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鬼平犯科帳 鬼平罷り通る 三嶋山燈

鬼平犯科帳 鬼平罷り通る

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鬼平まかり通る 7月



十五日は八坂神社でどんど焼が執り行われる。


ちよを店に残し、揃って去年戴いた破魔矢も添えて神飾りの炊き上げに向った。


新しく破魔矢を戴き、それを神棚へ飾り、三人そろって柏手を打ち、今年一年の願をかけた。


銕三郎とかすみ、店廻りをすませ植木屋を訪ね、室咲きの桜を探す。


室に桜の若枝を入れ、炉火を入れて暖め、早咲きさせる物で、その分いのちも儚いものの、目出度い席には好まれるもので、中々程の良い物はみつからない。


狛(こま)やの女将にたのまれたものである。


「銕三郎はんこまったなぁ……」


しょんぼりと肩を落すかすみは、か細い肩がよけいに小さく見え、落胆の程が伺える。


「専純殿に相談してみるのもよいかと思いますが。あのお方ならお顔も広ぅございましょう」


「そやなぁ…。お師匠はんならええ知恵貸してもらえるかも知れへんもんなぁ」


かすみの顔に少し精気が戻ったようで、銕三郎ほっとした面持ちに


「銕三郎はんかんにんえ」


とつぶらな瞳で見上げた。


 


かって知ったる紫雲山頂法寺である。案内も乞わず奥へと進む。


道場に専弘の姿があり、二人を見つけ


「おやかすみはん、それに長谷川はんどしたな」


と笑顔で迎え入れてくれる。


「専弘様、御住職は御在宅でございましょうか?突然の訪門で真に恐れ入るのでございますが」


銕三郎一礼して専弘の返事を待った。


「へぇ在宅中でございますさかい、ちびっと待っておくれやす」


と奥の方に去って行き、暫らくして専純が出て来、


「よう越しで──」


と二人を交互に見やり、


「何んぞこまった事でもあったんかいな、かすみはん (さて本日はどちらの方が問題なのか) と問いつつ二人を見る。


「お師匠はん狛ののお女将はんが、室の桜欲しい云われはって、うちの行ってるとこ、皆、今はまだて──」


しょんぼりしたかすみの顔を眺めつつ専純、


「よっぽど大事なお客はん来やはるんやろな」


専純腕を組み、しばし何かに思いを巡していたが、


「そや!伏見の花(はな)清(せい)が時折高瀬川を上って来るによって聞いてみよし、ここにも持って来るよって明日にでも言うてみまひょ!心配いりまへんよって、にっこりお笑いよし、長谷川はんも辛そうどすえ」


と銕三郎の面もちを案ずる。


専純の言葉に背を押され、かすみ


「お師匠はんおおきにどすえ、ほんまこれで肩が軽ぅなったわ!なあ銕三郎はん」横に並ぶ銕三郎に微笑みを見せた。


「ところで長谷川はん、あれから何か判らはりましたやろか?」


過日の禁裏附の事を尋ねているようであった。


「いえ、江戸表よりの周りを色々と廻っては見ておりますが、今一つこれと云うものは」


銕三郎深い溜め息を洩らす。


「そうどすやろなぁ……。禁裏附と賄頭だけでは内向に長じた地下官人相手の相撲はおお事やろな」


専純両眼をつむり思案にくれる。


 


専純に暇を乞い、戻りかけに高瀬川へ廻ってみる事にした。


高瀬川は、かって京と伏見を結ぶ主要な運河で、この川を行き来する高瀬船から名付けられたと云う。二条大橋南にあり、鴨川西岸に添って流れるみそぎ川から取水して枝分れしている。


ニ条から木屋町通りに添って流れ、十条の上で再び鴨川に戻る、鴨川までを高瀬川、鴨川以南を東高瀬川と呼ぶ。


このあたりは桜の頃ともなると曳船道に植えられた桜が咲き乱れ、花界にさらに華を添える所でもある。


戻り道の四条烏間の上の九之船入りに立寄って見る。


その四日後、六角堂の小僧より知らせを受け、次の朝早く銕三郎とかすみ、九之船入りに向う。


すでに船は曳き子によって到着しており、"花清"の主人が待っていてくれた。


「お早ょうございます」


かすみは主人に声を掛け、


「烏間のお師匠はんの使いのもんやけど」


と頭を垂れる。


船主と思しき気の善さそうな、小柄だが赤銅色に焼けた笑顔で


「おお!六角はんの所んお人どすな、へい託っておます、重とぅどすえ」


一束の花筵(はなむしろ)に包んだ物を持って来てくれる。


「けんど男はんがおるよし、どうでもあらへんやろう」


と銕三郎を認め、大切に手渡してくれる。代価一分銀二つを渡し


「おおきにお世話さんどした」


と頭を下げるそれへ


「美人ん嫁さんがけなり(羨ましい)どすなぁ!大事にしとぉくれやす」


首にかけた手拭いを取って銕三郎にペコリと頭を下げる。


手押車に花筵を積む銕三郎にかすみ


「聞いた?聞いたやろ銕三郎はん!美人の嫁はんてうちの事や!なぁ銕三郎はん?」


満面の笑みをたたえ、大はしゃぎで銕三郎の袖をひっぱる。


「さぁ誰の事でしょうね!」


銕三郎かすみのほころぶ顔を見やる。


「あん、もう銕三郎はんのいけず!うちぐれちゃる!」


とすねて見せる。その顔をながめつつ銕三郎


「いや怒った顔がまた可愛いですね」


と茶々入れる。


「うちもう知りまへん!」


、かすみ完全におかんむりである。


 


一方、腕に深傷を負った侍、あれからすでにふた月が流れ、年も変って安永二年一月下旬。


おしまはこれまで通り、毎日木屋町の高瀬川沿いにある旅人宿{すずや}に出掛けている。


夕刻にはいそいそと戻って行くそれへ


「ここんところおしまはん何んやうきうきしてはりますな」


賄いの徳二が前掛けはずし乍ら女将に言葉を投げた。


「そやなぁ、今までやったら早う戻ってもしゃあないよって─云うてたのになぁ…あぁ!もしかしたらええ人でも出来たんちゃうやろか」


「へぇ、もしかしてあん時の侍──そんなわけおへんな」


云いつつ終いにかかる。


「そやなぁうちもそんな気ぃしたんやけど、まさかなぁ」


そんなうわさ話しになっていようとはおしま、想ってもいなかった。


「今戻りましたぇ、ちょと待っとくれやす、じきにおばんざい作りますよって」


軽く奥に声をかけ、いそいそと前垂れをつけ、片たすきをかけて夕食の仕度に取りかかる。


その後ろから男が近より、おしまの身体に左腕を巻きつけるように引き寄せる。


「あかん、包丁持ってますんや─」


と云いつつもその腕にしなだれかかるおしま。


おそ目の食事も終り、おしまは酒の仕度をして奥の部屋にやって来た。


九十郎はんのお父 はんも、お家の皆はんもお近くに居られへんのどすか?」


「うむ──いずれもそばに居る」


盃を受取り乍らボソリとつぶやく。


「ほな、どないしてこんように市中(まち)に出はられますのや」


おしま不審そうにそう言葉を繋いだ。


「うん それだ──心が遠い……」



「いやぁかなんわぁ!…けどそん気持ち、よぉ解るような気ぃします」

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鬼平まかり通る  6月

あきれ顔にかすみ銕三郎と交互に見やる。
銕三郎が餅を割っている間に七輪が用意され、かすみは次々と網に乗せ、菜箸で器用に焦げ目をつけ、昨夜から仕度していた鍋に入れ、餅を全て焼き終えると今度はこちらを七輪に架け、パタパタと火口に団扇の風をくれる。餡が湯気をたて始め小豆の香りが立ち始める。
「あ~ん、むっちゃおいしそやなぁ」
ちよ、鼻をひくひく蠢(うごめ)かせ
「お師匠はんしあわせどっしゃろ!なぁ鉄はん」
ちよ、目をくりくりと輝かせ銕三郎を探ぐる目でのぞき込む。
「やめなはれちよ!鉄はんがえぞくろしぃ (気持悪い)思わはるやないか」
「えっほんまやの?」
真顔に戻るその顔に、ぷっと吹き出すかすみ。
「何んゃ!からこうたんどすな!お師匠はんもいけずやぁ!なぁ鉄はん!」
確かめる顔に銕三郎の同意を促す。
銕三郎、二人の会話の結末が、まさか自分に振ってこられようとは思ってもいず、思わず苦笑い。
「ほれ見とぅみぃ!鉄はん困ってはるやないか!」
かすみ、ちよの方に甘睨みする。
ちよ前垂れをたくし上げ
「かんにんどすえ」
チラと上目づかいに銕三郎を見やり、ペロリと小さく舌を覗かせる。卓袱台(ちゃぶだい)を囲み、ちよのさげて来た香物を肴に善哉に箸を進める。
「おいしゅうおすなあお師匠はん!鉄はんと一緒に食べたら、もん!むっちゃおいしおすなぁ……」
ちよ、今度はかすみの反応を覗う。
(ここで負けたら示しがつかない!)とばかり
「そら美味しいに決ってるやろなぁ鉄はん!」
と反り討ち。
「あっ痛ぁ!降参降参!どうぞお好きにしておくれやす!」
 
そうこうしている内に七日がやって来た。
今日日、小豆(あずき)粥(かゆ)になりますのんえ」
朝餉の仕度を整えつつかすみ、
「銕三郎はん、お江戸の松の内はいつどすねん?京では小正月の十五日まで門松は下げまへんえ」
「そうですか、江戸は七日が松の内ですよ」
と銕三郎
「へぇ~江戸は七日どすか、ほな、どんど焼きも七日なんや」
云いつつ
「お待ちとぉはんどす」
利休鼠の無地袷に朱の襷(たすき)がよく似合うかすみ、框(かまち)上りにちらと朱(あけ)の裾(すそ)除(よ)けの下、白く締まった小股が観え、くるりと身をひるがえして膳を捧げて来る。朱塗りの椀に小豆(あずき)が白粥の中に艶やかに乳白色の衣を纏い、湯気が立昇っている。
かすかな塩味が、より新春の初々しさを覚えさせてくれ、
「美しい!いや実に美しゅうございますね」
銕三郎、向かいに座したかすみに問いかけた。
「かなんわ、恥ずかし!」
かすみ顔を朱に染め、両袖で顔を覆う。
(しまった!俺は小豆粥の事を云ったつもりだったのだが─) 銕三郎あわてて心を打消し、
「かすみどのは無論の事、この粥も又負けず劣らず──」
と思わす口がすべった。
「あっそうどすか!うち小豆粥とおんなじどすねんな!」
ツンと横を向いてしまった。
「めめめっ滅相もありません!かすみどのは別格!比べる物なぞござりません!」慌てて手をバタつかせて冷汗百斗の想いの銕三郎。
「嘘やろ?嘘に決っとるわ!」
云いつつも、かすみの双眸(りょうめ)は否定を希んでいる眼差し。
「かすみどのに比べる物なぞこの世にありませんよ」
銕三郎本心であった。
「ほんま?ほんまに?」
途端にかすみ、頬をうっすら桜色に染めつつ、歓びが満たされて行くのを銕三郎嬉しくながめる。
何処までも純なままの心根が、早春の風のごと、穏やかなひと時の中包み込んでくれる。
そこへちよがやって来
「お二人はんお早ょうおます」
背負子の荷を降し乍ら障子を開け、向い合って膳を囲む二人の姿を認め
「はぁけなりぃなぁ、あほらしゅうて見てられまへんわぁ」
呆れた目付で目元も口元を緩める。
「なぁお師匠はん、昼に羹(あつもの)(とろみのある粥)いただきまへんか?」
と七草粥の素材を詰めた飯行李を開けてみせる。
「わあ綺麗やなぁ!こないにさぶいのんに、採って来てくれはったんやなぁ、おちよ!。
そないやなぁ。おちよと三人で戴きましょかいなぁ」
一寸首かしげ、もったいつけてかすみ。
「ほんまやの?うそや!」
宣以の方を見るちよの顔に、銕三郎にこりと笑む。
「ほんまやの?鉄はんと一緒に戴けるのや!ちよ、モンむっちゃ嬉しい!なぁ鉄はん!」
手放しのよろこび様にかすみ
「あかんあかん鉄はんとうち!それからあんたどす」
と釘を刺す。
「へぇ─」
赤い舌をチョロッとのぞかせ、小亀の様に首をすくめるのであった。
ひと通り花草木を選別し終え、生け込の仕度を終え、少し早目の昼餉とした。
「お粥は御上(天皇)はんが、朝は加湯(かゆ)云うて濃(こ)湯(ゆ)より薄い煮飯戴きはったんて、そこから粥って云われる様になったて、その項は若菜の節(七草)は羹(あつもの) 云うて米・粟・黍(きび)・稗(ひえ)・みこ・胡麻・小豆の桜粥でおましたんやそうや。そない御師匠はんから聞きましたえ」
かすみ、銕三郎を見やる。
昆布出汁と、うすい塩味とで味を整え、七種の色の褪めないように火の通りの良い物は、膳に乗せる寸前に湯通ししておき、椀にかざり付る。
米のとろけた艶やかな中に七種が適度に混り、青々とした若草が色鮮やかに目を引く。
箸を持ったまゝ二人、じっと銕三郎の表情を探る。
掻き込んだ口の中に早春の息吹が拡がり、銕三郎目を閉じて五感の隅々まで楽しみ尽くすその表情に見合せて二人(やったね!)と云わんばかり。
ふっと我に戻った銕三郎(どないだす!)と期待の眸(ひとみ)四つに
箸を持ったまま腕をバタバタ……
「美味しゅうおますやろ!」
と、かすみの声に宣以コックリコックリ!
「やったぁ!」
と大嬉びの態である。
昼から店をちよに任せ、銕三郎、手押車に幾つも桶を並べ、これを縄で結わえて動きを止め、藁を束ねて仕込み、その中に水を張り、そこへ花材を挿し、花への気配りをした物を押し、かすみと生け替えに出達する。これはかすみの工夫であった。
かすみ達が廻る界隈は坂が多く、かなりの肉体労働である。
「しんきくそうおへんか?」
かすみ、労わりの声をかけつつ銕三郎後を押す。
小料理屋と云っても大店ともなるとその部屋数も多く、従い大量の花を持ち歩かねばならない。
花を積んだ手押車を賄い処に置き、そこからかすみの指図にしたがって材を篭に入れ持込むのが銕三郎の主だった仕事になる。
いわむらの大広間にいつもの様に花を生けていると、女将のたかがやって来、
「お師匠はんごくろうはんどすなぁ、ゆんべ時々来はるお侍はんが、となりの座敷でいさかい起しはって壷ひっくり返さはったんえ、もうかんにんや。えばってからに灘屋を呼べぇ!言いはって大騒ぎ」
「へえ?そら大ごとどしたなぁ……。そんお人どこのお方どっしゃろなぁ」
「何んでも口向役のお人とか──」
銕三郎かすみ同時に互いの眸を見交す。
「へえ口向役云うたらあのお年寄の?そらまた御酒が過ぎたんとちがいますのんか」
「そやない!そやない!まだ若ぅおしたえ」
「何んや下っぱかいな、そらあほくさや、うふふふふふ……。
女将はん、ついでにそこんとこも、壷持ってますさかい生け替えときまひょ。鉄はんお頼みします」
銕三郎こっくりうなづき、賄い場に置いてある手押車に行き、替壷を持って来た。
「お師匠はん、えらい心強いお人が付いてくれてはって、よぉおましたなぁ」
女将のたか、銕三郎の力作業目をやり、かすみをみる。
「へぇおおきに、みぃんな烏丸のお師匠はんのおかげどす」
「何んゃ六角はんの肝入りかいな、ほな安心どすなぁ」
他愛もないこのやり取りを銕三郎聞き乍ら、先程の口向役の配下の者が誰なのか思いを巡らせていた。
裏同心鳥海彦四郎の手控帳には、その当たりの事は記されていなかったからである。

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鬼平まかり通る   5月号


水仙一式  「陰の花水仙に限る」




お見世は三元日を過ぎた頃から年の瀬に生けた花の挿し替えが必要になって来る。


松・竹・梅・水仙・寒梅・柳・千両・椿・南天・葉牡丹・()()()・葉蘭と云った材料の花類はちよ(、、)が背負って来る物や、近郊の植木屋より仕入れる。


これらを手押車に載せて得意先の見世見世を廻り、挿し替えるのが銕三郎・かすみ(、、、)の商いである。


四日の朝早く、ちよ(、、)が早摘みの草花を背負ってやって来、


「お師匠はんおめっとうさんで……」


と、迎えたかすみ(、、、)を一目見、


「あっ──お師匠はん!んっもうむっちゃ綺麗やおへんか!何んかいい事がおましたんやぁ」


と、確める風にかすみ(、、、)の瞳を覗き込み、


「なぁ鉄はん!ええことおましたんやろ?」


前垂れを目の(そば)まで上げたちよ(、、)の目元もほころんでいる。


ちよ(、、)のいけず!そんなんちゃう!ちゃいますえ!」


耳朶(みみたぶ)までまっ()に染めたそれを悟られまいと片袖に包むかすみ(、、、)


「怪しいなぁ──。お師匠はんほんまに綺麗どすえ。(、、)よも嬉しゅうおすえ」


と真顔で見つめたものである。


ちよ(、、)の持参した花を仕分け終え、植木屋で仕入れた花木を揃え、銕三郎に抱えてもらうと、


「ほんなら行って来ます。後はよろしゅうたのみますえ。ほな鉄はんぼちぼち行ままひょか?」


銕三郎を促し、手押車に寄り添う。


それを見送ってちよ(、、)


「鉄はんおきばりやすえ」


と冷かし半分、うらやまし半分の顔で見送った。


祗園のお茶屋は様々な人々が出入りするし、芸子の前でも商談や相談事が平気で行われており、そんな奥向きの話も、かすみ(、、、)ならそっと(こぼ)してくれるのである。


だが銕三郎が傍に寄ると、急に口をつぐみ、怪訝な眼で銕三郎に視線を投げる。


それを察しかすみ(、、、)


「お母ぁはん、こん人はどもないねん、御師匠はんのお墨付きどすえ」


と銕三郎を引き合せてくれるのである。


 


