にある
作小屋を目指した。
この自證院、里の者には瘤寺・節寺と呼ばれ親しまれている。

建物の用材である檜材の皮を剥いだ節目の多い物を多用したためにふし寺とかコブ寺と
呼ばれたものである。

夜明けとともに周りはすっかり平蔵の指揮下に置かれ、
蟻一匹這い出す隙間もない布陣が張られた。

寺社奉行配下の捕り方は梅林の陰や木立の影に潜み逃れてくるものを袖搦や刺又、
それに目潰し、投げ縄なども周到に準備し、まさに鉄壁の布陣であった。

作小屋の中には三十名ほどの者が潜んでいた、が その中の一人が
「妙だ?」とつぶやいた。

「何が妙なんで??」
と傍で囲炉裏の近くに陣取っていた男が問い返した。

「鳥だよ!鳥の鳴き声がしねぇ!こいつぁ妙だと想わねぇか?」
と呟きながら外の気配を探るように耳を澄ませた。

「確かに、昨日はやかましいほど鳴いていた、うむ 確かになぁ、
よし俺が見てこよう・・・・・」
そう言って立ち上がった時激しい音がして板戸が蹴破られ

「火付盗賊改方長谷川平蔵である、男?の幾松一味!神妙に縛につけ!」と打ち込んできた。

まだ夢から冷めやらぬ状況下での出来事はまさに寝耳に水!
釜を蹴り倒して灰神楽を上げ逃げようと試みる者や抜刀して抵抗をするものと
蜂の巣をつついた状況である。

灯りが蹴倒され、障子に火がついた、あっと言う間に火は燃え広がり始め煙と怒号に混じって
「抗うものは構わぬ切って捨てよ!」
平蔵が叫びながら立ちふさがる屈強な男を粟田口国綱を抜きざまに左に切り払い突き進んだ。

阿鼻叫喚というのか絶叫や断末魔の声が乱れる中を屋外に逃げ延びたものも居た。

だがそれもつかの間潜んでいた捕り方により刃を振りかざすも袖搦に着衣を絡めとられ
そこへ目潰しが無数に投げ放たれ石灰や唐辛子の粉が額や目、鼻にも炸裂し
痛みや刺激に抗いしきれずその場にうずくまるしか方法はなかった。

大捕り物は小半時を要さなかった。
これは平蔵の用意周到な布陣が功を奏したからである。

騒ぎに驚いて駆けつけてきたこぶ寺の住職や寺男などもただただその場に釘付けとなり
この早朝の捕物に驚くばかりである。

「ご住職!早朝よりお騒がせ申した、火付盗賊改方長谷川平蔵でござる、
全て片付き申したゆえ案ずるには及ばぬ」と念を押して自證院梅林を後にした。

捕らえられたる者二十一名怪我を負った者五名、切り倒された者四名であった。

筆頭同心酒井祐助の報告により、作小屋の後ろの梅林に穴が掘られて
男の死体が放り込まれていた。

「おそらく其奴がひさの申す豊松であろうよ、
奴の口から船宿一久のおひさの居場所が判明したのであろう、
頭目男埵の幾松がすでにこの世に無きゆえ奴らの探しておった隠し金も
今となっちゃぁ闇の中、
だがなぁ彼奴らが御府内に入っておらばどのようなことになったか、
それを思うとわしは背中が寒ぅなってくる、
のう酒井!此度はひょんな事から事件の糸口が生まれたわけだが、
関わる者もそれと知らずに関わってしまう者も皆万華鏡のようなものよのう、
覗けたとてその先は誰にもわからぬもの、そうは想われぬか?」
平蔵はひさの身の上を想っていた。

その足で麻布飯倉新町の船宿一久にも手入れが入った。

船頭は船の中で腹を一突きされ、喉を掻き切らて声を上げるのを奪われた状態のまま
死体となって見つかり、板前と女中は裏の小屋に猿轡を噛まされた格好のまま
こちらも胸を一突きされた死体となって投げ込まれていた。

平蔵の計らいで久には何のお咎めもなく、
これまで通り船宿一久は商いを続けられることになった。

これはひさの供述から一味の全貌が明るみになったことへの平蔵の目こぼしである。
板場は軍鶏鍋や五鉄の三次郎の口利きで生きのいい若者草太が入り、
船頭は小房の粂八の息のかかった五十前の善造が務めることになったのである。

女中は佐嶋忠介が心配して身元の確かなさとを入れた、
こうしてここ麻布に新たな平蔵の拠点が誕生したのである。

その後この船宿一久に佐嶋忠介の姿がしばしば見られたのは言うまでもあるまい。

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11月号  五郎蔵死す

深川仙台堀今川町桔梗屋に慌ただしく駆け込んだ者があった。
「おいおかみ!すまぬが耳かきだぁ!」

聞き慣れた声に女将の菊弥が走り出た、それと同時に板前の秀次も表まで駆け寄ってきた
「あらまぁこれは長谷川様如何がなされましたので?」と菊弥

「ただならねぇお声なんでびっくりしやしたが、また慌ててどうなさいやしたんで?」
秀次も前掛けを外しながら平蔵を出迎えた。

「それどころじゃぁねぇ 耳かきだ耳かき、もう堪らぬわ!!」

平蔵の慌てふためく顔がそんなに可怪しいのか二人は口に手をやりこらえているものの、
どうにも我慢できないようで思わず声を上げてしまった。

菊弥の差し出す耳かきをもぎ取る様に平蔵受け取って耳に差し込む。
「あ~堪らぬ いやぁ堪らぬ」
と、まるでかきむしるように耳を引っ掻き回しているところへ染千代が奥から出てきた。

「まぁ長谷川様そのように無茶苦茶な事をなさってはなりません!
そのようなときはなおさら丁寧に当たらなければなりませぬ、
まずお上がりくださいませ・・・・・」と二階へ案内した。

二階で染千代は自分の膝に平蔵の頭をもたせ掛けさせ、
平蔵から取り上げた耳かきでやおら耳掃除にとりかかった。

「う~ん 堪らぬなぁ いや何な 先ほど弥勒寺の笹やに寄り、おくまの顔を見て参った、
そいつが間違いの元、万年橋を越えた辺りからどうも嫌な予感がして参った。

上ノ橋をまたぐ途中でこう 耳が無性に痒くなり、そうなると居てもたっても居られぬ
気の狂うほどでな、やっと桔梗屋まで辿りつけたと言うわけだ。

何しろ小指を差し込めど、更にその奥が痒くなり、後は止めどなく堪らぬ!
どうもおくまがわしの噂でも致しておるのか痒さは増すばかりいやぁ参った!」

その言葉に染千代は可笑しさを抑えきれず吹き出しそうになるのを必死でこらえている。
平蔵は染千代のなすがままに耳を預けて至福のときを堪能しているふうである。

「このようなおりの長谷川様はまるでやんちゃな子供のようにございますね」
と染千代が白い歯を見せて笑う。

「そうは言われてもこればっかりはのう染どの、どうにも我慢ができぬ、
いやぁこの心地よさは天にも昇る心地じゃなぁ」
そこへ酒肴を整えて菊弥が上がってきた。

「まぁ長谷川様それだけでございますか?」
と意味ありげに染千代のほうにちらっと目線を移し女将の菊弥が念を押した。

「うっん?それだけとは・・・・・・・・?」

「あっ まぁ染ちゃんの膝枕で耳掃除なんて中々叶うものではございませんよ」
と二人の反応を見やる。

「まぁ姐さんったら・・・・・・」染千代は思わず手を止めて膝をよじった。

「あっっ!」平蔵は染千代の膝枕から外れそうになって思わず声を出した。

「あれ 申し訳ございません!」染千代は平蔵の頭を抱え直した。

「まぁまぁ 仲のおよろしいことで うふふふ」と菊弥が袖で口元を隠して笑った。

「私は子供の頃よく縁側で寝そべり、母上にこうして耳掃除をしていただきました、
今は父上の耳掃除も時折致しますが、この時の心地よさはいつになっても変わりませんねぇ」
としみじみとした口調で窓の外に目をやった。

上ノ橋を挟んだ仙臺堀の向こうに松平陸奥守下屋敷の白壁が掘割に優美な影を落とし、
その向こうには桜の艶やかな色目が咲誇っている。

平蔵は染千代の膝の温もりにそこはかとない安堵感を覚えていた。

そのくつろいでゆったりとした平蔵の顔を眺めて
「長谷川様は何を思い出されて居られますの?」
と染千代が梵天で耳の中をそっと撫ぜながら尋ねた。

「うむ わしは幼き頃より母を知らぬ、染どのの先程の話を確かめようとて確かめようもない、
このように母の膝も心地よかったのであろうかとな、たかが耳掃除と想われるやもしれぬが、
わしにとってはこのひとときは宝のように想えてならぬ」
平蔵はゆっくりと身を起こし染千代を振り返った。

「いやぁ染どののお陰で何かこう、なくしたものを取り戻した思いで・・・・・・
このような思いを皆が持てる世の中にしたいものよ」
平蔵は堀に時折舞い落ちる桜の花の舞うがままの姿を目をほそめて眺めていた。

そこへ板前の秀次が
「長谷川様ちょいと仕込んだヒラメがございやすんで、こいつをと・・・・・」

「ほう ヒラメとはなぁ、いやぁお前ぇの腕でどんなに化けるかこいつァ楽しみだぜ秀次」
平蔵顔をほころばせて揉み手をする始末。

それを見た染千代は
「秀さん、長谷川様のご期待に沿わなきゃねぇ」とちゃちゃを入れる。

「念にぁ及びやせんやぁ、じゃぁ早速」と秀次が下がっていった。

平蔵の盃に酌をしながら
「あっ そうそう!耳で思い出しましたけれども、
先日材木商の中川屋さんがお連れになったお方に右の耳の後ろ辺りに大きなコブのあるお人が見
えました。
言葉遣いは丁寧なのでございますが、少し上方訛りが感じられ商人にしては目の据わった感じが
あたしは気になりまして・・・・・」

「で、その中川屋は常連の客なのかえ、それと、その連れの名前をなんぞ申さなんだか?」

「はい 中川屋さんはこれまで二度ほどお見えになって居られますが、
材木の仲買の方のようで、主に杉・檜を扱っておられるようでございました」

「ふむ 檜といやぁ高嶺の材、商いも少々ではあるまい、
で染殿が気になったのはそれだけでござろうかな?」
平蔵は染千代の受け答えの中に更に深いものを感じ取ったようで、念を押してみた。

染千代は少し考えていたが
「このような商売でございますからお客様の事は話しずろうございます、
けれど長谷川様には正直申し上げますと、あたしはあのお連れの方が好きではございません。
表立っては穏やかに見えますが、眼の奥が冷ややかで目が合うだけで背筋が冷やっといたしま
す。
どこかにそのようなものを持っておられるのではと・・・・・・」

「成る程なぁ 染どのの感はするどうござるからのう」
そこへ秀次が膳を抱えて上がってきた。

「おう きたきた 先程からこう 甘い香りがここまで上がってきておってな、
今か今かと!!いやぁこいつぁ美味そうじゃ」平蔵早速向付けに手を伸ばした。

「おい こいつぁ何だえ?少々の苦味が実に良い!」平蔵ご満悦の表情に秀次

「ヘイ ヒラメの肝を酒につけておき、その後さっと茹でやして生姜をみじん切りにした物を
まな板で叩いて混ぜあわせただけのもの、こいつをヒラメのおろしたやつに乗っけただけのもの、お気に召していただけやしたで?」

「おお 気に入ったぜ!肝の僅かな苦みが生姜と醤油に馴染んで、
又このヒラメのねっとりと絡みつく舌ざわりが、いやぁなんともなぁ春の味と申すか、
のう染どの、こいつぁ親父どのにも薦めねば、あははははは」

秀次は膳を勧めながら
「このヒラメの中骨や皮を酒・醤油・味醂・砂糖・昆布出汁で煮出し、
一晩置きやすと煮こごりが出来やす」

「む どれどれ・・・・・ふ~・・・・・・おうおう このとろりとした味わいが、
はぁなんとも妙味だのう、ヒラメに捨てる所なしとは申すが、
いや中々に中々に出汁と交わる煮こごりのとろみが酒によく合う。
しかし秀次、こいつぁ中々の大物と見たが」

「へい まな板に座りきれねぇほどの物で、しっぽに目打ちを打ちやして、
柳刃で裏表丁寧に鱗を落としやす。
表に返して、背骨にそって尻尾まで切込みを入れて、尻尾の付け根と縁側の付け根全体にも
切込みを入れておき、こうやって五枚に下ろしやす。

剥いだ皮は軽く塩を当てて、酒で湿らせた昆布で包み寝かせておきやすと昆布締めが出来やす。
残った縁側は醤油に漬け込み、白飯にぶっ掛けて山葵を添えても美味しゅうございやすが、
こいつぁひつまぶし、とてもお客さまにゃぁ差し上げられやせん、えへへへへ」

「そのエヘヘがどうも怪しいぜ秀次!さっさと吐いちまいな」
平蔵は秀次の跡を取って催促した。

「へい 仲間内じゃぁそんなもんをひつまぶしと申しやす、ですがこいつが中々旨ぇ、
でまぁお客にゃぁすまねぇが役得ってもんで・・・・・・へい」と頭を掻く。

「ったくお前ぇらのやるこたぁ抜け目がねぇなぁ、で その縁側はどんな感じだえ?」

「と言われると想いまして・・・・・」と女将の菊弥が小鉢を持って上がってきた。

一晩漬け込まれてしっかりと味の染み込んだ縁側に
「こいつぁコリコリと歯ざわりもよく、山葵の香りと辛味が絶妙だなぁ
これなら飯がお代わりになるであろう、ふむふむ成る程、酒にも良いぜ!」
平蔵ご満悦である。

刺し身はしっとりと寝かされて旨味が全体にまわり、口に入れると舌に絡みついてくる。
皮の昆布締めも、昆布が飴色に移って水気も飛んでしっとりと身が締まり
熟成した旨味が応えられない。

平蔵は染千代の酌に任せて、冷えた身体も程よく温もり、お熊の噂も病んだのか、
耳の痒さもどこかへ飛んでいったようである。

「ヒラメづくしのお終ぇはこいつで・・・・・」
と秀次が皿を抱えて上がってきた。

「おう まだ残っておったか、よし!召し捕って遣わそう!あはははは、
でそいつが締めの野郎だな、どうも美味そうな匂いが上がってくるが、
一向に其奴の顔が見えぬのでいぶかっておったところよ、どれどれ!おおこいつぁ煮付けだな」

平蔵は盃を納めて箸を取り上げ、桜の若葉のような飴色に染まった煮付けに手を伸ばした。

「いかがでございやす?」秀次は平蔵の言葉を催促するように顔を見た。

「う~ん 蕪と卵の煮付けだなぁそれにピリリと舌に残る房ハジカミの香りがまた粋だのう、
煮付けの加減がさすが秀次だ!」平蔵のベタ褒めに

「長谷川様にそこまで言われますと、あっしぁ板前冥利に尽きるってぇもんでございやす」
と秀次満足の様子であった。

帰り際に秀次を招き寄せ
「すまぬがもう一つさばいて染殿に持たせてくれぬか、親父どのの寒気見舞いと申してな」
と懐紙に包んで託けた。

「へい 承知いたしやした!」秀次は頭を下げて平蔵を見上げた。

店の外では菊弥と染千代が平蔵を見送るために並んで待っていた。
仙臺堀の川面を駆け抜けた風が少々過ごした酒で火照る平蔵の顔を心地よく撫ぜてゆく
「春か・・・・・このひとときがいつまでもと願ぅことは無理と承知だが、
涼やかでもあり温もりもある、人もこうでありたきものよなぁ」
ポツリと平蔵はつぶやいて染千代の顔を見た。

そこには穏やかな染の笑顔が控えていた。

こうして何事も無く数日の時は流れたある日

「お頭 道中回状が届きました」
と、沢田小平次が奉行所からの回状を持ってきた。

それは近頃御府内に入ったと想われる各方面からの手配書であった。
何気なく繰り越していた平蔵の目に止まった人相書があった。

(鯰尾の弥平次)人相書にはそう記されており、
「この者近江より尾張一帯にかけて盗み働きあるものの、いまだ捕縛これなく、
証となるもの何一つなし、風評に右耳の後ろ辺りに一寸ほどのコブを認む」とあった。

「何と・・・・・・」
平蔵は過日仙臺堀今川町の桔梗屋で染千代から聞いた人相と酷似した特徴が気にかかった。
すぐさま密偵たちが呼び寄せられこの回状が示されたが、
誰一人この鯰尾の弥平次を知る者はなかった。

「うむ 皆が知らぬとなれば闇に影を追うようなものだのぅ・・・・・
何か打つ手はないか・・」

御府内で動く前に捕らえてぇものだがなぁ・・・・・・
お前ぇたちもこのことを腹に納めて探索にあたってくれ」平蔵はそう念を押した。

こうして何の手がかりもないまま半月が過ぎようとしたある日、
大滝の五郎蔵は本所の回向院門前に差し掛かっていた。
すでに桜は見事なまでの若葉に衣装を着替え、風邪も爽やかに江戸の町を満たしていた。

「あのぉ もし もしや大滝の五郎蔵さんでは?」
と後ろから声が呼び止めた。

いきなりの名前を口にされた五郎蔵、一瞬身構えて
「誰でぇ!」と振り帰った。

「お忘れで? この顔に見覚えはござんせんで?」
と五十前後のがっしりとした体躯の潮風に洗われたように浅黒い顔が五郎蔵の前に現れた。

「ンッ 確か・・・・・幾松」

「おや 覚えていておくんなさったとはありがてぇ、その通り千成の幾松でござんすよ」
と男は表情をゆるめて五郎蔵の真正面に立った。
背中越しに昼間の陽が五郎蔵を照らしている。

その陽を遮るように男は五郎蔵の前に立ち
「ところで五郎蔵さんはまだおつとめはなさっておられるんで?」
探りを入れるような目つきで覗き込んだ。

「御府内は鬼の平蔵とか何とかの眼が厳しく、盗人にゃぁ物騒な世の中だ余程の持ちかけでも
無ェかぎり動く馬鹿もあるめぇぜ、で、お前さんは今どうなさっているんで?」
と話を横に向けて出方を誘ってみる。

「あっしもご同様で、この五年ほどは近江から尾張あたりでつとめて折りやしたがね、
お頭が江戸で一花咲かせてみてぇとおっしゃるもんでね、
で まぁケツにくっついて来たってわけで、
こんなところで昔なじみの五郎蔵さんに出くわすなんざぁまんざらでもねぇご縁のようで
へへへへへ」
幾松と呼ばれた男は五郎蔵を値踏みするように上から下まで舐め尽くした。

「で、お前さんのお頭は何とお言いなさるお方で?」と問いかけた。

「五郎蔵さんはご存知あるめぇが、江商の末裔とおっしゃる鯰尾の弥平次お頭でござんすよ、
何でも子供の時分にお店に押込みが入ぇって、一家皆殺しの目に会われなさった、
鯰尾のお頭だけが運良く傷も浅く助かったと言うことのようで、

それ以来盗人の仲間に入ぇって仇を探しているうちに
行き着くところまで行き着いちまったってぇことのようで、
あっしもそれ以上は知らねぇ、最も知ったところで何にも変わりゃぁしねぇえしねぇ」
と五郎蔵の帰ってくる言葉を待った。

「さようですかい、で 今はどちらにお宿を・・・・・」

「おっと そいつぁまだ、ところで五郎蔵さん仕事をすけてくれる気はねぇでござんしょうか
ねぇ?」

「あっしがですかい?」

「そうよお前さんよ、お前さんの度胸と腕!そいつが欲しい、
お頭にゃぁ俺の方で引き合わせようじゃァねぇか、それでどうだい?」

「判った!このご時世だ少々懐も寂しくなってきたって思っていたところよ、よろしく頼むぜ」

「合点!引き受けた、じゃぁ又繋ぎを待ってくんねぇ、どこへ繋げばいいんで?」

「ああ それじゃぁ本所二ツ目橋たもとに軍鶏鍋やの五鉄ってぇ店がある、
そこの相模の彦十を訪ねてくれりゃぁ俺につながるように段取りしとこうじゃぁねぇか」

「判った、じゃぁまた」そう言って幾松は去っていった。

その足で五郎蔵は五鉄に戻り、彦十に繋ぎのことを頼んで帰っていった。
そうして数日が過ぎた頃、五鉄に若い男が彦十を訪ねてやってきた。

「彦十さんで?」

「俺が彦十だが、どんな話でぇ?」
彦十はそれとわかったので三次郎に目配せを送り奥の座敷に案内した。

「五郎蔵さんに繋いで欲しいんだが、こう伝えてくんな、
お頭があってみてぇとおっしゃるんで、ついちゃぁ明後日朝四ツ日本橋堀留町の
椙森(すぎのもり)稲荷社までご足労願いやすと」

「分かったよ、五郎蔵さんにそう伝えりゃぁいいんだな」
彦十は使いの男をしっかりと眺めたが、別にこれと言った特徴もなく
(軽い野郎だぜ)と想ったくらいのものであった。

早速このことを本所菊川町の長谷川平蔵の役宅に報告と相成った。

「ほうほう、で彦十 五郎蔵は何と申しておった?」

「へい それがね、しばらくは一人で動きてぇから長谷川様にそのように
お断りを申し上げてくれって、ヘッどこまでやるつもりなんでござんしょうかねぇ・・・・・」彦十はあまり群れたがらない五郎蔵に不満の様子である。

「五郎蔵はそのお頭が手配書にあった鯰尾の弥平次と踏んでおるのだな?」

「へぃ そのように言っておりやした」

「あい判った、彦!ご苦労だったなぁ、ゆっくり休め、後は五郎蔵の繋ぎを待つしかねぇなぁ」
その翌々日五郎蔵の姿が五鉄にあった。

平蔵の厳しい達しで盗賊改めの者は誰一人五鉄の周りに見られない、
これは万が一のことを考慮しての平蔵の伏せであった。
事実この数日五鉄の周りを徘徊する者をおときが認めている。

「で 五郎蔵さん先方の話はどんなふうで?」彦十が話に水を向ける。

「うむ 腕の立つ者を紹介して欲しいようだ」

「腕ってぇとヤットウのほうかい?」と彦十

「うむ どうやら急ぎばたらきのようで、血なまぐせぇ事になりそうだぜとっつあん」
五郎蔵は腕組みをして深い溜息をついた。

「で?どうすんだい?そのヤットウをよぉ」

「それよそのことを長谷川様に繋いでお指図を仰がなきゃぁならねぇ、
だが俺が出向くとまさかのことも考えりゃぁ長谷川様のこの度のお達しが無になっちまう、
で三次郎の旦那に買い出しのおり密かに繋げねぇかと」

「そいつぁいいや!三次郎なら誰も気づきゃぁしめぇよ、よしそ
れで行こう!
」と言うわけで、この繋ぎは三次郎に託されることとなった。
無論五鉄の周りは密偵の眼が光っている、平蔵への繋ぎは造作も無いことであろう。
案の定その翌日には平蔵からの指図が五鉄にもたらされていた。

その助っ人の浪人は沢田小平次ということであった。

「何とあの沢田様が・・・・・・」
五郎蔵はこのような場合平蔵自らが買って出ると思っていたからである。

早速沢田と待ち合わせて、先方の繋ぎを待った。

翌日には過日の若い衆から五鉄の彦十に繋いできた。どうやら顔見世のようである。
沢田と五郎蔵が連れ立って指定された場所に出向いた。

そこは過日五郎蔵が幾松の指定してきた日本橋堀留町椙森(すぎのもり)稲荷社であった。
しばらく待っていると、辺りの気配を確かめたようで、少し遅れて現れた。

「お頭は?」五郎蔵が口を切った。

「お頭は当日までお出ましにゃぁならねぇ、替りと言っちゃぁ何だが、
この千成の幾松が確かめさせてもらいやす、ねぇ五郎蔵さん念を押すようだが
そのお侍ぇさんの腕は大丈夫でござんしょうね、
お頭はそのことを気になさっれ居られやしたもんでね」
幾松は沢田小平次のつま先から頭の天辺までまるで蛇のようにじっとりと執拗になめ上げた。

「俺がこのお人と思っての口利きだぜ、そこまで勘ぐるたぁ・・・・・」
その言葉を遮るように沢田小平治が刀の鍔に手をかけた

「ままままっ待っておくんなさい悪く取られちゃァ仕方がねぇが、
そんなつもりで言ったんじゃぁねぇんで・・・・・」
と幾松が五郎蔵の言葉を制した刹那、(ヒュッ!)と瞬間音がしたようで何かが光った。
沢田小平治が刀を抜いて下段に下げている。

「じょじょじょ冗談ですよぉ旦那ぁ・・・・・」幾松が両手を振って沢田を制した。

「冗談ではない!お前の足元をよく見ろ」
沢田小平治が幾松にそう促した。
足元を見た幾松は目をまんまるに見開いてガタガタ震えだした。
足元には幾松の煙草入れの紐が切れて転がっていたからである。

「わわわわ判った!判った!腕の方も確かにこいつぁすげぇ、これで決まりだ、
早速お頭にご報告しておくよ五郎蔵さん!」
幾松は紐に切れた煙草入れを拾い上げながら

「へ~目にも留まらぬとは聞きやすがまさかねぇ、こりゃぁぶったまげたぜ五郎蔵さん」
幾松は煙草入れを懐にしまいながら沢田小平次の顔を眺め直した。
それから四日の時が流れた。

再び五鉄に繋ぎが来た「せんだってのところまで二人揃ってご足労願いたい」
と言う言伝である。

時は暮六ッの鐘が鳴り始めた頃であった、椙森稲荷社の燈明がゆらゆら揺れる中であった。

「大滝の・・・ご苦労さんだなぁ」声が飛んできた。
よく見ると見覚えのある鯰尾の弥平次であった。

「鯰尾のお頭・・・・・・」と五郎蔵

「おお 覚えていておくんなさったかね、そこのお侍さん、俺が鯰尾の弥平次だ、
この度ぁ助っ人をよろしくお頼みしますぜ、ところで五郎蔵さん、
お前さん挿げ替えやに知り合いでも?」

「挿げ替えやでございやすか?さぁ一向に知り合いも覚えもござんせんがねぇ」
と動揺することもなく五郎蔵が返事を返した。

「左様で・・・・・・じゃぁ先だってお前ぇさんが本所弥勒寺門前で話し込んでいた奴を
知らねぇとお言いなさるんで?」
冷ややかな目つきで五郎蔵の返事を伺った。

「弥勒寺・・・・・・ああ あん時の、ありゃぁ通りがけにちょいと鼻緒がゆるんじまったの
で、その時のことでござんしょう?」といなした。

「ところがねぇ五郎蔵さん、悪い事ぁ出来ねぇって言うじゃァねぇかい、
お前さんが立ち去ったその後、その挿げ替え屋が店を畳んじまった、何故だとお思いだね?」

「さぁ あっしにゃぁ関わりの無えぇことで」

「そうだといいんだがねぇ五郎蔵さん、お前さんを張っていたうちの若ェもんが
そいつの後を従けたとお思いなされやし、何とたどり着いたのが本所菊川町、
事もあろうに火付盗賊改方役宅・・・・・・」

そう言って五郎蔵の反応を確かめるように眼を据えた。

五郎蔵は動じることもなく
「そいつぁ又ご丁寧に、ですがあっしにゃぁ何のことだかさっぱり、
何しろ鼻緒をすげ替えてもらっただけの関わり、どこの誰かもしりゃぁしませんよ」
とはぐらかそうとしたが、

「なぁ五郎蔵さんわしも一廉のお頭と言われている者だ、
まかり間違えりゃぁ子分の生死にも関わってくるとなりゃぁねぇお前さん、
ここは慎重になろうってもんじゃァねぇのかい?」

「そうなるとお前さんが口利きのご浪人さんの身元もどこまで信用できるか判ったもんじゃぁ
ねぇ、違いますかい?」
今度は沢田小平次の方を見据えて反応を確かめようとする。

沢田小平次はすぐさま口を挟んで
「俺はこの男と土場で知り会うただけのこと、何かうまい話はないかと聞いたら、
用心棒の口があるが腕が必要と言われ乗ったまでのこと、
何ならもう一度この場で腕試しでもいたそうか?」
と刀の柄に手をかけながら落ち着いて答えた。

「滅相もねぇ、お前様の腕はとっくにこの幾松が承知だ、が・・・・・
疑いが晴れたわけじゃぁねぇ、でこういたしやしょう、
この場でその五郎蔵さんを切り捨てておくんなさいよ、
それならこちらも信用いたしやしょう、如何で?!」

その言葉に一瞬五郎蔵がためらって腰を引いたその刹那振り向きざまに沢田小平次が
五郎蔵を袈裟懸けに切り下げたからたまったものではない、
五郎蔵が胸から腹にかけて着物が切り裂かれ真、っ赤な血がどっと吹き出して
その場に倒れこんだ。

「あっ!!!」
その場に居合わせた中でのいきなりの出来事に一行があっけにとられている。

「へぇ驚いたねぇお侍さん、いやぁ聞きしに勝るたぁこの事よ、
さすがのあっしも肝をつぶしやした、よし気に入った!おい 誰か五郎蔵のとどめを刺しな!」

そう言うと背中を見せて立ち上がった。

子分の一人が近寄って五郎蔵のとどめを刺そうと胸ぐらをつかもうとした時、
鳥居の影から灯りが近づいてきた、
「チェッ!誰か来るぜ!引き上げろ!!」
鯰尾の弥平次の低く鋭い声がその場に居合わせた者を急き立てた。
ばらばらと椙森稲荷社の奥に消えていった。

五郎蔵の遺体は南町奉行所によって検死が執り行われ、女房のおまさによって引き取られた。
こうして稀代の大盗賊大滝の五郎蔵は消えていった。

しかし、菊川町の盗賊改方では何の騒ぎもなく平穏な時が流れていた。
密偵はどのような死に様であれ、盗賊改めとの関わりは一切なく又それでこそ密偵なのであっ
た。

この時から沢田小平次は鯰尾の弥平次の傍に控えるようになっていた。
それから半月は過ぎようとしていた。

小網町一丁目にある爪楊枝の老舗(さるや)の隣に近江屋と言う看板が掲げられた
材木商がある。
この二階に沢田を始め集められた盗賊仲間が時をやり過ごしていた。

「そろそろ酒も飽きたし、ひと暴れしたいもんだが、こう静かじゃぁその気配もない、
これではまるで囲いもんだ!」沢田小平次が幾松に不平を言った。

「旦那ぁそうむくれないでおくんなさいよ、あっしらもお頭から言い含められておりやしてね、
酒と夜鷹はいいが、出歩くことはご法度ときつく言い渡されておりやすんでね」
と丼の中にサイコロをポンと放り込んで
「こんな事ぐれぇしか慰めもありやせんやぁ」と半分諦めた面持ちであった。

そんな時間が流れようとしていた時鯰尾の弥平次の子分が
「支度をして待つようにお頭の言伝で」と知らせが入った。

「やれやれやっとお神輿をお上げなさったか」
幾松はそうつぶやいて
「おう!皆んな聞いての通りだ、今夜辺り押込みになりそうだぜ、
支度して控えておくんなさい、旦那もね!」
と沢田小平次の方を見やった。

「判った、で 押し込み先はどこなんだ!」
と小平次が問いかけた、が 返事は思惑を外したものであった。

「そりゃぁ今夜のお楽しみってぇところですよ旦那!」
と意味ありげに沢田小平次を振り返った。

(何としてもお頭に繋ぎを取らねば、このままではまんまとしてやられてしまう、
かと言って自分一人でこの十名を越す者を防ぐ手立てはないし、
斬り伏せられようとも思えぬ、はて、困った。これは沢田小平次の偽らざる心境であった。

刀と言うものいくら切れても、がまの油売りの講釈ではないが刃に油がついては
中々切れるものではない、ましてや人の脂は重い、二~三人は切れるだろうが
後は滑ってまともに切ることは難しい、その結果串刺しにするしか無い、
がコレも又厄介のことにこの脂と肉が刀に絡みついて素早く抜くことは出来ない、
それほど人の肉は厄介なものなのである。

相手の身体に足をかけて力任せに引きぬく以外抜けないほどピッタリと食い付くものである。
そうこうするうちに日も暮れかけ、町には夕闇の帳が立ち込めてきた。

打つ手のない沢田小平次の心はいたたまれない気持ちで一杯になるばかり、
だが周りはすべて鯰尾の弥平次の息のかかった者共ばかり、
さすがの沢田小平次も如何ともし難い。

(こうなれば出来る限りの手傷を負わせてでも押し込みだけは防がねばなるまい!
そう心に秘めてじっとその時を待った。

亥の刻を回ったであろうか、漆黒の闇の中に気配を感じて沢田小平次は跳ね起きた。

階段の軋む音がして柿渋染で身を包んだ鯰尾の弥平次を先頭に数名の子分が上がってきた。

「お頭!ご苦労さんでございやす」
千成の幾松がそう声をかけて弥平次を迎えた。

「で お頭!押し込み先はどこなんだ?!」
待ちかねたその瞬間である、沢田小平次は鯰尾の弥平次の返答を待った。

「そう急ぐこともありやせんよ旦那、荒布橋の下に小舟を用意してありやす、
そいつに分乗して思案橋を潜って親父橋を越えたら新材木町に出やす、
和國橋のたもとに船を繋いで上がった先に目指す材木商中川屋がございやす、
そこが今夜のおつとめ先ってぇ寸法で、

まぁ旦那のお手を煩わせる事ぁ無いとは思いやすが、
先方にも腕っこきの強いお侍を何人か抱えているようで、
そいつらが出しゃばった時にゃぁお前さんの腕を借りることになりましょうかねぇ、
後はこいつらが綺麗に片付けますんで・・・・・」
と連座して構えている子分どもを見回した。

みな道中差を腰に打ち込んでいる。

(如何に一刀流免許皆伝の腕とはいえ、一気にこの者たちを相手にするにはどうにも無勢、
最早討ち死に覚悟で当たるしかあるまい、もともとそのつもりでお頭より引き受けた御役目、
悔いを残すこともない)そう沢田小平次が心に刻んだ時、
表の方で戸を打ち壊すような激しい音が起こり、続いて

「火付盗賊改方長谷川平蔵である、鯰尾の弥平次一味の者おとなしく縛に従け、
抗うならばこの場にて切り捨てる、覚悟して出てまいれ!」と大声が聞こえた。

(何!!お頭が!)沢田がそう想ったのと同時に
「何だとぉ盗賊改だと!!そんな馬鹿な!!」
鯰尾の弥平次が吐き捨てるように叫んだ。

二階から駆け下りるものや窓を飛び越して外へ逃げるもの、
部屋の中は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

外は高張提灯がゆらめき、御用提灯もびっしりと取り囲んでいる様子である。
(どうしてここが・・・・・)
沢田小平次の脳裏にはこの摩訶不思議な打ち込みが未だに信じられない風であった。

「盗賊改方同心沢田小平次である、神妙にいたせ!」
道中差しを引き抜いて防戦体制に入っている鯰尾の弥平次に向かって沢田小平次が叫んだ。

「何だとぉ盗賊改だと!!」
仰天して思わず刀を握る力が抜けたところを沢田小平次が大刀の峯で打ち払った。

鈍い音を立てて道中差が畳の上に転がった。

「くそぉ なんてぇこった、よりによってお前ぇが盗賊改めとは、
こうなっちゃぁどうしようもねぇ、とことん逆らってやろうぜ」
大声で叫びながら道中差を拾い上げて沢田小平次に打ちかかってきた。

「無駄だ!!」
その一声が鯰尾の弥平次にはすでに届かなかった。

沢田の放った一撃は弥平次の左の耳から胸板を走り左わき腹へと切り裂いていたからである。

こうして鯰尾の弥平次一味は中川屋に押しこむ手前で食い止められた。

菊川町の役宅に戻った沢田小平次は
「どうしてあそこの場所がお分かりになられましたので?」
と快刀乱麻のごとき平蔵の出現に、思っていたことをいの一番に尋ねた。

「ああ あれかい? この度は五郎蔵の働きでな」と
さも楽しそうに口元をほころばせる。

隣で聞き耳を立てていた木村忠吾がひと膝乗り出し
「しかしお頭!五郎蔵は沢田さんによって斬られたはず」。
と沢田を見た。

「忠吾!敵を欺くにはまず味方からと申すではないか
、此度の事は、わしと沢田と五郎蔵が仕組んだ芝居だったんだぜ」

「えっ?芝居、あのぉ 見世物の芝居‥‥‥‥‥でござりますか?」
狐につままれてふうに合点もゆかぬまま忠吾は腑抜けている。

「うむ 謎解きをして遣わそう、実はな、
はじめに思いついたのは五郎蔵が助っ人を手配りするという話しからだ、
わしが乗り出しても良かったのだが、長きに渡る場合を考えて沢田をあてがった、
だがな あのように蛇のような念の入れようは尋常じゃぁねぇ、
で 三人でちょいと仕掛けを企んだのよ、へへへへへ」
平蔵はさも愉快そうに声を上げて笑った。

「なんでございますかその仕掛けとは、お頭もお人の悪い、
ご自分一人で合点穴されて楽しまれるとは、この木村忠吾少しも面白う御ざりませぬ」
と少々置いてきぼりに不満の様子である。

「怒るな怒るな、なっ!先程も申立であろう、敵を欺くにはまず味方からと、
で五郎蔵に血袋を抱かせた。
獣の血を腸に詰めてそいつを油紙に包み五郎蔵が腹に仕掛けておったのさ、
そいつを沢田が真っ向切り裂いた」

「アッ だから五郎蔵は血まみれで」

「そうよ、ところが弥平次の野郎とどめを刺せとぬかしおった」

「あれにはさすがの私も一瞬戸惑いました」と沢田小平次

「そいつを鳥居の傍で見張っていたおまさが機転を利かせて提灯を点けた」

「で 私は救われました、全く冷や汗が出ました」
小平次はあの五郎蔵殺害現場を思い出して冷や汗が流れてきた。

「その後は南町奉行所深川周り同心小村芳太郎と与力見習いの黒田麟太郎が手配り致し、
密かに五郎蔵の骸を始末いたした。
無論このことは前もって池田筑後守様の同意を得ての謀事じゃ」

「なんだぁ そのようなことでござりましたか、
それはさておきこの木村忠吾を抜いての謀事は合点が参りませぬ」
とまだまだお冠のご様子。

「まぁまぁ忠吾こらえろ、他の者も皆お前と同じ気持ちだ」
と沢田小平次が忠吾をたしなめる。

「ですがお頭、その後が私にはどうにも」と沢田

「そこよそこんところが五郎蔵のここんところでな」
と平蔵頭の真ん中に指をやってこんこん叩く真似をした。

「奴が申すにはな、最も凶暴なスズメバチは蜂蜜をなめさせて、夢中になっている時、
尻にこよりを結んでも気が付かねぇそうだ、そうしてじっと見てりゃぁお前ぇ、
やがて巣に戻っちまう、そこで夜中に炙りだしてお宝を頂くってぇ寸法だそうだぜ」

「と申されますと・・・・・」沢田小平次がすかさず尋ねた。

「五鉄につなぎに来た野郎におまさと言うこよりを付けったってぇわけさ、
野郎は五郎蔵がお前に斬り殺されたんで安心してお前を盗人宿に連れ込んだ、
そこでヤツの後をおまさが微行て此度の盗人宿を突き止め、
そこで隣の楊枝屋(さるや)に二階を借り受け昼夜見張っておったわけさ、
で 蜂が巣に入ぇったとおまさから知らせがあり、周りを囲んで待ったのよ。

案の定ノコノコと親玉が巣から出てきやがったところを打ち込んだというわけさ、
どうだい忠吾これで得心がいったであろう?わはははははは」

「恐れいりました、やはりお頭の上は行けぬものでございますなぁ」と沢田小平次

「なぁに此度は五郎蔵の知恵がなくば恐らくは叶わなかったであろうよ、
思えば恐ろしい男が我らの味方になっていたものよのう、今想うても背筋に寒気を覚えるぜ」
これは平蔵の本心であったろう、
血袋の細工やスズメバチの仕掛けなどさすがの平蔵にも思いもよらない奇策であったからだ。

悪が悪を正す・・・こいつぁ あいつらなくしては成し得ぬ道理よ
、表舞台だけでは物事何一つ成り立たぬ、その裏で同じような営みが繰り返され
そいつが時として表舞台に踊り出た、そんな事だろうよ、
特におまさにやぁ辛ェ思いをさせてしもうた、見せかけとは言え
目の前で大事な亭主を斬り殺されたんだからなぁ、さすがにおまさの儂を見る目が辛かった。

「その間五郎蔵はいかが致しておりましたので?」

「五郎蔵かえ?南町奉行所で密かにかくまわれて
逐一お前たちの行動なぞ黒田麟太郎によって儂にもたらされておった。

仕掛けた後は巣立ちを待てばよいだけの雑作もねぇ戦であった。

鯰尾の弥平次・・・・・・
獲物をじっと待つあの執念は周到な構えの中で生まれたものであろう、
親の敵が盗賊でそいつを見つけるために自ら盗賊に身を落とした、
思えばこやつもまた犠牲者の形なのかもしれねぇなぁ、」
平蔵はしらじらと明けてゆく春半ばの江戸の空を眺めた。

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10月号  夏目成美と消された氏族 弾左衛門


13代弾左衛門 1840-1868年

上絵図は1849年の絵図。
白く抜かれている部分が弾左衛門居住地。
現在は復刻版のために弾左衛門の居住地は白く抜かれて痕跡を留めていない。
もともと弾家は古代ユダヤ12氏族の一つダン族が日本に渡来していた痕跡。
古代ユダヤの12氏族には入らないレビ族がいる、このレビ族は祭祀を司り、
神への祈りの一切を取り仕切った、彼らの仕事の内、神に捧げる生贄の牛を屠る
役目が聖書に出て来るレビ人祭祀である。

彼らの役目は今も変わらず神社で祈りを捧げる(祝)の仕事が続いている。
天皇もこの「祝・はふり」が主な仕事である。
大三島の大山祗神社宮司は代々「大祝・おおふり・おおほり」として越智姓であったが、
明治になり三島姓に変えられ、こんにちに至っている。

この屠殺の儀式は現在も我が国では何一つ変わること無く行われている。
つまり彼らは神に仕える尊い氏族だったが、徳川家康の出目を隠すために彼らを
穢多(えた)と呼んで人別帳の下においた。
士・農・工・商・穢多・非人、これは差別ではなく単に仕事の区分けであったが、
いつの間にか差別として扱われるようになった。
だからここに町人が入っていないのはこのため。
後、部落問題が発生し、そのために彼らの痕跡を史実上から抹殺する政策が取られ
このような白紙の復刻版になった。これが日本の歴史の事実である。


珍しく平蔵この日は本所二ツ目の軍鶏鍋や五鉄に立ち寄り、
相模の彦中を連れ広大な御竹蔵を左に南割り下水の町番屋に顔を出し、
突き当りの石原町の町番屋にも顔を出した。

何しろこの一帯は平蔵若かりしころ暴れまわった庭である。

番屋の当番もその頃をよく知っているものが多く、
それゆえにこの界隈の情報も入る場所でもあった。

「あれまぁ彦さんじぁねぇかい」
この日当番という古老の久三爺様にとっつかまった。

「お前さん、久しいが近頃じゃぁ長谷川様のお供ですかい?」
とさすが自分たちのその昔を知っているだけに
彦中も蛇ににらまれた蛙のごとく神妙に恐れ入っている。

「やんでぇ お前ぇだって俺っちとつるんで悪さしたじゃァねぇか」
と反論するも
「彦さん、あっしゃぁさっさと足洗ってまっとうに暮らしたけどよ、
お前さんはどうなんだい?」
と聞かれて彦十

「けっ 面目ねぇが銕っつあんにとっ捕まるまでは何だぁそのぉ・・・・・」
結構な酒の肴にされている彦十を見かねて平蔵助け舟を出す。

「おいおい とッつあんそれぐれえにしてやれ、見ろよガマの油みてぇに
 へへへへっなぁ彦十」

「あっ そりゃぁ片手落ちってもんで銕っつあん、いや長谷川様、
そいつを言われりゃぁ長谷川様もご同様の・・・・・」

「おいおい ちょいと待った、こいつぁ風向きが悪くなったぜ、なぁとっつあん」
平蔵頭を掻き掻き
「ところで久三近頃変わったことは耳に入ぇらねぇかい?」
と薦められるまま框にひっくり返して敷かれた座布団に腰を落とした。

「へぇ 大ぇした話はございやせんがね、すぐこの先の弁財天・・・・・」

「おう あそこぁ夜鷹のたまり場じゃァねぇか」

「さすが長谷川様・・・・・」

「おいおいとっつあん妙なところで褒めるんじゃァねぇぜ、こいつぁ遠い昔の話、昔のな!」

「へへへっ こいつぁどうも、で 弁財天で面白ぇ人が時々やってきて、
あいつらは誘い水を向けるんでござんすがね、一向にお構いなし!
いつもにこにこして何やらブツブツ言いながら何かを書き止めているんだそうでございやすよ」

「ほぉ で、 そいつぁ一体何者んだぇ?」

「あっしもよくわしかぁ知らねぇんですがね、
何でも多田の森のご隠居さんとか茶屋の女郎が言っておりやした」

「多田の森かえ、あの南本所番場町にある多田薬師の・・・・・」

「へぇ東光寺の森に何でもお屋敷を構えおられるとか」

「そいつぁ又面白そうじゃァねぇか、まぁ行き掛けだ寄ってみるか!その多田の森によ!」

「待ってました銕っつあん 、そうこなくっちゃぁ!
誘い出す 時まで多田の 薬師なりってぇね!」と彦十尻をからげる。

「おいおい彦よ!お前ぇまだそんな余力を持っておるのか?テェしたもんだ!
俺ぁ此方で精一杯ぇだ」と盃を口に運ぶ仕草を見せる。

「へへへっ 女日照りは 晴天の十日なりってね!」

「へっ 呆れた野郎だお前ぇは」
平蔵半ば呆れ顔で彦十を伴い番屋を出た。

広小路に出る手前にも番屋がある。
「おい なにか変わったことはねぇかい?」
気さくに平蔵声をかける。

「ああこれは長谷川様!この数日は何事も無く至ってのんびりしておりやす」
と番太郎が茶を薦めながら後ろに隠れている彦十を見つけ、

「おや彦十さんじゃァないかね、しばらく見なかったけんどもお前ぃさん達者だったんだねぇ」
とこっちもあっちも同じ言われ方。

「へっ なんか俺っちが生きてちゃァいけねぇようなその口の聞き方ぁねぇだろうによぉ!」
彦十少々おかんむりのご様子である。

「実ぁこの前の月に厩河岸之渡しから上がった両国にある大店の番頭さんが
この先の広小路で追い剥ぎにお会いなすったそうで」

「へぇ 岡場所にでも出陣なさったんだろうなぁ、で被害はどうだったんだぇ?」

「まぁ 身ぐるみ剥がされちまったらしゅうございやすが、
帰りの渡し賃だけは泣いてすがって残してもらったとか・・・・・」

「やれやれ 三途の川の渡し賃かえ?それじやぁ懸衣翁も奪衣婆も立つ瀬がねぇ、あはははは」
で、その追い剥ぎはまだ捕まっちゃぁ居ねぇのかえ?」
平蔵その場の情景を思い浮かべながら可笑しいのをこらえて尋ねた。

「いえね!そのあとがこの界隈の面白ぇところで、
その追い剥ぎに遭ってみてぇなんて酔狂なやつが出やしてね、
どっかの大店の主風の人が両国橋を渡ったところで駕籠に乗りやした。

行く先を聞いた駕籠かきが
「その辺りぁ追い剥ぎが出るって聞いたから、かんべんしてくれって」
言ったそうでござんすよ、するとその旦那が
「じゃぁこうしよう、もし追い剥ぎが出たら手間賃を三倍払おうじゃァないかっ」
て、駕籠かきに前払いしたそうで、そんとき
「もし無事に着けたら駕籠代は払わないってぇ賭けをどうかねぇ」って。

「で、乗ったわけだな!」

「へへへへっ 仰る通り、駕籠屋が、さぁ出かけようとしたら
「ちょっと待って下さいよ」
と言って、着物を脱いでさっさと畳んで座布団の下に入れやした。
この時期でございやすよ、寒いのなんの、けどそれで乗り付けることになったそうで」

「へへ~ぇそいつぁ面白ぇ中々剛気じゃァねぇか、でどうした?」

「へぇ 案の定追い剥ぎが出やした、駕籠かきは前銭貰ってるんですっ飛んで逃げやした。
駕籠のタレをはぐった追い剥ぎが中を見て驚いたのなんの、
下帯一つの旦那が震えているじゃぁござんせんか、それを見た追い剥ぎ
「なんだ 先客がいたかぁ」ってね、あはははははは」

「やれやれ・・・・」平蔵飛んだ落ちに大笑い。

「いやぁそれにしても世の中酔狂な野郎も居るんだなぁ彦・・・・・・」
笑いを残しながら外へ出た。

丁度追い剥ぎが出たという広小路に出た。
左は少し後ろに御厩河岸を渡る川船がゆったりと大川を越えているのが見える。
少し前は浅草並木町と本所竹町を結ぶ竹町之渡しも見える。

平蔵と彦十はゆらりと流しながら、そぞろ歩きで件の多田の森に差し掛かった。
普賢寺の門前の川土手に座り込んで、大川の流れを行き交う川船や船頭の舟唄を聞きながら
煙管を構えた男がいた。平蔵をさして変わらぬ年頃のように見受けられた。

平蔵足を止めて「何か面白いものでも見えますかな?」と寄っていった。

その男はニコニコ笑いながら
「お侍様こうして川面を行船を眺め、乗った人や荷物を眺めておりますと、
その物の向こうに見えるものを見たいと想うてしまいます。
見ているようで上っ面と申しますが、一つ一つのものに何かこう絵草紙の語り物のような
ものを想像いたしまして、時の過ぎるのを忘れます」
穏やかな話し方で平蔵を見上げた。

平蔵、この男に何かを想ったのかその横に腰を下ろし
「まこと人それぞれに上辺では量れぬもの、面白きことや楽しきこともあろうが、
それにも増して苦しみや哀しみも抱え込んでおるものであろうなぁ・・・・・
この世は不条理なことも多くあろうそれを想うと人は何故生まれてきたのか、
どうして生きてゆかねばならぬのかと問いかけては、未だその答えを見出せずにおる・・・」

「ああこれはまた嬉しいお言葉を・・・私は三十一歳で家督を継ぎましたが
二年後に痛風を患いましてこのように右足が不自由になりました。
それゆえ家督を弟に譲り隠居いたしました。
ところがその翌年に弟が流行病でなくなりました。
やむなく病の身を押して再び跡目を継ぎ、時折こうして多田の森に息抜きに参ります」
と時折袖を抜ける早春の風邪を心地よさそうに受けている。

「もしやそこもと、多田の森のご隠居と呼ばれはせぬか?」と平蔵

「あっ!」
 一瞬驚いた風であったが、すぐさま許の穏やかな顔に戻り

「ああ 左様に呼ばれているとは聞きましたが、こういきなりそう言われますと、
あはははは誠に持って、申し遅れました、私は浅草蔵前の札差井筒屋八郎右衛門と申します」
と名乗った。

「おお これは又痛み入り申す、手前は長谷川平蔵と申す、何卒よしなに」と返した。

この井筒屋八郎右衛門は俳人としてもよく知られており、
多田の森薬師隣に宝法林庵を構え、時折命の洗濯に訪れていた。
のち寛政十年(1798年)本所深川相生町五丁の裏長屋に住んだ
俳人小林一茶は此処での句会に足繁く通い、留守番や仏画の手入れなどをさせて
一茶の朝食を賄うなど面倒を見た俳人夏目成美(せいび)である。

「さすがまた 老いといはれむ あすの春」
「香をとめて 白髪愛せん 窗(まど)の梅」成美

平蔵彦十を促しその場を辞した。
ゆるやかな風が川面を走りぬけ、岸辺の葦原は枯れ切った姿で揺られている。
吾妻橋を渡りながら橋の下を行き交う小舟に目を落とした。
上方などから入る荷船は荷を満載にして、まるで宝船のごとく見える。

川上から蔵前に荷を下ろす船や竹町之渡しを猪牙が世話しげに花街通いの客を運び、
上から眺めればそれぞれに一つ一つの物語を持っているのであろうか・・・・・
先ほど出会った井筒屋の言葉が胸の奥にしっとりと横たわるのを心地よく覚えた。

吾妻橋を渡るとそこは花川戸、広小路を取れば伝法院・浅草寺が遠くからでも
大屋根を春霞に写して望まれる。

「彦十ちょいと付いてきな!」
平蔵は吾妻橋を渡るとすぐに右に折れ大川沿いに歩き始めた。

「銕っつあんどこへ行きなさるんで?」
と平蔵の後をひょこひょこついてきながら首を傾げる。

「うむちょいと気になることがあってな・・・・・・」
平蔵は大川沿いを花川戸、山之宿町六軒町と流し、山下瓦町にかかった。

その先は今戸橋、山谷堀と来たら・・・・・
彦十の金壺眼が怪しげにキラリと光ったのをさすがに平蔵見逃すはずもなく

「おい 彦!勘違ぇするんじゃぁねぇぜ!」
とニヤニヤ笑って気合の入った彦十を見た。

「アレぇ銕っつあん吉原へ繰り込むんじゃぁねぇんで?」

「彦よ いくら何でも朝っぱらから吉原はあるめぇ」

「でもよぉ ここまで来りゃ へっ!(浮かれ浮かれて大川を、下る猪牙舟影淡く、
水に移ろう襟足は、紅の色香も何じゃやら、ええぇ まぁ憎らしいあだ姿って)
、猪牙で乗り付け土手八丁を駕籠で繰り込む、こいつぁ粋じゃぁござんせんかぁ」

「そりゃぁそうだがな お前ぇまだお役にゃぁ立てるのかえ?」

「ありゃぁ そいつぁご挨拶ってぇもんで、そんな時ゃぁ
(老武者は 佐々木の勢い借りるなりってね!へへへへへへっ
)彦十ポンと頭を叩いて見せる。

「やれやれ!イモリの黒焼き頼みかえ情けねぇなぁ」
平蔵この駆け引きを楽しんでいるようでもあった。

話をしているうちに今戸橋を越え、浅草新町(しんちょう)に出た。
一帯は神社や塀で囲まれており、外から中は垣間見ることさえ出来ない構えである。
一歩中に入れば蔵や神社もあり、役宅には二~三百の人が詰めている。
「ひえ~っ 」さすがの彦十も腰をぬかさんばかりに驚いた。

素早く強面の男衆が行く手を遮った。

彦十はと見ると平蔵の陰でガタガタ震えている。
この威圧感は生半可ではないことをよく表していたからであろう。
中でも上役と思しきものがズイと顔を出し
「あっ これは・・・・・」と一歩引いて腰を落とした。

「居るかえ?」
平蔵の言葉にその男は「先ほど客人がありやしたが、お帰ぇりになったばかりでございやす」
と答え、先に立って奥へと案内した。

彦十は平蔵の腰にくっつかんばかりにへばりついてついてきた。

取り次いだ部屋には先ほどの客をもてなしたのであろうか長火鉢に鉄瓶が掛けられ、
チロチロと蓋の鈴がなっている。

手早く新しい座布団が敷かれ平蔵は刀を鞘ごと抜き、やおら腰を落とし右手元においた。

待つ間もなく側近の子分衆が付き添った男が
「おお こりゃぁ長谷川様!お久しぶりでございますねぇ」
とにこやかに入ってきた。

「うむ 先ほど向こうで多田の森の隠居に出会ぅてなぁ、でお前の事を思い出した」

「ああ 井筒屋の旦那にお会いなされましたので?
この所日和もいいし旦那も息抜きをなさっておられましたか、いい事でございますよ」
と目を細めて笑う。

「で?」
その男は自ら茶器を出し茶合に盛り急須に支度をする。

穏やかな茶の薫りがゆるやかに流れ、茶を注ぐ音のみが静かな部屋に染みこむ。

「うむ 旨い!程よく湯冷め、舌の上で露たまの転がるが如きまろやかさ、
まさに名茶この一杯にその人柄までも出る、茶も湯も建てる者の心を映す、
鈴虫の音にも似て凛と張り詰めた中に、そこはかとなき穏やかさを包んでおるもの」
と男の顔を眺めながら一煎目を飲み干した。

男は黙ったまま二煎目を入れる。

「のう左衛門、この所お江戸は静かだがお前の許になにか新しい知らせは届いては居らぬか?」とやんわりと言葉を吐いた。

「はい おかげさまでこの所こちらの方はしずかでございます、 が・・・・・」

「うむ やはりなぁどうもその辺りが気がかりでな、で 寄ってみたのよ」と平蔵。

「はい 上方から尾張・三河までもならしておりました水鶏(くいな)の左平次ってぇのが
江戸に入ったと聞いております」

「水鶏の左平次とな?ふむ 聞かぬ名だな」

「そうでございましょう!上方ではかなり荒っぽいことをやってのけたようで、
だんだんと畿内へ逃げながらの稼業だとか、そのように小者より報告を受けております」
男は静かに居住まいを直し平蔵の反応を伺うように見据えた。

「梅が見事だなぁ・・・・・・」

「はい 私もあのような者で居たいと想うております、梅は探梅、桜は観楼と申しますように、この世の陽の当たらぬ者達にひと花なりと温もりを持たせてやりとうございます、
大きなお山の桜より、小枝に見せる一輪の風にまかせる健気さが愛しゅうございます」
男は庭に咲き遅れている枝垂れ梅の流れ来る香りに目を閉じて大きく息を吸い込み、
茶を口元に運んだ。

「まことよのぉ 身のそばの一つを愛でる事さえ出来ぬものに、天下の政が出来るとは、
儂も思えぬ」
平蔵 この男の眺める先にあろう大望を同じ思いで眺めていた。

「のう左衛門・・・人が人として生きる時代が来ようかのぉ」

「長谷川様 それをお創りになるのが長谷川様のお仕事じゃぁございませんので?」
と意味ありげな視線を平蔵に投げかけた。

「馳走になった!」
平蔵は何か心に決めたものが見つかったようなさわやかな気持ちでこの
矢野弾左衛門囲内の外に出た。
見上げる空は碧々と冴え渡り、ゆるやかに鳶が舞っている。

「のう彦十 儂はあれになれようか・・・・・・」
腕組をして空を舞うトビの姿を追っている。

「へっ 鳶に油揚げならあっしにもわかりやすがね、どうみたって銕っつあんには見えねぇ」

「ふむ ゆるやかに舞ぅておっても、ヤツのまなこにゃぁ鼠が見える、
俺はまだその鼠さえみつけてはおらぬ」
平蔵深い溜息を漏らしつつ吾妻橋まで戻った。

この後平蔵は時の老中松平定信に加役方人足寄場を建言し、
石川島人足寄場が認められたのである。

弾左衛門との意思の疎通が形となって世界の刑務所の模範ともなる形が構築された。

「ねえねえ銕っつあん あのお人は一体どなたなんで?入ぇっただけでたまげたのなんの
、おいら金玉まで縮こまっちまいやしたよ」
と首のあたりにかいた冷汗を手で拭っている始末。

「おお あそこはな、長吏矢野弾左衛門囲内と申して滅多なものは入れねぇ、
たとえ町奉行とて無差配域、まぁ無理に押しらば二度とお天道様は拝めねぇかもしれぬ所、
あぁはははは」

「するってぇと銕っつあんはどうやって入ぇれたんで?」

「うむ 随分前だがな、奴の差配下の者が御家人の酔いたんぼ共に絡まれて
腕一本たたっ斬られた、そこへ俺が出しゃばって・・・・・」

「火付盗賊改方長谷川平蔵である!と来たわけでござんすね?」
彦十さも嬉しそうに恵比須顔で平蔵を観る。

「いいや そこまで必要もなかろう、言うても聞かぬのでその場に叩き伏せた、
まぁそれが縁で昵懇になったのさ、あれで中々世情に詳しく、
俺達にゃぁ嗅ぎ出せねぇ裏のことも知ることが出来る、
俺はあ奴が好きだ、こう 春風のように胸ん中にさわやかなものが抜けてゆく」
先ほどの弾左衛門の梅に喩えた言葉を平蔵はしみじみと心に収めていた。

吾妻橋西詰を右に折れ雷門の前にでた、脇の木戸は早くから開けられ参詣の人々が出入りして
賑わっている。
その広小路前を過ぎる手前に傳法院裏門に入る小道があるが、そこへ平蔵入ってゆく。
からしや中島徳右衛門の(やげん)である。

「銕っつあん 何で又・・・」
彦十は半ば呆れたように平蔵の後をついてきながら首を傾げることばかり。

「おお 此処はなぁ、猫どのに薦められた七味唐辛子の旨ぇ店なんだぜ」
と言いながら懐から三文出して
「一つ包んでくれ」と手渡す。

「何で又トンガラシなんでござんすかぁ」

「彦よ こいつがなくば蕎麦食ぇねぇ!こいつと蕎麦・・・・・
こりゃぁ切っても切れねぇ縁がある、俺とお前ぇ達みてぇになぁ。

唐辛子屋も色いろある、だがな、それぞれに工夫があって中身も違う、そこが又妙味だな」
とうがらしをの生を使ったり焼いてみたり、枯らしてみたりと
そりゃぁ工夫しおうて旨ぇものをつくろうと工夫した。

大抵はな、赤唐辛子に山椒・胡麻・陳皮・麻の実・青紫蘇・芥子・青海苔・
生姜こいつらをどう選んで組み合わせ狙い目を出すか、この中にホウズキの実を
挽き割って混ぜ入れ、辛味を抑えたものまで様々、いやぁ商売人は抜け目がねぇ」

こうして平蔵浅草界隈を気ままに流し田原町蛇骨長屋を左に折れて、
築地本願寺門跡前から西へきくや橋を渡って稲荷町を大工屋敷で左に南へ下り
広大な立花飛騨守上屋敷を抜け佐竹右京大夫の三階建ての高殿を右に眺めて
「ひえ~っ ぶったまげぇ」
と彦十金壺眼の目ん玉ひんむいて仰天したもんだ。
千代田のお城以外こんな高い屋敷は見たことがない。

「銕っつあん世の中ってぇのは一体ぇどうなっちまってるんでござんすかねぇ、
今どきこんなお城見てぇなお屋敷が・・・・・」

「ははは 以前次助も驚いてたがな、外様でも三河以来譜代以上の者もおるということよ。
三味線堀を左に、船着場の荷船から木材を下ろす男衆の粋な掛け声を眺めつつ鳥越川を
下がって堀に囲まれた宗對馬守義功(そうたじまのかみよしかつ)
の裏を横切り藤堂佐渡守屋敷裏を過ぎ御徒町に出た。

その先は下谷練塀通り、角の番小屋を通り越して更に進むとこれ又広大な小笠原右近将監門前
の先は下谷御成街道にぶつかる。
これを更に西へ進んで内藤豊後守表門に突き当たった。
左に行けば同朋町の横に神田明神へ向かう道がある。

平蔵は何の躊躇もなく右に折れ内藤豊後守屋敷の白壁を左にとって妻恋坂を登る。
立爪坂町の向こうは妻恋稲荷社が見えている。
その奥に目指す妻恋町がある。

ここに過日忠吾が湯島天神で殺害の現行犯として捕らえられた話を大滝の五郎蔵に伝えたのが
五郎蔵の配下桶屋の幾松であった。

「幾松はいるかえ?」
突然の侍の来訪は驚かせてしまったようで、身を固くして恐る恐る

「あっしでございやすが、どのようなご用件でございやしょう?」
とカンナを置いて鉢巻を取った。

「いや何、構えるこたぁねぇ!お前ぇだな?大滝の五郎蔵に話を通してくれたなぁ・・・・・」
その言葉を聞いて安心したのか、急に笑顔になり

「へぇ 大滝のお頭にゃぁ昔っからお世話になっておりやして、
でもそのことは誰も知らねぇはずで、どうして・・・・・」

「おう こいつぁ済まなかった、俺は長谷川平蔵だ」
その言葉を聞いて幾松は飛び退いてひれ伏した。

「おいおい そうかたっ苦しい事ぁなしだ、
いや何、お前ぇのお陰で儂のでぇじな配下の者の首がつながり助けることも出来た。
どうしても直にお前ぇに礼が言いたくてなぁ、ありがとうよ。
こいつぁ少ねぇが納めてくれ」
と金子を包んだものを手渡した。

「めめめめっ滅相も!あっしはただ大滝のお頭に小耳に挟んだことをお知らせしたまでのこと、そんな大層なことじゃぁございやせんので、何卒これは元にお納め願いやす」
と包みを突き出した。

「なぁ幾松、先程も申した通り、儂にとってはでぇじな者よ、
そいつの首を救ってくれたのがお前ぇの知らせ、この程度じゃぁ少ねぇが、
気持ちだけは誰にも負けねぇ。

この広いお江戸を我等の手だけでは守り切れる物じゃぁねぇ、
お前ぇ達にも時にゃぁつれぇ思いをさせる事もあろうよ、
そんな時ゃぁ五郎蔵や俺達の事を思い出してこらえてくれ、頼むぜ幾松」
平蔵は金子の包みをそっと幾松の手に握らせた。

「長谷川様!・・・・・・」
幾松の言葉が終わらないうちに、奥の襖がそっと開きかけ、
そこにはやつれた両手が震えながら合わされているのを平蔵は認めた。

「美味ぇもんでも食わせてやってくれ、おふくろさまをでぇじになぁ」
そう言い残して表戸を閉めた。

「なぁ彦十、俺ぁまこと幸せものよのう、この広いお江戸にゃぁまだまだ俺の知らねぇ
幾松みてぇな者が居るんだなぁ」
平蔵は昼下がりの江戸の空を目を細めて眺めしばらく立ち尽くしていた。

「これだ これだよなぁ俺達が銕っつあんにおっぽれるのは・・・・・」
相模無宿の彦十手のひらで鼻の頭を磨り上て
「参ぇりやしょうか!!」と声をかけた。

その夕刻、彦十は金魚の糞よろしく平蔵のお供で日本橋北鞘町を東に取り西堀川を
右に眺めつつ、魚河岸の威勢のいい空気を吸い込みながら地引河岸まで戻った。

荒布橋を向こうに抑えた本舩町を北に上がれば舟入堀、米河岸を更に北に上がれば中ノ橋、
突き当りを西に折れるところが道浄橋、そこから雲母橋までの間の河岸が塩河岸瀬戸物町や
伊勢町を背に、塩の取引商いが行われている場所でもある。

西堀川の付け根が江戸橋、この江戸橋のたもとが高間河岸で、一日千両の取引があると
言われたほどの賑で、将軍様から諸大名まで納入した残りの御膳、
御肴を河岸の桟橋に横付けした平田船で直接販売したり、
表納屋の見世に板船を繋いで売り買いしているのだから、人の行きかいも賑やかで、
それだけに何かと巷の話も聞きやすいと次助のすすめで立ち寄った居酒屋(酒泥棒)である。

茶を持ってきた小娘に
「おい この店の自慢は何だぇ」平蔵は奥まった一角に腰を構えて尋ねた。

「今日はお屋敷に収めた残りのカツオが入ってるから、カツオの丼がお薦めでございます」
と笑顔で答えた。

「おおそうか!ではそいつを二人前ぇだ、その前に酒となにか見繕って頼む」と注文した。
すぐにちろりと小鉢が運ばれてきた。

「まぁ一杯ぇやれ!」
平蔵は彦十の盃に熱燗を注いだ。

「へぇ 戴きやす」
彦十は杯を受け、そのチロリを平蔵から受け取った。
平蔵は盃を取り上げ彦十がチロリを平蔵の盃に注いだ。

一口盃を口に運び
「うんっ 旨ぇ!さすがに魚河岸の酒はいきがいいと申すか、なぁ彦や!」

彦十急いで口に運びながら
「こんなふうに外で銕っつあんと酒なんかぁ酌み交わすなんてぇなぁ
普通じゃぁござんせんねぇ」と後は手酌とさっさと飲み干す。

「そりゃぁそうだ、盗人のお前ぇと俺が同じ酒を飲むたぁお釈迦様でも気がつくめぇよ、
あははははは」

彦十は襟首に手をやりながら
「全くで、これも銕っつあんが弥勒寺でおいらを拾ってくれたからでさぁ、
そういう事となりゃぁ、まぁちゃんも粂八っつあんも縁があったんでござんしょうねぇ」
と平蔵の顔を見た。

平蔵ぐっと一息に空けて、盃を置き肴に箸を伸ばした。
「ううんっ!こいつぁ又美味ぇ、彦こりゃぁ何であろうな?」
と、先に箸をつけている彦十の顔を見た。

そこへ娘が膳を運んできたので、彦十は娘に
「この肴は何でぇ?」と訪ねてみた。

娘は顔をほころばせて
「おぼろ豆腐にお父っつあんが仕込んだ酒盗を掛けたものでございます」と答えた。

「酒盗だぁ?な~るほどのうそれで屋号が酒泥棒、こいつぁ参った、ウムそれにしても美味い」とあっという間に食べてしまった。
 
そこへ亭主と思える男がやってきて
「お武家様、この界隈ではお目にかかったことはございやせんがどちらからのおいでで?」
と空いたチロリを下げかけた。

俺かえ、本所に帰ぇるところでな、こいつがこの界隈では魚がめっぽう旨ぇというので、
潜ったまでよ、ところでなぁ親父この酒盗だが、どうやって造るのだえ?」と水を向けた。

「へぇ カツオのはらわたを胃と腸に分け、清水で洗い塩漬けにして
穴蔵に一年ほど寝かせやす。
塩加減の塩梅ぇと穴蔵で寝かせる具合ぇが腕の見せどころでございやす、
おぼろ豆腐は豆乳が冷めねぇうちにニガリを入れ、櫂で寄せやす、
ここんところが何しろ腕の見せどころとあって職人は気合が入りやす、
何しろそこで出来上がりが決まっちまいやすもんで。
毎朝出来たてのやつを清水桶に入れて持ち込んできやす」

「どうりで程よく冷えており、それに酒盗が又よく合う、でそっちのカツオはどうなんだえ?」

平蔵興味を満足させようとここぞとばかり突っ込む。
亭主はそんな侍が珍しかったのか笑いながら
「カツオは薄切りにして、醤油・酒・砂糖に漬け込み、長芋をすり鉢で下ろして、
梅干しの種を除いて刻んで叩いた物を入れ混ぜあわせやす。

刻んだ大葉に白ゴマと塩をひとつまみ入れて白飯に振りかけ、
その上に出汁を切ったカツオを乗せ、その上にとろろ芋を乗せ、
刻み大葉を飾って上がりでございやす。

こいつをとろろ芋の隙間から白飯を盗むように掻き出しながら口の中で混ぜ合わせる、
この辺りが妙味でございやしょうかね」
と平蔵の反応を観察するかのように見やる。

「ううっ・・・・旨ぇ飯の温もりが残っておるところにとろろ芋のなめらかなぬめり、
そこへ梅の塩加減がこれ又いい塩梅ぇだ、噛み込めば胡麻の香りが口の中に拡がって
大葉の豊かな薫りが増々引き立てる、う~んこいつぁ参ったぜ親父!
なるほど魚河岸たぁかような穴場もあるということよのう」平蔵いたく感心しきりであった。

彦十と二人気兼ねのない日暮れ前のひとときであった、が
その時反対側のスゲの仕切り越しに低い声で
「親分の次のお知らせはまだけぇ・・・・」

「お江戸で初めてのお仕事だよ、腰を据えておられるんだろうさ」
と女の声が聞こえてきた。

店の中話題が途切れが一瞬静まった瞬間であったから、それまでの会話はほとんど
聞こえていなかったが、「お江戸で初めて・・・・」というところが漏れ聞こえた。

(ううっんっ!?)平蔵はその隙間障子の陰ほどに漏れた言葉を聞き逃していなかった。
二人が店を出るのを待ってゆっくりと彦十を伴い外へ出た。

やがて前の二人は別々の方向へと別れていった。平蔵は彦十に女のほうを微行するよう促し、
自分は男の後を微行(つけ)始めた。
男は平蔵の微行に気づかないのか、ふらふらと荒布橋を越え照降町を横切り親父橋を越えて
芳町を突き当り、左に折れて玄冶店(げんやだな)に入り、
細い路地に潜り込んで稲荷社の隣にある赤提灯の店に姿が消えた。

平蔵は意を決してその赤ちょうちんの暖簾を潜った、だがもう男の姿はなかった。

(しまった感づかれたか!)いそぎ表に出たが男の姿はどこにも見当たらない。
新和泉橋北側に回ってみたが、それらしき者の姿はかき消したようにない。

(うぶけや)の表にいた小僧に聞いてみるもそれらしき男は通っていないという。
(むぅここまでであったか)平蔵、少々悔しい物のやむを得ない、
もう一度先ほどの赤ちょうちんに戻って中の様子を伺うことにした。

「酒をくれぬか」
と声をかけて室内を見渡したが、客は四~五人いたものの目当ての男は居なかった。

酒が運ばれてきた、小鉢に何やら入ったものもついてきた。
ゆっくりと飲みながら更に詳しく周りを観察すると奥まったところに階段があった
(んっ 二階があるか・・・・・もしやあやつは二階に上がったやもしれぬ)
平蔵はそう読んで

「おい 親父二階にも座敷はあるのけぇ?」と誘い水を向けたが
「あっちはわしの寝所で座敷はございやせん」と否定されてしまった。

「おい こいつぁちょいとおもしれぇもんだなぁと」
小鉢の物を箸でつまみ口に入れながら声をかけた。
「ああそいつかねそりゃぁ佃煮よ、佃島の沖で取れた雑魚や貝なんかを
塩と醤油で煮詰めたもんで飯に盛っても旨いし茶を掛けてもまた美味く
おまけに安いと言うことなしでさぁ」
と座敷に座っている漁師風の男が教えてくれた。
こうして平蔵はこの場を切り上げ本所菊川町の役宅に戻った。

一方彦十は女の後をつけていった。
魚河岸を東へ荒布橋を渡ると小網町を左にそぞろ歩きに流しながら思案橋に差し掛かった、つっ!と足が止まったので彦十は慌てて物陰に隠れた。
ゆっくり振り向いて、何かを感じたかの様子ながら、
どうやら彦十の微行は気づかなかった様子で、又ゆるゆると歩を進めた。

小網町を左に折れて貝杓子店(かいじゃくしだな)に入り、右にとって稲荷堀(とうかんぼり)蛎殻町の大きな屋敷の裏木戸を潜った。
小半時ほどして再び女が出てきた。

そうして、再び元の稲荷堀を北に上がって小網町一丁目横町から甚左衛門町
、元大阪町を抜け北に上がって玄冶店に入り中程にある赤ちょうちんに入った。

暫く張っていたが、いっ時しても出てこないので不審に思い、中に入って酒を頼み、
ゆっくり見渡したがそれらしき者の姿も形も無かった。

諦めた彦十は再び元の稲荷堀蛎殻町に戻って屋敷の表札を確かめた。

それから平蔵の待つ本所菊川町の役宅に現れたのは、すでに闇であった。
裏手の枝折り戸を開けて彦十が入ってきた。

「おお!彦十ご苦労であった、そっちはどうだぇ?
俺の方はどうも感付かれちまったのか居酒屋で消えちまった、情けねぇ話しよ、
でお前ぇの方の首尾ぁ・・・・」

聞かれた彦十
「えっ!銕っつあんが感付かれたぁそりゃぁ大層なやつでござやすねぇ、と言われても、
こっちも面目ねぇ、やっぱり最後は感づかれちまったようで
、赤ちょうちんで見失ってしまいやした」と頭を掻いた。

「何でぇお前ぇもやられたのかぁ・・・・でその場所は何処であった?」
と煙草盆を縁側に引き寄せながら話の続きを促した。

「へぇ 初めは小網町の蛎殻町のお大名らしき屋敷の裏に入ぇりやした、
その後しばらくして出てきやしたので又後を微行たんでございやすが、新和泉町にある・・・」と言いかけた時、横から平蔵が
「赤ちょうちんではなかったか?」

「あっ! やだねぇどうしてそれを・・・・・」
彦十は口を開けたまま目を丸くして驚いた。

「どうやらそこら辺りがたまり場のようだのう、店の親父は俺の勘だがな、
おそらくそいつらの宿番ではねぇかと想うんだがな」
平蔵ゆっくりと紫煙を宙でも吹くように深々と吐き切って、
吸口を軽く叩き、ふっ と吹いて煙草盆に戻した。

「で、その大名らしき屋敷の主は何と申した」

「へい そこは尾張とございやした」

「ふむ 確かあの当たりは酒井雅樂頭様中屋敷があったと思うが」

「ああ 稲荷堀の向こう側は堀を挟んでたいそう大きなお屋敷のようでございやした」
と相槌を打った。

「よし、彦十遅くまでご苦労であったなぁ、帰ぇって軍鶏鍋を腹一杯ぇ
それに酒だとわしが申したと三次郎に伝えよ、
それからすでに夜もふけるであろうから気ぃつけろよ彦!」と彦十をいたわった。

「長谷川様・・・・・もったいねぇ」

「何を言うか、お前ぇ達ゃぁ俺のでぇじな宝物だぁ、一人欠けてもわしにとっては大きな痛手よ
ささっ!早く温けぇ物を腹ン中に納めて、又明日から頑張ってもらわねばなぁ・・・・
のう佐嶋!」
平蔵は傍に控えている筆頭与力佐嶋忠介を振り返った。

「早速明朝よりその赤ちょうちんを見張るよう、密偵共は交代で昼夜の別無く見張らせろ!
近くに良い見張り所が設けられればそこを根城に皆で張ってくれ!」

翌日平蔵の姿が稲荷堀の回船問屋釜屋に見えた。

「許せよ!」平蔵は海船問屋ののれんを分けて潜った。

「おいでなさいませ」品の良い番頭格の男が腰を低くして出迎えた。

「つかぬことをたずぬるが、この日本橋川よな、夜半にても通うことはあるのかのぉ」

「はい 時と物にもよりましょうが、朝仕込みのものは前の晩に用意致さなくてはなりませんので、朝方早くの通いにもなると存じます、特にこの辺りは魚河岸もあり、
魚の荷船が朝早くから通っております、下総の行徳から入る船だけでも日に五十三隻、
明け六つから暮六つまで出入りがございます。何かそのようなものでも?」
と、問い返したのへ

「あっ いや、左様なことではのうて、そのような船が往来するものか、
ちと想うたまでのこと、すまぬ」
と「又ご贔屓に!」という声を背に店を出た。

上方から海路を通れば沖で小舟に乗り換えればこの大川にたやすく着ける。
永代橋にゃぁ船番所があるが、南八丁堀からなら高橋を抜ければ亀島橋も霊岸橋も箱崎橋も
何もなく、汐留橋の辻番所は反対側、明六つころに紛れれば赤子の手をひねるよりもたやすく
御府内に忍び込める。

尾張屋敷は前を鎧之渡しが控え背に安藤対馬守中屋敷がある、その隣が尾張藩下屋敷である。
上手ぇ所に目をつけたもんだ。平蔵一人でブツブツ言いながら日本橋川を眺めている。

後は女とこの屋敷のつながりを嗅ぎ出す必要があるなぁ、平蔵大きくため息をついた。

その頃本所深川の弥勒寺門前名物ばぁさんおくまの店(笹や)の前で茶を飲んでいた粂八、
どこかの手代風体の男が足を止め
「もしや小房の粂八じゃぁ?」と振り返った。

「どなたさんで?」粂八は警戒するように男を見上げた。

忘れるのも無理はない、かれこれ10年になるだろうからなぁ、
2度ほどお前さんとはおつとめをしたことがある、玉房の由蔵だよ」

「玉房・・・・・・そう言えば・・・覚えがある、あの頃ぁお前ぇさん
確か侍ぇ崩れの由蔵とか呼ばれてたんじゃぁ・・・・・」

「よく覚えておるなぁ、今じゃぁそう呼ばれることもないがな、でお前ぇは今もおつとめを?」

「このお江戸も俺たちの時代じゃぁねぇ、何しろ恐ぇ盗賊改めが幅を利かせちまって、
あの頃の仲間ぁ皆もぐらみてぇに潜っちまった、で お前さんは今どうしていなさるんで?
どこかのお頭の下でまだおつとめはやっているとか・・・・・」と探りを入れた。

「ってほどじゃァねぁんだがね、今ちょいと日本橋辺りに宿借り暮らし、
まぁそのうち動くことになるだろうが」と意味ありげな返事を返した。
粂八はそろそろ潮時と話題を変えた。

「まぁ何かありゃぁこの茶店のばぁさんに言伝てしてくれ、俺への繋ぎは出来る」
そう言って流れている人々の姿を眺めている。

この話を聞いた平蔵
「おい粂!そいつぁ信用できるやつなのかえ?」

「こう言っちゃぁ何でございますが、二度ほどおつとめをしやしたが、
どうにも今ひとつなじまねぇ、どこか掴めねぇところがありましたので、それっきり・・・・」

「ふむ さようか・・・・・・・
よし判った、そのことはお前ぇに任せよう、引き続き探索を続けてくれ」
それからしばらく代わり映えのない時が流れた。

時折覗く弥勒寺に足を運んだ粂八、茶をすすっていると横手から男の姿が寄ってきた。

「おお・・・・・」粂八はそれと判って目を留めた。

「やっぱりいたねぇ粂八さん」
と笑いながら過日の男が背中合わせに座った。

「ここんとこ何度かお前さんを待っていたんだがね、
お前さんはおつとめをもう引いたわけじゃァねぇんだろうなぁ?」
と意味ありげな含みを持って粂八の腹を探りに掛かった。

「と言うと?‥‥‥‥‥」

「うむ、ちょいとおつとめの話が入ぇって来た、腕の立つ浪人を探してほしいという話で。
俺も久しぶりのお江戸だ、これという宛もなし、で 粂八さんのことを思い出したってわけで」

「ふ~ん 腕の立つねぇ・・・なかなかどこまでが腕の立つのかの決め手もねぇじゃぁ」

「ああそうだろうともよ まぁ土壇場でお役に立たねぇってのは御免被りてぇわけさ、
殺る時やぁさっぱりと殺れる・・・・・」

「つまり人殺しをやった覚えが抵当というわけだな」

「まぁそんなところでございやしょうか?で 粂八さんには心当たりはねぇかとこうして」

「ほぅ ご苦労なこった、で、いつまでに用意すりゃァいいんで?」

「二~三日うちに又此処で繋ぎをつけやしょう」
と茶代を置いて立ち上がり(う~ん)と背伸びをして立ち去った。

そのすぐ後、出て行った玉房の由蔵の去った方へ乞食坊主が出て行った。

粂八が立ち上がりかけたら、茶店の主おくまが歯の抜けた皺くちゃな顔を出し
「粂さんよぉあいつぁ何もんだい?銕っつあんの話じゃぁ盗人の仲間じゃぁねぇっかってよぉ、ねえねえほんとかよぅ」と粂八の顔を見上げた。

「何だって!長谷川様がそんなことを・・・・・・」

「んだ 一昨日(おととい)銕っつあんが久しぶりに顔見せてくれてよぉ、
粂さんに会いてぇと言う野郎が来たらそっと後を微行るようにってよ、で 
たったいまうさぎの旦那がほっかむりしてよぉ」

「へっ! どうりでどうにも様にならねぇ大工だと想ったら、へへへっ木村様とはねぇ、
でおばば長谷川様はもう動かれておられたんだな?」

「ああ 一昨日銕っつあんがうさぎの旦那を連れて俺っちにおいででよぉ、
そのまんまうさぎの旦那はおらっちの奥の部屋によ、へへへへっ、
やっぱり若ぇ者んはいいねぇ粂さん」と来たもんだ。

「全くバァサンときたらいつになったら往生するんだえ?」と冷やかすと

「決まってらぁね おらは灰になるまででぃ、どうだい粂さん、
今からでもオラはいいけどよぉ」と粂八の顔をしたからなめ上げた。

(ブルブルブル とんでもねぇ)粂八思わず
「俺にも好みってぇものもあるぜ」とつぶやいた。

「何だとぉこの役立たず!おれっちだって好き嫌いはあらぁね!へん!何でぇぃ何でぇぃ」

「やれやれバァサンを怒らしちまった」粂八は辟易しながらお熊を観る。

「誰がバァサンだぁ この唐変木!でくのぼうみてぇにつっ立ってねぇで行っちまいな!」

粂八笑いながら
「おくまバァさん、又来るぜ」

「おみやぁなんかに名前ぇを言われる筋合いはねぇよ!」
粂八お熊の毒ッ気を背中に受けて苦笑いしながら笹やを後にした。

一方玉房の由蔵の後を微行た忠吾、南に下って弥勒寺橋をまたぎ右にとって北森下町をかすめ、六間堀沿いにさらに下がり、番屋を避けるように猿子橋を渡ってすぐ左に折れ、
小名木川沿いに万年橋を渡って御船蔵の横をかすめるように仙臺堀に架かる上ノ橋を越えて
佐賀町中ノ橋を永代橋に向かった。

時折後ろを振り返るのは、いつもの癖なのか、忠吾の微行に感づいたのかは不明である。
橋を渡り切ると高尾稲荷に沿うように北新堀を西に湊橋を通り越して向かいの箱崎橋をまたぎ、
行徳河岸を日本橋川にそって小網町二丁目思案橋の手前を貝杓子店を通って左衛門町を横切り、
親父橋を右に芳町に入り堺横町へと曲がってすぐ右の玄冶店に入った。

中程でゆっくりと回りを見渡し、人の気配を探るように少し時間を掛けて立ち止まり、
やおら新和泉町の細い道へと歩みを進めた。
忠吾は用心深く距離をおいて微行していたので、
相手に気づかれなかったのかその男は右手の橘稲荷の隣にある赤ちょうちんの暖簾をくぐった。

忠吾は一時待ってみたが出てくる様子もないので(まぁ一杯引っ掛けて帰るか!)
と暖簾をくぐった。

中に客はちらほらで、さり気なく見渡したが先ほどの男の姿はなかった。

「どこへ消えたのか逃げ隠れたのか判りませぬが、裏手から抜け出た様子もなく、
私はてっきり中に居るものと・・・・・・」と、帰宅後平蔵に報告した。

それを聞いた平蔵、
「うむ やはりその赤ちょうちんがひっかかるのぉ」
と煙草盆から火を着けてゆっくりと紫煙をくゆらせた。

この赤ちょうちんのすぐ隣は橘稲荷その真向かいに玄冶店の空き家があった。
そこを借り受けて密偵たちが見張り所に使っていた。
このことはまだ忠吾には知らされていなかった。

「ご苦労であった忠吾!そのご苦労ついでだがなぁもうひとっ走りお前ぇが見失った
赤ちょうちん、その真向かいに玄冶店の空き家がある、表の木戸に手ぬぐいが掛けてある、
そこに粂八が潜んであろう、そこへお前も伏せてくれ、
人の出入りが増すならばそれが潮時と見て間違いなかろう。

水鶏(くいな)の左平次が上がるとするならば上方から船で夜陰に紛れ
御府内の入ると想われる、儂ならそれが一番安全だと思うからだ、
それから尾張屋敷に忍び入って後に繋ぎが来よう、繋ぎはあの女だ」

それを聞いた忠吾の目が輝いた「女・・・・・・でございますか?」

「うむ 女だ!それもめっぽう色っぽいそうな、のう佐嶋」
と控える筆頭与力佐嶋忠助介を見た。

「はぁ まぁ彦十の話ではそのように・・・」

「全くお前ってぇ奴は堅物だなぁ、もう少しこう腰が砕けぬか」
平蔵笑いながら佐嶋忠介を見て、
「忠吾ほど腰が砕けるとこいつぁ抜けちまうので、これ又困りものだがな」
とちらりと忠吾を眺める。

「あっ お頭それは又あんまりな、私はそこまで腑抜けてはおりませぬ」

「ほぉ 見事役立つと申すか?」
ニヤニヤ笑いながら忠吾の反応を楽しんでいる。

「はぁまぁ そのぉ時と場合によります、大概の場合に置きましては・・・・・・」

「お頭!」佐嶋忠介が忠吾の言葉を制した。

「おお 済まぬこいつと話すとどうも話があっちの方にと流れてしまう、
のう忠吾わはははは」平蔵 盃を干しながら佐嶋忠介に回す。

「わははははでは御ざりませぬ、またもやお頭の酒肴の席に据えられた思いでござります」
とぼやく忠吾であった。
それから三日は静かな日々であり、見張り所も密偵が代わる代わる身体を休めながら
昼夜の張り込みは続いていた。

四日目の朝早く立ち込める朝もやの中に低い足音が聞こえた。
「お前さん!」
おまさが浅い眠りについている五郎蔵の片を揺すった。

「来たか!」
「はい そのようで・・・・・」

静かに窓を開けると乳白色の朝もやがゆっくり周りを包んでる路端に四人ほどの人影が、
その中に明らかに女と想われる艶やかな色物がぼんやり見える。

「野郎たちが入ったら、お前はすぐさまこのことを長谷川様にご報告に、
俺は引き続き見張っている、何かあったら証を残しておく、外はまだ冷える」
と言いながら袢纏をおまさの肩にそっと掛けてやった。

両国橋まで約十町橋を越えて菊川町の役宅まで更に二十町、女の足である、
おまさが菊川町の役宅の枝折り戸を潜ったのは夜が上がりかけていた半時後であった。

平蔵が羽織を引っ掛けて現れた。

「おまさ 朝早くからすまねぇなぁ、何か動いたなその顔では・・・・・」

「はい 今朝早く4~人の人影が赤ちょうちんに入りました。
中に女らしい色目の者もいましたので・・・」

「そいつぁあの女だな?」

「はいモヤの中なので確かめることは出来ませんでしたが、おそらくその者と想われます」
と言いつつ袢纏の襟を引き寄せた。

「寒かったであろう、五郎蔵は引き続き張っておるのかえ?」
平蔵はおまさの素足の姿を見やりながら今の状態を問いただした。

「はい うちの人は、おそらく今日は変わりはないだろうが間もなく動きがあると想われるので
お指図をと長谷川様に伝えてくれと」凍える手をかばいながら平蔵を見上げた。

「いや ご苦労であった、向こうに行って身体を温めるがよい、
竹蔵も起きておるであろうゆっくり腹ごしらえをしてしばらく休むがよかろう、
お前ぇに風邪なぞ引かせちまっては俺ぁ五郎蔵に申し訳が立たぬ、あはははははは・・・・・・おい誰か居らぬか!」と奥に声をかけた。

「お頭お呼びで!」と当番の川村弥助が進み出た。

「おおご苦労、おまさをな、控えに連れて行き竹蔵に申して朝餉の支度だ、
それから佐嶋が出所次第皆の者を集めてくれ」そう言い残して奥に消えた。

一時ほどして筆頭与力の佐嶋忠介が出所してきた。

「お頭何か動きがございましたので?おまさの顔が見えましたのでもしやと・・・・」
と入ってきた。

「うむ そちもおまさから聞いたであろうが、どうやら敵に動きが見られた。
仕事はおそらくさほどの時を要すまいよ、多田気がかりなのは尾張中屋敷、
どこまで咬んでおるのかそいつが全く判らぬままだ、正面切っての捕物は出来ぬ、
だからその前にすべてをひっ捕らえて裏手から絡めることも策を考えねばのぅ」
と腕組みをしたまま眼を閉じた。

「大名屋敷、それも尾張様となればうかつには動けませんなぁ、
よほど確たる証でもない限り木戸口でお構いなし! で、ございますな」
大名屋敷に盗賊が入ったのではない、大名屋敷に盗賊が出入りしている痕跡があるのだから
思案の外であろう。

密偵たちの密かな探りでは、この赤ちょうちん、店を出したのが三年前。
それまではこの棟は尾張藩士の長屋として使われていたらしい。
その日から人の出入りが増えている、
その割に店の中には客らしき者の姿が想ったほどではない。

朝熊の伊三次がそう報告に上がってきた。

翌日夕方に入って急に店の暖簾が外された、いつもとは違ったこの様子に

「押込みは今夜辺り、長谷川様にお出まし願わなけりゃあ」
と五郎蔵が伊三次に話し、急いでこのことをご報告するようにと耳打ちした。

「近くの辻番屋は銀座大阪町に一つ、濱町河岸に一つこちらも共に3町離れている、
旨ぇ所に潜みおる、まかり間違ぅても親父橋まで逃げれば船に乗るってぇ策もある、
そうなると少々厄介だな、思案橋を潜って日本橋川を下れば尾張藩下屋敷は目と鼻の先・・・
駆け込まれちぁ此方の負けだ、汐留橋の辻番所に南町の手配を仰いでおかねばなるまい」

平蔵は何やら書面をしたため佐嶋忠介に
「南町の池田筑前守様に手渡し致し、たってのお願いとこの長谷川平蔵が申しておったと
伝えてはくれぬか」と託した。

その夜亥の刻を回った頃突然ガラガラと大きな音が響き渡り、
悲鳴が寝静まっている玄冶店を襲った。

張り込みの忠吾がうたた寝の真っ最中の出来事であったからびっくり仰天して飛び起きた。
「忠吾いかが致した!」筆頭同心の酒井祐助が飛び起きた。

「ははっつ なんともはや何が起きたのかさっぱり判りません」と寝ぼけ眼で外を見た。

「引っかかりおった、皆の者打ち込みじゃ急げ!」
そう声を上げたのは長谷川平蔵であった。

全員が一斉に階段を駆け下り外に出た、朝もやの中に十名ほどの人影が右往左往しているのが
目に止まった。

「火付盗賊改方である、おとなしく縛につくか抗う者あらばこの場にて切り捨てるが
どうする!」と叫んだ。
同時に密偵たちが呼子をピ~ッ と鳴らした。

見れば竹の筒があちこちに散乱している中で盗賊一味が呆然と突っ立ている。
それを避けながらの捕物はする方もされる方も難儀なものであった。
何しろつまづいたり滑ったり想わぬ伏兵が潜んでいるわけだ。

捕物が始まってしばらくすると高張提灯や御用提灯がゆらゆらと駆け寄ってきた、
何れも南町奉行配下の者である。
小半時の捕物はそのほとんどが袖搦や刺又で手傷を負わされ、
目潰しを食らってあちこち真っ白な顔であった。

盗賊改めが潜んでいた店の中へ取り押さえたものを連れ込み、取り調べが始まった、
が平蔵の姿は見えない。

「あれっ お頭は何処へ?」口を切ったのは木村忠吾であった。

その時遠くから口汚く罵る声が聞こえ、やがて捕縛された男が土間に蹴りこまれた。
「あっ お頭!」捕縛された者の中から声が上がった。

「ほほ~やはりお前ぇが頭目であったか、いやさ水鶏の左平次・・・・・・左様だのぉ」
平蔵の落ち着き払った重たい声に
「くそっっ!どうしてこんなことに!!」
と両腕に食い込む縄をギリギリ揺すりながら平蔵を睨み据えた。

「お前ぇの御府内入りは闇将軍から耳に入ぇったのよ、で密かに網を張って待っておった」

「何だとぉ闇将軍だぁ!あの弾左衛門が俺の動きを・・・・・・くそぉ!」
と歯ぎしりを噛んだ。

「お前ぇも左衛門の足元を騒がすからこのような目に合うんだぜぇ、
上方で大人しくしてればよかったものを、お前達が襲って一家全員を惨殺した三河のお店の中に
左衛門配下の店があった、それがお前ぇ達の運の尽きということだなぁ、
ヤツに一旦睨まれたが最後地の果てまでも追い詰められて行き着く所ぁ地獄の一丁目と
相場は決まっておらぁな、お前ぇもその名の通りに茂みに身を潜めておれば
もうちったぁ長生き出来たかもしれねぇぜ」

「それにつけてもお頭!」忠吾が口を挟んだ。

「んっ!?どうした忠吾何か得心がゆかぬ顔だが・・・・・」

「それそれそれでございますよ、どうしてあのように現場に竹が転がっておったのでございま
しょう?危うく私は足を取られ奴らに不覚を取るところでございました」

「おうおう!然様だなぁ!お前の働きは今宵も目覚ましかったと伯父貴殿に
報告いたしておこう」

「えっ まぁそのぉ あのぉ 竹の話でございますが・・・・・」

「おう あれかえ、どうせお前の不寝番だ、でちょいと助っ人を仕込んだまでよ。
前の日に伊三次に命じて程々の竹を五~六本切ってこさせた、で 
奴らが寝静まった頃を見計らって入り口の前に並べさせた。
この闇だ!なっ 戸を開けたくらいじゃぁ気付きゃしねぇ」