翌日少し遅めの朝餉をすませ、


「ほなおちよ(、、、)、あとん事よろしゅうたのみますえ」


お揃いの晴着に袖を通し、烏間六角堂に専純を訪ねた。


道場の縁側に腰を下ろし、思いを巡らせていた風な専純、二人の姿を認め


「おゝこれは又御揃いでおめでとうはんどす」


いつもの笑顔で迎えてくれる。


銕三郎の後に添うように控え


「お師匠はんおめっとうはんどす」


初々しい恥じらいを見せるかすみ(、、、)の姿に専純をんな(、、、)を視た。


「専純様、本年も何卒よしなにお願い申し上げます」


銕三郎両掌を腹前に添え合わせ頭を垂れる。


「これは又長谷川様、商人姿もよう似合うて─。ははは!どこから観てもこら町衆におますな」


「お師匠はん今年ん花は何の あっ──。花生けはられましたんどすか!」


道場で一人想いを巡らせていた姿にかすみ(、、、)、すなおに心を述べる。


「今な、杜若(かきつばた)エ夫しょったんや。こん花は、在原業平はんが三河国八橋で{から衣 きつつなれにし つましあれば はるばる来ぬる たびをしぞ思う}と詠まはれましたんや。


こん花はいつ見ても観あきまへんのや。浅き春、盛りの夏、侘びの秋、霜枯るゝ冬それぞれに、葉にも風情がありましてな──」


専純、眼を細め。ふっと遠くを見つめる。


「おおそゃ!かすみ(、、、)はん、松飾りはちゃんと出来たんかいな」


「へぇ銕三郎はんに手伝ぅてもろて、お師匠はんに教わったとおりに、竹の底節残して、あとは皆抜いてもらいました。おかげさんで小笹もしっかり水が上ってます」


(なぁ銕三郎はん)と云いたげに銕三郎を見つめる。


「そらなんよりどしたな。ところで長谷川はん何んゃ変った事はおへんか」


専純、気に懸かっていたらしく真顔に戻り話しを変えた。


「年の瀬よりこちら、これと云った様なものは……」


「そうどすか──仙洞御所で公文(くもん)はんの動きが近ごろなんや妙や云うとったさかい、その(、、)きどうやろかておもてな、あはは……」


「姉小路様が──」


銕三郎、この陰の仕事を始めて以来、公家の名を知る様になっていた。


「さすがに長谷川はんどすな!よぅお判りでございますなぁ」


と、かすみ(、、、)の方に目を移し、にこやかに笑んだ。


三人並んで縁側に腰を下し、暫らく談笑の後、二人は専純に暇を乞い、六角通りへと歩を進める。


 


「お師匠はんおもどりやす」


ちよ(、、)が笑顔で出迎える。


「お昼も近いし、ほなちよ(、、)!木槌持ってきておくれやす」


と、ちよ(、、)を奥へ追い払い


「鉄はん善哉はお好きどすか?お鏡はんをカリッと焼いて、粒あんで仕立てますのや」


かすみ(、、、)ちよ(、、)から木槌を受取り


「鉄はんおたのしますえ」


と銕三郎に手渡す。


俎板に下げた鏡餅を置き、銕三郎一気に打ち下す。


「待ってやぁ!……。綺麗に割れたやおへんか、なあ“おちよ”!割れ方で運気が判るんどすえ」


と講釈がつく。


「けんどなぁ…何で善哉なんやろか?」


素朴なちよ(、、)の間いに


「六角堂のお師匠はんから聞いたんやけど、昔一休はんが食べはって、善き哉善き哉と云わはったそうや。そいからこっち善哉っ云うようになったんや」


「へぇ、やっぱり和尚(おっさん)、物知りやなあ」


「あたり前や…。なあ鉄はん」

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鬼平まかり通る  3月 


着替えを済ませ、おこたの火を継ぎ足し、火鉢の灰を被せた所を火箸で掘り返し、蕩(とろ)けるほどに燃えきっている火種へ追い炭を足し、暖を整えて茶釜を掛けてかすみ、銕三郎の炬燵(こたつ)へ潜り込む。
中の火鉢の上に冷え切った手をかざし、
「温めておくれやす」
と銕三郎の双眸(りょうめ)を見つめ、手をまさぐる。
「冷たい………」
銕三郎は水仕事を終えたかすみの凍えるような手をそっと包んで見つめ直す。
「あったかぁ──」
うっとりとかすみ双眸(りょうめ)を閉じ、その温もりを体の隅々まで吸い取るように顔を布団の上にかぶせ、細い吐息を漏らす。
「せや!銕三郎はん、どないお願いしはったんどす?」
突然そう言うと、伏せていた顔を上げて銕三郎を見つめた。
──。突然の問に銕三郎一瞬詰まる。
「なぁ何お願いしはったのどす!白状しなはれなぁ」
と手にギュッと力を込めた。
「かすみどのと、共に白髪の生えるまで縁がありますようにと……」
それをきいたかすみ
「一緒やぁほんまに?」
手に力を込めて問い直した。
「嘘など言いません」
銕三郎、正直にそう答えた。
「かすみ、もんむっちゃ嬉しゅうおすえ」
うっとりと目を閉じ、溢れんばかりに幸せな面持ちを見せる。だが軽かったか?とは聞かなかった、当然軽いと想っているのであろう。
銕三郎もそれを訪ねなかった、一瞬訝(いぶか)ったかすみの顔を思い出したからである。
茶釜がシュンシュンと鳴り、やがて怒涛から松風へと変わったのを聞いて
「酒々の支度しますよって」
と、おこたから離れ、夕餉の支度に取り掛かる。緋色の前垂れが、しんと冷え込み始めた部屋をぱっと明るくする。
暫くしてお盆に重ね重箱を載せ、布団の横に置き、次に酒肴を膳に乗せて銕三郎の向かいに座し、朱盃を捧げる。
「また三杯ですか?」
と軽口を言うそれを受け
「何度でもええもんやなぁ銕三郎はんとなら……うふふふ」
首筋まで朱に染めてお節(せち)の方へ視線を向けた。その初々しい恥じらいの顔を銕三郎飽きもせず眺めやった。
チリチリと茶釜のつまみの鳴る音ばかりが静けさの中、今の現実を語っている。
お節重を肴に差しつ差されつ、酒宴はまったりとしたまま時の流れを京の夜へと引き継いでいった。
粟田口の下、知恩院の夜の四ツ(午後八時)の鐘を聞きながら、そろそろ酒宴も終わりにかかって、
「鉄はんお床延べまひょか?」
と、目の下をほのか朱に染めてかすみ尋ねてきた。
「そうですね、明日のこともあるし──」
冬の京は比叡降ろしが吹き荒れ、その底冷えは盆地特有の物がある事を、この正月、銕三郎初めて味わった。
そんな夜半、そっとかすみが銕三郎の寝床に入って来た。
「さぶい──」
寝夜着から普段着に換え、ねんねこ半纏(はんてん)に袖を通し、火鉢の右に座蒲団を敷いて間を少し空け、もう一枚座蒲団を置いた。
「四日の朝のお雑煮は、おすまし仕立に壬生菜を添えるのどすえ。これをお箸で持ち上げ 名を残す言うて菜を残しますのんえ、銕三郎はん早ぅ残しておくれやす」
と、物めずらし気な銕三郎の顔を楽しんでいる。
年の暮からこっち、初めての体験があまりに多く、銕三郎、異国へでも行った面持ちで、全てが興味深々であった。
鰹と昆布でしっかり造った出汁に、かくし醤油、それにもみじ麩(ふ)、湯葉と壬生菜で仕立てゝある。
銕三郎、壬生菜を箸ですくい上げ、湯気の立昇るそれを口に運ぶ。
まったりとした出汁の旨味にすくい上げた壬生菜の若々しい香りが口の中いっぱいに拡がる。
「味噌仕立てとは又違ぅて、いやはや京と云う所は一つ一つにこだわりますね」
左隣りのかすみに応える。
かすみ顔を曇らせ
「美味しゅうおへんか?」
不安気に持った箸を止め、銕三郎の口元を見やる。
(しまった!そんな事ではない。あまりにこの数日間、未体験の事ばかりに少々とまどっているだけ、それをかすみどのは不安に想ぅてしもぅた)
「すみませぬ!そのような事なぞ一瞬(つい)にも想ぅた事はございません。いやそれどころか、この過ぐる刻々が私には楽しく嬉しくそればかりのみ」
銕三郎箸を桜のあしらわれた清水焼の箸置に預け、不安気にみつめるかすみに返した。
「あゝよかった!うち銕三郎はんに味ない!て云れれたらどないひょて……。ほんま?ほんまに美味しおすか?美味しおすねんな!嬉しゅうおすえ、これで案心や」 瞳がぱっと煌(きら)めき、両手で頬を挟み、恥じらいをみせる姿には艶やかさが加わっている。
「六角堂のお師匠はんとこ、ご挨拶に行かなあかんのどすけど、お師匠はんも二日の正月元三(がんざん)の花(初生)もすまされはった事やし、明日あたり伺ぅて見まへんか?」
と同意を求めてきた。
こうする中にも銕三郎やかすみは禁裏侍や商人の動きに、又江戸より上っている武家の動静にも注視をおこたってはいない。

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鬼平まかり通る 2月号

 

伏見稲荷まで一里半(六キロ)通常ならば一時間半ほどの距離ではあるが、急ぐものでもなく二人並んでそぞろ歩きを楽しむ。
伏見稲荷は伏見山の麓に祀られている。
かつてこの京を河と湿地の中から開いた秦氏が伊那利三ケ峰に神を祀ったものが大社である。
やはり参詣の人々で行列をなしている。だがかすみにとってはそれが又嬉しいのであろうか、身体を寄せて銕三郎の左腕に手を回し、誰はばからんとした面持ちで並んでいる。
差したる会話もなく、唯、人波みにもまれながら第一鳥居をくぐり、東へ進んで第二の鳥居をくぐったその奥に、朱塗りの桜門が見えてきた。
通常ならば狛犬(こまいぬ)のあるべき所に狐像が置かれているのが目につく。
稲荷はもとを正せば稲生(いねなり)であったものが、時代とともに稲荷に変わっていったと言われている。
外拝殿の奥に本殿があり、屋根が拝殿のほうへと伸びている。かすみの説明によると、これを稲荷造りと呼んでいるそうである。
本殿左側にあるご祈祷受付所に進んで、二人揃ってご祈祷願いを済ませたかすみは、我が庭とばかり銕三郎を連れ回し、参拝をすませたあと、本殿の左手奥にある権殿(かりどの)が控えている所を差し、
「こん横にお稲荷山へ登る石段があるんどすえ、お山巡りはここから始めるんえ、すんだら千本鳥居へ行きまひょ」
と、参道の朱塗りに鳥居が奥まで並んでいる道へといざない、御神蹟参拝参道を上がり、千本鳥居をくぐり抜け、二股の別れたところで右へと進み、命婦谷(みょうぶだに)の奥社奉拝所へと案内したかすみ、
「銕三郎はん、あの灯籠を持ち上げておくれやす」
と奥の院横の小さな祠を指し示した。
「何ですかあれは、それに灯籠を持ち上げるとは一体どう言うことです?」
「うん、あれはおもかる石言ぅて、お願いして持ち上げ、軽ければ願いが叶い、重ければ願いは叶いまへんのや、早う早う!」
と急き立てる。
銕三郎、急き立てられながら石灯籠の前で願掛けをした後、灯籠の上の空輸(頭の丸い石)を持ち上げた。
(ふむ、軽いと思えば軽いが、重いと想えば重たいような気もする……)と複雑な気持ちを抑えかすみを振り返る。
「うちも上げて見よ!」
と、かすみ進み出て──{よいしょ!}と持ち上げた。
戻ってきたかすみは少し顔が曇っているように銕三郎には見て取れたが
「次は御神蹟参拝や、早ぅ行きまひょ」
銕三郎を急かして途中の熊野社なども巡り、四ツ辻までの一本道を上がった。
そこからは人の流れに同調するように右回りに一の峰上社神蹟に上って一息入れる。
ここがもっとも高い場所となり、京の街が見渡せる最高の場所でもある。
そこから少し下がって御劔(つるぎ)社・御膳谷奉拝所から元の四ッ辻へ戻り、三徳社から三ツ辻まで戻った。
本殿に戻り、社務所で
「銕三郎はん縁起が欲しい!」
とかすみ、鶴亀の稲穂飾りをねだる。
人の波を避け、少し外れてところへ離れたかすみ
「付けておくれやす」
と目を閉じ、銕三郎の前に立ち、細い顎を少し傾(かし)ぐように上げる。
稲穂の先に鶴亀の飾りの付いたそれを銕三郎、かすみの艶やかな髪に挿す。
「うち綺麗?」
ほっそりと瞳を開け頤(おとがい)をつっ─と差し出す。
「はい!とても──」
「そんだけ?」
「いや、その……」
「その?なんどすえ?」
かすみの目尻が笑っている。
「とても可愛らしゅうございます」
まじまじと見つめられ、少々照れ気味の銕三郎
「うち、そないにかいらしぃ?ほんまどすなぁ?うふふふふっ」
お稲荷さん詣では、通常ならば一刻(いっとき)ほどで回れる道も、混雑で二刻(ふたとき)(四時間)近くを要した。
建仁町の百花苑に戻った時はすでに夕刻に近づいていた。

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鬼平まかり通る  1月号


大晦日もあけ、うたた寝の銕三郎、唇にかすかな温もりを覚え、それから両の目に温か手のぬくもりを感じた。目を開けるとかすみの手で目が塞がれ、その耳元へ
「銕三郎はんおめでとうさんどす」
と、かすみのさわやかな声を聞いて銕三郎、うっすら双眸(りょうめ)を開くそこには、溌剌としたかすみの微笑が見おろしている。
「しまったいつの間にやら寝てしもぅた。これぁいけません、百も覚えておりませぬゆえ年を越し損ねました」
銕三郎鬢(びん)をぽりぽり掻きつつかすみを見上げた。
「うふふっ」
すでに化粧もすませ、立仕事の恰好(なり)でかすみ、銕三郎の背に手を添えて引き起す。
いそいそと祝い膳を運び
「おめでとうさんどす。今年もよろしゅうおたのみします」
と、水引で祝い飾りを施された酒器を差し出す。
「お屠蘇どすえ、今年も銕三郎はんがまめでありますように……」
左横に座して並び、もう一つ朱盃を取り出し、お屠蘇を注いでみつめ合い、口元に運ぶ。京紅の紅(あか)さが色白のかすみの口元をさらに引き立てて見え、艶やかで仄かな色気と言えばよいのか言葉にならない雅な姿であった。
「美味しい……。銕三郎はんと戴くお屠蘇はこないに美味しいんやなぁ」
しみじみとしたかすみの言葉はそのまま銕三郎の思いでもあった。
箸は柳の両細(片方は神様用)重箱用は箸紙に組重と書いてある物を使うのだそうだ。
質素ではあるものの、何れも心のこもった品々が用意されてあり、一つ一つ取り上げるたびにかすみ
「銕三郎はん!あ~ん!」
と催促する。
(俺が裸になれるのはこのかすみと居る時だけかも知れぬ)銕三郎、目の前の初々しいかすみの姿を見つめながら、ふとそう想ったものであった。
それ感じたのかかすみ、
「お雑煮が延びたらあかん!」
と、小走りに台所へ立った。やがてお盆に椀を2つ並べて捧げ持って来、
「こっちは銕三郎はんの!こっちはうちのんや!」
と雑煮用の椀を差し出した。
「外は朱塗りで中が金は男はん用、外が黒で内が朱塗りは女用どすねん」
と湯通ししたばかりの真新しい器に両細箸を添えてすすめる。
箸は三十日(みそか)にかすみに乞われて、銕三郎・かすみ、それぞれの名を箸袋に書き、神棚へ供えたもので、漆器の僅かな漆の香りが初正月のめでたさを教えてくれるようである。
丸餅にお祝清白(すずしろ)(小振大根)・金時人参・里芋に柚子の皮の角切りと三つ葉に糸かきを添えてあり、その真ん中に拳ほどもある頭芋がどんと座っている。
「おほっ!これでございますか、否(いや)まさに聞きしに勝る─。う~ん強敵にございますね」
銕三郎つくづく眺め(さてどうしたものかと思案橋。何しろこいつを食べ尽くさねばせっかくのお重に箸が付けれられないと来たものだから{う~んう~ん}と唸るばかり。
白味噌の甘い味に、控えめの昆布だけの出汁、それへ真っ白な小餅と金時人参の真っ赤な色目、色も煮る前の青々とした青菜に三つ葉、ちらりと柚子の角切りが絶妙な色合いを魅せて飾り付けてあり、金色の椀の中に湯気を立てている。
抱え込んで{すっ}と汁をすする──。とろけるようなその味わいに銕三郎目を閉じ深く息を吸い込む。
ふっと柚子の薫りに三つ葉の香りが絡み、しびれるような快感さえ覚えたものであった。
その表情を確かめるようにかすみ
「うふふ銕三郎はん幸せそうや……。かすみも嬉しゅうおすえ」
一口済ませたそこでかすみ、置き晒した寒酒を銚釐(ちろり)に入れて来
「おひとつ─」
と言葉を掛けて盃を促す。
「おおっ これは──」
銕三郎慌てて朱盃を取り上げ、注がれる新酒の杉の香に喉の奥を開き嗅ぐ。
まったりとふくよかな薫りとともに、下り酒の清らかな薫りが喉を越す。
「嗚呼美味い!」
それを確かめかすみ
「ほなうちにもおひとつ注いでおくれやす」
と、銕三郎の盃を取り上げ差し出した。
「これはまた!お過ごしなさいまするか!」
銕三郎銚釐(ちろり)を取り上げて注ぐ。
軽く頂いてかすみ
「なんや三三九度みたいやなぁ、うふふふふっ」
と飲み干す。
盃の紅を懐紙で拭い、袖を押さえて差し出してきた。
「返杯ですか?」
と銕三郎
「もう二杯戴くねん、だって三度飲まなあかんのんどすえ」
と悪戯っぽく双眸(りょうめ)を輝かせる。
炬燵(こたつ)は火鉢を囲んだ櫓の上に布団を載せるだけのもの。手を伸ばせばお互いの身体に触れる程度のものであったから、その上に置くなぞと言うことはできなかった。
かすみ、銕三郎の手を取り三杯目を注がせてそれを飲み干し
「今度は銕三郎はんの番」
と盃を受け取らせ、白魚のような腕を伸ばして盃に注ぎ、
「あと一杯どすえ」
と銕三郎の眸(ひとみ)を見つめる。
何がどうということではない、ただかすみの心のなかに描かれている絵草紙がそこに儚い一瞬(ひととき)の幻として存在(ある)だけであったろう。
二人だけの時間を久々にゆっくりと寛(くつろ)いだあと
「ねぇねぇ銕三郎はん、初詣にいこ!いつもお雑煮すませたら参るんよ、なっ!行こ」
もう少しゆっくりしたいと目で訴える銕三郎を急き立ててかすみ、銕三郎の為に内緒で誂えた晴れ着を持ち出した。
鉄紺の紬(つむぎ)は銕三郎の背に当てるとぴったりと収まる。
「やっぱりよう似合うてはりますなぁ──。うふふふっ」
この処かすみはよくこの含み笑いをする。それ程かすみにとって銕三郎の出現は新鮮なものであった。
同じ色目の髭紬の羽織を着せかけられる。その仕草はまるで初々しい新妻のそれである。
少々てれながら銕三郎、まんざらでもない顔に、これも真新しい白足袋を差し出した。
「お師匠はんから貰ぅたんやえ、お正月に履きなはれいぅて」
いそいそと自分も支度をすませ、框(かまち)に真新しいおそろいの真(しん)塗り下駄を並べる。
「うちのんは裏が紅なんや」
と下駄を返してみせる、そこは京紅色に塗られ、黒と朱の対比がまばゆいほどに美しく思えたものであった。
何もかもこの日のためにかすみが取り揃えた品々である。
いじらしいほど一生懸命銕三郎に尽くそうとするかすみの心根が痛いほど銕三郎に伝わって来、
「これで私もいっちょ前の旦那衆ですねぇ」
と両袖を摘んで引っ張り、かすみを見やる。
素早くかすみ銕三郎の左側に寄り添い
「どこから観ても揃い雛やぁ、なぁ銕三郎はん」
上機嫌でかすみ銕三郎の腕を取り戸口へと導いた。
外は薄っすらと雪化粧に覆われ、そこを行き交う人のそれぞれの表情は新しい願いに満たされているように思えた。