「くっそぉ そう云う訳だったのか!」
吐き捨てるように声高に叫んだのは水鶏の左平次

「そのとおりよ、お前ぇ達ぁまんまと俺の仕掛けに乗ったってぇことよ、
どうでぃ?あん時ぁ驚いたろう?へへへへへっ 
いきなり天地がひっくり返ぇったんだからなぁ わははははわははははは」
平蔵は腹を抱えて笑い
「一同の者を南町奉行所に引き渡せ」平蔵はそう言って外へ出た。

すでに空は白く明け始め、モヤが足元を静かに流れていた。
「見ろよ!今日は温かくなるぜ、モヤが立つ時ぁ地熱が高い、一同のもの誠にご苦労であった」
町奉行の捕り方に囲まれて去ってゆく水鶏の左平次一味の姿を平蔵は眼で送っていた。
思えば人の出会いがこうして又事件の解決に結びついたのである。

「一輪の梅か・・・・・・
この世の陽の当たらぬ者達にひと花なりと温もりを持たせてやりとうございます、
大きなお山の桜より、小枝に見せる一輪の風にまかせる健気さが愛しゅうございます」
平蔵長吏矢野弾左衛門の言葉をかみしめていた。

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9月号  忠吾捉わる

兎忠こと木村忠吾

その日忠吾は非番であったため、着流しに十手も飲まず
ふらりと清水御門前火付盗賊改方役宅を出て、雉子橋通り小川町を北に上がり、
裏神保小路を東に進んで、表猿楽町を流し、
森川出羽守屋敷を左に土屋采女上屋敷を左に周りながら
松平左衛門・阿部伊豫守上屋敷に抜けて淡路坂を左に見る昌平橋に出た。

これを渡って北に突き当たったところが松平伊織下屋敷。

これを西へと折れれば坂下町が板倉摂津守下屋敷の前に男坂
それを越すと湯島神社の女坂が見えてくる。

何のためらいもなく忠吾は女坂に差し掛かった。

時は両坂を隔てて白梅の咲き匂う頃でもあり、
女坂を登り降りする町娘にみとれながらのお詣り?ではあった。

石段の脇に陣取った手相見が

「おお そこのお武家様!」と声をかけてきた。

真っ白なあごひげを蓄えた、
いかにもいかにもという風情で忠吾を呼び止めた。

「おれか?」
忠吾はさして気にするでもなく歩を止め手相見の方に近づいた。

「ああお武家様でございますよ!
見れば女難の相が・・・・・でお声をおかけいたしました」

これには忠吾ちょっと引っかかる
「俺に女難??」むふふふふ「確かに女難じゃな!」と念を押す。

「間違いござりません、明らかにそのお顔には女難の相が・・・・・しかし・・・」

忠吾見料も聞かず懐から一朱を取り出し
「取っておけ!」と日頃の忠吾とは違った大盤振る舞いである。

それもそのはず、この
「女難の相」の響きは忠吾の浮かれた気持ちに
更に油を振りかけた如く燃え広がったのである。

易者は少々不安そうに
「女難と申しても良いこともあるが悪いこともある、
どちらかと言えばよくないほうがおもに見える」といったのであるが、

(むふふふふふ女難 むふふふふ・・・・・女難!)
この時の忠吾の顔はまぁ盗賊改方の面々、特にお頭には見せられないほどであった。

それほどこの女難と言う響きは耳に心地よく聞こえていた。

ゆらゆらと33段を登り切って振り返ると見事という外ない梅林の艶やかさ、
さしもの忠吾も見とれるしかなかったようで
「はぁなんとも見事なものだ」と溜息を漏らした。

とすぐ後ろで
「さようでございますねぇ、ほんに見事な梅に、
又その薫りなんとも色艶のあること」と声がした。

「ううんっ?」
振り向いた忠吾の目の前にやや細身ではあるが忠吾好みの
色白でぽっちゃりとしたいい女が佇んでいた。

「おおっ! お前もそう想うか!」
忠吾すでに目尻は下がり猫ならぬチュウ撫で声で女を見返した。

「はい いつみても花は美しゅうございますねぇお武家様」
と切れ長の眼をすっと流してきた。

(まさに女難の相だ!あの易者嘘は申さなんだと見える)

この時忠吾は易者が遅ればせに口に仕かけた言葉を聞いておれば、
この後忠吾の身の上に起こる出来事に巻き込まれずに済んだのだが・・・・・

その頃同じ湯島天満宮の一角にある笹塚稲荷裏手の茂みの中、
「おいお前ぇ良くも裏切りゃァがって、
開きもしねぇ錠前を渡してくれたもんだなぁ、いい度胸じゃぁねぇか!」
毒づいているのはいかにも荒くれと言う顔立ちの四十がらみの男、
やわな男だと、この男の一瞥で縮み上がるであろう強面である。

「そそそっ そんな!俺が造ったものに間違いはねぇ、合わねぇはずがねぇ
!あの方にそう言っておくんなさい!」
と青ざめた顔を引きつらせて震えている。

まだ二十半ばの小柄な男はいかにも職人というふうな腹掛けの上に半纏を纏った軽装で、
まだ梅の花の咲きほこる浅い春の陽がぼんやりと立ち込めている肌寒い時である。

「間違いなく大原屋の蔵の鍵なんだな」
念を押す様に強面の男が若者の胸ぐらをぐっと握り替えて凄んでみせた。

「間違いありませんよ、姉さんが直に写し取った代物でございやす、
粘土じゃぁ型が崩れやすいんで蜜蝋で取りやした」
と地べたに腰を落として震えながら答えた。

「だがなぁそいつが全く合わねぇんだからしょうがねぇじゃぁねぇか!
結局親分は店の者が騒ぎ出しちまって、
裏から逃げ出した時出くわした夜回りの爺を叩き切って逃げるだけのおつとめに
終わっちまった、この落とし前ぇはどうつける気なんだぇ?
間に入ぇった俺の顔を潰してくれただけじゃァすまねぇんだぜ、判ってんのかぁ!」

周り取り囲まれたその男は歯をガチガチ鳴らしながら震えていた。

一方忠吾はというと、鼻の下は伸び放題で
「ところでお前、名は何と申す?」手をとらんばかりに女を覗きこむ。

「やですねぇお武家様ぁ、そんなに見つめられると
あたしぁどうしていいか困っちまいますよ」
と再び流し目が忠吾の鼻の下を引き伸ばす。

「うんうん よいよい 心配いたすなそのようなことはないぞ、
どうだな?そこいらでちと休んでは行かぬか?
花の薫りを肴に身を寄せおうて温まろうではないか」と女の手を握った。

「あれまあぁどうしましょう、そこまで言われるといやとは言えませんねぇ」
と誘いに乗ってきた。

(ここまでくれば後は茶屋で差しつ差されつ・・・・・・
あら忠さまお流れをもう一つ・・・・うむうむなかなかに良い具合ではないか、
目元もほんのり紅も差し、乱れた裾に蹴出しがチラリ、あはっ!こりゃぁたまらぬ)
と妄想はますます激化するばかり。

「ねぇお武家様ちょいと付き合っておくんなさいよぉ」
と忠語の袖を引き寄せた。

よろっとよろめいた忠吾の目の中にぐっと真っ赤な紅の色が間近に近づき、
女の襟元の合わさる胸乳あたりにあざのようなホクロが見え、
同時に忠吾の右肩が女の胸辺りに当たった。

「おおっつ!」思わず忠吾は声を上げ、
「きゃっ!」と女は軽く叫んだもののそれはいやという声色ではなかった。

忠吾もやわらかな感触に一瞬ドキッとしたものの
「やっ!こいつぁ済まぬ、だがお前中々のものだなぁ」
と、そのもっちりとした感触から更に深い妄想が限りなく膨らんでゆく。

(嗚呼!たまらぬなぁ花見酒を酌み交わしつつ、ゆらりと1日を過ごす!うふふふふ、
もう待てぬ)忠吾は女の腕をグッと握って引きよせようとした時には
周りはいつのまにやら石段から離れ、
賑やかな出店の中をどのように通ったかさえ定かでなく、
夢遊病者の如き足取りで女に引かれるままついてきていた。

どうやら神社の裏手のような場所である。

「おい 此処はどこだ?茶屋が近くにあるのか?それらしきものは見えぬが・・・・・」
と、妄想界から現実に戻りつつある忠吾に

「まぁお武家様ここは極楽浄土の入り口じゃぁございませんか、ねぇぇ」
と言いながら忠吾の腕を引き寄せて
「お願いいい夢をお見せするからちょっとの間目を閉じておくんなさいよぉ」
と甘い声で忠吾の耳元に囁いた、軽い白梅香の匂いが忠吾の鼻をくすぐった。

「よいよい 目をつむればよいのだな・・・・」
忠吾は目を閉じて「こうか?」とやにさがりながら女の返事を待った、
そこで意識がぷつんと途絶えた、後頭部に激しい痛みを伴ったままであるが・・・・・・

誰かの声と揺さぶりに
(ううっ!)と気がついた忠吾の目の前に十手を持った役人が立ち、
御用聞きが忠吾の身体を抱えていた。

「何だぁ?俺はどうなったんだぁ?」
忠吾の言葉の終わらないうちに

「とにかく番屋までご同道願おう」
と与力風の男が忠吾を促し立たせた。

「俺がどうして番屋に行かねばならぬ」と腕を払おうとした。

「やっ 逃げる気だな!おいこやつをひっとらえよ!」
とその若い役人が忠吾を羽交い締めに締め込んだ。

御用聞きが素早く捕縄で忠吾を縛ろうとする。

「まてまて 俺は火付け盗賊改め方同心木村忠吾である」と名乗った。

「あい判リ申した木村氏、捕縄は掛けぬゆえおとなしくご同道願う」
とやはり答えは同じであった。

「いやまてまて 一体俺が何をどうしたというのだ!」
と更に問い返すと、

「あそこに男が一人死んでおあります、そしてご貴殿がその傍で倒れており、
この刃物を握っておられた、それだけのことにござる」
と感情のない言葉で説明した。

たまげたのは忠吾である
「そんな馬鹿な!俺は人を殺した覚えなぞない、
又殺す理由もない、第一そいつを俺は知らぬ」
と言いつつ、今朝からの出来事がゆっくりと糸口を見せ始めたのか
少しずつ思い出してきたものの

「そういえば・・・・・女はどうした!

「女・・・・でござるか」

「左様女だ!三十路を越えたばかりであろうか色白で、ちとふくよかな・・・・・」

「女なぞ居り申さぬ、居るのはそこ元と死んでおる骸一つ」

「ばかな!!」忠吾は思わず大きな声で叫んだ。

「馬鹿とは無礼であろう」

「いや済まぬこっちの話・・・・・」
だが、女に誘われてふらふら歩いてきたのは確かだが、
ここから記憶の糸がぷっつりと切れてしまっている。

番屋に連れ込まれて、ひと通りの聞き取りが行われたものの、
忠吾にとっては何もかもが理解できない話ばかりである。

らちもあかないのでそのまま月番である北町奉行所に連行され仮牢に入れ置かれてしまった。

「盗賊改に連絡を取ってはもらえぬか?」
と懇願したものの、他との連絡は証拠隠滅などの恐れもありと拒否されてしまった。

「一体俺はどうすればよいのだ、俺は間違いなく盗賊改同心だ!
それを先ずは証明するためにもお頭に連絡を取ってはくれぬか」
と再度願うものの

「そこ元が盗賊改であろうがなかろうが、殺人を犯したという事実とは無関係、
人殺しは人殺しでござる」と取り合ってはくれない。

何しろ殺人の物的証拠がある以上それから先は評定所の管轄となり、
町奉行とて手も足も出せない。

それから2日の時が小伝馬町でも流れた。

清水御門前の盗賊改方でもこの木村忠吾の出所のないのが判明して、
ひと騒ぎ持ち上がっていた。

「なぁに、あの木村さんですよ、
またどこかの女にでも引っかかって寝すごしたんじゃぁありませんか?
度々なのでお頭にお小言を頂戴するのが不味いので雲隠れとか・・・・」
とまぁあまり真剣には取りざたされていないようであった。

「お頭、忠吾のやつ確か非番でございました、さればどこかに遊びに・・・・・
どうもこれが又いつものことなので、ですが、アイツの事、
事件か何かに巻き込まれたかあるいは事件に出くわしそのまま繋ぎをつけられずにという事も
考えられますし」

と上役の筆頭同心酒井祐助が平蔵の元へと進言に及んだ。

「そうだのう、いつもの忠吾ならばそろそろとぼけた面を覗かせても良い頃合いだがのぉ・・・・」

「酒井 すまぬがこのことを密偵たちに調べさせてくれくぬか」
と忠吾の足取りを見つける探索が始まった。

程なくして密偵たちはそれぞれに持ち場に散っていった・・・・・
が、その日は何も見つからないまま翌朝を迎えた。

そこへ
「急ぎ長谷川様にお取次ぎを」と大滝の五郎蔵が飛び込んできた。

「何!五郎蔵が!すぐさまこちらへ回せ」
平蔵は何やら不吉な胸騒ぎがし、急いで裏に回った。

枝折り戸が慌ただしく開けられ、大滝の五郎蔵の険しい顔が駆け寄った。

「五郎蔵何があった!」
平蔵が切り出すのを待たず

「長谷川様三日前に蔵前の札差大成屋に押し込みが入りやして、
被害はなかったようでございやすが、
その日夜回りをしていた八助という爺さんが殺されておりやした」

「何だと!押込みがあったと申すのだな!」

「へい 役人が出張っていたと町番屋で判りやした」

「酒井!今月はどちらが月番だ!」
(願わくば南町であらば何かと勝手が良いと)平蔵は願ったが、
その思いはあっけなく否定された酒井の一言であった。

「お頭、今月は北町の当番にございます」

「・・・・・・・さようか・・・・・」

「で五郎蔵!その他になにか掴んで参ったのか!?」

「へい 同じ日に湯島神社の裏手で殺しがあったようで、
その下手人がどうも盗賊改めのものと名乗ったそうで・・・・・」

「何だと!盗賊改めとな!」
平蔵まさかの五郎蔵の言葉に動揺を隠せない。

「へい 番屋でそのように言っていたそうで、こいつぁどうやら・・・・・」

「忠吾か!」

「の様に想われやす・・・・・」
五郎蔵は無念そうに唇を噛んでいる。

「五郎蔵ご苦労であった、よく探ってくれたありがとうよ、
後はわしが何とか掛けあってみよう、
皆に更に深く探りを入れるようお前ぇから伝えてくれ」
平蔵腕組みをしたまま深い溜息ばかりである。

翌日平蔵の姿は呉服橋たもとの北町奉行所にあった。

北町奉行初鹿野河内守信興が江戸城から下城の後寸暇をさいてのお目通りを願い出た。

「はて長谷川殿、いかようなる事でござろう?」
河内守は火付盗賊改方長官長谷川平蔵の訪問理由を促した。

「此度我が配下盗賊改方同心木村忠吾なる者が、
殺人の疑いにて北町奉行に囚われておると聞き及びました」と切り出した。

「ああ その件ならば吟味方与力にて取り調べの上、
何の手落ちも無き故すでに奥右筆吟味方(おくゆうひつ)に回ってござる、
したがい当方からは最早手が離れてござる」
と取り付く島もないあっさりとした返事

「何と、すでに吟味方に・・・・・」
平蔵は唖然とし、言葉に詰まった。

「河内守様、誠に申し上げにくいこととは存じまするが、
吟味方のお調べ書きを拝見することは叶いませぬか」
と、せめて調書の内容が知りたいと思い願い出た。

「お控えなされい長谷川殿、喩え盗賊改方同心であろうとも下手人に変わりござらぬ、
先程も申した通りすでに我が手から離れ吟味方に回りしものを、今更どうにもなりますまい」
と拒否されてしまった。

平蔵は北町奉行所を辞した後南町奉行所に廻り、池田筑後守に目通り願った後、
最後の頼みと京極備前守に嘆願書をしたため、筆頭与力佐嶋忠介に持たせた。

その夜遅く、佐嶋忠介が備前守の返書を携えて菊川町の役宅に戻ってきた。

「お頭只今戻りました」

「おお ご苦労であった!で備前守様はなんと!」

「ははっ!御側御用人様よりお返事を言付かってまいりました」
と平蔵に備前守よりの返書状を差し出した。

取るのももどかしそうに平蔵は斜めに読み飛ばした。

「うむ・・・・・」

平蔵の難しそうな顔を見て取った佐嶋忠介
「備前守様は何と!」と詰め寄った。

「お力添え下さるそうな、先ずは忠吾の首をつないだ、
後は我らが忠吾の無罪を証明するしか道は残されておらぬ、
が やらねば間違ぇなく忠吾は死罪」
平蔵は漆黒に包まれてゆく闇の空をじっと眺めながら
口を真一文字に固く閉じ拳を握りしめている。

木村忠吾の吟味は一時中断された。

これは平蔵が京極備前守に嘆願した結果評定所に一時預かりということになったからである。

平蔵が嘆願したその理由は第一に取り調べの甘さがあることから始まって、
物的証拠が決め手に欠ける事、
次に南町奉行池田筑後守より借受閲覧許された、
この事件の詳細なお調べ書きの内容に関する疑問点の一つ、
凶器となる刃物が、何故わざわざ短刀を使ったのか?
その短刀の鞘はどこにあるのか。

更にもう一つ、忠吾が何故後頭部を殴打されなければならなかったのか、
その理由が説明されていない。

だが事件はここから遅々として進まず、無意味な時ばかりが流れようとしている。

奥右筆(おくゆうひつ)吟味方から差し戻されて小伝馬町の牢から
大番屋預かりとなっている忠吾との面会を要請し、
吟味方与力立ち会いのもとということで許可された。

忠吾からの証言にもさしたる進歩はみられず、
唯一忠吾を誘った女の胸元付近にほくろがある程度で、
その他は捕まえどころもなく手詰まりの状態の中、
平蔵は僅かな手がかりを持つ消えた女の影を密偵たちに探させたが、
依然女の足取りは掴めず、全く新しい情報は掴めなかった。

殺害された男の身元を聞きこみで洗いなおしていた相模の彦十が耳寄りな話を持ち込んできた。

「それがね銕っつあん!番所を回っておりやしたら、
錺職人の久吉ってぇ野郎がここんと所ずっと家によりつかねぇってんで、
番所に行くかた知れずの届けが出ておりやして、
そいつの人相を聞いた所どうも木村様に殺された、とっっっ!
死んだ野郎によく似ておりやして」

「何だと!仏の身元が判ったのか!」
平蔵は僅かではあるがこの閉塞感を打ち破る彦十の知らせは吉報に思えた。

「へぃ そいつのねぐらは神田佐久間町の六軒長屋でございやす、
探りを入れやしたら、野郎が出て行ったのが十日前、
そん時 やに色っぺぇ女が野郎を訪ねてきたってんでさぁ、
大成屋とかなんとかの使いの者だと話したそうで」

「何大成屋だぁ!」
平蔵は五郎蔵から聞いていた店と同じ名前に身を乗り出し、

「フム!それでどうした!」

「野郎の妹のおきよってぇのがその女をよく覚えておりやして、
ちょうど野郎が出かけていたもんでやんすから、暫く待っていたそうで、
そん時胸乳の傍にほくろのあるのを見て

「あら胸乳にホクロ!私ももうちょっと横だけどあるんですよ」
と言ったので間違ぇねぇそうで」

「彦!こいつぁ大手柄だぜぇ!!いやぁでかしたでかした」
平蔵は彦十の情報がこの事件の突破口になると確信した。

翌日には押込みが未遂に終わった蔵前の札差大成屋の現場に平蔵が居た。

供は八鹿(はじかみ)の治助、言わずと知れた平蔵の陰の仕掛け人。

「治助どうだ!なにか判ったか?」
と錠前を調べている治助に声をかけた。

「へぇ 長谷川様錠前が四つありやす、
面白ぇことに一つには僅かでございやすが蝋型、
しかも蜜蝋と想われる粕がついておりやす」と錠前を持ってきた。

「おい もしかしてそいつぁカギ型を採った時のものじゃぁねぇのかえ?」

「へぇおそらくそのようで」

「で、蔵の鍵にやぁついてねぇんだろうな」

「へぃ こっちの方は無事のようで」

「おいご亭主!お前ぇ押込みのあった時、どっちの錠前をかけていたんだえ?ま
さかこいつじゃァねぇだろうなぁ」

と治助が見せた蝋型の痕跡が認められる方を差し出した。

「長谷川様、私どもは商いも大きゅうございまして、
取引もそれ相当に張りますので、錠前もいくつか揃え、
これを無作為に日々替えております、
それを知っているのは私と大番頭の二人のみ、

鍵もからくり細工を施しましたる書院棚にしもうてございます、
その開け方は女房のおさわ一人のみ」

「やはりなぁ、で 妙なことを聞くようだがなぁ、
店の者は別に何も変わりはねぇかい?」

「はい この三日ほど弟が怪我をしたとかで、
女中のおうめが休んでいるだけで、他に何も変わってことは」

「そうかえ で、そのおうめだが何時頃からこの店に奉公しているんだぇ?」

「はい もう三年になりましょうか、
身元もしっかりした請け合い人の口利きで
ちょうど怪我をして働けなくなった下働きの代わりに雇い入れましたもので、
それが何か?」

「ふむ で、その女は通いなのかえ?」

「はい 三年前に弟と江戸に出てきたとかで、
神田旅篭町に住んでいると申しておりました」

「あい判った!まぁ此度の事はご亭主、
そこ元の日頃の用心が幸いいたしたのだな、今後も用心いたせよ」
平蔵はこの主の抜け目のない予防措置が被害から免れたことに胸をなでおろしていた。

「ところでなぁご亭主、つかぬことを尋ねるが、
此処にはいつも金が蓄えとしておいてあるのかえ?」と訪ねてみた。

「とんでもないことでございます長谷川様、
近頃は以前に増して物騒な世の中、出来る限り現金は手元におかず、
必要な折にのみ持ち込んでおります」

「成る程なぁ、ではここに金が置かれるのは特定の時のみというわけだな?」

「さようでございます、通常は手形扱いでございますので、
裏書きがなければ両替も儘なりませんので、
この度も札旦那の皆様方からお預かりいたしました手形を持ち、
米問屋に売却いたし、その売却代を手形に変え、
残りのお蔵米とともにお届けする予定でございました。

この度は蔵宿を賜っております旗本久保寺将監様のお屋敷より、
手形でなく金子で受け取りたいとのお申出がございまして、
用意いたしておりました、それがあのような事態に合い驚いて次第でございます」

「ふむ すると何だなぁ普段ならば金子ではなく手形と申すのだな?」

「はい いずれにせよ、両替の際には手数料を取られます、
まぁその煩雑な面倒を避けたいというのも一つにはございましょうか・・・・・」

「なるほど・・で、手数料は如何ほどだ?」

「はい お定めで札差料は百表につき金一分、
売側(うりかわ)の手数料が同じく百表につき金二分、
これに領主貸し繰越の借財がある場合はそれを差し引いたものを
お届けすることになっております」

「ふむ どう転んでも儲かる仕組みだのぅ」

「はぁはははは!
何事も面倒な所に儲けの種は転がっておるものでございますよ長谷川様」
大原屋は高笑いで平蔵を眺めた。

「で、この度は えぇ 何と申したかのう・・・おお!久保寺将監殿のことじゃが、
如何ほどの金子が用意されたのじゃな」

平蔵の頭の中で主の言った(このたびは金子で)と言うところがひっかかっていたからである。

「はい 蔵前からのお引き受け米は五百表少々であったと存じます」

「うむ すると金子に替えていかほどになる?」

「はい 米相場は産地にもより違いが生じますので、
それぞれ入り札で定まったもので取引されます、
従いましてこれという決まりがないとも申せます」

「成程のう、旨い米とそうでない米が同じでは確かに可笑しぅはある、
で、再度たずぬるが如何ほど用意いたした、それももうせぬか?」と平蔵は念を押した。

「あっ いえ決して左様なことではござりません、
このたびは五百両ほどをご用意させていただきました、
その折追加の用立てのお申し入れがございましたが、
その件につきましてはしばらくのご猶予をと、
手前どもも商いでございますから」
と慇懃無礼な薄ら笑いを浮かべながら平蔵を上目遣いに答えた。

「と言うことは用立てできぬということだな」
じろりと平蔵は大成屋を見返した。

「はい 早く申せば左様なことになりましょうか」

平蔵はこの主の強かさを感じ
「あい判った!いや邪魔を致した」と次助を促して店外に出た。

店を出た次助
「長谷川様!あのなりにゃぁ反吐が出ますねぇ」
と大成屋の態度にヘキヘキした様子である。

「次助!札差はああいった者よ、
何しろ上は将軍様から下は旗本・御家人まで奴らの金縛りで動けぬのが昨今だ、
ご時世とは申せ太平の世はかくも変わるものよなぁ・・・・・」

平蔵はその足で西福寺門前を西にまっすぐ突っ切った、
元鳥越町の向かいは大御番組・御書院番組も控えて人通りも多い、
そこを過ぎるとやがて卍辻にぶつかる、
これを過ぎると右手に柳沢弾正の上屋敷がある。

その西側に目指す旗本久保寺将監の屋敷がある、
平蔵はそこをひと目確認しておきたかった。

真向かいに三味線堀が望め、その向こうに出羽国久保田藩二十万国の上屋敷がある。

殊に3階建ての高殿は物珍しく、その権勢を誇るに十分な威圧感を持っていた。

この高殿屋敷の主、佐竹右京大夫中々の文化人であり、
杉田玄白らの解体新書の付図を描いた小野田直武や狂歌師手柄岡持はこの藩士である。

(三階に 三味線堀を 三下り 二上り見れど あきたらぬ景)
と御家人ながら狂歌師でもあった大田南畝が詠んだ狂歌)

「おい次助!あれが佐竹の高殿屋敷よ」
外様とは申せ、いやぁさすが常陸守護の家柄、
てぇしたもんだ、それに引き換えこのわしはのぉ  あははははは」

その帰り平蔵は次助を伴って両国橋を渡り回向院に向かった。
橋を渡ると目の前が元町、本日は(も丶んじや)
「実は猫どのがな、一度はお試しをと薦めて参った店だ」
平蔵は治助を伴いのれんを開けた。

「どうでぃ もうはなっからこう、いい匂いが立ち込めてはおらぬか?
わしは五鉄の軍鶏鍋も好物だが、こいつも中中々に旨い!」
言いながら平蔵桟敷に構える。

「本日はお二人様で・・・・・」と案内の小女が注文を取りに来た。

「うむ 今日のお薦めは何だえ?」

「へぇ 山くじらのいいのが入っております」

「よし!そいつを二人前ぇだ、それと熱いのをつけてくれ」
平蔵手揉みなどしながら酒肴の来るのを待った。

「おお来たぜ、まぁこいつで冷えた身体を温めてとなぁ次助」
平蔵は次助の差し出すチロリを盃で受けながら、
物珍しそうにあたりを見回す次助に

「こいつぁなぁ イノシシ肉だが、大っぴらにやぁ食えぬ、
そこで山くじらと称して食っておるのよ、いやぁこいつが又中々に旨ぇ、
ダメと言われりゃぁ増々楯突きたくなるのが下々の者さ、

ももじやってぇのは百獣(ももじゅう)から呼ばれておるそうな、
それ昔っからたぬき汁と申すであろう、そいつに始まって鹿から猿から何でも食える、
で俺はこいつが好物でな、猪肉を先に煮立てておく、
そいつを昆布と鰹で取った出汁に落として酒を入れる
、味が滲みた頃を見計らって短冊の大根、しめじ、葱のぶつ切り、

湯通してちぎったコンニャク、人参、さかがきゴボウ、白菜と入れ、
白味噌と赤味噌を混ぜた合わせ味噌を溶かし込む、
これに砂糖をちょいと入れながら味見を致す。

こうして半時ほど煮詰めるとそれぞれの持ち味がしっくり馴染んで旨さが増す、
そこへ白菜の葉っぱや春菊、焼き豆腐を滑りこませて温まったらそれ!食い時だぁ

猪はドングリや木の実を食ったやつほどあっさりと美味いそうな、
が 一番は竹の子、こいつァ人様の上前をはねるんだそうな、
何しろあの鼻で土んなかぁ嗅ぎ出して食っちまう。
そいつを罠や鉄砲で仕留めたら、すかさず絞めて内蔵を掻き出し血抜きをする、
それから前脚後ろ脚などから再び血抜きをする。

こうすることですっかり血抜きが出来て旨いそうだ」
次助に猫どのの講釈の受け売りを披露しながら平蔵、ふうふうと口に運んでいる。

次助も夢中で腹に収めているのを見やりながら、
平蔵本日の出張りの結果を頭に中に纏めている。

突然次助が
「長谷川様今日の大原屋でございやすが、
あっしにゃぁ又盗人が入ぇるんじゃぁねぇかと・・・」
箸をおきながら平蔵の顔を見上げた。

「ふむ やはりお前ぇもそう想うかぇ、わしもな!
もう一度仕掛けると想うたのさ、
ただこの度は錠前が合わなんだゆえそれでことは済んだ、
だが盗みに入ぇるにゃぁそれなりの支度や引き込みなんぞも仕掛けてあるはず、
とするとだ!ここん所をもう一度洗い直さなければなるめぇなぁ・・・・・
合鍵はおそらくもうやるめぇよ、用心に越した事ァねぇからなぁ」

「へぇおそらく次は剛力かなんかで・・・・・
そんな気が致しやす、ただ次の金子の入る日がいつなのか、
そいつが判らねぇとこればっかりは」

「うむ だな!、そこんところよ俺が引っかかっておるのは、
この度は金蔵に米俵と金子が揃っているのを知っていたのは大原家の亭主と・・・・・」

「先程のお大名・・・・・」と次助が後を取った。

「それよ!」

「で長谷川様はそのお屋敷を見においでなさった」

「うむ まことその通り、金回りもよくば屋敷の内外もきちんといたそう、
いやさせめて外回りだけでも見栄もあろうから致すであろう、
ところがどうだぃ?お前ぇも見た通りあまり回っちゃァいねぇようだった」

「へい」

「お前ぇも見たであろうが、大原屋の脇部屋にそれと見ゆる野郎がちらほら・・・・・」

「へい 確かに!」

「札差は手数料だけじゃぁやってけねぇ、で 担保米を抑えて金を貸す、
確か大成屋もそう言っておったなぁ、
するとあそこに居た奴らは対談方と考えねばなるまい、
久保寺将監の屋敷を見張らねばならんなぁ」
腕組みをしながら平蔵は知略を練るふうに目を閉じた。

「とおっしゃいやすと?」
次助が合点がゆかないふうに平蔵に問いかけた。

「うむ おそらく大成屋の屋敷内に対談方が巣食っていることを知っておったから
無理をせず逃げたのではないかぇ、
大概ぇは脅しをかけて鍵を出さすなり何なり荒業に移るのが盗人・・・・・」

「あっ なるほど左様でございやすね、
てぇことだとすると大成屋の中に盗人の仲間がいたか、あるいはそれを知っている野郎がいる」

「ふむ それを確かめるためにも久保寺将監を張らねばならぬ、
もしその屋敷に蔵宿師がおったなら、そいつらは大成屋に出向き、
断られた俸祿米の先物を示談するであろうからなぁ」

その翌日
「長谷川様!お指図の久保寺将監でございますが、
どうも月踊りに引っかかっているようでございます」
菊川町の役宅に現れたのは五郎蔵である。

「月踊りだぁ?」

「はい 普通であらば借金の返済は次期の俸祿米の日でございますが、
奥印金と言いまして、貸す側が手前ぇ名義で貸さずに仮の名前ぇで貸します、
するってぇとお定め通りの金利でなくても貸せる、

借りる方も別立てで借れるという都合のいい仕組みでして、
ところがどっこいこいつがとんでもねぇ仕掛けを飲んでおります」

「おうおう そいつぁ何だ!早く申せ!」
平蔵心中穏やかではない様子である。

「はい そいつぁ金主が、(都合で少し早めに返してほしい)と申し入れるんでさぁ、
そいつが振るっているじゃァございませんか、
相方の一番苦しい時期の俸祿米が支給される前を狙って仕掛けるんでございます」

「それじゃぁお前ぇ借りた方は返ぇせねぇ・・・・・・」

「はいその通りで、で その時札差は恩を着せて元利合計を新しい元金として
借用証文を書かせる、その折にも旧証文の月を新証文の最初の月に組み込んでしまいます」

「まてまて すると何かぇ?その月は古いやつと新しいやつの同じ月分を
払わされるじゃぁねぇか」

「へへへへっ 仰るとおりでございます、
借用証文は借りた日ではなく借りた月なんでございますよ、
お定めの金利は年利計算で一割五分、こいつを月割致しやす、
すると一割八分となります。これを札差共は月踊りというそうでございます。

俸祿米の支給前の二十五日辺りに請求すれば、
借りた方はまだ俸祿米が入ぇらねぇんで返せねぇ、そこで借り主側は・・・・・」

「おうさ 証文を書き換えざるを得ねぇ」

「へっ と言うわけでございます」

「ふ~む・・・・・・」

平蔵この札差の方便に舌を巻いたふうである。

「おまけにその書換のたんびに貸し金の一割から二割の礼金を
取ろうってんでございますからねぇ、呆れた守銭奴でございます」

「ふ~ぅ・・・・・・」最早平蔵はため息をつくばかりであった。

こうしている間にも忠吾救出は引き続き行われていた。

この日は朝から花冷えの小雨が降っていた。
菊川町の役宅の桜も無情な雨に打たれて花筏を足元に流している。

そこへ裏門の門番が
「粂八さんが長谷川様にお目通りをと参っておりますが」と報告に来た。

「何!粂八が参ったか、よしすぐ此処へ通せ!」
八方塞がりの中での粂八の来訪に平蔵は期待を寄せた。

「長谷川様!」粂八は箕笠姿ですっかり濡れている。

「おお 粂八!そこじやぁ濡れる、こっちには入ぇれ」と軒下に招き寄せる。

「で なにか変わったことが起きたと見えるな?」
平蔵 粂八の顔つきにそう直感が走った。

「へぃ お指図通り大成屋を張っておりやしたら、女中が戻ってきやした、
木村様じゃございやせんがめっぽう色ぽい女でございやす」

「おそらくそいつぁおうめに違ぇあるめぇ、でその後どうした」
粂八の報告を聞いているところへ、
久保寺将監の屋敷を張っていたおまさがこちらも箕を引っ被って駆け込んできた。

「長谷川様やはり現れました、あの女と想わしき者が!」

「おい おまさ伊三次はどうした?」

「はい昨夜から引き続き番屋に腰を据えて久保寺将監の屋敷に張り付いております。
私はそのお屋敷から出てきた者の後を微行て・・・」

「その落ち合った先に女が現れたというわけだな?」

「はい さようでございます」

「で 落ち合った所は?」

「それが於玉ケ池の玉池稲荷・・・・・
あいにくの雨でございますから男の方はお社に入りましたので、
私はその裏手に身を潜めておりましたら、
女がやって来ましたので急いで身を隠し、
その後中の話が聞こえないものかとこれを・・・・」
とおまさは帯の間から竹筒を取り出してみせた。

「なんでぇそいつぁ」
平蔵見慣れないものを見ておまさに尋ねた。

「はい うちの人がこさえて持たせてくれたもので、
板壁などなら中の話し声が聞こえてきます」と恥ずかしそうに帯に収めた。

「ほぉ 五郎蔵がかぇ、やるじゃぁねぇか!いや参ったぜ!で首尾は!!」

「それが男の申しますには、あのお方が明後日決行せよと申されたので、
そのつもりで用意いたせ」と・・・・

「明後日だな!間違いねぇだろうなぁ」

「間違いございません、はっきりとこの耳で確かめましたので」

「よし!やっとこの長ぇ山もめどが立った、雨の中をご苦労であった、
粂、おまさ先ずは着替えろ、
こんな事もあろうとお前ぇ達の着替えは同心部屋の隣部屋に用意させてある、
それから酒だ。さぁ早く行け!」

平蔵はそう言って、後ろに控えていた筆頭与力佐嶋忠介に
「どうやら動きが見えて来おったぞ、早速捕り方の方策を練らねばのぅ」
と、顔を紅潮させて話しかけた。

「よろしゅうございましたなぁ、密偵たちもよう頑張ってくれました、
此処で我らが取り逃がしたでは面子も立ちませぬあはははは」と安堵の色を伺わせた。

そして当日の夜半が訪れようとしていた。

浅草蔵前成田八幡宮門前町にある札差大成屋の向かい団子屋笹乃や二階、
火付盗賊改方の主だったものが集結していた。

灯を落とし、外に気どられないように用心してのことである。

ありがたいことに外はおぼろの月明かり、物の動きや気配も見えている。

亥の刻夜4ツ(午後十一時)を少し回ったであろうか、
複数の足音が忍んで来たのがわかった。

「おい 来たぞ!」声を出したのは沢田小平次。

「お頭!やってきたようでございます」
と体を横に大刀を抱き寝の平蔵に声をかけた。

「よし、早速打ち掛かれ!」
平蔵の合図で速やかに階下へ下り裏口から店の横手に回った。

すぐ斜向いに大成屋の白壁が夜陰に浮かび、
横の路地に置き去られていた大八車を立てかけて忍び込んだ様子で、
やがて中から裏木戸が開けられた。
ばらばらと七、八名ほどの集団が中に入った。

「よし打ち掛かれ!」
平蔵の合図で
「火付盗賊改方である、一同のもの神妙にお縄につけ!」
と佐嶋忠介が飛び込んだ、同時に町内の番屋に潜んでいた捕り方が
高張り提灯を灯して取り囲んだ。

すでに前もって町家の者は夕方から盗賊改めによって外出が止められ、
戒厳令が厳しく敷かれていた。

これはもし盗賊が町家に逃げこむことを想っての処置であった。

当然緘口令も出されていたので、知らされていないのは大成屋のみであった。

戸板を蹴破る音と、室内からはわめき声や罵声に悪態が聞こえてきた。

寝間着のままの対談方と思しき者が匕首を抜いて飛び出してき、
三方入り乱れての混戦となった。

抗うものはすべてその場で捕縛され、
騒ぎに驚いて起きてきた大成屋の前で平蔵によって選別された。

囚われ捕縛されたその中に女中のおうめの姿を見た大成屋
「長谷川様!これは何かのお間違いでは!」
と平蔵に詰め寄った。

「おお 大成屋、目が覚めたかえ?」
平蔵にやにや笑いながら狐につままれた顔をして腰を落としかけた大成屋を見た。

「大成屋誠にすまぬがこのおうめ、お前ぇの想っているような女ではないぜ、
何しろ小野寺屋敷とつながっておるゆえなぁ」
平蔵は敢えて小野寺将監の名を持ち出さなかった。

将監自身が関わったとなると小野寺家お取り潰しにつながるからである。

取り潰しともなれば、
その家来、家族を含む一連のものが路頭に迷うことを案じての平蔵の思いでもあった。

おうめを始め賊の八名は全員捕縛され取り敢えずその場で平蔵は取り調べた後、
店の者で手傷を負った者の手当をするよう指図し、
盗賊はひとまとめに近くの番屋に引き据え、傷を負った数名にも手当を施した。

夜が明けるまで平蔵の取り調べは続き、大方が判明した。

おうめは三年前に一人で江戸に流れてきた、神田旅篭町に住み着いた。

錺職人の久吉とは出入りの小野寺屋敷の弟が大成屋にお蔵米の事で出入りしていて、
その遊び仲間に久吉がいた。

盗賊は小野寺将監の弟の遊び仲間で、何れも博打場で知り合ったようであった。
夜が明けて、平蔵は捕縛した一行を月当番の替わった南町奉行所へ引き渡した。

数日後木村忠吾は無罪と判明し放免となった。

南町での厳しい詮議の結果事件の真相は詳らかにされ、
忠吾は利用されただけと判明したからであった。

役宅の皆が心配していたのに、当の忠吾は呑気なもので
「私は何もしておりませんので、お解き放ちは当然と思うておりました、
まぁ悔やまれるのは牢の飯が盗賊方よりも不味ぅございました、
あはあははは、日頃の疲れの良い骨休めにもなり
、あっ!それにしてはちと太りましたかなぁ沢田様」とヘラヘラしている。

「あの馬鹿!お頭のご心痛を少しも介してはおらん、
まったくもって呆れ返ってものも言えん!」
と眉間に青筋立てての剣幕に

「まぁまぁこらえろ沢田、あ奴が無事に戻ってきたんだぜぇ目出度てぇじゃぁねぇか 
わははははは」平蔵はほっと胸をなでおろした。

翌日平蔵は京極備前守上屋敷に事の次第を報告に上がった。

「平蔵ご苦労であった!
今や何処の家中も札差による金縛りで難渋しておる、
まこと太平の世は嬉しくもあるが悲しくもあるよのう・・・・・」

京極備前守の口から重たい声がこぼれた。

その数日後南町奉行池田筑後守より平蔵に書状が届いた。
それによれば、小野寺将監の弟が急の病で病死と大目付に届け出がなされたとのことであった。

「のう佐嶋、トカゲの尻尾のような後味の悪い事件であったなぁ・・・・・・」

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8月号 浄閑寺悲話


天明2年(1782年~8年)天明の大飢饉が全国を襲い、
江戸時代の4大飢饉と言われる、近世で最も大きな飢饉であった。

天明7年(1787年)5月20日、商家8千軒、米屋980軒が
5千名ほどの暴徒によって5日間に亙り打ち壊しの対象となった江戸で暴動が勃発。

長谷川平蔵42歳の時この暴動を、先手組と与力75騎、同心300名を率いて鎮圧した。

9月9日御先手組弓二番組頭であった長谷川平蔵は加役火付盗賊改方助役(すけやく)
を拝命し、本役である先手鉄砲(つつ)の十六番組頭から弓の七番へ組換されていた
同じお先手弓組第十番組頭堀組堀帯刀に挨拶に赴いた。

「此度堀様の火付盗賊改方助役をお務め致すこととなりましたる長谷川平蔵にございまする」
平蔵は礼装で挨拶に望んだ。

「おお それはご苦労でござる、これでわしも肩の荷が下りると申すもの、
よしなにお頼み申す」

この堀帯刀という男、実直ではあったがあまりお役には熱心でなく、
したがって成果も上がっていない。

江戸市中は地方からの人の流入で溢れかえり、
治安は非常に不安定な状態の時であるにもかかわらずである。

「恐れいりたてまつります、ところで堀様、身共はこの御役目引き継ぎにあたり、
堀様にたってのお願いの議がござります」平蔵低頭したまま言葉を続けた。

「さて この儂にどのようなことでござろうか?」

「はい 出来ますならば堀組より盗賊改めの経験のござります者を一名
お貸し願いたく存じまする」と平蔵懇願した。

「あい判り申した、いやぁ何 巷では忠介で保つ堀の帯刀と揶揄されておりましてな、
どうも儂は生ぬるいと想われておる、我が堀組の要、この佐嶋忠介をお貸し申そう、
何かとお役に立つと存ずる」と心よく承諾された。

平蔵はその佐嶋忠介を供に、南町奉行所役宅に出向いた。
平蔵の父長谷川平蔵宣雄が京都西町奉行職を拝命し、職務遂行中に病死し、その後任に当たったのが今の江戸南町奉行山村十郎右衛門であり、平蔵一家が江戸に帰るさい何くれと気配りを与えてくれたよしみでもあった。
「おおこれは久しい銕三郎どの、あっ いや 今は平蔵殿であったな」

「ははっ 山村様におかれましては京でいろいろにお世話をいただき、長谷川平蔵無事お勤めをあい務めさせて頂きおります」

「おお 此度はまた火付盗賊改方に就役なされたと伺ぅておりますぞ」

「おそれ入りまする、そのことに付、京でのお禮方々ご報告にとまかりこしました、
今後共何卒よしなにお願い申し上げまする」

こうして平蔵はまず身の回りを固め、盗賊改めの職責を全うするための地ごしらえを整えた。

与力十騎同心三十が平蔵のお先手組弓から引き連れてきた組織構成要員であった。

この中で堀組より借り受けた佐嶋忠介が筆頭与力、平蔵配下の酒井祐助が筆頭同心となる。
天明三年(1783)土用になっても「やませ=東(こち)風の風」
により夏であるにかかわらず気温は低く、稲の成長は止まリ、おまけに大風や霜害が加わり、
稲作は壊滅状態に陥った。

その秋から翌年にまたがってこの一帯は大飢饉が襲い餓死者が続発した。
弘前藩では死者が十数万人に達したと言われる。
天明七年五月江戸や上方で米屋への打ち壊しが頻発、
こうした背景に寛政の改革が始まることとなる。

世は非常事態を迎えた頃であり、凶悪な事件が次々と引き起こされ江戸の治安は
悪化の一途をたどっていたこの年、
長谷川平蔵は火付盗賊改方長官を拝する事となったわけである。

この四年前天明三年三月十二日岩木山が7月六日に浅間山の噴火もあって
東北地方は壊滅的な打撃を受け、その後天明七年東北地方を始め全国的な冷害が起き、
こうして例外にもれず津軽黒石藩領内はずさんな新産業政策が裏目に出て
藩の財政は困窮を極め、年貢の増微や備荒畜米と言う無理矢理に備蓄米の買い上げ、
江戸表に送るが財政の穴埋めには程遠く、百姓は種籾(たねもみ)まで供出させられ
、長年住み慣れた故郷を捨ててしまい、人口の流出は更に藩や領民を困窮に追いやった。

その中の一人に津軽黒石藩が在所のお小夜一家もいた。

今日口に入れるものとてない状況下、土地を捨てて逃げるものが続出、
貧困に益々拍車をかけた。

南部津軽黒石藩藩士長岡由太郎の幼馴染お小夜の家も御多分にもれず
夜逃げ同然で藩を捨ててゆくこととなった。

それを知ったところで何一つ打つ手もなく、ただ歯を食いしばって故郷を離れる一家を
見送るのみであった。

「お小夜、俺は必ずお前を訪ね江戸に参る、俺が探しだすまでいかに苦しくとも
こらえて待っておれ」
と、善知鳥神社(うとう)のねぶた跳人の鈴のついた御守を手渡すのが精一杯であった。

ここは本所緑町二丁目「本所に過ぎたるものが2つあり津軽大名・炭屋塩原(塩原太助)」
と呼ばれたほど背を南割下水に配した広大な構えの津軽土佐守上屋敷屋敷があった。

相生町五丁目二ツ目橋たもとにある軍鶏鍋や五鉄のすぐ近くである。

上役より「月の半分以上が在宅となり、まぁ暇で暇で仕方がない」
と聞かされた長岡由太郎は翌々年の参覲交代に際し江戸勤番を願い出て江戸に来た。

平侍は大名屋敷内の御貸長屋の二階に住み、殿様について登城する以外平侍の場合は
暇を持て余す。

しかし外出するには許可が必要であり、岡場所などへは出入り禁止と厳しい定めがあったが、
飢饉によって生き別れになった身寄りのものを探すと言う名目で届け出し
江戸市中を探し始めた。

しかしこの広い江戸でただ一人の者を探すという事は砂浜に一粒の小石を求めるようなもの、
それでも暇を作っては捜索に出かける毎日であった。

だがお小夜一家の消息は雲をつかむような話で、全くその成果は見えないまま
帰国の時がやってきてしまった。

万策尽きてこの度は諦めて帰国せざるを得なくなり、
次の機会を待つ他由太郎に残された道はなかった。
こうして時ばかりが無情に流れていった。

四年目の春、津軽石黒藩は四月が出発と定められていたために、
その準備は半年前からとりかかっていた。

これまでに由太郎は江戸での消息探索のために出来るだけの費用を蓄えねばと
一切の無駄を配した暮らしをしていた。

その異常なまでの暮らしぶりを両親も理解し、出来るだけの備えをと心を砕いていた。

こうして迎えた四年目の春、由太郎は殿のお供で参覲交代に加わることがかなったのである。
相変わらず休みを作っては市中の探索に出かける由太郎であったが
その年も間もなく暮を迎えようとしていた十二月初め
同じ郷里の捨藩者木挽者の与兵衛と出会った。

与兵衛は浅草新町の長吏弾左衛門配下を頼り江戸に来ていたのであった。

「もし 長岡の由太郎様では?」
浅草今戸橋のたもとに座り込んで前を流れる山谷堀を行き交う
猪牙眺めていた時のことであった。

「ううんっ? おっ お前は与兵衛ではないか!何とこのような場所で
お前に出会うとは善知鳥神社(うとう)のお導きやもしれぬ、
お前も存じておろうお小夜のことだが・・・・・」とお小夜一家の行方を尋ねた。

「ああ 覚えておりやすとも、確かあっし等と前後して郷を離れたはず、
で そのお小夜がどうかなされましたので?」と話が通じた。

「儂は四年前から江戸に参る度お小夜を探しておったのだが、
お前はお小夜の居所を存じてはおらぬか?」
わずかでも良い、何がしかの手がかりでも見つかればと淡い期待をかけつつ尋ねた。

「さぁて 今お小夜ぼうはどうしているかあっしにも判りやせんがね、
五兵衛さんはこの先の中村町火葬寺裏辺りに住んでいるはずでございやす」と答えた。

「何と!」想いもかけない与兵衛の返事に由太郎は飛び上がらんばかりに喜び、
与兵衛の手を握りしめた。

これには与平の方も驚いたようで、
「そのように御苦労なさったので」とお小夜の消息を知るかぎり教えてくれた。

それによるとお小夜の母親は江戸に来てその翌々年無理がたたって病死、
それがもとで父親の五兵衛も床につく日々が増え、暮らしは日々に苦しくなり、
お小夜は奉公に出たというのであった。

与兵衛に礼を述べ、由太郎は急いで中村町火葬寺裏に赴いた。

山谷堀を川沿いに上がり、教えられた通り浅草鳥越町から山谷浅草町・
中村町と駆けるように火葬寺裏に向かった。

山谷浅草町を過ぎ、左手に仕置場を眺めつつすぐその先を西に曲がると
百間(約1.8キロ)ほど先に目指す火葬寺が見えてきた。

教えられた通り奥に入って行くと粗末な小屋が見えた。
由太郎は急いで駆け寄り戸を叩いた
「誰か!お尋ね申す お尋ね申す!」
戸に手をかけると抵抗もなく開いたので中に入り再び「お尋ね申す」と呼ばわった。

六帖一間の部屋で布団にうずくまった何者かの動く気配があり、弱々しげな声が「へぇ・・・・・」と聞こえた。

由太郎はたまらず「五兵衛か!?」と声を上げた。

「へっ!?へへへぃ!」由太郎は駆け上がって布団をめくった、
そこにはやつれ果てた五兵衛の姿があった。

「五兵衛!五兵衛だな!私は津軽黒石藩藩士長岡由太郎だ!私が判るか!」
と老人の枕元にしゃがみこんで大きな声で叫んだ。

するとその枯れ木の様に痩せこけた老人の眼から止めどもなく涙が溢れてきた。
細い腕がせんべい布団の中から伸びてきて由太郎のてをまさぐる。

「お小夜はいかが致した、お小夜は今何処におる!おい五兵衛!」
堰を切ったように思いが吹き出した。

やっと聞き出した話を繋げば、始め江戸に来た頃はこの火葬寺の隠坊(おんぼう)
の仕事にありつけ、糊口(ここう・粥をすする)を凌いでいるという。

隠坊とは寺院や寺社において周辺や墓地の清掃管理、又持ち込まれた遺体の処理から
死体が白骨になるまで火の番をするなどを生業としている者を言う。

火葬寺では、四方に柱を立てた雨しのぎの小屋根を設けた葬場に棺を置き、
日没後に寄り合衆の前で僧侶が読経を終え、役人の鐘の合図で火を放って
これを白骨化するまで焼いた。

その翌日、由太郎はお留守居役に届けを出し再び市中にお小夜の痕跡を求めて出かけた。
お小夜の父親五兵衛の話では、女衒の世話でどこかに奉公に出たという。

その時お小夜は十両で苦海に身を投じた模様であった。

先ずは手始めに吉原からと目的を定め 本所の津軽藩邸からまっすぐに西へ進み、
藤堂和泉守中屋敷前を通り藤代町にぶつかって駒畄橋をまたぎ両国橋へと掛かった。

広小路から柳橋を越え、平右衛門を横切り浅草五問を左に見ながら茅町を北に上がって
地獄橋(天王橋)を越えて成田不動を過ぎ本所から大川橋(東橋)を渡った広小路に出た。

雷門の横の戸口をくぐり仁王門を抜け浅草寺で両手を合わせ、
五重塔や大屋根が冬の青空に寒々と浮かび上がっているのを身を引き締める思いで眺めて、
両手を合わせ、そのまま仁王門に引き返し随身門から再び北上、
谷中の天王寺を西に日本堤を山谷堀にそって西北に進むと山谷堀が二つに分かれる
その先の泥町(田町)に孔雀長屋と言う編み笠茶屋の掛行灯が
20軒ほど土手下へと続いていた。

この辺りで吉原へ入るのをはばかる客は顔を隠すために編み笠を借りた、
借賃は百文(2600円)で、戻りに返せば六十四文(1664円)が戻ってきた。

日本堤から吉原へと曲がる所に吉原で遊んだ客が去りがたい思いを抱いて振り返ったと
いわれる見返り柳があって、これを曲がると日本堤を通る大名行列から
大門の中が見えないように曲がって作られた五十間道(約900米)にかかる、

客が衣装を整えたと言われる衣紋坂をゆらりと曲がりながら下った先が
吉原待合の辻に続く大門がある。

東西南北をすべて掘割で囲まれた俗世から切り離された治外法権の特別区であった。
堀は女郎たちがお歯黒を捨てたために黒くなったと言われる俗称お歯黒どぶ。
塀の高さは五間(9米)

大門の西北に榎本稲荷社、東北に明石稲荷社、西南に開運稲荷社、
東南には九郎助稲荷社が配置され、最深部が秋葉常燈明や火の見櫓があり、
元吉原から引き継いだ水道尻が行き止まりになる。

この水道尻、元々は元吉原に神田上水の水を木造の掛樋で引いた行き止まりの場所であった、
この名前をそのまま引き継いでいただけで、新吉原には水道はない、
おそらく山谷堀も近いために井戸が掘られていたと想われる。

東河岸は羅生門河岸、西河岸を浄念河岸と呼び、この界隈は横町と呼ばれ、
格子越しに比較的手頃な値段で個人交渉の出来る張り見世があった。
持ち合わせの少ない一般庶民は大門をくぐると、
すぐこの横町に入り小見世をひやかして楽しんだ。

ここは時間制を設けてあり、切り見世とか銭見世と呼ばれていた。
見世の格は置いている遊女の値段や評判で決まった。
最上級の見世は「大見世」といい、浮世絵に描かれるような高級な花魁がいた。

次が「中見世」と呼ばれるもので、規模も遊女の質も大見世より一段落ちる。
さらに、一分女郎(昼、夜共に一分)だけがいる見世を「大町小見世」、
二朱女郎(昼、夜共に二朱)が中心の見世を「小見世」と呼んだ。
この他に、前述の「切見世(銭見世)」がある。

同じ仲之町張りをする"昼三"は昼夜共で三分、暮六つに来て
その夜のうちに帰る片仕舞と称する遊びなら一分二朱の揚代で済む。

 昼三の次には"見世昼三"という遊女がいた、これは仲之町張りをしない、
ひたすら自楼にこもって、馴染客なり、初会の客なりの来るのを待つ。
このように吉原は遊女にも様々な階級があった。

大門をくぐると右手には四郎兵衛会所、その向かい側には町奉行所から派遣された
御用聞きの詰め所もある。
大通りから仲之町に入ると魚屋や青物市場、酒屋から寿司屋、蕎麦屋に風呂屋、
蝋燭屋、質屋まで揃っており、必要な物はほとんどまかなえたため日常の生活には困らない。

大門は卯の刻(午前6時)に開き亥の刻(午後10時)に閉まる。
日没後再び見世を開き、大門が閉まった後も午前0時頃まで営業していた。

午前2時「大引け」の拍子木が打ち鳴らされ、賑わっていた吉原もこれを境に静まるのである。
男は出入り自由であったが、女は出るにも入るにも四郎兵衛会所で
出入り切手をもらわなければならなかった。

吉宗の時代に人口調査が行われ、吉原内部の総人員が15歳以上の男2375名、それ以下は463名、
女4003名、15歳以下330名、右の内家主182名、店狩り620名、遊女2105名、禿941名、
召使2163名ほどであった。

格の高い見世(遊女屋、妓家)の遊女と遊ぶためには、待合茶屋、吉原では
「引手茶屋」に入り、そこに遊女を呼んでもらい宴席を設け、
その後、茶屋男の案内で見世へ登楼する必要があった。

茶屋には席料、料理屋には料理代、見世には揚げ代(遊女が相手をする代金)
が入る仕組みであった。

吉原遊廓では、ひとりの遊女と馴染みとなると、他の遊女へは登楼してはならないという掟が
あった。
ほかの遊女と登楼すると、その遊女の周辺から馴染みの遊女のもとに知らせが行き、
裏切った客は、馴染みの遊女の振袖新造たちに、次の朝に出てくるところを捕まえられて、
髷を切り落とされるなど、ひどい目に遭う男もいた。

由太郎は意を決して大門を潜った、すぐ右手に見える四郎兵衛会所に立ち寄り
「お小夜と申す名の女を探しております、何卒お力を冒しいただけませぬか?」
と正直に話した。

由太郎を一目見た若い衆が
「おいおい 今日び朝からとんでもねぇ野郎が入ぇって来やがったぜ、
お前さん何処の田舎からおいでなさったか知りやせんが、
そんな浅葱裏がうろうろされちゃぁはた迷惑、帰ぇっておくんなさいやし、
と取りつく島とてない有り様。

野暮の代名詞である「浅黄裏」をはじめ、一部のしゃれ者を除いた武士の多くには
大銀杏が好まれた時代、髷尻と呼ばれる髷の折り返しの元の部分が後頭部より後ろに
真っ直ぐ出っ張っているのが特徴で、町人の銀杏髷より髷が長く、
髷先は頭頂部に触れるくらいで刷毛先はほとんどつぶれない。

なかでも野暮ったい田舎の藩主などは髱はぴったりと撫で付けられて、
頭頂部より前にのめりだすような、まるで蒲鉾をくっつけた状態の太長い髷を
これ見よがしに結うものもいた。

また浅葱裏とは貧しい田舎侍が紺の羽織に浅葱木綿の裏地を用いていたことから
ちょっと小馬鹿にした時に用いられた。

その言葉をぐっと喉の奥に押し込んで由太郎
「待ってくれ!私はただ人を探しておる、この場所におるやもしれぬ奉公に出された女だ、
頼むなんとか見つけ出したいのだ、これこの通り」と頭を下げた。

ちぇっ!と舌打ちをしながら
「お侍ぇさん、一体ここにどれだけの女がいるかご承知の上でそのようなご無体なことを
申されて居られますんで?」
言葉は丁寧だが由太郎には慇懃無礼に聞こえた。

「私はただ・・・・・」

「ただどうしろとおっしゃいやすんで? おう お前ぇさん、
この大門は地獄と極楽の彼岸場所、大門くぐりゃお侍ぇもクソもねぇ
銭だけが物を言う浮世、蒲鉾マゲなんぞでうろつかねぇほうが身のお為ってぇもんですぜ、
さぁ帰ぇった帰ぇった!こっちゃぁお前ぇさんみてぇな田舎モンにかまっている暇なんざぁあ
りゃぁしませんのでね」と顎で出口をしゃくってみせた。

「武士に向かって無礼な!」
まだまだ若い由太郎ついつい刀の柄に手をかけてしまった。

「ほぉ 刀に手をおかけなすってどうなさるおつもりで?
ここは吉原2本差しが怖くっちゃぁウナギも食えねぇやぁあはははははは」と罵倒された。

「おのれ、無礼者!」ととうとう刀を抜き放ってしまった。

あっと言う間に人だかりの垣根が築かれたその時
「待て待て!」若い声がして二人の若者が間に割って入ってきた。

「聞いておれば双方とも落ち度もある、
どうだこの場は私の顔を立ててそこ元も刀を引いてはくれぬか?」
と由太郎の手元を抑え、制しながら若い衆に向かって穏やかに話を進めた。

「お前ぇさんは誰でぇ?!」小頭と思える男が一歩前に出てきた。

若者の一人が
「こいつを誰だと想うこいつの親父は火付盗賊・・・・・」と言いかけた時
「おい弥太郎このようなところでお父上の名を出すんじゃァない」
と慌てて制し
「とにかくあちらでゆっくりと話を聞かせてはくれませんか?」と会所の一角へと促した。

その場に居合わせた会所の若い衆も耳をかすった火付盗賊と言う言葉に
いきりたっていた気持ちも萎えたのか少し大人しくなった。
そこへこの騒ぎを聞きつけて会所の名主の大門四郎兵衛が出てきた。

「ここでは何でございますから、ひとまずこちらへお入りなさいませんか?」
とやんわりとした声で由太郎を促した。

偶然この場に居合わせた二人の若者一人は弥太郎と呼ばれた若者阿部弥太郎、
言わずと知れた長谷川平蔵の嫡男辰蔵の遊び仲間、と言うことはもう一人は、
くだんの長谷川辰蔵であった。

本日は巣鴨の三沢仙右衛門叔父上から男の授業料なる軍資金をしこたま頂き
出張ってきたところであった。

四郎兵衛会所は新吉原五丁町名主行事会所と言う所であり、
左は面番所与力と同心二名が昼夜を問わず控えている。

7代目大門四郎兵衛は腰の低い柔和な男で
「先ずはお武家様のお話をお伺いいたしましょう」と由太郎を見やった。

やっと話が通じそうな雰囲気に安堵したのか、これまでの経緯をかいつまんで話し、
その女衒によって奉公に連れだされたお小夜を探していることを話した。

「う~ん」
四郎兵衛は腕組みをしながら
「なんとも辛いお話ではございますが、この吉原には二千人以上の遊女がおります、
しかもそれぞれに源氏名を持ち、元の名前は判りません、
この中で手がかりをつかむということはまずご無理でございましょう。

まぁ出来る事といえば見世を覗き、一人ひとりのお顔を確かめる以外どうにもならないと
存じます」とやはり無理ということには変わらない返答であった。

「それでもとおっしゃいますならばお気の済むようにお探しなされば
よろしいでございましょう、この四郎兵衛が他の名主の方々にも申し添え致しましょう、
それでよろしゅうございますか?」
と由太郎の顔を静かに、だが毅然とした態度で見やった。

「何卒よろしくお願い申す」
由太郎は頭を下げて吉原の中でお小夜を探す事が出来るようになった。

とはいえ、そうやすやすと探せるはずもなく、吉原だけで二月を要した。

いつのまにやら由太郎の事が吉原の中にも知れるところとなり、
お小夜探しは奥のほうまで伝わって、
「あちきにもそのような主さんが・・・・」と羨む声を聞くようになっていたのである。

こうして浄念河岸から羅生門河岸まで探したが要としてお小夜の姿は見つからなかった。
最後の日由太郎は大門四郎兵衛に感謝の挨拶によった。

「おお それは誠に残念でございましたなぁ、この苦海に身を沈めたおなごは
生きてここから出られる者もございますが、そのままここで身を埋める者もおります、
どうかその御方がご無事で見つかることをお祈りいたします」と見送ってくれた。
すでに年は明け、浅い春がもう間もなく訪れようとしていた。

残された時間はさほど無い。
由太郎は他の岡場所へも足を運び探索を続けた。

上司や同僚からの嫌味な言葉もいまではまるで子守唄か励ましの言葉とさえ
思えるほどであった。

松平定信の断行した寛政の改革(1787~1793)で菎蒻島(こんにゃく島・霊岸島)、
あさり河岸、中洲、入船町、半蔵門付近の土橋、直介屋敷、新六軒、横堀、大橋、井ノ掘、
六間掘、安宅、大徳院前、回向院前、三好町、金龍寺前、浅草門跡前、新寺町、広徳寺前、
どぶ店、柳の下、万福寺前、馬道、智楽院前、新鳥越、鳥町、山下、大根畠、千駄木、
新畑、白山、丸山、行願寺門前、赤城、市谷八幡前、愛敬稲荷前、高井戸、青山、氷川、
高稲荷前、三十三間堂など五十五箇所が取り潰されたものの、深川仲町、新地、表櫓、
裏櫓、裾継、古石場、新石場、佃、網打場、常盤町、御旅所弁天、松井町、入江町、
三笠町、吉田町、吉岡町、堂前、谷中、根津、音羽、市ヶ谷、鮫ヶ橋、赤坂、市兵衛町、
藪下、三田の二十六箇所は残った。

これ以外にも水茶屋から飯盛旅籠、果ては船比丘尼に夜鷹となると
探す当てはもう星の数ほどになろう。

由太郎は俸祿が出るたびに米を買い、お小夜の父親の元を訪ね、
合間合間に隣の菜園に手入れをしながらの人探しである、
中々想うように進まない現実がそこに横たわっていた。

こうする間にも帰国の時は迫り、ついに探し当てることもかなわないまま
帰国せざるを得なくなったのである。

「五兵衛、私は一旦殿のお供で帰国致す、だが又必ずや江戸に戻りお小夜を探しだす、
それまで達者で居てくれ、貧者の一灯、少なくて済まぬ」
そう言ってこれまで爪に火を灯すように溜めた金子十両を五兵衛の枕元においた。

「由太郎様・・・・・」
五兵衛は枯れ木のような腕で由太郎の手を握り締め大粒の涙をこぼすばかりであった。

翌々年、葦の角ぐむ頃由太郎は再び参覲交代のお供を願い出た。

上役にも由太郎の一件は知れわたっていたもので、呆れ半分
「何故そこまで」と小馬鹿にさえする者も出ていた。

由太郎の両親さえも
「程々に致さねば、お役を果たしてこそ武士の面目、
たかがおなご一人にその道を間違ぅてはならぬ」と強く戒められた。

親からも周りからも言われれば言われるだけ由太郎の思いは熱く大きくなっていった、
それは若さゆえのことなのかもしれないが・・・・・
こうして、又由太郎の探索が引き続き始まった。

その年も巷に秋風が吹き始めた頃、間もなくして内藤新宿の飯盛旅籠に
それらしきものがいると探し当てた。

街道筋から一つ外れたその旅籠は土地の者や人足たちが多く出入りしている場末にあった。

「いらっしゃいまし!」と一歩入ると奥から低い老けた声が出迎えた。

「いや 泊まりではない、人探しを致しておる、少々尋ねるが、
ここにお小夜と言うおなごは奉公いたしておらぬか?」と切り出した。

「はァン 何だい泊まりじゃぁ無いんで・・・・・」
と由太郎の頭から爪先前じろじろ眺め

「お前さん あの子の間夫かい?」と切り出した。

「間夫?それは一体何だ?」と由太郎問い返した。

「はぁ やっぱり浅葱裏者ンだねぇ、そんなことも知らないなんて!
だからあたしぁかっぺは嫌いなのさ!」
と吐き捨てるように由太郎を一瞥して横を向いた。

「お小夜はおるのか!どうなんだ!!」
由太郎はこのやり手婆ぁの襟首をひっつかんで詰め寄った。

「判った!判ったからこの手を離してくださいよ!」
と急に弱々しい態度に出た。

「あの子にゃぁまだ奉公の貸しが残っているんだよ、
それをお前様が払ってくださるんでござんしょうね!」
と襟元を直しながら見上げた。

「それよりもお小夜は何処におる、早くお小夜のいる場所へ案内いたせ!」
と由太郎は詰問した。

すると女将はふてくされたまま「あの子は労咳に掛かっちまって、
裏の物置に住まわせておりますよ」と奥まった物置小屋に案内した。

炭俵や薪が積み上げられ、日も当たらず人の住めるような場所ではない。
唖然としながら「このようなところへ・・・・」
と言いつつ奥の暗闇を透かせてみると何やら塊があり、
弱々しい息が途切れ途切れに聴こえて来た。

「お小夜?お小夜か?」その声に黒い塊がズレるように動いた。

暗闇の中でその塊を抱き上げ、高い小窓からわずかに漏れる木漏れ日に照らした
その中にお小夜の変わり果てた姿があった。

「お小夜!!・・・・・・」後はもう声にはならなかった。

物置小屋からお小夜のか細い身体を抱きかかえて表に出た由太郎、声を失ってしまった。
閉ざされた物置小屋の中で陽の光を失ってどれほどの時が過ぎたのであろうか、
食べるものもろくに与えれれず、ただ死ぬまでの間放置される、
それが病を患った女郎の定め、娼家の主にとっては厄介者以外の何物でもないのである。

お小夜の眼はもう見えていないようですらあった。

「貴様ぁ!!」由太郎の激情した気迫に恐れをなし、女将はガタガタ震えている。

お小夜を抱きかかえて店に戻ったところを店の若党がばらばらと由太郎を囲んだ。

「そこをどけ!!奉公人をこの様に扱ってそれでもお前達は人間なのか!
人の皮を被った畜生者ではないか!」
由太郎のあまりの気迫に押されて囲んだ輪を大きく拡げ、皆後ずさりをしている。

「まだ奉公の・・・・」と女将が言いかけたものへ
「人を人として扱いもせずその上にまだ何を求める!」と睨みつけた。

「わわわ 解りました、ご自由にお連れください!」と逃げ腰で道を開けた。

表に出た由太郎そばの町駕籠を呼び寄せお小夜を乗せた。
宿駕籠は別名雲助駕籠とも呼ばれ旅人には嫌われていた。
それでも一里が四〇〇文、内藤新宿から日本橋まで二里であった。

今の価格で言えば一文二十六円として換算すれば10400円、この2倍であったから20800円
蕎麦が1杯16文416円程度であるから800文は蕎麦が50杯近く食べられる金額である。

薄給の平侍には目の飛び出る金額であったろう。

おまけに途中で酒手(さかて・チップ)が必要で、これが運び賃の半額、
酒手をはずめばそれなりの効果があるのは言うまでもあるまい。

下手をすれば山の中や川の真ん中辺りで酒手の交渉というハメになる、
これが雲助駕籠の常套手段である。

身ぐるみ剥がすなんてことはないが値上げ交渉は効果的にやったようだ。
無事中村町火葬寺についた時、お小夜の身体は弱り切っていた。

ひと通りお小夜を薄い夜具を敷いただけの床にねかせてた由太郎、
浅草新鳥越町まで足を運び薬種屋を探し、訳を話してみたが、
労咳(ろうがい=結核)は死病と恐れられており、打つ手はないと言うものであった。

「どうすれば良い!?」
困り果てた由太郎は種屋の主に問いなおしてみた。

「左様でございますね、まずは風通しの良い所に住まわせ、
後は滋養のつくものを食べさせる、それ以外無いと聞き及びます」
と、どうすることも出来ない状況を思い知らされるだけであった。

「せめて甘草などを煎じて差し上げられますならば多少の本復も見られるかと・・・・・
甘はまず脾に入ります。
物は酸・苦・甘・辛・鹸(間=塩辛い)の五種類に分かれ、
この五つの味は臓腑とも関わりがございまして、「酸」(酸味)=収縮・固渋作用あり、
肝に作用する。

「苦」(苦味)=熱をとって固める作用あり、心に作用する。
「甘」(甘味)=緊張緩和・滋養強壮作用あり、脾に作用する。
「辛」(辛味)=体を温め、発散作用あり、肺に作用する。
「鹸」(塩味)=しこりを和らげる軟化作用があり、腎に作用する。」

と伝えられております、しかし甘は長く続けるとよくございません、
そのあたりが難しゅうございます、取り敢えずこの度は最小限のお試しをお薦めいたします」
と煎じ薬を半月分120文(19200)支払い譲り受けた。

由太郎は早速これを煮だし、お小夜に飲ませ、五兵衛に粥の支度や薬草の飲ませ方を伝えて
帰藩した。

数日後やっとお暇を許され、飛ぶようにお小夜の元へ駆けつけた由太郎は、
床の中に少し赤みを加えたお小夜の白い顔が目に飛び込んできた。

「お小夜!少し血の気が蘇ったか!」
もう後は言葉が続かず横になったまま小窓から差し込む光のなかで口を利くのも
つらそうな涙にくれる愛しい者を抱え込むだけであった。

「由太郎様・・・・・・」
五兵衛は二人の姿をくしゃくしゃになった顔にいつ果てるとも無く流れる涙を拳で拭った。

こうして半月の時が流れ薬種もひと通りの期限がやってきた。

由太郎の一途な思いが通じたのかお小夜は少しずつ回復の兆しも見えてきた。

「お小夜 本日の具合はどうじゃ?」
本所を出た時通りがかりに棒手振りに出会い買い求めたドジョウを手ぬぐいで包んで
下げ持って入ってきた。

すぐさま鍋をかけ火を炊きつけて「
ドジョウは精がつくそうだ早く元気になって儂や五兵衛を喜ばせてくれ!」
由太郎はドジョウを背開きにして、前の畠でゴボウを抜いて
細く小さくお小夜が口に入れやすいように刻み、ほそぼそと芽吹いている葱を刻み、
懐から大切そうに卵を取り出して割り入れ、味付けといえば僅かな塩を添えるだけ、
それでもささやかな食卓は気持ちでいっぱいあふれていた。

「これはな!抜き鍋と言うてドジョウの頭と骨と腑を抜き、
臭みを取りそこへゴボウを刻みこんで味をつけるだけのものだが滋養満点だそうだ、
卵はこの近くの百姓屋で一つだけ分けてもろうた、もう少しましなものをと思うが済まぬ、
想うようにしてやれぬ儂を許してくれ」割れ欠けている器に熱々のドジョウをついで
お小夜の口元に運ぶ。

「どうした、なぜ食うてはくれぬ?左程に不味いか?」
由太郎はお小夜が想うように口を動かさないのをいぶかって尋ねた。

お小夜は小刻みに震える手で由太郎の手にすがるように握り涙をボロボロとこぼし見上げた。

「よいよい、とにかくお前の本復が何よりだからな、五兵衛も少しは動けるようにならねばなぁ、わしも毎日来てやりたいがお勤めがあるゆえ中々そうも行かぬ許してくれ」

こうしてまばたきをするほどまたたく間に師走を迎えようとしたある日由太郎は
出たばかりの俸祿を抱えてお小夜の元を訪れた。

わずかばかりではあるが餅代と称する手当も出た、不足している米、塩、卵などを買い求め
久しぶりの訪問であった。

近くの農家で干し藁を譲ってもらい、部屋に隙間なく敷き詰めた、
これで床の冷え込みが幾らかは和らぐだろう。

敷布団の中に籾殻を鋤きこんで身体が当たる部分や痩せこけて異様に思えるほど
骨が浮いて少しでも当ると痛むのを少しでも緩和させようと工夫してみた。

「どうだ?少しは身体が楽か?」
由太郎の問に、わずかに微笑みを見せてお小夜は由太郎の腕をまさぐった。

その弱々しいお小夜を由太郎は掻き抱いて涙の出るに任せ背中を優しく撫ぜてやる。
ほっそりとした背骨の感触が薄い着物を通して由太郎の指先に伝わる。

「このわしの胸の中でくつろげる日がいつか必ずややって来よう、
それを夢見て養生してくれよ」いつまでもお小夜の頭を抱え込んで温もりを伝え合っていた。

お小夜も五兵衛も小康状態を続けたまま年も開け、江戸にも葦原に水のぬるみが訪れ、
そこここに角ぐむ葦が水辺に顔をのぞかせるのも、もう間近であろう。

1月に入って中々出る機会が与えられず、やっと許可が出て飛ぶようにお小夜の元へ駆けつけた。
戸を開けると由太郎を認めて五兵衛が、
「お小夜がお小夜が!!」とにじりだしてきた。

「どうした五兵衛!お小夜がいかが致した」
と言いつつお小夜の横になっている姿を見て驚愕した。

息が荒く額に手をやると焼け火箸を掴んだような熱さである。
「五兵衛いつからこのようになっておった!」
いそぎ土間の水瓶から手水に汲み出し手ぬぐいを浸しお小夜の額に置き、
手早く消し炭をおこし湯を沸かして、やせ細った顔や肩口から胸乳と拭って少し身体を
横向きに起こし、何度も湯で温めながら先ずは身体自体が呼吸できるよう
丹念に清拭を済ませた。

師走に訪れたおり洗い替えておいた粗末な衣服に着替えさせる、
それだけで精一杯のお小夜の身体の状態である。

「五兵衛!水は十分に汲み入れておいた、そのままでも手の届くように土間に持ってきておる、
わしの留守のおりはなんとかお前がお小夜の面倒を見てやってくれ、頼むぞ」と五兵衛の手を
とって懇願した。

五兵衛は由太郎の顔を見上げ弱々しい声で「由太郎さまぁ・・・・・・」
それが精一杯であったろうか、せんべい布団にくずれた。

由太郎は湯を沸かし、幾度もお小夜の吹き出す汗を清拭してやり額を冷やした。
どれほどの時が過ぎたのであろうか、
ふと気がついていつの間にか眠りこけていたことに気づいた。

小窓の外を見ればすでに夜は明けて清々しい朝の日差しが1月と言う季節とも思えぬほど
暖かく差し込んでいた。

しまった!門限を・・・・・!由太郎は急いでお小夜の身支度を済ませた。
少し熱も冷めかけたうつろな目で由太郎をお小夜は探し求めている。

「お小夜、儂はここだ!本日は殿のお供で登城せねばならぬ、いそぎ戻らねば間に合わぬ、
許せ!」
とお小夜の手を握り締め、後ろ髪を引きずりながら本所の津軽藩邸に戻った。

当然といえば当然のことながら、すでに登城の行列は発った後であった。

お留守居役が駆け込んできた由太郎を認め
「貴様ぁ本日の御役目をないがしろに致しおって、それでお役が務まると想うてか!!」
激しい剣幕で詰め寄った。

「誠に持って申し訳もござりませぬ、急な病にて看病致しおりましたまま
つい寝込んだものと・・・誠に申し訳ござりませぬ」
と頭を土間にこすりつけて不徳を詫びた。

「愚か者!そのごとき事で大事なお役を投げ出すは怠慢以上のもの、
いかに厳しきお沙汰が下りるやも知れぬ、まかり間違えばこの儂とて
監督不行き届きの責めも負わされるやも知れぬ一大事を、よくもよくも貴様というやつは!!
こうも抜け抜けと申せたものよ、先ずは部屋にて謹慎いたせ」と眉間に青筋立てて叱責した。

夕刻登城から帰藩した藩主から留守居役を通し向こうひと月の謹慎が言い渡された。

「えっ!!・・・・・・・ひと月でござりますか!」由太郎はそれ以外の言葉を失った。

この言葉の重さをこれほど衝撃を受けて聞いたことがなかった。

「貴様だけではない、このわしも監督不行届けの儀ありと殿よりお叱りを被った、
この責めをどう貴様は受けるつもりじゃ」と激しい剣幕で由太郎に迫った。

「お許しのほどを、どうかお許しの程を願わしゅうござります」
もう頭をこすりつけて謝る以外どのような方法も由太郎には見いだせなかった。

「次の参覲交代はお許しも出まい、そこ元の家にもかよにう申し伝えられるであろう事を
今から覚悟しておけ!」激昂したまま留守居役は席を立った。

そのまま由太郎は平侍の部屋から最小限必要な当番の作業と厠への出入り以外は叶わなかった。

なんとかお小夜に連絡を取ろうと仲間の侍にも打診するが、
皆君子危うきにとそそくさとはぐらかして行ってしまい、どうにもならない。

動きの取れない気懸かりな二人の暮らしを、どうにも助ける手立てが思い浮かばない。
悶々とした日々を過ごし、やっと謹慎が解けたが外出の許可は叶わなかった。

こうしてついに国元へ帰藩する日がやってきてしまった。

由太郎は「江戸を去る前に気がかりとなっている者を訪ねたい」
と上司に懇願し、夕刻までに帰藩することを条件にやっとお許しを戴き、
津軽藩邸の道を一つ挟んで藤堂佐渡守屋敷角の質屋(ふくしま)に立ち寄った。

由太郎は暖簾をくぐり
「まこと無理をお頼みいたしたいのだが・・・・」と大刀を腰から抜き出し、
「これを買うてはもらえぬか、人助けの金子が必要になったゆえやむをえぬ選択なのだ」
と頭を下げた。

店の主は驚いた様子で由太郎の眸(め)を覗き入るように見たが、しばらくして
「お困りのご様子、判りました、お刀を拝見させていただきましょう
」と受け取り、懐紙をくわえ 一礼して刀と縁と柄頭につける飾り金具の縁頭の材質や彫り、
刀身が柄から外れないように留め釘を打ち込む目貫の材質や形を拝見し、
鞘尻を向こうに構えすらりと抜き、表・裏と眺め、刀身の長さ・反り・幅・厚さ・刃文・
沸でき・匂いでき・足・造り込み・鍛え肌と働きを切っ先まで見極めた後静かに元に納め、
鞘の色模様など色々と見定めて

「血曇りもなくよくお手入れされてございますが、ただそれだけの物にて
多くは差し上げられませんがそれでもよろしゅうございますか?」と念を押した。

「いくらなら引き取ってもらえるのであろう?」と恐る恐る尋ねた。

精一杯で15両(150万円)ほどならばお引き受けいたしますが、
それ以上はお引き受けいたしかねます」と答えた。

「・・・・・・・」由太郎の反応を見た主が
「その替りと申しますと誠に失礼とは存知ますが、
お腰しの物がなければご不自由と・・・・・この中からお好きな物を一振り
お持ちくださいませ」
と赤鰯(錆びたりして赤イワシと呼ばれる質草の駄剣)を持ってきた。

「かたじけない、ではそれでよろしくお頼み申す」
と15両を受け取り、剥げかけた真塗り(黒漆)の一振りを貰い受け腰に差して出た。

お小夜のために古着屋へ立ち寄り肌襦袢や長着を求め、必要な塩やろうそく、
食料などを買い込み、急いでお小夜の待つ谷中の火葬寺裏に向かった。

駆けつけた小屋の前に由太郎の目に想像だにし得ない光景が飛び込んできた。

戸口が開いた まま小屋の横の由太郎が手入れをしていたささやかな菜園に
五兵衛が前のめりに伏し倒れていたのである。

驚愕の眼差しで小屋に駆け込んだ由太郎の目に飛び込んだのは、すでに身体は硬直し、
ひび割れた唇に手ぬぐいをくわえたままこの寒さゆえに腐敗することもなく
冷たくなっていたお小夜の痛ましい姿であった。

これは水を飲む気力もなく湿らせた手ぬぐいでせめて喉を潤わせたのであろう。

嗚呼!!由太郎は悲鳴を上げて駆け寄りお小夜を抱きかかえた。

「お小夜!!!お小夜!!!!」あらん限りの声を上げて由太郎は絶叫した。

ただただ信じて待ち続け、人も寄り付かない場所のために食べるものが全くなくなり
餓死していたのである。

水瓶はすでに底をついていた、おそらく水ばかり飲んで腹を満たせていたと想われる。

このような理不尽なことがまかり通る世の中とは・・・・・
たった一度の己の油断からうたた寝したために、謹慎処分となり、
それがこの飢餓地獄を生み出したのである。

「お小夜!五兵衛!許してくれ、このわしの不甲斐なさを許してくれ!!!」

由太郎は頭を土間にがんがん叩きつけ両拳を血がほとばしるに任せたまま
涙が枯れ果てるまで打ち付けた。

湯を沸かし、お小夜の身体を隅々まで拭き清め、古着屋で求めてきた洗いたての肌襦袢と
長着に着替えさせ、五兵衛と二人を火葬寺の大八車に並べ、
由太郎は二人の亡骸を南に下ったところにある浄閑寺に運び込み、
刀を売却した金子の残り十三両を供え、脇差しで自らの首を切り裂き死に果てる

「ゆえあり、添えてある十三両にて三名の菩提を弔っていただきたく、
寺社門前を血で汚すことをお許し願いたし。
津軽黒石藩藩士長岡由太郎」と書き置きが添えてあった。

この事件は暫くのちに平蔵の知るところとなった。

久々に菊川町の役宅に現れた嫡男辰蔵が
「父上!過日弥太郎に連れられて吉原に冷やかしに出かけましたおり
妙な武家と出くわしました。

何でも遊女に身をやつした、好いたおなごを探しておるとか申しておりました、
まぁ何と申しますか、そこまで想われれば本望でございますなぁ」
とつい話のついでに漏らした。

「辰蔵!お前ぇ弥太郎に誘われたのではなく、仙どのから戦金(いくさがね)を
せしめたのであろう?」
とニヤニヤ笑いながら問い詰められ

「いやぁさすが父上!中々に鋭い読み!」と頭を掻いたのを思い出した。

「のう佐嶋、おそらく辰蔵の申しておったあの者達であろうよ、
南町奉行所より聞く所によると、寺社奉行稲葉正諶(まさのぶ)様より
津軽黒石藩に事の次第のお知らせがあったそうな。

だがなぁ
「そのようなものは当家には在籍致さず、打ち捨てて下され」
とつれない返事であったそうだ。

侍の掟とは何であろうかのぉ、掟とは人のためにあるものと想うておった、
人が人らしく生きるために政はあると想うておった、だが此度はそれは何の意味もなかった。

不条理とはかようなことを申すものなのか・・・・・・」

平蔵の心のなかに罪とは一体何を指すのかという問が重々しく敷き詰められていった。


不条理は、世界に意味を見いだそうとする人間の努力は最終的に失敗せざるをえないという
ことを主張する。
そのような意味は少なくとも人間にとっては存在しないからである。
この意味での不条理は、論理的に不可能というよりも人間にとって不可能ということである。

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7月号  極道酒場

剣菱     佐嶋忠介

盗賊改方でも、そのほとんどが知られていない、まぁこれは平蔵一人の秘め事、
といえば大げさではあるが、筆頭与力の佐嶋忠介、実は彼は大変な酒豪である。
仕事でも役宅でもまずそのようなことはお首にも出さず、ただにこやかに盃を干すが、
そういえば彼の乱れたのを誰も目撃したものが居ない。
この佐嶋忠介、長谷川平蔵が西ノ丸・徒頭(かちがしら)
に抜擢されて一年にも満たないうちの火付盗賊改方助役(すけやく)を拝命したおり、
現役の堀秀隆より借り受けた筆頭与力、それだけに頭脳明晰で
(佐嶋忠介で保つ堀の帯刀)と言われたほどである。
時折浅草界隈で見かけることもあるが、大半は菊川町の火付盗賊改方に詰めている。
本日は前触れもなく気ままに浅草界隈を流していた。
「お頭、下谷御成街通りに面白い名前の店を見つけまして、
あの当たりは代地の多いところでございますから、
様々な町から集まったために不思議な味わいのある場所でございますが、
本日行き当たりましたのはお頭も必ずやお気に召すであろうところでございます」
と少々跡を残して話題に上らせた。
「おいおい 佐嶋!そこまで言いかけてお預けたぁそのぉ何だ、ああ 早いとこ言っちまえ」
とそれに乗せられうずうずしている。
「はぁ それが人を喰ったと申しますか、舐めているといいますか極道酒場と申します」

「何だぁ 極道だぁ」
平蔵少しあっけにとられた面持ちで調書から目を上げ、
真面目くさっている佐嶋忠介の顔を見た。
「その 何だ、極道ってんだからさぞや・・・・」

「と私も想ったのでございますが、これが又真逆で、大真面目なおやじでございました」
「店はどうと言うものとてなくありきたり・・・極普通の店でございますが、
その中身にちと・・・・」
「おいおい勿体つけねぇで ななっ!その先へ進もうじゃァねぇか」
平蔵佐嶋の落ち着きが逆に火に油を注ぐの例えで、気ぜわしくなってきた。
「はい 店で扱っている酒、これがもうこだわり、この一言でございます」
「ははぁ~ん それで道を極める、つまり・・・」と二人同時に(極道)
「さようでございます」
「ふ~ん ならば近々寄ってみねばなるまいのう」
「はい その時はお供を・・・」
「あい判った!だが待てぬのう むふふふふ」

平蔵すでに佐嶋の術中の中で泳がされてしまっている。
明けて三日目、
「ちと出かけてまいる」
と市中見廻りの支度を済ませ、いざ玄関にと足が進んだおり

「あっ お頭本日は又何処へ参られます、
何ならばこの木村忠吾もお加え下されば・・・・・うふふふ」
「あいやぁ まずいやつに見つかったものじゃぁ」
「あれっ お頭、何かおしゃられましたか?どこかご都合でも悪い場所とか むふふふふふ」
「何をつまらぬところへ気を回しておる、左様なことではない、
本日は所用にて佐嶋との約定もあり出かけるのじゃぁ」
と、言葉巧みに振り払おうとするも、敵もさるもの引っ掻くもの

「おやこれは又お珍しい佐嶋様とお待ち合わせとは増々怪しゅうございますなぁ、
で 私めはおじゃまになると・・・」

と上目遣いに平蔵を見上げる。
「ああおじゃま虫じゃ!ちと厄介な話ゆえお前ぇははよう見回りにでも出かけて参れ」
とすきを突いて外に出た。
「やれやれアヤツの鼻はこのようなときはよく利きおる」
平蔵呆れながら、まぁこれでうるさい忠吾を振り切れたのだから一安心である。
筋違御門で待ち合わせして、件の店にいざ出陣!!
すでに平蔵そわそわしている、何しろ酒といえば佐嶋忠介の右に出るものは居ない、
味にうるさく奥も深い、この男との酒談義はさすがの平蔵も歯がたたない

「お前ぇは酒天童子の生まれ変わりけぇ」
と言うほどの猛者でもある。
筋違御門から少し入ったところの旅篭町に目指す店は在った。
「ここでございますよ」
佐嶋は先に立って店の中に入った。
「いらっしゃいませ」
中から軽く弾けるような若い女の声が出迎えた。
「あっつ お武家様いらっしゃいませ!」
と出迎えたのはまだ十かそこいらの小娘であった。
「おっ お前ぇまだ小せぇのに感心だのう」
平蔵は思わずこの娘の奥に、かつて無頼の徒として暴れまわった本所四ツ目の
(盗人酒場)鶴(「たずがね」の忠助の一人娘おまさを思い出していた。
鶴(たずかがね)とは田鶴が音(たずがね=田鶴雅音)
つまり鶴の鳴き声の美しさ又鶴の雅語からも来ている。
「お前ぇ名前はなんて言うんだえ?」
平蔵は思わずこの娘に聞いてしまった。
「あたいははつっていいます」
とはきはきと明るい答えが返ってきた。
「おお そうかい!ではおはつ すまぬがな酒を見繕ってはくれぬか、
ちょうど昼前、酒の肴に良い物をな」
「は~い おとっつあんお武家様にネギま二皿」と注文を入れる。
「おっつ ネギまかぁ そいつぁいいや、さぞ旨ぇんだろうなぁおはつ」
と平蔵すでに準備万端の様子に佐嶋忠介

「このはつが働き者で女房のおしげはよく気が付き料理が旨い、
亭主は無口でございますがなかなかのこだわり者で」と解説をする。
やがて酒とともにネギまが運ばれてきた。
「やっ こいつァ旨そうだおい亭主、こいつぁ何だい?」
「へぇ 山鳥でございやす」
「っってぇっとキジとか鴨とか・・・・・」
「お武家様ぁ山鳥と言いやしてもそりゃぁ色々とございやす、
先ずは人様の口に入ぇる鳥といやぁ鶴・白鳥・雁・鴨・雉子・バン・ケリ・
鷺・五位鷺・うずら・雲雀に鳩やシギ・水鶏(くいな)ツグミと雀、
ここいら辺でございやす」
「ほ~ぉ そんなにあるとは知らなんだのう佐嶋」
「全くでございます、ふ~むそれほどのものが出回っておるとは、
軍鶏なぞはまた別の食べ方なのでございましょうや」と佐嶋忠介。
「軍鶏?あの軍鶏でござやすか?あいつらはそうそう手に入る代物じゃぁございやせん、
この辺りじゃぁ山も近ぇし、水場も近ぇと言うわけで
そこまでしなくってもいくらでも獲れまさぁ」
「なるほど左様だのう・・・・どれ一つ・・・・
うんっ!! 美味ぇこいつぁ美味ぇ美味ぜぜおはつ!」

平蔵はコチラの様子をうかがっている娘に向かって笑顔で答えた。
「そうでしょうおとっつあんの造ったものは皆んな美味しいといってくれます」
と顔をほころばす。
「こいつぁどうやて作るんだえ、よこん所をちょいと漏らしちゃぁくれめぇかなぁ、
この葱は千住か?それとも下仁田・・・・まさか松本の・・・・・」
「お武家様ぁなかなかの物知りでござんすねぇ、こんな場所での商売でございやす、
こだわりなんかぁございやせん、ただね、あっしらは魚や鳥を料理いたします、
ですが、こりゃぁ殺すんじゃぁねえんで、命を頂くんでございやすよ、

両手合わせてありがてぇって、食べる者の血となり肉となって
こいつらは生き返るんでございますよ。
せめて旨いと想っていただくものを作らなきゃぁ罰が当たりまさぁね
近場でとれるってぇことが一番の物、千住で朝獲れたてのやつを清水で洗い、
身を引き締めやす。
鳥は鴨を遣いやした。胸・モモなんぞを程々の大きさに切りそろえて
千住葱を一寸ほどに潰さねぇように切りそろえやす。
肉と葱を竹串で代わりばんこに刺しやすが、
この竹串のちょいとした尖り加減で肉が潰れることもございやす、
口じゃぁなかなか言えねぇが、まぁそんなところにも気を使いやす。
炭火を弾けねえょうにおこしておいて片方ずつ焦げ目がつくほど炙りやす。
焼きムラが出来ねぇように気を配るのがでぇじでね、
肉の脂が出てきたらこいつが燃えてうまくねぇ、
油臭くていけませんやぁ、そこんところが用心用心、葱も焼くんでありやして、
焦げ目はすすっけで不味ぅなりやす。
砂糖、醤油、みりん、酒を取り合わせたものに入れ中火程度で煮立てやす。
煮立ったところでさっきのやつを入れて中火で煮汁が無くなる程度に煮立てやす。
焦げ目がつき始めたら仕上がりでさぁ」
「う~ん さすが佐嶋が奨めるだけのことはある、いやぁまことこいつぁ美味ぇ、
ところで親父酒がうるせぇと聞いたのだが・・・・」
平蔵もう一つの楽しみにとりかかった。
「酒は生き物、中々にうるそうございやす、先程のやつが灘の下り酒、
摂泉十二郷(せっせんじゅうにごう)と言いやして、伊丹・池田・灘で出来たやつを
樽廻船で運びやす、下り酒の大半がこの摂泉十二郷の産、それ以外が尾張、三河、
美濃、他に伊勢湾で合わさるものに中国筋や山城、河内、播磨から丹波、伊勢、
紀伊もございやす。
「へ~ 左程にあるとは知らなんだのう」
「で ござんしょうねぇ、外には中川、浦賀に江戸入津と呼ばれたお上の出場があり、
ここで御府内に入る量を操作しているのでございやす。
下り船は房総沖で時化に合いやすいのでございやすが、
このシケのお陰で樽内の酒に程よい杉樽の薫りが滲みこんで旨い酒になるのでございやす」
「っつ! ってえとなにかえ、房総沖を通ったものがこの味を引き出すってえんんだな?」
「へぃ そのとおりでさぁ、けどね、そんなことを知った上方の酒飲みが
わざわざ船を房総まで引っ張ってきて、しけに合わせて、
そいつを又上方まで戻しちまうってんですから笑ってしまいやすよヘィ」
「仲買が買うときにゃぁ少々水増しされておりやす、
と言ってもそれなりの清水を使いやすがね。

これを杉樽に保存して、飲み頃になったらば新しい酒を調合して
継ぎ足し継ぎ足しで杉の薫りと酒の味を工夫いたしやす。
この時の調合具合でそれぞれの酒の味を競っているんでございやす。
新潟は又特別で、但馬屋十左衛門てぇお人が、米は新潟産、
水は菅名岳の銘水で、もろみを搾りきらず、荒走り、中走り、
中垂れの後の責めはゆるやかに落とし、
キメの細けぇ淡麗な酒に仕上げているのでございやす。
まぁ酒といやぁ伊丹か池田、がこいつぁねが張りやす。
伊丹の剣菱なんざぁ、将軍様の御膳酒でございやすからねぇ」
「おいおいついに将軍様までお出ましかえ、こいつぁたまげた、のう佐嶋」
さすがの平蔵も目を白黒の一幕であった。
「が、それにしても奥が深ぇ、何処のことであれ、
極めるってぇことは並大抵のことじゃぁねぇ剣術にしたってそうだからなぁ、
やる事ぁただひとつ、相手を切り倒す、ただこの一点のみ、