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鬼平まかり通る 12月号



「あれぇ若奥はん、ようお揃いで!もうお飾りすませたんどすか」
愛想の良い顔で二人を眺めるのへかすみコックリ小首を下げた。
「ほな、もう白朮(しろおけら)祭だけどすな!うちももうちびっとしたら店閉めて支度しまひょ」
「そやな、うちらも蓬来頂いたら八坂はんで火鑽(ひきり)頂いて、あとはおこたで除夜の鐘聞くだけや、なぁ鉄はん!」
と銕三郎の袖を引っ張る。
「へぇお待ち遠さんどした」
熱々の蓬来が運ばれて来た。
蕎麦の上に蒲鉾(かまぼこ)・青菜(ほうれん草)・海苔・湯葉・それに香りの柚子が添えられている。
ふうふう云い乍ら食し終え、支払いをすませて後から出て来、
「若奥はん!て、うふふっ」
かすみ思い出し笑いは、よほど嬉しかった様であった。
「なぁ銕三郎はん!若奥はんやて!うちそないに見える?」
と銕三郎の袖に手をくぐらせ、ぶらぶらと左右にゆらす。
「そう見えたのかも知れませんねぇ」
銕三郎まんざらでもない顔に
「そやろ!そないに決っとるわぁ」
と嬉々として声をはずませている。
晦日も夜の四ッを回った頃から
「銕三郎はん!おけら詣りに行きまひょ!」
とかすみはそそくさと出掛る仕度を始めた。
連れ立ってぶらぶら八坂神社へ上がり、社務所で願い事を書いたおけら板を納め、三尺の火伏せ厄除けの吉兆縄をもらい、これを輪にして神殿脇に移されたおけら火を移し、くるくる廻しながら持ち帰るのである。
「銕三郎はん知りはらしまへんやろけど、八坂はんでは悪垂(あくた)れ祭り言うのんがあるんやで」
「悪垂れ?もしかして悪口のことですか?」
「そや!日頃言えへんこと、こん暗闇でうっぷんを晴らしますねんえ、それぞれ勝手に悪垂れを吐くんや。暗闇やから、どなたはんが言わはったか判れへんよって好きな事言えますねん。銕三郎はん行ってみまへんか」
銕三郎の袖を引き気味に顔を見、反応を待つ。
「私ですか?私は別にそのようなものはありませんので──。かすみどのは如何です?」
「うちかてあらしまへん、ほな、おけら火もらいに行きまひょ」
と、先に進んだ。
社務所でおけら板を戴き、それぞれ願い事を書いて納め、桃の小枝に挟まれたお札を頂いて持ち帰り、小正月にお粥を炊き、その小枝で混ぜると邪気を払うと云われている。それを銕三郎に持たせ、戻って行く。
参道に灯されたぼんぼりの仄かな明かりの下、くるくる廻る吉兆縄の赤い輪と、かすかな竹の燃える匂いと共に、僅かな煙が白く弧を描いて宙に舞う。
「うふふふふっ」
意味深なかすみの含み笑いに銕三郎
「何ですかその含み笑いは?」
銕三郎の右の袖に手を通し、右手でおけら火をくるくる廻し乍ら
「ないしょ!うふふっ」
「ああそうですか内緒ですか!」
銕三郎さも不愉快と云わんばかりにプィと横を向く。
「あれ銕三郎はん怒らはったんどすか?かんにんどすえ」
「ならば白状なさりなさい」
きっと睨む。
「嫌ゃ!かんにんやぁ!」
と目を細めて銕三郎を見つめる。
どこまでも碧(あお)く澄んだ満天の星空の下、かすみのつぶらな瞳に星がキラキラと映っていた。
かすみと寄り添って歩く事なぞ想いもしなかった銕三郎、隠密探索中の身である事を忘れてしまいそうであった。
時折の風が辺りの木々をすり抜け{びゅう}と鳴り、遠くに人々の声や子供の叫び声が聞こえてくる。
建仁通りの百花苑に戻り、戸締まりを終えた後、おけら火を神棚の蝋燭に移し、置火燵(こたつ)にも移し、燃え残った火縄は消して火伏のお守りに竈に祀った。
「おこたに入っておいておくれやす」
かすみはそそくさと何やら仕度をして戻って来、銕三郎の座った左隣りに座り、竹篭に入れた蜜柑を一つ取り上げて皮をむき乍ら
「銕三郎はんは何お願いしはりましたんえ」
とのぞき込んでくる。
「その前にかすみどのは……」
とやりかえすのへ
「云いまへん、へんしょ(恥ずかしい)やから」
悪戯っぽい瞳を輝かせて
「銕三郎はんは?」
魅入るように再び間うた。
「ようし白状させてやる!覚悟はよろしいかな」
銕三郎、両の指をかすみの目の前に出し、コチョコチョと仕草をして見せる。
「いやぁん、かんにんやぁ」
と大げさに銕三郎に身を預けて来る。
炬燵(こたつ)の上にむきかけの蜜柑が転がり、銕三郎の胸にかすみの右腕が懸り、そのまま後方へ押し倒された。その耳元へ
「うちな!このまんま銕三郎はんとずっとずっと一緒に居させて欲しいって書いたんえ」
しっとりと濡れたかすみの唇が銕三郎の耳朶(みみたぶ)にふれる。
静かに穏やかに忍び香の薫りがこぼれて来る中、除夜の鐘が二つ三つと鳴り始めたのを意識の遠くに聞いた。
しばらくして身を起こしたかすみ
「そや!銕三郎はん二人(ににん)羽織(はおり)しょ!」
と銕三郎のねんねこ半纏(はんてん)を脱がせ、後ろから覆いかぶさる。
「なんですかそれは?」
これから先に起こる出来事が読めず銕三郎、首を後ろにひねるそこへかすみ、
「銕三郎はんは両手を膝におあずけや」
と言いつつ、手に持っていた蜜柑を銕三郎の両腕の外側から、ねんねこ半纏を着せるように覆いかぶさる。
「ねっ!こうやってお蜜柑食べさせるんや」
と銕三郎の口元を指先に探す。
やっと理解した銕三郎
「あああっそこは鼻っ 鼻ですよ!もっと下──。ああっそこは顎─・とととっ、もっと右右!あうっ!今度は左──。もう少し手前へ──」
と、口を前に突き出し蜜柑を捉えようとした。
かすみのはだけた両の脚が…胸の膨らみの柔らかな感触が銕三郎の体に触れる。
そのままかすみは銕三郎を包み込み、背中に顔を押し付けて……。熱い吐息が銕三郎の首筋に懸かる。
(こんな穏やかな時を俺は知らぬ、心に小石の一つ置くでもない、言葉はいらぬ、唯そこにいるそれだけでいい、気持ちの赴くまま─、飾りも恥じらいも捨てた充足感は何と言うのだろうか……)あるがままの心地よさを銕三郎、初めて覚えた。

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鬼平まかり通る  11月号



「あれぇ若奥はん、ようお揃いで!もうお飾りすませたんどすか」
愛想の良い顔で二人を眺めるのへかすみコックリ小首を下げた。
「ほな、もう白朮(しろおけら)祭だけどすな!うちももうちびっとしたら店閉めて支度しまひょ」
「そやな、うちらも蓬来頂いたら八坂はんで火鑽(ひきり)頂いて、あとはおこたで除夜の鐘聞くだけや、なぁ鉄はん!」
と銕三郎の袖を引っ張る。
「へぇお待ち遠さんどした」
熱々の蓬来が運ばれて来た。
蕎麦の上に蒲鉾(かまぼこ)・青菜(ほうれん草)・海苔・湯葉・それに香りの柚子が添えられている。
ふうふう云い乍ら食し終え、支払いをすませて後から出て来、
「若奥はん!て、うふふっ」
かすみ思い出し笑いは、よほど嬉しかった様であった。
「なぁ銕三郎はん!若奥はんやて!うちそないに見える?」
と銕三郎の袖に手をくぐらせ、ぶらぶらと左右にゆらす。
「そう見えたのかも知れませんねぇ」
銕三郎まんざらでもない顔に
「そやろ!そないに決っとるわぁ」
と嬉々として声をはずませている。
晦日も夜の四ッを回った頃から
「銕三郎はん!おけら詣りに行きまひょ!」
とかすみはそそくさと出掛る仕度を始めた。
連れ立ってぶらぶら八坂神社へ上がり、社務所で願い事を書いたおけら板を納め、三尺の火伏せ厄除けの吉兆縄をもらい、これを輪にして神殿脇に移されたおけら火を移し、くるくる廻しながら持ち帰るのである。
「銕三郎はん知りはらしまへんやろけど、八坂はんでは悪垂(あくた)れ祭り言うのんがあるんやで」
「悪垂れ?もしかして悪口のことですか?」
「そや!日頃言えへんこと、こん暗闇でうっぷんを晴らしますねんえ、それぞれ勝手に悪垂れを吐くんや。暗闇やから、どなたはんが言わはったか判れへんよって好きな事言えますねん。銕三郎はん行ってみまへんか」
銕三郎の袖を引き気味に顔を見、反応(こたえ)を待つ。
「私ですか?私は別にそのようなものはありませんので──。かすみどのは如何です?」
「うちかてあらしまへん、ほな、おけら火もらいに行きまひょ」
と、先に進んだ。
社務所でおけら板を戴き、それぞれ願い事を書いて納め、桃の小枝に挟まれたお札を頂いて持ち帰り、小正月(十四・十五日)にお粥(かゆ)を炊き、その小枝で混ぜると邪気を払うと云われている。それを銕三郎に持たせ、戻って行く。
参道に灯されたぼんぼりの仄かな明かりの下、くるくる廻る吉兆縄の赤い輪と、かすかな竹の燃える匂いと共に、僅かな煙が白く弧を描いて宙に舞う。
「うふふふふっ」
意味深なかすみの含み笑いに銕三郎
「何ですかその含み笑いは?」
銕三郎の右の袖に手を通し、右手でおけら火をくるくる廻し乍ら
「ないしょ!うふふっ」
「ああそうですか内緒ですか!」
銕三郎さも不愉快と云わんばかりにプィと横を向く。
「あれ銕三郎はん怒らはったんどすか?かんにんどすえ」
「ならば白状なさりなさい」
きっと睨む。
「嫌ゃ!かんにんやぁ!」
と目を細めて銕三郎を見つめる。
どこまでも碧く澄んだ満天の星空の下、かすみのつぶらな瞳に星がキラキラと映っていた。
かすみと寄り添って歩く事なぞ想いもしなかった銕三郎、隠密探索中の身である事を忘れてしまいそうであった。
時折の風が辺りの木々をすり抜け{びゅう}と鳴り、遠くに人々の声や子供の叫び声が聞こえてくる。
建仁通りの百花苑に戻り、戸締まりを終えた後、おけら火を神棚の蝋燭に移し、置火燵(こたつ)にも移し、燃え残った火縄は消して火伏のお守りに竈に祀った。
「おこたに入っておいておくれやす」
かすみはそそくさと何やら仕度をして戻って来、銕三郎の座った左隣りに座り、竹篭に入れた蜜柑を一つ取り上げて皮をむき乍ら
「銕三郎はんは何お願いしはりましたんえ」
とのぞき込んでくる。
「その前にかすみどのは……」
とやりかえすのへ
「云いまへん、へんしょ(恥ずかしい)やから」
悪戯っぽい瞳を輝かせて
「銕三郎はんは?」
魅入るように再び間うた。
「ようし白状させてやる!覚悟はよろしいかな」
銕三郎、両の指をかすみの目の前に出し、コチョコチョと仕草をして見せる。
「いやぁん、かんにんやぁ」
と大げさに銕三郎に身を預けて来る。
炬燵(こたつ)の上にむきかけの蜜柑が転がり、銕三郎の胸にかすみの右腕が懸り、そのまま後方へ押し倒された。その耳元へ
「うちな!このまんま銕三郎はんとずっとずっと一緒に居させて欲しいって書いたんえ」
しっとりと濡れたかすみの唇が銕三郎の耳朶(みみたぶ)にふれる。
静かに穏やかに忍び香の薫りがこぼれて来る中、除夜の鐘が二つ三つと鳴り始めたのを意識の遠くに聞いた。
しばらくして身を起こしたかすみ
「そや!銕三郎はん二人羽織しょ!」
と銕三郎のねんねこ半纏(はんてん)を脱がせ、後ろから覆いかぶさる。
「なんですかそれは?」
これから先に起こる出来事が読めず銕三郎、首を後ろにひねるそこへかすみ、
「銕三郎はんは両手を膝におあずけや」
と言いつつ、手に持っていた蜜柑を銕三郎の両腕の外側から、ねんねこ半纏を着せるように覆いかぶさる。
「ねっ!こうやってお蜜柑(みかん)食べさせるんや」
と銕三郎の口元を指先に探す。
やっと理解した銕三郎
「あああっそこは鼻っ 鼻ですよ!もっと下──。ああっそこは顎─。とととっ、もっと右右!あうっ!今度は左──。もう少し手前へ──」
と、口を前に突き出し蜜柑を捉えようとした。
かすみのはだけた両の脚が…胸の膨らみの柔らかな感触が銕三郎の体に触れる。
そのままかすみは銕三郎を包み込み、背中に顔を押し付けて……。
熱い吐息が銕三郎の首筋に懸かる。
(こんな穏やかな時を俺は知らぬ、心に小石の一つ置くでもない、言葉はいらぬ、唯そこにいるそれだけでいい、気持ちの赴くまま─、飾りも恥じらいも捨てた充足感は何と言うのだろうか……)あるがままの心地よさを銕三郎、初めて覚えた。