なれどそれぞれ工夫が在って、流派が生まれ、そいつを学んでも極め尽くせぬもの・・・・・
なるほどこいつも極道かぁ、うむ 本日はまた格別なことを学んだぜ、

礼を言わねばのう、ありがとうよ佐嶋、俺は色々なところに出向き、
様々なものに出会い出くわし、そこから絶えず何かを学ばせてもろうておる、

それが又儂の肥やしになり、人を見る目につながってゆく、
まこと世間は始まりもなくお終ぇもねぇ皆一つにつながっておると言うことだなぁ」
平蔵は改めて世間という広い器の中で、
それぞれが思い思いに暮らしている面白さを想ったようである。

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6月号   鷺山の嘉兵衛

小房の粂八

菊川町役宅を出て東に菊川橋手前を南に大横川を下がると新高橋に出る、
向こう角には船番所を控えたあたりで、扇橋を渡って対岸には
渡辺大工町代替え地が見渡せる石島町の一角、

木場へ通じる亥之堀に密偵小房の粂八が営む船宿鶴やがある。

この船宿鶴や、伊予大洲の藩士で森為之介が名を隠し商っていた物で、
森為之介(利右衛門)から平蔵が預かっているもので、
利右衛門夫婦が江戸に戻ってきてからは粂八に主人を務めさせ、
利右衛門は調理場をしきっている。

「粂さんじゃぁねぇかい?」
粂八は買い出しを終えて船宿鶴やに戻ろうと本所深川扇橋を渡りかけた時
不意に後ろから声をかけられた。

振り返ると棒手振り身なりの男が辺りに気を配りながら粂八に近寄ってきた。

「誰だいあんたぁ」
粂八は怪訝そうに相手の男を見返した。

「粂八さんじゃァないのかい?小房の・・・・・」

「何だと!」
粂八は少し構えなおして再び男の足元から頭の先まで見回した。

「もう二十年になるかねぇ鷺山の嘉兵衛お頭の下で
何度か一緒につとめをやったしぐれの時次郎だよ」

「あっ・・・・・」

「思い出したようだなぁ、まぁ俺もこんな形をしているから
見当もつけにくかったとは想うがよ、粂八さんは変わっちゃぁいねぇなぁ」

「そうか、そうだ!確かに覚えがある、だがアンときゃぁ・・・・・」

「そうさ、まだ二十歳前の小僧っ子でよ、
お頭にゃぁずい分しごかれたもんだぁねぇ」

「で お前さんはまだ鷺山の嘉兵衛お頭のところでつとめていなさるんで?」
と粂八は探りを入れた。

「お頭も、もう年でねぇ、最後のおつとめは江戸でして見てぇって
俺達もこうして当たりをつけたところを中心に回っているってぇ寸法さ」
と、気さくに話した。

「おつとめ先はもう決まったのけぇ?」
粂八の再度の探りに、いささか警戒したのか

「それより粂八さんこそ今はどうなんだい?」
と逆に探りが入った。

「俺かい?俺ぁ泥ん中に潜っちまったまんま鈍亀みてぇな毎日でね、
こうして店の仕入れをして帰ぇっているところで、店ぁすぐこの先だ」

「へぇ気質になったんだぁ」
と、少し気を許したふうであった。

「うむ まぁなぁそんなところよ、
ま 何かあったら使ってくれとお頭に言っといてくれよ」
と糸をつけることを忘れなかった。

「ああ分かったよ、お頭にもそう言っとくぜ」
時次郎はそう言いながら粂八と並んで歩き始めた。

やがて石島町の船宿鶴やに着いた。

「へぇ此処なんだぁ・・・・・いい所じゃァねぇか粂八さん」
時次郎は辺りを物色するように目を配って確認している。

「じゃぁな、又寄るぜ粂八さん」
そう言って時次郎は小名木川を南へと下っていった。

このことを平蔵に報告したのはその日のうちであった。

「何!鷺山の嘉兵衛!?」
平蔵聞きなれない名前に確かめた。

「へい 長谷川様はご存知じゃァねぇかも知れやせんが、
東山道で、犯さず殺さず、貧しき者からは奪わずという掟を
きっちり守った本格派の盗賊でございやす」

「へへぇ 盗賊にも本格派と言うのがあるとはのう粂!」
平蔵の鋭い言葉に粂八

「あっ これは!申し訳ございやせん」
と身をすくめた。

「まぁ良いってことよ、それより其奴がどうかしたのか?」
平蔵はそのほうが気がかりという顔で粂八を見た。

鷺山のお頭は今じゃぁ七十前になっていると思いやすが、
腹の座ったお人で、息のかかった手下は二代で務めている者も居るはずでござんす」

「ふむ よほど手下を大事にしておるのであろうな」

「へぇ 面倒見がよいと申しやすか、大世帯ではございやせんが、
お頭の目の動き一つで手前ぇのやることが解ると申しやすか、
持ち分を心得ておりやした」

「うむ 其奴がこの江戸に入ぇってくると言うんだな」

「へぇ 時次郎の口ぶりではそのように・・・・・ですが長谷川様」

「んっ?どうした?」

「へぇ ちょいと気になるところもございやして」

「ほぉ どこがだえ?」
平蔵はこの小房の粂八の想うところが少々引っかかった。

「へぃ 時次郎の口の端にゃぁ、お盗めはまだ定まっちゃぁいねぇようで、
そこんところが掴めねぇもんでございやすんで、
こっちから仕掛けるわけにもいかず、野郎の出方を待つしか・・・・・」

「だろうなぁ だがな!其奴は必ずお前ぇのところへ顔を出す、
何ならこいつぁ掛けてもいいぜ
江戸が初めてなら、多少でも縁のあるお前ぇをほっとくってぇ事はあるまいよ」

平蔵の予感は的中した、それから十日目を迎えた夕方、船宿鶴やに徳次郎が顔を出した。

「粂さんすまねぇがちょいと顔を貸しちゃぁくれまいか」
徳次郎は粂八を横手の路地に連れ込み

「お頭からの言伝だ、三日後にお前さんの店にお頭がお寄りなさる、
そんときお頭自ら前さんに頼みてぇことがあるそうだ」
そう耳打ちしてそのまま姿を消した。

早速粂八は平蔵の事の次第を報告した。

「ふむ と言うことは鷺山の嘉兵衛が江?に入ぇるということだな」

「へい そのようでございやす、で長谷川様これからどのようにすればよろしいんで」
粂八は今後の対応を平蔵に仰いだ。

約束の三日後待ち構えている粂八の鶴やに時次郎がやってきた。

「おや お頭は来られねぇんで?」
と粂八がいぶかるのを

「いやなに ちょいと様子を知りてぇとお頭がお言いなさるもんでね・・・・・」
と川向うをチラと眺めた。

松平伊賀守下屋敷の向こうに霊厳寺の大屋根が見える辺り
川端の柳のたもとに男が一人佇んでこちらの様子伺っている。

「なぁに用心に越したことはねぇからとお頭が、
ちょいとこの周りを確かめていなさるんで」

「なるほど そういうわけかぁ、判った悪いが帰ぇってくれ!
俺ぁ今じゃぁお頭に何の義理もねぇ立場だ!話もここまで、
さぁ仕事に戻らなえぇとお客が待っていなさるんで、お頭によろしく伝えてくんな」
粂八は突き放すように対岸の男の目を見た。

「まままっ 待ってくれ粂さん、記を悪くしたなら謝る、
決してそんなつもりじゃぁねぇんだからよぉ」

「へぇじゃぁ一体ぇどんなつもりだとお言いなさるんで?」
粂八は此処ぞと糸を手繰り寄せた。

二人のやりとりの気配を感じたのか、対岸の男は扇橋の方へ歩き始めた。

「粂さん、お前ぇさんもよく承知だと思うけど、
お頭はあの慎重さがあって今まで一度もお縄の憂き目にも遭っていなさらねぇ、
そいつぁお前ぇさんが一番良く知っているんじゃァねえのかい?」

「まぁな だが、俺としちゃぁ少しも面白くもねぇ、
毛ほどの疑いでも持たれたとあっちゃぁいい気持ちはしねぇもんだぜなぁ徳次郎さんよ」

「すまねぇすまねぇ、悪く想わないでくださいよ、
っつ お頭がお見えになった、粂さん済まないが部屋を借りるよ」
徳次郎はそう言って鷺山の嘉兵衛を出迎えた。

粂八は先に入っており、利右衛門の女房おみちが出迎えた。

店に入って帳場を見たおみちは、
そこにそろばんが立てかけてあるのを横目に確かめて

「ではお二階へご案内いたします」
と先に立って案内した。

しばらくして粂八が酒肴を抱えて上がっていった。

帳場にそろばんが立てかけてある場合は2階に定められた部屋に通す暗黙の決め事であった。
この部屋は粂八の寝起きする場所であり、又襖を開けたその狭い壁際には階段があり、
上の秘密の部屋に上がれる仕組みで、
隠し部屋からは床の間の飾り窓から中が覗き見るように工夫が施されている。

静かにその隠し部屋に上がったのは兼ねて粂八と示し合わせ、
前もって潜んでいた長谷川平蔵であった。

「お頭 お久しぶりでございやす」
粂八は神妙な面持ちで鷺山の嘉兵衛を見た。

「おお 粂さんお前さんも元気そうじゃァねぇか、
徳次郎からお前さんの達者なことを聞いたときやぁ嬉しかったぜ、
まぁ何だ一つ盃で温めようじゃァねぇか」
と、粂八のさし出す杯を受けて回した。

「へぇありがとうございやす、ところでお頭はいつお江戸に?」

「ウンゆんべのことよ、徳次郎の用意した宿に腰を下ろし、
それから今日こうやってお前さんを訪ねてきたってぇことよ」

「さいでございやすか、で、鷺山のお頭はこのあっしにどのような御用が
おありになるんでございやしょう」
と粂八は隣の隠し部屋から嘉兵衛が見えるように向きを入れ替えながら言葉を回した。

「俺ももうすっかり年を取っちまった、納め金をこのお江戸でつとめてみてぇと、
まぁそんなところさね」

「で、心当たりは在るんでござんすか」
いきなり粂八が確信をついた

一瞬嘉兵衛と徳次郎は眼を見合わせたが、
素早く表情を和らげた粂八に少し警戒心を解いたのか

「うむ まぁ幾つかは目星をつけた、だが深ぇところまでは調べがついちゃぁいねぇ。
何しろ右も左もさっぱり見当がつかねぇ、
さすがお江戸は広いとこの徳次郎とも話したんだよ。そこで相談なんだがね粂さん」

と嘉兵衛は真顔に戻り粂八の目を覗きこむように少し腰の曲がったまま下から見上げた。

「へぇ どのようなことでござんしょう、
あっしはもうすっかり堅気な暮らしでおりやして、
中々お頭のお役に立てれるとは想いやせんが、それでも何か・・・・」
と道糸をたれるのを忘れいない。

「そこさ!」
横から徳次郎が口を挟む

「そこなんだよ粂さん、お前さんにやぁ直接すけてもらおうとは思っちゃぁいねぇのさ、
だがね、俺等ではどうにもならねぇことも在る、
そいつぁ長年このお江戸で暮らしているお前さんに頼むのが一番と
相談が決まってのことなんだよ」
嘉兵衛は煙管に葉を詰めながらゆっくりと粂八の反応を伺ってきた。

「なるほどねぇ・・・・・・で、どんなことがお知りになりてぇんで」

「なぁに人手は十分ある、後はその手配りのための絵図面など元ネタになるものがほしいのさ」

「と おっしゃられやしても相手がどこなのか判らなけりゃぁ
そいつぁちょいと無理かとおもいやすが」
粂八はその先を引き出そうと仕掛けをいれる

「そこはまだ煮詰まっちゃぁいねぇ、
お前さんがすけてくれるかどうかで決めようということになっているんでね」
と徳次郎が口を挟んだ。

「判りやした、あっしも昔はお世話になった鷺山のお頭のたってのお頼みとありゃぁ
断るわけにも参りやせん、出来る限りの事ぁさせていただきやす」
両膝に手をおいて粂八は嘉兵衛を見据えた。

「判った ありがとうよ粂さん、これで俺も腹が決まった、
早速したくにかかろうじゃぁないか、ねぇ徳次郎」
と嘉兵衛は後ろに控えて居る徳次郎を振り返った。

徳次郎は嘉兵衛の顔を見返しながら
「良うござんしたねお頭、これでお勤めはもう仕上がったようなもんでございやすよ」
とえびす顔を見せた。

その一瞬の変化を平蔵は見逃さなかった。

二人が引いた後、そそくさと粂八が平蔵のいる部屋にやってきた。

「ふむ アレがお前ぇの言うまっとうな盗人なんだな」
平蔵はじっと床の間にかけてある花を見据えて考えこんでいる。

「長谷川様 何かご不審なことでも?」
粂八は平蔵の反応を察知して言葉を出した。

「なぁ粂 連れの徳次郎とか申したなぁ、アヤツはどうも気に食わねぇ、
あの一瞬だが光った眼が俺は気に食わぬ」
平蔵はその奥にある徳次郎の思いを引きずり出そうと考え込んでいた。

「お前ぇ奴とは長ぇのかい?」

「とおっしゃいやすと、あの徳次郎・・・・・」

「うむ そいつよ」

「野郎がまだ二十歳前の小僧っ子のじぶんから
3年ほど一緒にお勤めをしたこともございやすが、それが何か?」

「あっ いやどうってぇことはねぇかも知れぬが、ヤツのあの眼が俺は少々気がかりだ」

「へぇ まぁ人も時にやぁ変わるってこともございやすから・・・・・」
粂八は今の自分を想像できなかったことを想っているのであろう。

「よし、とにかく奴の顔はしっかりと拝んだ、次の繋ぎを待って
それから手当をすればよかろう」
平蔵は粂八に指図をして本所に帰っていった。

その二日後鶴やに徳次郎がやってきた。

「粂さん、お頭からの使いだ、日本橋難波町当たりから
船で逃れ道の水路を知りてぇとのことだ。
粂さんが船宿をしていなさるので、そのあたりをお頭はお頼みしてぇと
思っておいでのようですぜ」
と攻め場所が少々判明してきた。

「わかった、そこからどの方面へ落とせばいいんで?」
と更に先を促したが、

「今ん所それをお知りになりたいだけのようで、
先についちゃぁ俺も知らねぇんだ、すまねぇ」
と口は堅い。

「分かったよ、だがなぁ通る場所によっちゃぁ船番所もあちこちあるし、
そう簡単に事は運ばねぇとお頭につたえておいてくれねぇか」

「判った、そう伝えるよ」
そう言って徳次郎は店の裏手から横道に抜けて人の目を避けるように帰っていった。

「妙な野郎だぜ、表から入ぇって来ても良さそうなものをよ」
と板場の利右衛門にこぼした。

「なぁ粂さんもしかして誰かに後をつけられていたとか・・・・・・」

「おっ そうかも知れねぇなぁ、そういえば先日長谷川様が野郎の目配りが気に入らねぇと
おしゃっておられたからなぁ、そうかもしれねぇ・・・・」
粂八は己に言い聞かせるようにつぶやいた。

「すまねぇちょいと本所のお役宅までご報告に行ってくらぁ」
と粂八は夕方近く本所菊川町の平蔵の役宅へ出向いた。

「何?粂八が参ったか」
平蔵は取り次いだ沢田小平次を振り返って

「すぐにこちらへ回せ」
と裏木戸を指した。

しばらくして枝折り戸が開き、粂八がひざまずいた。

「おお 粂 なにか変わったことでも持ち上がったのかえ?」
と調書に目を通しながら聞いた。

「へぇ 長谷川様、今日例の徳次郎がやってきたんでございやすがね、
野郎ひと目を気にしているような素振りで、ちょいと気になったもんでございやすから」
と本日の報告をし終えた。

「おい 粂、そいつぁ何かあるぜ、まぁお前の川筋を利用してぇと目論んだところからも、
おそらく襲うところは日本橋界隈、それも行きずりの仕掛けとあっちゃ
足元を見定めてと考えれば店は川べり、しかも納め金とくるからにゃぁ
少々の金子では事足るまい?その辺りで金が集まりそうなところを至急皆で手分けして
探ってまいれ」
平蔵は調書から目を話し粂八にそう言いつけた。

それから二日後には日本橋界隈の大店や目立たぬが金の集まりそうな店の名前が上がってきた。

「ふむ・・・・・この中でお前が押しこむとするならば、佐嶋どこを選ぶ?」
平蔵は与力筆頭の佐嶋忠介に絵図面を広げてみせた。

「左様でございますなぁ伊豆れも大店、しかも小判が集まるという条件を入れますと、
やはり両替商が一番かと、その場合この本両替の伊勢屋、三河屋、難波屋の三軒、
それに脇両替を含みますと優に十軒はございます」

「うむ だがなぁそういったところは警戒も厳重であろうよ、
生半可なことでは金蔵は破れまい」

「左様でございますなぁ」
佐嶋忠介も腕組みをして絵図面に見入っている。

そこへ粂八が
「長谷川様!目的の店が判りやした!」
と息せき切って駆け込んできた。

「何押し込み先が判明いたしたか!」

「へい まだ日時は定かじゃぁござんせんが、
奴らの繋ぎによれば難波町菱垣やのようでございやす」

「菱垣やだと、なるほど旨ぇ所に目をつけたもんだ、
それだと船が入ぇって来る日を当てれば良いわけだ、
でお前ぇの腕が必要ということになるわけだ、
なるほど旨ぇところを読んだものよ、
さすがにお前ぇが褒めるだけのことは在るぜなぁ粂八、
鷺山の嘉兵衛か、一度おうて話がしてみてぇもんだ」
と平蔵は攻めの的が絞れてきたことに少し気持ちも緩んだようである。

「よし、続けて相手の出方を待て」

こうして事件は第二段階に入ったと思えた。
だがここで想わぬ事件が火付盗賊にもたらされた。

盗賊改め同心小柳安五郎が町奉行町廻り同心から聞きこんだ所によると、
下谷広小路二丁目の川に死体が上がった。

小柳から
「粂八より聞き及んでいた男の人相風体に似通っている」
と知らせがあり、粂八と沢田小平次が駆けつけた。

懸けられたムシロをめくった粂八が一目見るなり
「あっ・・・・・」と漏らした。

沢田小平次が
「どうだ粂八!間違いないか」
と押し殺した声で尋ねた。

町方が周りを包囲して見物人を押しとどめているので、大きな声も出せない。

「間違いございやせん!沢田様、確かに徳次郎でございやす」
このことは早速平蔵に報告が上がった。

「何と奴が殺されたとな・・・・・・」

手繰り寄せた糸のぷつんと切れるのを平蔵は感じた。

「殺され方は如何であった?」

「はい刃物で背中から心の臓を一突き、見事なまでに
それで事切れるほどの手際の良さにございます」

「何だと!とするならば殺った相手は侍ぇだな、急所を一突き、
それもてめえに血飛沫がかからぬように恐らくは大刀での留めと見たがいかがであった」

「恐れいります、まさにその通りの鑑識にござりました」
沢田小平次は平蔵の恐ろしさを再び思い知らされたのであった。

相対しての殺傷となるとどうしても返り血を浴びることになる、
正面からでは動きを気取られてどうしても一突きは難しい、
そのようなことを判断できるのは侍ぐらいしか無い、
それも在る程度は腕に覚えのものでなければならない。

「そうなるとお頭、相手が新たに増えたとみなさねばなりませぬな」
佐嶋忠介が平蔵の顔を見た。

(むぅ ・・・)
平蔵はこの新手の敵について何一つ知れないことに不安とあせりを感じているようであった。

たぐりかけた糸がぷつりと切れて二日が流れた。

鶴やの粂八の元へ見知らぬ男が訪ねてきた。
「粂八さん・・・・・・でござんすね」
四十がらみの腰の低いその男はしきりにあたりを気にしている様子に粂八

「まぁ入ぇんな」
と店の中へ促し
「ところでお前さんは一体誰なんで!」と半歩突っ込んだ。

「申し遅れやした、私は鷺山の嘉兵衛の配下で芳兵衛と言いやす。 
すでにご存知かと想いやすが、徳次郎さんがあんな目に合っちまって、
お頭も困っておいででござんす」と話し始めた。

「一体何があったんでござんす?」
粂八は事の起こりを聞き出そうとした。

「粂八さんはご存じねぇかと思いやすが、お頭のおかみさんにぁ兄さんがおられやして・・・・・」

「お頭におかみさん?そいつぁ知らねぇ、でそのあにさんがどうかしたのけぇ」

「へい その幸助さんは鷺山のお頭とは反りが合わねぇ、
けど仲間内じゃぁ何の力もございやせん、
ただ女将さんの後ろでえばっているだけの取るに足らねぇ野郎でござんした」

「ちょいと待っておくんなさいよ、
だったってっぇ事ぁいまはそうじゃぁねぇって聞こえるんだがねぇ」

「そのとおりでございやす、鷺山のお頭の具合が悪くなってから、
女将さんが仕切りたがるようになっちまって、
それを後から押し上げているのが幸助さん、その間で揺れていたのが・・・・」

「徳次郎ってんだな」

「その通りで、お頭はそれに気づいて居られたものの、どう手を打って良いものか・・・・・
でお前さん、粂八さんに渡りをつけて一手先をお考えなさったってぇわけでございやす」

「粂八さんに出くわした徳次郎さんは、
粂八さんがお頭に手をお貸しくださるってぇことが決まって、
お頭のほうへ沿ったと言うことで、そのために密かにお頭が薦めて居られた
押し込み先などを徳次郎さんから聞き出そうと幸助さんが元黒門町の常楽院に呼び出して、・・・・・」

「その挙句殺っちまったということだな」

「へぃ お察しの通りで、どうやら徳次郎さんは漏らしちまった様子で、
ですが本当のことは徳次郎さんもはなっから知らなかったんでございやす」
この答えには粂八が驚いた。

「何だってぇ!!それじゃぁこの前の話は・・・・・」
粂八は平蔵に報告したことが間違いであったと聞かされ動転しかけたほど驚いた。

「鷺山のお頭は徳次郎さんの動きを妙だと気づきなさって、
それでちょいと漏らしたんでございやす」

「こいつぁ一体ぇどうなっているんで・・・・」
粂八は次に打つ手が見つからずまごついた。

鷺山のお頭はおかみさんや幸助の網に中で身動きが取れねぇんでございやす。
あっしにも幸助の眼がくっついているんじゃぁねぇかって・・・・・」

「それでお前さん辺りを気にして」

「さようで・・・・・」

「弱ったなぁそれじゃぁ話は振り出しってぇことになるわけだ」

「いえ そうではございやせん、鷺山のお頭は打つ手は打っておられやす、
粂八さんにこう伝えてくれとおっしゃいやして」
と声を落とし辺りの気配を伺いながら耳打ちした。

「押込み先は牛込関口櫻木町諸国物産の大店上州屋」

「何だと難波町の菱垣やじゃぁねぇっていうんだな、間違ぇねぇ話なんだろうなぁ!」

血相変えた粂八の勢いに驚きながら
「粂八さんそんなに驚くたぁ何か訳でもおありなさるんで?」
と心の動揺を読み取られ粂八

「そうじゃぁねぇ がよ、そうじゃぁねぇが先の話では全く方角が違うから
まごついただけのことよ」とはぐらかす。

お頭の目論見じゃぁおつとめを終えた後、江戸川から小石川、神田川と抜け大川へ、
そこから千住の宿を通って日光街道へと逃れるつもりでござんす」

「じゃぁどうあっても船を使っての仕事となるんだなぁ」
粂八は時の流れを早めるには川船を使うほうが早いと考えた鷺山のお頭の計画を感心していた。

「じゃぁ何かえ難波屋の方はどうするつもりなんでぇ」
とこの行方を尋ねた。

「決まっているじゃァねぇか幸助さんに襲わせるつもりよ、
そうすりゃぁこっちに火の粉は降りかからずに済まされるってぇ寸法、
さすがに鷺山のお頭は読みが深ぇ、そうじゃァないかい粂八さん」
と粂八の考えを探るように見やった。

「そいつぁ妙案だ、それならおつとめの邪魔もねぇってわけだな」

「問題はこの先さ粂八さん、お前さんの船を取りっこになっちまう、
そのことをお頭は案じていなさる」

「そうかぁ 俺の動き一つで謀がバレちまうってぇこったなぁ・・・・・」

「そこんところを粂八さんにお頼みするようにとお頭は・・・・・」

「判った、そいつぁ俺に任せてもらいてぇとお頭に伝えてくれねぇか、
俺の相方で伊三次ってぇのがいる、こいつをお頭に付けようじゃァないか、
俺がそっちに行っちゃぁ幸助にバレる心配もあるからなぁ」
と粂八は平蔵の読むだろう謀を頭の中で巡らせていた。

「で、お頭はいつお盗めをなさるおつもりで?」
と最後の詰めを口に出した。

「粂八さんの返事次第と言われてきたんだが、その返事ももらったことだし、
これで決まりだ。明後日の夜四つの鐘までに目白不動山門と決まりだ」

「ようしそいつぁ判った、で幸助の方はどうする、俺が向かわにゃァならねぇ、
そのところをしっかりとしてくれてなきゃぁ野郎にけどられてしまうじゃぁねぇか」

「判っているってよ!心配しなさんな、そこんところもお頭がちゃんと考えていなさる。
 同じ時刻に日本橋元浜町の稲荷社に集まることにしてある。
幸助さんにはそう耳打ちしなさった」

「ということは野郎の息のかかったやつだけにその刻限が伝わるってぇ寸法・・・・・・
なるほどさすが鷺山のお頭のなさることには抜け目がねぇ」
粂八はそう呟きながら、さて平蔵にいつどう伝えるかを思案している。

「じゃぁ早速俺は船頭の手配をするから、
お頭には伊三次ってぇ若ぇのが俺の名代で逝くからとよろしく伝えてくれねぇか」

「よし そっちのほうは任せておきなってことよ」
芳兵衛は荷が軽くなったことで足取り軽く帰っていった。

その日の夕刻、粂八が菊川町の役宅に訪れたのは言うまでもない。

「長谷川様、ちょいと厄介なことになりやしたが・・・・・」

粂八から事のいきさつを詳しく聞いた平蔵

「粂よくやってくれた、それで良いそれでなぁ、
いやぁさすがにお前ぇのおっぽれた頭目だけのことはある、
やることが抜け目ねぇ、ところでなぁ粂、人数は定かではないのであろうな」
少し心配なのは手勢のことである。

打ち込みを二手に割かねばならない、万が一逃亡を許せば老中からの叱責は免れない所。
それを案じての平蔵の言葉に

「面目もねぇことで長谷川様、あまり深く突っ込みやすと・・・・・」

「判っておる、心配いたすな粂」
平蔵は粂八の気持ちを軽くしてやろうと気配りをした。

「酒井はおるか!」
平蔵の声にしばらくして筆頭同心酒井祐助が控えた。

「おお 酒井ご苦労だが清水御門前の役宅に出向き明後日夜四つに
目白不動尊に出張る人手を手配りしてはくれぬか、指揮は佐嶋に任す、
お前は日本橋元町の稲荷社を頼む、こっちの方は手練のものがおるようなので、心して掛かれ」
と指図した。

「心得てござります、早速これより清水御門前に」
そそくさと酒井祐助が出て行った。

こうして万全の構えで迎えた押しこみ当日、外は前日からの五月雨で田畑は潤い、
蛙の声があちこちから聞こえてくる。

稲荷社を遠くにじっと潜んでいる盗賊改めは、
平蔵を真ん中に灯りもない暗闇に偲んでいた。

遠くで夜四つの鐘が雨音の中を抜けるように流れてくる。

難波町の菱垣や向かいの辻にある小間物屋の土間にいっ時前から潜んでいる盗賊改めは、
三々五々集まってくる盗賊の人数の把握に余念がなかった。

やがて四丁半ほど先の稲荷社を張っていた粂八が駆けつけてきた。

「長谷川様殆ど揃ったようでございやす、中に侍ぇ風体の浪人が三名、
他は流れ者のようでこっちは五名ほどでございやす」

それを聞いた平蔵
「ご苦労であった、この雨の中をすまねぇなぁ粂八、後は我らに任せておけ、
今聞いた通り浪人は三名ということだ、粗奴らはわしと酒井に任せて、
他の者は残りのものを一人も逃さず召し捕れ、間もなくやって来よう」
平蔵の言葉が闇の中に響いた時雨音の乱れる様子が聞こえてきた。

「来たぞ!」
予め外しておいた表戸を押し倒して一気に打ち出した。

「火付盗賊改方長谷川平蔵である!鷺山の一党観念いたせ!」と呼ばわった。

同時に提灯に灯がともさ龕灯(がんどう)の中に一味の形相が燃え上がった。

「クソぉ殺っちまえ!」
ばらばらと周りを取り囲むように一党が陣をひいた。

ズイと構えを溜めて浪人が身を乗り出した。

「邪魔立てするか!」
平蔵のその言葉を待っていたかのごとく盤石も貫けと激しい突きが平蔵を襲った。

呼吸を揃える間もないがために平蔵わずかに身を開き、
それをかわして右から左へと抜き打ちに胴をはらった。

「ぐへっ!!」
血しぶきを上げながら平蔵の左側に崩れ落ちた。

相手の呼吸を待っての突きはすさまじいものがあった、平蔵の胴着にその痕跡が残っている。
あちこちで激しいしのぎを打ち合わせる音が響き渡っている。

だが事が収まるのにさほどの時はかからなかった。

抗って手向かったため切り捨てたもの五名
十手で打ち砕いたもの三名がガンドウの下で雨に濡れボロ雑巾のように散乱し、
流れ出る血がまるで花のように辺りを染めていった。

骸は戸板に乗せ、捕らえたものは数珠つなぎになって近くの番屋に引き立てられ、
仮の吟味が平蔵によって行われ、朝を待って清水御門前に引き上げた。

暫くして後、盗賊改め役宅に目白不動尊打ち込みの組が佐嶋忠介を筆頭に凱旋してきた。
こちらは抵抗するものは誰もなく、鷺山の嘉兵衛を頭に全員が捕縛された。

平蔵はこの鷺山の嘉兵衛を前に
「お前が鷺山の嘉兵衛だな、俺はこれでお前を二度見た事になる」

その言葉を聞いて嘉兵衛は
「えっ!!」と驚きの声を発した。

「一度はな、船宿鶴やであった」
それを聞いてもまだ合点がいかない様子に

「徳次郎の仇は粂八が取ったぜ」
と嘉兵衛の前に腰を落とし後ろを指さした。

そこには小房の粂八が神妙な顔で控えていた。

「鷺山のお頭・・・・・」
粂八のうなだれた顔を見た嘉兵衛は

「そうか 粂さんおまえさんだったのかい、あはははは、
お前さんに死に水を取ってもらえりゃぁ思い残すことぁねぇ、
恐れいりやした、さすがにお江戸の鬼は恐ろしゅうございますなぁ長谷川様ぁ、
これで冥土の土産も出来たというもんでございますよ、
それにしても粂さん、お前さんいいお頭らにつきなすった。
でぇじにするんだぜ、長谷川様、こいつをよろしくお頼みいたしやす」
と両手をつき平蔵に頭を下げた。

「お頭!」
粂八は我慢しきれず嘉兵衛の前に手をついた。

「かんべんしてくれ、俺ぁお上の狗(いぬ)に身を落としちまった、すまねぇすまねぇ」
と声を上げて泣いた。

「馬鹿野郎、何てぇもったいねぇことを言いやがるんでぇ、
これだけのお人がお前ぇさんをここまで頼りにしてくださっているんだぜ、
有り難ぇ話だぜ粂さん」

こうして鷺山の嘉兵衛一味はそれぞれ評定所で裁きを受け刑が決まった。

幸助一味は死罪、幸助の妹嘉兵衛の女房松は長谷川平蔵殺害幇助の罪で遠島、
鷺山の嘉兵衛一味七名はいずれも島送りとなった。

鷺山の嘉兵衛についてはそのお調書には
(鷺山の嘉兵衛大番屋にて老死)と簡単に書き留められているだけであった。

それから半年、本所扇橋近く石島町の鶴やに
七十(しちじゅう)前とみられる下働きの穏やかな顔の男の姿が見られたが、
それが誰なのか知る者もない。

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5月号 ねぎき鍋


下仁田ネギ

外はみぞれ混じりの師走前、本所二ツ目橋の軍鶏鍋や五鉄。
「おい彦十、こう寒くっちゃぁ何だぁ ほれ!あったけぇもんが恋しくははならねぇかい」

「そりゃもう銕っつあん三島女郎衆がとびっきり、次に控える千住の女郎、
閉めて諦め幕の内ってねぇ。熱々の鍋に高遠の一本葱や千住葱、
深谷葱から矢切葱と数え上げりゃぁ両手が塞がっちまいやさぁ。
けどね、ネギといやぁ この辺りでもう一つ・・・・・」と相模の彦十

「おいもしかして!ネギまとか・・・・・」

「当たり!座布団1枚やっとくれぇじゃぁござんせんがね、
ネギまといやぁ冬の季語ってぇぐれぇのもんで、
さすがぁ当たり前だの百萬石とくらぁね!
ねぎまにゃぁちょいとうるそうござんすよ。

ネギまに合うのは何ったってかかあ天下にからっ風!」

「おい そいつぁ上総国の・・・・・」

「やだねぇそこまで知っていなさるったぁ、
こちとらの出番も失せて下を向きなぁんってね。

当たりも当たり大当たりのコンコンチキ、
下仁田葱ってぇもんで御座んしょう!。

こいつをブッツリ太めに切る、だがお立ち会いとくらぁね、
まな板なんぞで切るなぁとうしろうのやるこってござんすよ!」

「ほほぅ ではどうやって切るってんだぇ?」

「よくぞ訪ねてくだしゃんしたときたもんだ、
岩清水でさっぱり洗った白魚のと言いたくなるようなこの根深、
二っつ3つ小脇に抱え、チョイのチョイのと菜切包丁で素っ首落としやす」

「素っ首たぁ穏やかじゃぁねぇなぁ」

「なぁに所詮は白首ろくろっ首と、ぱぱぱんと切り落とし、こいつを直火で炙りやす。
そうすりゃぁまたまた甘みがまして、そりゃぁもうとろとろの甘葱に変わりやす。

醤油・酒・味醂に昆布と鰹で煮だした出汁で割り下を作りやすがね、
昆布は煮立つ手前で引き上げて粘りを嫌って上品に、
まるでおぼこの白い肌と来たもんだ」

「おい彦十 何と今日のお前ぇは油が回ってよくもまぁ左様にぺらぺらと、
ハァンてぇしたもんだぜ、白粉臭ぇ脂にでもまみれてきたのかえ?」

「こりゃぁお褒めに預かり光栄の行ったり来たりってぇもんでござんしょうかねぇ銕っつあん。
下田葱は焼くに限るってぇやつでござんすよ、
続けてカツオを落として、こっちも煮立つ前に火を落とし、
カツオが沈むまで暫くの待ちぼうけ。

煮立てりゃぁカツオの臭みがお出まし千手(せんじゅ)の観音様、
落ち着きましたら、布で漉し、酒・味醂・醤油を加えて出来上がり。

しいたけ、豆腐を先に煮て、煮立ったところでこの上に程よく切りたるマグロを乗せて、
中火でひいふうみいと色が変わリ目に戴きやす」

「何と講釈聞くだけでこうなんだぁ 
そのぉよだれも出きちまいそうじゃァねぇか!おいまだ食ってはいかんのか?」

「ダメよ~ダメダメ駄目なのよぉ、マグロにネギの香りも移り、
ネギにマグロの脂がからみ、組んずほぐれつ旨味が引き合い究極のネギまと相成りやす。

豆腐、しいたけ・青菜を入れて賑やかに、ちょいと正月料理に飽きた頃、
これに粉山椒を振ってもまたまた美味しくいただけやす。
まぁ下手(げて)物じゃぁござんすがね」

「お前ぇにしちゃぁよく出来てるが、こいつぁ三次郎の受け売りじゃぁねぇのかえ?」

「あいたぁ!さすがは銕っつあんだ、騙せねぇ、お~いおとき酒が切れちまったぜぇ」

「如何でやすこのネギま?」

「うっ 旨ぇ!うむ こってりと脂の乗ったこいつぁ、かなわねぇ、
そんじょそこいらの白首女郎たぁわけが違うぜ彦十」

「さいでやんすかぁ、あっしぁ白首のほうが好みでござんすがねぇ」

「呆れた野郎だ、その白髪頭でまだ口説こうってぇのかえ、
へへん、落とせるもんなら落としてみなよ、なぁおとき」

「はい それは無理と言うもんでしょうねえ長谷川様」

「へぇっ どいつもこいつも食うに食えねぇ焼きハマグリ、
砂がさわって出汁になるぅってかぁ」

ほどほど酔いも回って相模の彦十
「ねぇ銕っつあん八方屋ってぇのをご存知で?」

「おい八百屋じゃぁねぇのかえ?」

「どっこいこいつがふるってやんの 
四方八方なんでも来いってぇところから名付いたそうで、
無鉄砲なの何の、猪獅子みてぇな野郎でござんしてね、
口より手が先に出るから始末が悪い。

誰かれ構わず絡むもんでござんすから、
いつのまにやら野郎のことを皆んなそう呼ぶようになっちまった」

「へぇそんなに喧嘩ぱやいのかえ?」

「早ぇの何ので、手も早ぇ、こないだも弥勒寺前で棒手振りと大げんか、
割って入った御用聞きを平手ですっ飛ばしやがったからいけませんやぁ、
番屋にしょっぴかれて一晩のお泊まりときたもんだ、
野郎すっかりしょげちまって、

朝になったら青菜に塩、かかぁがもらい下げに出向いたら
半月干した大根見てぇにしょぼくれちまって、それでも懲りねぇ八方屋」

これぞと見込んだ奴にゃぁ女郎の世話から見受けの世話、
畳の張替えから障子の具合、床下の手入れからドブ板掃除まで、
銭になることならなんでもござれ、まぁ便利っちゃぁ便利な野郎でござんすよ へい!」

「何と阿呆烏の真似までするのかえ?でそいつがどうした」

それがね銕っつあん両国福井町の米問屋東海屋に鼠が天井裏に巣を造っちまったとかで、
野郎天井裏に潜ったっきり出てこねぇ、かかぁのおしまが心配ぇして
東海屋仁聞きに行ったらその日のうちに帰ぇったて返事で
、神かくしダァなんて騒いでおりやすが、三ツや四ツの餓鬼でもあるめぇしねぇ」

「おいおい 彦!ちょいと待てよ、それじゃァ何かえその何だぁ?
八方屋の名前ぇは何と申した・・・・」

「へぇ彦六で」

「で その彦六だが確かに東海屋はその日の内に帰ぇったと言ったんだな」

「へぇ そのようで・・・・・」

「そいつぁ妙だなぁ東海屋を出たっきり足取りが消えたとなると・・・そ
いつぁ酒や博打はどうなんだえ?」

「それがね 笑っておくんなさいよ、手は早ぇが喧嘩はからっきし、
酒は下戸で付き合いもままならなぇ、丁半博打なんざぁやったこともねぇと、
今どき大黒様の横にでも置いておきてぇくれぇの糞真面目、へへん!面白くも可笑しくもありゃぁしませんやね」

「なるほどのう、聞けば聞くほど妙な野郎だが、
やはりちと気がかりなのは行くかた知れずになったってことよ、
何かがなけりゃぁそうなるはずはねぇ・・・・・」
平蔵少し酔いが冷めてきた思いである。

彦十から出た話の翌日、二本堤の山谷堀土手下に死体が見つかったと番屋に届けがあった。
当番である北町奉行所が確認をとったところでは、身元が行く方知れずの彦六と判明、
死因は絞殺によるものと断定された。

この事件を拾ってきたのはおまさであった。

盗賊改めには直接関係はないものの、平蔵は少々気になっていた。
喧嘩での仕業ならば首を絞めるなんて手間のかかることはやるまい、
同じ殺しなら刃物が早いしそれが常道であるからだ。

「もう一度その東海屋から詳しく探ってみてくれ」
そうおまさに指図を与えた。

このような場合は、小間物などを担いでいるおまさが適役である、
何しろ店の裏方にはおしゃべりの好きな女が一人や二人はかならずいるものである。
案の定、平蔵の読みは的中した。

「中に古株の中居がいまして、あぶらとり紙をこっそり渡して聞きましたら、
あの日彦六は天井裏の鼠の巣を見つけてそれを始末したのが、
昼を回って七つ(午後四時)ころ。

お手当てを頂いて、それを懐に台所でいっぱいお茶を飲んで帰っていったのだそうで
ございますが、その時彦六さんの後をつけるように二人の遊び人が
ついていったそうでございます」

「ふむ そいつらがどこの何者かは判るめぇなぁ」
平蔵腕組みしながらおまさの話を聞いていた。

「あたしもそれは気になったものでございますから、
探ってはみましたが皆目、申し訳ございません」

「ナァにお前ぇのせいじゃぁねぇ気にするな、
すまねぇが粂と彦十に繋ぎを取ってそれからの足取りをもう少し知りてぇ、
聞きこみを続けてはくれぬか?」
平蔵、何か臭うように感じている。

「解りました、早速二人に・・・・」とおまさが出て行った。

彦六の葬儀は簡単なもので、北町から骸を貰い受け、山谷の慶養寺に埋葬された。
二日後、探索をしていた粂八が菊川町の平蔵が役宅に姿を見せた。

「おお 粂 ご苦労だのう、で、何か判ったのだなその面ぁ」

「へぇ 仰るとおりで、彦六の後をつけていた野郎なんでござんすが、
何でも上方訛りの残っていた五十がらみの小柄な男だったようで、
彦十のとっつあんがその辺りを探って、
やっと判ったのが菱垣廻船の船頭だったようでございやす」

「ふむ 上方訛りと聞くからにゃぁそれは大いに有り得る話だのう、
でその先があるのであろう」と先を催促する。

粂八ニヤリを笑って
「そこでさぁ少々苦労は致しやしたが、さすがに相模のとっつあん
まだまだ腕は衰えちゃぁございやせん」

「うんうん でどうした」平蔵さもあらんという顔で粂八に話を促す。

「へぃ地廻りの野郎にちょいとこのぉ・・・」

「鼻薬だなぁ」

「へい 仰る通りで、船頭といやぁ何れもこっち・・」
とツボをかぶらせる仕草に平蔵頷きながら

「で判明いたしたか」

「へぃ いずれも主を持たねぇ流れ船頭、
忙しい時に都合で雇い入れられる野郎たちで、
どうもこいつらぁ素性がよくねぇ、が 汚ぇ仕事も受けるってんで、
結構人気の商売のようで。

この一日そいつらを探して見たんでございやすが、すでに姿は消えたまま・・・・・」

ふ~む 糸が切れたか・・・・・」平蔵少々落胆の様子に

「ですが長谷川様そいつらを雇った雇い主が割れやした」

「おいおい 粂!勿体つけずに早ぇとこ吐いちまいな!
そのまんまじゃぁ身体の毒だははははは」
平蔵消化不良のこの話の先が知りたくてうずううしてきた。

「へぇ 彦十のとっつあんとおまささんとあっしの三人で手分けして探りを入れた所、
どうやらその相手が堺の商人と言う触れ込みの和泉屋太兵衛・・・・・」

「おいちょいと待て!触れ込みだとぉ」
平蔵ここに来てやっと粂八のしたり顔の意味が判った。

そいつぁ商人じゃァなかってぇんだろう」

「仰る通りで、あっしらもこれにゃぁ仰天いたしやした、
何とその野郎の面を拝んで腰を抜かしやしたもんで、へへへへっ!」

「おいおい そいつぁ無かろうぜ、早いとこゲロしちまえ、盗人だったんだろう」

「恐れいりやす、まさにその通り上方からこっちに流しては
ちったぁ知られた盗賊で荒南風(あらはえ)と異名をとった岩蔵」

「何!荒南風の岩蔵だぁ?、聞きなれぬ名だがどんなお勤めをするやろうだ?
凡その見当はつくが」

「へぃ 長谷川様の睨んでおられる通り、
こいつぁ汚ぇ仕事も平気でやってのける危ねぇやろうでございやす。

ただ、問題なのは、こいつと彦六それに船頭のつながりが今一歩読めねぇ、
そこでこうしてあっしが長谷川様に先ずはご報告をと」

「あい判った!よくぞそこまで調べてくれた、ありがてぇ!
そこだがな粂!恐らくは彦六の商売を知って野郎どもが彦六に近づいたのではないかえ?
天井裏といやぁお前ぇどこまでが天井裏だ?」平蔵のしたり顔を見た粂八

「あっ!!」

「そうよ!ここまでってぇ決まりはない、ってぇことは・・・・・」

「金の隠し場所でも近づける」
粂八やっとからくりが解けた思いで手を打った。

「どうもそこんところがとっつあんもおまささんも飲み込めねもんで・・・・・
なるほどそう言う事になりやすか」

「恐らくは彦六にその辺りを吐かせ、後腐れのねぇ様に始末したんだろうぜ」

「なんてぇ汚ぇ野郎だ クソいまいましい」
粂八は吐き捨てるように役宅の床の下を睨んだ。

「よし明日から早速その渡海屋を見張れ!見はり場所も忠吾に申して確保いたせ」
てきぱきと粂八に指図を与えて平蔵、奥に引っ込み、
何やら筆頭与力の佐嶋忠介に指示を与えた。

だが、この事件は一足遅く、その夜半に渡海屋は兇賊によって襲われ
金蔵が天井裏から破られ金子千五百両あまりと藩札三百両分が消えていた。

菊川町の盗賊改めに知らせが入ったのが、平蔵が指示を与えた翌日
素早く平蔵は南町奉行所に通報し、上方行きの船を一斉検問した。

運良く目的の菱垣廻船が捕まった。

意気揚々と踏み込んだ佐嶋忠介は、何一つ証拠になるものを見出すことが叶わず、
南町奉行所町方より
「放免致すよう」
と促され、涙をのんでこれを釈放した。

報告を聞いた平蔵
「何故だぁ 何故盗んだ金が出て来ぬ!
我らがそこまで知り抜いていたことは奴らには判っては居らぬはず、何故だぁ・・・・・・」

「盗んだ金をどうやって運び出す、千両ともなるとかなりの物、
なかなか隠し果せるものではないはず・・・・・・」

(んっ!・・・・・・そうか!奴らは運んじゃぁいねぇんだ!)
「おい 佐嶋!佐嶋はまだ来ぬか!
そこへ佐嶋忠介急ぎ自宅から駆けつけてきた。

「お頭!!」

「おお 佐嶋聞いたであろう!」

「はい 先ほど粂八が繋ぎを取ってまいりまして・・・・・で、何か?」

「うむ 奴らは金を運んじゃぁいねぇんだ、金はまだ江戸のどこかに隠してあるに違いねぇ」

「はぁ この江戸にでございますか」

「なるほど二つ名の異名を持つだけのことはある、こいつぁ切れるなぁ」

「で? お頭は金の隠し場所がお判りになられたので?」

「うむ 恐らくはなぁ、のう佐嶋一番気が付かぬものは何だえ?」

「はぁ いつも身近にありて、左様なことを想わぬ・・・・・あっつ!」

「そうよ、そこよ!俺もこいつにゃぁ気が付かなんだ、
当たり前ぇ過ぎて見逃すところよ、おい粂八が参っておらぬか、
いたらここへ呼んでくれ」と沢田小平次に指図した。

すぐ返事があり、粂八が裏の枝折り戸をくぐって入ってきた。

「おお 粂 ご苦労ご苦労、でお前ぇは彦六が鼠の巣をどこに始末したか
聞いちゃァいねぇかい?」

「へい あっ そういやぁ彦六の死体があった日本堤の山谷堀の・・・・・えっつ!」

「そうだよ、そこだと俺は睨んだ、
人間てぇ者ぁどうも事件の火種の起きたところに舞い戻る習性があるようだぜ、
一度お上の手が入った場所にゃぁ二度と手入れぁねぇ!そう奴は踏んだのだろうよ、
ほとぼりを冷ましてゆっくりと掘り出しても決して遅くはねぇ、そうは想わぬか佐嶋」