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鬼平罷り通る 10月号


どれほどだったかは覚えがないものの、然程でなかったことは確かである。
煮しめの得も言われない香りに
「おおっ─実に美味そうな─。見ればいずこも温泉気分で御座いますなぁ」
銕三郎、白出汁を吸って程よく色づいた鍋の中を覗き込む。
「銕三郎はん、後ろの水屋の真塗りのお鉢取っておくれやす」
と指図され、銕三郎水屋を開けて真塗りに中が金塗りの鉢を取り出し
「これでよろしいでしょうか?」
と向き直る、そこにはかすみが海老芋の煮付けを箸に挟み待ち構え
「銕三郎はん、はぃあ~~ん!」
と、自分も口を開けて促す。
突然の事で銕三郎驚いたそれに
「ほらぁ─あ~ん!」
先程よりもさらに大きな口を開けて箸を差し出すかすみの真顔に釣られ。
銕三郎おどけながらも小芋を口にする。
熱々小芋のとろろとした舌触りに、目を白黒させながら
(ほっほっほっ…ふぅふぅ)と口をもぐもぐ。
「美味しゅうどすか?」
にっこり笑って満足そうな顔は初々しい新妻のそれのよう。
「美味い!」
それは実に美味かった。
京野菜の持ち味というよりもかすみの気持ちが染み込んでいたからであろうか。
「ほんまどすか?」
口元をほころばせた笑顔に銕三郎、悪びれることもなく
「かすみどのの心がにじみ出てくるような深い味わいですよ」
と口を突いてでた。
「嬉しゅうおすえ」
初々しい恥じらいの表情を見せ、
いやいやをするその仕草に銕三郎思わず手に持っていた祝箸を取り落としそうになった。
(なんと言えば好いのだろう、心がときめくとはこのようなことを言うのであろうか)かすみのきらきら輝く瞳にぶつかると何もかも忘れてしまいそうになる自分に驚いている。
ひと通りの支度も済ませたかすみ、
「銕三郎はん、お鏡はんは、古老(ころ)柿(がき)は、外はにこにこ、中睦まじく云うて、外に二つ、中に六つ──。そいから三方(さんぼう)に裏白(うらじろ)乗せて、その上に四方(よほう)紅(べに)敷いてお鏡さん重ね、御幣(ごへい)を敷き、その上に橙(だいだい)載せますのや。これをお竈(くど)はんに飾りますのんえ、知っとおいやしたか?」
と三宝を前に。
「いやそれは知りませんでした。銕三郎、飾り物を添えつつ手際よくあしらうかすみの手元を眺めていると、
「銕三郎はんちびっと持っておくれやす」
と銕三郎にお飾りを預けると、竈(くど)の周りを掃き清め、手を清水で濯(すす)ぎ清め、竈(くど)に注連縄(しめなわ)を張り
「銕三郎はんおおきに!」
と、それを受取り飾り付ける。
そうして、もう一つの飾り付は三方の上に白米・熨斗(のし)鮑(あわび)・伊勢海老・勝栗・野)老(とろろ)・馬尾藻(ほ)んだわら)・橙を盛りつけた。
「やぁこれは食い積(つみ)ですね」
銕三郎(これなら俺も知っておる)とばかり先に口にした。
「あら!銕三郎はんとこはそない云いますのん?京(ここ)は蓬莱(ほうらい)飾り云いますのんえ、けったいなんやなぁ」
「へェ成程、さすが京は雅だなぁ、それに較べて江戸は武骨で土地柄が表れますね」鬢(びん)に手をやり情けなさそうにするそれへ
「出来た!銕三郎はんそれ持ってついて来ておくれやす」
と先に進み、部屋奥の神棚の前に立ち、パンパンと柏手を打ち、傍に置いてある踏み台を持って来、
「銕三郎はん!うち支えておくれやす」
と台に上り、銕三郎より棚飾りを受け取り、恐る恐ると背伸びする。
銕三郎あわててかすみの細い腰に手を添えて支える。
柔らかな腰の感触が手の内にしっとり感じられ、若い女性の柔肌の温もりが伝わって来た。
飾り終えて
「おおきに」
振り向こうとして、ゆらっと姿勢を崩し
「あかん!」
と叫び銕三郎の胸の中に倒れ込み、そのまま両腕を拡げ、銕三郎を包み込む、かすみの胸の膨らみが銕三郎の腕の中で大きく幾度も波打つのを感じる。
そのまま目を閉じ、顔を胸に埋めたまま時が止った。
どれ程の刻(とき)が過ぎたであろうか、かすみは恥じらいを包むようにうつむいたまま腕を解き、
「そや!銕三郎はん年越しそば食べなあかんなぁ、三十日(みそか)蕎麦いただきに行きまひょ。蕎麦は寶来いうて、塗椀の漆に貼り付ける金箔が作業場に散るのを三十日にそば粉撒いてそれを掃き集め、篩(ふるい)に懸けて集めたところから宝が来るて呼ぶのどすえ、可笑しゅうどすなぁ、これを幸せが細ぅ長ぅ続きますよう願ぅて戴くのどす」
屈託のない笑顔で銕三郎に微笑む。
「細く長くですか……そうありたいものですねぇ」
銕三郎しみじみとした面持ちでかすみに言葉を返す。
かすみ
「なぁ銕三郎はん、寶来頂いたあと、白朮(おけら)祭(さい)連れて行っとぉくれやすな」
銕三郎の藍色の袷の袖を引っぱり甘える目つきで仰ぎ見る。
おけら祭とは、八坂神社で毎年十二月二十八日に執り行われる鑽火式(さんかしき)・火鑽杵(ひきりきね)と火鑽臼(ひきりうす)で鑽(きり)出した御神火が本殿内の白朮(けら)灯籠に移される。
これを大晦日夜七時から始まる除夜祭の終焉後、境内三箇所にある白朮火授与所に設けられた灯籠に白朮火が移され、願い事を書いた白木の{をけら木}が元日早朝まで焚かれる。
これを竹で作られた吉兆縄(きっちょうなわ)(火縄)に移して持ち帰り、無病息災を願い神棚に上げたり雑煮を煮る火種にした。 
火種の白朮(おけら)は生薬として知られている植物で、この根を混ぜて燃やすために特有の匂いが立ち込める。正月の屠蘇散(とそさん)にも入っているあの匂いであり、吉兆縄は火縄作りで知られた三重の名張で作られている。
正月の支度も終え、戸締まりをした後、連れ添って近くの蕎麦屋に向かった。
祇園町の蕎麦屋寶(ほう)来(らい)に入ったかすみ
「おこんばんは蓬来二つくださいな」
と声をかける。

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鬼平まかり通る  9月号


「ほな鉄はん、お師匠はん、よいお年をお迎えとぉくれやす」
そのままかすみの傍に寄り、耳元へこちょこちょこと何やら……
「おちよのいけずぅ」
かすみ、ちよの背中をトンと衝いて襷(たすき)をかけた袖で顔を覆った。
遠ざかるちよの姿を目で送りつつ銕三郎
「ちよは何と云ったのですか?」
と言葉をかけるそれをかすみ
「かんにん」
とはぐらかせるように背中を見せる。
「何です!そのように……」
(もしや妙な気でも回したのかも知れないな)と、とっさに銕三郎感じ、(よし試してみるか)と、
「かすみどの耳朶(みみたぶ)が紅(あこ)うございますが、おちよが何かよからぬ事でも……」
と後を濁す。
「銕三郎はんのいけず、そないな事、うち照れくそて云えまへん」
かすみ、袖でかくした頬をさらに紅く染める。
「あっやはり怪しい!増々耳朶が──」
銕三郎ここぞと攻める。
「大嫌いゃ!」
かすみ、振り返りざま銕三郎の腕の中にしがみついて来た。
「おおっ!」
銕三郎これを両手でからくも受け止めた。
手にしていたほころびかけの梅の蕾が二つ三つ足元に散り、後にはそのまま二人の呼吸だけがゆっくりと流れていった。
台所に立ったかすみ、おせちの材料を取り出し、
「銕三郎はん薪持ってきてくれまへんか?」
と後ろを振り向く。
正月用の煮炊きをする薪は事始めの十三日に用意するものと聞き、整えておいた。
芸子であったかすみはこの事始めから正月が始まるのである。
「どっこいしょ!」
銕三郎竈(かまど)の傍にふた抱えほど積み重ねる。
「おおきに、ほなお鍋取っておくれやすな」
と、目で竈の横においてある方を指す。
銕三郎かすみの手元へそれを据えるその中へ、前夜から浸けておいた昆布出汁を入れ、手網こんにゃく・里芋・油揚・金時人参・牛蒡(ごぼう)を取りまとめて煮始める。
「お雑煮は白味噌仕立てどすのやねん、丸餅にお祝清白(すずしろ)(小振大根)・金時人参・里芋ぜんぶ丸ぅ切って、出来上がりに柚子の皮の角切りに三つ葉と糸かき(キハダマグロを糸状に削った削り節)を添えて──。銕三郎はんは頭芋(かしらいも)(殿芋)が入りますのや。
これ食べきらな、お重には手ぇ付けられしまへんえ」
と、こぶし大の親芋を指さした。
「ええっ!そんな大きいもの食べたら、それだけで満腹になってしまいますよ、私は江戸者、其処のところはご容赦を!」
銕三郎両手摺り合わせて懇願するも
「あかんえ!殿芋言ぅて殿方が召し上がらなあかんのどす。銕三郎はんには出世してもらわなあかんさかい」
と、つんと横を向いたものだ。
見れば見るほど憎たらしい大きな芋である。
「駄目でござるか?」
横目にかすみの横顔を盗み見るそれへ
「駄目ぇ、あかんえ」
と留めの一言
「ううっ 己!頭芋そこへ直れ!返り討ちに致してくれる」
銕三郎真顔で包丁を取り上げる。
「うっ うふふふふっ!おほほほほっ」
口元へ袖を当てて、かすみ、笑いをこらえるも、堪らず、とうとう吹き出してしまった。
銕三郎もつられ、
「わはははははっ」
と、久しぶりに屈託のない笑い声が部屋を包んだ。
「お節は五重に重ねますのや。壱の重はお祝い肴に口取り(甘いもの)数の子に田作り・黒豆・たたき牛蒡(ごぼう)に・栗きんとんですやろ、伊達巻はお好きどすか?それに昆布巻き。
弐の重は紅白なます・ちょろぎ・酢蓮根、それと菊花蕪を詰めますんえ。
参の重には焼き物ゆうて、海の幸の海老や鰤(ぶり)・鯛──」
それを聞きながら銕三郎
「まだあるのですか?」
とかすみの顔をしげしげ覗き込む。
「へぇまだまだ重ねな──。与の重には山の祝物、里芋ですやろ、それからくわいに蓮根・筍を配って五の重は年神はんの授かりもん入れますよって空っぽどす」
と銕三郎を見やる。
「やれやれ安心いたしました、これ以上出てきたら動きも鈍くなってしまい、年明けから冷や汗ものですよ」
首に手をやり、汗を拭く格好の銕三郎へ
「そやなぁ銕三郎はんのお狸はんは似合いまへんもんなぁ、うふふふふ」
「あっ 又そのうふふふは許せませぬぞ!」
「許せなければどうなさりはります?」
「う~む……おおそうだ!こちょこちょの刑にいたそう、ほれコチョコチョコチョ」
と銕三郎、かすみの身八つ口(脇の開いた部分)へ両手を差し伸ばす。
「いやぁんっ」
かすみ、身を捩(よじ)ってこれを避ける。
その拍子に銕三郎の指先がかすみの柔らかな膨らみを捕らえた。
「あっ!これはまた!」
銕三郎予期もしない出来事に顔を赤らめ手を引っ込める。
(コトン)と包丁がまな板に置かれ、いきなりかすみは向き直り、銕三郎の懐へ身を預ける。
白い項(うなじ)が朱(あけ)に染まり、耳朶(みみたぶ)も紅色に染め、恥じらう姿がそれを包み隠す。
黒髪に挿された珊瑚玉に目を留めつつ銕三郎目を閉じたその傍でクツクツと煮しめの煮える音が聞こえるばかりの昼下がりであった。

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鬼平まかり通る  8月号

それからふた月が瞬く間に過ぎて行く。
師走を迎え、二人の店は正月を迎える仕度に追われる日々が続いた。
梅、翠松、金明竹、水仙、千両、寒椿、葉牡丹、寒小菊などで、店に入って来る花材はあまり多くない。
特に枝物は女の手に少々もてあますが、銕三郎にかかれば他愛もなく切り分けられる。

「ほんまやわぁ、お師匠はんの云わはるとおりどすなぁ」
ちよはほれぼれする目付で銕三郎をみつめている。
「あかんあかん!あきまへんえそんな眼ぇで鉄はん見たらあかんえ」
半ば焼き餅混じりのかすみの語気にちよ
「へェーかんにんどすぇ」
ペロリと舌を出して銕三郎を見た。
赤の前垂れも初々しい小女である。
この頃になると、ちよも銕三郎にすっかり慣れ
「鉄はん鉄はん」
と向うから声がかかる。
まぁ大体そのような時は薪割りなど力仕事が待っていることが多いのだが、それも又銕三郎の役目でもある。
今日も朝餉のすむのを待っていたかの毎く
「鉄はん煤払い手伝うておくれやすな」
と、竹笹をかかえて軒下を指差す。
銕三郎これを受け取り、日頃積った埃や煤、蜘蛛の巣を払い除ける銕三郎の背をポンと叩いて
「おきばりやす!」
と笑顔がほころんでいる。
花街のお見世には、すでに二人で正月花を納め、三十日には松竹梅も床に生け、あとは元日を迎えるのみであった。
店に残った花は僅かばかりで、それらを柱に枝垂柳と、寒の白玉椿を添えて生け、こちらの仕度はほとんど終えた。
「おちよもご苦労はんどしたなぁ」
かすみはちよを労う茶の支度をはじめる。
「お師匠はんお節は作らはんの?」
と水を向けて来た。
普通なら二人で拵えるのであったが、今年は鉄はんが居るからであろう、気を回す。
「そやなぁ、おちよにもちょびっと手伝ぅてもろて、早いとこ年越し蕎麦いただいて──うふふ……」
かすみ何か含むところがあるのかぽっと耳朶(みみたぶ)を染めるのを素早く認めたちよ
「あっお師匠はん耳ぃ染めはって!何んぞええことでもあるんやの?鉄はん」
と宣以の反応を確めて来た。
あわてゝかすみ
「ちゃうちゃう!そんなもんあらへんえ」
と打消すものの、心の中は何かを期待して動揺する自分に気付かれまいと急ぎ立上り
「鉄はん注連縄(しめなわ)作り手伝うてくれまへんか」
と銕三郎を見上げた。
その姉さんかむりが銕三郎の抱えている水桶に一段と華やいで映った。
「そこにある根付き若松を取っておくれやすな、それから─ちびっと待っておくれやす」
と店奥に引込み、何やらかかえて戻って来、
「これを、右に男松左に女松を右が上になるよう半紙を巻き、水引で真結びに結びますのんや。
出来たわ!こっちのんは鉄はんのやさかい右の柱に結んでおくれやす。
うちんはこっち……嫌ゃあ右と左に泣き分れやぁ、あかん!なぁおちよ!」
半べそかく風にかすみ、おちよを振り返った。
「うち知りまへん!お好きにどないにでもしておくれやす、あほらしてやってられまへん!」
おちよ小さくペロリと舌を出して応えた。
「お師匠はん華なりどないしまひょ」
ちよ、枝垂柳の若枝をかすみに差し出した。
「そゃなぁ、今年はおちよと鉄はんと三人で飾ろうかいなぁ」
銕三郎の手隙を見てとったかすみ、おちよに言葉を返す。
「ほんまどすか?うわぁむっちゃん嬉しどす」
ちよは急いで台所に立ち、小さく丸めた紅白の小餅を抱えて来た。
「紅は鉄はんで白はお師匠はん、うちどないひょ」
意味深な目つきに並んで餅を飾りつけている二人を見やる。
「こん枝はおちよのもんや、これで三本仲よう出来るやおへんか」
と笑いかける。
「うち、間でいけずするのん嫌やさかい、はじっこでよろしゅうおすえ」
と微笑んで見せる。
「華飾りすんだし、あとはお節どすなぁ、うちもぼちぼち往(い)にますよって、鉄はんあとはよろしゅうおたのみしますぅ」
と前垂れを外し、表においてあった背負子をかつぎ、立上った。

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鬼平まかり通る  7月号


その問に男は油紙を敷いた上り框(かまち)に横たえられ、医者の着くのを待つ。
心配そうに周りをかこむ客に
「明日も早うおす、どうぞ休んどぉおくれやす」
と女将が客を追い払う。
暫くして先程のおしまが医者の手を取り、提灯を掲げて戻って来た。
怪我人をひと目視て、
「刀傷どすな、焼酎があればそれを、そいから箸を一本─気い失うかも知れへんけど我慢しおし、お侍はんどっしゃろ」
と待の切り裂かれた袷をぬがし、傷口を確め、よこされた焼酎を傷口に流し込む。
「ぐぇっ!」
よほど傷口に浸みるのであろうか、男は噛まされた箸を噛み砕き、そのまま気を失ってしまった。
一応開きかけていた傷口を縫い合わせ、手当を終え
「傷はかなり深いもんの、命には拘われへんやろ、ま今日は動かさんといて、多分熱も出て来るやろ、そん時はじゅうぶん冷すのんどすな」
と提灯を受取り戻って行った。
「いやぁどないしょう」
(これ以上関わり合ぅても何の得もない、できればこのまま外へでも放り出したい気持ちや)心のなかでそう想ったか、
「明日までおしまはん、面倒見てくれまへんやろか」
と女将、蝿のように両掌をすり合せる始末。
「仕方あらしまへん、うちが見てます」
と、おしまと呼ばれた女は云ってしまった。
男は一晩中呻き声を上げ、うわ言の様に言葉にならない言葉をもらし、医者の言った様に傷口が熱を持って来たのか、油汗が吹き出して来るのをおしま、休む問もなく冷水でぬぐい取り乍ら、夜通し看病を続けた。
朝方旅人も起きて来、朝の支度をすませ、朝餉を取ったあと出達の用意をして框に出て来、ほとんど気を失いかけている侍の傍に寄り、
「 まだ生きとるかいな?」
と声をかけて来た。
おしまはほとんど寝ずであった為、その声を遠くで聞いたように感じていた。
皆それぞれ声をかけて各々京の町へ散ってゆき、朝五つ(午前八時)頃、再び医者がやって来、包帯を取りかえる。
てぬぐいに水を浸し、軽くしぼってそれを当て、血糊をゆっくりと溶かし、晒を解く。
さすがに傷口は血糊がこびりついており、容易には剥がせない。
「辛抱しなはれ」
そう云いながら、少しずつ傷口に絡みついた晒しを解き、再び出血が始まるのへ蓬を揉んで汁を作り、それを傷口にたらし込む。
「ぎゃっ!!!」
悲鳴をあげて悶絶してしまった。
石灰を溶いて晒しに塗り、それを油紙で包み、これをあてがって晒しを裂いて肩口から腋へ、更に反対側の腋へ巻きつけ、その上から再び腕を固定させる為幾度も巻いた。
「とにかく血を止るこっとす、それから熱うなるさかい十分冷しとったらよぅおす」
医者はそれだけことづけて戻っていった。
女将はこの侍をどうしたものかと思案している模様で
「奉行所にお届けなだめやろぅか…」
「けど女将はん、相手んお人がいーひんのやさかい、どうにもなりまへんよ」
と、おしま(、、、)
「そやなぁ─。おしまはんあんた、こん人看といておくれやすな、お願いや、これこんとおり」
又もやおしまに両掌をすり合せる。(まるで夏場の蠅みたいや)おしまはそう想ったものの、このまま放り出す事もならず、思案にくれた末、
「女将はん、こんお人の気ぃつく迄うちあずからせてもらいます」
と云ってしまった。
それから駕籠を呼んで何んとか乗せ、囲りを縄で縛り、転げ出ないようにして、三条を渡って北に上がり、孫橋を渡った先の若竹町の長屋に連れ戻った。


空蝉


銕三郎はその翌日、訴えかける妻女久栄の眸(ひとみ)を振り切り、そのまま真直ぐ祇園に向い、事の一部始終をかすみに伝えた。
「銕三郎はん、お一人での探索はどうぞやめておくれやす、うち銕三郎はんに何ぞあったら心配でかないまへん、ほんまにほんまにお願いどすえ」
かすみは眸を潤ませて銕三郎の袖にすがる。
確かにこのままではいつ何刻あの刺客が再び襲って来るか判ったものではない。
銕三郎意を決し、かすみに
「のうかすみどの、私は町衆になろうと思うが如何でしょうか」
と、かすみの瞳に同意を求めるごとく見つめる。
かすみ驚きに眸(ひとみ)を見開いたまま
「銕三郎はんが髷(まげ)を落しはるんどすか?」
「いやそうではのぅて町人髷に変え、この辺りに住もうかと考えてみたのですが──。いけませぬか?」
「なら銕三郎はんも此処にいられますのんどすなぁ?そぅやったらいつでも一緒に居れますのんやなぁ」
とかすみ大きく澄んだ瞳を耀かせる。
「いえ、そう言う事ではなく、私の姿を消さねば、いつ何刻又あのように刺客に襲われるや知れません。やはり侍姿より町衆の方が何かにつけ溶け込み易いと想います」
と言葉を足す。
「ほんまどすか?そやったらかすみ、もんむっちゃ嬉しゅうおすえ、明日にでもお師匠はんにお願いしまひょ、御隠居はんが話し通してくれはりますよってに──。 そうやそうや二人して手分けすれば色んな事判りやすうおすえ」
かすみは浮き浮きと一人胸を弾ませている。
こうして翌日夕刻にはかすみの手で髷を町人髷に結いかえてもらい、建仁寺門前の建仁町通りにあるかすみの居する花屋「百花苑」の二階奥をとりあえずの宿とした。
この界隈の門前で寺社や詣(もう)出客に供養用の花を売り、祇園のお茶屋に花を生けて廻る商いがこの頃のかすみの本業であった。
こうして銕三郎は花を抱え、祇園一帯の花街を廻りながら、そこに出入りする口向役や禁裏附役に加え、ひそかに寄り合う武家伝奏や地下官人の動きを昼夜に亙り見張る事となった。
とは云うものの銕三郎は京言葉が話せない、そこで{口の訊けない鉄さん}と云うふれ込みで花篭を背負い、かすみの後ろに随い、先々の出入店で眼を光らせ耳をそばたたせ、彼らの動行を探る事となったのである。
無論この事は壬生の御隠居の力に他ならない。
かすみの店には、店番のちよが通って居、朝届く榊やしきび、草花を分別し、残った物は小把にまとめ一束十文(二百五十円)で売っていた。
草花は紺絣の半着に三幅前垂も同じ絣に手甲脚絆、白い腰巻に帯は縞物で頭に竹駕籠を載せ
「花いりまへんか」
と売り歩く白河女から仕入れたり、ちよが近くで取りそろえて持って来た。
ちよは南禅寺北ノ坊光雲寺近くの農家の娘で、毎朝採れ立ての野菜などを背負って来、それを夕餉の膳にこしらえてくれたものだ。
かすみはこれを銕三郎と二人で戴く事に嬉々としており、一日の終いを待ちこがれていた。
かすみより二ツ三ツ年下と想われるちよも(鉄さん)を気に入った様子で、
「お師匠はん、あん人はどないなお人どす?」
と興味深々の瞳でたずねる。
「ああ、鉄はんどすか?お師匠はんとこにおいでになったお方や、口訊(き)けへんけどええお人ぇ」
かすみわざと素っ気ない態度で応えるが、どうにも口元が緩む。
「へえよぅ解ります、せやけど、おかしなお人おすなあ」
ちょこっと小首を傾げてかすみを見上る。
「なんでやの?」
(何か感づかれたのかしらん…)少し眉根を寄せてかすみ。
「何んかこうお侍はんみたいなとこおすなぁ」
「そないなことあれへんえ、うちやちよが大荷物で難儀してるん知らはって、お師匠はんが付けてくれはったんえ」
どぎまぎとぎこちない返事も信じたのか
「なんやそうどしたんかいな、ほな力仕事頼めますなぁ」
ちよは何の疑いももたない様である。


こうして銕三郎はかすみと共に昼夜祇園界隈で見かけるようになっていた。

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鬼平まかり通る  6月号 





この翌日から
銕三郎は鳥海彦四郎の手控帳に記されていた禁裏附の周りや代官所の内情を探るべく昼夜を問わず駆け回って居、その為に家を空ける事も頻発するに至った。



「銕さま、本日もお出掛にございますので」



腰の物を捧げつつ妻女の久栄はうらめし気に夫を見上げる。



「久栄、父上をお助けするのが儂に出来るただひとつの孝行、それを(わきま)えてくれ」


銕三郎はそう言い残し足早に何処へか出掛けて行った。


「まだこの着物に女子の移り香が……」



久栄は衣文掛に懸かった長着を溜息吐きつつたゝみ込むしかなかった。



銕三郎、この日も祇園の()()にあった。



かすみ(、、、)どの、昨夜は如何でございましたか、何が変った事でもあれば只今から参りますが」



これが現在(いま)銕三郎の 主な仕事である。



この祇園界隈には口向役人や禁裏附役人も多々出没する為、漏れ来る物に耳をそばだてておればさまざまな物を知る事が出来るわけである。



それらに逐一耳を向けておれば内向きの事なども知る事が叶うのであり、その為のかすみ(、、、)達が在る。



太田正清の同心もこのようなところで(せい)(そく)を探っていたのであろうか。



かすみ(、、、)もこの鳥海彦四郎には拘わりないようで、町奉行所とは別の指図で動いていると銕三郎にも想われた。



銕三郎かすみ(、、、)と打合せを終え、隠密同心鳥海彦四郎の手控え帳に記されていた禁裏役・口向役の屋敷周りに探りを入れてみるのが日常となっていた。



この他にも、当時西国大名は六十八屋敷の内四十八屋敷を置き、代官やその他の武家屋敷は六十以上存在した。



探索とは云うものの、せいぜい遠目で馴染みの顔、官人や待の出入を見定めるのが精一杯である。



この日、いつもの様に白地の提灯を提げて役宅に戻る途中、この数日嫌な気配を感じながらも何事も無く役宅まで戻っていたのだが、()()を出て三条大橋を渡りかけた折、先程まで辺りを照していた月が雲間に隠され、周り全体を漆黒の闇が呑み込んだ。



急に重々しい空気が銕三郎をおし包む。



(何だこの重たさは、殺気にしては鋭さがない!妙な──) 銕三郎用心しながらゆっくりと橋半ばにさしかかった、突然背後にのしかかる重圧感に振り向き提灯をさし出したその一瞬、闇をも切り裂く様な鋭い太刀風に銕三郎よろけるようにかろうじて半歩退き、拍子に提灯を持つ手が挙がった。



その刹那、提灯は真っ二つに切り裂かれメラメラと燃えながら落下し、その傍に銕三郎の左袖がひらひらと落ちた。



銕三郎ためらう事なく粟田口国網の鯉口を切った。



一瞬の間もおかず己の背後に再び強い殺気を覚え、振り向きつつ一気に抜き胴を放つ。



「うっ」



一瞬ひくい声がもれたものの、その在りかを確める間もなく刺客の姿も先程の重々しい空気も朝の霧のごと消えていた。(何だこいつぁ──)



これ迄味わった事のない背筋が冷たく張り付く恐怖が甦って来、(恐ろしいまでに儂を圧し包んだあれは一体何であったのであろう) 満天の下ゆっくりと周りに気を放つも、手応えはまるでなく、左腕に絡みつく切り裂かれた袖が、夢・幻の出来事ではなかった事を教えているのみであった。



(まこと恐しい敵だ!気配すら残さず来て()ぬとは─)銕三郎真剣(ほんみ)を構えて初めて恐怖と云うものを味わった。



役宅に戻る迄気を抜く事はなかったものの、ついにあの覆い被さる重々しい殺気は微行(つい)て来なかった。



銕三郎の戻りを案じていた妻女久栄、夫の肩口から切り裂かれ、だらりと垂れ下っている袖を見、



「銕さまこれは何と致されました!」



わなわなと震えているその手をにぎり銕三郎



「久栄!儂も初めて恐しいと云う思いを致した。何ともすさまじき剣であった。



だが案ずるな、この儂とて高杉道場の龍虎と謳われておった、そう易々と討たれるものか……」



とは云うものの、己の所在が知れた今、次にこの妻子が狙われないと云う埋合わせはない。



 



その同じ頃、三条西木屋町高瀬川に沿った通りに面した商人宿の仲居女は、夜五つ(午後八時)の鐘が鳴り始めたので、捨鐘を聞いた所で入口の戸を閉めようと表に出た。道の向う、桜の(かたわら)に何かうごめく物をみとめ、(いぶか)り乍ら(ひとみ)を凝らして観ると、かすかに呻き声のような物音が聞えた。



月明りの下、どうやら人の気配らしき事に驚き、中にかけ込み



「誰かぁ!そとに何やいます!」



大声を上げた。



「何やおっきな声なんか出しいやって」



めんどくさそうに中から女将が出て来、女の指差す桜の袂にうずくまる物を視



「ぎゃあっ」



と大声をあげる。



宿の中からばらばらと人が出、中には火吹竹をひっつかんでいる者もある。



おそるおそる客の一人が近づいてみる、



「あっこりぁ大事だ、怪我してるみたいでっせ」



と叫び



「お前さん大丈夫でっか!」



と抱え起そうとした。



「ぐぅ!!」



呻き声がもれ、ぐったりと前のめりに倒れてしまった。



「とに角中に運んでおくれやす」



女将は舌打ちしつつ男衆に指図し、



「しょうがおへん、お医者はん呼びなはれ」



と先程の女を見る。


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鬼平罷り通る  5月号 壬生の隠居



「へぇお役に立てればよろしゅうおす」
主は銕三郎を部屋の外へと誘う。
玄関を前に銕三郎、先程より心に罹(かか)っていた事を口にしてみた。
「主どの、真に失礼とは存知ますれどお許しの程。
先程の御人はどのようなお方でござりましょうか?」
先に立っていた主人足を止め銕三郎を振り向き、
「あんお人は壬生のご隠居はんどす、これ以上はかんにん」
と、再び前(さき)に立ち、銕三郎を広玄関に案内した。
銕三郎、先程壬生の隠居から渡された紐の事が気になり、
その足で祇園へ取って返すべく足を向けた。
めざす揚屋狛のは祇園町薮ノ下、周りは軒も連なるように茶屋が立ち並び、
目の前は祇園社が控え、後ろは建仁寺とまさに祇園の目貫である。
厨子(つし)二階の緩やかな起(むく)り屋根に、仕舞いは一文字瓦で軒を整え、
表は紅殻格子(こうし)が美しく組まれている。
表は犬(いぬ)矢来(やらい)が組まれ、厨子には木瓜の虫籠窓が漆喰の白さに
囲まれ柔らかな面立ちを見せている。
この角を丸く収めた横窓は江戸で見ることはなく、銕三郎には珍しい眺めであった。
紅殻(から)はインドのベンガル地方から輸入された酸化鉄の出す赤色顔料、
赤土などに含まれる色素は備中岡山の吹屋村で作られ、
また木材などには防腐剤としても多用され、石州瓦や器物などの赤褐色はこの紅殻による。
(京という街はどこまで行っても雅なもの──江戸の荒々しさとは比べるべくもない。
あはははは、東男に京女かぁふふふふ)ふと先日のかすみの柳腰に
チラと覗く引き締まった小股の白さが思い浮かぶ。
隣は仕舞屋(しもたや)(店じまいした店)があり、今は町家になっているようで、
人の出入りもなく静けさの中、侘びた風情を見せていた。
銕三郎云われた通り、あないの者に紐を見せると
「どうぞ」
と先立って厨子(つし)二階へと銕三郎を導いた。
「お見えになりはりました。ほなよろしゅうに」
とそのまま襖の前に銕三郎を残し立去ってしまった。
(何と…) 銕三郎少々戸惑いを覚えつつ
「御免を仕る」
と襖を開いた。
「あっ!」
銕三郎の眸(ひとみ)が大きく見開かれ、あっけにとられた口はそのままに、
その部屋の奥を凝視したまま釘づけになった。
虫籠窓から入る光を背に、匂やかな女性(にょしょう)の丸い肩が飛び込んできた。
「うふふ……」
「か・か・かすみどのが又──」
銕三郎双眸(そうめ)を見開いたまま、
想定外の景色を受け入れがたく呆(ほう)けたようにそれをみつめる。
「銕三郎はん、お待ちいたしとりましたぇ」
利休鼠の大島紬に楓で染めた薄色目に桔梗・白菊・女郎花など秋草を織り込んだ
袋帯の上に茜珊瑚色の帯揚げで身を包んだかすみが座していた。
「いや又、何故どうしてここにかすみどのが……」
銕三郎、辺りをきょろきょろ見回すものの、当のかすみ以外人の気配もなく
狐につままれた面持ちの顔
「可笑しゅうどすか?」
袖を口元に運び、悪戯っぽい瞳で迎える。
「いや驚きました、まさかこの様な処で」
(壬生の隠居は儂のお護りだと言われたが、まさかそれが女性、
それもあのかすみみどの……。悪ふざけとも想えぬものの、
はは─なんとも驚くやら嬉しいやら)そんな顔で見つめた。
「うち、先に云いましたえ、祇園で茶酌みしてたて」
この謀(はかりごと)に見事嵌(は)まって鳩が豆鉄砲食らったような銕三郎の顔を、
目元もほころばせてかすみが見やる。
「んっ確かに、ですが─。壬生のご隠居様とは?又六角堂の専純様は……」
この繋がりからかすみは結びつかなかったからであろう。
「へえ、うちはご隠居はんとお師匠はんの眼と耳の一人どす」
「一人─と云う事は他にも…」
(もしや父上が申されて居られた奥の院への入り口となるのか)
と言う疑念が脳裏の片隅に朧(おぼろ)げながらも浮かんだ。
「そらぎょうさんおいでます」
ちらっと上目遣いにかすみ銕三郎の顔を盗み見るように
「ですが、御隠居様は今後私の目と耳にと申されましたが」
「へぇ、そない云いつかりましたぇ、なあ銕三郎はん、
こん紐のことお知りになられへんのやろう」
「はい確かに、見せれば判ると申されましたので」
(まさかこのかすみどのがそうであろうはずもなかろう、
喩え花界に身を置いていたとしても、とてもそのような形には見えない)からだ。
「そうやろなぁ、これは結び紐云ぅて、結び方や色により色々に意味があるんどすぇ」
「何んと、そこまで裏があるとは」
銕三郎、京と云う町の表と裏、本音と建前の奥深さを初めて思い知らされたのである。
「これはうちのもんどす」
そう云ってかすみ、七分の血赤珊瑚玉簪を抜いて銕三郎の前に差し出した。
紅く燃え立つ珊瑚玉のそこには兎の陰刻(かげぼり)がほどこされてあった。
「これは?」
「これはうちの証しどす、うちらだけに判る標(しるし)どすえ」
「へぇこのようなものにも一つ一つ意味があるのですか」
銕三郎しげしげと珊瑚玉とかすみの顔を見比べる。
「いやそれにしても美しい……」
銕三郎まじまじと眺めつつ思わず口を突いてしまった。
「いやぁほんまに?うちほんまに綺麗?」
かすみ、牡丹の花の一気に開くが如き笑顔をほころばせ、銕三郎の顔を凝視した。
「えっ?……。はいこの珊瑚玉と帯揚げの色目がかすみどのによう似合ぅて──」
代わる代わる両者を見つめる銕三郎
「珊瑚玉?帯揚げ?──。ンもう!銕三郎はんのいけず!!」
拳で銕三郎の肩をトンと打ち据え、横を向いてしまった。
「ああああっ!これはしたり、いやぁかすみどのはそれにもましてお美しい──」
慌てて取り繕うも後の祭りであった。
「んもう知りまへん!」
横を向いたまま口元を真一文字に結び、目を閉じて完全に無視の体
(こいつは困った!はてさて女子と小人は養いがたしというが、
おなごは難しいものだ、どうにかこの場を収めねば…)
頭を抱えつつ……(おお!そうだこの手があった)と銕三郎
「いやぁ又そ"かすみどののすねた横顔、なんとも美しい!しばし見取れてしまいます」
これはまぁほとんど本心であった。
それ程かすみの横顔は虫籠窓から差し込む暖かな日差しに、顔の輪郭が縁取られ、
半日陰にうなじの白さが浮き上がって見え、
ふわりと産毛が陽光に透けて艶めかしさを覚えた。
「またうちをかまされますのやろ?」
プンとふくれたままかすみ
「かます?何ですそれは?」
「んもう銕三郎はんのいけず!!うちをからこうておられますのやろ!」
「違う違うそれは違います、まことそう思うたからそう申しました」
少々冷や汗ものではあるものの、正直な気持ちである。
「ほんま!うちほんまにかいらし?」
弾けそうに顔をほころばせ、大きな瞳を開けて銕三郎に飛びついてきた。
「まままっ真でございます!」
銕三郎、かすみの柔らかな肉体(からだ)の感触と肌のぬくもりを受け止めつつ
引き離そうとするそれに
「こんまま…こんままで……」
かすみの指先に力が籠る。
白く抜けたうなじのあたりから、かすかに誰が袖の白梅香がこぼれる。
「色よりも香こそあはれと思ほゆれ 誰が袖ふれし宿の梅ぞも」(古近和歌集)
そこは静かに穏やかなひと刻(とき)が流れる。


こうして銕三郎、新しい探索の第一歩をふみ出す事となったのである。
この日役宅に戻り、父宣雄に報告に上った。この一部始終の報告を聞いた宣雄、
「太田殿より白足袋者について伺ぅた、彼らは常に白足袋を用いておる者達の事、
言うならば陰翳(かげ)の者とも云える。
我らが江戸表より申しつかった口向役に妙な動きがあるゆえ、
心して探索(さぐる)様との下知であったが、京とはおかしなところ、
我らの立入れぬものがある。
地下官人や武家(ぶけ)伝奏(でんそう)が禁裏附と深い係わりを持っておるが、
この辺りがどうしても我らには入り込めぬそうな。
その入口こそこの白足袋者の持ちしもの、どうやらその壬生の御隠居、
よほど上のお方やも知れぬぞ。六角堂の当主は仙洞御所に出入りする力を持っておると聞く。
それ程のお方がお前の後ろに附いたとなれば、
これはまさに百万の味方を得たのも同じ。だが銕!先の太田殿の隠密同心殺害の一件もある、
せいぜい心して当たらねばならぬぞ」


 

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鬼平罷り通る 4月号 再会



深く頭を下げ帰宅した。
銕三郎の高揚した面持を、妻女の久栄差料を受けつつ
「銕さま何ぞ良い事でもおありになられましたので?」
さぐる目つきで見上げた。
「んっ ああいや大した事ではない、六角堂の住職に招かれたゆえ出掛けたまで」銕三郎、外着をくつろげる普段着の袖へ通しながら…
「それより父上はまだお戻りにはならぬか?」
「はい本日はまだお戻りにはなられておりませぬ、何か急ぎの御用でも?」
訝りそうな妻女の眼差しを背に銕三郎
「いやさほどの事ではないが、明日より儂も父上の助役として忙しゅうなるやも知れぬ、その事に関し、父上の判断をいただかねばならぬ」
銕三郎本日の出来事をかいつまんで久栄に聞かせた。
そうこうしている内に父宣雄が戻って来た。
「父上お戻りになられましたか、ところであちらの方に妙な動きはまだ?」
宣雄は立ったまましばし目をとじた後、
「我ら町奉行では歯が立たぬ相手だと太田殿が申しておられたそうだが」
宣雄は苦々しそうに宙をみつめた。
「その事で父上にお話しいたしたき事がございます」
銕三郎これまでの経緯(いきさつ)をくわしく話し、今後の取るべき指図を仰いだ。
「六角堂の主か──。銕!こいつは想わぬ道が開けるやも知れぬな」
信雄の顔に少し安堵の色が浮んだ事に銕三郎胸をなでおろした心地であった。