「なるほど灯台元暗しと申しますからなぁ、早速現場に参り当たってみます」
と佐嶋は粂八を伴って出て行った。

その夕刻
「おおかしら!やはりお頭のご推察通り、金子と藩札が油紙に丁寧に包まれて
三尺程の穴の中に眠っておりました」と報告が上がった。

ネズミの習性とおんなじよ、くわえ込んだらまず隠す、
なぁうさぎ、お前ぇも隠す割にゃぁばれちまうがな」

「はっ! 何のことやら私には・・・・・」

「おうおう 心当たりはないと申すか」

「はい 一向に左様なことはござりませぬ」

「さようか、 それなればよいが、先日お前ぇを山谷の岡場所の・・・・・」

「えっ! 又誰がそのような、滅相もござりませぬ、私はただ・・・・」

「ただ?・・・・・どうした」

「はぁ ただ そのぉ 通りかかりましたらそのぉ・・・・・・」

「白粉女が声をかけてきて、そのままなすがままと」

「はぁ全くその通りで、ですが私は何もそのようなつもりで・・・・」

「であろうよ、そのまま一時身を休めたということだな」

「ははっ まことに申し訳もござりません、この木村忠吾一生の不覚」

「であろう もう何度不覚を取ったやら ヤレヤレ見上げたもんだよ屋根屋のふんどしかぁ」

「はぁ~・・・・・・」

「いや何な てェしたもんだよカエルのションべンと申してな、
お前ぇのように面にションベンかけられても動じねぇ・・・・・
いやぁてぇしたもんだなぁ佐嶋、わは わはは わぁっはっは」

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4月号  深川


永代橋と佃 



 

その日平蔵は本所菊川町の役宅から昼前に出かけた。

「ちょいと所用を思い出した」
と妻女の久栄に用意をさせて、供もなくゆらと出かけた。

西に足を取り伊予橋を渡ったところで、
長桂寺前を歩いてくる二人連れの一人が駆け出してきたのが目についた。

「長谷川様ぁ」
息せき切ってやってきたのは黒田麟太郎

「おお!麟太郎ではないか!」
平蔵はこの若者黒田麟太郎とはひょんなことから知り合った。

当時江戸市中を震え上がらせていた残虐非道の盗賊
垈塚の九衛門(ぬたずかのきゅうえもん)一味の押し込み先を
漏れ聞いたことが元で黒田左内の養子となり、黒田家を引き継いだ若者である。

平蔵がこの若者と本八丁堀の稲荷社で出くわせ、
それが元で平蔵は窮地に陥るが黒田左内の娘、
染の献身的看護で一命を取り留めたという事件があった。

「長谷川様、本日は遅いお出かけで・・・・」
と笑顔が冬の風のなかではつらつと輝く。

「うむ ちょいと用を思い出してな、ところで今日は御役目かな?」
と、足早によってくる同心姿の男を認めた。

「はい 南町奉行所本所深川周り同心小村芳太郎さまと
見習いのお供でございます」

「おおそいつはご苦労だなぁ、お父上はお変りないか?」

「はい、父上は少し風邪気味なれどお元気でございます、
それと姉上もお忙しくなさっておいででございます」と告げた。

「おお染どのもお変わりはないか!」平蔵はこの一言で安堵した。

そこへ小村芳太郎がやってきて「長谷川様、
ご苦労様でございます」とねぎらいの言葉をかけてきた。

「うむ 筑前守様はあれからどうなされた?」
と盗賊垈塚の九衛門の事後を尋ねた。

「はい 評定所にて首領の九衛門と3名が獄門、
残りの6名は遠島と定まり、それぞれ処されました」

「おお では筑前守様も肩の荷が下りたことでござろう、
いやめでたいことじゃ」と平蔵五間堀の川面のゆらめきに目をやった。

「おおそうじゃ、わしは今から弥勒寺によるが、如何かな?団子でも共に・・・・・」
と小村芳太郎を見た。

「ああ 左様で御座いますなぁ、ちょうど昼時、のう麟太郎」と供の麟太郎を見た。

「あっ はい!まことに・・・・・」と麟太郎は二人の顔を見上げた。

「よし!そうと決まれば善は急げだ、あはははは」
平蔵は先に立って弥勒寺に足先を向けた。

弥勒寺門前の茶店笹屋の奥につかつかと入リながら平
「蔵「お熊はおるか!」と声をかけた。

奥の方からシワ枯れた声が威勢よく飛び出してきた。

「誰でぃ気やすくおらの名を呼び捨てにするなぁ、
そこらのゴロツキでもおらにはちったぁ気ぃ使ってさんずけで呼ぶのによぉ」
とぶつぶつ言いながら、にしめたような色の前掛けで手を拭きながら出てきたが、
平蔵を一目見るなり飛び上がらんばかりに細い眼をシワクチャにして叫んだ

「銕っつあんじゃぁねぇけ!
嬉しいねぇこのおクマのことを忘れてなんかいねぇんだねぇ」
と首っ玉にかじりつきそうに擦り寄ってくる。

「おい おクマお客さんだぜ」平蔵はヘキヘキした顔でおクマをいさめる。

「あれぇお客さんかえ、おらには見えなんだもンでよぉ」としゃぁしゃぁとしている。

「で 銕っつあんこの若ぇのは又誰だい?中々の男前で、
うひひひおらの好みじゃァねぇか」

熊の目線を浴びて麟太郎は少々引いている。

「おいおい 麟太郎、このお熊はな、
口は悪いが中身は見かけほどのものではない、
安心いたせ」と、笑いながら緊張しきっている麟太郎の顔を愉快そうに眺めた。

「そうだよぉ 何も取って食おうってんじゃぁねぇよう、
銕っつあんの知り合ぇならそりゃぁもう・・・・・へへへへ」
と歯抜けのシャワクチャな顔を更にシワクチャにして麟太郎を見た。

「おい おクマ、そんなことはどうでも良い、
早く団子を持ってきてくれ」と平蔵が助け舟を出す。

「このおクマはな、わしがまだ入江町で無頼の暮らしを
していた頃からの知り合いよ、時にゃぁこの奥に居候したこともある、
まぁそんなことから今もちょくちょくネタを仕込んでくれるし、
この妖怪のような婆婆も色々と都合が良いのじゃ。

おまけにこの笹屋の団子、こいつが又中々イケる、まずは食ってみろ」
平蔵は皿を麟太郎に渡しながら

「小村殿も如何かな?あやつの顔ほど毒気はござらんあははははは」
と笑いながら皿を薦めた。

「ははっ! 頂戴つかまつります」小村芳太郎はおクマの
毒気にあたって少々顔が引きつって見える。

「美味しい!」
まず麟太郎が大声で叫んだ、小村も続いて
「まさに!」と口を揃えた。

奥から茶を出しながら
「当たり前ぇでぇこのお熊の笹だんごは将軍様でも旨ぇとおっしゃるはずでぃ」
と喩えは大きい。

「おいおいおクマ!将軍様はここだけの話にしとくんだぜぇ」
と平蔵がニヤニヤ笑いながら茶をすする。

「しかし長谷川様、驚きました、このようなところであのような・・・・」と
、眼をまんまるに見開く麟太郎。

「うむ お前ぇにゃぁまだ会わせてはおらぬが、
本所二ツ目橋の五鉄ってぇ軍鶏鍋屋の所におる
相模の彦十ってっぇのがおってのう、
こいつとこのおクマが揃った日にゃぁお前ぇ軍鶏の喧嘩みたいなんだぜぇ」
平蔵は思い出し笑いをこらえながら小声で麟太郎に耳打ちした。

すると奥からお熊が
「銕っつあん何か言ったけぇ、軍鶏がどうとか聞こえたけんじょよぉ」
と言いながら小芋の煮っころがしを皿に乗せて持ってきた。

「おクマ、お前ぇ耳だけは達者だのう!」
平蔵がわざと大声で言うと「だけはよけいだけんじょよ、
おいら近頃とんと耳が遠くなっちまってよぉ、
いけねぇいけねぇいよいよ聞こえねぇよぉ銕っつあんどうしようよ、ねぇ」

「はぁ口の減らない婆ぁさんだ、地獄耳とはよく言うがな、
都合の良い時だけ聞こえるってぇのは便利なものよのう麟太郎」
とふられて麟太郎、小芋の煮付けを口に運んだままこっくりうなずく。

「わぁっはっはぁ!お前ぇは正直者だなぁ」
平蔵は腹の底から笑い転げた。

ゆっくりと団子と小芋の煮付けで腹ごしらえして立ち上がる平蔵に
「銕っつあん又寄っとくれよぉ、おらいつでも待ってっからよぉ、うへへへへへ」
と流し目をくれた。

「ったくお前ぇの毒はいつになったら消えるものやら、おおくわばらくわばら」
と平蔵切って返し麟太郎に目配せして

「ところでおクマ酒粕はねぇかい?」

「アレぇ銕っつあん又何をしようってぇんだい?
粕ならすぐそこにあるけんじょ、おらがもらってきてやるよぉ、
ちょいと待ってな」
と気安く出かけ平蔵たちが茶を飲んでいる間に戻ってきた。

「おうすまねぇ手間をかけたなお熊、こいつで足りるかえ?」
と二朱をおクマに握らせて店を出た。

「銕っつあんいつも済まないねぇ」
平蔵の渡した二朱を懐に入れながら歯の抜けた顔でニタニタと笑いながら
「お前さんもいつだって寄って行きな!銕っつあんの口利きだぁ、
この界隈のことぁこのお熊に任せておきなってことよ」
と麟太郎の袖を掴んだ。

「あっ !はい!よろしくお願いいたします」
と麟太郎、どう返事をして良いものやらしどろもどろで応えた。

おクマ婆ぁは
「かわいいねぇまっこと可愛いいじァないかねぇ」
と舐めるように麟太郎を見やったもんだ。

この老婆の毒気に当たったようによろめきながら
麟太郎は小村芳太郎の後に続いた。

「小村様、驚きましたねぇあのお熊という老婆には・・・・・」

「うん だがなぁ麟太郎、あのような連中の中で今の長谷川様は
御役目を全うなさっておられるのだよ、
我らにはどうにも届かぬ眼の奥でつながりを持たれ、
それらを目鼻のように操られて市中を守っておられるのだ、

俺なんかとてもとても長谷川様の足元にも及び付かないそのように想う」
と小村芳太郎は平蔵の去っていった方角を見つめていた。

平蔵はといえば、おクマの持ってきた酒粕をぶらぶらさせながら、
弥勒寺橋に戻り、これを渡ってまっすぐに南下、
南森下町を通り太田備中守下屋敷を左に見ながら高橋を越えた。

左手には寛永元年霊巌上人の開山で日本橋に創建されたものだが
、明暦の大火で消失し、万治元年にこの深川に移転した霊巌寺があり、
境内には江戸六地蔵の五番目が安置されているということで、
訪れる人も絶えない状況である。

番屋を過ぎたところから正覚寺橋を越え、
道なりに万年町、平野町に相対して居並ぶ寺の家並みの白壁をゆるりと南に下った。

海福寺門前で棒手振りが冷水で洗いたての練馬大根を売っていた。
「うむ こいつぁ美味そうじゃぁ一括りくれぬか」
平蔵何やら胸に想うたものがあるらしく口元が緩んでいる。

そのまま道なりに進むと冨岡橋が見えてきた。
油堀に架かる奥川橋を越えて蛤丁の門を曲がれば
万徳院円速寺の大屋根が覗く北川町に出る。

この中程に平蔵が目指す黒田左内の居宅がある。
油堀を挟んで真田信濃守の広大な中屋敷の白壁が
美しくその姿を油堀に写し、
春ともなれば庭の桜が見事にその風情を見て取ることが出来る。

木戸をくぐり
「居られるかな?」と奥に声をかける。

その声を聞きつけて中から
「長谷川様でございますか」と華やいだ声が出迎えた。

「おう 染どのもご在宅か、先ほど弥勒寺そばで麟太郎と出会いもうした、
聞けば親父どのが少々風邪気味と伺いまかりこしたが、如何でござろう?」
と応えた。

「よくまぁお運びで、父上もさぞやお喜びになられる事でございましょう」
と染がにこやかに出迎えた。

平蔵は奥の部屋に向かって
「親父どのご無沙汰いたし申し訳ござらぬ」と声をかけた。

大判縞の丹前に包まれて左内が襖の向こうから首をのぞかせ
「いやお恥ずかしき限り、これこの通りまるで痩せ達磨じゃぁあはははは」
と、久しぶりに見る平蔵を喜びいっぱいの顔で迎えた。

「染どの、こいつで親父殿の風邪を吹き飛ばそうと提げて参った」
平蔵は染に大根と酒粕を手渡した。

「まぁ真っ白に、ほんにきれいな清白(すずしろ)と・・・・・・」言いかけたものへ

「いやぁ 染どのには叶いませぬわいのう親父どの」
と、平蔵褒めたつもり・・だが・・・

「まぁ長谷川様、私はこれほど太ぅはござりませぬ!」
とむくれた染の言葉に平蔵と左内、顔を見合わせ??????

一瞬の間を置いて左内が
「わぁはははははっ!これはしたり平蔵殿!
染はおそらく己の脚と踏んだようにござりますぞ」
と可笑しくてたまらぬように腹を抱えて笑う。

「なななっ 何と・・・・・・」
平蔵も左内の言葉にやっと気づいたようで

「やっ これはしたり、わしはそのような意味で申したのではござらぬよ、
のぅ親父どの」と左内に救いを促すが、・・・・・

「まぁ ではどのようなおつもりで申されたのか
お聞かせ願わしゅうございます」
と唇を真一文字に結んで染は平蔵と左内を見据えた。

「これ染!平蔵殿はそなたの脚を例えたのではない、のぅ平蔵殿」
と苦笑いをしつつ平蔵を見た。

「全く全く、わしにはそのような腹蔵はござらぬ、
染どのの色が白いを褒めたつもりでござるに、いやはや・・・・・
これは困った、染どのに臍を曲げられてはこれは叶わぬ、
許されよのぅ染どの、これこの通りじゃぁ」平蔵半分べそを?きながら染をみる。

「おほほほほほ、はじめから承知致してございます、
でもちょっと長谷川様の困ったお顔が見とぅて、うふふふふふ」
と染がイタズラっぽい眼で平蔵の顔を盗み見るように見返した。

染の笑顔に白い歯が浮かんで、
このすきまほどの時間の楽しさを味わっているようであった。

「やれやれ わしは冷や汗をかいてしもぅた」
平蔵鬢を掻きながら染を見る、そのやりとりに

「久しぶりに笑ぅて風邪がどこかに飛んでゆきそうじゃ」
と左内も火鉢を平蔵に勧めながら炭を足した。

「親父どの、麟太郎は見習いのお勤めをちゃんとこなしておるようで、
身共も安心いたしましたぞ、

先ほど弥勒寺傍で同心の小村芳太郎殿と連れ立っておる所に出くわしたおり、
中々しっかりとした出で立ちに安堵いたした。
暫くは大変ではござろうが、何卒よしなにお願い申す」と軽く頭を下げた。

「いやいや長谷川殿、ご貴殿のなかだちにて麟太郎を
この黒田家の後継ぎとすることもご老中よりお許しが出て、
身共はこの上なき幸せ者と想うてござります、

ご覧のとおり今では染は嫁ぐ気なぞ全くなく、
このままでは黒田家は我が身代でおしまいかと想うておりましただけに、
この度の麟太郎の養子縁組に長谷川殿が後見人を買うて出て下さり、
お奉行様もならば良かろうと私の持ち場であった
深川見回りの小村芳太郎殿に見習いとして従けてくださりました
、まことにかたじけのうござります」と深々と頭を下げた。

「あっ! こりゃぁいかん、染どの忘れるところであった、先ほどの大根じゃが・・・・」
と左内の気持ちを軽くしようと返事をはぐらかせて
「こんにゃくはござるかの?それとニンジンに油揚げなぞあらば申し分なし」

「それならば今朝ほど棒手振り商いから求めたばかりでございますが、
いったい何が出来るのでございます?」と興味はすでにそっちのほうに移っている。

「うむ こっくり汁と申してな、まぁ出来てみればなるほどとうなうく味」

「まぁそれでこっくり汁?」
と染は平蔵の傍に寄り添って平蔵の講釈を聞きながら支度に掛かった。

「先ずは大根と人参、それにコンニャクを拍子切りに揃え油揚げも刻んでおき、
昆布で出し汁を取って酒を入れ、大根ニンジン油揚げを入れてしばらく煮込む。

煮立ったならばそこにコンニャクを滑りこませ、龍野の薄口醤油、
下総の行徳塩、隠し味に岡崎の八丁味噌・・・・・・・

ここいら辺りでちょいと味見を、ここが先ずは第一の関門・・・・・ふむふむ・・・・・
も少し味噌を加えて、どれどれ」

「まぁっ 長谷川様お一人で味見とはずるぅございますよ、染にも一口・・・・・
平蔵と鍋の間に割って入って・・・
まぁこれはまた美味しゅうございますねぇ、やわらかな味が味噌の薫りに包まれて」
と平蔵の顔を見上げる。

染のひとときの満ち足りた顔を眺めながら
「身共だけが蚊帳の外でござるなぁ」とすねてみせる左内であった。

「まぁ親父どのには仕上げの味元を残しておりますぞ、
のう染どの、あっはあっは、では酒粕をゆっくり溶かしながら入れてくだされ、
最後の一振りに胡椒を少々、これが最も肝要でござるよ」
平蔵はふうふう言いながら小皿に取った粕汁をすすってみせる。

「あっ!ずる~い!お一人だけとは許せませぬ」と染はその小皿を取り上げ・・・・・・・

「ほんに これならば父上のお風邪もどこかに飛んでゆきますわ」とご満悦である。

「青ネギをたっぷり、こいつが更に旨味を引き出し申す」と平蔵が講釈を締めくくる。

「まこと 長谷川様はなんでもよくご存知でございますねぇ、
さぞや小料理屋への出入りも・・・・・」
と意味深な染の目つきに平蔵大慌てで

「いやっ これは身共の配下にて料理にかけては中々の者から
聞いたものでござるよ染どの」
と脛に傷持つ平蔵としてはここで墓穴を掘ってははならじと応戦する。

「まぁ何処へお出かけになられましょうともよろしゅうございますがねぇ父上」
と今度は左内に下駄を預ける。

「やれやれ、いやまるで猫のじゃれ合いを見ておるようで、
あははははは、まことに温もりとは、かようなものを申すのでござろうか」
左内は運ばれた粕汁にたっぷり懸けられた青ネギの薫りに目をつむり、
ゆっくりと大きな吐息をもらした。

「のう平蔵殿、人は何を持って幸せと想うものでござろう・・・・・・
身共はこのひとときを愛しいとおもいまする、
生きておらばこそとこの生命永らえられるならその時までを
このままであってくれたらと想いまする」

真冬日の寒さの中に左内は、温もりに包まれて少し障子を開けた庭に咲く
寒椿の紅色に重ねていた。

ゆっくりとした時を過ごした後、平蔵は左内の家を辞し
永代橋を渡り、船番屋を通り過ぎ、豊海橋を渡って南新堀から二ノ橋に向かった。

白銀町を北に上がって長崎町を左に折れ
圓覚寺橋木稲荷の前を通って東湊町を左折南下して高橋を越えた。

南側には鉄砲洲浪よけ稲荷がこんもりとした丘の上に見える。
過日平蔵が麟太郎と出会った件の稲荷社である。

南八丁堀を西に真福寺橋たもとを左に折れて新庄美作守下屋敷を
木挽町の紀伊國橋を渡って左に三十間堀四丁目を右折して
数寄屋橋御門をくぐって南町奉行所へと出た。

ちょうど池田筑前守は執務中で、少し待たされた後
「遅くなり申し訳なし」と平蔵の待つ控えにやってきた。

「筑前守様ご多忙の中突然まかり越しましたる儀何卒お許し願わしゅう存じます」
と頭を下げた。
「いやいや長谷川殿こちらこそ、此度の事件お見事なる解決にて、
わしも肩の荷を下ろし申した、礼を言いますぞ」と労ってくれ、

「先の南町奉行所深川見回り与力黒田左内の養子の件、
長谷川殿の後見ということもあり、老中も即刻黒田家の与力復権をお認めくだされた。

わしにとっても左内はかけがえのなき者にて
お役御免を申し出て参った折にはいささか困惑いたした。
何としても惜しい者であったからのう」
とこの度の事を心より喜んでいる様子に平蔵ほっと胸なでおろす心地であった。

「で、何か外に気がかりなことでもござるかな?」とにこやかに平蔵の顔を見た。

「あっ いえこの度は筑前守様のお骨折りにより肥前より出て参った
黒田麟太郎の養子縁組をご快諾頂き、
おかげ様にてあの少年の行く末が黒田左内殿に取りましても
良き結果に結びつき、その件につきご尽力賜りました筑前守様に
御礼を申し上げねばと長谷川平蔵本日はまかりこしましたる次第、
まことにかたじけのうござりました、

つきましては麟太郎に元服いたさせたき存念にて、
願わくば筑前守様にそのお許しを頂きたくこうして改めてお願いに」
平蔵は深々と低頭したが、

「何を申される長谷川殿、身共もそこもとの父上には京で真世話に相成り申した、
相身互いじゃ、お気にめさるな、あはははは」
と平蔵の気持ちを和らげようと明るく笑い声を上げた。

こうして平蔵はこの度の麟太郎元服の許しを得、
我が身の中で一つの区切りがついた思いで安堵した。

菊川町役宅に戻る途中を、平蔵は再び黒田左内の長屋に訪れた。
「染どのは・・・・・」

平蔵が染の顔を目で追うのを左内は見て取り
「先程桔梗屋に参りました」と残念そうに伝えた。

その時表から
「父上只今戻りました」と麟太郎がお勤めから戻ってきた様子

「おお ご苦労であった!」その声を聞いた麟太郎ガ

「長谷川様本日はまことに思いもかけない人にご紹介にあずかりました、
麟太郎少々驚きましたが、気持ちのよいお婆婆さまでございました」
と礼を述べるのを受けて平蔵

「まさに妖怪であったろう?どうじゃな?」と少しいたずらっぽい目で麟太郎を見た。

「ああっ いえそれほどのことではござりませんでした、
初めはちょっと驚きましたが口の悪い割には優しい方と思いました」

「ふ~ん あいつにぁ食われるでないぞ、あぁ見えても山姥の如き婆婆じゃからなぁ 
わははははは」と麟太郎の顔をまじまじと見つめた。

「さっ 左様でございますか?」
平蔵の脅しにちょっと腰を引きかけた麟太郎を見て左内が

「その婆婆様は如何なお人であった?」
と興味津々の言葉に

「いやぁ昔身共が世話になり申した弥勒寺界隈では
知らぬものも居らぬ名物婆婆でござって、
ちょうど昼前にその弥勒寺近くでこの麟太郎と
同心の小村芳太郎殿に出会ぅたので、ちょっと紹介をいたしたまで、のぅ麟太郎。

ところで親父どの、先ほど南町奉行所に出かけ、
筑前守様より麟太郎元服のお許しを頂いて参った」
平蔵嬉しそうに事の次第を左内に話した。

「まことでございますか!」
左内も麟太郎も飛び上がらんばかりに喜んだ。

「うむ そこでじゃが、初冠(ういこうぶり)を致さねばならぬ、
総角(みずら)を改めて冠下の髷(かんむりしたのもとどり)を結い、
烏帽子親によって前髪を剃り月代にし、

それまでの幼名を廃して元服名の諱(いみな)を新たにつけねばならぬが、
親父どの、さてさていかが致しましょうや」

平蔵もこのワクワク感は嫡男辰蔵で、体験は久しぶりである。

「これはもう烏帽子親は長谷川様以外ございますまい、のう麟太郎」と左内。

「はい 私も左様に思います、何卒この麟太郎の烏帽子親にお願い致します」
と手放しである。

「あい判った、では身共の蔵を取り、
親父殿からも一字頂戴いたして黒田蔵人宣内は如何でござろう?」と述べた。

「黒田蔵人宣内でござりますか!
これに最早意義の申す者なぞおりましょうや!のう麟太郎!」
左内と麟太郎は小躍りして歓びを表した。

後、この黒田麟太郎改め御家人黒田蔵人宣内は長谷川平蔵の嫡男辰蔵、
(後の先手弓頭宣義)の懐刀として活躍する事になる。


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その日平蔵は本所菊川町の役宅から昼前に出かけた。

「ちょいと所用を思い出した」
と妻女の久栄に用意をさせて、供もなくゆらと出かけた。

西に足を取り伊予橋を渡ったところで、
長桂寺前を歩いてくる二人連れの一人が駆け出してきたのが目についた。

「長谷川様ぁ」
息せき切ってやってきたのは黒田麟太郎

「おお!麟太郎ではないか!」
平蔵はこの若者黒田麟太郎とはひょんなことから知り合った。

当時江戸市中を震え上がらせていた残虐非道の盗賊
垈塚の九衛門(ぬたずかのきゅうえもん)一味の押し込み先を
漏れ聞いたことが元で黒田左内の養子となり、黒田家を引き継いだ若者である。

平蔵がこの若者と本八丁堀の稲荷社で出くわせ、
それが元で平蔵は窮地に陥るが黒田左内の娘、
染の献身的看護で一命を取り留めたという事件があった。

「長谷川様、本日は遅いお出かけで・・・・」
と笑顔が冬の風のなかではつらつと輝く。

「うむ ちょいと用を思い出してな、ところで今日は御役目かな?」
と、足早によってくる同心姿の男を認めた。

「はい 南町奉行所本所深川周り同心小村芳太郎さまと
見習いのお供でございます」

「おおそいつはご苦労だなぁ、お父上はお変りないか?」

「はい、父上は少し風邪気味なれどお元気でございます、
それと姉上もお忙しくなさっておいででございます」と告げた。

「おお染どのもお変わりはないか!」平蔵はこの一言で安堵した。

そこへ小村芳太郎がやってきて「長谷川様、
ご苦労様でございます」とねぎらいの言葉をかけてきた。

「うむ 筑前守様はあれからどうなされた?」
と盗賊垈塚の九衛門の事後を尋ねた。

「はい 評定所にて首領の九衛門と3名が獄門、
残りの6名は遠島と定まり、それぞれ処されました」

「おお では筑前守様も肩の荷が下りたことでござろう、
いやめでたいことじゃ」と平蔵五間堀の川面のゆらめきに目をやった。

「おおそうじゃ、わしは今から弥勒寺によるが、如何かな?団子でも共に・・・・・」
と小村芳太郎を見た。

「ああ 左様で御座いますなぁ、ちょうど昼時、のう麟太郎」と供の麟太郎を見た。

「あっ はい!まことに・・・・・」と麟太郎は二人の顔を見上げた。

「よし!そうと決まれば善は急げだ、あはははは」
平蔵は先に立って弥勒寺に足先を向けた。

弥勒寺門前の茶店笹屋の奥につかつかと入リながら平
「蔵「お熊はおるか!」と声をかけた。

奥の方からシワ枯れた声が威勢よく飛び出してきた。

「誰でぃ気やすくおらの名を呼び捨てにするなぁ、
そこらのゴロツキでもおらにはちったぁ気ぃ使ってさんずけで呼ぶのによぉ」
とぶつぶつ言いながら、にしめたような色の前掛けで手を拭きながら出てきたが、
平蔵を一目見るなり飛び上がらんばかりに細い眼をシワクチャにして叫んだ

「銕っつあんじゃぁねぇけ!
嬉しいねぇこのおクマのことを忘れてなんかいねぇんだねぇ」
と首っ玉にかじりつきそうに擦り寄ってくる。

「おい おクマお客さんだぜ」平蔵はヘキヘキした顔でおクマをいさめる。

「あれぇお客さんかえ、おらには見えなんだもンでよぉ」としゃぁしゃぁとしている。

「で 銕っつあんこの若ぇのは又誰だい?中々の男前で、
うひひひおらの好みじゃァねぇか」

熊の目線を浴びて麟太郎は少々引いている。

「おいおい 麟太郎、このお熊はな、
口は悪いが中身は見かけほどのものではない、
安心いたせ」と、笑いながら緊張しきっている麟太郎の顔を愉快そうに眺めた。

「そうだよぉ 何も取って食おうってんじゃぁねぇよう、
銕っつあんの知り合ぇならそりゃぁもう・・・・・へへへへ」
と歯抜けのシャワクチャな顔を更にシワクチャにして麟太郎を見た。

「おい おクマ、そんなことはどうでも良い、
早く団子を持ってきてくれ」と平蔵が助け舟を出す。

「このおクマはな、わしがまだ入江町で無頼の暮らしを
していた頃からの知り合いよ、時にゃぁこの奥に居候したこともある、
まぁそんなことから今もちょくちょくネタを仕込んでくれるし、
この妖怪のような婆婆も色々と都合が良いのじゃ。

おまけにこの笹屋の団子、こいつが又中々イケる、まずは食ってみろ」
平蔵は皿を麟太郎に渡しながら

「小村殿も如何かな?あやつの顔ほど毒気はござらんあははははは」
と笑いながら皿を薦めた。

「ははっ! 頂戴つかまつります」小村芳太郎はおクマの
毒気にあたって少々顔が引きつって見える。

「美味しい!」
まず麟太郎が大声で叫んだ、小村も続いて
「まさに!」と口を揃えた。

奥から茶を出しながら
「当たり前ぇでぇこのお熊の笹だんごは将軍様でも旨ぇとおっしゃるはずでぃ」
と喩えは大きい。

「おいおいおクマ!将軍様はここだけの話にしとくんだぜぇ」
と平蔵がニヤニヤ笑いながら茶をすする。

「しかし長谷川様、驚きました、このようなところであのような・・・・」と
、眼をまんまるに見開く麟太郎。

「うむ お前ぇにゃぁまだ会わせてはおらぬが、
本所二ツ目橋の五鉄ってぇ軍鶏鍋屋の所におる
相模の彦十ってっぇのがおってのう、
こいつとこのおクマが揃った日にゃぁお前ぇ軍鶏の喧嘩みたいなんだぜぇ」
平蔵は思い出し笑いをこらえながら小声で麟太郎に耳打ちした。

すると奥からお熊が
「銕っつあん何か言ったけぇ、軍鶏がどうとか聞こえたけんじょよぉ」
と言いながら小芋の煮っころがしを皿に乗せて持ってきた。

「おクマ、お前ぇ耳だけは達者だのう!」
平蔵がわざと大声で言うと「だけはよけいだけんじょよ、
おいら近頃とんと耳が遠くなっちまってよぉ、
いけねぇいけねぇいよいよ聞こえねぇよぉ銕っつあんどうしようよ、ねぇ」

「はぁ口の減らない婆ぁさんだ、地獄耳とはよく言うがな、
都合の良い時だけ聞こえるってぇのは便利なものよのう麟太郎」
とふられて麟太郎、小芋の煮付けを口に運んだままこっくりうなずく。

「わぁっはっはぁ!お前ぇは正直者だなぁ」
平蔵は腹の底から笑い転げた。

ゆっくりと団子と小芋の煮付けで腹ごしらえして立ち上がる平蔵に
「銕っつあん又寄っとくれよぉ、おらいつでも待ってっからよぉ、うへへへへへ」
と流し目をくれた。

「ったくお前ぇの毒はいつになったら消えるものやら、おおくわばらくわばら」
と平蔵切って返し麟太郎に目配せして

「ところでおクマ酒粕はねぇかい?」

「アレぇ銕っつあん又何をしようってぇんだい?
粕ならすぐそこにあるけんじょ、おらがもらってきてやるよぉ、
ちょいと待ってな」
と気安く出かけ平蔵たちが茶を飲んでいる間に戻ってきた。

「おうすまねぇ手間をかけたなお熊、こいつで足りるかえ?」
と二朱をおクマに握らせて店を出た。

「銕っつあんいつも済まないねぇ」
平蔵の渡した二朱を懐に入れながら歯の抜けた顔でニタニタと笑いながら
「お前さんもいつだって寄って行きな!銕っつあんの口利きだぁ、
この界隈のことぁこのお熊に任せておきなってことよ」
と麟太郎の袖を掴んだ。

「あっ !はい!よろしくお願いいたします」
と麟太郎、どう返事をして良いものやらしどろもどろで応えた。

おクマ婆ぁは
「かわいいねぇまっこと可愛いいじァないかねぇ」
と舐めるように麟太郎を見やったもんだ。

この老婆の毒気に当たったようによろめきながら
麟太郎は小村芳太郎の後に続いた。

「小村様、驚きましたねぇあのお熊という老婆には・・・・・」

「うん だがなぁ麟太郎、あのような連中の中で今の長谷川様は
御役目を全うなさっておられるのだよ、
我らにはどうにも届かぬ眼の奥でつながりを持たれ、
それらを目鼻のように操られて市中を守っておられるのだ、

俺なんかとてもとても長谷川様の足元にも及び付かないそのように想う」
と小村芳太郎は平蔵の去っていった方角を見つめていた。

平蔵はといえば、おクマの持ってきた酒粕をぶらぶらさせながら、
弥勒寺橋に戻り、これを渡ってまっすぐに南下、
南森下町を通り太田備中守下屋敷を左に見ながら高橋を越えた。

左手には寛永元年霊巌上人の開山で日本橋に創建されたものだが
、明暦の大火で消失し、万治元年にこの深川に移転した霊巌寺があり、
境内には江戸六地蔵の五番目が安置されているということで、
訪れる人も絶えない状況である。

番屋を過ぎたところから正覚寺橋を越え、
道なりに万年町、平野町に相対して居並ぶ寺の家並みの白壁をゆるりと南に下った。

海福寺門前で棒手振りが冷水で洗いたての練馬大根を売っていた。
「うむ こいつぁ美味そうじゃぁ一括りくれぬか」
平蔵何やら胸に想うたものがあるらしく口元が緩んでいる。

そのまま道なりに進むと冨岡橋が見えてきた。
油堀に架かる奥川橋を越えて蛤丁の門を曲がれば
万徳院円速寺の大屋根が覗く北川町に出る。

この中程に平蔵が目指す黒田左内の居宅がある。
油堀を挟んで真田信濃守の広大な中屋敷の白壁が
美しくその姿を油堀に写し、
春ともなれば庭の桜が見事にその風情を見て取ることが出来る。

木戸をくぐり
「居られるかな?」と奥に声をかける。

その声を聞きつけて中から
「長谷川様でございますか」と華やいだ声が出迎えた。

「おう 染どのもご在宅か、先ほど弥勒寺そばで麟太郎と出会いもうした、
聞けば親父どのが少々風邪気味と伺いまかりこしたが、如何でござろう?」
と応えた。

「よくまぁお運びで、父上もさぞやお喜びになられる事でございましょう」
と染がにこやかに出迎えた。

平蔵は奥の部屋に向かって
「親父どのご無沙汰いたし申し訳ござらぬ」と声をかけた。

大判縞の丹前に包まれて左内が襖の向こうから首をのぞかせ
「いやお恥ずかしき限り、これこの通りまるで痩せ達磨じゃぁあはははは」
と、久しぶりに見る平蔵を喜びいっぱいの顔で迎えた。

「染どの、こいつで親父殿の風邪を吹き飛ばそうと提げて参った」
平蔵は染に大根と酒粕を手渡した。

「まぁ真っ白に、ほんにきれいな清白(すずしろ)と・・・・・・」言いかけたものへ

「いやぁ 染どのには叶いませぬわいのう親父どの」
と、平蔵褒めたつもり・・だが・・・

「まぁ長谷川様、私はこれほど太ぅはござりませぬ!」
とむくれた染の言葉に平蔵と左内、顔を見合わせ??????

一瞬の間を置いて左内が
「わぁはははははっ!これはしたり平蔵殿!
染はおそらく己の脚と踏んだようにござりますぞ」
と可笑しくてたまらぬように腹を抱えて笑う。

「なななっ 何と・・・・・・」
平蔵も左内の言葉にやっと気づいたようで

「やっ これはしたり、わしはそのような意味で申したのではござらぬよ、
のぅ親父どの」と左内に救いを促すが、・・・・・

「まぁ ではどのようなおつもりで申されたのか
お聞かせ願わしゅうございます」
と唇を真一文字に結んで染は平蔵と左内を見据えた。

「これ染!平蔵殿はそなたの脚を例えたのではない、のぅ平蔵殿」
と苦笑いをしつつ平蔵を見た。

「全く全く、わしにはそのような腹蔵はござらぬ、
染どのの色が白いを褒めたつもりでござるに、いやはや・・・・・
これは困った、染どのに臍を曲げられてはこれは叶わぬ、
許されよのぅ染どの、これこの通りじゃぁ」平蔵半分べそを?きながら染をみる。

「おほほほほほ、はじめから承知致してございます、
でもちょっと長谷川様の困ったお顔が見とぅて、うふふふふふ」
と染がイタズラっぽい眼で平蔵の顔を盗み見るように見返した。

染の笑顔に白い歯が浮かんで、
このすきまほどの時間の楽しさを味わっているようであった。

「やれやれ わしは冷や汗をかいてしもぅた」
平蔵鬢を掻きながら染を見る、そのやりとりに

「久しぶりに笑ぅて風邪がどこかに飛んでゆきそうじゃ」
と左内も火鉢を平蔵に勧めながら炭を足した。

「親父どの、麟太郎は見習いのお勤めをちゃんとこなしておるようで、
身共も安心いたしましたぞ、

先ほど弥勒寺傍で同心の小村芳太郎殿と連れ立っておる所に出くわしたおり、
中々しっかりとした出で立ちに安堵いたした。
暫くは大変ではござろうが、何卒よしなにお願い申す」と軽く頭を下げた。

「いやいや長谷川殿、ご貴殿のなかだちにて麟太郎を
この黒田家の後継ぎとすることもご老中よりお許しが出て、
身共はこの上なき幸せ者と想うてござります、

ご覧のとおり今では染は嫁ぐ気なぞ全くなく、
このままでは黒田家は我が身代でおしまいかと想うておりましただけに、
この度の麟太郎の養子縁組に長谷川殿が後見人を買うて出て下さり、
お奉行様もならば良かろうと私の持ち場であった
深川見回りの小村芳太郎殿に見習いとして従けてくださりました
、まことにかたじけのうござります」と深々と頭を下げた。

「あっ! こりゃぁいかん、染どの忘れるところであった、先ほどの大根じゃが・・・・」
と左内の気持ちを軽くしようと返事をはぐらかせて
「こんにゃくはござるかの?それとニンジンに油揚げなぞあらば申し分なし」

「それならば今朝ほど棒手振り商いから求めたばかりでございますが、
いったい何が出来るのでございます?」と興味はすでにそっちのほうに移っている。

「うむ こっくり汁と申してな、まぁ出来てみればなるほどとうなうく味」

「まぁそれでこっくり汁?」
と染は平蔵の傍に寄り添って平蔵の講釈を聞きながら支度に掛かった。

「先ずは大根と人参、それにコンニャクを拍子切りに揃え油揚げも刻んでおき、
昆布で出し汁を取って酒を入れ、大根ニンジン油揚げを入れてしばらく煮込む。

煮立ったならばそこにコンニャクを滑りこませ、龍野の薄口醤油、
下総の行徳塩、隠し味に岡崎の八丁味噌・・・・・・・

ここいら辺りでちょいと味見を、ここが先ずは第一の関門・・・・・ふむふむ・・・・・
も少し味噌を加えて、どれどれ」

「まぁっ 長谷川様お一人で味見とはずるぅございますよ、染にも一口・・・・・
平蔵と鍋の間に割って入って・・・
まぁこれはまた美味しゅうございますねぇ、やわらかな味が味噌の薫りに包まれて」
と平蔵の顔を見上げる。

染のひとときの満ち足りた顔を眺めながら
「身共だけが蚊帳の外でござるなぁ」とすねてみせる左内であった。

「まぁ親父どのには仕上げの味元を残しておりますぞ、
のう染どの、あっはあっは、では酒粕をゆっくり溶かしながら入れてくだされ、
最後の一振りに胡椒を少々、これが最も肝要でござるよ」
平蔵はふうふう言いながら小皿に取った粕汁をすすってみせる。

「あっ!ずる~い!お一人だけとは許せませぬ」と染はその小皿を取り上げ・・・・・・・

「ほんに これならば父上のお風邪もどこかに飛んでゆきますわ」とご満悦である。

「青ネギをたっぷり、こいつが更に旨味を引き出し申す」と平蔵が講釈を締めくくる。

「まこと 長谷川様はなんでもよくご存知でございますねぇ、
さぞや小料理屋への出入りも・・・・・」
と意味深な染の目つきに平蔵大慌てで

「いやっ これは身共の配下にて料理にかけては中々の者から
聞いたものでござるよ染どの」
と脛に傷持つ平蔵としてはここで墓穴を掘ってははならじと応戦する。

「まぁ何処へお出かけになられましょうともよろしゅうございますがねぇ父上」
と今度は左内に下駄を預ける。

「やれやれ、いやまるで猫のじゃれ合いを見ておるようで、
あははははは、まことに温もりとは、かようなものを申すのでござろうか」
左内は運ばれた粕汁にたっぷり懸けられた青ネギの薫りに目をつむり、
ゆっくりと大きな吐息をもらした。

「のう平蔵殿、人は何を持って幸せと想うものでござろう・・・・・・
身共はこのひとときを愛しいとおもいまする、
生きておらばこそとこの生命永らえられるならその時までを
このままであってくれたらと想いまする」

真冬日の寒さの中に左内は、温もりに包まれて少し障子を開けた庭に咲く
寒椿の紅色に重ねていた。

ゆっくりとした時を過ごした後、平蔵は左内の家を辞し
永代橋を渡り、船番屋を通り過ぎ、豊海橋を渡って南新堀から二ノ橋に向かった。

白銀町を北に上がって長崎町を左に折れ
圓覚寺橋木稲荷の前を通って東湊町を左折南下して高橋を越えた。

南側には鉄砲洲浪よけ稲荷がこんもりとした丘の上に見える。
過日平蔵が麟太郎と出会った件の稲荷社である。

南八丁堀を西に真福寺橋たもとを左に折れて新庄美作守下屋敷を
木挽町の紀伊國橋を渡って左に三十間堀四丁目を右折して
数寄屋橋御門をくぐって南町奉行所へと出た。

ちょうど池田筑前守は執務中で、少し待たされた後
「遅くなり申し訳なし」と平蔵の待つ控えにやってきた。

「筑前守様ご多忙の中突然まかり越しましたる儀何卒お許し願わしゅう存じます」
と頭を下げた。
「いやいや長谷川殿こちらこそ、此度の事件お見事なる解決にて、
わしも肩の荷を下ろし申した、礼を言いますぞ」と労ってくれ、

「先の南町奉行所深川見回り与力黒田左内の養子の件、
長谷川殿の後見ということもあり、老中も即刻黒田家の与力復権をお認めくだされた。

わしにとっても左内はかけがえのなき者にて
お役御免を申し出て参った折にはいささか困惑いたした。
何としても惜しい者であったからのう」
とこの度の事を心より喜んでいる様子に平蔵ほっと胸なでおろす心地であった。

「で、何か外に気がかりなことでもござるかな?」とにこやかに平蔵の顔を見た。

「あっ いえこの度は筑前守様のお骨折りにより肥前より出て参った
黒田麟太郎の養子縁組をご快諾頂き、
おかげ様にてあの少年の行く末が黒田左内殿に取りましても
良き結果に結びつき、その件につきご尽力賜りました筑前守様に
御礼を申し上げねばと長谷川平蔵本日はまかりこしましたる次第、
まことにかたじけのうござりました、

つきましては麟太郎に元服いたさせたき存念にて、
願わくば筑前守様にそのお許しを頂きたくこうして改めてお願いに」
平蔵は深々と低頭したが、

「何を申される長谷川殿、身共もそこもとの父上には京で真世話に相成り申した、
相身互いじゃ、お気にめさるな、あはははは」
と平蔵の気持ちを和らげようと明るく笑い声を上げた。

こうして平蔵はこの度の麟太郎元服の許しを得、
我が身の中で一つの区切りがついた思いで安堵した。

菊川町役宅に戻る途中を、平蔵は再び黒田左内の長屋に訪れた。
「染どのは・・・・・」

平蔵が染の顔を目で追うのを左内は見て取り
「先程桔梗屋に参りました」と残念そうに伝えた。

その時表から
「父上只今戻りました」と麟太郎がお勤めから戻ってきた様子

「おお ご苦労であった!」その声を聞いた麟太郎ガ

「長谷川様本日はまことに思いもかけない人にご紹介にあずかりました、
麟太郎少々驚きましたが、気持ちのよいお婆婆さまでございました」
と礼を述べるのを受けて平蔵

「まさに妖怪であったろう?どうじゃな?」と少しいたずらっぽい目で麟太郎を見た。

「ああっ いえそれほどのことではござりませんでした、
初めはちょっと驚きましたが口の悪い割には優しい方と思いました」

「ふ~ん あいつにぁ食われるでないぞ、あぁ見えても山姥の如き婆婆じゃからなぁ 
わははははは」と麟太郎の顔をまじまじと見つめた。

「さっ 左様でございますか?」
平蔵の脅しにちょっと腰を引きかけた麟太郎を見て左内が

「その婆婆様は如何なお人であった?」
と興味津々の言葉に

「いやぁ昔身共が世話になり申した弥勒寺界隈では
知らぬものも居らぬ名物婆婆でござって、
ちょうど昼前にその弥勒寺近くでこの麟太郎と
同心の小村芳太郎殿に出会ぅたので、ちょっと紹介をいたしたまで、のぅ麟太郎。

ところで親父どの、先ほど南町奉行所に出かけ、
筑前守様より麟太郎元服のお許しを頂いて参った」
平蔵嬉しそうに事の次第を左内に話した。

「まことでございますか!」
左内も麟太郎も飛び上がらんばかりに喜んだ。

「うむ そこでじゃが、初冠(ういこうぶり)を致さねばならぬ、
総角(みずら)を改めて冠下の髷(かんむりしたのもとどり)を結い、
烏帽子親によって前髪を剃り月代にし、

それまでの幼名を廃して元服名の諱(いみな)を新たにつけねばならぬが、
親父どの、さてさていかが致しましょうや」

平蔵もこのワクワク感は嫡男辰蔵で、体験は久しぶりである。

「これはもう烏帽子親は長谷川様以外ございますまい、のう麟太郎」と左内。

「はい 私も左様に思います、何卒この麟太郎の烏帽子親にお願い致します」
と手放しである。

「あい判った、では身共の蔵を取り、
親父殿からも一字頂戴いたして黒田蔵人宣内は如何でござろう?」と述べた。

「黒田蔵人宣内でござりますか!
これに最早意義の申す者なぞおりましょうや!のう麟太郎!」
左内と麟太郎は小躍りして歓びを表した。

後、この黒田麟太郎改め御家人黒田蔵人宣内は長谷川平蔵の嫡男辰蔵、
(後の先手弓頭宣義)の懐刀として活躍する事になる。


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3月号 氷雨


筆頭与力 佐嶋忠介

その日平蔵は南町奉行池田筑後守からの呼び出しで、
昼過ぎて筑後守の役宅に出かけていった。

池田筑後守長恵は平蔵の父親長谷川宣雄が京都所司代の頃より親交があり、
したがって平蔵とも昵懇の間柄でもあった。

その配下の仙台堀の政七や鉄砲町の文治郎は時折平蔵の役宅に訪れ、
奉行所の取り扱っている情報などを知らせてくれる、
まぁ身内のような間柄である。

その筑後守からの招きである、平蔵何かを想うところもあるのか歓んで出かけていった。
外は真冬日の空、雲は重く薄墨色に垂れ込んで鈍く陽が滲んでいる。

「うむ 今夜は冷え込むな・・・・・」
袷の羽織に袖を通しながら妻女の久栄につぶやいた。

「殿様お気をつけておでかけなされませ」
と久栄も雲行きを案じながら送り出した。

「筑後守様よりのお召によりまかりこしましたる身共は火付盗賊改方長谷川平蔵にござる、
筑前守様にお取次ぎをお願い申す」
平蔵は大刀を鞘ごと抜き、右手に提げた。

「お刀をお預かり申します」
と近習が平蔵の刀を受け取り先に立って筑前守の待つ居室に案内した。

「筑後守様、長のご無沙汰をお詫び申し上げます」
平蔵は深々と低頭した。

「おお! これは平蔵殿 いやいやこちらこそ御用繁多でご無礼つかまつっておる、
ささ!まずはこれに召されよ」
とすでに整えられている酒肴の席に導いた。

「これは痛み入ります」
平蔵は遠慮無く筑後守の傍に寄った。

町奉行は旗本三千石、平蔵は同じ旗本でも初めは四百石、
盗賊改になって千五百石の立場であり、又奉行職は後に大目付に昇進する地位でもあった。

大岡越前守忠相は、最終的には1万石の大名格になったのだから
その権勢は大きかったといえる。

平蔵も「何れは町奉行に・・・」
と思った頃もあったという、まぁそれほどの立場に違いがあった。

池田筑後守は平蔵の没した年に大目付に昇進、
その五年後この筑後守長恵も死去している。

年も平蔵より一歳上という親近感もあり、
またその豪胆な性格は平蔵と似通って良い関係が保たれていた。

「ところで筑後守様、この度のお召は又いかような?」
と平蔵は招きの内容が気がかりであっただけに、早速切り出した。

「平蔵殿まぁ左様に急がずとも、まずはゆっくりなされよ、
ご貴殿もすでに存じよりとは想うが、この所市中を騒がしておる盗賊のことにござる」

「はい その事なれば身共も日夜心を痛めておりまする、
何しろ手がかりを何一つ残さず、すでに数件の大店が襲われ、
被害も甚だしく、又市中の者も恐れをなし、誠に悩ましき存在にございます」