翌日の昼七つ(午後四時)、銕三郎は身形を整え、壬生村の日下部家を訪れたていた。
主人の案内で通された奥座敷の前、で主は居ずまいを正し
「おこしにおます」
と中に声をかけ、静かに襖を開く、そこは明り取りの雪見障子より漏れる光と、わずかに一本の灯明があるのみので、人の気配すら感じない程の静寂感に銕三郎(はて──)と下げていた頭(かしら)を上げた。
相対主は床の間を背に居、銕三郎に
「どうぞ」
と中に入る様促す。
銕三郎再度低頭し、
「御無礼を仕ります」
と両刀を控える主人に預け、中に進んだ。
襖が静かに閉ざされ、立去る足音ひとつ聞えてこない。
「よぉお見えで─」
低く重味の加わった静かな口調であった。
銕三郎思わず身体に震えを覚えた。言葉と声から放たれた威厳とでも呼べる抗いきれない力である。
「ははっ──」
銕三郎身の引き締まるのを覚えつつ胆気で腹にぐっと力を込める。
「あんたはん、六角はんから会わせたい云われたお人どすか」
恐る恐る顔を上げた銕三郎の双眸(そうめ)の奥底を読み取るかのごとき眼光に、銕三郎脂汗がじっとりと吹き出すのを覚える。(武家などから受ける高圧的な重みではない、この腹の底までものしかかるような威圧感、これが京という物なのか─それにしても恐ろしいほどの威厳だ)
それはほんの一瞬であったろうが、銕三郎には身体が金縛りにでもなった風で、長き刻のごとく想われた。それを破るように
「あんたはん、六角はんからの言付、見てへんのどすか?」
銕三郎やっとこの明るさに眼も慣れ、正面に座している人物の風貌が視てとれた。
すでに七十近くと想われる白髪を、そのまま肩辺りで揃え、縹(はなだ)色(いろ)(淡い藍色)の表に裏は白のお召・同色の羽織、金糸を織り込んだ西陣綴帯に手の込んだ象嵌造(ぞうがんづく)りの真(しん)塗(ぬり)脇差の拵(こしら)えで紫の座蒲団に座していた。
實(まこと)に穏やかそうな人物である、が─銕三郎を瞶(みつい)める眸(ひとみ)の笑っていない事を銕三郎素早く読み取った。
「はい、結び文は一度開けば決して元通りには結べません、しかも専純様よりのお言伝ならば尚更にも」
と低頭して応える。
「ならよろしゅうおす、祇園の狛(、、)の(、)を訪ねなはれ、そこでこれを見せとぉくれやす、あとはあちらはんがええようにしてくれはります」
と云い乍ら懐から懐紙に包んだ物を銕三郎の前に置いた。
「これは?」
縹(はなだ)色の紐を結んだ物のようで、銕三郎は初めて目にする物であった。
「まぁあんたはんのお護りどすな」
「私のお守り?」
「そうどす、何んかの時役に立つやろ、これからあんたはんの眼と耳になりますやろ」
と、銕三郎の反応を味うかのように、先程とは打って変った穏やかな面差しである。
「ははっ真にかたじけのうござります」
 銕三郎低頭して応えた。
少しして襖の外から
「よろしゅうございますやろか」
と声がかかり、襖がすべる様に開き、先程のこの家の主人が控えている。
「真にご雑作をおかけいたしました」
銕三郎あらためて挨拶をのべた。

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鬼平罷り通る  3月号 京入り

臍石

「ところで専純様、途中の柳は芽吹けばさぞや見事でございましようね」
と、すでにすっかり裸枝となっていた姿から最前の後ろ姿を想いつつかすみの方へ目を移す。
「おお!お目に留まったんどすなぁ、あん柳は嵯峨天皇はんが、身も心も美しおな子はんを嫁はんにしたいゆうて願わはったとこ、夢枕に六角堂ん柳ん下に行けと云うお告げがあり、そこに参ったら美しおな子はんがおいはって、それを后になされはったんやそうどす。そやさかい縁結びん柳ぃて呼ぶようになったんや。長谷川はんもどうどす?まだお独りやったらあの柳の二本の枝を重ね合せ、おみくじを結ばはったら願いが届きますえ。尤も長谷川はんは男子ぶりもよろしいさかい、もう居らはるやろうけどなあかすみはん」
専純の言葉にかすみ(少し頬を朱らめ、柳のあった山門の方を見やる。
「ところで長谷川はん、父御はんのお勤めはどないなもんでございまひょか─」
専純、銕三郎の心の奥底を見透かす眼差しで正視した。
銕三郎この専純にじっと瞶められ、嘘は通じないと悟り、
「はい、父はこの度西町奉行として参りました」
「で、あんたはんは何をされてるんどすか?」
「私は父の命で禁裏附賄方とロ向役人による宮中の汚職探索をいたております。が、京の都は江戸と違い、我ら江戸者に踏み込めないところがございます」
銕三郎、この京へ上って以頼頭を悩ませている事を素直に専純に語った。
銕三郎の切り出した
「口向役人による宮中の汚職──」
と云った時、銕三郎、一瞬それまで柔和であった専純の両眼が引き締ったのを見逃さなかった。
「ほほぅどないな所やろうか─」
専純さらりと柔和な顔に戻り、銕三郎の応えを待つた。
「何しろ本音と建前がございますようで、内に入りたくも容(い)れていただけません。
したがい真の事を探るにもその手立てがございません」
と苦笑いを漏らした。
銕三郎の話しを聴きつつ専純
「あんたはんはどないしょうと思うておいやすのんや?」
探る風に手にした花を見つめいる。
「私は口向役人の不正矯奢(贅沢)はお上のご威光を笠に着た行いであり、それが真ならば断じて見逃せません。まこと武士の恥と心得ております。これは私の父長谷川宣雄とて同じにございます」
ときっぱりとした口調で言い切つた。
「さようどすか──」
専純少し間を置き、
「長谷川はん、ちびっと待っといておくれやす」
そう断わり
「かすみはん、すまんけど紙と筆持って来てくれまへんやろか」
と、かすみに声をかける。
暫くしてかすみが筆と墨を磨りおろした硯を教机に乗せ運んで来た。
「お師匠はんこれでよろしゅうございますのん」
と専純に手渡す。
「おおきに、長谷川はん!ちびっとお待ちおくれやす」
専純筆をとり、何やらこまかな認めを書き、それをこまかく折り重ね、結び文に仕立て
「長谷川はん、これは昨日のささやかなお礼ん気持どす、受取っておくれやす、お役所の近くにおます壬生村の日下部はんに渡しておくれやす。
後の事は、日下部はんがええように計ろぅてくれはりますやろ」
おだやかな微笑みを口元に浮べ銕三郎の怪訝そうな顔をたのしむかの様に見る専純。
昨日のあの悪戯っぽい笑顔に安心したのか
「専純様その壬生村の日下部様はどのようなお方でございますか?」
銕三郎は恐る恐る専純の顔を覗うように見た。
「そうどすなぁ、壬生村の主みたいなもんどす、お行きになりはったらよう判りますやろ」
専純すでにその先の成り行きを見定めているかのごとく相好を崩す。
「それは真にかたじけのう存じます」
銕三郎その結び文を押し戴き、懐紙にはさんで納め、かすみの運んで来た茶をすすり乍ら、
「かすみ殿は、もう此処は長いのでございますか?」
何やら探りを入れる風の銕三郎の目線を受け流し、訊ねられた意味に少しの間戸惑いつつ
「うちはお師匠はんの下で五年程になります。それまでは祇園の近くでお茶酌みしてました。ある日お師匠はんが草花を摘みに粟田の方へお来しやして、花篭に入れるぶぶ(水)をうちにお求めならはって、それからうちもお花生けとうなり、お弟子に加えて頂きましたんえ」
「然様でしたか─」
「何んかおかしゅうどすか?」
クリクリと眸を耀かせて銕三郎の顔をのぞき込む。
「あっいえ別にそのぉ……」
銕三郎、若い女性にまじまじと見つめられどぎまぎする己におどろいた。
しばしの何気ない話の後、(いつまでもお邪魔するのもどうかなぁ…この辺りで御暇すれば、又お伺いする口実も見つけられるやも知れぬ)と、
「あまり長話はお体に障りましょうほどに、本日はこの辺りでお暇を─」
と立ち掛るそれに
「いつでもおこしおくれやす」
と告げる専純の言葉に深く礼を述べ、かすみに送られて山門に向った。
かすみ(、、、)はほころぶような笑顔を見せて、中ほどに見える大きな枝垂桜を指差し、
「あれが御幸桜どすえ、春ともなるとそら美しゅう咲くのどすえ、お武家はんは気付かへんかったかもしれまへんが、この左の東門の方に京のおへそがありますのんえ」
少々悪戯っぽく銕三郎の顔を伺う。
「へそ?あのぉ腹のまん中にある臍、拙者にもかすみ殿にもある臍…でございますか?」
あまりにまじめな顔の銕三郎の言葉にかすみ、思わず口を覆って笑いをこらえる。
その仕草を観て銕三郎
「これは失礼な事を申しましたようで、お許し下されかすみ殿」
頭を掻き掻き苦笑いするそれを観
「まっ!お武家はんはほんにまっ正直なお方どすな」
と再び口を手で覆い(クククッ)と笑う。
「ところでその臍が何か?」
「へぇ、この左手東門の傍に京のお臍がありますのや、見とおくれやすな」
そう云いながらかすみは銕三郎を誘い、その一角を指差した。
観ると六角形の石の真中に穴があいている。
「やっ、まことこれが京の都のお臍で……」
銕三郎おもわずしげしげとながめるのを、かすみは笑いながら
「こん石は桓武天皇はんが京に遷都されはりましたおり、道のまん中に六角はんが座っとられたさかい、天皇はんの勅使のお方が六角はんへ遷座のお祈りばしはりましたら、いきなり五丈(十五米)ばかり北へ退かはりましたんえ、そん時こん石だけとり残されて。それからずっとここに居てはりますんえ、可愛しゅうおすやろ」
と袖を口に当てて銕三郎の応えを待つ。
「然様な事が、いや実に愉快にございますな。御上に遠慮なされ六角堂が場所をゆずられるとは──実に実にあははは……ああついでながらかすみ殿、そのお武家様はお止めいただきませんか」
「まあ、ほんなら何とお呼びすればええのどすやろ」
「はい拙者幼名を銕三郎と申しますゆえその方がうれしゅうございます」
「てつさぶろうはん……でございますの…うふふ…」
「可笑しゅうございますか?」
「いえ、決してそないな事やおへん、何んやこう……うふふっ」
かすみはふくみ笑いを袖に隠し銕三郎をふりかえった。十一月の空はさわやかにどこまでも碧く続いていた。
銕三郎戻る方角も同じなので、早速壬生村の壬生寺傍にあると聞いた郷士の日下部家を訪ねた。
玄関で案内を請い、出迎えた若党に
「拙者長谷川銕三郎と申します、頂法寺住職専純様より文を言付かって参りし者、主殿に御取次願いたし」と口上を述べる。
若党、銕三郎より結び文を受け取り
「へぇ、少々お待ちを」
腰をかがめた後奥に引込み、すぐ身形りもそれと判る初老の男が出て来
「よろしゅうございます、なんとぞ明日もういっぺんお越し願えませんやろか」
と正座し、両掌を膝に置き、銕三郎の人品骨柄を見透かすまなざしで応えた。
銕三郎身の引き締まる威圧感を覚えながら
「はい、しからば明日この刻限に参上仕ります」

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鬼平まかり通る  2月号

初代池坊専好立華図

専純、さも楽しげに声をあげて笑う。
「おうそうじゃ!三条小鍛冶と云うたら東洞院を西に入った辺りに棲まいおったとかも聞きおよんでおりますがな。最も今跡もないようにききますがの…」
「おお然様にございましたか、これは又よい事をお教え頂きました」
そんな話しをしている間に駕籠は白壁に囲まれた烏丸六角堂前に着いた。
これを見届けて銕三郎、駕籠から専純を抱え出し、再び背負い、山門をくぐって本堂前に下ろし
「まずはお医師にこの傷をお見せになられてお手当を─。ではこれにて拙者ご無礼つかまります」
と軽く一礼し、何やら物言いたげなかすみに
「お師匠さまを何卒よしなに」
と会釈する。
「あの……お武家はん!少しの間でもお立ち寄りおくれやす」
と、かすみが云うのへ専純
「ああ長谷川はん、それよりも又お立寄りをお待ち申しとりますさかい、今日はこれにておおきにどした」
と、深々と会釈した。
西町御役所屋敷へ戻りついた銕三郎
「久栄、本日は面白い御仁に遇うたぞ、何でも六角堂住職とか申されたな、それと確かかすみ殿と云うたかなあ若い女子だ」
と、妻女久栄の反応を楽しむ如く見下ろした。
「銕さま若い女子でございますか──」
腰の物を袖で受け取りつつ、うらめし気に銕三郎の瞳を瞶(みつ)める。
これを観た銕三郎
「これはしたり、気を回すではない、ご住職の第子とか言っておられたが」
安堵の色を浮べる妻女の背を見やり(やれやれ)と苦笑いを浮べる。
翌日は身形(みなり)を整え月代(さかやき)にも刃物をあて、小ざっぱりとした衣服に替える銕三郎に
「銕さま、本日は又何処(どこ)ぞにお出掛なされますので」
久栄、腰の物を捧げつつ銕三郎を見上げる。
「うん、何な、ちと昨日の住職の怪我も気になるので……」
「さようにございますか、このところ毎日どこぞにお出掛のご様子─」
と怨めしげな眼で見上げた。
(やれやれ)と内心思いつつも
「これも父上の手助けに多少なれともと思うての事、堪(こら)えよ」
「理解っております、判っておりますが、銕さま、しのび香はほどほどになさりませ」
と、釘を刺す。銕三郎これを聞き流し、
「行って参る」
そそくさと屋敷を出る。
御役所を出た銕三郎、そのまま南へ下り、十八年前山脇東洋が初めて人体解剖を行ったと言われる六角獄舎横の六角通りへ進み、堀川を越えて丹波篠山、青山下野守忠高屋敷を左手に真っ直ぐ東へ進んだ。
烏間通りから六角通りを東に入ると山門があり、その奥に六角堂が控えている。
烏丸は川原(かわら)洲(す)際(ま)が源で、応仁の乱当時は鴨川から流れていた烏丸川の洲であったところから付けられている。
銕三郎、山門をまたぎ、あざやかに色づいて実を染める公孫樹の下を掃き清めている小坊主に
「拙者長谷川銕三郎と申す、御住職様はおられるかな」
と案内(あない)を請うた。
「ちびっと待っとぉくれやす」
と小坊主かけ出して行き、暫くすると昨日のかすみが小走りに駆け出て来、
「これはお武家さま、昨日はまことありがとうおました。おかげさまでお師匠様も今日はもう歩けるようにならはりましたえ」
と顔をほころばせて銕三郎に輝く眸(ひとみ)を向け
「お師匠はんも心待ちになされとられたんどすえ」
そい言い、小腰を屈め奥へと誘う。
地に達する程に枝垂れる柳を見つつ銕三郎、かすみの後について行く、その後ろ姿は二十前後であろうか、柳もかくあらんと想わす細い腰に丸味を帯びた下肢を包んで青鼠色の地に小菊の白くあしらわれた友禅の裾が小さく乱れ、小股が白く覗く。
専純は本堂奥の道場に居、周りには数名の弟子とおぼしき男女の姿があった。
銕三郎の姿を認めるや
「おゝ長谷川はんようおいでましたなぁ」
と、手を休め笑顔で銕三郎を招き入れる。
「専純様!お怪我の方はもうよろしいので?」
傷の治りを気遣いつつ銕三郎近寄り、誘われるまま縁側に腰を落とす。
専純、傷をかばっているのか正座を避け、少しなげめに片足を伸し
「おかげはんでこれこの通り、お医師はんも、傷ん手当を心得とるお人のようや、仲々んもんにおすな、云うとぉくれやして、血も止り、傷の中も洗うてあり、わしの出る幕はあらしまへんなぁ云われたんや。あはははは。
これもみぃんな長谷川はんのおかげどすなぁ、のぉかすみはん」
と身をのり出して来る。

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鬼平まかり通る 新年号  京入り

 六角堂

銕三郎そう声をかけつつ近づき、ゆっくりとかかえ起してみる。
「 んんっ!」
思わずもらす声は傷の痛みのものの様で、他の手足を触ってみるもそれには反応(こたえ)ないのを視、とりあえず骨には何の心配もないと想われたので、
「ご老人!まずは私の背におつかまり下さい」
と背を向けた。
(さてどうしたものかと、迷いの間の後)
「ご厄介をおかけします」
と宣以の背に手を回すものの、折り取った小枝を離そうとはしない。
銕三郎、小笹や榊を掴みながら、ひとまず老人を背負って上までよじ登って来、そのまま手水鉢脇まで運び、老人を五角形の縁石に腰かけさせ、傷口に入り込んだ土砂を、竜吐水を柄杓にすくい洗い流し、
「少々荒うございますが何卒御辛抱願います」
と、傍に生えている蓬(よもぎ)の葉を女性(にょしょう)に集めるよう指図し、
「少々滲みますがご辛抱を」
銕三郎、手近に生えている小指ほどの小笹を手折り、老人のロにおし込む。
女性によって集められた蓬の葉を手でもみしごき、汁を作り、
「まことすみませぬがこの傷口に水をかけ懐紙に吸わせては下さいませぬか」
と指図。
少々水をかけたぐらいでは、滑り落ちて傷口に入った泥は取れるわけもない。
その傷口を更に押し広げつつ水を流し込んで洗い出す、かなりの荒療治である。
水によって除けられた傷口に素早く懐紙を被せ、水分を吸収させる、そこへ即座に蓬のしぼり汁を流し込む。
「ううっ──むっ!」
老人は小笹が音を立てて割れる程歯を喰いしばった。
「相すみませぬ手荒いやり方で」
銕三郎、それでもなお汁を垂らし込み、蓬の絞ったものを傷口に充てがい、笹の葉を添えて懐から出した手拭を三つに引き裂き、下から巻き上げ、最後にきっちりと手ぬぐいの端に折込み止血とした。
慣れた手つきの様子に
「とんだ御雑作おかけいたしましたな、それにしても……」
と、手をすすぐ銕三郎に老人は声をかけた。
「 あはははは…手慣れておるのにあきれたご様子で」
銕三郎あとをついだ。
「いやこれは一本取られましたな」
老人は顔をしかめつつも明るい声をあげて笑った。
「ほんに一時(いっとき)はどないになるか心配おいやしたんやけど、ほんまにおおきにどすえ」
付き添いと想われる女性が銕三郎に深々と会釈した。
銕三郎少々テレ気味に老人の方へ背を向け
「とりあえず拙者の背に─。祗園まで下れば駕籠もおりましょう程に、さっ!ご遠慮なされますな」
とうながす。少しの間ののちに
「……ではお言葉に甘えまひょ」
と、素直に銕三郎の肩に両手をかけた。
銕三郎の大刀を女性は両袖に預かり、背負子(しょいこ)に入れていた草篭の中に、先程老人が握りしめてい梅嫌の枝を入れてもらい、二人の後ろから従(つ)いて来た。
「ところでお武家はんはお江戸から?」
と、背の老人が声をかける。
「あっこれは!」
銕三郎あわてて首を後ろにひねり乍ら、
「ご推察通り江戸より参りました。拙者長谷川銕三郎と申します」
「いやいやこうして背に負われての名乗りもけったいなもんやけど、申しおくれました拙僧、鳥間六角堂紫雲山頂法寺住職小野専純と申し、これは内弟子にてかすみと云いますのや」
「先にお礼も云いまへんで御無礼おいやした」
かすみと呼ばれた女性は少し恥かし気にうつむいて、小首を垂れた。
「いえいえあのような折、名乗る暇もござりませんでしたから…。先程かすみどのがお師匠様と確か──」
「おお耳にとまりましたか、拙僧池坊と申します立華師どす」
「ああなるほど然様でございましたか」
銕三郎先程の光景を思い出してしまった。
それを感じたのか専純、
「いやお恥しき事なれど、花は足で生けると申しましてな、自からの眼ぇで選び取りしその草木の姿に、おのが心を述べ写し、一瓶の虚上に森羅万象、深山幽谷を顕わしますのんや」
蓬の傷口にしみるのも暫し忘れたかのように饒舌になる。
銕三郎説明を聞いても何が何やら見当もつかないことばかり。
「然様でございますか、拙者無骨者ゆえどうもそちらの方はからっきし、ですが御住職!先程の様な危ない事はお控えなされませぬと、かすみ(殿がお困りのご様子で」
背後に付いてくるかすみの心中を察しての言葉
「さようでおますな、そやけど…」
と一瞬口ごもるそれを感じて銕三郎
「あのような物が眼に映ると…でごいますか?」
「あはははは……もう手が先に出るもんの足の方が…いやまるっきりお恥しい!」
「さようにおますえお師匠はん、かすみは戻ったら専弘様 に又おしかりをこうむりますよってにかんにんやゎ」
「えっ?又と云う事は?」
銕三郎苦笑気味にかすみの方を見やる。
「やれやれかすみはん、わてはそこつ者んと思われてしもた、あははは」
そんなおしゃべりをしているうちに祇園近くに辿り着いた。
「おお!駕籠もおりますねぇ」
銕三郎、専純を背負うたまま駕籠やに
「すまぬが烏間六角堂までやってくれ」
と専純を下ろし駕籠に乗せ、かすみより
「真にお預け致したまゝ申しわけもござりません」
と大刀を受け取り、腰に手挟み、駕籠かきに 一朱を握らせた。
酒手をはずまれた駕籠かき、愛想もよくかけ声と共に一路烏間に向ったものだ。
垂れをあげたままの恰合で専純
「ところで長谷川はん、お聞きしますんやけど、これは年寄りの知りたがりぃの病いと思わはっておくれやす、長谷川はんは何の御用で京へ?……」
この溌剌とした若者に興味津々の顔である。
「はい、親父殿のお伴にてついてまいりましたが、拙者は格別の用もなく、京と申しますれば、この親父殿より賜りました粟田口国網の生まれし処を一目見たく、又世に名工と詠われし三条小鍛冶宗近も粟田の傍と聞き及び──」
「ははは─。それで出遇ぅたわけで、人ん出遇いは面白うございますなぁ」

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鬼まかり通る  11号  京入り 粟田口




粟田口



 



銕三郎は此度京へ上る中、大きな目的があった。



鎌倉時代、この京の東山北西端には銕三郎が将軍御目見の祝いとして
父宣雄より譲り受けた差し料(あわ)田口(たぐち)(くに)(つな)を打った名刀工、山城国住人
林藤六左近将監の粟田口派が、かつて存ったからである。


最も粟田口派は将軍家お抱え刀工の為、
この刀は将軍家以外の者が手にする事はなかった。

(したが)い、平蔵の差料も無名の粟田口に国綱の銘を打った物ともいわれており、
それを知っての上だから気軽に手挟み使ったと想われる。
 



この日、銕三郎は西町御役所を出、長さ六十一間(約百米)幅三間(約五米)
の三条大橋を渡り南へ折れ、縄手通りからひとまず建仁寺を目指した。



俵屋宗達の風神雷神図屏風が納められていると聞いていたからである。



この屏風、京の豪商打它公軌(うだきんのり)(糸屋十右衛門)が建仁寺派の妙光寺再興記念に
俵屋宗達に依頼制作し、納めた物が妙光寺より寄贈された物であると聞き
およんでいた。
さほど深い感心があった理由わけではないが、(まあ京の土産話しの一つにでも)


といった軽い気持ちである。



これを拝観し終え、一路足は粟田口鍛冶町粟田神社に向いた。



この粟田口、古清水と呼ばれる粟田口作兵衛や色絵付けの野々村仁清で
知られた粟田口焼の窯元が隆盛を極めていた事もあり、その頃は帯山窯・
錦光山窯も名乗りを上げ、粟田焼と呼ばれるに至っていた。



享和二年(一八〇二)(南総里見八犬伝)の著者滝沢馬琴(曲亭馬琴)
もここを訪れ



「京都の陶は粟田口よろし、清水はおとれり」



と旅行手記羇旅漫録(きりょまんろく)の中の巻八十四に記している。



佛光寺の辺りは三篠小鍛冶信濃守粟田藤四郎の一派が栄えた処でもあり、
その後、粟田口一派が大いに栄えた。この跡なりとも見、
古を偲んでみたいと思ったのであった。



銕三郎は、宝暦四年(一七五四)山脇東洋が日本初の腑分(ふわけ)けを行い、
この五年後、解剖図録「蔵志」を刊行した六角通りにある六角獄舎から
粟田口へ向かい、これを更に(さかのぼ)り、千本松の方へ上がってゆく。



そこには蹴上(けあげ)と言う所があり、粟田口刑場に向かう際、
罪人が進むことを拒むため役人が蹴りながら進んだと言われている話を、
粟田口を尋ねた建仁寺の門前茶店で聞かされていた。



「なんとも京と言う町はいにしえの名の(いわ)れ多き所よ、
髑髏(どくろ)(まち)なぞよくぞ呼んだものだ、江戸じゃぁこうはゆくまいよ」



京都絵図を眺めつつ、妻女久栄に語ったものだ。



建仁寺を拝した後、(きびす)(ひろがえ)し、粟田口鍛冶町の粟田天王宮を訪れた
ここの社には天下五剣の一つ、三条小鍛冶宗近の名刀三日月(むね)(ちか)や、
山城の國住人粟田口吉光作の名刀一期(いちご)
一振(ひとふり)藤四郎が奉納されている。



東山三十六峰の裾に当たるこの地に鎮座する粟田天王宮は、
周りを鬱蒼と繁った森に囲まれ、常盤(ときわ)()はすっかり落ち着きを見せ、
紅葉や黄葉樹は色どりを増し、逝く時季を惜しみつつも静かな佇まいを
見せている。



社殿詣でを終え、山辺の戻り道を辿りつつ、社の出口近くにさしかかった時、
若い女性(にょしょう)がおろおろしている姿を認め、怪訝に思った
銕三郎



「いかがなさいましたか?」



と近寄る。



その女、相手が京言葉ではないことに少しためらった後



「お師匠はんがここから──」



と女、不安げな面持ちで薄暗い藪の中を覗き込む。



「何んとした!」



銕三郎急ぎ藪の中を覗き込んで、何やらうずくまった人の気配に



「やっこれはいけません」



あわてゝ腰の物を抜き、



「まことにすまぬがこれを預かってはくださらぬか?」



と両刀を女性に預け、銕三郎、そろそろと藪の中をかき分けつつ下って行った。



藪の中ほど、少し平らになったところへ老人が倒れて居、
見れば(かるさん)が裂け、血のようなものも浮いて観える。



「ご老人気を確かに!」



そう大声をかけると、何やらぼそぼそ声で手を上げてみせる、
そこには薄闇にも見事なまっ赤に紅葉した(うめ)(もどき)の枝が握りしめられていた。



そのまるで童のような無邪気な面持ちが、
見れば六十を回っていると見える容姿に銕三郎、思わずにが笑い。



それを受止めたのか老人も照れかけたものの、傷の痛みに思わず低く



「ううっ!」



と声を漏らした。



「あっそのままそのまま!」



銕三郎そう声をかけつつ近づき、ゆっくりとかかえ起してみる。



「 んんっ!」



思わずもらす声は傷の痛みのものの様で、他の手足を触ってみるも
それには反応(こたえ)ないのを視、とりあえず骨には何の心配もないと想われたので、


「ご老人!まずは私の背におつかまり下さい」

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鬼平まかり通る 10月号  京入り


「おゝお引受下さるか──。真(まこと)かたじけのうござる」
太田正清は銕三郎の後ろに控える筆頭与力の方へ目を送り、安堵した面持ちになった。


京入


長谷川平蔵宣雄は少し遅れた十一月十一日東海道を銕三郎妻女久栄や嫡男辰蔵に         
与力・同心に小女・小者など少人数をともない馬で入り、粟田口蹴上(けあげ)に着いた。
出迎えを受けたのは、京都町奉行目付方与力一向。
「これは長谷川様、遠路はるばるお勤めご苦労に存じまする」

「これはまた、ご丁寧なるお出迎え痛み入ります」
馬上より下馬した宣雄、出迎えた面々に軽く頭を下げ、ゆっくりと見回す。

慇懃ではあるものの、その奥に冷ややかな物を感じ取った宣雄、さらりと受けて流し,
迎えの乗り物に銕三郎妻女久栄と嫡男辰蔵を乗せ、一路西町御役所へと向かった。

東町御役所(奉行所)は西町御役所の直ぐ傍、押小路通大宮西入る神泉苑西隣にあった。
此処は元々五味備前守屋敷蹟に建てられた物。
東町奉行酒井丹波守忠高へ新任到着の挨拶に上り、後、西御役所(町奉行所)に入った。
旅仕度を解く問も惜しみ宣雄、引継の経過を銕三郎より受ける。

「父上、長旅ご苦労様にございました。太田様よりお引き継ぎいたしましたる事の中、
くれぐれもと申されたものにございます」
と大田正清より託された手控え帳を差し出した。

銕三郎の差し出す手控帳を読み進める険しい宣雄の顔を一瞬で見取り
「父上早速なれど余程の事と想われます」
と、過日太田正清から受取ったおりの事を、つぶさに語った。

「銕!心して聞け、この手控に記されておる事は他言無用と心得よ、
してこの者は只今いかように──」
宣雄、当時者の手控帳がここにある事を訝(いぶか)しく感じたようで、
銕三郎の応えを待った。

「殺られました…」

「何と!」
驚きと共に(それ程事は根深い物になっていたのか…)
宣雄、手控帳を手にしたまましばし宙を見た。

「かなりの遣い手のようで、応ずる間もなく真っ向から一太刀だったそうにございます」
その時物の割れる音がし、部屋の外、
廊下で茶を捧げて来た久栄が、聞えて来た話しに驚き、碗を落とした模様であった。
その音にこちらでも驚いて襖を開いたそこに、
蒼ざめた顔の妻女久栄がぶるぶると震えていた。

「やっこれはしたり、驚かせてすまなかった」
奥から舅(しゅうと)、宣雄の労わる声を背に、
銕三郎が飛び散った碗の欠片(かけら)を拾い集め、
懐紙に茶を吸わせている久栄の手を取り、
「案ずるな、案ずる事はない」
と気を落ち着かせるベく中に入れた。

「義父(ちち)上様、こたびの御勤めは然程にあぶなき物にございますので…」
舅(しゅうと)の目を見上げたまま、今だ少し震える声で尋ねる。

「案ずる事はない、よいか久栄!そちは辰蔵が事を守ってくれればよい、
後の事は儂と父上にまかせておけ。よいな」

「銕さま……」
久栄は不安な面持ちを隠せない


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鬼平まかり通る  9月号  上京




この夕刻、二人は揃って菊川町の役宅へ戻ってきた。
銕三郎には妻女久栄が、生まれて間もない嫡男(ちゃくなん)辰蔵を抱えて出迎えた。

「お義父(ちち)上様お戻りなされませ。銕さまお戻りなされませ」
と出迎えた後、二人の後を奥へと従う。
宣雄は両刀を刀掛けに預け、侍女の運び込んだ衣服に着替え、
床前に座し、脇息(きゅうそく)に左腕を預けた。

「お義父(ちち)上様、御老中松平様より書状が届いております」
と書院棚の手文庫から一通の文を取り出し宣雄に手渡す。

「御老中から?はて何であろう……」
言いつつ宣雄それを開く。
読み進める父宣雄の顔に緊張の色が走る。

「父上!一体どのような!御老中様からいかなる事が」
銕三郎、顔相の変わってゆく様子にいたたまれないのか、
読み終えるのを待てず言葉を発した。

「銕、心して聞け!筆頭御老中松平越智武元(たけちか)様よりの、直々の御沙汰じゃ」
老中首座松平越智武元は上野館林・陸奥棚倉城主で、田沼意次とは協力関係にあり、
この長谷川平蔵宣雄も、嫡男銕三郎(後の鬼平と呼ばれる長谷川平蔵宣以)も
共にこの松平武元と田沼意次には目をかけられている。

「よいか銕!儂は急ぎ京へ参らねばならぬ事と相成った。
御老中よりのお達しでは、今 京において御所賄方(まかないかた)や
口(くち)向(むき)(経理・総務)を治める禁裏附(きんりつき)に不正流用の疑いがもたれ、
これを証さねばならぬ。

何しろ相手は御所の御用を司る立場、並の事では済まぬであろう、
今からすでに気が重い」
宣雄、銕三郎の顔を覗き込むように肩を落として見やる。

「父上!よりによって京とは。又如何様なる理由(わけ)でございましょうか?
口向とはどのようなお役目で、又いずこのお方がお勤めなされますので」
銕三郎、老中よりの密命をおびた父の並々ならない覚悟の言葉に、
何かを感じ取ってのことのようである。
「うむ、口(こう)向役(げやく)とは朝廷の地下官人(じげかんじん)で、
朝廷の出仕を云い、これを監理する為に江戸より禁裏附役が出仕いたしておる。
このあたりに不正ありと言うことだな」
宣雄、顔を曇らせたのは、京都西町奉行への下知を賜って後、知ったばかりの話。
それ以上の詳しいことはつかめていない様子であった。

「何とかようなところにそのような。ですが父上、
京には他に東町も所司代もござりましょうに」
(何で我らが京都くんだりまで出向しなければならぬのだ?)
と言わんばかりに銕三郎の顔へ書いてあるそれを読み取り、

「それよ、その辺りがな!朝廷に関る金子は所司代より支払われる。
この辺りに何やらうごめく者有りとの事だ。
つまりあちらでは袖の下が馴れ合いになってしまっているという事であろう。
それを東西合わせても与力二十騎と同心五十名で京の都を取り纏めるのだ、
並のことではないと想われる」

「何と面妖な……。ところで父上、私と久栄や辰蔵と共に
久助はお連れになられますので?」
押し包むようなこの一件をどう納得すればよいのか混乱の中銕三郎、
宣雄の反応を確かめる。

「銕よ、おそらくは長くて三年と想われるゆえ、そなた親子共々出向ということになろう」
「えっ!で、久助はお連れになりませんので?」
この中間の久助、宣雄の元から勤め上げている忠義者である。

(ふむ、まさかお前の義妹の面倒を見させねばならぬゆえ、
供に加えられぬとは言えまい、さてさて)宣雄一呼吸おき、
「其処だ銕よ、この屋敷の者も目白の組屋敷へ移らねばならぬ。
従いここを護る者がおらぬことになる。そこでだ、久助を残してゆこうと思う」

「はぁ──、然様で」
釈然とはしないものの、父宣雄の決めたことである。そのまま飲み込み
「で、出立はいつ頃と」

「早いほうが良かろう、儂は後々のこともあり、
諸事万端為し終えてと言う事になろうほどに、お前は先に京へ参じ、
引き継ぎの方を預かってはくれぬか」

「えっ!私どもが先に京へ?それにしてもそれなりに支度というものもございますが」
半ば慌てながら銕三郎

「そこだがな銕、お前一人まずは出立いたせ。
ことは急を要するゆえな。後から儂らも出向く、案ずることはない、
妻子(これら)の事は儂に任せておけ」
宣雄の、この件はこれで落着という顔に銕三郎、
半ば諦めの顔で見上げたものであった。


時は明和九年(安永元年・一七七二)九月二十日。
銕三郎は父宣雄より一足先に京へ前入りを果たす為出立したのである。

日本橋から京の三条大橋迄、東海道は五十三次回りで百二十六里六町一間
(四九二キロ)役務引継・居住所等整える為でもあり、少し早めの旅立ちであった。
この時長谷川平蔵宣以(のぶため)二十五歳である。

京の入り口、三条大橋から千本通押小路を入った千本東角の西御役所
(西町奉行所)に着いたのはその十五日後である。
一日おうよそ三十三キロ歩くことになるが、
これは当時平均身長百五十五センチの日本人の速さであるから驚く。

銕三郎、夕刻には京に入る事が出来。
早速西御役所の太田備中守正清へ着任の挨拶に出向き、
残留している与力等から多々引き継ぎの用件を済ませた。

「太田様、ただ一つ用心いたす事なぞあらばお教え願えませんでしょうか」
銕三郎、太田正清を見上げた。

「うむ然様にござろうな─」
太田正清、ちらと控えている筆頭与力の方に眼を配り、
与力が僅かに小首をそのままに、眼を瞬(またた)かせた。
「よろしかろう──」

太田正清机に向き直り、控えの与力に
「長谷川殿にお見せいたせ」
と小さく指図した。

「暫くお待ちを──」
そう云って席を離れ、やがて一綴りの控帳を銕三郎に差し出した。

「これは?」

銕三郎はこれを受取り、目を走らせながら
(何を申し送りたいのであろうか)と、太田正清の真意を読み解こうとした。
数枚めくったところで銕三郎、そこに何か重さを感じたのである。