「ふむ それがことでござる、
当方の隠密廻にても全くその所在も掴めぬまま時ばかりが過ぎ、
老中よりも厳しき御沙汰がござってのう」

「あっ これはまた、誠にもって!ですが筑前守さま、
何れ当方にもその風は吹いてまいろうかと・・・・・」

「わははは 左様でござるなぁ、お互いに辛い役目、あはははは」
筑後守も思わず同病相憐れむの例えと笑うしかない。

「何としても江戸市中を日々休まる町にしたいもの、のぅ平蔵殿」
筑後守は平蔵に盃を勧めながら、これまでの調書を平蔵に託し
「何卒の力ぞえを願いたい」と言葉を選んで述べた。

「喜んで・・・・・拝借つかまつります」
平蔵も筑後守の胸中を察し、調書を懐に収めた。

それからまた昔話に花を咲かせ、一刻(2時間)後に屋敷を出た。

外はいっそうの冷え込みを想わせ、
鉛色の雲が江戸の町をすっぽりと包んでいるようであった。
鍛冶屋橋御門を渡り、弾正橋を渡った頃から急な雨足で氷雨が
叩きつけるように激しく降り始めた。

(こいつはいかぬ、どこかで雨やどりなぞせねばなるまい)
平蔵は本八丁堀を東にとって進み、稲荷橋が見え始めたので、
急いで橋そばの稲荷社に駆け込んだ時には、すでに夜5ツ「午後7時」を回っていた。

奉行所より借り受けた提灯は濡れ、すでに役に立たず、
暗闇の中に覚えのある稲荷社を目指したのはこの後の平蔵に
新たな展開を見せる前ぶれとは当の平蔵もまだ知る由もなかった。

ガタガタと木戸を押し開けると
「だっ 誰だ!!」と低いが若い声がした。

「おっ! 先客がござったか!
誠にすまぬがこの突然の難儀でござる、同室をお許し願いたい」
平蔵は言葉を尽くして堂内に入った。

漆黒の中で人の気配がする
「灯りは・・・・・どこかに・・・・確かこの辺りに蝋燭があったと想うたが」
平蔵は手探りの中にも覚えのある燭台の立てかけてある場所を探り当てた。

カチカチと火打ち石を打ち据えて火種から蝋燭に灯を導いた。
ゆるやかに立ち昇る明かりに照らされて少しずつ部屋の様子が平蔵の眼に映り込んできた。

「やっ これは又先客はお若ぅござるな」
そう言いながら平蔵は観るとはなしにその若者を観た。

柱にぐったりと体を預けて身動きもできない様子に平蔵、
「これ そこ元はもしや・・・・・病にでも掛かっておるのか?
見れば長旅の末のようにもあるが」と言葉をかけた。

若者は無言で身体を丸めている苦しそうな気配に
「熱はないのかえ?」と若者のひたいに手をやって
「おっ これはいかん、かなりの熱さじゃ、
かと申してもこの雨の中動くに動けぬ、ふむ困った」

何か身に纏わさねば、かと言って我が身は氷雨に濡れネズミの状態では
寒さに歯をガチガチ鳴らしながら震えている若者に手を出すこともならず
雨の止むのを待つしかなく、
せめて背中をこすってやるくらいしか出来ず、為す術もないといった状態で
時だけが無情に過ぎていった。

それから一刻ほど過ぎ、四ツの鐘が聞こえた頃雨足が遠のき、静けさが戻った。

(深川仙台堀今川町の桔梗屋まで十五町ほど、なんとかたどり着けぬ距離でもない)
平蔵は意を決し、若者を背負い社を出た。

稲荷橋を渡り、高橋を渡って松平越前守中屋敷を通り抜け、
白銀町から二ノ橋をまたぎ濱町から南新堀を抜け豊海橋を渡って永代橋を越えた。

深川中ノ橋を渡れば佐賀町、その角を曲がれば今川町の仙台堀桔梗屋がある。

平蔵は氷雨に冷え込んだ自身の体に鞭打つように熱にうなされる若者を背負って歩いた。
桔梗屋もすでに戸締まりを終えて辺りは暗闇の景色に変わりはなかった。

平蔵は門口を叩き叫んだ。
「女将わしだ、長谷川平蔵だ!すまぬがここを開けてくれぬか!」
平蔵は若者を背負ったまま幾度も大声を張り上げ、戸口を叩いた。

やがて奥に明かりが灯り
「どなた様でございましょう?すでに火も落とし、店も閉めてございます」
と板前の声が聞こえた。

「おい!秀次わしだ、長谷川平蔵だ!」
平蔵は聞き覚えのある板前の声に安堵しながら叫んだ。

「あっ これは長谷川様少々お待ちを!」
と言って、急いで戸口の閂が外された。

濡れネズミの平蔵が人を背負っていたのを見て
「どうなさいましたので!」
と秀次は平蔵から若者を引き受け店の中に運び込んだ。

騒ぎを聞きつけて女将の菊弥が夜着姿に羽織を引っ掛け走り出てきた。

「長谷川様又何としてこのような時刻に・・・・」
と言いつつ平蔵のただならぬ様子に気付き

「秀さん急いで部屋を用意してそれから長谷川様とお連れの方に
何か着替えを見繕っておくれ、それから湯を沸かして・・・・・」

「任せておくんなさい女将さん!万事心得てございますよ」
と秀次は支度に掛かった。

秀次はかまどに薪をくべながら、自分の着替えを持ってきて若者に着替えさせた。
「あっしのものではどうにも長谷川様には寸法が足りません、女将さんどうしやしょう?」
と秀次。

「このままでは長谷川様が大変なことになる、こんな場合は目をつむって頂いて
あたしのものでも羽織っていただくしか無いねぇ」
と菊弥は袷のものを引っ張りだして平蔵に着替えるよう促した。

平蔵も苦笑いしながら乾いた手ぬぐいで体を拭き、袖を通した。

そうしている内に湯も湧き、まずは足を温めねばとたらいに湯を張って若者の手足を浸し、
吹き出す冷汗を拭い取った。

平蔵の印籠から薬を出して飲ませ、一刻ほどで若者の様子も落ち着いてきた。

「ヤレヤレやっとこの方の様子も落ち着いてまいりましたよ長谷川様」
菊弥が平蔵にそう報告に上がってきたが、返事がない
「長谷川様!」
声をかけて襖を開けたその目の前に信じられない光景を見て菊弥は仰天した。
平蔵は蒼白な顔を天井に向けて眼は虚ろになっている。

「長谷川様!!」
菊弥は叫びながら平蔵のひたいに手をやった
「あっ!!大変!!秀さん大変だよ長谷川様がお倒れになられたよ!どうしよう!!」

「女将さん落ち着いてくださいよ、とにかくあっしはこのことを染千代さんに知らせやす
着替えも要るでござんしょうし、おとっつあんの物なら間に合うでござんしょう?、
それと熱冷ましの薬を早く!!」
と言い残して暗闇の中へ飛び出していった。

小半刻(30分)を待たず染千代が飛び込んできた。

真っ青な顔色で染千代が二階へ駆け上がって
「姐さん長谷川様がお倒れになすったって本当なの!」
と叫びながら襖を開けた。

平蔵の唇はすでに紫色に変わり、体力の消耗が激しいことが見て取れる。
染千代が手をおいた平蔵のひたいは火のように熱く、
濡らした手ぬぐいはあっという間に湿り気を失ってしまう。

「秀さん手伝っておくんなさいな!」
染千代は階下の秀次を大声で呼び寄せ、平蔵の衣服を剥ぎ取り、
持参した父左内の着物に着替えさせた。

「夜具をもう一組・・・・・それから湯たんぽを急いで作って頂戴」

さすがに武家の娘だけあって、最低必要な手当は心得ているようである。
だが平蔵は体温の低下によって意識を失いかけており、体中が小刻みに震えている。
菊弥が湯たんぽを抱えて上がってきた。

「それを足元に、足先は身体全部の冷えを取りますから」
そう言いつつ染は着物を脱ぎ始めた。

「何するんだい染ちゃん、お前さん気でも違ったのかい!」
菊弥の言葉を尻目に、染は肌襦袢一枚になって平蔵の横たわるしとねに潜り込んだ。

「姉さん!こうして人の体の温もりで暖めるのが一番と父上から教わったから、
私はそうするだけ」
そう言って染は背中から平蔵を抱きしめた。

「そんなことしたら、あんたが死んじまうじゃないか」
と、菊弥がおろおろするのを、

「姐さん、あたしは長谷川様に助けていただいたこの命、
この御方のためならばおしくはござんせん」
と染千代きっぱりと言い切った。

「染ちゃんアンタっていう人は・・・・・」
菊弥は火を移した七輪を部屋に運び込ませ、部屋も温めた。

しゅんしゅんと湯気を上げて小鍋が湧くのをたらい桶に取り手ぬぐいを絞って染に渡す。
それで平蔵の身体を拭いて吹き出す冷汗を拭い取る、
階下では秀次が若者の看病を続けているが、こちらはもう峠は越えたようで、
熱も下がり始めていた。

この戦いは朝まで続き、やっと外が白み始めた頃秀次が医者のもとに駆けつけた。
秀次に引きずられるように医者が籠でやってきて、
まず階下の若者を見て手当を済ませ投薬を与え、
「もうこちらは大丈夫、さてお次は・・・・・」
と二階に上がってきた。

染千代は身支度を整え平蔵の手を握りしめながら手ぬぐいを取り替えていた。

医者の玄庵は、平蔵のひたいに手をやり、胸をはだけ耳を押し当てて心の臓の音を探り、
ひと通り調べ終えたが
「ひどく身体が弱り切っており、暫くは動かさないほうがよろしいかと」
と後の言葉を濁した。

「先生!助かるのでございましょうね!」
染千代の必死の眼差しに、玄庵は言葉をつまらせた。

「うむ ともかくも水分の補給を怠らないこと、
寒さが引けば今度は暑がるであろうがそれとともに熱を冷まさせ過ぎぬこと、
これが大事じゃ、良いな!熱を取り過ぎるとかえって長引く、これを間違わぬこと、
おそらく酒々を飲んだ上で急に身体を冷やしたのが基であろうと想われる、
できるだけおもゆなぞを与えて力をつけさせることじゃ」
と注意を与え帰っていった。

その間に染千代は何やらしたためて秀次に
「これを菊川町の長谷川様のお屋敷に届けておくれでないか」
と書付を託した。

菊川町の火付盗賊改方役宅でこれを受け取ったのは同心の沢田小平次
「奥方様お頭の使いの者と申すものがかような書面を届けてまいりました」
と妻女の久栄に手渡した。

「何でしょうねぇ殿様の使いとは、昨夜はお帰りになるはずなのにそれもなく、
託けもないまま今朝になって・・・・・」
と女文字の筆跡にいぶかりながら読み始めた久栄の手が
わなわなと震えるのを沢田小平次は見て取り

「奥方さま!お頭に何か!」と声をかけた。

久栄は言伝を握りしめたままその場に崩れ折れた。
「殿様が・・・・・殿様が・・・・・」

沢田は久栄の手から言伝をもぎ取るようにして読み始めた。
昨日の事の顛末が染千代の手によってしたためられていた。

(長谷川様儀につき、取り急ぎお知らせ参らせ候
昨夜四ツ過ぎ、病の子供を背負い深川今川町桔梗屋にお越しなされたよし
幸いにも子供は長谷川様のお陰にて、お医師の話しでは峠を越した模様、
されど長谷川様は殊の外重く、お医師玄庵先生のお見立てでは、
日頃の過労に昨夜の氷雨と夜の冷え込みが重なり心の臓が弱り切り、衰弱激しく、
暫くの間動かすこと叶わぬと申されましたるよし、
今のところ意識朦朧にして昏睡状態の中にあり、
一瞬の油断も禁物なれど必死の看護を致しておりますゆえ、
何卒ご安堵召されまするよう。

元南町奉行所本所廻与力黒田左内 内 染)
しかし文字の乱れや行間に読み取れる不安は拭い去ることの出来ないものであった。

「何と!これは一大事!佐嶋様はまだお見えになられぬか!」
沢田はしばらくして出所した筆頭与力佐嶋忠介に事の次第を報告した。

「とにかくこのことは皆の者には伏せておけ!」
厳しい緘口令が佐嶋から出され、この事は沢田小平次と佐嶋忠介、
それに妻女の久栄だけが知るのみとなった。

「佐嶋どの、兎にも角にも私は殿様のところへ参ります」
と久栄が佐嶋に告げた。

しかし、佐嶋忠介は
「奥方さまが直々にお迎えに参られますのはお控えなされた方がよろしいかと存じます」
と対応した。

「何故私が出向いてはなりませぬのじゃ」
久栄には納得の行く返事ではなかった。

「奥方さま、ここは何卒この佐嶋におまかせくださりますよう、
今奥方さまが向かわれましたと致しましても、お頭は意識も戻っておりませず、
医者の申す通りお頭のお体を動かすのは誠に危険なことと存じます。
お頭の意識がはっきり致しますまで、暫くのご辛抱を願わしゅうございます」
となだめた。

その言葉に久栄は、キッと宙を睨み
「解りましたそのように致しましょう」
と両手を固く握りしめた拳が震えているのを佐嶋忠介は痛々しく見るしかなかった。

佐嶋忠介は早速御典医井上立泉に連絡を取り、
「お頭が急の病にてお倒れになったよし、
急ぎ深川今川町仙台堀の料理屋桔梗屋に出向いて頂きたく候」と託けた。

佐嶋忠介は久栄から平蔵の着替えを託され、それを抱えて桔梗屋に向かった。
急いで駆けつけた佐嶋の目の前に意識朦朧とした長谷川平蔵のやつれた姿があった。
(やはり奥方さまにお目にかけなんでよかった)・・・・・そう佐嶋はつぶやいた。

それほど平蔵の衰弱はひどい様相であったのだ。

別に誰もが手をこまねいていたわけではないが、
それほど平蔵の身体は日頃の激務が限界に来ていたと言えよう。

御典医の井上立泉が駆けつけて診察を試みるも、やはり玄庵と見立ては変わらなかった。
滋養の処方箋を与えて、後は本人の本復をまつのみということであった。

この日も暮になると平蔵は再び高熱を出し、
寒気に震えるという事を繰り返すたびに染は平蔵の体を温め汗を拭い、
身体を冷やさぬよう気を配りほとんど不眠不休で当たった。

始終取り替えるために、着替えの肌着は乾く暇がなく、
晒を折りたたんで平蔵の胸元や背中を包み吸汗させ放熱を避けた。
こうして染は五日目の朝を迎えた。

平蔵は意識のゆらめきの中に微かに誰かの温もりを背中に感じ
「ううんっ!」
と意識の彼岸から目覚めた。

平蔵の漏れるような小さい声に染は気づいて眼を覚ました。

「長谷川様!」
染は平蔵の意識が戻ったことにやっと胸をなでおろした。

「ううんっ?」
再び平蔵の声が、しかし今度はしっかりとした様子で聞こえた。

「お気が付かれましたか!」
染は平蔵の顔を覗きこんで確かめた。

「染どのではないか?どうして此処に・・・・・おう!そういえば・・・・・」
と身体を起こそうとしたが、まだ腰が定まらずヨロリと染の腕の中にもたれこんだ。

「嗚呼よかったよかった・・・・・・よかった」
染は止めどもなく流れ落ちる涙がこれ程に嬉しいものと初めて知った。

抱きかかえられた膝の上で平蔵
「染どのすまぬ」
と一言言葉を添えて見上げた染の両目から大粒の涙があふれ、
胸乳の辺りに吸い込まれるのを見つめるだけであった。

平蔵はこの安らかな時の流れが、現実と夢の間で揺れ動いている幻を見ているように想われた。
すっかりやつれた痛々しいほどの染の頬に手をやり、

「なぜ泣く染どの、わしはお陰でこうして戻ってきたではないか」
平蔵は染のこぼす涙を指先で拭いながら語りかけた。


(真綿の上にいるような力の抜けた安堵感・・・・・・
しあわせとはどのようなことであろうか?何を持って人は幸せと想うのであろう・・・・・

今のこのひと時は、わしは探しておったものなのであろうか、言葉もなく何もない、
ただここにおる、この穏やかさや安らぎは何と言えばよいのであろう、
わしは今まで生まれてきた意味と生きてゆく理由を想うたこともなかったが、
今初めてそれを知ったように思う)

染の腕に支えられて、障子越しに差し込んでくる真冬日の明るさを
まばゆい思いで平蔵は眺めていた。

階下から
「佐嶋様がお見えになられました」
と菊弥の声がして、階段を静かに上がる音が聞こえて

「よろしゅうございますか?」と声がかかった。

「長谷川様の意識が先ほどお戻りになられました」
と中から声がしたので、佐嶋は急いで襖を開けた。

そこには染千代に支えられて半身を起こし綿入れを背にかけた平蔵の顔があった。

「お頭!!」
佐嶋忠介はそれ以上言葉が続かなかった。

「佐嶋 心配をかけたのう、誠にすまぬ、だがもう安心いたせ、
まだまだわしのお勤めは終わらぬとみえて再びこの世の地獄に舞い戻ってきたぜ」
平蔵はやつれた顔に笑顔を浮かべ、大きく息を吐いた。

「ところで染どの、わしの連れて参った子供だがいかが致しておる?」と尋ねた。

「あのお子なら菊弥姐さんが面倒みてくれてまして、
長谷川様のお陰で大病に至らず元気を取り戻してございます」と答えた。

「佐嶋、すまぬがその子を此処に呼んではくれぬか」
平蔵は気がかりであった子供の話を聞きたがった。

やがて佐嶋に伴われて前髪姿の若者が平蔵の前に両手をついて居住まいを正し
「お陰様を持ちまして一命を取り留めました」と挨拶をした。

「おお よかった!ところでな、そなたの事を話してはくれぬか、
何故あのような場所におったのかどうも気がかりでなぁ」
と身の上話のもとどりを差し向けた。

「誠に失礼を致しました、私は元豊前小倉新田藩家臣黒田宗近が嫡男麟太郎と申し、
十二歳になります」
と、ハキハキと応え、平蔵や佐嶋を驚かせた。

「で、何故そこ元一人の旅を致した?」と平蔵は確信を突いた。

「藩の併合により禄を離れました。
そのために父上母上共々江戸の町奉行にお勤めなされておられる縁者を頼りに
江戸に参る途中、長旅と日頃の疲れから父上が流行病で身まかり、
備前(岡山)を出たところで看病疲れから母上を失いました」

「何と!」平蔵も佐嶋も言葉を失ってしまった。

染千代は年端もゆかない子の身の上に起きたこの痛々しい出来事に
まぶたを押さえるしかなかった。

「で、そこ元一人旅を続けてきたと言うわけだな?」

「はい ですが上方に着いたところで路銀も使い果たし、
江戸行きの弁才船に潜り込みましたが見つかってしまい、
親方が小間使いに使かって下さってやっと江戸に入り、
南町奉行所に近い稲荷橋に降ろしてくださいました。
持ち合わせもなく、お供えを盗んで腹を満たしました所・・・・・」

「おお それで腹を壊したか」

「はい 罰が当たったのでございます」と頭を掻いた。

「ところで長谷川様は火付盗賊のお頭様とお聞き致しましたが、まことでございますか?」

「真も真!盗人には鬼より怖いお頭様だぞ、お前もお供えを盗むとは誠に恐れ多い仕業じゃ」と、笑いながらそばから佐嶋が口を挟む。

少年は首を縮めて平蔵の顔を見やる
「安ずるな、此奴の冗談だよ」と目で佐嶋忠介を見やる。

「捕わるかと驚きました」
少年は首をすくめて
「ところで、その夜何人かの足音がしましたので私は奥に潜みました。
すると(今度は十六日、押し込み先は日本橋灘屋)と言う話し声が聞こえてきました」

「何っ!!」平蔵と佐嶋が思わず同時に声を発した。

「おい 佐嶋本日は何日だ!」

「はい 十二日でございます、まさかお頭!」

「そのまさかだぜ佐嶋」
平蔵が興奮してきたのを見て染千代が

「長谷川様どうかお気をお沈めくださいませ」
となだめ、平蔵を寝床に寝かせた。

「済まぬ済まぬ、どうもこう話を聞くと血が騒いでならぬ、因果な性質よのう」
と苦笑いの平蔵

「ところでわしがそこ元と出会ぅたのが六日前、のう佐嶋!
その日にどこぞのお店が盗賊に襲われたか至急探索致せ、
もし被害が出ておるならばこの話間違いのない所、早速日本橋の灘屋を探してまいれ」
と指図を与えた。

「ところで麟太郎とか申したのう、凡そのことは判ったが、
その縁者と申す南町奉行所与力の話をもそっと詳しく聞かせてはくれぬか?」
この利発な少年の輝きに満ちた眼を平蔵は見上げた。

「はい 父上の叔父上様が江戸南町奉行にお勤めと聞き及んでおりましたので、
僅かなつながりを頼りに出る決心を致しました」

「あい判った、ところでその縁者のお方のお名は何と申す」

「はい 黒田左内様と伺ぅております」

「何となっ!!」
平蔵の驚きと染の驚き様に麟太郎のほうがさらに驚いて飛び上がった。

平蔵と染は互いに目を見張り、あまりの偶然に言葉が見つからない。

「なるほど、偶然などこの世にはない、
何れも必然である物があたかも偶然のようにその必要な時に合わせて
現れるものと聴いてはおったが・・・・・・まさに・・」
平蔵は噛みしめるように身の回りの出来事を改めて振り返る面持ちであった。

きょとんとしている麟太郎に平蔵
「のう麟太郎、そこ元が探し求めておる南町与力の黒田左内、
その娘ごがこの染どのじゃ」と染を見やった。

「ええっ!・・・・・・・まことで・・・・・誠に叔母上?」
麟太郎の目元が見る見る潤み、涙が溢れこぼれてきた。

その日の夕刻平蔵の元へ佐嶋忠介が報告に来た。

「お頭、間違いございません、南町奉行所への届けによると
六日夜半南八丁堀の太物問屋岡崎屋が襲われ、主夫婦と番頭に丁稚、
女中など合わせて九名を惨殺し、金子五百両あまりが盗まれたとの報告がございました、
それと日本橋本石町三町目に両替商灘屋がございました」

「やはりまことであったか!よし早速日本橋の灘屋に話を持ち込め、
あまり時がないゆえ急がねばならぬ、佐嶋お前が指図を致し、盗人共をひっ捕らえよ、頼むぞ」
平蔵はこの身の動けない思いを佐嶋忠介に託した。

翌日平蔵は佐嶋忠介が役宅より差し向けた乗物に身を納め、
ゆるりと本所菊川町の役宅に戻った。

染の手によって、伸び放題の月代や髭も当たり髷も結い直し、
さっぱりとしたいで立ちであった。

見送る板前の秀次に
「秀次世話をかけたなぁ、早うお前ぇの仕込みが食えるようになるぜ、
女将まこと世話をかけもうした、かたじけない」
と菊弥に頭を下げ、その後ろに控えている染に無言で頭を下げ、
「麟太郎が事よろしくお願い申す」
と言って乗物の戸が閉められた。

上之橋に向かって進む乗物をじっと見つめる染の両眼は
いつ果てるとも無い涙があふれていた。

こうして麟太郎は黒田家に養子として迎えられることとなり、
その後見人に長谷川平蔵が名乗りを上げた。

早速南町奉行池田筑後守に黒田家与力見習い復権の届けが出され、
筑後守からのこの度の盗賊捕縛の手柄の添え書きもあり
黒田家の与力相続の復権許可が大目付より下されたことは言うまでもあるまい。

菊川町の役宅ではいつ到着するかと、門内に与力・同心が集まり、
平蔵の乗物が見えるのを今か今かと待ちわびていた。

乗物が北ノ橋西曲がり、伊豫橋を越えて役宅に向かったのを認めたのは
偵察に出ていた木村忠吾
「お頭がお帰りになられましたぁ!!」
大声で叫びながら役宅に駆け込んできた。

「取り乱すでない!」
が、その佐嶋忠介の声は言葉とは裏腹に上ずって聞こえる。

妻女の久栄は平蔵の常座する部屋に衣前をただし控えている。

玄関のほうで騒がしい物音がして、平蔵の無事の帰宅を案じていた与力や同心が
次々と平蔵の無事の帰還を祝っている、
しかしそこには密偵たちの姿は見ることが出来なかった。

これは(我らは密偵、決して日の当たる場所に出てはならない)
と言う強い思いを持った大滝の五郎蔵の配慮であった。

佐嶋忠介と筆頭同心酒井祐介に両脇を抱えられて平蔵が久栄の待つ座敷に入ってきた。

「殿様、ご苦労様でござりました」
と低頭したその久栄の両手の上に涙があふれているのを平蔵は痛々しい思いで見た。

「久栄!此度はまこと心配をかけた、すまぬ許せよ」と声をかけた。

久栄はただじっと頭を下げたまま微動だにしない。

それはこの数日間をじっと絶え凌ぐしか出来なかった思いの重さゆえであることを
平蔵は判っていた。
だからこそこの平蔵を支えきれるのであろう。

明けて三日後夜半、日本橋本石町両替商灘屋に兇賊の押しこみが入った。
戸口が金物でこじ開けられ、バラバラと賊が入ってきたのを見届けて、
あちこちから火打ち石の音とともにガンドウが明々とともされ、
照らしだされた盗賊団は驚きたじろいた。

「火付盗賊改方である、神妙にいたせ!」
佐嶋忠介の声を合図に潜んでいた与力や同心が賊に飛びかかった。

「クソぉ かまうこたぁねぇ殺っちめぇ!」
怒号と悲鳴が響き渡り、ガタガタと戸を蹴破って表に逃げ延びようとする賊を
陰に潜んでいた捕り方が、目潰しや袖搦で取り囲み、一人も残すことなく捕縛した。
その攻防は小半刻を要さなかった。

この江戸市中を恐怖のどん底に陥れた凶賊垈塚の九衛門(ぬたずかのきゅうえもん)
一味は明らかな罪状のためにそのまま大番屋に捕り方が周りを固めて護送され、
翌日には取り調べることなく南町奉行所へと連行された。

報告を床の中で聞いた平蔵
「皆ようやってくれた、これでわしは筑後守様との約定が無事果たせた、礼を言う、
これこのとおりだ」とねぎらいの言葉をかけた。

「お頭!・・・・・・」
その場に居合わせた者は皆目に涙を浮かべている。

思い返せばこの僅か数日間ではあったにせよ、
平蔵の姿のないことがどれほど心をいためたか、
皆の思いは同じであった。

それから七日の日が瞬く間に流れた。

本所二ツ目・・・・・言わずと知れた軍鶏鍋や五鉄の二階
今日ばかりは亭主の三次郎も上機嫌で、おときもいそいそと二階座敷に料理を運び込む。

「お前ぇ達にも此度はいらぬ苦労をかけた、心配をかけまこと済まぬ、
だがお陰でこうして又お前ぇ達と軍鶏鍋が食える、こいつぁ何よりだよなぁ五郎蔵、おまさ、粂
お前ぇや伊三次にも厄介をかけたことと想うぜ、佐嶋より聞いておるぜ、
お前達が日本橋の灘屋を張りこんでくれておったことをなぁ、
彦!お前ぇの体だ夜は辛かったろうなぁありがとうよ」

「長谷川様・・・・・・」

「おいおい湿っぽくなっちまったではないか、さぁ俺の快気祝いだぜぇ
しっかり食って飲んで祝ぅてくれ!わしも飲むぞ!わはははははは」
平蔵の高笑いが久しぶりに五鉄の二階に響き渡った。

障子を開けた平蔵
「雪か・・・・・道理で冷える」
平蔵の思いはこの数日を過ごした今川町の桔梗屋を懐かしんでいるようであった。

後に平蔵が佐嶋忠介に言った言葉だが
「人はそれぞれに居場所というものがある、身の置き所と心の居所、
構えずとも良い居場所も必要だと此度わしは思ぅた。

それはわしの我が儘なのかも知れぬ、だが、今のわしはそれを捨てることは出来ぬ。
人にはそれぞれ分がある、わきまえる必要はあろう、越えられぬ立場というか、
そのようなもので互いを支えおぅて居るように想うのだがなぁ・・・・・・
こいつだけはさすがのわしにも裁ききれぬよ」

平蔵の脳裏には、背に温もりを覚えた安らかな時の流れ
が夢の出来事のように深く静かに沈んでいった。

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2月号 鴨がネギ背負って 2-1



「あっ 長谷川様 いらっしゃいませ」
店先に打ち水をしていたおときが平蔵を見て愛想の良い笑顔で迎えた。


「おう おとき、毎日ご苦労だのう」
平蔵はこの女中の笑顔がこの五鉄の看板だといつも思うのであった。


「長谷川様がお越しですよ」
おときは弾んだ声で平蔵の来店を奥につないだ


「これは長谷川様、あっ 丁度良い所に・・・・・・」


「っってぇと何か変わったものが入ぇったってぇことだな?」
平蔵すでにこの五鉄の亭主三次郎の顔から読み取って足取りも軽く
二階へ上がっていった。


相模の彦十が酒肴膳を抱えて上がってきた。


「おい 彦 今日は又変わった物が入ぇったようだなぁ」
窓の障子を開けながら敷居に腰を据えた。


「さすが銕っつあん 耳が早ぇや、実はね信濃は松本の
一閑曲がりネギが手に入ぇたんでさぁ、
いつもなら下仁田か深谷、千住ってぇところでござんすがね」


彦十も五鉄に居候を決め込んで少しは学んだのかその博識ぶりをひけらかす。


「ほうほう 彦 お前ぇも少しは店を手伝っておるようだのう」


「銕っつあん そいつぁひでぇや、こう見えたって相模の彦十
腕には覚えもござんすよってなもんでへへへへへっ」
と腕をまくって平蔵にみせた。


「おいおい彦十その干物のようなものは頼むから引っ込めてはくれぬか、
今そいつを見せられちゃぁこの後のねぎがまずくなってしょうがねぇやぁな」


「あっ 違えぇねぇや」
彦十笑いながら恥腕(やさうで)を袖に帰す。


平蔵に酒を注ぎながら、さっさと自分の懐盃を出しておこぼれ頂戴。


「で ネギがどうした?」
酒を口に運びながら話の先を催促する平蔵。


そこへ亭主の三次郎が鍋の支度を抱えて上がってきた。


「長谷川様、もう父っつぁんにお聞きになられたと思いますが、
曲がりネギが手に入りまして、上野国は松本の特産、
これぁぜひ長谷川様に食べていただかなくてはとお知らせいたしました次第で、
下仁田のネギは丈も短く太く生では辛味が強うございますが、
火を通しますと柔らかく甘くなります。


別名を殿様ネギと言いますが、これはぶつ切りにして炙りますと、
甘くとろりとした甘い口当たりがよろしゅうございます。


千住ネギは土寄せして根を白く工夫したものでございますが、
葉肉は固めでいつでも手にはいり、鍋物には欠かせません、
旬となると11月からでございましょうか。
下仁田葱


埼玉の深谷はきめ細かく柔らかく、糖度が高く甘うございます。
この甘さはミカンと同じくらいとか、
このために鍋には砂糖の代わりになるというのでよく使います。


「ふ~む それほどの違いがあるとはなぁ、
でその一閑曲がりネギはまたどのようなものだえ?」
平蔵の好奇心がむくむくと頭をもたげていた。


「はい それがまたこだわりでございまして、
一旦植えたものを夏の間に引き抜いて植え替え致します」


「おいおい わざわざ植え替えるのかえ?」


「はい それが又甘さを引き出すコツだそうで、
なんでも土地の者の話では信州は土地が痩せておりまして、
中々根を深く張らせるのが厄介なんだそうで、
そこで一旦伸びたものを抜いてこれをあぜに斜めに立てかけて、
根元を再び土で覆って伸ばすそうで、
ふた冬越してやっと食べられるようになるそうでございます、
その分甘さが行き渡り煮ても焼いても美味しいそうでございます」


「ホォそいつぁまた、彦十とは大違いだなぁ
聞けば聞くほど早く食ってみてぇもんだなぁ彦十」


「銕っつあん!そのあっしと大違いってぇのがちょいと引っかかりやすが」
と平蔵を見る。


「おお こいつぁ気が付かなんだ、なぁに気にすることぁねぇぜ
お前ぇは煮ても焼いても食えねぇってだけのことよわはははは」


「あっ そりゃぁあんまりじゃぁござんせんかねぇ」
と三次郎を振り返る。


当の三次郎あっさりと
「さすが長谷川様の目は誤魔化せんぇよ父っつあん」
とにやにや


「へっ!お前ぇにまでそう言われちゃぁこの相模の彦十もお終ぇだぜ」
とぼやきが入るのを


「おい彦!冗談だよぉさぁ温っけぇところで食おうぜ」


「おっと!そうこなくっちゃぁいけませんやぁ、」
と彦十さっさと鍋に箸を・・・・・


「父っつあん!」
三次郎がこの無礼をたしなめるが


「まぁいいってことよ、どれ俺にもよそおってくれぬか」
と酌をするおときに椀を出す。
 下仁田ネギ


「で、本日の出し物は何だえ?」


「はい いつもならば軍鶏でよろしいかと思いますが、
本日は鶏を用いました、少しおとなしいかと存じますが、
この方が曲がりネギの甘みがよく出せると思いまして」と三次郎


「昆布を半時ほど浸して出汁を取ります。
これに鶏のもも肉をそぎ切りに、ネギの青いところを入れて
火にかけ中火で沸騰させ、火を落としてアクをすくいます。


その間に曲がりネギの白いところをそぎ切りにして焦げ目がつくように炙ります。
ここが旨味を出す秘訣、焼き上がりましたものを汁の中に入れ薄アゲ、
キノコを入れ、煮立ったところでみりんを入れて味を見ながら砂糖、
蜂蜜これが肉を更に柔らかく致します、
それに酒を加えて味を整え豆腐を落として予熱で煮ます、
煮過ぎると豆腐が硬くなりいただけません」


「おうおう 講釈を聞いているだけでも美味そうで、
こりゃぁまずい話になってきたぜ えっ!
寒いときやぁこいつでなく行かぬ・・・・・なぞとなぁ、どれどれ・・・・・・」


「お好みで柚子胡椒など振りますといっそうの・・・・・・」


「おいおいちょいと待ってはくれぬか!これ以上旨くなるというのかぁ、
そりゃぁたまらんぜ」


「銕っつあん!まだその上があるんでござんすよ!へへへへへ」


「おい 彦それ以上は申すな そりゃぁ河豚の毒でもあるまいし聞いただけで・・・・・・
いや いかぬ!毒を食らわば皿までと申すからなぁ 何でぃそいつぁ?」


「それがね 味の煮詰まった頃合いを見て、
この残り汁に蕎麦を入れて三次郎が申しやした柚子胡椒をパラパラと・・・・・
こいつがたまりませんやぁ」


「苦しゅうない、蕎麦を持てぇってかぁ!よぉし持ってこい其奴を」


「とおもいまして、もう温めて有りますよ長谷川様」
とおときが追い打ちの蕎麦を運んできた。


「蕎麦はやっぱり真田蕎麦であろうな、信州木曽の大桑・・・・・
こいつが一番、二番がねぇと言うやつよ、
上がったばかりのやつをこの残った出汁の中に入れて、
うむさぞかし濃厚であろうなぁ。


どれどれ・・・・・・・ううううっ 旨ぇ こいつはいやはやどうにも、
このネギと言い、蕎麦と言い身体の中からこう温まるなんざぁ中々のものよのう、
有り難ぇなぁむふふふふ」平蔵満腹のご様子であった。


こうして平蔵その足で菊川町役宅に戻りかけた。
程よく酒も回りそれ以上に曲がりネギの鍋が身体をいつまでも温かくしていた。


師走ともなれば昼でもそれ相当に冷える。
羽織から懐に腕を引っ込めてゆらりゆらりと足早に往来する人々の気配を
楽しんでいるかのようであった。


二ノ橋を渡り(ついでに弥勒寺のお熊のところへ寄って婆さんの顔でも
拝んで帰るか)平蔵は林町をまっすぐ弥勒寺の方へ下がった。


数日前の12月も押し迫った二十五日、
神田三川町一丁目両替商の大店鳴海屋に押し込みが入り
千両箱に入っていた小判や丁銀、小玉銀合わせて七百(しっぴゃく)両あまりが
強奪された。


賊は店のものを一箇所に集め猿轡をかませて後に刺殺し
素早く逃走を測った手口であった。


届け出は隣家の店の者が朝の戸口が開かないことに不信を持ち、
番屋に届け、番屋から町奉行所に届け出されて町奉行の同心が駆けつけ
表戸を打ち壊して入り発覚したもの。


強盗殺人ということで、南町奉行所吟味方与力から通達が届き
火付盗賊改方が担当となった。


「極悪非道なる仕業にて、係る事件は盗賊改めが出張らねばなるまいのう」
平蔵は手焙りに手をかざしながら筆頭与力の佐嶋忠介にボソリとつぶやいた。


「まことに左様で御座いますな・・・・・・」
佐嶋は平蔵の言葉の真意を汲み取ってそう答えた。


(俺は罪が憎い、それを犯させる奴が更に憎いそして罪を犯す者をなくしてぇ、
そこに俺たちは立たされているんだぜ)
以前佐嶋に平蔵が吐露した重い言葉が脳裏に浮かんだからである。


「お頭 両替商で師走ということからも、
この奪われた金子は額が少のぅございますなぁ」


「お前ぇもそう思うか?俺もそいつが気に食わねぇ、
おそらく粗奴らは金蔵は始めっから狙ってはおらぬと見た」
ゆっくりと平蔵妻女の久栄が運んできた湯飲みに手を添え
ゆらゆらと昇る茶の温もりを見つめている。


「確かに、手順から見まするに、素早く仕事を終えておるところからも少人数、
しかし後に証拠を残さぬための殺害は用心深いと申さねばなりますまい」
さすがに平蔵の懐刀と呼ばれる佐嶋忠介通達一つからここまで見通している。


「うむ お前ぇの言うとおりだろうよ、とするとこのままでは
済まぬような気がする、あと五日ほどの間にどこぞが狙われるやも知れぬ、
かと申して手がかり一つなしではいくら何でものぅ・・・・・」
手が打てないということである。


「江戸は広い・・・・・・・」
平蔵のこの言葉は江?御府内に南北両奉行所を合わせても与力四十六騎、
同心二百四十名 火付盗賊改方は与力五騎に同心三十名合わせても
与力五十一名同心二百七十名これで人口百万を抱える
江?四里四方を見回るのだから楽ではない。


おまけに町奉行と火付盗賊改方は同じ区域を廻ることでもあり
見回りの区域は広かったといえる。盗賊改めでは、
これに差口奉公(密偵)を各自が養っていた。


町奉行も同心与力の雇った小者・御用聞きと呼ばれるもの五百名や
その配下の下っ引三千名を使ってはいたが、
いずれもスリなど軽犯罪の見回りや聞きこみが主で、逮捕権は有せず、
又それぞれ糊口をしのぐ為に家族や本人自身が仕事を持っていた。


実際事件が起きたら御用聞きは奉行所からの要請で
奉行所に十手を頂きに上がってから事件の聞きこみに出かける、
これでは時間も掛かり効率的ではなかった。


ここは本所常盤町の海産物問屋能島や
「毎度ごひいきに預かりありがとうございます、富山の森田屋でございます。
反魂丹(後の六神丸)という幟を持って男が暖簾をくぐった。


「お前さんいつもの方と違うようだが?」


「へぇ 相済みません、いつもの友助さんがあの年でございますから、
ちょいと腹ァ冷やしちまってその代わりにあっしが、どうも面目ない話で」
と苦笑いしながら頭を下げた。


「そりゃぁそうだ、置き薬屋が腹を壊したんじゃお話にもなりませんからね」
主は帳簿をめくりながら返した。


奥からこの店の孫娘が出てきたのを見かけて


「お孫さんでございますか?はい!これお土産だよ」
と箱のなかから紙風船を取り出してぷっと膨らませて娘に渡す。


「ありがとう!」
娘は嬉しそうにその風船を両手で抱えて主人の膝に座った。


「いつも気配りを欠かさないのは、さすがに富山の商い上手、
私達も見習わなきゃぁ」と主人は笑顔で娘を抱き上げた。


「とんでも無いことでございます、こうして私どもが商いを続けられますのも
お客様あってのことでございますよ」
と言いつつ薬種を確認し、懸場帳に書き込んでいる。


「この度は一両と二百文でございますねぇ、
この年お江戸は夏風邪が流行ったとかで、こちらさまも葛根湯が無くなる寸前、
これは補充させていただきました。


「ああそうなんだよ、私らを始め丁稚なども季節の変わり目が
うまく乗りきれなくってねぇ、でもこうしておかげさまで
皆丈夫に師走を迎えることが出来ましたよ」
と、主は茶を勧めながら手文庫から金子を出して渡し、
懸場帳に支払い済みの書き込みをする男の手元を確認する。


「来年もよろしくお願いを申します」
と男が店ののれんを分けて外に出て、振り返り店に向かって一礼をして振り返った、
ちょうどそこへ平蔵がさしかかりあわやぶつか理想になった。


「あっ!」と両者が飛び退いて衝突は免れた
「これは飛んだご無礼を致しました、お許しを」
と男は小腰をかがめて何事もなかったように一ノ橋の方へと立ち去った。


?????っ あの身のこなしは、どうも只者ではないと見えたが、
俺の思い過ごしであろうか、
この師走に掛取りの置き薬代金を受け取るんだからなぁ、
さぞ急いでおったのやも知れぬ。
平蔵はさほど気を残さず背を向けた。


弥勒寺前の茶店笹やの床几に腰を落とし笠は取って横においた。
奥から人の気配がして・・・・・
「ありゃぁ銕っつあんでねぇか、こいつぁぶったまげたぁ、
この年の瀬にまぁよぉ来ておくれだねぇうひゃひゃひゃ」
歯の抜けたシワクチャ顔を増々しわ寄せて愛嬌をふりまく。


「おい お熊!お前ぇは相変わらずだのう」
手ぬぐいを首から下げて平蔵の前に屈みこむお熊の顔を見た。


「当たり前ぇだぁね、おらちっとも変わっちゃぁいねぇぜ、
ここんとこ銕っつあんが見えねえんんでよぉ、
おらちょいと心配ぇしたけんじょよ、こうして顔見せてくれて
ひとまず安心だぁなぁ」


「そうさのう お前ぇの顔を拝んでおかずば年も越せめぇよ」


「ありゃぁ んだば おらは観音様みてぇじゃぁねぇかよぉ銕っつあん」
お熊は開いているのか閉じているのかわからないほどの眼をさらに細めて
盆を胸にあてがい顔をほころばす。


「おなごが失くしちゃぁなんねぇもんが二ツある、そいつぁ女心と乙女心だぁね」
このお熊から想像することすらできかねる言葉が飛び出したから、


「この婆、八十過ぎても色気だけは忘れぬところがすごい」
と、さすがの忠吾も兜を脱ぐだけのことはある。


「なぁお熊、すまぬが笹だんごを適当にみつくろって包んでくれぬか」


「ありゃ奥方さまに土産ちゅう事ぁ、
なにか魂胆でもあるか後ろ暗ぇことでもしでかしたんじゃぁあんめぇなぁ」
と疑わしそうに平蔵の顔を見る。


「おい お熊!そいつぁねぇがな、お前ぇの笹だんごは天下一品!
奥方が大の好物でな、寄った時ぐれぇ下げて帰ぇってやるのも悪かぁねぜ、
これでよいかな」平蔵は一分を盆の上に置いて立ち上がった。


「こりゃぁ多すぎだけんじょも、ありがたく頂いておこうかねぇ、えへへへへへ」
お熊は懐にしまいながら
「銕っつあん又来ておくれよねぇ、待っているからさぁ」
と名残惜しそうに平蔵の後ろ姿を見送った、そのまぶたには
二十年前の平蔵の姿を見ているようであった。


「殿様お帰りなされませ」妻女の久栄が着替えの支度を捧げて居間に入ってきた。
「おう 久栄土産だ、何だと思う?」


「まぁお土産だなんて・・・・・・何でございましょう?」
と受け取る久栄に
「笹やの笹だんごだよ」と言葉をつなぎながら着替えの袖を通す。


「まぁ・・・・・・」
さほど嬉しそうな返事ではない、この久栄は平蔵が無頼時代の話を好まない、
と言うわけで、笹屋は特に好んではいないことを平蔵もよく承知している。


「こいつぁな 猫どのも折り紙付きの旨ぇ団子だとよ、
こう 笹の薫りが胃の賦に毒消しになるそうなあはははは」


「まぁさようでござりますか、では早速お茶を・・・・・」と出て行った。


「佐嶋はおるか!」平蔵は奥に声をかけた。


「お頭お帰りなされませ」筆頭与力の佐嶋忠介が障子を開けた。


「何ぞ変わったことはなかったか?」


「お頭がお出かけになられました後、一時ほど致しまして
奉行所当番方より知らせが参りまして、
一昨日八丁堀三拾間堀の酒問屋灘政左衛門宅に族が押し入り、
家人六名を猿轡をかませた後これを刺殺、四(し)百両あまりが
強奪されたとのことでございます」


「何だとぉ!灘政が襲われたと申すか」


「ははっ 左様にしたためられておりました」


「手口から見て、先の凶賊と同じと見てよかろう・・・・・・」


「年の瀬を控え、何処も支払い受け取りなどの為に大金が動きます、
それを狙っての押込みかと」


「で、町方の動きは相成っておる」
平蔵は町奉行の判断を推し量っているようであった。


「はい 立ち入り検分は済ませてようにございますが、
何しろ全員が口封じのために殺害され、
何一つ証拠が掴めず苦慮いたしておる様子にございます」


「うむ さもあろう・・・・・・」
平蔵じっと宙を見つめもつれた糸を頭の中で捌こうとしている。


7「のう佐嶋、六名が悲鳴を上げる事無く縛られる、
こいつぁ普通の出来事であろうか?」


「とおっしゃいますと」


「うむ 家人はそれぞれ別の部屋に就寝しておるのが普通、とするならばだ、
物音や何かで目を覚まさぬものかのう」


十名ほどの者が徒党を組みて行動致さば夜陰といえども目につく、
そうなるとわしなら出来るだけ人目を避ける事を頭に入れておく、
お前ならどうする」


「まことお頭の申されます通り、私が盗賊であるならば
できるだけ道のりを短くと考えます。
年の瀬は火事などの警戒も怠りませぬゆえ、
見回りの者も普段よりは回数を増やそうかと存じます」


「うむ おらくその辺りも予測しておかねばなるまい」


そのような話しを交わすうちにも大晦日がやってきた。


町の者は前夜宵越しの疲労も忘れて初日の出を拝もうと深川洲崎弁財天、
芝高輪、築地等の海岸や、駿河台、お茶の水、日本橋辺に集まって
初日の出を拝んだ。


やがて神田囃子が賑々しく、獅子舞や神楽を始め四条流の包丁式と
江戸っ子の正月がこうして開けて行った。


平蔵も元旦の将軍への拝賀の礼に始まり、三箇日は年始回りで明け暮れ、
やっと一息と本所菊川町役宅に戻ってきた。


そこには平蔵の組のものが待ち構えており、次々と来客が待っており
「やれやれいつもながらいやはやくたびれる」
とはいうもののこれも正月の行事笑顔で迎えていた。


そこへ仙臺堀の政七がすっ飛んできた。


「何!政七が急ぎとな!」
平蔵は挨拶を済ませる前に用というこの政七に異変を感じ
「よしすぐに裏へ回せ!」
と取り次いだ同心の沢田小平次に言い残して居間に回った。


「長谷川様!」
息せき切って入ってきた政七を見て
「政七いかが致した正月早々」
と言葉をかけたが、政七はよほど急いだのか肩で息をしている。


「おい政七そんなに急いでどうした!」


「それが!晦日に二件押込みがあったようで!」急ぎ お知らせにと思いやして。


「何だと!」
正月明けにのっけから政七のこの知らせは、
やっと腰を落ち着けたばかりの平蔵の正月気分を吹き飛ばすのには十分すぎた。


「手すきのものを全員集めよ!」
平蔵のこの下知は屠蘇気分の与力同心達も現実をつきつけられたようであった。


「お頭!私をはじめ酒井、小林、沢田ほか六名が揃いました」
と佐嶋忠介が報告した。


「まだ皆正月気分も抜けまいが、密偵たちにも繋ぎを取り急ぎ召集いたせ」


「さて佐嶋 政七の知らせによれば、晦日に押込みとは何れも急ぎ働きと見た。


早速被害の出た店の特定を急がねばならぬ、正月早々このような事件が起これば、
市中の治安を預かるこの火付盗賊の立場がない、
何としても早急に解決せねばならぬ・・・・・」
平蔵年明け早々という事が気にかかっている様子である。


平蔵のその思いを裏腹に、案の定この事件が解決を見るには
更に時が必要なこととなった。


絵図面を前に筆頭与力佐嶋忠介、筆頭同心酒井祐助が頭を揃えて見入っている。


「牛込の関口駒井町仏壇屋唐木屋・・・・・赤坂田町米問屋阿賀野や・・・・・・
同じ頃合いに襲うには距離がありすぎますなぁ」佐嶋がつぶやいた。


「いや船だ!船ならばさほどの時刻はかからぬ、
先程からどうも腑に落ちねぇところがあったんだが、
どうだ佐嶋!此度の押込み、何れも川筋から離れておらぬ、
しかも狙ったところはそれぞれ違う商いだ、何処ともつながりが見えておらぬ」


「ということは、狙いが川筋・・・・・・」


政七の話と奉行所の調書からもそう読むのが妥当と俺は想うがなぁ」


「なるほど、そういたしますと事件につながるものを見定めねばなりませぬな」


江?四方に散った密偵からもそれらしい手がかりは何一つ報告が上がってこない。
与力や同心も市中見廻りの中、昼夜を問わず懸命に走り回っていたが
焦れば焦るほど糸筋は途切れたまますでに半年が容赦もなくやってきた。


本所深川割下水を通りかかった時後ろから
「長谷川様!」と声がかかった。


平蔵が振り向くと仙臺堀の政七が勢い込んで駆けつけてきた。


「おお 政七このようなところでお前ぇに出会うとはのう」と平蔵。


「たった今長谷川様にお知らせをとお役宅をお尋ねの途中でございやす」


「おおそうか、では良い所で出会ぅたと言うわけだなぁ、
で何だぇその知らせってぇのは」


「それが昨夜遅く本所常盤町の海産物問屋能島やが襲われました」


「何だと!能島やだぁ・・・・・」
平蔵は年の瀬を迎えた二十五日、五鉄からの帰り道弥勒寺に向かった平蔵が
この海産物問屋能島やから出てきた富山の薬売りと思わずぶつかりそうになった
事を思い出した。


「おお あそこかぁ、本所といえば政七、お前ぇの縄張りだったなぁ」


「へぇ それだけにこの事件は暮の事件とも関わりがあるのではと
お奉行様がご心配なさっておいでのご様子で」


「筑後守様が・・・・・・さようか」
平蔵はこの度の事件は兇賊と言うことでもあり、
事件の取扱い一切が火付盗賊改方に回ってきていた。


その足で平蔵は菊川町役宅に戻り、待機中の佐嶋忠介に知らせた。
「で、その手口はまさか」


「そのまさかだよ佐嶋、火付盗賊も甘く見られたものよのう、
何一ついとぐちの見えぬまま半年が過ぎ、
大目付ではこの平蔵の無能ぶりを攻めるものも多く出てきたそうな。
京極備前守さまが矢面に立たされており、
まことにわしも心中穏やかならざる塩梅じゃ」


この度の一件もやはり川筋・・・・・・とするならば、後はいとぐち」


(んんっ!まてよ)平蔵は晦日のことが再びよぎっていた。


「おい 佐嶋!商いの掛取りはいつか知らぬか?」


「掛取り・・・・・でございますか?