太田正清が
「それはふた月前に殺害されましたる江戸表より連れて参りし
身共(みども)の配下、隠密廻り同心が残せし手控帳にござる」

ゆっくりと銕三郎の方へ振り向き、膝に両手を揃え
「お頼み申す長谷川殿。何としてもこ奴の無念をはらして下され」
膝の上の拳が小刻みに震えているのを銕三郎じっと視

(これは余程のことのようだ、しかも他言をはばかられるような物)
「この長谷川平蔵宣以!確かにお引き継ぎ致しまする」
と応えた。

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鬼平まかり通る  8月号 雀の森最終章




それで商家か町家の者か、あるいは夜鷹なぞ下賤(げせん)の者かも判じえよう。



髪の(こしら)え、持ち物・挿し物でもこれらを見分けることが出来る。
着付け一つでも自ら着たるものか、あるいは後で着せられたものかも
お前ならば判るであろう?」



(げっ!その眼差し──こいつぁまずい風向きになって来おったぞ、
さてどう返事をすればよいのやら、とほほほ)



「あっ!はぁまぁその何とか見分けほどは……」



「わははは…。まぁよいわ、悪さも程々に致せよ。
それから(おもて)の見立てだ。
まずは顔色、形相は目を開けておるかどうかで他殺・
自殺も判じることが出来るからな」



「えっ!それだけで自殺か他殺か判りますので?」



「そうだ、それどころか瞳や歯舌からも判じることになろう。
鼻腔内に薬物を押し込むることもあるからな。



特に鬢内(びんうち)(頭・髪の内部)にても疎かに致さぬことだ。
通天・心中・盆の窪も見逃しやすいゆえ重ねて検視致せ。
ここに錆びたる寸鉄を打ち込めば血も流れぬと言われておるからな」



「ええっ!!真そのようなことが──」



「うむ、錆のゆえにすぐさま血も固まると言われておる」



「加えて総身の肉色に変わりあらば殺害の後、
いかほどの刻が流れたかも判じることができよう。
だがこいつは季節で大いに変わる、そのところも勘案致さねばならぬ」



「では此度(こたび)の者は、秋口なればさほどの刻が過ぎておらぬと?」



「恐らくなぁ、身なりからも夜鷹(ひめ)とは考えられぬ、
従い、何処かで事を為し、ここまで引き連れし後絞殺し、
息を吹き返すことも恐れてか、孕み児もろとも掻き切ったと想わねばなるまい」



「何と(むご)いことを──」



「人を殺めようなぞと想う者の心には、最早仏は住しておらぬ、
無用の気遣いだ。このような場合、まずは知らせた者に疑いがかかる」



宣雄そう言いつつ木場の松三を見上げた。



「げえっ!」



松三あまりの言葉に飛び上がって尻餅をつく。



「あははははは、と言う事だがな、この度はお前の仕業ではなかろう」



その言葉を聞いて松三、大きなため息を三度も漏らした。



「ああ驚いた、小便ちびってしまいそうなほどで…」



と、己の股間を掴み、確かめる始末。



「悪い悪い!だがな、通常ならばまず疑われるのが初に通告した者だ。
それはどのような細工でも出来る立場に居るからだ。



だがお前はその様子から、履物も汚れてはおらぬし、
股引(ももひき)鯉口(こいぐち)(下着)も汚れなく、髪・半纏(はんてん)にも何らの疑いもなし。
更にその顔だ!望診と言うてな、行いは顔に出るという。
望診・触診ともに大事で、特に顔相は大事の一つだ」



なかば反応を楽しむかのように宣雄、にやにやと松三の表情を
見やったものであった。



「酷ぇなぁさ…あっしぁてっきり御用かと肝が縮みやした」



と、今だ冷や汗が流れてくる様子。



そこへ町奉行の者が番太に伴われやって来た。



「おうおう、ご苦労であったなぁ、駆けつけいっぱいと言うから、
出し殻茶でも飲んでまずは休め。
ところで御役所よりのお出ましご苦労にござる。
身共火付盗賊改長谷川平蔵と申す」



腰を上げ、右脇においた刀を帯に手挟(たばさ)みながら奉行所の役人を観た。



「これはまた丁重なるご挨拶を頂戴いたしいたみいります。
身共は、南町奉行所与力岡野省吾にござります、
何卒お見知りおきのほどお願い申し上げます。



所で長谷川様、番太の知らせでは殺しのよし」



そこに置かれた骸を見やりながら平蔵の顔を再び凝視する。



「うむ、そこの者より番屋に知らせがあり、
居合わせた儂がまずは立会い、ここまで運ばせた」



と、手短にこれまでの経緯(いきさつ)を語り、己自身の検視結果も
残(あま)すところ無く話し終えて後、
「お手前も検視なさるであろうが、これはあくまで
身共の推量にござるゆえ……。
所で犯人は恐らく侍であろうと想われる」



言いつつ松三の顔を見る。



「えっ!侍にございますか?」



口を開いたのは銕三郎



「おおそうだ、この切り口は絞め殺した後に切り裂きしもの、
しかも切り口があまりに見事すぎる。生半可な柄物ではこうは切れぬ。
しかも経絡を心得たものとも見て取れる」



「それはまた……」



今度は岡野省吾



「ああ、普通ならば首を絞めるおり両手で手前から締め上げる。
だがその場合したたかに暴れられるものだ。
だがその様子はあの場所ではみられなかった。



すなわち此奴は恐らく経絡(けいらく)を存じおるものであろう。



経絡を存じおらば、喉仏を押しつぶせば息を奪われる。
その後首奥に手を添え、首筋の後ろを同時に締め上げれば血の流れも止まり、
即座に命を奪える。締めた後というは尋常ならば肉叢(ししむら)の切り口は
外へめくれるもの、だがこの切り口はさほどの開きを見せておらぬ、
ということは、そこ元、岡野どのと申されたな、
切り口を抑えてみられよ、如何かな?」



「はい、何やら水のようなる物が滲み出てまいりました」



「そうであろう?通常ならば切り口から残血が出てくるが習いなれど、
すでに絶命しておったるゆえ、出血は止まっており、皮・肉とも
そのように内に巻いておる。



先程も確かめさせたが、喉の上に死斑が視て取れる。
こいつぁ並の者には判らぬ所だからな。
少なくとも其処な木場の松三でないことだけはこの儂が受け合う」



このとき大きなため息が漏れてきた。無論松三のものである。



こうしてこの事件は無事町方へ引き渡し、
平蔵親子は再び越中島の橋を渡り大島町から松平下総守下屋敷前の
大島橋を中島町へ過ぎ越し、相川町・熊井町と進んで
佐賀町の永代橋袂にたどり着いた。



 


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鬼平まかり通る  7月号  雀の森



「よく視ろ!下顎(したあご)の近くに何かないかもう一度よっく確かめろ!
些細なことも見逃すではない」
厳しい宣雄の声が飛んできた。

(先程から視ているのに何をさらに改めろとは親父殿も……)
思いつつ銕三郎、女の首筋を手指で持ち上げてみる。
(あっ!─これは)親指大の斑紋が診て取れた。
「ここに指の跡のような……でもなぜ」

「良い良い、首の後を検分いたせ」
もう宣雄には犯行の一部始終が読めている様子ですらある。

銕三郎、女の体を抱え起こし、うなじを確かめる、
そこへも指の痕と思しきどす黒い斑紋が残されていた。
「確かに指痕と思しきものが」

「やはり在ったか」
宣雄は確信を持ったように言葉を吐いた。

「父上!一体何が起きましたので?」
これまでの一連の所業を顧みながら銕三郎、
まだつながりが見えていない様子に

「銕三郎、お前はこの腹の傷をどう見た?」
探るような鋭い眸(ひとみ)で銕三郎を見やる。

「傷?刀傷にございましょう?」
「そうだ!だがこいつは傷口が開いておらぬ、
故に締められて殺害されたる後に辻斬りと見せかけて
腹を切り裂いたと見たほうが良かろう、こいつぁ勒死(ろくし・絞殺)だ」

「何と……」
銕三郎、父宣雄の見識の深さをまざまざと思い知らされたものであった。

「爪を検(あらた)めてみろ」
再び宣雄の言葉が続く。

銕三郎、女の手を取り、よく観察する。
「中指や小指に何かが残っております、これは?」

「恐らく苦し紛れに引っ掻いたのであろうよ、
殺った奴は恐らく顔か腕のあたりにその傷を受けておろう」

「はぁ……そこまで」
銕三郎ため息混じりに松三の方へ振り返る。

松三ポカンと口を半開きに立ったまま、
一連のやり取りに言葉も失っている様子である。
宣雄、先ほどの指図で女の火処(ほど)を確かめた取り上げ者を再び呼び寄せ

「ついでにだが、その孕(はら)みをどう見る?」
と誘い水を向ける。

「へぇ、先程お武家様がおっしゃられた通り、
これぁ未通女(おぼこ)じゃぁございません、すでに孕んでおります、
恐らく四月か五月あたりではと──」

「やはりなぁ」

「父上、それは一体どのようなことで」
銕三郎、このやり取りが理解できない様子である。

宣雄、深くため息をついた後、嫡男銕三郎に鋭い眼光を飛ばし口を開いた。
「よいか銕三郎、検視と言うものは、三十一種の検死法定がある。
それをまずは守らねば、場合によりては一大事となり、
それが己自身に振りかかってこぬとも限らぬ。
それゆえこれは徒(あだ)や疎(おろそ)かには出来ぬお定めじゃ」

「三十一種も?」

「そうだ、まずの大事は初見だ。
殺害されたものかあるいは己自身で命を断ったものかも判らず、
またそれを装ぅた仕業も入れておかねばならぬ。
また相手が貴人等の場合も考えられるゆえ、
まずは其の者の知人・関係の者など探さねばならぬ。

おらぬ場合はひとまず辺りをよく観、抗(あらが)った痕や
地面の様子も観ねばならぬ。
置かれた様子は、まず抗ったかどうかを確かめる、
それには周りをとくと検視するものだ。
一人の仕業であるかもその辺りで判じれる。

この者の場合、野犬共が荒らしておったにしろ、
そいつぁ草の倒れようが違う。
したがってお前も観た通りさほど多くの乱れはなかった」

「確かにさようにございますね、草の倒れようは、
私とこの松三の物以外、さほど多くはございませんでしたから」

「うむ、この者は朝露に濡れておったゆえ着衣も湿り気を帯び、
従い流れたる血も色を失ってはおらぬ。
時が経てば通常は血餅となり変色しておるはず」

「ははぁ──」
銕三郎一言一言を噛みしめるように心に刻み込む。

「風上に立つは邪気(じゃき)(毒薬など呼吸することで危害が及ぶと
考えられる物)をまず防ぎし後、検視に当たる。
これもまた衆人の見守る中で行わねばならぬ。
間違ぅても己自身のみにて行うではない、
後々冤罪を引き起こす元ともなるからだ」

宣雄、出された茶を一口流し込み、再び続ける。

「常に誰かを観察させる中で行うが大事の一つゆえ、
呉々も忘れるでないぞ。
次に全体を良く見守る。
着衣の状態や身につけておる品々が尋常であるかどうかだな。

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鬼平まかり通る  雀の森  6月号



「女は何を挿しておる?」

「はい、銀の打ち物(簪(かんざし))にございます」

「他には!」

「はい、櫛(くし)、笄(こうがい)に髪もさほど乱れてはおりません」

「懐はどうじゃ?」

銕三郎懐から十手を取り出し、その先で女の懐を上げてみる。
ふくよかな胸乳が少し覗き、それらしきものが十手の先に触れた。
それを掻き出してみると、こちらも手付かずである。(という事は)
「物取りが目当てではないと?」

「そうだ!では十手を口に差し込んでみろ」

「えっ?口にでございますか?」

「そうだ!そこへ、その打ち物を差し入れてみろ、暫くの後銀の色が変われば
そいつぁ石見銀山の毒と想わねばならぬ」

「あっ!……」
(そういうことなのだ)銕三郎思わず唸った。

だが想いのほか口に十手が入らない。
観ると舌が大きく口いっぱいに膨れ上がり、
中には容易に飲み込んでくれそうにもなく、宣雄には死後の硬直と見て取れた。
銕三郎、そこへ無理やり抜いた女の銀簪(ぎんかんざし)を差し込む。

「その間に胸を開いてみるが良い、傷はないか?」

「はい、それらしき痕は何も」
(それにしてもまだ三十歳半ばと見えるこの骸(むくろ)は初々しくさえ見て取れる。

「乳首の色はどうだ?」

「えっ?乳首の色──で」
よく見ればすでに血の気は失せて褪(さ)めてはいるものの、
淡い桜色であったろう事は容易に想わせるに十分なふうである。

「はい、綺麗にございます」
そうとしか答えようもなかった。
(まさか白首女郎のものとは違います、なぞと言えたものではなかったからだ)

「そうか──。では帯を解け」

「はっ?帯をでございますか?」
銕三郎思わず鸚鵡(おうむ)返しに問い返した。

何しろ、いくら死人であっても人前での丸裸を晒すのには些か抵抗もあった。

「何を致しておる!早く致せ!」
宣雄は急き立てる。


銕三郎しぶしぶ女の帯を解き、それらをはだける。
真っ白であったであろうその躰は、陽光の下、惜しげもなく晒されている。
剥ぎ取った瞬間銕三郎驚きの声を上げる。
「まままっまさか!」

下腹部が真一文字に掻き切られていたのである。
着衣の状態からも抜き、胴に払い切られたであろうとは想っていたが、
銕三郎の驚きの声に固唾をのんで見守っていた衆人も驚嘆の声を上げた。

「銕三郎!その胸乳の下を臍(へそ)の下辺りまで触ってみろ」

「腹にございますか?………こうで?」
宣雄の顔を伺いながら銕三郎、女の腹に手を触れた。
切り口を境に少し感触が違う。

「どうだ、硬いかそれとも柔らかいか?」
意味ありげな顔に銕三郎、再度真剣に触れてみる。

「はい、臍の上辺りが少々硬ぅございますがそれがなにか?」

「うむ、硬ければ孕(はら)みがあると視ねばならぬが、
柔らかいのであらばそうでないと判る。
この中に取り上げ者(産婆)はおらぬか?」
宣雄、衆人を見渡しそう言うと

「へぇここにおりますだ」
と、群れの中から六十過ぎと見ゆる老婆が名乗り出てきた。

「おお、よし!ならばお前に頼もう」

そう言うなり宣雄、懐から手ぬぐいを取り出しビリビリと裂き、
老婆に差し出し
「こいつを指に巻き火処(ほど)(陰門)を探り、
中に何んぞ隠されてはおらぬか検(たしか)めよ」
と言い渡した。

「へぇ始末を調べるのでございやしょうか?」
老婆は宣雄の言う意味を判じたのかそう言葉を返す。

「そうだ!堕胎させてそこへ何かを押し込むことも想われる故な」
こともなげに告げ、
「どうだ何が判った?」
と問いただす。

老婆は陰門に差し入れた指を抜き出し
「これぁ……」
と宣雄を振り返る。その指先に乳白色のものが付着していた。

「ふむ、事を為した後という事だな、ご苦労であったな。
銕三郎その女の喉辺りをよく見ろ、締めた痕はないか?」
宣雄、どんどんと検視を奥深いところへ探り込む。

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鬼平まかり通る  雀の森  5月号



この中に取り上げ者(産婆)はおらぬか?」
宣雄、衆人を見渡しそう言うと
「へぇここにおりますだ」
と、群れの中から六十過ぎと見ゆる老婆が名乗り出てきた。

「おお、よし!ならばお前に頼もう」
そう言うなり宣雄、懐から手ぬぐいを取り出しビリビリと裂き、
老婆に差し出し
「こいつを指に巻き火処(ほど)(陰門)を探り、
中に何んぞ隠されてはおらぬか検(たしか)めよ」
と言い渡した。

「へぇ始末を調べるのでございやしょうか?」
老婆は宣雄の言う意味を判じたのかそう言葉を返す。

「そうだ!堕胎させてそこへ何かを押し込むことも想われる故な」
こともなげに告げ、

「どうだ何が判った?」
と問いただす。

老婆は陰門に差し入れた指を抜き出し
「これぁ……」

と宣雄を振り返る。その指先に乳白色のものが付着していた。

「ふむ、事を為した後という事だな、ご苦労であったな。
銕三郎その女の喉辺りをよく見ろ、締めた痕はないか?」
宣雄、どんどんと検視を奥深いところへ探り込む。

「はぁそれらしきものは見当たりませんが……」

「よく視ろ!下顎(したあご)の近くに何かないかもう
一度よっく確かめろ!些細なことも見逃すではない」
厳しい宣雄の声が飛んできた。

(先程から視ているのに何をさらに改めろとは親父殿も……)
思いつつ銕三郎、女の首筋を手指で持ち上げてみる。
(あっ!─これは)親指大の斑紋が診て取れた。
「ここに指の跡のような……でもなぜ」

「良い良い、首の後を検分いたせ」
もう宣雄には犯行の一部始終が読めている様子ですらある。

銕三郎、女の体を抱え起こし、うなじを確かめる、
そこへも指の痕と思しきどす黒い斑紋が残されていた。

「確かに指痕と思しきものが」

「やはり在ったか」
宣雄は確信を持ったように言葉を吐いた。

「父上!一体何が起きましたので?」
これまでの一連の所業を顧みながら銕三郎、
まだつながりが見えていない様子に

「銕三郎、お前はこの腹の傷をどう見た?」
探るような鋭い眸(ひとみ)で銕三郎を見やる。

「傷?刀傷にございましょう?」

「そうだ!だがこいつは傷口が開いておらぬ、
故に締められて殺害されたる後に辻斬りと見せかけて
腹を切り裂いたと見たほうが良かろう、
こいつぁ勒死(ろくし)(ろくし絞殺)だ」

「何と……」

銕三郎、父宣雄の見識の深さをまざまざと思い知らされたものであった。

「爪を検(あらた)めてみろ」
再び宣雄の言葉が続く。

銕三郎、女の手を取り、よく観察する。
「中指や小指に何かが残っております、これは?」

「恐らく苦し紛れに引っ掻いたのであろうよ、
殺った奴は恐らく顔か腕のあたりにその傷を受けておろう」

「はぁ……そこまで」
銕三郎ため息混じりに松三の方へ振り返る。

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