「うむ たいていのところが商いは掛売、それを集金するのは何時頃であろうか?」


「お待ちくださいませ、まかない方に問いただしてみまする」
そう言って佐嶋は部屋を出て行った。


「お頭、普通ならば掛取りは盆と晦日だそうで、
大概のところが盆暮れの集金で済ませるようにございます」
佐嶋忠介が帰ってきて報告した。


「やはりなぁ わしはあの時どうもこう虫がうごめいてな」
平蔵腕組みしながら目をつむる


「何でございましょう?」


「うむ 晦日の事だがな、此度の能島やの表で、
わしは富山の薬売りとあわやぶつかりそうになった、
そのおり、わしも相手も飛び下がってお互ぇに避けたんだがなぁ、
その時のやつの一瞬だが目の光と動きが気になっておった。


これは俺の感の虫の居所が悪かったのかと思うたが、
そうではないやも知れぬ、粂八を呼んでくれぬか」
平蔵何やら思うことが生じたのかそう同心部屋に声をかけた。


暫くして粂八がやってきた。


「長谷川様及びと聞いて飛んで参ぇりやした」
と粂八が裏木戸を開けて入ってきた。


「おお 粂!すまねぇ、実はなぁ先ほど入ぇった話では、
本所常盤町の海産物問屋能島やに昨夜押込みが入ぇったそうな、
で お前ぇに頼みてぇこととは、その周りで富山の薬売りが
出入りしておるお店がねぇかどうか調べてみてくれぬか」


「富山の薬売りでございますか?あの置き薬の・・・・・・」


「そうよ そいつよ、出来るだけ詳しく判る方が良い」


「では早速!」と粂八が出て行った。


一時ほどして粂八が戻ってきた。


「長谷川様!ただいま戻って参ぇりやした」


「おお で如何であった?何かつかめたようだなぁその顔は、あはははは」
平蔵はすでに粂八が何かを掴んだことを見抜いてそういった。


「恐れいりやす、長谷川様の仰るとおりでございやした、
あの辺りを当たっておりやしたら札差しの大戸屋に先日富山の薬売りが
半年ぶりにやってきたそうで」


「で?」と平蔵先が知りたいと急ぐ顔に


「へぃ それがどうも妙な話で、今まではこの数十年変わらず通っていた
担ぎ屋が昨年病気だとか何とかで、若い者が代わりにやってきたそうで、
そんな時ぁたいがい引き継ぎってぇものを持ってくるのが普通でございやす、
ところがこの度はそれもなく、ですが、聞けば急な病とかで、
まぁそんなこともあろうかと別に疑いもなく済んだそうでございやす、
その時ちょいと妙だなぁとは思ったことがあったそうでございやす」


「何だいそいつは」
先を話せと平蔵の言葉尻がせいていたのを感じて粂八


「そいつが妙に店の中を見回しながら、
こんな大店は奉公人もさぞや寝泊まりも多いでしょうねぇとか、
戸締まりなんかはご注意なさっておられるのでしょうねぇとか、
妙に内情を探るような物言いに、妙な感じを受けたと言っておりやした、
それとこいつぁ大きな手がかりになると思いやすが、
そいつの鼻の左に大きなホクロがあって、時折りそれを掻いていたそうで」


「よくやったぜ粂八、おそらくそいつが一味のものであろうよ、
よし!早速密偵共に其奴の人相を伝えて探索いたせ!
わしも手すきの者と共に早速其奴を探すとしよう、おい誰か、誰か居らぬか!」
と大声を上げた。


こうして新しい展開がやっと始まったのである。


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2月号  鴨がネギ背負って  2-2


「そのまさかだよ佐嶋、火付盗賊も甘く見られたものよのう、何一ついとぐちの見えぬまま半年が過ぎ、大目付ではこの平蔵の無能ぶりを攻めるものも多く出てきたそうな。



京極備前守さまが矢面に立たされており、まことにわしも心中穏やかならざる塩梅じゃ」



この度の一件もやはり川筋・・・・・・とするならば、後はいとぐち」



(んんっ!まてよ)平蔵は晦日のことが再びよぎっていた。



「おい 佐嶋!商いの掛取りはいつか知らぬか?」



「掛取り・・・・・でございますか?」



「うむ たいていのところが商いは掛売、それを集金するのは何時頃であろうか?」



「お待ちくださいませ、まかない方に問いただしてみまする」そう言って佐嶋は部屋を出て行った。



「お頭、普通ならば掛取りは盆と晦日だそうで、大概のところが盆暮れの集金で済ませるようにございます」佐嶋忠介が帰ってきて報告した。



「やはりなぁ わしはあの時どうもこう虫がうごめいてな」平蔵腕組みしながら目をつむる



「何でございましょう?」



「うむ 晦日の事だがな、此度の能島やの表で、わしは富山の薬売りとあわやぶつかりそうになった、そのおり、わしも相手も飛び下がってお互ぇに避けたんだがなぁ、その時のやつの一瞬だが目の光と動きが気になっておった。



これは俺の感の虫の居所が悪かったのかと思うたが、そうではないやも知れぬ、粂八を呼んでくれぬか」平蔵何やら思うことが生じたのかそう同心部屋に声をかけた。



暫くして粂八がやってきた。



「長谷川様及びと聞いて飛んで参ぇりやした」と粂八が裏木戸を開けて入ってきた。



「おお 粂!すまねぇ、実はなぁ先ほど入ぇった話では、本所常盤町の海産物問屋能島やに昨夜押込みが入ぇったそうな、で お前ぇに頼みてぇこととは、その周りで富山の薬売りが出入りしておるお店がねぇかどうか調べてみてくれぬか」



「富山の薬売りでございますか?あの置き薬の・・・・・・」



「そうよ そいつよ、出来るだけ詳しく判る方が良い」



「では早速!」と粂八が出て行った。



一時ほどして粂八が戻ってきた。



「長谷川様!ただいま戻って参ぇりやした」



「おお で如何であった?何かつかめたようだなぁその顔は、あはははは」平蔵はすでに粂八が何かを掴んだことを見抜いてそういった。



「恐れいりやす、長谷川様の仰るとおりでございやした、あの辺りを当たっておりやしたら札差しの大戸屋に先日富山の薬売りが半年ぶりにやってきたそうで」



「で?」と平蔵先が知りたいと急ぐ顔に



「へぃ それがどうも妙な話で、今まではこの数十年変わらず通っていた担ぎ屋が昨年病気だとか何とかで、若い者が代わりにやってきたそうで、そんな時ぁたいがい引き継ぎってぇものを持ってくるのが普通でございやす、ところがこの度はそれもなく、ですが、聞けば急な病とかで、まぁそんなこともあろうかと別に疑いもなく済んだそうでございやす、その時ちょいと妙だなぁとは思ったことがあったそうでございやす」



「何だいそいつは」先を話せと平蔵の言葉尻がせいていたのを感じて粂八



「そいつが妙に店の中を見回しながら、こんな大店は奉公人もさぞや寝泊まりも多いでしょうねぇとか、戸締まりなんかはご注意なさっておられるのでしょうねぇとか、妙に内情を探るような物言いに、妙な感じを受けたと言っておりやした、それとこいつぁ大きな手がかりになると思いやすが、そいつの鼻の左に大きなホクロがあって、時折りそれを掻いていたそうで」



「よくやったぜ粂八、おそらくそいつが一味のものであろうよ、よし!早速密偵共に其奴の人相を伝えて探索いたせ!わしも手すきの者と共に早速其奴を探すとしよう、おい誰か、誰か居らぬか!」と大声を上げた。



こうして新しい展開がやっと始まったのである。



 



 



 



 



 



 



 



 



 



 



その夜本所二ツ目橋言わずと知れた五鉄の二階。



持ち寄った情報を整理することになった。



与力、同心の情報は佐嶋忠介が持ち込んできた。



軍鶏鍋を囲みながら小房の粂八、相模の彦十、大滝の五郎蔵とおまさ夫婦、朝熊の伊三次が揃っていた。



「「いや 皆ご苦労!まず腹ごしらえからだ、な 腹が減っては・・・・・・」「戦も出来ねぇと来らぁねぇ、そうでござんしょう長谷川様」と彦十が口を挟んだ。



それを見て、大滝の五郎蔵「とっつあん、お前ぇそのあたりだけは気が回るなぁ、あきれたもんだぜ」と苦笑い。



「いや全く彦十の申す通り、先ずは腹ごしらえからだ。



で、佐嶋の方はどのような具合だった」



「それが中で何件かの店で同じ風体のものと見受けられるところがございました」



「こちらもご同様で、どうやらこの江戶市中を何人かで持ち回りのように回っているようでございます」と大滝の五郎蔵が、「ちょうど薬を入れ替えに入った男を見つけまして、声をかけてみたのでございます。



お茶を飲みながらそれとなく聞いてみましたら、やはり申し送りをするようで、そうでなければお得意様が警戒なさるのでと申しておりました」



「ふむ やはりなぁ、でほかに何かわかったことは無ぇかぃ」



「はい 、いつも江戸に出てきた時、宿はどうするのか聞いてみましたら、昔ながらの定宿があり、富山の者は皆そこに泊まって周るそうでございます。



「で当たって見たのであろうがそこには居なかった」と平蔵



「あっ よくお判りで、そのとおりでございます、さり気なく(なんとか言ったねぇほらこの左の鼻の近くにほくろのある・・・・・)と水を向けましたが、そんなものは富山の仲間内にはいないと言う事でございました」



「皆ご苦労だが、もう少しのところまで追い詰めたと思うゆえ、もうひと踏ん張り頼むぜ、明日からはその鼻のそばに、ほくろのあるやつを徹底的に追いかけろ、与力、同心達にもそのように申し伝えよ」平蔵が箸を伸ばす鍋にも、長きに亙ったこの事件に目鼻がついた安堵感が見えていた。



そして二日目、とうとう目指す相手を発見したと伊三次から平蔵の元へ繋ぎが来た。



伊三次からの知らせで、浅草新鳥越町幸龍寺裏に長らく空いていた家に戻るのを見届けたということであった。



早速川を挟んで対岸の百姓屋に見張り所が設けられた。



平蔵の指図で、まずはじめに川筋をあたった忠吾が川の葦叢に隠してある川船を発見した。



「おそらくこいつで縦横に移動していたのであろうよ」平蔵は読みのあたっていたことに少々安堵した風でもあった。



夕方には盗賊改めの面々が集結し、村松忠之進手作りの牡蠣煮込みの結びを頬張り、腹ごしらえも整っていた。



その夜も更け深々と冷え込む中動きがあった。



川向うの空き家付近とみられる方にかすかな灯りが漏れたのを当番の小林金弥が見逃さなかった。



「お頭!動きが出たようにございます」



「うんっ」仮眠を取っていた平蔵がやおら身体を起こした。



「動いたか!」「はい そのようで・・・・・」



「よし皆の者船の用意をいたせ、今から彼奴ら共を一網打尽にする時が来た」平蔵は各自持ち場に散るよう指図し、自らが奥まった所に密かに隠しておいた川船に乗り込みガンドウを点けて、クルクルと三回まわし、それぞれ粂八の働きで集められた川船三杯に乗り込み、舳先を川下に向け平蔵の合図を機に行動は開始された。



その間に向かいでは隠してあった船二杯に分乗して動きを始めた。



かすかな灯りを点けて川面を照らしながらゆっくりと進んでいる。



賊の船が海禅寺に差し掛かる直前平蔵の乗った小舟からガンドウが左右に大きく振られた。



盗賊を載せた船が海禅寺に近づいたその時、突然川面に灯がともり川船が川面に進んできた。



「何だぁ・・・・・・・こいつぁ」と盗賊の頭目らしき男が舳先に立ち上がって思わず叫んだ。



そこへ後ろからもガンドウが照らしだされて「火付盗賊改方長谷川平蔵である、一味のもの観念いたせ」と大声で詰め寄った。



「くっそぉ これまでかぁ・・・・・皆殺っちまえ!」と叫んだが、すでに船は取り囲まれ川岸の方へと追い込まれている。



「陸に逃げろ!」再び声が飛んだが、それを待っていたように陸からもガンドウの灯が一斉に当てられて、高張提灯までも点いている。



こうなっては最早どうすることも出来ない、抗うものはその場で切り伏せられ、川を朱に染めた。川に飛び込んだ者も一人残らず捕り方によって捕らえられてしまった。



こうして捕縛されたまま再び幸龍寺まで戻り、小笠原帯刀屋敷の前にある番屋まで連行された。



屈強な面構えの者の中に、平蔵がぶつかりかけた時の御用商人の顔も見えた。



「やはりお前ぇは只者ではなかったんだなぁ」と平蔵がその顔を見て言った。



「何だと!?」その男は意味がわからず平蔵に問いなおした。



「昨年の晦日お前ぇは本所常盤町の海産物問屋能島やに立ち寄ったであろう、
その店を出る時危うくぶつかりそうになったのを覚えておらぬのか?」



「あっ !」



「ふっ どうやら思
い出したようだなぁ、あの時の相手がこの俺だったのよ」



「くっ!」男は歯ぎしりしながら平蔵の顔を睨みつけた。



「あの時のお前ぇの顔がどうもちらついてなぁ、
あの一瞬だが俺を見たお前ぇの目つきの冷ややかさが気になっておった。



どうだ 話をする気になったけぇ?」



だが一味の誰一人として口を割るものがいなかった。



「まぁよい、夜が明けたら役人どもが来るであろう、どうせお前達は大番屋送り、
きびしき詮議の後死罪となろう、押しこみ殺人は斬首の上試し切りと決まっておる、
遠島は無いと思えよ」平蔵は冷ややかにそう言い放った。



だが誰一人声を上げる者がなかった。



それから吟味方与力の厳しい詮議が行われた結果全員が刀を帯びて折り、
過去の余罪も判明した為に情状酌量の余地なしという結論がくだされ、
死罪と決まった。



吟味方の厳しい詮議の結果判明したことは越中を股にかけた
兇賊帳(とばり)の仙蔵一味であった。



富山の薬売り友助は所持していた懸場帳を高齢であったゆえ
積まれた大金に欲が出て売ったものだった。



族の一味が掛取りを装って店の内情を探り、
目星をつけた店へ夜半に乗じて船で乗り付け、それぞれその場で猿轡を懸け
「殺しはしない」と安心させて騒ぎ出さないように図り、
強奪した後これを殺害して証拠を消した。



盗んだ金子は袋に入れ直し船に積んでそのまま夜明けを待ち、
日が昇ると同時に何食わぬ顔で川を下って盗人宿まで逃げていたという。



夜半に川を移動するのは危険が伴うし、川番屋や盗賊改めの警備に
発見されることも考えて、最も安全な方法を取っていたことが
平蔵をして感心さしめた事件であった。



「忍び混んだ庭先から目的の部屋の、
鎧戸に油を撒きこれを抜けば容易に部屋に忍び込めよう、
それぞれ二組で当たれば脅しながら縄をかけることも出来よう。



さすれば押込みは十名は必要ではないか」
平蔵の睨んだ通り押込みの人数は九名であった。



 


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その夜本所二ツ目橋言わずと知れた五鉄の二階。



持ち寄った情報を整理することになった。



与力、同心の情報は佐嶋忠介が持ち込んできた。



軍鶏鍋を囲みながら小房の粂八、相模の彦十、大滝の五郎蔵とおまさ夫婦、朝熊の伊三次が揃っていた。



「「いや 皆ご苦労!まず腹ごしらえからだ、な 腹が減っては・・・・・・」「戦も出来ねぇと来らぁねぇ、そうでござんしょう長谷川様」と彦十が口を挟んだ。



それを見て、大滝の五郎蔵「とっつあん、お前ぇそのあたりだけは気が回るなぁ、あきれたもんだぜ」と苦笑い。



「いや全く彦十の申す通り、先ずは腹ごしらえからだ。



で、佐嶋の方はどのような具合だった」



「それが中で何件かの店で同じ風体のものと見受けられるところがございました」



「こちらもご同様で、どうやらこの江戶市中を何人かで持ち回りのように回っているようでございます」と大滝の五郎蔵が、「ちょうど薬を入れ替えに入った男を見つけまして、声をかけてみたのでございます。



お茶を飲みながらそれとなく聞いてみましたら、やはり申し送りをするようで、そうでなければお得意様が警戒なさるのでと申しておりました」



「ふむ やはりなぁ、でほかに何かわかったことは無ぇかぃ」



「はい 、いつも江戸に出てきた時、宿はどうするのか聞いてみましたら、昔ながらの定宿があり、富山の者は皆そこに泊まって周るそうでございます。



「で当たって見たのであろうがそこには居なかった」と平蔵



「あっ よくお判りで、そのとおりでございます、さり気なく(なんとか言ったねぇほらこの左の鼻の近くにほくろのある・・・・・)と水を向けましたが、そんなものは富山の仲間内にはいないと言う事でございました」



「皆ご苦労だが、もう少しのところまで追い詰めたと思うゆえ、もうひと踏ん張り頼むぜ、明日からはその鼻のそばに、ほくろのあるやつを徹底的に追いかけろ、与力、同心達にもそのように申し伝えよ」平蔵が箸を伸ばす鍋にも、長きに亙ったこの事件に目鼻がついた安堵感が見えていた。



そして二日目、とうとう目指す相手を発見したと伊三次から平蔵の元へ繋ぎが来た。



伊三次からの知らせで、浅草新鳥越町幸龍寺裏に長らく空いていた家に戻るのを見届けたということであった。



早速川を挟んで対岸の百姓屋に見張り所が設けられた。



平蔵の指図で、まずはじめに川筋をあたった忠吾が川の葦叢に隠してある川船を発見した。



「おそらくこいつで縦横に移動していたのであろうよ」平蔵は読みのあたっていたことに少々安堵した風でもあった。



夕方には盗賊改めの面々が集結し、村松忠之進手作りの牡蠣煮込みの結びを頬張り、腹ごしらえも整っていた。



その夜も更け深々と冷え込む中動きがあった。



川向うの空き家付近とみられる方にかすかな灯りが漏れたのを当番の小林金弥が見逃さなかった。



「お頭!動きが出たようにございます」



「うんっ」仮眠を取っていた平蔵がやおら身体を起こした。



「動いたか!」「はい そのようで・・・・・」



「よし皆の者船の用意をいたせ、今から彼奴ら共を一網打尽にする時が来た」平蔵は各自持ち場に散るよう指図し、自らが奥まった所に密かに隠しておいた川船に乗り込みガンドウを点けて、クルクルと三回まわし、それぞれ粂八の働きで集められた川船三杯に乗り込み、舳先を川下に向け平蔵の合図を機に行動は開始された。



その間に向かいでは隠してあった船二杯に分乗して動きを始めた。



かすかな灯りを点けて川面を照らしながらゆっくりと進んでいる。



賊の船が海禅寺に差し掛かる直前平蔵の乗った小舟からガンドウが左右に大きく振られた。



盗賊を載せた船が海禅寺に近づいたその時、突然川面に灯がともり川船が川面に進んできた。



「何だぁ・・・・・・・こいつぁ」と盗賊の頭目らしき男が舳先に立ち上がって思わず叫んだ。



そこへ後ろからもガンドウが照らしだされて「火付盗賊改方長谷川平蔵である、一味のもの観念いたせ」と大声で詰め寄った。



「くっそぉ これまでかぁ・・・・・皆殺っちまえ!」と叫んだが、すでに船は取り囲まれ川岸の方へと追い込まれている。



「陸に逃げろ!」再び声が飛んだが、それを待っていたように陸からもガンドウの灯が一斉に当てられて、高張提灯までも点いている。



こうなっては最早どうすることも出来ない、抗うものはその場で切り伏せられ、川を朱に染めた。川に飛び込んだ者も一人残らず捕り方によって捕らえられてしまった。



こうして捕縛されたまま再び幸龍寺まで戻り、小笠原帯刀屋敷の前にある番屋まで連行された。



屈強な面構えの者の中に、平蔵がぶつかりかけた時の御用商人の顔も見えた。



「やはりお前ぇは只者ではなかったんだなぁ」と平蔵がその顔を見て言った。



「何だと!?」その男は意味がわからず平蔵に問いなおした。



「昨年の晦日お前ぇは本所常盤町の海産物問屋能島やに立ち寄ったであろう、
その店を出る時危うくぶつかりそうになったのを覚えておらぬのか?」



「あっ !」



「ふっ どうやら思
い出したようだなぁ、あの時の相手がこの俺だったのよ」



「くっ!」男は歯ぎしりしながら平蔵の顔を睨みつけた。



「あの時のお前ぇの顔がどうもちらついてなぁ、
あの一瞬だが俺を見たお前ぇの目つきの冷ややかさが気になっておった。



どうだ 話をする気になったけぇ?」



だが一味の誰一人として口を割るものがいなかった。



「まぁよい、夜が明けたら役人どもが来るであろう、どうせお前達は大番屋送り、
きびしき詮議の後死罪となろう、押しこみ殺人は斬首の上試し切りと決まっておる、
遠島は無いと思えよ」平蔵は冷ややかにそう言い放った。



だが誰一人声を上げる者がなかった。



それから吟味方与力の厳しい詮議が行われた結果全員が刀を帯びて折り、
過去の余罪も判明した為に情状酌量の余地なしという結論がくだされ、
死罪と決まった。



吟味方の厳しい詮議の結果判明したことは越中を股にかけた
兇賊帳(とばり)の仙蔵一味であった。



富山の薬売り友助は所持していた懸場帳を高齢であったゆえ
積まれた大金に欲が出て売ったものだった。



族の一味が掛取りを装って店の内情を探り、
目星をつけた店へ夜半に乗じて船で乗り付け、それぞれその場で猿轡を懸け
「殺しはしない」と安心させて騒ぎ出さないように図り、
強奪した後これを殺害して証拠を消した。



盗んだ金子は袋に入れ直し船に積んでそのまま夜明けを待ち、
日が昇ると同時に何食わぬ顔で川を下って盗人宿まで逃げていたという。



夜半に川を移動するのは危険が伴うし、川番屋や盗賊改めの警備に
発見されることも考えて、最も安全な方法を取っていたことが
平蔵をして感心さしめた事件であった。



「忍び混んだ庭先から目的の部屋の、
鎧戸に油を撒きこれを抜けば容易に部屋に忍び込めよう、
それぞれ二組で当たれば脅しながら縄をかけることも出来よう。



さすれば押込みは十名は必要ではないか」
平蔵の睨んだ通り押込みの人数は九名であった。



 


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1月第2号 穏やかな時



平蔵、小房の粂八を供に、久しぶりに大川で釣り糸をたれている 
船着場から小舟が寄せてきて「釣れやすか?」と声をかけてきた。

「魚かえ?」平蔵は釣り糸を上げてみせる

「お武家様ぁそいつぁ何でも・・・・・・」と苦笑いをする

「そうであろう わしもさように思うておる。
餌もなければ針もない、だがなぁ釣るだけが目的ではないこともある
こうして釣り糸を垂れる

この川の流れの中にどれほど多くの思いが溶けこんでおろうか
川面を眺め泣いた者もおろう、苦しみを投げ込んだ者もおるであろう、
地獄も極楽もこの川の底に潜んでおるやも知れぬ。

わしは日々の疲れをこのように糸に流してただあるがままに時を過ごす
そこに食うか食われるかなぞという野暮なものを持ち込んでは、
せっかくの楽しみも消え失せる

気の安らぐものを何処に求めるか・・・わしは過ぎる時を楽しんでおるのよ」

「へ~そんなもんでございますかねぇ」
若い船頭は苦笑しながら平蔵の釣り糸を眺めた。

「かかるっていやぁ先だって、この先の浅草今戸町船宿「柳川」の山谷船が
お武家の土左衛門を引っ掛けちまって、
まぁ御定法通り川に押し戻したそうでございやすがね、
片腕に紐が結んであったそうで、ありゃぁひょっとすると相対死じゃぁねぇかって・・・・・」

「そいつぁ片割れかも知れねぇなぁ、かわいそうにどのような訳があったのか知らぬが、
死んでしもうては何んにもならぬ、死んでしまえば楽ではあろうよ、
だがな 残された者はその分苦しまなきゃぁならねえってぇこともある。

生きていればこそ明日を夢見ることも出来たろうに、人の世とは不条理な事の多いものよ」

平蔵は身投げのあまりの多さに対応しきれず、岸に上がった物のみ
奉行所などが取り扱うという御定法を嘆いた。

その翌日、新吉原とは目と鼻の先、
田町一丁目二本堤の川傍で女の死体が見つかったと小林金弥が拾ってきた。

「武家の息女と見受けられるものの、身元の確認ができていない」
との報告であった。

昨日の大川で出会った船頭の言っていた水死体と、
もしや関連があるかも知れないと思ったものの、
すでにその骸は魚の餌になっているかもしれない。

その三日後浅草柳橋の橋桁に死体がひかかっているのが見つかり、
番屋に届けが出され、相対死の片割れかもしれないということで引き上げられた。

火付盗賊改方としては出る幕でもないが、少々気にかかる平蔵であった。

仙台堀の政七から聞いた話だとやはりその二体は相対死者のようで、
ただ妙なことに繋がれていた紐が鋭い刃物で切られていたということである。

「ところが長谷川様お奉行様が言われるには、
いずれも川に浮かんでいたのに水を飲んだ気配がねぇそうで」

「筑前守様が左様申されたのか、確かにふたりとも水を飲んではおらぬと」

「へぇ しかもふたりともお武家の身なりのようで」

「何ぃ 武家だぁ」まぁ確かによくある話ではある。

(水を飲んでいなかったこと・・・・・面白くねぇ話だなぁ)
腕組みをしながら平蔵は頭の中にからくりを仕込んでいた。

二人とも生き残れば日本橋で三日間の晒のあと、非人に落とされるし、
一人でも生き残れば死罪、

起請文(針で指を刺して血で遺書を書く)もなく、断髪もしておらぬ、
爪剥ぎもなく指切りもなし。

ふむ いずれの約束事もなしでは、まことの相対死とは言えぬところもあり、
果たしてこれが相対死かどうか、少々いかがわしくもある。

平蔵のこのささやかな不信感が決め手になろうとは思いもしなかった。

数日後平蔵は池田筑前守から南町奉行所にお越し願いたいとの言上を受け承った。

「長谷川殿、すでに此度の事件はお聞き及びと存ずるが、
武家の事件にて我らには手を下せぬ事が判明いたした。

誠にご雑作をおかけいたすが火付盗賊にて事件を引き継いでいただくわけには
参らぬであろうか・・・・・」

「承知つかまつりました、長谷川平蔵何としても事の真相を証してご覧に入れまする」
と快諾した。

「おお! お引き受け下さるか、誠にかたじけない、
ところで南町にて判明いたしたることを書き記しましたる物をお渡し致そう」
そう言って備前守はこれまでの取り調べ書きを平蔵に手渡した。

清水御門前の火付盗賊改方役宅に戻った平蔵、早速筆頭与力佐嶋忠介に
このしたため書きを手渡した。

「どう見る?」
平蔵は中身を改めて後佐嶋に問いかけた。

「このお調書によりますと、相手は武家の身ということでございますな」

「そうさ だから備前守様にも手が出せねぇ」

「ではこの後は手前ども盗賊改めのやり方で宜しゅうございますな」と念を押した。

「うむ だが相手が侍ぇともなればそうたやすくは聞き取りもかなうまい、
まずは外堀を埋めなければならぬが、さて合点のゆかぬ物もあり、
思案の貯めどころじゃなぁ」

判っておることはどこぞの家中の侍と身元不明の女の相対死・・・・・
だがなぁふたりとも水を飲んではおらぬというところがどうもわしは気に入らぬ。
責任を取ることではないゆえに腹は召さなんだ、こいつは判る。

おなごの方は首を絞められたような痕跡を認むとあろう、
首を絞めた後、誰がどのように二本堤まで運び、遺棄致したかその辺りも見えては居らぬ。
こいつぁ時がかかるかも知れぬなぁ・・・・・のう佐嶋」

「左様にございますなぁお頭、どうも身元が判明致さぬのでは捜査もままなりませぬ」

「よし 密偵たちに足取りを探さすのが先のようじゃ、すぐに繋ぎを取り
二人の足取りとつながりを探るよう指示いたせ」平蔵は疑問を解くには
元からやり直すことが良いと感が働いた。

「闇雲に動いたところで無駄であろう、
まずは仏の見つかった田町一丁目二本堤あたりから掛かってくれ」
佐嶋忠介は大滝の五郎蔵を中心に盗賊改めの威信がかかっていることを言い聞かせた。

密偵たちの必死の捜索にもかかわらず一向にその糸口さえも掴めないまま半月が過ぎた。

「殺しの現場はここら辺りではないのかもしれない・・・・・」
いつの間にか諦めのそんな言葉がやりとりされるようになっていた。

そんなある日、武家の内儀と思える者が人探しをしているらしいという話を
小房の粂八が聞きこんできた。

「おい 粂!そいつぁどのあたりだい?」

「それが長谷川様伝法院の辺でございまして、
何でも上役に呼ばれたとかで出かけたまま行方しれずになっているとか・・・・・」

「ふむ そいつぁもしやこの度の殺しと関係があるやも知れぬのう」
平蔵はこの粂八の掴んできた話に一抹の期待をかけた。

そしてそれが解決に向かった序章でもあった。

翌日同心沢田小平次が粂八と浅草伝法院で武家の内儀風の者を見かけたという
辺りに出かけていった。

昼過ぎに茶店で疲れた足を休めていると
「あっ!沢田様!あのひとでございやす」
と粂八が浅草寺の志ん橋と書かれてある大提灯の下をくぐって
広小路に出てきたそれらしき者を指さした。

「よし!判った!」沢田は茶代を置いて立ち上がった。

「そつじながら・・・・・・」
いぶかしそうな顔で足を止めた武家の内儀風の女性に沢田は声をかけた。

「身共は火付盗賊改方同心沢田小平次と申します、
お尋ねの方につき、少々お話を伺えますまいか」と切り出した。

女性は一瞬たじろいたが、火付盗賊改方と聞き、頷いた。

さる旗本に仕えている息子の消息が突然消えてしまった。
許嫁の親元にでもと思い、そちらを尋ねたら、その息女も行方しれずと聞かされ、
お屋敷にお伺いを立てたが、知らぬ存ぜぬでとりつく島もなく、
矢も盾もたまらず、こうして探しているとのことであった。

名は小坂史郎、許嫁の名はちはると言った。

「旗本であったか・・・・・・」
平蔵は町方が出張れないのも無理は無いと判った。

「とりあえず、その身の周りから探るしか無ぇなぁ・・・・・・
よし五郎蔵を呼べ、あいつにその旗本屋敷の中間などに探りを入れさせろ」
と佐嶋忠介に指示を出した。

五郎蔵は旗本屋敷の中間の中でも酒癖の汚そうな中間が出入りする下屋敷に目をつけ、
そこに張り込んだ。

そうして三日の時が流れた。

その夜件の中間は大負けを喫し、荒ぶれた様子で土場を出てきた。

「兄さん今夜はついてなかったようだねぇ」と声をかけた。

「誰でぇ 俺ぁ今夜は荒れてんだ、糞面白くもねぇ・・・・・・」

「まぁまぁ あっしも負け犬でござんすよ、どうですちょいとそこいらでこう・・・・・」
と盃を引っ掛ける仕草をして誘ってみた。

「俺ぁ すってんてんだぜ!お前ぇさん持ちならつきあってやってもいいぜ」

「おう そうこなくっちゃぁ、げん直しに一杯やって、
ウサでも晴らしゃぁ又目もでるってもんで」と誘い込んだ。

近くの居酒屋に腰を据えて、暫く盃を重ねていたが
「兄さん!そんなもんじゃぁ気分も過ぎめぇ、どうでぇこいつの方で・・・・・」
と湯のみを差し出した。

「こいつぁ気が利くねぇお前ぇさん!」

男は眼をトロつかせながら湯のみをいく杯も飲み干した

「ところでお前さん寺坂様のお屋敷に詰めていなさるんじゃァねえんですかい?」

「何だとぉ お前ぇ誰でぇ・・・・・・!」

「おっと 怪しいもんじゃござんせんよ、近習の小坂史郎様の知り合いでね、
時々お屋敷に伺っていたんで、お前さんの顔に見覚えが・・・・・」

「なんでぇぃ 小坂様の知りあいけぇ」

男は疑いの目を解き放ったようで、あの方もお気の毒なことで」と、
気落ちしたふうに言葉を濁した。

「なんでぇ そのお気の毒な話ってぇのは・・・・・まさか許嫁の・・・・・」
五郎蔵が水を向けると、眼を見返して

「おっ さすが知ってるね!そうよそいつよ、
お気の毒にあの小坂様の許嫁のちはる様に若殿様が横恋慕でよ!
何度か横車を押したんだが、他家のお女中という事で、中々うまく行かねぇ、

ところがこの暫く前から小坂様のお姿が見えねぇ、
妙な具合になっちまったんじゃぁねぇかって中間部屋ではもっぱらの噂だぜ、
若殿様は何しろあの御気性だからなぁ、小坂様も大変だとは想うぜ」
中間は気を許してペラペラと内情を喋った。

この話を五郎蔵から聞いた平蔵
「ふむ やはり相対死ではなさそうだのう、いやでかした!五郎蔵、よく調べてくれた、
これで目星もついた、後は事実を探すまで、いやご苦労であった、ゆっくり休んでくれ、
おまさにも俺からよろしくとな!
帰ぇりに宗平とっつあんに土産でも持って帰ぇってやってくれ」
そう言って懐紙に二朱金を包んで手渡した。

「長谷川様・・・・・」

「おいおい 大げさな さぁ 早く帰って安心させてやれ、
きっとお前ぇのことを案じておるであろうよ」
平蔵は煙草に火をつけながら枝折り戸に消える五郎蔵の後ろ姿を見送った。

翌日から平蔵の指図で密偵を始め与力同心も市中見廻りの探索の傍ら
聞きこみに力を入れたものの、これといった収穫もなく時ばかりが過ぎてゆくようで、
平蔵の顔にも少々焦りの色が見え始めた。

そんな夕方、密偵の粂八が
「ちょっと小耳に挟んだことが」と報告にと役宅に立ち寄った。

「吉原辺りを流している畳屋が畳の張替えを頼まれて出かけたそうですが、
こいつがまた妙な話で」・・・・とその親父が話してくれやした。

「大抵畳の張替えは表裏と返した後張り替えやす、
ところがこの時ばかりはさほど傷んでなかったそうで、
畳の目地に大層な汚れがひとかたまり着いていて、
それが畳床にまで広がっていたそうで妙なもんだと思ったそうでございやす」

「うむ、そいつぁ妙だのう、もしやその汚れは血の固まったもんじゃァねぇか?」
平蔵はもしやその場所で事件が起きた可能性もあるとカンが働いた。

「へぇ あっしもそいつァ妙だと思いそのお店の場所と名前を確かめてまいりやした」

「おお そいつぁでかしたぜ粂、恐らくはお前ぇの睨んだとおりだろうぜ」
平蔵は先に明かりが見えた思いで粂八をみた。

「早速おまさにつなぎを入れてそのお店に探りを入れさせろ」
平蔵、揉み手をしながら口元が緩んできた。

翌日おまさが小間物を背負って昼過ぎの隙を狙って商いに出かけていった。
おまさはその店の裏にまわり、賄いの女中に声をかけた。

「お前さんこの辺りで知らない顔だねぇ」
といぶかしそうに年増の女がおまさの足元から道具立てまでじろじろ眺めて品定めをする。

「はい 店を出しておりました亭主が床に着いちまって、
代わりにあたしが品物を担いで商いに出ることになりましたもので、こうして・・・・・
ご挨拶代わりに今、京の都で流行っている京紅ですけど」と、差し出した。

「おや それぁ大変だねぇ、いいよ、あたしがこの店じゃぁ古いから任しておきなよ」
差し出された紅をさっさと懐に修め、ご機嫌よく招き入れてくれた。

こっちも客商売だからねぇ色々と小間物はいるもんだからさ、
ねぇちょいと皆んな来てご覧よ今京で流行りの物があるよ」と奥に声をかけてくれた。

品物を広げながら
「このさきのお店で小耳に挟んだんだけど、この界隈で若い女が殺されたとか・・・・・」
と好奇心を覗かせるように世間話を漏らした。

一瞬全員の顔に緊張が走ったのをおまさは見逃さない。

「かわいそうにねぇ何も死ななくても、・・・・・・何とかならなかったのかねぇ、
死んじまっちゃぁなんにもなりゃぁしない。
助けてくれるような好きなお人もいなかったのかねぇ」とつぶやいた。

すると先ほどの女中頭が声を潜めて
「ここだけの話だけどさ、ここの2階座敷で若いお武家と同じような武家風の
相対死があったのさ、そりゃぁひどいもので辺り一面血の海でさぁ
、あたしと女将さんでその血の海を拭い取って、
相対死の二人はどこかのお屋敷の方々が引き取って行ったんだけどさぁ、
あれぁ相対死じゃぁ無いね!だってさ、

どこかのお屋敷の身分の高そうなお侍さんたちが先に上がってひと騒ぎあった後
若い二人がやってきてその後のことだもの、人前で相対死なんてできゃぁしないよねぇ」
とおまさに同意を求めてきた。

「たしかにねぇ、でも相対死だって言われたんじゃぁねぇ」
と次の言葉を誘ってみた。

「女将さんが血を拭き取りながら
(こっちは客商売だからさぁ嫌とはいえないけど、あの若様にも困ったもんさね、
ご大身の旗本風吹かせてなんでも押し切っちまうなんてねぇ、
二人にとっちゃぁ迷惑な話だよ)って、
嫌だねぇやりたい放題で、その後始末はこっちにおっかぶせてさ」とぼやいた。

ことの次第をおまさから聞いた平蔵
「おまさ でかしたぜ!これですべての駒が揃った、
よし早速お調書を作成致し備前守さまにお届け申そう、ご苦労であった、
これでやっとわしも肩の荷がおろせる」
平蔵 腕組みをしながら目を閉じてすべての筋書きを書き終えたような安堵感を見せた。

少し話は戻る。

「誰か居らぬか!」

「若殿! お呼びで!」

「おう 斉藤 小坂史郎を呼んで参れ!」

「ははっ!」

「若殿 何か御用でございましょうか?」

小坂と呼ばれた若侍が旗本寺坂刑部の嫡男十太郎の部屋にまかりこした。

「おう 小阪!お前近々婚儀が整うたと父上に婚儀の承諾願いを出したそうだなぁ」

「ははっ 左様にお届けいたしました」

「そこでわしから祝ぅてやろうと想うてな、どうだ二人連れ立って出かけて参らぬか?」

「ははっ ありがたきお言葉、では早速にでもちはるを伴って参上つかまつります」

「おお 来てくれるか、では早速だが明日山谷浅草田町の袖すり稲荷前にある
料亭翠月楼に暮六ツに参れ、それまでにはわしも参っておる」

「ははっ かたじけのうございます」

若殿直々のお声がかりである、小坂史郎は歓びに胸を躍らせて
許嫁のちはるに報告に立ち寄った。

「ちはるどの、歓んでください若殿が我らの祝言を祝ぅて下さるそうでございます」

「史郎さま、それはまことでございますか?」
ちはるは想いもかけない史郎の言葉に信じられない風であった。

「日頃より殿様は何かと私に目をかけて下さり、
この度のちはるどのとの婚儀もたいそう歓んでくださって居られましたが、
まさか若殿まで祝ぅて下さるとは想いもかけないことで、早速お返事を致しました。
それで明日二人揃うて翠月楼に参れとの仰せでございました」

こうして二人は翌日夕刻十太郎の指名した翠月楼に出向いた。

十太郎はと言えば、すでに到着しており、
取り巻きの若侍三名と酒の膳もかなり進んでいた様子である。

「おう来たか、ちはるとか申したのぅ、よう参られた、
ささっ まずは一献わしに注いではくれぬか?」

ちはるは両手をついて
「若殿様のお申出なれど、私は酒汲みおなごではござりませぬ、
何卒その儀はお許しのほど願います」と丁重に断った。

当然のことである、夫ならいざしらず見知らぬ者に酌をするなど
武家のおなごのすることではない。

「何ぃ!若殿に向かって無礼であろう!」
腰巾着の若侍が片膝立ててそばの大刀を引き寄せた。

「まぁ待て待て!嫌だと申しておるのではない 
出来ぬと申したのじゃ、そうであろう?」

「はい さようにございます、どうかその儀はお許し願わしゅうございます」
きっぱりと十太郎の目を見据えて答えた。

「こしゃくな!誰に向こうて返事を致しておる所存じゃぁ!」
眉間にピリピリと引きつりを見せて十太郎は持っていた盃を小坂史郎に投げつけた。

避ける間もなく盃は小坂史郎の眉間に当たり、血が糸を引きながら袴の上に流れ落ちた。

小坂史郎は血のしたたりが畳に吸い込まれるのを拭おうともせず
「若殿!何卒お許しの程を」と懇願した。

「無礼な!わしに仕える身の貴様ごときに断られて、
それを飲むとでも思うたか!下郎が下がりおれ!」
十太郎の激しい口調に思わず小坂史郎は刀を引き寄せ柄に手をかけた。

「柄に手をかけるとはおのれが主に刃向こう気か!
許せぬそこに直れ手打ちに致してくれる!」

「めめめっ滅相っもござりませぬ、何卒お許しを!」
我に返った小坂史郎柄から手を離し平伏した。

「黙れ黙れ!聞く耳持たぬわ!其奴を取り押さえろ!」
若侍に命じ小坂史郎を両脇から押さえ込んだ。

気の昂ぶりを抑えきれず十太郎は小坂史郎の脇差しを引き抜いての首を切り裂いた。

鮮血が襖にビュッと飛び散り、取り押さえていた若侍の胸に降り注いだ

「「史郎様!!」
ちはるは史郎の身体に覆いかぶさるように抱きついた

「おのれがぁ!」
十太郎はその姿を見て増々逆上し、ちはるを引き剥がし、
仰向けに倒れたちはるに馬乗りになった

「小阪!もはやお前には必要ないこいつはおれが頂いてやる安心いたせ!」

両眼を見開いたまま声も出せず荒い息をしつつ血潮にまみれている小坂史郎に
そう叫んでちはるの胸ぐらを両手で押し開いた」

「いやぁ~!!」
ちはるは十太郎の下でバタバタと抵抗したものの、
あらがえるはずもなく口に手ぬぐいを押し込まれ舌を噛み切るのを防がれてしまった。

「わはははは どうだ悔しいか!どうにも手が出せまい」
十太郎は小坂史郎の方を振り向いた。

再びちはるの方に振り返った瞬間
「ぎゃっ」
と悲鳴を上げて左目を抑えた、その手のひらの隙間からボタボタと血が吹き出した。

「おのれがぁ!」
十太郎はちはるの右腕をわしづかみに引き倒した、
その手には簪が朱に染まって握られていた。

「此奴此奴!!」
十太郎はちはるの首に手をかけ締めあげた。

ちはるは暫くバタバタしていたものの目を見開いたまま絶命した。

小坂史郎も両眼から血を流しながら絶命してしまった。

「若殿!少々やり過ぎたようではござりませぬか?」
と供の若侍、いささか思わぬ展開に巻き込まれてこれをどう収めたものかと
戸惑っている様子である。

「俺は天下の直参!店の者共に口止めいたせ
、死体は其奴の下げ緒で結びおうて相対死と致せば良い、
後の始末はお前達でなんとでも致せ、おい部屋を変わるぞ」
と別の部屋に陣取り、再び酒を飲み始めた。

これが事の顛末であった。

それから半月が流れた後、大目付へ旗本寺坂刑部より、
嫡男流行病死の届け出がなされたと平蔵は筑前守より聞かされた。

人が人を裁く・・・・・
死人に口なしとはよく言ったものだが、どこかに落とし穴が潜んでおるものよ
、旗本の誇りたぁ一体何だぁ・・・・・・

平蔵は後味の悪いこの度の事件を苦々しい面持ちで書き記した。

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